俺はなぁ、今日は実に、実に気分が良いんだ。
そこは薄暗く、埃を被った木箱や紐でまとめられた鋼材などが整然と並ぶ……ひと気のない倉庫か、どこか火の落ちた工場を思わせた。
そして、耳を傾けてみれば。どこか楽しげで、明瞭な男の声が響き、それとは別にくぐもった呻く様な洗い呼吸音が聞こえてきた。
ほかにも人の気配が三人程……いや四人、四人いる。
「ん? なんで気分が良いかって? 聞きたい? 聞きたい? よろしい! 特別に――お前だけに――教えてやろうじゃあないか」
鼻歌を口ずさみ男は話を続ける、実に楽しげに。
「さぁてさて、逸る気持ちは理解できるがぁまずは! ある不幸な不幸な男達の話から始めてみっか」
そう、あれは良く晴れた日。気に食わないチンピラ五人を相手にストリート・ファイトをかまして全員をTKOした後のことだった。正確には二人を黄金の左ストレートで沈め、三人を右フック、ハイキック、真空飛び膝蹴りをブチ込み、まだまだ元気な仮称トミー君に秒間一六発を誇る猛ラッシュをかました訳だ。ジャスト二分。
楽しく拳で語り合った俺は仲良くなったそいつらから、ちょっとした――しめて5万7000J――安くはない謝礼を受け取り馴染みの酒場『WHITE・FLAG』で朝まで飲み明かそうと意気揚々と扉を開き、強盗に出会った。あなどるなかれ、ここはヨークシンシティ、銃と金さえあれば神でも買える強欲の街。こうした事も毎度の事だ。
広々とした艶やかワックスが塗られた板張りのフロアにシックな丸テーブルが10台ほど、1台につき4台のこれまた床と同色の椅子が並べられ、静かに客の到来を待っていた。
過ぎ去った歴史を感じさせる年代もののカウンターに押しかけたのは礼儀と礼節を重んじる紳士では無く。一夜で使いつくすであろう現ナマを求め、散弾銃と拳銃片手に恐喝する六人の無頼漢であるわけだが。
「ま、待て、撃つな、撃たないでくれ」
今まさに白旗をあげ命を乞う店主シツェフ・モーガン52歳。禿げ上がった頭部と突き出た腹がチャームポイントだ、ご愁傷様。墓参りにゃあ行ってやるぜ。
入口からカウンターまで三十歩ほど、そこにジャケットを着こんだ強盗犯が三人、リーダーっぽい男が拳銃を店主のこめかみに押し付けていてもう一人も散弾銃を構えていた。俺が入ってきた入口付近に三人、一人は安物のバタフライナイフを俺に向け、合計十四個の目玉が新しき訪問客である俺に向けられた。おおっと、やべぇぜ。
「なんだ、てめぇ?」
前々から計画していた強盗計画。入店から出店まで五分以内で終わらせる所で、少々問題が起きた。
奇妙な風体の男であった。
程よい整髪料が効いたやや癖のある茶色の短髪、幾分か少年のあどけなさを残した精悍な顔つきと、野性味とそれにともなう残虐性を表したかの様な、渦巻いた緑眼。オーダーメイドなのか胸元に金の刺繍を施した白いスーツと、胸元からのぞく赤いYシャツ、新品の白ネクタイが律儀に己を主張していた。
気味の悪い笑顔を貼り付けながら、男は怯えた素振りすら見せていない。
両手を上に掲げ男は語る。
「お――――っと、待った待った待った、撃たないでくれよ! 強盗さんよぅ? 俺は何処にでもいる一般人的な一般人でたまたま、お前らと出会ったワケだが初対面の人間をいきなり殺しちまうってのは酷でぇとおもうんだがなぁ。つまりは、あれだ、命ばかりはお助けをってぇやつだ、まぁ助けてくれや」
はたから見れば、運悪く強盗に出くわした可笑しな男と思うだろう。
「兄貴ぃ、どうしやす?」
命乞いをする人間はとてもとても殺しにくいものだ、情の一つや二つ持っている人間ならば躊躇する所ではある。が、強盗の判断やいかに?
「さっさと、片付けろ」
即断である。お仕事の最中ならば真っ当な判断と言えよう、目撃者は少なければ少ないほど良いのだから。
そうなると困るのは俺様だ。天に召され愛しの母上に感動のご対面といくわけにゃあいかないのだ。
「ちょ、待て待て、撃つ前にこれを貰っとけ」
スーツの男はそう言うやいなや、懐から取り出した物を掲げて見せた。
細長い茶色の皮財布であった。
「これで考え直しちゃくれねェかい?」
買収とは悪くはない話ではあるが、強盗犯の考えは毛程も変わらなかった。財布を受け取り、殺すとしよう。
「投げて寄越せ、考えてやってもいいぞ」
彼の判断は実に冷酷で、正しい――強盗をする上でだが――判断を下した。
ああ、投げるぞと、一番近くにいた俺に安物のナイフを持つ男に、財布を――命を――投げた。
くるくると回転しながら高い放物線を描きつつ迫る皮財布。男の視線はそちらへ向き左手を伸ばした。
肝心なのは踏み込みである、どんな強力な攻撃もそれがなくては単なる打撃にしかならない。
その点、白服の男は運が良いと言えた、足元はワックスが塗膜されたオーク材の床。「暴力」を伝えうる起点となるには、彼にとって十分すぎるものである。
強靭な脚力で4メートルの距離を0.02秒で詰め、足元から腰へ、腰から肩へ、肩から肘へと伝えられた運動エネルギーを右拳に乗せ、身体を捻りあげながら射出された拳はもはや弾丸。狙い――胸。
彼の肉体はそんな殺人的な打撃をを受ける事を想定して創られてはいない――神の設計ミスによるもの――あわれな強盗犯トミー君二世は文字通り宙を舞った。右ストレートをもろに受け胸骨ごと心臓をつぶされたトミーは天へと召され、安物ナイフを取り落す。
勢いを殺さず、回転運動を加えた肉体は宙に静止する凶器を手に取り、そのまま投擲の体勢へと移行。
手首のスナップを効かし、込められた狂気はカウンター前の呆けた顔した散弾銃男の元へ飛来、届け。この思い。
かすり、と小気味の良い音を立てて突き立てられた刃物は額を割り、前頭葉に致命的なダメージを与えた。最期にトミー三世が見たものとは? 一面に咲き誇る花畑かそれとも三途の川か。
回る身体を制御しつつ、驚愕の表情を露わにする一人の男に目標を定め、放たれた裏拳一閃。完璧な角度で顎骨に強力極まりない打撃を加えられたならば、意識を保つ事は不可能である。膝から崩れ落ちる彼はトミー四世17歳。
「ッてめ……」
瞬く間に三人が戦闘不能となり、焦るリーダー。慌てて銃を向けるが、時すでに遅く、眼前に覆い被さる黒い影。
殴り飛ばされた、宙かける男。そう彼トミー二世(故)だ。
母なる地球が生み出す重力に従い自由落下を始め、体重67.2キロの砲弾と化した彼を――止めることなどできない。
そして、前代未聞の正面衝突事故を引き起こしたのだ。
かかっ。そんな笑い声がした。
簡単な仕事の筈だった。
何処の組に所属しているのか知れない、妙に客の出入りが多い古びた酒場を襲い金を奪う。
二、三回下見をして間取りやテーブルや椅子の位置を確認し、どの時間帯にどの程度の客足があるかを直接この目で確かめたのは、俺だ。手早くできると踏んだのだが、この様だ。
日頃の悪事のツケを、まさか神様とやらのお使いで取り立てに来たのか? あの白服の男は。
そんな事を思い、顔面にめり込む右ストレートの痛みを感じながら、微睡の中へと落ちて行った。
「さぁてさて、不思議なこともあったもんだ。酒を飲みに来てみたら」
くるくる 回る回る。
「強盗に出会った」
くるくるくる、回る回る回る。
「だが、ものの数秒で」
くるくるくるくる、回る回る回る回る。
「全員、ぶちのめしてやった」
足取り軽く、一歩、二歩、三歩。歩き。そこで止まり。
―――君を除いて。
すとん、と男の右手に皮財布が収まった。
財布を胸元に仕舞い込み、男は言った。
「さて、君。突っ立ってないで、続きをしようじゃないか。―――殺し合いのね」
満面の笑みを浮かべて。
不気味な男に気圧され、強盗の最後の一人は、足元に落ちた散弾銃を拾い上げるとすぐさま発砲した。
滑り込むような踏み込み、銃口の内側。インファイトの間合い、当たる訳がなかった。
そして。残像の残る右ストレート、痛み――――闇。
その惨劇の全容を見届けた店主モーガン氏は、怯え。顔面蒼白となりながら何か言いたげに口を開けたのだが、言葉が出てこなかった。緑の眼が此方を向いた、カウンターに近づいてくる。次に餌食なるのは自分か? と、彼は思ったが白服の男は至極真っ当なことを口にした。
「ホワイト・ラム。一杯」
酒の注文だった。