「先生、―――――――ね」
伽藍の内側から都心の灯を眺め、一人ごちる。
「アイツと同じ呼び名とはな、まったく―――――因果な物だ」
それに、その呼び名が嫌ではないことが何より気に食わん。
ジッポのつきがよくない。方が無いので「火」のルーンを描き紫煙を吹かす。吐き出した靄は、はしゃぐ様に虚空に消えた。
■ Interval. / arrive your broken blood. ■
「あれ? 衛宮君帰っちゃったんですか?」
都会の灯の中に、薄く黒い影が浮かんだ。
「せっかく、お茶を入れてきたのに」
その手には、二人分のカップしか運ばれていない。
こいつも中々、狸になったものだ。
「よく言う、余計な口出しはしまいと、気を利かせて消えてくれたのだろう?」
「まあ、そういうことにしておいて下さい」
黒い液体の詰まったカップを差し出された。
「何か言いたそうだな、黒桐」
こいつの性格から言って今日のことは気に入らないのだろう。
「当然です。衛宮君にはどこまで話したんですか?」
不機嫌にカップを弄ぶ、真っ黒の人影。
「どうせ、橙子さんのことです、もっともらしい嘘で衛宮君を懐柔したんでしょう?」
「君な、人聞きが悪いにも程があるぞ、上司の事をどういう風に見ているんだ?」
「ご想像にお任せしますよ」
黒桐は依然不機嫌らしい。
こいつがここまで怒るのも珍しいことではあるな。
「今日はやけに絡むじゃないか黒桐、式と最近ご無沙汰なのか?」
「橙子さん、―――――――まじめに話してください」
ふう、最近の黒桐は実に詰まらんな。
「まあ、可もなく不可もなく、といったところか?」
「答えになっていませんよ」
「それが答えだよ、黒桐。ある程度のヒントは与えた、気付かない衛宮が甘いのさ」
投げ捨てた言葉ごとカップに口をつける。
おい黒桐、苦すぎだぞ。
「それじゃ、切嗣氏の事については、まるで話して無いんですか?」
「ああ、そうなるね」
「――――そうなるねって!? それじゃ何も話して無いのと同じじゃないですか!?」
何をそんなに慌てる必要がある?
「大体、話す必要が無いだろう?」
「大有りですよ!? 橙子さんが衛宮君を知っているのは、彼が“子供”の時からだって、何で話してあげなっかったんですか!?」
「それこそ関係ない。私が今回の件に関して、その話を持ち出すメリットがまるで無いね」
言い切って苦い液体を再度啜る。
「どうして素直に、衛宮君を知っていたのは、彼が心配だったから。って言えないんです」
「愚問だね黒桐。心配も何も衛宮士郎と逢ったのは過去一度だけだぞ? そんな奴に対して、何故私が気を割かねばならん」
十年前の聖杯戦争、その終幕を飾った赤の大地で正義の味方が唯一救ってしまったガランドウの人形。衛宮はカッラポになった人形に「鞘」を埋め込み、その体に命を与えた。衛宮は体に埋め込んだ「鞘」が人形に害を為さないか調べるため、人形を「伽藍の堂」まで連れてきた。
簡単な話だ、実に詰まらない。
衛宮は“協会のヒットマン”と呼ばれるほどのハンターなのだが、ひょんな事から私と知り合い、それ以来着かず離れずのビジネスライクな付き合いが始まった。アイツ曰く、私は殺すべき対象ではなかったらしく協会のハンターであるにも関らず私を容認した。蒼崎橙子も随分と舐められたものだ。
「それじゃあ何で、僕に橙子さんの人形の値段を操作させたり、和美ちゃんに画廊の場所をリークさせたりしたんですか?」
「事態がより面白くなりそうだからだ」
「違いますね。嘘はよくないですよ、所長」
何が違うというのだ。
私は自分の事が探られるのが気に入らなかった。それを探った人間が気に入らなかったに過ぎない。それがたまたま衛宮の置き土産だった、ただそれだけのこと。
「橙子さんは衛宮君に逢いたかっただけです。昔の友達が、切嗣氏が残した、彼の大事だったものが橙子さんは心配だったんです」
「その理屈で言えば、私が直接会いに行けばいいだけの話しだろう」
「それじゃあ意味がないんです。橙子さんは素直じゃないですからね。「エミヤ」君に自分から橙子さんを求めて欲しかったんですよ」
「―――――――ゆうね、黒桐」
「ええ、橙子さんの気持ち。分からなくもないですから」
式/識の事を言っているのだろう。黒桐の瞳に影がかかる。
「橙子さんは衛宮君が大切なんです。聖杯戦争、でしたっけ? その戦いを視ていたのも、衛宮君をここに置いてあげるのも、切嗣氏が残した奇跡を橙子さん自身の手で守りたかったからです」
黒桐は手の内のコーヒーを飲み干して、一息。
「まあ面白そうだから、って言うのも、一概に嘘とも言い切れないんですけどね」
黒桐は特別なものが何一つない微笑で私を見据える。
ちっ、この手の話で私がこいつに勝てる筈もないか。
「―――ふん、想像するのは勝手だがね、よくもそんな青臭い台詞を吐けるものだ。君、一体、今いくつだ?」
飲み終わったカップを差し出し負け惜しみで返す。
まあいい、久しぶりに負けてやる。
「ええ、これぐらいで無いと、式の隣は歩けないんですよ。ちなみにです、僕は橙子さんと同じく、永遠の二十歳ですから、若いのは当然だったりします」
黒桐はカップを持って踵を返す。詰まらん世辞だね、相変わらず。
「―――――ふん、今日は帰っていい。これから、衛宮の頼まれごとを片付けないとならんのでね」
黒桐は嬉しそうに微笑む。
なんだってお前は他人のためにそうやって笑えるのか、本当に詰まらない。
「もう一つ、明日は出社した後もう一度あいつを迎えに行ってやれ」
頷いて、柔らかい黒色は事務所の闇に消えて行った。
人工の暗がりの中、伽藍の内より先ほどよりも弱々しく灯る、人の檻を俯瞰する。
「―――――――――」
穢れることの無い夜空と、人が作り出した脆い世界の境界線。
在る筈の無いその隔たりに、彼らは何を感じたのだろうか。
「――――――まったく、私の男運の無さも困った物だな」
柄にも無く不愉快な愚痴を零す。
一人は、届くと信じた夜空に救いを願い。
一人は、至ると信じた脆い世界に救いを願い。
「衛宮にしろ、阿頼耶にしろ、私の周りの男はマゾヒストばかりだ」
境界を越えた先には、絶望/希望だけしか待っていないというのに。
「くだらないな、人の救いなど叶えてはならない願いだろう?」
――――――――それでも目指すのは。
「――――綺麗だから、か」
衛宮士郎、あの馬鹿どもにそっくりな大馬鹿者。
「ああそうだ――――――十分すぎる理由だな」
一人は、遥か遠く叶うこと無い救いを願う。か………。