「知らない天井だ」
強い日差しが目の裏を焦がすのを感じ、女性の香りが漂う部屋の中、俺は目を覚ました。
冬木の自宅でもなく、狭いオンボロアパートでもなく、麻帆良で借り受けたログハウスでもない。一体ここは何処だ?
「冗談を言える元気が在れば大丈夫ですね、衛宮さん」
ドアが開く音と共に俺の名前を呼ばれた。
「目を覚ましましたか? 良かった安心しましたよ」
思わず毀れた溜め息を隠そうとしないで桜咲は俺に笑顔をくれた。
身体を起こし彼女に尋ねる。
「桜咲? ここは?」
「私の部屋です。今このちゃんがお食事をお持ちするので、お待ちください」
桜咲の部屋?
言われて部屋を見回せば……ぬう、飾り気の無い部屋だ。
しかし、俺は何だって桜咲のベッドで寝ていたんだ?
「どうしました? やはり気分が優れませんか?」
「ん、いや大丈夫」
落ち着いた様子で俺の方に歩みを進め、桜咲はベッドに腰を下ろした。
波打つように毛布が香る。
そんな仕草が大人の女性を連想させて少し気恥ずかしい。
「それで衛宮さん。昨晩の傷はもう?」
彼女は俺の身体を労わる様に視線を絡め零した。
「昨晩?」
何故だか意識が混濁している、まだ夢の中にいるみたいだ。
鈍く回転する脳みそに蜘蛛の巣が張られている
「 ? 覚えていないんですか?」
少し驚いた様に身を引き、顔を傾げる彼女。
「ちょっと待て、今思い出す」
ええ~と、昨日は桜咲たちとデートして、殺人現場を目撃して、近衛にビンタ貰ってそれから。
「―――――――――――っつ!? 桜咲!吸血鬼は!? タカミチさんはどうなった!」
昨日のことが一気にフラッシュバック。
タカミチさんの傷。
吸血鬼。
宝具“一刀大怒(モラルタ)”。
それと■い………■?
俺は混濁した思考をそのままに、桜咲に掴みかかり真相を問い詰めた。
「え、衛宮さん!?ち ょっ落ち着いて!?」
微妙に上ずったイントネーションで桜咲は取り乱す。
俺は彼女を押し倒さんばかりの勢いで迫った。
そんな事構ってられるか、今は一刻も早く、――――――――
「ああーーーーーーー!?!? 衛宮君!? ウチのせっちゃんに何するん!?」
―――――――って近衛、何をそんなに怒っているんだ?
ずばーん、と部屋のドアを壊さんばかりにやって来た怒声の主を顧みる。
「衛宮君がそんな人だとは思わんかった! いくらせっちゃんがかわええからて、それはいかん!」
大仰に首を横に振った近衛はどこか納得したように、俺を人睨み。
「こ、このちゃん!? なに言ってるん!?」
「今助けたるよ! せっちゃんの純潔はウチが守ったる!」
大慌てで俺の手を振り払い近衛に京都弁で必死に抗議する桜咲。
もはや止める事が不可能なのか、半狂乱のすえとんでもない事を口走った近衛は手に持ったお盆を振りかぶり、――――
「何が正義の味方や!? 女の敵、―――――――――――天誅!」
備え付けられた土鍋?らしき物ごと女の敵(仮称)にめがけて全力で投擲した。
「――――――――――――って、なんでさぁ~~~!?」
FATE/MISTIC LEEK
第二十三話 三角遊戯 Ⅱ
「―――――――――――近衛」
冷水で身体を冷やした俺は不機嫌に畳が敷き詰められた純和風の居間に腰を下ろしている。
「あはは、そんなに怒らんといて衛宮君。ウチの早とちりやんか」
とぼける様に乾いた笑いを浮かべた近衛を一つ睨み。
途端にシュンと申し訳なさそうに彼女は身を潜めた。
「……まあ、俺も誤解されるような事したのがいけないんだけどさ」
近衛の投擲した土鍋の中にはご丁寧に京風に調理された御粥がぐつぐつと詰まっていた。
こちとら人間、当然そんなもの頭から被れば火傷をするわけで。
「そんなに睨なくてもいいやん。こうやって治療してあげとるんやし?」
上目遣いに、自然治癒力向上の魔術を行使しながら俺を見上げる近衛。
治れば良いってもんじゃないぞ、しっかり痛かったしな。
「衛宮さんも許してあげて下さい、このちゃんも悪気があった訳じゃないですから」
困った様に親友の弁護を試みる桜咲。
桜咲の発言に、近衛が天に昇りそうな瞳を向けている。
まあ、いつまでも気にする事じゃないか。
「分かったよ。この事は保留、それで桜咲。昨日の事話してくれ」
近衛の治癒魔術であらかた治った箇所をチェックし、桜咲に真剣に問いだす。
俺の雰囲気を汲み取ってくれたのか、桜咲も近衛も真剣な面持ちで姿勢を正した。
「はい、先ずは衛宮さんにお礼を、貴方の活躍で無事吸血鬼を殲滅出来ました。本当に感謝しています」
見事な正座で俺に頭を下げた桜咲、それに続いて近衛も軽く腰を曲げ、口を開いた。
「ウチからもお礼を言うね、せっちゃんの事守ってくれてありがとう」
「止めてくれ、俺は自分に出来る事をしただけだぞ」
改まって、頭なんて下げられたら恥ずかしくて頭がどうにかなっちまう。
「それに、昨日の事あんまり覚えてないんだ。桜咲と分かれた後は吸血鬼の奴と必死になって斬りあって………」
“一刀大怒(モラルタ)”を投影して、その後の記憶が曖昧だ。
奴の一撃を食らって、フラフラになって。
吸血鬼が気に食わない事を言いやがって、頭が真っ白になってそれで。
「…………どうなったんだ?」
チラチラと脳みそが焼ける感覚。
限界以上に脳でも酷使したのか、少し………頭痛がする?
的を射ない俺の発言が意外なのか、桜咲も近衛も口をあけている。
もしかして俺って、刃物を持つと人格が変わる危ない人なのかもしれない。
「本当に覚えてないんですか?衛宮さんが吸血鬼と互角に打ち合った事や、私との連携で奴を倒したことも?」
先に口を開いたのは桜咲、よく分からないが困惑の色が隠しきれていない。
「う~ん、言われて見ればそんな気がしないでもないんだが、熱を持ったみたいに霞がかっているんだ。」
「それじゃ、せっちゃんの事とかも?」
近衛が友を気遣う沈痛な面持ちで俺の瞳を捕らえている。
嘘をつくなど許さないとばかりに、俺を射抜ぬく。
「桜咲? ああ! 俺がここで休んでいたって事は桜咲が奴を倒して、俺をここまで運んできてくれたって事だもんな、ありがとう桜咲、お礼を言うのが遅れたな」
なるほど、さっきから桜咲がそわそわしているのはそう言う訳か。
確かに、助けてくれた人に対してお礼を言わないのは間違っているよな。
だけど、なにか、――――昨日の夜。吸血、鬼。
――――――――刹那、白い■を幻視した―――――――――
「――――――――――――――っつ!?」
まさか、寝ぼけてるな、俺。頭を振って幻影をかき消す。
何が気にかかるのか、桜咲は困惑する俺に疑心の眼差しを向けていた。
「いえ、何を勘違いしているのか知りませんが、その、衛宮さんは。私の、その」
桜咲は踏ん切りのつかない面持ちで俺の顔色を窺う。
一体どうしたんだ、桜咲の奴?
「まあええやんかせっちゃん、衛宮君、分かって無いみたいやしね」
俺と桜咲で噛み合わない遣り取りに、笑みを零しながら近衛が遮った。
「ですが……」
「大丈夫や、せっちゃんはせっちゃんやもん、いつか衛宮君が気付いても、ありのままを
受け入れてくれるよ、今は離れ離れの皆みたいに、ね?」
落ち着いた口調で桜咲を諌めた後、近衛は俺の方に信頼に満ちた目を向ける。
「 ? 何のことか知らないけどさ、俺は桜咲みたいな奴、好きだぞ。嫌いになるなんて在りえない、こんなことでいいなら幾らでも約束する」
涼やかな空気が畳の上を流れた。
まるで綺麗な翼が凪いでいるようだ。
「衛宮さん………」
「ほら、だからせっちゃん、気にすることないえ?」
普段の雰囲気を取り戻した二人は本当に微笑ましく感じられた。
この空気を壊すのは忍びないが、聞くべき事は聞いてしまわなくてはならない。
「それでさ、タカミチさんはどうなった?吸血鬼にやられた傷、かなり深かっただろ?」
奴を殲滅したとはいえ、殺された犠牲者達は帰って来ない。
苦虫を噛み潰した様な声色で俺は二人に尋ねた。
「それならば心配ありません、出血は酷かったですが流石は高畑先生です。咄嗟に急所を避けたようで、それほど大事には至りませんでした」
だが、帰って来た響きは実に明るい物だった。
「そやね、せっちゃんが担ぎ込んできた時はもう駄目かと思うたけど、ウチもシッカリ治療したしもうピンピンしとるよ」
「そうか、――――――――安心したよ」
本当に良かった。
流石一線級の魔術師は違うな、初見で宝具の一撃に反応したのか。
並みの人間だったら真名の発露と同時に肉塊になっている筈だぞ。
「でもこれで、俺の仕事は終わりか………」
心配の種は全部片付いたし、今回の給料をゲットして帰路に着くだけ。
――――――四日間、色々在った。
いろんな事が見えて、色んな事が分かって。
正義の味方、遠すぎる理想の到達点に向けて、また小さい一歩を踏み出せた。
救えなかった人たちもいたけれど、守れた命も確かに在る。
全てを守る、その願いは未だ届かないけれど。
今だけは、誇っても構わないよな?
「なんか安心したら、急にお腹が減って来たな」
言葉と同時に流れた恥ずかしい音。
節操無くストライキを起こす俺のお腹を抱え込み思わず口に出してしまった。
「それは嫌味やん、正義の味方さん?」
先ほどの遣り取りを未だ気にしているのか、苦笑いしながら近衛は立ち上がる。
いや、そんな心算はないぞ。
「ふふ、少しお待ちください衛宮さん」
言って、桜咲も立ち上がる。
どうやら彼女は近衛の手伝いをするようだ。
うん、だったら俺も。
「よし! 俺も作るぞ! 仕事も終わったし、今日ぐらい羽目をはずしても構わないだろ?」
「あ、ええねそれ!せっかくやもん、お昼だけどパーティー料理を作って三人で食べよ」
俺の提案にノリノリの近衛、正面には既にエプロンが装着されている。
「ええ、衛宮さんのお別れ会も兼ねてそれも良いでしょう」
喜ぶ近衛に視線を送り、桜咲は目を細めた。
桜咲は台所より男物のエプロンを持ってきて俺に手渡した。
「よし! 決まりだな」
いい機会だし、近衛のクッキングスキルを解析してやる。
今も刻一刻と腕を上げているであろう冬木の弟子一号に負けないためにも、新境地を開拓しなくては。
「ああ、衛宮さん一つ言い忘れていました」
腕まくりをしながら近衛の背中に続く桜咲が俺に振り返る。
「今日の六時、長が学園長室でお待ちです。衛宮さんの仕事はこれで本当に終わりですね」
気のせいだろうか?
近衛も桜咲も残念そうに笑って台所をあさり始めた。
「そっか、了解した。今日の六時だな」
「はい、忘れないで下さいね。まあお給料が必要ないのならそれも良いですが」
先ほどの空気を払拭するように桜咲は冗談めかせて笑う。
「衛宮君は正義の味方やもん、お給料なんていらないんちゃう?」
それに続いたのは近衛、くすくすと笑みを零しながら包丁を握っている。
「おいおい、正義の味方が職業だって言ったのは誰だよ?」
苦笑いしながら俺も近衛の横で包丁を取る。
今日でこの街とも一時のお別れ。
さあ、最後の朝をお姫様達と過ごそうか?