「イリヤ……………重大な問題があるんだ」
八月に入って最初の日曜日。
イリヤと一緒に昼食の素麺を狭いアパートで楽しんだ後、俺は切り出した。
「何、冬木で何かあったの?」
三つ網にしたイリヤの髪が緊張に揺れる。
元々、俺達はアインツベルツの脅威がイリヤや関係の無い人たちに及ぶのを防ぐため姿を眩ませたのだ。案の定、アインツベルツはイリヤの体を返したことを不振に思い、使い魔を派遣してきたらしい、遠坂が教えてくれた。
「いや、そうじゃない、遠坂からの定期連絡では未だ衛宮の家は監視されているものの特に目立った動きは無いそうだしな」
今の俺達の状態、イリヤの体が元に戻ったこと、先生の名前は出していないモノの俺が弟子入りした事も遠坂には話してある。
「他には桜が調子を崩しているらしいけど、声を聞いた限りで問題なさそうだったし冬木の街は平和そのものだそうだ」
ちなみに、現在遠坂は将来お世話になるであろう時計塔に見学のためロンドンに渡って行った。夏休みに英国にご旅行とは、セレブ? は違うなぁ。
「 ? じゃ、何かしら。それ以外の重大な問題って」
緩い三つ編みを弄んで小首を傾げるイリヤ。
最近イリヤはその綺麗な銀髪を纏めている、そうしないと剣の鍛錬の時に邪魔なんだとか。じゃあ切れば良いとも思うのだが髪は魔術師にとっての切り札、そういう訳にもいかないようだ。
「……………覚悟して聞いてくれ」
だがしかし、今話さなくてはいけない事は他にある。
「いいわ、何?」
イリヤが喉を鳴らし構える。
「実は…………………………」
俺達が直面する、東京に来から第二の敵。
その名を、―――――――――――
「……………………金が無い」
―――――――――――――――――金欠。
FATE/MISTIC LEEK
第十五話 白羽の剣士 Ⅰ
「――――――――それじゃ、先生。そういう訳で、一週間程、事務所には行けません。金銭の都合をしないとならないので」
俺達の金欠最大の元凶に電話で話を付ける、貯えは在るものの先生のおかげで向こう半年は給料が出ないのだ。これから一週間、何が何でも今月を乗り切れるだけの金銭を都合しなくては。切嗣の遺産を、こんな下らない事で使いたくない!
「――――――――いいよ、どうせ仕事も無いしな、有給休暇扱いだぞ?」
そんなもん在ったのか、あの事務所?
「ええ、それで構いませんよ」
まあ、休めるんだったなんでも良いか。
「それで、仕事は見つかっているのか?」
ちっとも興味なさそうに、先生の声が電話越しに響く。
「ええ、朝倉に相談したら直ぐに見つけてきてくれました。“死徒狩り”、ですか? 何でも、通ってる学術都市にここ最近吸血鬼が一人潜伏したとか」
吸血鬼。
先生から渡された魔術書にその存在は記されていた。
人の血を啜り夜の世界に生きるもの、夜の世界最大の禁忌。
「ほう“死徒狩り”ね。魔術師として奴等と交えるのもいい頃合いか。――――それで?狩場は麻帆良か?」
「そうですよ。知ってるんですか先生?」
「まあな、一応日本の魔術協会支部と言うことになっている。最も、いるのは衛宮の様な変人ばかりなのでね、時計塔の爺共は奴らを魔術師などと認めていない。そのため、意思の疎通など皆無だよ。魔術協会の支部が日本にあるにも関らず日本に協会、教会の人間が介入しにくいのはそのためだ。」
「変人は酷いですよ先生」
まあ、別にいいですけど。
「それじゃ、魔術使いの集まりみたいなものですか? 俺と同じって事は魔術を用いて「根源」を目指していないんですよね?」
「そんなものだ、神秘の隠匿を主とする事しか頭に無い魔術協会の馬鹿共と、秘儀をもって人助けなんぞしている麻帆良のアホ共が相容れるはず無いだろう?」
一人で笑い出す先生、そういう先生はどっちにも受け入れて貰えなさそうですね。
「まぁ何にしても、あそこの人間なら君に危害を加える事は無いからな。楽しんでくるといい」
いや先生、これから殺し殺される戦場に弟子が赴くって言うのに、楽しんで来いってのはどうかと。
「死なないように頑張りますよ。それで、イリヤの事なんですけど…………」
「ああ、了解した。責任持って私が預かろう」
流石に、イリヤを連れて行く訳にも行かないしな。
「ええ、お願いします」
「それで?出発は何時だ」
「今日の晩です、行きがけにイリヤを事務所に置いて行こうかと思っているんですけど、いいですか?」
「構わんよ。ふむ、曲がりなりにも“吸血鬼”と戦うんだ、ある程度の“奥の手”は必要だろう? ついでに、私のコレクションを全て視せてやる。楽しみにしていろ」
それで、先生は電話を切った。
にしても、先生のコレクションかぁ。
式さん家の蔵にも宝具二、三歩手前の名刀、名槍がゴロゴロしてたもんなぁ。先生のコレクションだ、高位のアイテムも結構あるんじゃないのか?
まだ視ぬ先生秘蔵のコレクションに思いを馳せながら、夜を待つのであった。
「お兄ちゃん、にやにやして気持ち悪い……」
なんでさ?
「それじゃ、先生。イリヤをお願いします。イリヤも先生の言う事チャント聞かなきゃ駄目だからな」
置いていかれるのそんなに嫌なのか、イリヤはツーンとした趣で事務所のソファーに寝転んでいる。レディがはしたないぞ。
「心配無用だよ衛宮、どうせ面倒を見るのは黒桐と式だ。子供が出来た時の良い予行練習になる」
いつもの様にデスクに腰を下ろしキツイ目つきで頷く先生。
また、微妙な発言を………。
「ふんだ、私は子供じゃ無いんだから大丈夫だもん!シロウこそ、やられちゃ駄目なんだからね!」
素直に心配してくれてもいいんじゃないか、妹。
「大丈夫だよイリヤ。先生のコレクションの中に強力そうな魔具も結構あったしな。それに、――――――――」
まあ、今の俺じゃ殆ど投影出来ないけど。
吐血覚悟なら何とか…………いや多分無理だな。
「それに、吸血鬼なんて非常識な奴が隠れているんだ、正義の味方として、ほおっておけない」
む、何でため息つくのさ?イリヤ。
「しょうがないわね、シロウだもの。でも本当に気をつけてよね」
そういって俺を守るように微笑むイリヤ。
当たり前だ、俺には帰らなきゃならない場所がある、叶えなきゃならない誓いがある。
そのためにもこんなところで立ち止まれるか。
「ああ、勿論だ」
強く頷く。それに、――――
「うん、いってらっしゃい。シロウ」
当たり前の挨拶。
「ああ、いってきます。イリヤ」
だから、―――――――こんなにも心が満たされる。
そう言って事務所を後にした。
帰る場所がある、だからこんなにも強く生きることを願える。
夏の夕闇、薄く揺らぐ月影を割いて、死者の狩場へと鉄の箱は走り出す。
都心のビルを抜け、揺れる風景。
どれだけ揺られていたのか、目に灯る風景はどこか中世を連想させる赤レンガのそれに変わっていた。
「――――次は麻帆良。――――――麻帆良」
無機質な人間の声を耳に残し鉄の箱より夜の世界に足を踏み込む。
驚いた、ここ、日本じゃないみたいだ。
月の光を受けて、幻想的に染まる町並みは、いつか切嗣の話に聞いたヨーロッパのそれだ。
「凄いな。こんなところ日本にあったのか」
時刻は既に10時を廻っている。
吸血鬼のせいだろうか?
普段ならもっと華やいでいるだろう駅の構内には人が一人もいない。
「まいった、朝倉の話じゃ、ここで魔帆良の退魔士と合流する話だったと思うんだけど?」
誰もいないじゃないか。
「もし、貴方が“衛宮士郎”さんですか?」
唐突に、いきなり、澄んだ刃物みたいな声で名前を呼ばれて、思わず振り返る。
「よかった。―――――――貴方が衛宮さんですか」
どこかほっとした様子で黒髪の女の子は続ける。不自然に黒すぎる髪と瞳。
アイツを思い出させる紗躯と佇まい。
そしてその奥にある、弘毅な意思と危うげな儚さ。二律背反する鋭い美貌の少女が、降り注ぐ外光のヴェールに濡れている。亡羊と広がる暗闇の中でさえ、尚漆黒の瞳が、深い夜に佇んでいる。
学校の制服だろうか? 整った身なりで小さい人影は手を差し伸べた。
「桜咲刹那です。この街で退魔を生業にしているものですので、以後お見知りおきを」
そうして俺は彼女に出会った。
いつかアイツと廻り逢った、美しすぎる夜のように。