「――――――――コレで治療は完了や。衛宮君、手ぇ動かしてみて」
吸血鬼との緒戦。
完全に敗北を喫した俺は近衛の自室でシャワーを借り、そのまま手当てを受けていた。
時刻は午前二時。
人工的に整えられた空気は涼やかさと共に、自らの無力さをも浮き彫りにする。
「…………うん、問題ない。凄いな、近衛の魔術は」
試しに、手を握り開き反応を確認する。
吸血鬼の力任せの攻撃をよくも耐え切ってしまったものだ。
「よかった。衛宮君腕の筋断裂しかかっとたし、手首の骨なんかひびはいってたんよ?守ってくれるのは嬉しいけど、そないな無茶したらいかん」
怒っているんだか心配しているんだか。
どちらとも取れる声色で近衛は俺の手を取り、彼女の暖かな手を重ねた。
「…………ありがとう、近衛。でも、そう言う訳にはいかない」
吸血鬼を取り逃がしたのは俺の所為だ。
それは拭いきれない事実、偽ってはならない真実。
唯一の救いは、この手に重なる小さな温もりを守りきれた事だけ。
「奴はまた近衛を狙う。だから、今度こそ、――――――――――」
「今度こそ、―――――――――死にますよ、衛宮さん。もし、もう一度彼と戦えばね」
俺の背後、小柄な体にそぐわぬ野太刀を磨きながら、自然体で俺の言葉は遮られた。
「―――――――――っそんなこと無い! 俺だって戦える!」
死ぬ気になって戦えば、あんな奴なんかに負けない筈だ。
アイツは許してはいけない奴。
奴は近衛を、人間を人間と視ないあの瞳は我慢なら無い。
俺が正義の味方を目指すなら、今度こそ奴を倒さなくてはならない。
「間違えないで欲しい、貴方の仕事は木乃香お嬢様の護衛だ。貴方があの吸血鬼と戦う必要など無い。今夜の戦いで分かった筈です。貴方の力量では吸血鬼に届かない、それどころか時間稼ぎすら間々ならないということが」
瞳を閉じたまま、桜咲は無表情で言葉を叩きつけ、俺の思いを否定する。
「俺の仕事が何であるか何て分かってる、だけど、――――――――――」
「自惚れないで下さい、衛宮さん。今回の襲撃、何故お嬢様を連れて逃げなかったのです? 確かに貴方があの場で打ち合い、私達の到着まで時間を稼ぐのも一つの選択でした。ですが、あの戦い方は何です!? 少なくとも私には身の程をわきまえた戦いをしている様には見えなかった!」
俺の言葉を桜咲が歯軋りをかみ殺し拒絶した。
「貴方がこの街の人たちを脅かす吸血鬼を許せないのも分かる。衛宮さんは優しい人です。だが貴方が取った行動は間違いだ、あの時成すべき事は死徒の殲滅では無い、目の前の命を、このちゃんを守る事だけが貴方のすべきことだった筈だ!」
敵意を含み俺を見据える瞳。
俺が敗れれば近衛は死んでいたという、もしもの話し。
自らの大切な人間を、守るべき存在を死に傾倒させた俺を許さないと、彼女の瞳が訴える。
「―――――――――――――――っつ!?」
吸血鬼との緒戦、俺は何を考えた?
―――――――――こいつと打ち合うには充分すぎる!――――――――
まさか。衛宮士郎の戦いはいつだってギリギリ。
何故あの時俺は全霊を持って自らの魔術(剣)を振るわなかった?
―――――――――こいつはここで、叩き伏せる!――――――――――
馬鹿な。あの時俺の行うべき事は何だった?
吸血鬼を倒すこと?
近衛を守ること?
正義の味方が取るべき選択はどちらだった?
「せっちゃん! 言い過ぎやない。衛宮君が可哀想やんか!」
桜咲の怒りは正しい。
死ぬ気になれば、―――――――戦える?
笑えない。
衛宮士郎の安い命で一体何が出来る?
聖杯戦争、あの戦いは自身の価値など、命の価値など無いに等しいと教えてくれた筈だ。
そんなもの賭けた所で、それ以上の神秘の前には紙くずほどの奇跡しか起こせなかっただろうに。
「衛宮さん、はっきり言います。今の貴方が戦場に出てきたところで今夜の二の舞だ」
桜咲の言葉が俺を締め付ける。
先生の教えを思い出せ。
戦うなら常に万全、――――吸血鬼の強襲、この時点で俺の敗北は必至。
逃げ道は確保済み、――――桜咲が来てくれなければ、俺の死、近衛の死は確定。
自身の最高を持って敵を倒す、――――何故、俺の持てる最高を行使しなかった?
「そうだな。桜咲の言うとおりかもしれない」
何も、何も守れていないじゃないか。
衛宮士郎は“創るモノ”。
ピンチに陥ったあの瞬間、死徒と対峙したその刹那、俺はもう敗北していた。
なら、あの時俺の取るべき行動は全力で近衛を守ること?
たった一人を守るため、見知らぬ誰かを犯すあの吸血鬼から逃げること?
桜咲は正しい、だけど俺は、衛宮士郎はその想いに頷けない。
「分かっていただければいいです、衛宮さんは木乃香お嬢様の護衛だけに専念して下さい。貴方が、命を賭けて吸血鬼と戦う必要は無い。この街は私達が守ります。ですから衛宮さんはお嬢様を、―――――私の代わりに、お願いします」
俯き頭を垂らす桜咲。
何を犠牲にしてでも守るべき存在/自らの手で其れを守れぬ焦燥。
守らなくてはならない、見知らぬ誰か/自らの手で其れを守らなくてはならぬ矛盾。
―――――――桜咲の痛み、俺とは正反対の想いが俺には分かる。
桜咲は唯一人を守るために、吸血鬼を追う。
俺は全てを守るため、吸血鬼を追う。
「俺は、――――――――――――――」
衛宮士郎は正義の味方にならなきゃいけない。
だけどそれでも、今だけは、目の前の少女の願いのために、唯一人の味方でも良いのだろうか?
「―――――――――俺の今すべきこと、出来る事はそれだけしかないもんな」
桜咲の懇願、奥歯を噛み締め返す。
―――――――――それでも、辛い。
力が無いが故に、全てを守れず/力を持つが故に全てを守らなくてはならない。
「はい、お願いします。―――――衛宮さん」
桜咲が先ほどまでの雰囲気を脱ぎ捨て、微笑む。
だが、その顔には力が無い。
きっと、俺も桜咲も沈んだ顔で笑い合っている事だろう。
「――――――――――――――――――――暗い」
俺と桜咲が脳内で色々悶々としているのが不愉快なのか、大気を震わせ近衛が低く嘆いた。
「二人とも、暗すぎや! さっきから聞いとったらなんやん! 二人して陰険な顔で話し合って、今夜の事だって皆無事だったんやからそれでええやん! 何でそんな顔するん!?」
がーと、一気に爆発する近衛。
バンバンと机を叩きつけ、コレでもかとばかりに先ほどまでの空気をぶち壊す。
可愛らしく、何処となくコミカルな空間が目の前に開ける。
「こ、このちゃん?」
付き合いの長い桜咲でもこの反応が予想できなかったのか、近衛の豹変振りにオロオロしながら顔を引きつらせている。
「せっちゃんも衛宮君も一体どうしたん!?そんな暗い顔のままウチの事守るとか、街の皆を守るとか言われても不安なだけやんか!?」
なんかもう止まりませんよ、このお嬢さん。
俺にどうしろと?
「―――――――――――決めた!明日は三人でデートするえ!ガッコも休みやし、丁度ええやろ。覚悟しい、この陰険な空気ウチが全部うっちゃちゃる!!」
――――――――――ってなんでさ?
FATE/MISTIC LEEK
第二十話 三角遊戯 Ⅰ
「お待たせ~衛宮君。待ったかえ?」
「………おはようございます衛宮さん」
例によって、俺の目の前には非常識なデカイ樹。
時計の針が十時をさす前に、俺の後ろから対照的な声が聞こえた。
「いや、俺も今着たばかりだ」
こんな台詞を言わなければならない辺り、今日は本当にデートなのかと考える。
まあ、事実その通りな訳だけど。
「それに、今日は随分とお洒落さんなんだな」
ただいま夏真っ盛り。
太陽はギンギンに町を照らし、東京の夏とは正反対のカラッとした初夏を彩っている。
目の前には真夏の太陽に負けじと夏を彩る美女二人。
揃いのワンピースが眩しすぎる。
「近衛も桜咲も良く似合ってるぞ」
それはいいんだが目のやり場に困る。
季節は夏。当然、皆さん薄着になる訳で。
「そうか? お世辞でもうれしいなぁ~」
「……………どうも」
近衛は素直に賛辞を受け取り、桜咲は照れているのか怒っているのかイマイチ読めない。何にしても、これからデート。
しかも男一、女性ニ。
「どうしたん衛宮君? 急に難しい顔して」
そして困った事に俺のお相手は厳しく見ても美人のお二人。
アイツとしかデートした事の無い俺にしてみれば、考えられない事態である。エマージェンシー! 緊急時用マニュアルの手配を求む?
「なぁ近衛、今日は本当にデートするのか?」
俺がびびっているのもあるが、昨晩は近衛が襲われているのだ。
常識的に考えて危険すぎる。
何処であの野郎の目が光っているか分からないのに。
「衛宮さんの言うと通りです。やはり危険ですよこのちゃん」
「だいじょうぶやん、今日は護衛が二人もついてるんよ? 襲われても平気や」
襲われなれとるしね、と自慢げに舌を出し歩みを進め始めた近衛に俺と桜咲は慌てて彼女の背中を追う。
「それじゃどこ行く? 今日はせっちゃんと衛宮君の為にデートするんやで、二人は何処にいきたいん?」
隣を見ると、桜咲も諦めたような顔してる。
何が何でも近衛はデートするみたいだし、お姫様のご命令だ、やけっぱちで楽しもう。
「私は特に。衛宮さんはどうです」
「う~ん、俺、デートなんて一回しかした事ないし良く分からないぞ」
アイツとのデートは参考にならない気がするしな。
「主体性が無いなぁ、二人とも。お昼まで時間在るし、ウィンドウショッピングでもしながら時間を潰すのがええか? はい決定、ほな行くで~」
何が楽しいのか近衛はサッサと先陣を切って、商業エリアに歩みを進めて行った。
「はぁ、それじゃ行こうか桜咲」
俺の横で口を空けている桜咲に声をかける。
「どうしたんだ? ぼうっとして?」
「っつ!? ああ、すみません。あんな楽しそうなお嬢様を見るのは久し振りでしたので」
桜咲は少し幼く微笑んで駆け足で親友の背中を追った。
「なあ、それってロンドンに留学してるっていう友達と関係でもあるのか?」
小走りで桜咲の後ろに追いつき尋ねる。
「ええ、このちゃんにとっても私にとってもあの人たちとの出会いは一番の思い出ですから」
桜咲は目を瞑り、立ち止まる。
何故だろう、その顔が笑顔にしか見えないのは。
「衛宮さんと一緒にいると何故だかあの時を思い出すんです、このちゃんも私も、ね」
その笑顔が何を意味しているのか分からないけど、そんな笑顔を今日一日独り占めできたら俺も嬉しいぞ。
「衛宮君~何してるん!? 早く来ないと置いてくえ~!」
それじゃ、今日一日その思い出とやらに付き合おうか。
「俺、デートをすると疲れてばっかだな」
近衛お勧めの喫茶店の中、だらしなく椅子に腰掛け嘆く。
あれから大体二時間ほどだろうか?
本屋で料理本片手に近衛と日本食について語り合い。
刀剣店にて桜咲と共に剣の品定めをしてみたり。
ファンシーショップでお人形さんに囲まれ。
人形遊びの如くとっかえひっかえ俺の洋服を選んで貰ったり。
まあ、色々と商店を冷やかし時間を潰した。
そしてとうとう男どもの嫉妬の視線に耐え切れなくなった俺はこうして喫茶店の中。
「それにしてもお嬢様、遅いですね」
「だな、アイツの注文したのって、こんなに時間かかるのか?」
因みに、俺と桜咲は近衛が注文をしている間に席取り。
どこかギクシャクした空気が中冷房の効きすぎた瀟洒な店内を覆っている。
向かい合って木の香りの漂う机を囲む俺達はどこか孤独なマラソンランナーのよう。
「普段はこんなにかからない筈なのですが」
「そうなのか」
「遅いですね、このちゃん」
「そうだな」
「…………」
「…………」
ヤバイ、会話が続かない。
さっきの刀剣店の様に話題があれば別だが、俺は女の子と喫茶店でお喋りするスキルなど持ち合わせていない。
昨日の事もあるし、ただいまライブで大ピンチ。
一人悶々としていると、桜咲と目が合った。
「あの、衛宮さん。一つ聞いても良いでしょうか?」
この空気に耐え切れなくなったのか、唐突に桜咲が口を開く。
机の上で手をモジモジさせながら俯き加減に尋ねるその姿が、どうしようも無い位女の子らしくて、頬が緩んだ。
「ん? なにさ?」
喜びを悟らせまいと普通に返す。
辺りの喧騒を突然遠くに感じる錯覚、桜咲の瞳はどこか俺を悲しげに見ている。
「――――――――――衛宮さんはどうして魔術を?」
「っ! おい桜咲!? 人前でその単語はまずいって!!」
思わず辺りを見回す。
慌てる俺を尻目に、冷静そのもので桜咲は続ける。
「大丈夫ですよ、喫茶店の中とはいえ小声で話せば問題ありません」
桜咲はそう言ってこちらに身を乗り出してきた。
俗に言う、内緒話スタイルだ。
机を挟んでお互い身を乗り出し、顔を近づけコショコショ話。
「――――――――――――って!? 近い! 近いって!?」
桜咲も近衛も、自分が美人だって自覚しているのか?
少なくとも俺は美人に大接近されれば、ドキドキする健全な男の子だぞ。
「せっちゃんも衛宮君も、仲良しやねぇ~、ウチお邪魔やったかな?」
「「―――――――――――――――――っっつ!?!?」」
ここここ近衛!? いつの間に!?
「いや! あの? このちゃん!? コレは、違、―――――――!?」
「ええて、ええて、かわええもんな衛宮君」
真っ赤になって弁明を試みる桜咲。
新たなる恋の芽吹きと、訳の分からない事を頷きながら笑顔で席に着く桜咲の親友。
「近衛、あんまり桜咲を虐めるなよ」
真っ赤になって今にも泣き出しそうな桜咲を一応フォロー。
というか桜咲。お前も恥ずかしかったんならあんな真似するなよな。
「うふふ、良かったねせっちゃん。衛宮君、せっちゃんの事心配してくれとるよ」
「このちゃん!?!?!」
なんか俺の発言により泥沼化していく桜咲、ついに真っ赤になって俯いてしまった。
「近衛…………」
「分かってるよ、衛宮君。それで魔術の話しやろ? ちょっとしたお茶目やんか。今遮音
の結界敷くから睨まんといて」
自分の頭を軽く小突いて、ゴメンと謝る彼女。
それと同時に喫茶店から俺たちの空間を囲う様に薄い膜が張られる錯覚。
「――――――――――っと、一応括ったよ。コレでお話し出来るやん」
軽く微笑んで、近衛は各々が注文したサンドイッチとコーヒーをトレイより手渡していく。
「だな。それで、どうして俺が魔術を学んでいるか、だっけ?」
こんなこと聞いてどうするんだ?
疑問に思いながらコーヒーを一口、爽やかな苦味が口の中に広がる。
「そうです、何で衛宮さんは魔術を? こんな事を言うのは失礼かもしれませんが、衛宮さんはとても魔術師には見えない。外来の魔術師は勿論の事、麻帆良の魔術師ともどこか雰囲気が違う」
「そうやね、ウチもそう思うわ。はじめて会うた時は麻帆良の魔術師さん見たいやと思っとったけど、それも違う感じやし、何で魔術師なんて習ってんのか気になるわ」
二人の目は真剣に此方を捉える。
辺りの空気が二人の心象を映し出し、効きすぎた冷房は俺を気遣う優しさと僅かの悲しみを運んでいる様に感じられた。
こんな眼差しを向けられちゃ、はぐらかす訳にはいかないよな。
「はぁ、そんな面白いものじゃないぞ?言ってもいいけど、―――――笑うなよ」
照れ隠しに、無理やり笑う。
だというのに、二人の表情は真剣そのものだ。
彼女達は瞳で頷き、先を促す。
「俺はさ、正義の味方になりたいんだ。そのために魔術を学んでる」
口に出して思わず自嘲気味に口元が歪んだ。
全てを救う正義の味方、馬鹿げている、そんなもの絶対に届かない。
いや、人が届いたらいけない願いなんだと思う。
それでも追いかけ続けるこの矛盾。
決まっている、この願いを叶える事が俺の生きている確かな証。
だから、追いかけるんだ。
この決意だけが、アイツと残せた唯一つのものだから。
「笑えるだろ? この歳で正義の味方だ、笑って良いぞ」
自分で言って、どんどん卑屈になる。
「………………」
「………………」
長い沈黙が痛すぎる。
気を使うぐらいなら、せめて笑ってやってくれ。
「おーい、桜咲、近衛。大丈夫か?」
俺の言葉に焦点を取り戻し桜咲と近衛は二人で顔を見合わせてから、俺に向き直る。
「――――――――――――正義の味方、ですか」
最初に口を開いたのは桜咲、安心した様な困った様な顔で俺に微笑む。
目を瞑り、コーヒーカップを弄びながらどこかお姉さんじみた口調で澄ましている。
「らしいなぁ衛宮君、はまりすぎやんか」
嬉しそうに桜咲の後に続き、心底楽しそうに微笑むのは近衛。
サンドイッチを口に放り込み、安心したように体を揺らす。
「―――――――――笑わないのか?」
なんでさ? 正義の味方だぞ? 何で二人とも納得したように笑ってるのさ?
「笑いませんよ。むしろこの三日間で衛宮さんの人となりに触れれば笑うことなど出来ません」
「そうやな、言われてみると今までの事とか全部納得やん。衛宮君が頑張り過ぎる理由とか」
憑き物が剥がれた様に、サッパリとした笑顔で俺の疑問を完全否定。
聞いた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「それにしても、正義の味方かぁ~。この職業、衛宮君の為にあるんちゃう?」
パクパクとサンドイッチを飲み込みながら近衛は桜咲に尋ねる。
正義の味方は職業じゃないぞ。
「そうですね、衛宮さんらしいです」
澄ました微笑を崩さず、こちらも返す。
「なんだよ、聞きたいのはコレだけか?」
一体なんだったんだ、全く。
俺はサンドイッチをかっ込み半眼で美人のツートップに尋ねる。
「そうですね、本当は衛宮さんが無理をする理由を遠まわしに聞きだそうと思って。ですがそのものズバリでしたね」
「そうやね、正義の味方見習いやもん、無理するなってゆうのが無理な話やわ」
一睨みなど堪えた様子も無く、笑いあう二人。
「ふん、ないならサッサと食べて店出るぞ」
俺の被害妄想か?なんか馬鹿にされている気がするのは。
「あ、ウチまだ聞きたい事があるんやけど、ええか」
コーヒーもサンドイッチも食べ切り、手持ち無沙汰の近衛がなにやら怪しい笑顔で俺を見ている。
嫌な予感が背中を焦がすが一応頷く。
「さっき衛宮君、“デートは一回しかしたこと無い”って言ってたやろ? ズバリ聞くけど、衛宮君、今彼女とかおるん?衛宮君、童顔やけどかっこええやん?今までの女性遍歴とかききたいなぁ~?」
吹いた、それはもう盛大に。
黒い液体が豪雨の如く。
「ななななななな、何でそんな事教えなくちゃならないんだ!?」
今までの話しと何の関係も無いぞ!?
「ええ~気になるやん。せっちゃんもそうやろ?」
「私は、別に…………」
きゃいきゃいはしゃぎながら、俺のほうを期待に満ちた目で見ないでくれ近衛。
桜咲もなんか妙にこっちに注目しているし。
どうして女の子はこの手の話しが好きなんだ?
「ねねね、どうなん衛宮君?」
にじり寄る女の子1。
なんか話さないとこの店から出られなさそうだし、少し昔話をしてみるか。
アイツの事久し振りに思い出してみよう。
「分かったよ、それじゃ少しだけ、――――――――」
輝く夜に出会った、美しすぎる運命の話を。
「――――――ってな感じかな。話せない事の方が多いけど、俺とアイツはこんな感じだった」
ほんの少し胸が痛い。
――――――――やっぱり、未練なのかな。
いや違う、アイツの事はもう振り返らない。
そう決めただろ? 衛宮士郎。
「………ゴメン、衛宮君」
俺が首を振ると、どこか寂しげに腕を抱え込み、近衛は場違いな言葉を紡いだ。
「何でさ?俺とアイツ、望んだモノが違っただけだぞ」
アイツが思い出に変わる。
悲しいけど、それが正しいことだから。
「嘘やん、そんなの。全部話してないのは分かるけど、それでもそれは嘘だって分かるよ。だったら衛宮君、そんな顔せえへんもん」
言って、近衛は俯いてしまった。
どんな顔、していたんだ、俺?
なんだか悪いことしちまったな。
「大丈夫だって、そんなに気にしなくて。アイツの事に後悔なんてないよ、辛気臭い話は終了。ほら、デートの続きをするぞ」
伝票を机より掠め取って、席を立つ。
白けた雰囲気にしちまったし、せめて御代を持たなくては立つ瀬が無い。
「――――――――――――それこそ嘘ですよ、衛宮さん」
誰かの聞こえない嘆きが、冷たい空気を伝いチクリと見知らぬ心臓を突いた。
それからは何事もなくデートは終了。
俺と桜咲のギスギスした関係もなくなったし、近衛発案の無理やりデートも、気分を入れ替えるのには最適だったな。
「さて、日も暮れて来た事だしそろそろ帰るか? 近衛、桜咲」
昼間よりも多少過ごしやすい、夏の日暮れ、長い昼が終わりを告げる。
「そうやね、今日は充分楽しめたし帰ろうかせっちゃん?」
にこやかに近衛は紅く染まる町並みに振り返る。
「―――――――――――――せっちゃん?」
近衛の焦点を失った声に俺も桜咲の方を向く。
見ると、彼女は薄暗く陰る細長い通路、路地裏を睨みつけていた。
「どうした、桜咲」
只ならぬ気配が背筋より駆け上がる。
―――――――――――――この脳髄を蕩かす様な鉄の香りは。
「衛宮さん、―――――――血の臭いだ」
駆け出す。
桜咲が先頭、俺は近衛の手を引き警戒を怠らず跡に続く。
死徒の気配は無い、奴が放つ腐った魂の臭いがしないから。
「―――――――――――――――――っつ!?」
人の臭いが無い路地裏。
驚く声は一体誰のモノだったのか、俺は反射的に近衛の目を覆う。
「…………これで八人目だよな」
紅く匂う空間で、人だった物を直視する。
腸が煮えくり返る、吸血鬼、人間を超えるってのはこういう事なのか。
「ええ、酷いものです」
桜咲は死体から目をそらす。
暗がりの路地裏に昆虫標本の如く貼り付けられた裸体。
喉もとより魔剣で串刺しにされ、白い体はズタズタに刻まれている。
「近衛、タカミチさんに連絡出来るよな。そのまま下がってくれ」
近衛は何も言わない。
目を瞑ったまま反転、携帯電話を取り出し震える指で助けを呼ぶ。
死体はまだ温かい、人の温もりでないその生ぬるさは否応にも其れが殺されて間もないものだと教えてくれる。
「直ぐにこっちに来てくれるって、其れまでにその子を、その………」
頷いて、白い有機物より剣を引き抜く。崩れ落ちる肉塊。
血の池に落ちたそれは、壊れた蛇口のように仄暗い血を吐き出す。
魔術師上がりの吸血鬼だと聞いたが、この剣も奴の作品だった、中々によい出来の剣だ。
初めて奴と対峙したとき感じた苛立ち、アイツは俺と同じものに惹かれている。
それが俺の怒りを掻き立て、俺の頭を冷却する。
どうやら俺は苛立ちが臨界点を超えると冷静になる性質らしい。
「……落ち着いているんですね」
桜咲は未だ死体を直視出来ないでいた。
退魔士といってもこのような人死にには縁が無かったのだろう。
「まあな、生憎とこれ以上の地獄を知っているんでね」
慣れているんだ、と桜咲に返す。
嘘だ。
こんな地獄に慣れるわけが無い。
は地獄を楽しむことが出来ても、慣れることなんて出来やしない。
「今までの犠牲者も、こんなフザケタやり方で?」
「いえ、確かにまともな殺し方でなかったのはそうですが、今回は特に酷い」
「なるほど、挑発って事か。血を吸った後はないし、完全に遊んでやがる」
殺したい。
こんな衝動、あの似非神父と殺しあって以来だ。
「すまない、遅れた」
突然、路地裏に影が降ってきた。
「死体の隠匿は僕が行う。すまないね、辛かっただろう」
無貌を崩さず、タカミチさんは死体を抱き上げ俺達に告げる。
「いえ、その子の事宜しくお願いします」
自分の無力、そして人殺しを楽しんで行う吸血鬼に殺意を向け、近衛の手を引く。
血溜りを抜け出す刹那。
突き刺さるような死臭の中に、哀れむべき尊さを感じた。
「――――――それでは衛宮さん。今日はコレで、楽しかったですよ」
日が落ちる、辺りが黒に塗り替えられていく。
肌を伝う暑さはこんなにも不快だっていうのに。
「行くのか?」
「ええ、このちゃんの事守って上げて下さい」
「分かってるよ。桜咲の代わりに、――――だろ?」
安心した様に頷く。
自分の出来る事、今はそれをなすべきだ。
だけど、心が軋む。
桜咲は女の子なのに、なんでこいつが戦わなくちゃならない。
俺は正義の味方を目指すのに、俺には奴を倒す力が無い。
「―――――せっちゃん、気おつけてな」
「はい、ちび刹那を預けておきますので、何か在ればすぐに駆けつけます。このちゃんも気を付けて」
小柄な背中が遠のく、再び、――――――捻じれた夜が来る。