「アチイ…………」
馬鹿みたいに熱い朝の光を浴びて、俺とイリヤは事務所を目指している。
ただいま首都圏は夏真っ盛り。
俺も真っ当な学生をしていれば夏休みを満喫していたはずだ。
諦めろ衛宮士郎、今やお前は先生自慢の小姓だ、そんな幻想捨ててしまえ。
畜生、熱いぞ太陽!
朝の最高気温は38度とのこと、これが地球温暖化って奴なのかぁ!
「お兄ちゃん………私、もう駄目」
雪国育ちのイリヤにはこの暑さが相当堪えるのか半分溶けている。
「日本が熱帯だったなんて、始めて知ったわ」
水色ワンピースの胸元をパタパタさせながら、白い妖精は言う。
「―――冬木の夏はそんなでも無いんだけどな」
なんで東京の夏はこんなに蒸すんだ?
「もう、なんで私たちはこんな日にもトウコの事務所に行かなくちゃならないのよ!」
「仕事だからな。仕方ない」
それにしても暑い。
まだ近場に出社だからいいものの、通勤ラッシュに数分間揉まれただけでクタクタだ。もしかして、日本のお父さん達って世界最強なのでは無かろうか?
「家で待ってても良かったんだぞ、朝倉もアパートで日がなごろごろしてるしな」
いっそ預けてくれば良かったか?
「嫌よ、シロウのイジワル。今は私もトウコに魔術習ってるんだから休むわけには行かないじゃない」
緩く三つ編みにした真っ白い髪をなびかせ、涼やかにイリヤは笑う。
先生の事務所に勤め始めて早二ヶ月半、瞬く間に過ぎていった。
解析能力の鍛錬も兼ねて、相も変わらず様々な武具、魔具、人形、宝石、建築物の設計図を図面に起こし。
先生の「創作物」の魔術的な補佐をし(邪魔しているのと変わらないけど)。
夜は毎晩式さんにライブで殺されかけ。
その後、先生に強化、変化の魔術を習う。
家に帰ったら帰ったで、魔術書を読み漁り、知識を蓄え一日を終える。
前との唯一の違いは、イリヤも先生と式さんに教授している位か?
「しかし、イリヤも物好きだな。先生から魔術を習うだけならまだしも、俺と同じように式さんと鍛錬すること無いだろう?」
俺はダレつつも真剣に、イリヤに問いかける。
「シロウ、またその質問?これで何度めかしら?」
イリヤは凄いな、暑さで参っているだろうに、それでも女性の艶ややかさを保ってこちらに返す。
「何回だって言うぞ、イリヤは女の子なんだ、辛い思いをしてまで強くなることなんてないんだ」
かなり女性蔑視の発言だが、俺は間違ったことは言っていない。
「ふう、同じことがトウコやシキにも言えるかしらね?シロウ」
フフンと意地悪く微笑み、俺の前にテンポ良くステップするイリヤ。
「――――――う!」
あの人達はまた別物だと思うぞ。
「それにねシロウ、辛くても嫌じゃないよ“強くなること”がね。今は昔みたいな魔術行使は出来なくなっちゃったけど、元気な体がある」
イリヤはクルリとお姫様みたいに跳ね返り――――
「シロウは「皆を救う正義の味方」になるんでしょ? なら、シロウの隣を歩くためにも強くならなくちゃ」
――――夏のお日様よりもなお明るい笑顔をプレゼントしてくれた。
「――――――そっか、ありがとうイリヤ。でもな、あんまり無理するなよ」
うん、わが妹ながら最高に可愛いいぞ。俺って兄バカ?
先生曰く、イリヤの属性は「水」。
その魔術特性は「叶える」事、例え術式の理論を知らずとも自身の魔力で望んだ結果を引き起こせるというものだ。
反則だろ! なんてこの話を聞いた時は世の不平等に真剣に抗議したが、ソレは『聖杯』だった時の話。
新しい体は魔力要領も魔力回路も前の体の半分以下のうえ、その魔術特性も自身の属性に限定されているらしい。
「心配なんて無用よ、半人前の魔術師さん」
まあそれでも、俺なんかとは比べ物にならないほど優秀な魔術師であるのだが。
「それもそうだな」
夏の日差しの中、気がつけばそこには、通いなれた何時もの廃墟があった。
「それじゃ、今日も一日頑張るぞ」
「そうだね、頑張ろうシロウ」
何時もと同じ、だけど同じ日など一度も無い今日が始まる。
FATE/MISTIC LEEK
第十話 錬鉄の魔術師 Ⅰ
「っちい、―――――――」
夜の屋上、月明かりを縫うように式さんが俺に迫る。
僅かに後退、半歩踏み込みを遅らせなければ、俺にあの凶刃は受けられない。
式さんの獲物はただの竹刀、しかしそれですら彼女が扱えば十分すぎる凶器となる。
「遅いよ。――――――衛宮」
一息の間に、俺との間合いを掌握された。
「くっ、―――この!」
上段から振り落とされた刃を、構えた二刀竹刀で受け流―――――せない!?
体が沈む、何とか踏ん張り、堪えた左刀を下段より激しく切り返す。
「せい!!」
式さんは刃を受けることも無く、僅かに体を捻り剣戟の間を広げ、――――
「―――――堕ちろ」
回転力を加えた上段からの必殺を見舞う。
「くうっ!」
右の刃で何とか防ぎきるも、視線の先に既に影は無く。
「惜しいな、左だよ」
破裂音と共に、俺の脇腹は叩き斬られた。
「―――――――有難うございました」
横腹を擦りつつ式さんに礼を取る。
痛いぞ。
意識が飛ばなかっただけでも、ここ二ヶ月殴られ続けたかいがあるというものだ。
「今日はまあまあ楽しめたかな、にしても衛宮、お前の二刀も段々様になって来たじゃないか」
俺をたこ殴りにした後の式さんはいつもご機嫌だ。
「そう言って貰えると嬉しいですね、励みになります」
とは言うものの、内心は複雑だったりする。何せ今の俺の双剣技はあの気に食わなかった赤い弓兵のものだからだ。
「変な顔してるぞ衛宮」
「――――――変な顔って、酷いですね式さん」
「お前の顔、変なのは何時もの事だから気にするな。大方、例の「赤い弓兵」とやらのことでも考えていたんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね」
何時ものことって………フォローになって無いですよ式さん。
苦笑で返す俺に何を思ったのか、彼女は水をかけられたウサギみたいに俺を見ている。
小動物の様な女性による、たこ殴りの刑にも飽きてきた俺は状況を打開するために色々創意工夫を凝らしてみた。
「面白くないことに、アイツの戦い方が俺に一番合っている気がするんですよ」
先生に随分と虐められたおかげなのか、俺の解析魔術はかなりの上達をみせていた。
魔具、武具は勿論のこと、術式、呪式そんな「象なきモノ」にさえ、そこに「存在」しているのなら解析し最終結果を予測できるのだ…………七割ほど間違うけど。
その恩恵なのか、俺は「剣」に対して以前よりも深い理解が可能になった。
そんな訳で、今現在俺が知る「剣」の中から、最も俺に向いているであろう剣を検索。銘を“干将・莫耶”。俺の剣技はその中に宿った戦闘経験を真似ているだけに過ぎない。
「合っているんだから別に構わないだろ、何をそんなに悩むんだ?」
アーチャーの双剣技。
構えなどなく、凡庸な人間が生涯をかけて積み重ねた守りの剣舞。
勝てもせず負けもしない。双剣が俺に語った、――――――“エミヤシロウ”の戦い方。
「俺にもよく分からないんですけどね。ただ、納得できないんです」
衛宮士郎は「創る者」だ、戦いになれば俺に勝ち目など無い。
自分自身が言っていた、―――――とっくに分かってる。
それでも――――違う、あの剣は今の俺とは決定的に異なっている。
「だけどな、お前えり好み出来るほど剣の才能無いぞ? 確かにお前は筋も良いし、強くなる。だけど其れだけだ、生死を別つ境界はさ“持たない奴”に容赦しないから」
ソレも分かる。
俺に足りない絶対的な何か。
きっと、式さんは「持っている」。
戦うものとして、衛宮士郎が決定的に欠けているものを式さんは「持っている」。
其れが何なのか、俺にだって分からない。
アイツや式さん、あの戦いで出会ったランサー、アサシンそしてバーサーカー、戦闘者として卓越した彼らは確かに「持っていた」。
「分かってます、だけど違う。この剣じゃおれ自身にだって克てやしないんだ」
「ふうん、難しいな。ああ、それでお前の剣はチグハグだったのか?」
「チグハグ?」
はて、何のことだ?
「気付いてないのか? 無形の構えから受け流す守り、下段の型から苛烈な攻め。ほらチグハグだろ? お前、いつも攻めと守りの差が大きすぎるんだよ。」
こと剣技に関して式さんの指摘は適確だ、その指摘に間違いは無いはず。
うーむ、全く気付かなかったぞ。
「オレはてっきり、狙ってやってるのかと思ってた」
「いや、俺自身守りも攻めも一連の動きを意識しているんですけど……」
確かにエミヤシロウの剣を真似るのはいけ好かないけど、一応式さんとの鍛錬中はオレの剣を模倣し続けた筈だぞ?
「まぁ、気長にやれよ。暫く黙って滅多打ちにされてりゃ、そのうち何とかなるだろ」
俺の肩を叩き、式さんはかっこよく笑った。
「そうですね、頑張ってみます」
俺も式さんの微笑みに笑って返した。
「お兄ちゃん、次、私の番だよ」
夜の闇の中、イリヤの雪の様な声がした。
「イリヤ、先生の魔術講座終わったのか?」
「そうよ、次はシロウの時間、しっかりトウコに遊ばれて来なさい」
イリヤは俺の竹刀を奪い取り、式さんとの鍛錬前の準備運動を始めた。
「あいよ、イリヤも頑張ってな」
とは言ってもイリヤがするのは筋力の適度な増強と素振り程度の事だと以前式さんが話してくれた。
「心配するな衛宮、イリヤの面倒はオレがしっかりみてやる」
式さんは無表情だけど、キチンとイリヤの面倒を見てくれるんだよな。
幹也さん曰く、式さんは人見知りが激しく人間嫌いだって事だけど、俺達の前では、クールでカッコいい可愛げのあるお姉さんって感じだ。
「ええ、イリヤのこと宜しくお願いします」
幹也さん式さんも、イリヤを可愛がってくれているし、イリヤも二人の事が気に入っている。良きかな良きかな。
そして、俺は先生の屋上を後にした。
ゆっくりとだけど確実に俺もイリヤも成長している。
――――――――だけど、何だってこんなにイラついているんだ、俺?
「―――――――くそ!」
誰かの拳がビルの壁を叩きつけた。
オレの剣、アーチャーが振るったオレの理想型。
「―――――――オレは」
だけど、違う。――――――何が違う? 違わないさ、エミヤシロウ。
「―――――――俺は」
だけど、認めてる。―――――認めている? それは違う、シロウ。
在りえない声を俯瞰し、星のくすみ始めた夜を降りる。
「―――――――――先生の所へ急ごう」
思考を切り替え師の下へ、それは助けを欲する安易な安らぎに似ていた。