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No.21913の一覧
[0] 頭が痛い(ネギまSS)[スコル・ハティ](2016/05/23 19:53)
[1] 第二話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:17)
[2] 第三話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:17)
[4] 第四話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[5] 第五話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[6] 第六話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[7] 第七話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[8] 第八話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[9] 第九話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[10] 第十話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[11] 第十一話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[13] 第十二話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:20)
[15] 第十三話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:21)
[16] 第十四話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:22)
[17] 第十五話[スコル•ハティ](2015/12/19 11:22)
[18] 第十六話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:22)
[35] 第17話[スコル・ハティ](2016/06/03 22:36)
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[21913] 第十話
Name: スコル・ハティ◆7a2ce0e8 ID:690d13be 前を表示する / 次を表示する
Date: 2015/12/19 11:19
瀬流彦との出会いの翌日から、宣言通りに始まった特別研修。文字通りに教育についていろはも知らない俺を、急造とはいえ授業が出来る様に教育するための特訓。
時間毎、或いは二、三時間同じ教師が空き教室で俺に最低限身に付けなければならない知識を叩き込んでいく。

他の学生達と一緒にチャイムで始まってチャイムで終わるそれに学生時代を思い出したのもつかの間、凄まじい速度で進んでいく研修に完全に取り残されるという醜態を晒してしまった。

それもその筈だ。たった二週間で出来ることなど高が知れているし、時間だって1日12時間やった所で168時間しか無いのだ。並大抵の速度では最低限の知識を身に付けることも覚束無いだろう。幸い小難しい教育法などに関しては現時点では本当に最低限のことしかやらないらしい。とりあえず問題を起こさなければ大丈夫だと素人考えをしている俺だったが、とにかくこれ以上学ぶことが増えれば俺の頭は完全に持たなくなるだろう。他にも諸々の心配事は全て頭の片隅に押しやって一時間一時間出来るだけの集中力を持って机に向かった。

とは言え、しばしば耳にされる事だが日本の大学は入った後が非常に楽だ。俺が通っていた大学は偏差値こそ低くは無かったが、余り真面目な学生ばかりとは言い難く、期末にあるテストも直前数回の授業にさえ出ておけば範囲なり何なりが指示されていて、そこだけテスト直前に勉強しておけば単位は貰えた。テスト直前以外は基本的にバイトに明け暮れ、偶の休日には実験のレポートをまとめたりと学外での学習時間は乏しく、授業中にも居眠りをしている学生だった俺は見事大学生活の緩さに順応し完全な駄目人間となっていた。

で、俺の大学生活を語っておいて何が言いたかったのかというと、俺には余り長時間勉強に集中していられるような能力が無かったということである。
もう、とてつもなく眠い。半端ではなく眠い。この上なく眠い。何はさておき眠いのだ。

真剣に教鞭を振るう教師達を前にして欠伸をするのは忍びなくシャーペンで手を刺したり、太腿を抓ったりと痛みで誤魔化し誤魔化しその日を乗り切ったものの、家に帰ったら今度は微塵も眠くならない。

風呂に入ってからベッドに寝転がり就眠の準備は完了。後は明日を迎えるだけというのにおめめパッチリである。仕方なしに30分ほど散歩に出かけて来て体中の感覚がなくなるほど体が冷えてから部屋に帰って、毛布に包まると漸く意識を失うことが出来た。

翌日母胎の中の胎児のように丸まった姿勢で目を覚まし、目を閉じる前より冷たくなっているんじゃないかという体をシャワーで温めてから朝食を摂った。
何も考えず、テレビも音楽もない朝食を5分で済ますと暖かい毛布からの誘惑を断ち切るようにして部屋のドアを開けた。

季節は冬。それも2月真っ只中だ。自転車に乗れば耳がちぎれそうになるほどの朝の冷気を胸いっぱいに吸い込みながら、この世界に来た初日の様に物珍しそうにしてあちこちを見渡しながら学校までの道を歩いていった。

家に居ても落ち着かず、余計なこともせずに出てきてしまったせいか学生達の姿は見えない。勤め人の姿を探してみたが、流石学園都市。しかも教員寮は学校にもかなり近いせいも有ってか人っ子一人見つからなかった。

雀のさえずりを聞きつつ誰も居ない場所を歩いていると言い知れない開放感が湧いて来て気分が徐々に高揚していくのが分かった。飛び上がりそうなるのを耐えながら、それでも早足になりながら昇降口へと急いだ。

周りの人間に共感を求めるのは難しいかもしれないが、こういう時自分では抑えきれないほどテンションが上がってしまう俺は、このまま昇降口の扉を開け放ち、そのままこの馬鹿でかいとしか形容できない校舎中に響きかねない大声で挨拶しかねない状態で前日に案内された教員用の昇降口のドアノブへと手を伸ばして

「………?」

引いたは良いものの扉はガチャガチャと音を立てて、開かない。

原因に思い当たらず首を捻りながらもう一度扉を引く。すると当然扉がもう一度音を立てた。

ここで故障を疑うほど俺は短絡的な人間ではない。さて何が原因だろうと思いながら踵を返す。

地平線の向こう側から顔を覗かせ始めた太陽が柔らく暖かい光で地面を照らし、鶏が鳴き出すのが聞こえた。

それだけである。考えなど何も浮かばなかった。有るとすればそれはまあちょっと寒いかなとかその程度の取るに足らない感情ばかりで何の役にも立ちはしない。

そのまま5分も過ぎただろか。いい加減一人くらい人を見かけたり、或いはこちらを見かけて声を掛けてきてもいい頃合だと思ったが、そんな気配も無い。

寒さと訳の分からなさに苛立ちを覚えたが捌け口など地面しかない。地団駄を踏んでも良かったが虚しい気分になりそうだったので断念して、今まで来た道を少し戻る。

校舎から少し離れ太い通りのある場所まで来た。ここなら学校関係者以外にも誰かが通りがかると思ったからだ。

タイミングよく誰かの足音が遠くから近づいてくる。そもそも人一人の足音がかなり鮮明に聞こえる時点でその静けさが分かるだろう。

近づいてくる足音のテンポは速く、恐らくはランニングか何かだと思えた。音の重さから女性ではないだろう。

などと暇つぶしに走ってくる人に関して推測を働かせてみた。別段自信が有ったり真面目に考えていたわけではないのだが

「な………あ!?」

驚きの声が口から漏れた。

「え?……ってあんたっ!」

殆ど同時か少し遅れるようにして走ってきた人からも驚きの声が挙がるのが聞こえた。

隠す必要も無いので素直に言えば走ってきたのは女性で、どちらかというと女性というよりも女子で、ついでに言えばツインテールを鈴のついたリボンで止めた気の強そうな中々の美少女で抱えたバッグから新聞紙が顔を出していたり、もっといえばその少女が顔見知りだったり、名前が神楽坂明日菜だったりするのである。

まさかこんな時間(と言っても正確な時間は知らない。残念ながら部屋に置いてある時計は電池が切れていたし携帯電話も電池が無くなっていた)に出くわすと思っていなかった相手に驚いた俺だったが、直ぐに持ち直して驚き顔の神楽坂に声を掛けた。

「よお、おはよう神楽坂。何してるんだ?」

言葉遣いはどうしようか迷ったがこの少女がそんな事を気にするとは思えないし、面倒くさかったので普通に話しかけると

「私は新聞配達の途中だけど。あんたこそいったいどうしたのよ?」

と、神楽坂はやっぱり年上の人間に対するものとは思えない態度で、挨拶も返さずにそう言った。

「俺は学校が開くの待ってるんだけど。何でか知らないけど昇降口開いてないんだ。ってか時間大丈夫なのか? そんなことしてて」

「アンタ今………ああ、ごめん! 私ちょっと急いでるから」

ちょうど俺が神楽坂に話しかけたところで、俺の正面を通り過ぎた神楽坂。そのまま会話を打ち切って走り去ろうとした背中に追いすがる。

やっと人を捕まえたのだ、そう易々とは逃がさない。

そうして神楽坂の背中を追いかけて言ったが、目の前を走る少女の足はなんだか途轍もなく速い。引き離されないようにと直ぐに全力で走り始めるが、距離が広がらなくなっただけで30秒、1分と走り続けたが縮まる気配が無い。

しかめた顔で神楽坂を観察すると、あちらの少女はまだまだ余力を残しているようで足音のリズムは乱れなく、規則正しくたったったったったったと地面を蹴っている。

こうなると物を聞いたりする以前にプライドの問題である。どうにか追いついてやろう。どうにかもっと早く走ろうと運動不足な体を走らせた。

何? 追いつけない時点でプライドも糞も無いって? そこは………………ご了承くださいという事で。

「はっ……はあ……っはあ」

久しぶりの運動で体の感覚が鈍い。肺は膨張と縮小を繰り返し、持てるだけの機能を使って酸素を血液に溶かし出し、心臓がその血液を体中に運んでいるが、それでも細胞に行き渡る酸素は十分だと思えず、早くも頭に回る酸素も薄い気がした。脚が重くまるで体に纏わりつく鎖のようにすら感じられた。それでも一秒、また一秒走るたびその苦しさに走ることを諦めそうになりながらも走り続ける。体の使い方が下手なせいで全く関係ない右肩が痛み出した。

そうやって神楽坂の背中を追っている事を馬鹿みたいだと思わなくも無い。待っていればいずれは人も来るだろうし、必ずしも神楽坂を追う必要もないんだ。ここで諦めて戻っても良かった。

ただ、何故かは分からないが走っているのも悪くない気分だった。楽しいといっても過言じゃない。

それに、おかしな話だが走っているうちに大分体が楽になって来た。気のせいか速度も速くなっているし回りの景色を楽しむ余裕も出てきた。

これなら神楽坂にも追いつけるだろうと思って、脚を動かす速度を上げた。

「は………………は………」

意識しないでも呼吸は自然と規則正しい、落ち着いたリズムを取り始めていて段々と、段々と速度の上限が上がっていく。

態々タイムを調べるまでもなく自分が今までよりずっと、速く走れていると断言できる。それどころかこの短時間で更に速度が増していっている。

運動など軽いお遊戯程度にしか嗜んだ事が無かったが、成程これに嵌るのも頷けるような爽快感が酸素と一緒に血管を巡って行くのが分かった。

五分も走っていないはずなのに脳内麻薬でも出てるんじゃないかと疑いを覚えるほどの感覚。

そしてぐんぐんと神楽坂の背中に近づいていくという事実。

「神楽坂」

「うわっ!! ってアンタなんで付いて来てんのよ!」

ぴったりと後ろに付いてから神楽坂に声を掛けてやるとさっきよりもかなり大きく驚いた神楽坂が、かなり強い語気でそう言った。

「いや、聞きたいことが有ったからな。さっき何て言おうとしたんだ?」

「はあ、何の話よ?」

一瞬鳥頭、アルツハイマー、ボケ等の言葉が出てきかけたが、のど元まで来ていただいたご足労を労って丁重にお帰りいただいた。神楽坂が怒り出すのが簡単に想像出来たからだ。

若年性健忘症と言えばきっと何のことか分からないだろうけど。

「さっきアンタ今………とか言っただろ。それの続きだ」

「ああ、あれ。あれはってちょっと待って」

キュッ音が聞こえるような華麗なブレーキングで止まった神楽坂は、肩に掛けていたバッグから新聞を取り出すとそれを新聞受けに放り込んだ。

「よっし終わり。あー、今日はちょっと疲れたわね」

釣られて立ち止まった俺の隣で神楽坂がふうと息を吐いた。

「で、さっきの続きだっけ? あれは………えーと、なんだっけ?」

マジでやってるなら脳の器質的欠陥を疑うようなボケを見せる神楽坂に体から力が力が抜けていくのが分かった。ずっこけて見せたい気分でもある。

「学校が開いてないんだけどなんでだって聞いただろ?」

「ああ! ってそうよ。アンタ今何時だと思ってんのよ?」

たった数度の会話を交わしただけで、本当に思い出したのか? と突っ込みたくなる程の強烈な印象を植え付けられた相手に言われたくは無い台詞だが、残念なことに俺は今何時か全く分かっていなかった。

「何時って何時なんだ?」

聞き返した俺に対する神楽坂のリアクションは溜息。俺の事を馬鹿だと思っているのが透けて見えるような反応だった。

全力で言ってやりたい。お前に溜息吐かれたくはないと。

「今は朝の5時半。分かる午前5時半よ。学校が開いてる筈ないじゃない」

「何だって………?」

「だから」

いや、ちゃんと聞こえたからそこは繰り返さんで良い。

「しかも今30分だから会ったのは15分くらい前かな」

腕時計を確認してそういう神楽坂。

となると俺が学校に着いたのは5時10分前後。そりゃ校舎の鍵が開いてる筈ないな。むしろ最初に学校に来る先生が起きてるかどうかも怪しい。

「時計見てくるべきだったな、まさかこれほど早く着いてしまうとは」

珍しいが、これまでも何度か類似の事態に陥ったことがある。俺らしい行動に逆に合点が行ってあっさりと事実を受け入れる。

とすると長ければ後一時間位は入れないのか。参った。

「まあ、なんだか良く分かんないけど私は帰るわね」

「待った。一つ聞きたいんだけど寮って此処から近いんだっけ?」

暇つぶしの相手を失うのは惜しい。出来ればもう少し相手をしてもらいたい所だ。
とっさに走り出そうとした神楽坂に質問すると、怪訝そうな顔をした神楽坂がこちらに振り返ってこう言った。

「何考えてるか知らないけど、女子寮よ、じょ・し・りょ・う!!」

「俺は性犯罪者でもストーカーでもない。なんとなく聞いてみただけだよ。新聞配達なんてしてるんだからこの辺かと思ったんだけどそれだと聞いてた場所と違うしな」

「聞いてたってやっぱり」

「この前も言ったけど俺は教員になるって言ったろ。自分の勤める学校の学生が何処から通ってきてるか位教えてもらってる。寮みたいに一箇所に固まってると尚更な」

「それなら良いけど。新聞配達はいつもだったらもっと寮の近くなんだけど、今日は特別というか。急に休みの人が出ちゃったから私がいつも担当してる所じゃなくて、休みの人が担当してたところとその隣の地域で配達したの」

「なるほど、お前って偉いやつだったんだな」

そのお陰でちょっと疲れちゃったけどねと小さく洩らす神楽坂に、かなり本気の入った言葉を掛ける俺。

「ちょ、急に何よ」

「何って偉いなって思っただけだけど。頭なでてやろうか?」

「やんないでよね」

慌てる神楽坂を褒めてやるついでにからかってやろうと手を伸ばすとバッと頭を隠す神楽坂。

おふざけでも本気で嫌がられると凹むんだぜ。などと内心思いつつも出しかけた手を引っ込めた。

「しっかしエライ速度で走ってたな。全力で走ってたのに置いてかれそうだったぞ」

途中酸欠になって意識が朦朧としていた俺と違って神楽坂は息を乱す様子もない。賞賛に値する身体能力と言えよう。

「そうかな? 別にまだ全力って訳でもないんだけど」

「あれで全力じゃないってどんだけだよ。因みに全力で走るとどの位なんだ?」
男子陸上の記録じゃないが100メートル9秒とかそんくらいか?

「あー、ちゃんと測ったことないけど。んーと……まあ普通じゃない? ってキャ! ちょ、何すんのよ」

「何すんのよ、はこっちの台詞だ! なんだあの馬鹿げた速度が普通って。人間じゃないだろ」

細かいことを考えている余裕は無かったけど車より早かったんじゃないか。世界記録どころじゃないだろ。てか車より速いとか人間業とも思えない。

噴出した俺を睨む神楽坂を見ながら事此処に至って漸く俺は悟った。どうやら魔法使いが居る云々の前にこの世界の人間は色々おかしい。

「失礼ね、私は歴とした人間よ。それに私以外にもその位出来る人結構居るんだから」

「あは、あははははははは」 

事実は小説より奇なりとはよく言うが、どうやら漫画は現実をも凌駕するらしい。確か俺の高校の時の記録が100メートル15秒とかだった筈だ。うろ覚えなんで2秒単位で増減しそうだが、、亀並みに鈍間な俺には想像する事も出来ない速さだ。

そんな俺が付いて行けたのだから今日はかなりゆっくり目に走ったのだろう。ああ、決めたよ。恥を掻きたくないので俺は絶対にスポーツやらない。

「それじゃあ私は帰る時間も有るからそろそろ帰るわ。それじゃあね」

俺が手を上げて返事をすると来たときと同じ様な速度で神楽坂が遠ざかっていく。

俺はとてもじゃないが付いていく気分にはなれなかったので校門前までの道のりを歩き出しながら後姿を見送る。

どれ位の時間が掛かるか分からないけど一時間もしない内にまた学校に着く筈だ。

となるとそれからまた学校が開くまでの間待たなければいけないだろう。

何処かの部活が朝練でもしていれば良いんだけど。

学校に着いてからの時間の過ごし方について考える必要が有りそうだったので、最悪昇降口前で寝るしかないかと溜息を吐いたが完全に身から出た錆である。虚しさも一入。その未来予想図の滑稽さも含めると膝を突きたくなる気持ちだった。

「と、そういえば…………」

丁度十字路に突き当たったところで下を向いていた視線を持ち上げて周囲を見渡す。

真冬の6時前だ。完全に太陽は昇りきっておらずちらほらと夜の気配が蔓延っている。

見たところ普通の住宅地のど真ん中。高層マンションも、店の看板も凡そ目印になりそうな物は何もない。そして見覚えのない通り。

「なるほど。あのパターンね」

言うまでもなく迷子だった。


「つかれたー。誰か助けてくれー。死ぬー。死んでやるー」

干しておいたマットレスを取り込んでから寝転がるとお日様のにほいがして一気に睡魔が押し寄せてくる。

とはいえまだ着替えても居ないし夕食もとっていない。

そのまま寝るわけにもいかずでたらめに弱音など吐きながらベッドの上でスーツを脱いだ。

ハンガーを取ってスラックスと上着を掛けてピンと伸びているか入念に確認していく。

せめて仕事始めくらいまではヨレヨレにならないようにと思って皺を伸ばしていくがずぼらな正確なせいか既に何箇所も皺が出来てしまっていた。

こうなるともうスーツを着るという習慣のなかった俺にはアイロンを掛けるくらいしか皺を直す手段が思いつかないが。

「今度やろう。今度」

永遠にこない今度に先送りしてスーツから目を逸らした。

そのまま洗面所においてある洗濯機の前まで行くと、一応ポケットを探ってからワイシャツを洗濯機に放り込む。

細心の注意を持って箱に書かれた目安から洗剤の適量を推測してパラパラと洗濯機の中に入れると、スイッチを押して肌着などと一緒選択を開始した。

直ぐ近くに備え付けの乾燥機からこの世界に来たときに来ていた、私服兼部屋着を摘み出すと適当なサイズに折りたたんで閉じた洗濯機の蓋の上に置いた。

汗っかきゆえという訳ではないが、兎に角汗でべとついた状態で洗った服を着るのを嫌っているうちにいつの間にか服を着替えるときにシャワーを浴びるような習慣が身についていたので着替えるついでに今日掻いた汗を流してしまおうと思ったのだ。

全裸になってから洗面台に嵌め込まれた鏡で自分の姿を確認する。

鏡に映ったのは見慣れない顔、見慣れない胸板、見慣れない肩。腕を上げて腋毛を確認したりとか筋肉の付き具合を確認したりしてみると以外にも感覚としては以前の自分と変わらない。

しかし、空き時間に学校の保健室を利用して調べたら身長は5センチ、体重は10キロ程度変わっていた。勿論嬉しい方向にだ。

視力も元々の値である2.0を突き抜けるくらいにはなっているだろう。なんせ保健室でとれる最大距離まで後ずさってもはっきりと一番下のマークが見えた。

多分身体能力も随分と改善されているに違いない。

毎朝鏡で自分のものとは思えない顔を見つめているうちに、なんというか自分が生まれ変わったのではなく誰かに憑依しているんじゃなかろうかという違和感が生まれてきた。

ニュアンスでしか説明できないが、自分のものだと思っていたものが不意に誰か知らない人の物とすりかえられたような感覚だ。

人の物と自分の物という線引きが妙な所で厳しかった俺からすればその違いはとても大きなもので、以前までは体内に埋没していた意識が今は肉体という服を着込んでいるような気持ちだった。

しかもその服は他人が直前まで来ていたような生暖かさと、自分の肌には馴染まない臭いの様な物が漂っている。

浴室に入って少し熱めのお湯を頭から浴びているとその違和感がほんの少し薄れる気がして、ここ何日かは風呂に入っている時間が一番の安らぎだ。

頭頂から後頭部、項、更に首を伝って上半身へ。

その後は肩で一気に枝分かれして肩甲骨や背骨の上を流れ落ちて行くのを感じていると体の心からポカポカと熱が高まって行く。暖かさ、匂い、体を伝って行くお湯の柔らかさ、肌を打つお湯の硬さ、開いた窓から吹き込む冷たい風。

そういった物に触れていると、そのままずっと浸ってしまいたくなる。

誘惑をやんわりと押しのけてシャンプーボトルからシャンプーを手に出し、僅かに泡立ててから頭髪に持って行く。

爪と指の腹で頭を洗って行きながらも、俺の頭の中はこの体についての事で満たされていた。

神楽坂との追いかけっことの一件以来俺の体が以前と違っているのか。そういう疑問が生まれていた。

当然表面的に違っていることは鏡でも見れば一目瞭然だ。そういうことではなく、気になったのは内面のことだ。

各種内臓や神経、全身を巡る血管や体を動かすための筋肉。人としての機能の具合。そういうものである。
足の速さは確かめずとも確かな答えが出ている。速くなっている。それも圧倒的に。

明らかに人間の限界を超えた速度を出す神楽坂に付いて行けたのだ。少なくともそれに準じる程度の速さがある。では、他は?

そういうものの手がかりでも掴めればと先ほどのようなものを調べたのだが、分かったのはたったあれだけの事でしかなかった。

確かに今、以前と変わらず生活する事が出来ているし、体調にも異常を感じていない。

しかし少なくとも数千年以上の実績がありそして十数年の実感が存在する肉体に比べて、変わってしまった、何の裏打ちも存在しない体の安全性は砂上の楼閣のように思えて仕方がなかった。

外傷で死ぬことはどうやらなさそうだ。では疾病は? 寿命はどの位だろうか? 

感覚は変わっていないがそれが知覚出来ないだけという可能性は? 健康診断を受けたとして、いやそれ以外にもあらゆる方法でこの体について調べたとして、人間のために作ったテストがこの体で同じように効果を持つだろうか? そもそも人間とは違う組成や組織、構造をしているなら罹る病気は人間のものではありえないだろう。

まして今居る場所に知人は居ないし、経済的地盤も存在しない。少なくとも保証された最低限の未来すら存在しない状況。

いや、でも、しかし神を名乗る男の言葉を信じるならどうだ……

取りとめもなく、限りなく育つ不安の芽に眼を向けているとドンドン気分が落ち込んでくる。下っ腹と胸の辺りが重くなってきて左手の指先が痺れた。

「ホームシックですかあ?」

だらしなく挑発するような口調で口にした言葉は浴室のタイルに反響して自分の耳に跳ね返って来た。

「飯は明日食えばいいや。風呂上がって水飲んで寝よ」

元気も苛立ちも沸かないまま、流しっぱなしになっていたシャワーでシャンプーを流した。

「うえ、まずうううう」

口に泡が入って苦かった。


「それじゃあ次の時間は担当できる先生も居ないし自習ということで、構内でも散歩してきたら良いよ」

「マジですか? 分かりました屋上はまだ行った事ないんで風にでも当たってきます」

「冬だって事忘れて風引いたりしないように気をつけてね」

特訓開始から3日後の昼休みのこと。

先生方に混ざって昼食を取っていると、若い女性教師から次の時間俺に教えてくれる筈だった先生が、風で欠勤した先生の仕事を代わりにやることになったので俺の教師役が居なくなってしまった事を教えてくれた。

言われるまま束の間の空き時間を堪能しようと未だ足を踏み入れていない屋上へと足を運ぶことにした。

高所恐怖症と高い所が好きなのは共存可能なのである。怖いものは怖いけどな。

俄かに忙しくなりつつある職員室を「若いなあ」なんて声に送られながら出て、昼休みの喧騒の中を歩いて行く。

そうして屋上を目指して歩いていると自分がまだ中学生だった頃を思い出して体がムズムズしてくるからすっかり老いさらばえたつもりだった心も良く分からないものである。

どうやらこの学校の屋上は通常の、俺が通っていたような学校のそれと異なりギャルゲ使用だったようで常時開放されており、それどころかバレーボールのコートが設置されていたりする。

流石マンモス校。それとも流石マンガだろうか。

屋上の重たい扉を開くと冬の冷たい風と頼りない陽光の歓迎を受けた。

「ボールそっち言ったよー」

「ちょっと、待ってっていったのに!」

「油断大敵だって」

おまけに女子中学生たちに遭遇した。

まあ、そらそうですよね。寒いとは言え運動できるなら誰だって屋上行きますよね。俺なんか運動しないのに来てるし。

そういえば俺も昼休みは友達数人とテニスに勤しんだな。等と懐古主義的に考えながら進退を決めかねる。

女子中学生が遊んでるところを眺めている男性教師候補。犯罪ではないがすれすれだと思います。べ、べつに断じてロリコンなんかじゃないんだからね!

思わず「悩ましい」等と呟きそうになったところで俺の後ろから鈴の音を伴って背中に衝撃が。

「ちょっと其処で突っ立ってたら邪魔でしょ。悪いけど通らせてもらうわよ」

脇に押しのけられて俺がさっきまで立っていた場所を沢山の足音が通り過ぎた。シャンシャンシャンと言う音に釣られて先頭を見れば矢張り赤い髪が。それにぞろぞろと続いて行く数十の背中。

確認するまでもなく神楽坂だろう。力加減はしているが、それでも人を突き飛ばすとは何事かと一言言ってやりたい気もしたが、もう一度吹いた風に俺の怒りは攫われてしまって何も言う気になれなかった。

押しのけられた時に踏み込んだ屋上は暖かくはなかったが、先ほどから居た生徒も合わせるとかなりの数になっており賑やかさが見え始めていた。

「……ん?」

「あ!」

人目に触れないような影にでも潜んでいようかといそいそと端に向かおうとする俺の背中に不穏な響きを含んだ声が届いた。何事かと思えば不穏というより一触即発……というよりも既に爆発四散している最中みたいだった。

「―――とにかく、今回は私たちが先よ。お引取り願うわ神楽坂明日菜」

「ちょっとあんた達、ワザとでしょ。あんた達高等部は隣の校舎の癖にどうして中
等部の校舎に居るのよ!」

「今度は言いがかりかしら。これだからおこちゃま中学生は」

黒い制服を来た少女たちとジャージを来た神楽坂たちが反目しあっていて、どうやら年長者らしい黒い制服の少女たちはこの学校の生徒ではなく、すぐ隣の学校の生徒ということらしかった。

聞こえてきた声だけで状況の分析は容易い。が、こんな状況になる流れが理解できない。2-Aの生徒達も理不尽な状況に憤りを隠せず、不満が其処彼処から挙がっている様だ。

「ふっざけんじゃないわよ。あんた達の方がよっぽどガキじゃない。年下に対する嫌がらせでここまでやる普通? よっぽど暇なのね」

「とにかくネギ先生を放すんですのよオバサン」

「ネギ先生も居るのか?」

名前は覚えていないが、クラスでも一際迫力のあった委員長の視線の先に目をやると長髪の黒い制服を来た少女に羽交い絞めにされているネギ先生が居た。

「さっぱり事情が分からん。普通教師の前でこんな舐めた真似しないし、出来ないもんだと思うんだけどな」

「見ての通りさ。彼女たちは彼のことを教師だと思っていないし、彼は彼でどうすべきか理解していないのさ」

「って独り言に返事が?」

そのネギ先生の体たらくにも驚いたが、黒い制服の子達に対する驚きのほうが大きい。

ネギ先生が10歳で身長も外国人の割に小さい(気もするだけという可能性もある。外人の子供に知り合いは居ないからな)し、仕事が儘ならないから軽視するのも分かるが、後ろからしがみついたり引っ張りまわしたり、その発言を無視しているのはちょっとやりすぎだろう。

自分も大抵教師を舐めきっていたが、ここまではやらなかったぞ。

意識的にははちょっと前まで高校生だった身として悲しくなってしまう目前の光景にボソリと口を滑らせると、直ぐ隣から返答が返ってきた。

大分屋上の端まで寄った位置でさっきまで誰も居なかったと思ったのだが、俺の後ろに付いてくる様にして歩いてきていたのだろうか? 振り返ると俺と同じくらいか俺よりも身長の高い色黒の少女が屋上の壁に背を預けるようにして佇んでいた。

その肌と同じ色をした艶やかな黒髪が風で靡くのも気にせず泰然としたその立ち姿は俺よりも大人びているくらいに見えるのだが。

「えっと確か3年A組の子だよね? 確か」

「出席番号18番龍宮真名。間違いなく後一週間ちょっとで貴方の生徒になる者さ」
冗談みたいな本当の話というやつだろう。こんなに落ち着いていて大人の様な雰囲気を漂わせている中学生が何処に居る。ところで

「どうして俺が君たちの担任になるって知ってるんだ?」

まだ神楽坂、エヴァンジェリン、宮崎さんとネギ先生しか顔を合わせていない筈なので知っている人間が他に居るとも思えないんだが。

「神楽坂が一度教室で口を滑らせてね。中肉中背、疲れたオッサンみたいな背中をしていて、溜息の似合いそうな男が自分たちの副担任になると。それにこの学校では貴方の顔を見たことがなかったからね。貴方のことを思い出したのさ。神楽坂は貴方のことをおっちょこちょいだの馬鹿だのと言っていたよ」

「あの馬鹿ツインテールに馬鹿って言われたのか? そいつはへこむな」

軽く溜息などついてから壁に手を当ててうなだれてみる。知っている人間なら猿の物真似だと分かるだろう。

「猿真似の真似だね。似ていると言えば喜んで貰えるのかな?」

「いーや、喜ばないね。激しく怒る。ってまだこっちの自己紹介が済んでないな。黒金哲です。君の言ったとおり後一週間ちょっとで君たち3年A組の副担任に就任すると思うのでどうかよろしく」

唇の端を持ち上げてみせる龍宮の仕草がまた抜群に似合っていて、年下だというのにすっかり気圧されてしまった。

こっちもかなりフランクな態度だが遠目でやりあっている少女たちと違って苛立ちを覚えないのは風格のせいだろうか。

「随分と若いみたいだけど先生も飛び級か何かかい?」

「期待されてるところ悪いけど正真正銘凡人だよ。それどころか凡人以下の可能性も濃厚です。それとその言葉遣い、俺が先生になったらやめなさい。一応19とは言え先生になる訳だし」

「それじゃあ暗に今はこのままで言いといっているように聞こえるよ?」

「そのとおりですよ。まだまだ先生とは言えないからな。立場としても能力としても。まあ、年上としては敬語を要求したい気分では有りますけど」

因みに俺が龍宮に対して敬語を、下手なりに使おうとしているのは立場からのものではない。単純に圧倒されているからだ。

「それなら黒金さんには悪いけど今はこのまま通させてもらうよ。ふふ、普通はそういうことを自分から言ったりしないと思うけどね」

言外に俺が変わり者だと言いたいようだが、そんなことはない。例え変わっていても変態という名の紳士である。ん?

「で、それで龍宮さんはアレを止める気はないのかな?」

取っ組み合いになりそうな生徒達を横目に涼しそうな顔をしている龍宮にこう聞くと

「私はお金にならない面倒事には首を突っ込まない主義だ。それにアレは日常茶飯事だから止めても無駄というか、またそのうち同じことが起きるよ」

「あ、そうなの」

女子校という物に幻想を抱いたことはないけど、好戦的というか野蛮というか現実を直視させられる。それとも俺が平穏かつ平凡に人生を過ごしすぎなだけか?

とはいえ、目の前で喧嘩が起こるのを見過ごすのも気分が悪い。怪我人がでる可能性も有るけどヒートアップしてる何人かの為に全体が巻き込まれるのも可哀想だからな。

仕方なしに諍いを止める為に歩き出そうとしたところでブーという電子音の後にチャイムが流れ始めた。

「あれ? これって授業開始のチャイムだけど沈静化するのか?」

「ああ、高等部の彼女たちはこの時間自習らしいから無理なんじゃないかな」

「ああ、そうなの。面倒くさいけどいい事聞いた」

「幸運を祈ってるよ」

龍宮の適当な応援に手だけで返事をして争いの中心、神楽坂と相手方のリーダーらしい生徒の間に割って入った。

「ちょっと失礼しますよー」

「ちょ、アンタ誰よ? 突然何なの!?」

「アンタ……ここで何してんのよ?」

両側から完全に盛り上がった二人がステレオボイスで俺に怒鳴って、釣り上がった瞳で睨みつけた。

心内でおーこわと嘯きながら二人の視線をしっかりと受け止めて、見つめ返す。応急的な処置にしかならないけど場を白けさせるのが第一の目的だ。

一旦収まってしまえば何の理由も無くこの場でもう一度取っ組み合いが起こることもないだろうし、根本的な解決は今の俺の仕事じゃない。

中心的な人物二人が硬直したためか、周りの生徒達もこちらに注目し始めた。

「とりあえず怪しい者じゃないよ。まだ正式な教員じゃないけど再来週位からこの子達の副担任になる。まあどうしてもっていうなら確認するために先生を呼んできても良いけど」

面識の有る神楽坂は脇に置いておいて、初対面である黒い制服の子に話を聞かせるために黒い制服の相手を優先する。

「ただ、先生を呼んでしまうと君たちも困るんじゃないかな?」

相手が年下の少女から年上の男に変わっても高圧的な視線を隠そうとしない少女の動揺を誘うためにそう切り出す。

「私たちの誰が先生を呼ばれて困るのよ。困るのはそっちの中坊共の方でしょ? 私たちが先にここに居たって言うのにコートを取ろうとして掴み掛かってきたのよ」

気乗りしない。全然気乗りしない。

俺はこの学校のシステムをよく知っているわけじゃないし、ネギ先生が既に同様の主張をした後かもしれない。

やっぱり早まった真似をしたなー。

「君たちが先に此処に居たってのは俺も知ってるよ。若干とは言えこの子達よりも先に此処に来たから。でも、今は授業中だ」

「それがどうしたっていうのよ。私たちはこの時間自習になってるの。自習の時間にレクリエーションでバレーボールをやってちゃいけないのかしら?」

「確かに君たちがレクリエーションでバレーボールをしていようとそれは君たちの自由だ。俺の関知する範囲ではないな」

「なら!」

「それより先に確認させてほしいことが有るんだけど良いか? 君たちはこの場所でレクリエーションを行うつもりの様だが、正規の手順を踏んで許可を取ったのか。これを確認させて欲しいんだけど。そこの短髪の子、そう君。どうだろう俺の質問に答えてくれるか?」

俺が二人を止めてから、直ぐに駆け寄ってきていた子の中から適当に選んだ人を指名した。

俺の呼びかけに気づくとショートヘアーの気の強そうな少女は、俺のほうに進み出てリーダー格らしい少女の直ぐ隣に立った。

「態々許可なんて取ってないわよ。それがどうしたって言うのよ。自習なんだから何処で何やってようと勝手でしょ?」

「んな訳無いだろ常識的に考えて。君たちの自習がいつから決まっていて、いつからここでレクリエーションをしようと決めていたのか知らないけど、ネギ先生に場所を変更するなり共有するなり連絡が来てない以上君たちがここを使用することは出来ないと思うけどね。元から場所の決まっていたこの子達の体育と、そうでない君たちのレクリエーション。どちらがここを使うべきかなんて分かりきっているだろう? それに君達学校が違うんだろ。施設が共有されてるならともかく、そういうことでも無さそうだし。その上君たちは許可を取っていないという。もしかしたら校外に出ることも許可を取っていないんじゃないか? 無断で他校の校舎に進入して、おまけに中学生と取っ組み合いの喧嘩。その理由も極めて自分勝手かつ筋道の通らないものとなれば叱責も一つや二つじゃ済まないだろうな」

最初の一言だけ聞かれないよう小声で、それ以降は出来るだけ理解しやすいようにゆっくりとした口調で語る。
出来るだけ敵意を煽りたくはないが、俺が喋っていると自然と言葉の選択や文の構成が挑発めいた成分を含んでしまう難点が有るので、どうにもならない事は気にしない。

ただ俺の言いたいことは十分に伝わってくれただろうと思うが、後は俺の知らない決まり事が無いことを祈るばかりである。

「そ、それは……」

急に語調が弱まった少女を見て悟られないように肩から力を抜く。これでとりあえず一件落着と言えるだろう。

「今からでも他の空いてる所に行った方が良いんじゃないか? 別にいざこざを起こさないなら誰も君たちを咎めたりしないよ」

「くっ。分かったわよ。今日のところはこれで引いてあげるわ」

リーダー格の少女はとても悔しげに唇を噛むと、恨めしげな視線を一度だけこちらに向けて校舎へと通じる扉に向けて歩き出した。

「ふんっ」

「ちっ」

両脇に居た少女もそれぞれ鼻を鳴らして、露骨な舌打ちをして俺の横を通り過ぎていき、他の少女たちもそれに従って屋上から退散していった。

やっとこれで静かに屋上で時間を潰せるな。次の授業までに少しはリラックスしようと思って出てきたのに緊張させられるとは運が悪かった。

どうせ4,50分しか無いから軽く見物してから寝てよう。エライ空気は寒いけど、周りを四方壁で囲まれてるせいで風は強くないしな。

「何処行くのよ?」

元居た場所に戻ろうと足を動かそうとした矢先に後ろから声を掛けられる。

「何処って隅っこだよ、隅っこ。俺もこの時間は暇だから屋上を探検するためにここに来たんだ」

「はあ? この時間は暇ってあんた何ここで今なにやってんのよ」

「教員になる為の勉強というか促成栽培というか詰め込み式学習法? 朝から晩まで教室に缶詰になって代わる代わる先生方にご指導いただいてるぞ」

今度は放っておいた神楽坂の相手というわけである。ああ、徐々に徐々に俺の事の休憩時間が削れて行く。頼むから俺の事は放っておいてーー。

「ふーん、そんなことしてるのねー」

「ああ、そうなんだよ。だから俺はこれで失礼するな」

まさにそそくさとしか形容のない素っ気無さと速度でその場を離脱しようとさわやかに片手を挙げて挨拶なんぞしようとしてみる。

さっきまでの敵対的ムードが薄れたせいで、黒い制服の子達に向けられていた関心が俺のほうに集まりつつあるのが感じられる。

なんか不審者を見るような眼と不審者を見た時の様な警戒心を露にして不審者に対するように距離を取られて不審者のように目の前でひそひそと内緒話をされているから眼と耳が付いて入れば誰でも居心地の悪さを感じるだろう。

こうなっては完全に屋上に居られるような状態ではなかった。

臆病者? チキン? なんとでも言うがいい。俺は多数の女性の中に一人放り込まれるくらいなら、周囲は全員男だけでも構わない。

女系家族に生まれ、女性が強権を振るう家庭環境に居たせいか似たような状況に置かれるとついつい弱気になってしまうのである。

「ちょっと待って。その………さっきはありがとう。一応私たちの味方してくれたんでしょ」

「黒金さん、僕からもお礼を言わせてください。ありがとうございます。僕、また皆を止められなくて」

しゅんとしたネギ先生までが出てきて俺にお礼を言い始めた。くそっ、なんか振り切って出て行けない雰囲気になってないか?

「あー、いや、その、まあ上手くいって良かったって事で。ネギ先生はこれからもっと頑張れば大丈夫ですよ。では、これで」

二人を邪険に扱うわけにも行かなかったが、多少愛想が無いくらいは許容範囲だろう。

他人の心象よりも大事な物が俺には有るのだ。何、これだけ唐突な登場をしているんだ、顔見知り以外で話しかけてくるようなチャレンジャーも居るまいに。

社交的でない性質だし人見知りも人一倍するほうだが、そんな自分を基準に物を考えることに哲は違和感を覚えたことは無い。

こんな自分で有りながらそれでも特別に人間関係に困ったことは無い。ということは、少なくとも標準的とは言い難くとも大胆に凡庸から遠ざかった性格ではないのだろうと考えているのだ。

逆説的に周囲も自分と大差ないなら自分を基準に構えて考えても大した問題は起こらない筈だ。

が、しかし高々19年の浅い人生で、この世の中に居る人間とすれ違いを起こさずに生きていけるような術を見出すことは困難極まりない。

だから今回も哲には予想できなかった事が起きたのである。それは哲が女子中学生という、いっそ男とは別の生き物のように思える彼女たちのバイタリティを見縊っていた事も、ここ麻帆良に生活する人々がどれだけ元気に満ち溢れた人々であるか知らなかったことも要因の一つとして。

「いやいや、あのままだったら確実に喧嘩になって誰か怪我してたよ。そんな場面を丸く治めた人をこんなに簡単に帰せないよ」

袖を掴まれて振り返る。遅ればせながら大変な嫌な予感に襲われて振り向くのが戸惑われた。人生初体験に等しいだろう自分の袖を掴む少女の手。

しかし、その手からは瘴気のようなものが吹き出ている気がしてならない。

なんと、その手は呪われている。

「良かったら私たちの体育見学でもしていく? 見ごたえは保証するよー」

恐る恐る俺の手を掴んでいる少女の顔を見ると、髪留めと後ろで纏め上げた紙が印象的な快活そうな表情をした少女だった。

その少女は不自然な場所で一旦言葉を切って俺の耳元に口を近づけるとこう囁いた。

「発育良い子が揃って…」

「うわああああっ! 」

少女の言葉を最後まで聞くことなく脊髄反射に近い速度で少女から距離を取る。腕も無意識に振り払ってしまう。

「なにそれ? そういうことされるとちょっと傷ついちゃうなー」

はっとして見てみると腕を振り払われた少女が相当に機嫌の悪そうな表情でこちらを見ている。

「ごめんごめん。かなりくすぐったがりなもんで。耳とか駄目なんだよ」

慌てて弁解するものの、右手で耳を触りながら言っているから説得力は皆無だろう。少女の目に宿る険も治まる気配は無かった。

「信じてもらえないかもしれないけど、冗談じゃないんですよ。中学校のときに馬乗りになられて擽られた時は抵抗一つ出来ずにいた位駄目なんだやああっ!?」

誠意も何も有ったもんじゃないが、その内に自分の担当する生徒との間に軋轢があっては後々の仕事に影響が出かねない。打算的な思考を働かせて誤解だけでも解いてしまおうとする俺の脇腹を衝撃が貫いた。

「やめろコラアア! くすぐったいって言ってんだろうが」

「あはははー、いやー場を和ませようと思って」

俺の余りのリアクションの大きさにだろうか、苦笑いする神楽坂に後ずさる。本当に突然で驚いたのもあるがそれ以上にみっともない声を挙げそうだったが為に焦って大声で怒鳴ってしまう。
大勢の女子生徒の前で醜態を晒すのにも抵抗があった。

案の定だろうか、俺を囲む女子生徒の視線には奇異な物をみているような、そんな感情が混じり始めていた。

想像してみてほしい、誰だって目の前で年上の男が悶え始めたらこんな顔をするだろう。当然のように俺だってする。

場の空気が更に混沌とした体を催してきたせいで次に何が起こるか全く予想できない現状は、俺にとって非常に危険な物と判断せざるを得ない。

こうなったら積極的に干渉を行うことで動的に場の主導権を手に入れる手で行こう。そう決めて先ほどの少女を振り返ると、何故だろうかその表情が格段に緩んでいるような気がした。

いや、よく見てみると緩んでいるというよりも笑っているというか口元が歪んで悪戯が好きそうな表情に。

「何してんのさ。私怒ってるんだけど、急に変な声だしたりして」

「いや、お前今笑ってなかったか?」

「そんな訳ないじゃん! なーに? 誤魔化そうとしてもそうはいかないよ」

だがしかし、俺がその表情から何を考えているかを読み取るよりも前にその笑みは消え、あっという間に怒りの表情を形作ると俺に詰め寄って来た。

「そんなことは決して。本当にさっきのは御免」

少女の声からしてファーストコンタクトから印象最悪なのはもう決定的。見ている周りの連中に対しても同様だろう。こうなると頭下げて舐められるとのどっちがマシなのかという話になったので、素直に頭を下げて謝罪をすることに。

「ほらー、いけー明日菜。今度の新聞で使う高畑先生の記事の取材任せてあげるから」

「あん?」

下げた頭の上を小声が飛んでいくのが聞こえたので、目線だけで上げてみると何も変わらず眉を吊り上げた少女が居て、

「ええい、やってやろうじゃない。朝倉、アンタ裏切ったらタダじゃおかないからねー!」

後ろから神楽坂が突っ込んできているのだった。

「な、おま。何を」

「うるさーい、私は悪魔に魂を売ったわ。文句は朝倉に言いなさいよー」

「う………っぎゃああああああっ!!?? や、やめてくれえええ」

「って、どれだけ弱いのよコイツ」

振り返ることが出来ないので顔は見えないが呆れた顔をしていることだけ声の響きから分かった。そうやって呆れながらも神楽坂の俺の脇腹を擽る手を緩める気配はない。

身を捩り逃れようと足掻いても神楽坂の両手は俺の脇を捉えて離さず、俺の呼吸は徐々に弱まっていく一方。擽ってくる神楽坂の手を掴んで引き剥がそうとしてもびくともしない。

どんな馬鹿力してんだよ、神楽坂ああああ。

「あはははははは、ま…マジであははっはははや、やあああああ……やめてあはははははは」

耐え切れない。耐え切れない。そもそも耐えること等出来はしない。爪先で引っかかれるような感触でさえ俺の脳天までを瞬きよりも早く駆け巡り、俺の体を俺の心の下から奪い去る。

「うーん、うそじゃないことは分かったんだけど、予想外と言えば良いのか予想以上といえば良いのか。とりあえず一枚貰っとこう」

「げほげほげほ………あははははは………はははは……げほ」

僅かな機械音と閃光と同時にデジカメのレンズに俺の姿が収められた。

「よし、しょうがないからこれで許してあげよう。明日菜もういいよ、ありがとう。じゃあ先生は次が有ったら気をつけるようにね」

可愛い女子中学生とスキンシップできる機会なんて貴重でしょ? と言う少女に神楽坂から解放され息も絶え絶えな俺は死んだ返事を返すと共に頷くことしか出来なかった。

「しかしこの麻帆良パパラッチよりも情報速いなんて結構やるじゃない明日菜。私ですら今日この時まで知らなかったのに」

「まあ、色々有って何回も会ってるのよ」

「ネギ君の時といい、明日菜は何か持ってるんじゃない。そういうの」

「嬉しくも何ともないわね。ていうか寧ろ迷惑………っていうことは無いけど」

朝倉に肘で突かれた神楽坂がうんざりといった調子で言い捨てようとしたもののネギ先生の視線が気になったのか言葉を濁した。

「はあはあはあはあああああ……う、うん。あー、用は済んだかな?」

荒れた呼吸を整えて、涙を浮かべながら伺いを立てる。よく言えばフランクな生徒たちとの触れ合いは、気づかない内に落とし穴に嵌ることもあるという教訓を俺は胸に刻みつけ未来永劫忘れることは無いだろう。

「そ、そういえば授業中でした。みなさーん、準備体操をしてくださーい」

大半の生徒が俺に好奇の視線を送る以上の事をせずに三々五々ネギ先生の指示に従って適度な距離を前後左右に取って体操を始める準備をしていく。『懐かしの体操の出来る隊形に』という奴である。

先ほどまで騒ぎから遠く離れた場所で見守っていた生徒達も、或いは見物に回ろうとしていた者も遅々とした歩みでは有ったものの隊列の中に組み込まれていく。

女子しか並んでいない光景では懐古の情も湧かず俺はこれ以上のいざこざを避けるために彼女たちに背を向ける。セクハラだなんだと言われる事は無さそうだったが、絡まれれば即心労に繋がるであろうことは火を見るよりも明らか。

苦労はするべきときにするものであるという主義を持つ俺には通常とは違う意味でドキドキさせられながら振り返ると、俺の真後ろも真後ろ、角度的にも距離的にもピッタリの位置に一人の女子生徒が立っていた。

俺の小学校以来の知り合い(大学生)と同じような背丈のその生徒は髪で張ったバリアー越しに俺を見ていた。

「うおっと、ど…どうしたんだ宮崎さん」

追突しそうになった所を直前で押し止めて静止、男が怖いとかなんとか………と大雑把な個人情報を思い出しつつ適当な距離を開ける。

パーソナルエリアという考え方があるがこの場合も同様の呼称を用いても問題は発生しないのかなんてぼんやり考えながら出来るだけ情けない格好になる。

無理に目線を合わせたりやる気になると怖がらせるだろうという配慮からの行動である。勿論視線も合わせなず旋毛の辺りを見つめる。猫背になったのはこっちの方が小さく見えて威圧感が無くなるだろうと思ったのだ。

実際先日の図書館でネギ先生に迫っていたところを見ると、男という性を感じさせなければ心配いらないだろう。

とはいえ、子供のような可愛げのある顔立ちはしてないし、贔屓目に見ても中性的でない顔では男を感じさせないことなど不可能だ。しからば最早男としての機能を失ったオッサンとかどうだろう。と言ったような思考回路を走らせた結果がこれである。

「え……?、あ…いや………ち、ちがいます!」

黒髪と言う名のカーテンの向こう側から感じていた(様な気もする)視線は発信者の混乱によって引き千切られ、声を掛けるよりも早く俺の脇を走り抜けて行ってしまった。

その走り抜けていく驚きの速度に速ああ! などと戦慄している場合ではない。皆から俺の背中で遮られ、何が起こったかも分からない死角から内気そうな少女が一目散に脇目も振らず徒事ではない雰囲気を醸しながら走っていく。犯罪の匂いがしないだろうか? 気にしすぎか?

俺の心配はどうやら過ぎたものであったらしい。直ぐに開いていた場所に収まった宮崎の周囲では彼女の行動を微笑ましい物であるかのように見ていた。

「じゃあネギ先生自分はこれで失礼させてもらいます」

「あ、はい。黒金先生頑張ってください」

「ネギ先生も生徒たちの指導頑張ってください」

振り返る直前、視界の端で周囲よりも一際高い少女からカッコイイ挨拶を貰って校舎の中に引き返していく。

大分カッコイイ女の子と知り合えたから良いけども全く休憩できなかったな。

残り30分を切った5時間目の授業時間。それをどうやって利用すべきなのか。その事が次の授業開始を知らせるチャイムが鳴るまでの間俺の頭の中の最重要議題だった。


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