Interval. / feathers.
私は肌にまとわりつく汗を拭い、暗く灯る街頭の中、対峙する二つの影を注視する。
腰に下げる夕凪が異様に重く感じるのは、あの二人の殺気に押されているからだろう。
「今夜で終わりにしましょうか、ご老体」
無傷で佇む影は高畑先生、麻帆良が誇る練磨の魔術師。
目にも留まらぬ拳撃に膝をつくのは昨晩の吸血鬼、ボロボロに打ち抜かれた外套が劣勢を明告に表していた。
「やれやれ、やはり、―――――――――“公”に力を借り受けているというのに、私では君に勝てんのかね?」
厭らしく口元を歪ませ、ゆっくりと立ち上がる黒い布切れ。
昨晩の雄雄しさは微塵も感じられないほどふらつき、高畑先生に嘲笑を投げる。
その顔が私をこんなにも不安にさせる。
夕刻の路地裏、明らかに此方を挑発した吸血鬼。
案の定、奴は今夜私達の前に姿を現した。
黒い侮蔑をその身に纏い、無骨な………剣、だろうか?
赤いボロ布に包まれた何かを肩に下げ高畑先生に挑んだ。
「それは分かっていた事でしょう?」
結果は目の前の通り。
残酷なまでの殺意と共に一歩踏み出し高畑先生が告げる。
同時に噴出す魔力と“気”。
“気”。
東洋に伝わる独自の魔術体系。
魔術師は、自身がそこに存在しているという概念、生命力と言えるべき其れを、魔術回路という濾過器を通し魔力に生成、これを用いて魔術を行使する。
「ほう、まだそんな隠し玉があったのかね、君は本当に容赦が無いな。この死に損ないを葬るのにそんな力は必要ないぞ? 魔術師」
其れに対して私達日本の退魔士、あるいは法術師達は魔力以外の力、“気”を用いて神秘を行使する。
“気”は生命力を回路に通さずそのままエネルギーとして外界、内界に干渉させるものだ。ゆえに誰にでも習得可能だが、“気”によって行使できる異能は「概念強化」に限定される。腕に気を流せば腕力を、足なら脚力を、剣なら切れ味を、御札なら浄化能力を、速い話、気を用いて行使できるのは魔術では万能であり、極めるのが困難とされる「強化」の魔術だけなのだ。
「この力をご存知でしたか?“気と魔力の合一(シュンタクシス・アンティケイメノイン)”」
呪文と共に高畑先生は魔力と気を合成させる。
“咸卦法(かんかほう)”と呼ばれるそれはこの世界に使えるものが数えるほどしか存在しない超高難易度技法。魔力と気、本来相容れぬその力を自身の内と外に纏い強大な力を得る。
「私とて君の技術を目の当たりしたのは初めてだよ。いや若くして大したものだ」
拍手という賛辞を持ってゆらりと死徒は握り締めていた剣を捨てる。
あの力を前にして、何故あんなにも余裕を保てる?
力の差が、高畑先生の力が分からないのか?
「最後にします。塵一つ、残しませんよ」
高畑先生が嘆く言葉と共に、草臥れたポケットの中、拳を握る。
「―――――――怖いな。死ぬのは」
心底残念そうに肩にかけたボロ絹を纏ったまま大刀を上段に構える黒衣の男。
勝負は一瞬。
互いの距離は三間。
刹那にその距離は、殺意と共に緊張し、―――――――――――――。
「――――――豪殺・居合い拳――――――」
圧倒的な力の咆哮が、怒号を纏い放たれる。
ランクAの魔術に匹敵する一撃は、その一瞬。
「つまらぬ肉だが、今宵もその輝き、私に見せておくれ―――――――――」
剣の赤布がほどかれる、現れる大太刀、遥か神代を駆けた古き魔剣。
銘など知らぬ、だがその輝きに思わず心を奪われた。
「――――“一刀大怒(モラルタ)”――――」
Interval / Out
FATE/MISTIC LEEK
第二十一話 一刀大怒 Ⅱ
雲の流れが速い。
桜咲と近衛の自室、俺はそのベランダより切れ目の見えない厚い雲を睨みつけていた。
「大丈夫だよな、あの二人なら」
今夜も桜咲とタカミチさんは深い深い夜の中。
今の俺が二人の戦いに加わった所で、足手まといは明白。
タカミチさんには勿論のこと、俺は桜咲にも敵わないだろう。
―――――――今は俺に出来る事をしなくちゃならない。
正義の味方、皆を救うには今の俺じゃ余りに無力。
――――――――この街に来て、俺は変わった。
俺の魔術で人は救えない。
――――――――この街に来て、俺は悟った。
俺の力で人は守れない。
魔術で人を救えず、力で人を守れない。
今の俺は、理想を追うのにあまりに無力。
――――正義の味方になりたいんだ。そのために魔術を学んでる――――
「なあ切嗣。正義の味方って一体何なんだろうな?」
切嗣は魔術をもって人を救った、今までそう思っていた。
だけどそれは違う。
俺を救ったのは衛宮切嗣。
魔術でも正義の味方でもない、唯の人間、一人の父親。
なら切嗣は、何で魔術を用いて正義の味方をはっていた?
その力を、何のために振るっていたんだ?
助けること、救うこと、守ることは全然違う。
切嗣はどうして魔術を、――――――――――――
「―――――――衛宮君!!!」
「―――――――っつ!?!?」
突然の乱入、近衛がただならぬ面持ちで俺の下へ駆け込んできた。
何を馬鹿な事を考えている衛宮士郎。
今お前のすべきことは桜咲の代わりにこの少女を守ることだ。
「どうした近衛?何があった!?」
「せっちゃんとの連絡が、ちび刹那との交信が途絶えてしもうた」
震える体を締め付けて、近衛は言葉を選ぶ。
「せっちゃん、今戦かっとる。こっちの事に気が回らん位一杯一杯であの化け物と殺し合っとる!」
「――――――――っつ!」
つまりそれは、タカミチさんが………やられた?
あり得ない、あの人の力は本物だ。あの程度の吸血鬼に遅れをとる筈が無い。
「衛宮君!せっちゃんの所に行ってあげて!!」
「―――――――――――」
桜咲に助太刀は必要なのか?
昨日のように拮抗した戦況において俺の様な半人前に何が出来る?
大丈夫だ、桜咲は強い。
あんな奴にやられる筈ないじゃないか。
――――――――――――――本当にそれでいいのか、衛宮士郎。
「何で黙ってるん!? 衛宮君!」
俺の魔術は、俺の力じゃあの吸血鬼には敵わない。
下手に桜咲を助けに行くことは同じ鉄踏むことになりかねない。
だから今俺がすべきことは、近衛を安全な場所に避難させること。
桜咲が倒れれば、次に奴が狙うのは近衛だ。
俺たちの居場所は奴にばれている、だから一刻も早く、―――――――――
――――――――――――――逃げる、のか?
「衛宮君!?」
近衛の手を引いて玄関に向かう。
そうだ、それが一番の選択だ。
桜咲の願い、今は近衛を守ることを優先する。
――――――――――――――それは本当に?
「衛宮君!!」
「――――――――――っ痛!」
軽快な音が響くと同時に右の頬に血が集まるのを感じた。
どうやら近衛にビンタされたらしい。
「衛宮君、何考えているん?」
近衛の瞳が真直ぐ俺を貫く。
怒り、悲しみ、そして俺に対する困惑の念が彼女から毀れる。
「衛宮君は正義の味方なんやろ? どうしてせっちゃんを助けに行ってくれへんの?」
――――桜咲に頼まれた、アイツの代わりに近衛を守らないと。
「私のため? 違うよ、衛宮君。正義の味方って目標にどんな意味が在るかなんてウチは知らへんよ。だけど今の衛宮君は怖がってるだけやん! かっこつけてウジウジ悩んで、正義の味方に届かへんのを自分が無力だ~って認める事で逃げてるだけやんか!」
近衛は俺の手を振り解き、涙を堪える。
「無力なのがなんなん!? 力がなくちゃ、正義の味方になれへんの!? 今の衛宮君みたいに、せっちゃんを見捨てて、それが最善だからって私を助けるのが正義の味方なん!?」
ああそうだ、自身を見誤っては救える筈の命さえこの手から零れ落ちる。
だから、逃げる/逃げない。
だから、桜咲を切り捨てる/切り捨てない。
違うだろ/そうだろ。
俺が目指すものを思い出せ。
「そんなの正義の味方と違うやんか!正義の味方は皆を助けてくれるんやろ!? ウチも、せっちゃんも皆を守ってくれるんやろ!」
全てを救う/全てを守る。
無力でも例え力がなくとも。
そんなこと、本当に出来るのか?
「力があるから皆を救うんやない! どんな時でも、どんなピンチだって何とかするから正義の味方はかっこええんやんか!」
出来ないんじゃない、やらなきゃならないんだ。
「だから衛宮君は、ボロボロになってもかっこええんやんか!」
――――――――――だって、俺は正義の味方を目指すんだから。
「―――――――――――――――近衛」
だから、迷うな。
近衛を守る、桜咲も守る。
全てを守るため剣を執れ。
「桜咲の居場所、分かるのか?」
魔術で人は救えない、ああ知っている。
「――――――――――――――衛宮君」
だから切嗣は銃を執った、全てを守るため泥だらけで、傷だらけで、その手を真っ赤に染めて、それでも守るため正義の味方を追い続けた。
だから俺も守らなくちゃ、このフザケタ非日常(セカイ)から皆を守るんだ。
「うん、せっちゃんとはラインがつながっとるから分かるえ。商業エリアの丁度中心部や」
涙を拭う近衛を見ないようドアに手をかける、悪いな切嗣、女の子泣かせちまった。
正義の味方失格だ。
「行ってくる、それと近衛。サンキュウ」
Interval. / feathers.
馬鹿な、一体何が起きた?
「ん~心地いいね」
何故、あの吸血鬼が生きている?
「やはり最高位の幻想で肉を抉るの実にいい」
何故、高畑先生が血塗れで倒れている。
「まあ雌で無いのが詰らぬが、コレも仕方あるまいて」
何故、奴の剣はあんなにも尊く、美しい―――――――――――。
「驚いているね、いいよその顔、昨晩の贄を刻み損ねたのは残念だが君も良い。人と……ふむ、何かねこの臭い? 噂に聞いた混ざり物か……楽しみだよどんな味がするのかね」
吸血鬼が私に視線を向けた。
狭いモール街の中、人工的な光を受けて砂塵が光沢を放ち静かに辺りを包む。
芝居がかった死徒の口調が下品な口臭さえ漂わせる様で、私の思考を苛立たせる。
「貴様」
夕凪の柄に軽く手をそえ、姿勢を落とす。
たったそれだけで、私の思考は水を撃ったかの様に冷却された。
「答えろ、貴様の武器。それは何だ?」
高畑先生の必殺を“両断”した奴の大剣、“一刀大怒(モラルタ)”といったか?
それがあの剣の銘なのだろうか?
どちらにせよ、高畑先生の必殺を破ったのは死徒ではないあの剣だ。
奴に似つかわしく無く、尊い誇りを放つあの大剣が私の最も警戒すべきもの。
「コレは私が吸血鬼になる前に蒐集した最高の一品でね。過去の英雄が振るった殺戮の証だよ。美しいだろ? 私はね生来剣に引かれ続けて来た、以前は魔術師というよりも刀剣、魔具の収集家といった方がいいかな? そんな時、“一刀大怒(モラルタ)”と出会ったのだ、心が壊れたかと思ったよ。これ程の輝きがこの世にあったなんて」
モラルタと呼ばれた剣を愛しそうに撫で回し、吸血鬼の貌が悦楽に歪んでいく。
奴の独白は謳うように、踊るように私の心を歪ませる。
「この剣と永遠に在りたい、この剣を振るえるだけの力が欲しい。その願いを叶えるために私は“公”を求め、吸血鬼になったんだ」
快楽に狂った笑みで私を撫で回すかの様な目で私を一瞥し、不釣合いな剣を構える。
「最高だよ! 吸血鬼に成った後は贄を刻んで殺して喰らい続けた。するとどうだ!? 鮮血に剣が染まる、刃がやわい肉を抉り刻む、その瞬間こそ私の剣は輝きを増す!!」
心臓の蠕動を抑えつけろ。
私は奴に呼応するかの如く踝に力を込め、前を見据え。
「やはり、剣が輝くのは殺戮を成すその逡巡。君の様な麗しい贄を喰う時だ」
―――――――――――開始の合図もなく、奴に斬りかかった。
「下衆が、ここで斬り伏せる、――――――――――」
一息で奴の懐に潜り込み一閃。
これ以上奴の戯言に付き合うわけには行かない。
高畑先生の出血量、アレまずい。
一刻も早くこの場を離脱しなくては。
「そう焦るな、少し戯れよう」
私の剣戟を軽口と共に避け、上段より愚鈍な一撃を見舞われた。
笑止、この程度刃で受ける価値も無い。
体を捻り、吸血鬼との距離を一定に保ち尚も奴を追撃する。
奴と私の剣間はほぼ同じ、勝敗を分けるのは自身の技量のみ。
「――――――――――疾!」
俊足抜刀の一薙ぎは、人外の出鱈目さを持って防がれる。
不適に笑う黒い外套、人では振るえぬ強力を持って返す大剣が私を襲う。
「そら!」
放たれた三撃は先ほどの比では無い。
人外の速さ、力を持って放たれたそれは刃の激烈。
まともに受ければ腕が死ぬ。まともに受ければ刃が折れる。
だが、受けきれぬ筈が無い。
技量の伴わぬ一撃などで私の剣を破れはしない。
襲い来る、三つの刃。
眉間、胴、肘を出鱈目に狙うその剣を、いなし、流し、躱し切る。
刹那の間に刃を鞘に収め。
「神鳴流、―――――――斬岩剣」
裂帛の踏み込みで放つ刃。再び間合いごと黒衣を斬る。
「いい一撃だ、それでもこの剣には届かぬがね」
最高の機会を持って放たれた私の必殺はその輝きに阻まれた。
岩をも断つはずの私の剣戟は、低い鉄の音色と共に防がれる。
瞬間の驚愕、――――――それが、私の四肢から自由を奪う。
「ふん、――――――――ほら、必死に躱せ」
この隙を見逃すほど、この敵は甘くない。
暴風の様な乱撃が逃した好機と共に撃ち乱れる。
「―――――――――――く!?」
果たして今の一撃は、幾つ目なのか?
もはや数えるのを諦め、目の前の剣雨の様な連弾を必死に払う。
奴と私の力は拮抗している。
身体能力は奴が、技量は私が互いの優位を保っている。
いや、奴の獲物が並みの武装ならば私の方が強い。
だが戦況は圧倒的に死徒が優勢。
私はこの敵に対して決め手に欠ける、否、確かに奴を屠る必殺はこの身が修めている。
だがそれも、奴の必殺の前には分が悪い。
必殺の撃ち合いになれば、私に勝機は無い。
奴が私を侮る内に勝負を決めなくてはならない。
だがどうやって?
隙を窺い、奴がその刃を振るう前に吸血鬼を倒す。
力が拮抗している以上現実的に不可能だ、だが他に方法があるのか?
「そら!―――――――こいつは受けきれるかな!?」
「――――――――――――――っち!?」
まずい!?
戦闘中に迷いを為すなど、なんて未熟。
人外の一撃が激烈に脆い横腹を抉ろうと走る。
「――――――――――――くぁ!!?!?!」
咄嗟の反射で手首を返し、夕凪を壁に脆弱な体を守りきる。
「痛ぅ、―――――――――」
右手首を代償に、命を繋ぐ。
だがそれも風前の灯、泳ぐ身体、中空に投げ出された私の身体は迫る追撃を受けられない。
「―――――――――――――よく粘った方だ」
薄汚い黒衣に、尊い輝きが巻きつく。
綺麗な刀身だ。
それを振るう死徒は、さながら捩れたボロ雑巾のよう。
ああ、この輝きに倒れるなら剣士としてそれも悪くは無い。
「さあ、鮮やかにこの剣を彩っておくれ」
時が止まる。
心残りは、このちゃんだ。
だけど大丈夫、きっと出会ったばかりの正義の味方が守ってくれる。
彼はそう約束してくれたんだから。
だからだろうか?
「工程完了――――全投影連続層写(バレットクリア・ソードバレル・フルオープン)」
彼の優しい声を幻視したのは。
「な!――――――――に、投影魔術か!?」
私を守るように現れ、吸血鬼を囲むのは八つの刀身、コレは全て夕凪!?
驚きも束の間、その全ては離脱を試みる吸血鬼に弾丸の如く放たれた。
正しく剣雨。
出会って初めて、奴が苛立つ貌を覗かせる。
「害虫が、――――――――やってくれる」
数本の剣戟にその身を貫かれ怒りの形相で吸血鬼は唸る。
「――――――衛宮さん?」
黒衣の視線の先、映える赤髪をなびかせ、正義の味方が立っていた。
「逃げるぞ桜咲、起きろ」
私に視線を落とす事無く、吸血鬼を睨みつけ、彼はタカミチさんに駆け寄った。
「はは、逃げる!? 馬鹿を言うな。逃がすわけなかろう、害虫風情が調子に乗るな」
さも不愉快だと言わんばかりに、吸血鬼は自身の獲物を担ぎ上げ笑う。
その剣に逡巡を持って衛宮さんは視線を送った。
「――――――――――“一刀大怒(モラルタ)”、現存の宝具か。手前がタカミチさんを倒せたのはそう言うわけかよ」
奥歯を噛み締め、タカミチさんを担ぎ上げた衛宮さんは一見しただけで奴の剣の名を看破した。
「――――――ほう、分かるのかね?この剣が?」
衛宮さんは死徒の剣を悲しげな瞳で捉え、吸血鬼の問いに返す。
「まあな、ダーマットの振るった“一太刀で全てを倒す”魔剣、か」
「そこまで分かって、尚も私から逃げ切れると」
「ああ」
「言うね、君が相手にするのは宝具だよ」
「関係ないよ、それに、―――――」
衛宮さんは吸血鬼の頭上を睨みつけ、
「“尊い幻想”、振るえるのがお前だけだと思うなよ? 凍結・解除(フリーズ・アウト)」
奴の真上、商店の一角に、剣とは思えぬ弾丸を打ち込んだ。
突然血を吐きふらつく衛宮さんはこちらに向き直り叫びを上げる。
「っつ、走れ!桜咲、―――――――――!」
言葉と同時に、建物を補強していた魔術基盤が破戒された。
「馬鹿な!?―――――――宝具を投影だと!?」
死徒の頭上、積み木の家の如く崩れる落ちる建築物。
―――――――私は、衛宮さんに手を取られ夜の街より逃避した。
Interval. / Out.