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赤松健SS投稿掲示板


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No.21913の一覧
[0] 頭が痛い(ネギまSS)[スコル・ハティ](2016/05/23 19:53)
[1] 第二話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:17)
[2] 第三話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:17)
[4] 第四話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[5] 第五話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[6] 第六話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[7] 第七話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[8] 第八話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:18)
[9] 第九話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[10] 第十話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[11] 第十一話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:19)
[13] 第十二話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:20)
[15] 第十三話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:21)
[16] 第十四話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:22)
[17] 第十五話[スコル•ハティ](2015/12/19 11:22)
[18] 第十六話[スコル・ハティ](2015/12/19 11:22)
[35] 第17話[スコル・ハティ](2016/06/03 22:36)
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[21913] 第十五話
Name: スコル•ハティ◆7a2ce0e8 ID:025ecb74 前を表示する / 次を表示する
Date: 2015/12/19 11:22
屠殺と言われてその意味が直ぐ分かる人は、少なくとも哲の交友関係の中には居なかった。

本人に言わせれば頭いい人間は嫌いなんでとでも言い出しそうだが、ともかくその言葉の意味を即答できる人間は居なかった。

ではもう少し質問を進めて屠殺の方法について語ることの出来る人間は居なかった。これは本人についても同じだ。

もしかすれば牧場で働かされることになった友人が哲には居たが、残念と言うべきかその友人は無事希望の進路に進むことになった。

その友人がもしも牧場で働くようになったなら或いは、たった一人屠殺の方法を語れる友人は居たかもしれない。

とはいえ重要なのは電気ショックや二酸化炭素を用いて如何に動物を苦痛なく殺すか、ということではない。

更に質問を進めよう。では屠殺をするというその人間の心について語れるだろうか? これに至ってはもう哲の交友範囲を飛び越えてあらゆる一般に範囲を広げたとしても答えられる人間は極一部だろう。

正直に言ってあまり進んで就きたがるような人間が居るとも思えない仕事である。寧ろ日々その恩恵に与っておきながら日常、そういった行為を行う職業の人々について意識を巡らす事もしない人間である哲には、一体どんな事を思いながら動物の命を奪うのか想像する事すら出来ない。

では一転して屠殺される側の気持ちはどうだろうか? これについて語れる物が居たらまあまずその人間が余程の偽善者か、何かしらの宗教に嵌っていないか或いは行動の異常を疑ったほうが良いだろう。

勿論哲だってそうする。感じたこともない痛みについて声高々と語る人間はまず信用ならない。が、しかし哲自身この質問に対して自信満々に語れる自信が有った。というより間違いなく手を上げて聞き手を前にして一人で勝手に興奮して長々と語ってしまいかねないだろう。

さて、ここまで回り道をしてきたのだからもう少しだけ、何故哲がこの質問に対しての答えを得たのか説明させていただきたい。

「で、此処があの穴の下ですか。へー、ナウシカみたいとだけ言っておこう。っていうか嘘だろ。完全無欠に泰然自若とした虚実だろ。むしろ支離滅裂な妄想の類だろ。いつからお前の心はそんなに荒んでしまったんだ」

「お前が情けなくも穴に落ちて3秒で気絶しなかったら私の言葉を疑う余地は無いが、その点についてはどう思う?」

「先生、僕は過去を顧みるのはもう止めました。大事なのはこれからを見つめていくことです。さしあたっては私の顔に乗せられた足といじめについて相談に乗っては頂けませんか?」

「ん? いや、後始末を全て年端もいかない、おまけに一時的とはいえ体を動かしにくい少女に任せてあっさりと気絶するような男は足置きにすべきだろ。靴を履いたままではないことに礼を言うべきですらあると思うが」

「なんていうかこの短期間で2度も顔を足で踏まれてると、俺の顔に脚乗っけるとが楽しいとか言い出しそうで怖いな。俺の姉のようだ」

「実姉にこんな事されてるなんて、もしかしなくてもお前の家系は変態揃いか。今後の付き合い方を考えなければならないようだ」

「いや姉の場合は俺のケツに脚を乗っけるのが好きだったらしい。居間で寝転がってるところをよくやられた。その度に女みたいなやわらかいケツだと言われるのに、安産型だろ? と返したのはいい思い出だ」

「んな事をいい思い出にすな!!」

突っ込むところは其処ですかと思いながらも哲はそれを口に出さず、エヴァンジェリンの足で中央が埋め尽くされた視界の残された左右の空白で周囲の景色を見渡す。

天井が見えた。何の変哲も無い。とはとても口が曲がってもいえないような大樹が何百本もその枝を絡み合わせて編まれた木製の天井。所々から陽の光の様な柔らかな光が差し込んでくるのでその密度は非常識では無かったが、天井が高い。

寝転がったままで対比物も無かったが20メートル位有るかもしれない。

人の身長よりも僅かに高いような高さの木ではなく、これほどの大きさの大樹が枝を絡ませあって天井を形作ってしまうほど集まっている。

しかし今寝転がっている哲の視界にはこの部屋の壁が無かった。そうなると自然と自分の頭上に架かった枝はかなりの長さになるだろうに、哲の目でもしっかりと視認出来るほどの太さもある。自分の胴体よりも太いだろう。

そしてその枝の隙間から漏れる光(この場合木漏れ日と言って差し付けないだろう)に照らされるのは広大な湖とそこに点在する島と、そこかしこにぽつんと佇む本棚である。

広い。第一印象はその余りの広さである。地下にあるとはとても思えない、下手をすれば地上に存在する図書館島よりも面積が広いかも知れないと思わせる広大さ。その光景に圧倒され、哲の口から一際暖かな呼気が吐き出された。

「ひやあああ!! な、なにをする、貴様?!」

驚いたように悲鳴を上げながら哲の顔の上から足を退かすエヴァンジェリン。

気絶している間も呼吸が止まっている筈もなく、今更な気もしたがそんな事よりも哲には再び振り下ろされんとする足裏の方が重要だった。

右手で地面を叩いて反動を利用しながら反対側に体を転がすと、哲の体が回転を止めるよりも早く砂を踏み潰す音がした。

辱められたとでも思っているのだろうか、顔を朱に染めたエヴァンジェリンが目尻を跳ね上げながら転がった哲を目で追う。

更に自分の足元から逃れた哲を追ってエヴァンジェリンが、一歩近寄ると、また足が砂を押しのける摩擦音が哲の耳元に届く。

転がった拍子に舞い上がって口の中に飛び込む砂利を吐き出しながら起き上がると、ちっと舌打ちするエヴァンジェリンと目が合った。

「お前なあ、自分から顔に足乗っけといて息が当たった位で取り乱すなよ。ぺっぺ、だあもうなんで、っぺ」

人目の在る場所ではしたないとも思ったが、口の中の不快感を耐える気にはならず、その場で口に入った砂利を吐き出す。

しかし、口の中の感触では口の中に入った砂利の中には殆ど石が混じっていない。

お陰で口内に傷こそ出来なかったが歯の間に挟まったり下の裏に入り込んだりと指でも突っ込まなければ、完全に取り除けそうにはない。

仕方なしに湖に近づくと両手で水を掬い取って口に運ぶ。

まさか建造物の中に海水で湖を作ったりもすまいと考えての行動だったが、予想通り口の中の水から塩の味は全くしなかった。

それどころか水道水のようなカルキの匂いもない。

真水だったら食中毒の危険性も視野に入れる必要があるだろう。

口の中で水を動かして粗方の砂を取り除いてから哲はそのまま身動きが出来なくなった。

何処に口内の水を吐き出せば良いのか分からなくなったのだ。

湖に吐き出すのは論外。汚染までとは言わないが水源を汚してしまうのは不味いだろう。

ついで先ほどまで散々自分の唾液ごと砂を吐き散らしていた足元を見るが、何故か先程までの様に水を吐き出す気にはならない。

当然、近くには下水道に?がっているような水道はない。

観念したように肩を落とすと、哲は口を濯いでいた水を飲み込んだ。

中途半端に温まった水は自分の唾液交じりという以外は砂利ぐらいしか入ってはいなかったが、やはり何処か気持ちの悪さをぬぐえなかった。

哲がうへえ、と声を漏らしながら胸の辺りを撫でているとエヴァンジェリンが挙動不審にきょろきょろと視線を行ったり来たりさせていた。

視線は一度哲の顔を捉えてから、今度はエヴァンジェリン自身の足元に注がれた。と、その光景を見て哲は初めて気付いた。

どうやらエヴァンジェリンの体の麻痺が収まっていたという事に。自分が気絶している間にそれなりの時間が経ってしまっていたのだろう。

「もう体は自由になったのか。って事は結構時間経ってるのか?」

「……ああ、どうせ直ぐに爺共が接触してくるだろうと思って待っていたんだがどういう積もりなんだか一向に姿を現さん。そうやって待ってる間にな。多分30分位は経っている筈だ。しかし、…ああ、いや止めておこう。聞いても分からないだろうしな」

言いかけて、途中でエヴァンジェリンの言葉が尻すぼみになる。

哲に言いたいことが有った様子だったが、何かを思い出してその先を口に出すのを諦めた様だった。

そうして自分の考えに没入してして行こうとするエヴァンジェリンを、哲は声を掛けて引き止めた。

今現在自分が何処に居るかも分からなければ、エヴァンジェリンの言っていた近右衛門の思惑も理解できない。

おまけに一緒に居るエヴァンジェリンが此処で立ち往生してしまうと動き出すことすら出来なくなってしまうからだ。

勿論学園の施設である以上二人が餓死する前に何かしらの措置が働いて戻れるという誤った確信こそ有ったが、他人の世話になるのは出来れば避けたかったし夜を越すのはこんな落ち着かない明るい場所ではなく、馴染みこそ無いものの自分の部屋が良かった。

「この状況で放って置かれると孤独の余り叫びだしたくなるから止めてくれ。せめて考え事は帰りの道中で頼む。早く家に戻りたいんだ」

「ふん、貴様に言ってもどうせ解決できないと思ったからだ。では、聞くが貴様私の先ほどの不調の原因に心当たりが有るか?」

「確認させてもらうけどその不調って言うのはさっきの力が強すぎて勢い良く動きすぎちゃう事で、それは俺と会うまで一度も無かったことなんだよな? それも俺と会った直後じゃなしに今の今まで」

「ああ、その通りだ。どうだ? 分からないだろう」

見た目が中学生にも達していない少女に此処までストレートに馬鹿にされたのは勿論エヴァンジェリンが初めてだ。

考え込む哲を見てこれ見よがしに溜め息まで疲れると腹立ちよりも呆れが勝る。などと言う事など有る筈も無い。

はっきり言って滅茶苦茶に腹立たしい。

見返すためにもエヴァンジェリンの提起した問題に取り組もうとする。

魔法のまの字も知らないど素人である哲に聞こうとした所からエヴァンジェリンが不調の原因、少なくとも原因に関連のあるものとして哲を見ているのは哲にも分かった。

しかし其処から先の事となると魔法の知識がない哲には見当も着かない。が、このままあっさりと勝負を諦めたのではエヴァンジェリンを更に調子付かせる切欠になりかねない。

せめて方向性でも示してこの生意気な吸血鬼に一矢報いるまでは、その後更に言葉で自分を嘲弄するエヴァンジェリンの幻想が脳裏にちらついて諦められそうにない。

では、と自分が何も分からない事を棚に上げ、利用できる範囲の情報を捏ね繰り回して説得力のある話をでっち上げる算段をつける。

その為にもう少しエヴァンジェリンから情報を引き出す必要がある。

今のままでは材料が足りないのだ。

「えっとなんだ、さっき俺の血を吸ってから調子が良いとか言ってたな? て事は何だ? それまでは調子が悪かったのか?」

「訳有って此処に封印されていてな、魔力は殆ど無くなっていた。西洋魔法使いは魔力で身体能力を日常的に増幅させているから封印が解けてからは見た目以上の力が有るし、正確には判らんが封印される前よりも調子が良い様な気もする。とはいえ封印されたのは15年も前のことだから勘違いということもあるだろう。それにお前が来てから本格的に魔力を使おうとしたのは2度目だから単純に魔力の使用が鍵になっているとは思えんぞ」

誰であれ、この時哲の頭の中に浮かんだ思いを馬鹿にすることはきっと出来ないだろう。

と哲自身無意味と理解したうえで心の中で言い訳をする。

というのも哲が考え咄嗟に口に出しそうになった言葉は恐らく相手が誰であってもそう言われて機嫌を損なわない筈もない、酷い言葉だったからだ。

哲はその瞬間思わず「あれ? 俺って不味い事してたのか?」と言いそうになっていた。

15年もの時間力を奪われ一つ所に留め置かれる罰である。

人間として健全な生活を送っていたとはいえ、軽い罰とは言えないだろう。

それに加えてその罰を与えられたのは吸血鬼である。

しかも自ら悪を自称しているような。期間の長さだけ見れば殺人でもやったのかと思うような長さだ。

自分が知らずに居るだけでこの吸血鬼が相当の悪である可能性も否定できない。

凶悪な吸血鬼を野に放つ。字面だけでも大変な危険性が感じられる大事件だ。

口ぶりからして哲がエヴァンジェリンに掛けられた封印を解いた事は間違いないようだし、そうなると哲は世間から非難を浴びるのに十分な事をしているに違いなかった。

それ故にそんな事を口走りそうになった。

しかし、しかしである。そうなると今度はエヴァンジェリンに与えられた不自由な自由が引っかかる。

悪人に自由を与えるほどこの世界の人間の感性が哲のものと懸け離れているとは思えない。

加えて短期間とはいえ接した上でエヴァンジェリンの人柄を評価するなら、エヴァンジェリンは一般人と変わらない。

自分のような身元不明の男を自分の住居に引き込む等の行動まで鑑みれば相当の善人と言える性格だ。

15年の間に改心でもしたか或いは性格が丸くなったか、でなければ猫でも被っているのかどれかでなければ現在と過去のエヴァンジェリン像でギャップが大きすぎてエヴァンジェリンの穏やかな性格について説明がつかない。

もしも前者二つのどちらかであれば多少であれエヴァンジェリンが傷つくだろう。

後者であった場合それなりに自分が危険な位置に居るという事に気付かないまま哲は喉元までせり上がっていた言葉を飲み込んで、代わりに問いに対しての考察を進めた。

「その身体能力を増幅させるっていうのは日常的に使ってるんだろ? そういうのって魔力使いすぎて無くなったりしないのか?」

「ああ、最低限の力さえ持ち合わせていれば意識しなくても成人男性と同じくらいの筋力に強化できる。どの位に強化するかにもよるが、まあ私が今言った程度なら魔力の消耗は殆どないな。それこそ魔力が極端に少ない人間以外ならな」

「て事は最強の魔法使いであり吸血鬼であるエヴァンジェリンが、その強さに相応しい非常識な量の魔力を持っていると仮定するとエヴァンジェリンが普段から身体能力を強化していても消費される魔力は雀の涙だと言う事になるよな。それじゃあ、お前に掛けられていた封印て言うのは魔力さえあれば強引に解呪できる代物なのか?」

「いいや、そんな事は不可能なはずだ。あの封印の解呪には術者本人かその血縁の血液が大量に必要になる。だからこそ貴様は異常なんだ。奴の血縁でもなく、特別大きな魔力を感じた訳でもない血が封印を跡形も残さず………? いや、待てよ。あの時確かに貴様の血に誘われて私はあの場所に言ったが、貴様からは魔力を感じてはいなかった。しかし、貴様は私の別荘であれだけの威力の魔法を放ち、その後の吸血でも貴様の血からは魔力を感じた。クソッ、そうだ毎回毎回意識が飛ぶせいで覚えていなかったがあの前後で私の体内にあった魔力の量が変わっている!! それから今まで私は本格的に魔力を使用していない。…なるほど、通常考えられない話では有るがそんな事を言い出せば一番最初からとても信じられる話ではない。あの時爆発的に増加した魔力の中には私が普段使っている魔力とは別に貴様の血から得た独特の魔力が存在した。以降私が肉体強化しか使用しなかったためその魔力は私の中に残留、今回私が本格的に魔力を使用したためにその魔力が初めて利用された。ああ、本当に余程の馬鹿でもなければこんな事気付く筈もない」

「おお、いきなり長文を話し出したな」

何かヒントにならないかとエヴァンジェリンから言葉を引き出そうとしていた哲だったが、目の前でエヴァンジェリンが一人答えに近づいていくのを見たときには既に謎を解こうとする姿勢など見せず他人事の様にそう言った。

とはいえ、それも実の所表面上そう装っただけであって内心目の前から玩具を取り上げられた子供のように残念だと思わずにはいられなかった。

一人黙々と呟きながら考えを巡らせて行くエヴァンジェリンを見て小声でずりーと言った哲には気付かずエヴァンジェリンは、頭を回転させ続ける。

その様子はあたかも夢遊病者のそれであり、独り言の内容も魔法を知るものには寝言としか思えないような物だった。

しかしただ一人それを事実だと確信しながらエヴァンジェリンは一歩ずつ一歩ずつ飛躍してしまいそうになる思考を精一杯押さえ付ける。

「という事はつまりこいつの体にはあの時まで魔力が存在しなかったということか? いや、そうとしか考えられない。しかしそれ以前、あの森で見つけたときには既にこいつは一度間違いなく死んだ状態からの復活を遂げている。しかも登校地獄を解呪する能力も同様だ。そうするとこいつには魔力には全く依存しない特殊能力が存在し、しかも強度は前代未聞。魔力があの時まで一切感じられなかったにも関わらず今は確実に世界最強の魔力を持っている事を考えれば、もしかすると気に関しても同じ事が言えるかもしれない。そう、元から存在したのではなく存在さえしなかった物が一瞬で今まで誰も手にした事のない程の強さになる。という事は未知の能力も確認できた瞬間には使用できるということか? その上発言する能力は並大抵の威力ではない。………はああああああっ!!!? こんな事を考えるなんて私はバカか? 絵空事を口にする馬鹿共を見下してきた私が…でも、そうとしか思えん」

「もしもーし、エヴァンジェリンさん? 私にもついて行けるように噛み砕いてお話いただいても」

「喧しい、それより貴様実験だ。少し血をこれに付けてみろ」

「はあ? ……はあ」

哲の質問には取り合わずにエヴァンジェリンが差し出したのは一冊の本だった。

極々普通の何処にでも有る、皮で装丁された一冊だ。刺繍されたタイトルは全く読めなかったが、全体的にセンスに古臭さは感じない。

表紙の何処を見ても染み一つなく状態の良さを窺わせるそれを前にして、哲は首を傾げる。

何も変なところが無い事が逆に変だった。

「見ていろ、直ぐに変わる」

そして呪文の詠唱を始めたエヴァンジェリンを横目に何が起こるのかと喉を鳴らすとその変化は間を置かずに現れた。

本の端が艶のある焦げ茶色から無機質で表面がザラザラと粗い灰色に変わったのだ。

変化はそれのみに留まらず灰色の部分は本の5分の一、3分の一、2分の一と徐々にその版図を広げて行き半分よりも多くなったかと思うと拡大の速度を急激に速めて本の全体を覆いつくした。

「これは……石か? 石化したのか」

「流石に上位悪魔が扱う物には劣るが、それでも並の術者には解呪出来ないだろうな」

「これに俺の血を掛けるのか」

痛みを覚悟して自分の親指の表面を強く齧って出血させると、勢い余って指の肉を少し抉ってしまって思いの外勢い良く血が溢れ出して来た。

耳元で聞こえるドクドクという心臓の鼓動に合わせて血が湧き出して行くのを、口元から僅かに声を漏らすだけで堪えると哲はエヴァンジェリンの持つ本の上で指から本に血の雫を落として見せた。

エヴァンジェリンが哲の行動に首を傾げて答えを急かすような視線を哲に向ける。

が、哲はそれを黙殺して本に変化が表れるのを待った。そして。

「おい、哲? これは!?」

変化はエヴァンジェリンが本に魔法を掛けた時よりも顕著に表れた。

石化するときは端から全体に向かって時間経過ととも反応が広がっていったが、今回は一瞬にしてごつごつとした感触の灰色が元通りの焦げ茶色に戻ったのだ。

瞬きよりも短い早業で完全に本は石化から脱していた。確認のため本をパラパラと捲って行っても石化したままのページは一枚も見当たらなかった。

「………なるほどな。あっはっはっは、どうやら私は夢でも見ているようだ。悪いけど夢が醒めたら起こしてくれ。血そのものが私の呪いを跳ね除ける程の力を持つなんて、ああ全く今更だけどなんておかしいんだ。幸運にも登校地獄が解けるなんてそんなの夢意外の何者でもないというのに」

「それが信じがたいことに真実なんだって。現実逃避は俺の専売特許だろうに、600歳オーバーが聞いて呆れるぞ」

「やあかましいわああああ! この歩く非常識めっ! 神獣の血でもこんな力はないぞ。信じない、私は信じないぞおお!!」

「いや吸血鬼に非常識言われてもな、この上ない非常識がお前だろ。常識とか口にしていい生き物じゃないぞお前」

「そんな私が霞むくらいに貴様の存在が滅茶苦茶だと言っとるんだ。いや人間として強さの最高峰にあったナギの奴ですら貴様の様な出鱈目な力は持ってなかった。本来ライター位の大きさの火にしかならない初級魔法で上級古代語呪文に匹敵する熱量を現出させるだと? はは、それじゃあなんだお前の魔法一つで国一つ吹き飛ぶだろ。まるで聖書におけるソドムとゴモラのようじゃないか。まさか貴様自分が神だとでも言うつもりじゃなかろうな?」

「当たらずとも遠からずって所だな。さっきの恐ろしい子供が言ってたことは間違いなく全部真実だし、俺はあいつと同じだけの力を与えられてるらしいからな。まあまあ今は細かいことは忘れてさっさと地上に帰ろうじゃありませんか? どうせ今日同行した人には明日にでも説明する場を作ることだし」

「うあ……この15年で初めてだぞ、ここまでの頭痛を感じたのは」

「おいおい頭の血管は大事にしないとダメだぞお婆ちゃん」

軽口に対して憤慨したのか足の甲をエヴァンジェリンに踏み抜かれ、哲は悶絶した。

「誰がババアだ。どっからどう見たってぴっちぴちの美少女だろうが」

「いや、…その表現が既に還暦入ってる、ってうおおおおっ!」

もう一度哲の足を踏み砕こうと右足を上げるエヴァンジェリンの気配を感じてずさっと飛び退いて距離を取るとエヴァンジェリンは痛みに耐えるように頭に手を添えるのだった。

その仕草があんまりにも年不相応に似合っていたものだから哲の笑いを支配する中枢に、刺激が殺到して吹き出しそうになる哲を視線でエヴァンジェリンが黙らせる。

相性が良いというか悪いというか後から首を傾げて思い耽る事になるとは思わない哲は自らの足の甲の安全を守るために、状況を動かすことにした。足を動かしていればいずれは笑いも収まると考えての事だ。しかし哲の考えは甘かったと言うしかないだろう。

「ウッ、あの…ウプッ、疑問も解決したことだし、……ククッ、此処を出ぷ、出ようぷ。あ、あは、がくえんちょうがあああ!」

「ああ、いい加減ジジイ共を待つのも飽きた。さっさと出ていくぞ。だから取り敢えず黙れ、殴るぞ」

そもそも笑いが収まらない内は哲はまともに喋れないくらいおかしかったからだ。

殴ってから言うな、などというありきたりな突っ込みを入れる好きは無かった。

腹に綺麗なボディーブローが入って痛みに叫んだはいいが、それでも笑いが収まりそうに無かったからだ。

更なる報復を恐れた哲は急いで口元を手で覆って笑いを堪えることにしたのだった。

それでも隠しようのない目元の笑いが気にくわないのか拳を握るエヴァンジェリンに、非があったとは誰も言えまい。

「まあいい、滝の裏に空間がある。行くぞ」

それでも哲に声をかける辺り、哲の中で善人のカテゴリからはみ出さないエヴァンジェリンだった。

室内にあるまじき規模の滝を見て某芸能人を思い出していた哲とエヴァンジェリンの前に非常口が姿を現した。

広大な空間がまるごとファンタジックな空気に満たされているというのに無骨な金属製の扉と緑色の照明に色々なものを台無しにされた気分になったが、扉を開けて先に進むと更に気分は悪くなった。

「なんだこれ? 『問1 英語問題readの過去分詞の発音は?』? レッド」

行く先を阻む壁に刻まれた文章を読み上げ、逡巡もせずに哲が即答するとぴんぽーんと音が鳴って壁がなくなったのだ。

反射的に読み上げ反射的に答えを口にした哲が、エヴァンジェリンにその無警戒ぶりを咎めるように軽くこづかれたが、それ以上は何も起こりそうにない。

壁の向こう側には更に奥へと続く通路があったが、道が開かれた感慨もなく哲はこの不調和に密かに文句を募らせる。ロマンも何もあったものではない。

「爺のやつ一体何を考えている? あんな舐めた物を用意したかと思えばどれだけの魔法教師を集めたんだ?」

「そんなに沢山いるのか? 集まっている人っていうのは?」

哲はそのまま道なりに足を進めようとしたが、エヴァンジェリンが後から付いてくる音がしない。振り返ってみるとエヴァンジェリンは足を止めたまま何か考え事をしているようだった。

「20人は居る。それもこの学園にいる魔法先生の中でも上等な部類の連中ばかりだ。爺本人にタカミチ、ガンドルフィーニ、明石、葛葉、シャークティ、神田羅木、瀬流彦の奴もいるな。捜索するにしては過剰戦力だし、動きがないのは異常だ。おまけに近衛木乃香や一般の生徒が居る状況でのゴーレムの暴走。先程のがガキ共の為に用意されたものだとしてもおかしな点だらけだ」

哲にはエヴァンジェリンが深刻に考え込んでいる理由が理解出来ない。というよりも度重なる非日常的体験のせいで心労が重なったばかりか今日は早朝から殆ど寝ていないせいもあって肉体的な疲労もピークに達しようとしていた。

おまけに気絶とはいえ中途半端に休息をとったせいか緊張の糸が切れて今にも瞼が降りてきそうだ。

うっかりその辺に座り込んでしまったが最後そのまま眠ってしまいたくなる程眠たくなっている。

「何でも良いって。さっさと帰って寝たい。ふ」

学園施設で加えて非常口などと書かれた場所にトラップが有るとも思えず、そのまま考え倦ねているエヴァンジェリンを背に通路を先に進む哲。

照明がなく光を吸い込んでいるのではと疑いたくなるほど暗い通路が終わり、開けた場所に出ると光のせいで欠伸が出た。

眼尻に涙まで滲ませてその眠たさも相当の物だろう、ついでとばかりに伸びをしてその後体を捻ってリラックスしようとした哲の喉に空気意外の予想だにしなかった物が侵入した。

それは、哲の真後ろから無音のまま迫り、哲の首筋にその切っ先を埋めて肉を切り、血管を裂いて埋没していく。

その勢いには寸分の迷いも躊躇もなく切れ味鋭いそれが最大の威力を発揮することに余念がない。

まるで刀を鞘に納刀していくような滑らかさで哲の体に滑りこんでいくそれは、哲の体が痛みに悲鳴を上げるよりも早くある場所に到達した。

背骨だ。

全身の神経が一纏めになって収められた管とも言えるそれ、そして人間の骨の中でも取り分け強靭な筈のそれをいとも容易く分断する。

本当に鋭い刃物で切断された物質は周囲にその衝撃を伝えない。

最初からそれがそうであったかのように一つの物が二つになり、切り裂かれたものだけが喪失したように見えるというが、元来が相当な腕前の鍛冶師に打たれたのだろう業物を気という常識はずれの力で強化したそれはそんな神業染みた所業を軽々とおこなってみせる。

その上それを振るう人間がそれに見合うほどの腕の持ち主とくれば、唯の人間の体など紙くず同然だ。

人体の中で最も堅固な鎧をこじ開けて、その中に収められた物を悉く斬断した。

全身のあらゆる運動を支配し、あらゆる感覚の通り道となる脊髄は薄い金属を間に挟んだだけで重篤な障害が発生する。

常に脳によって姿勢を制御されなければ立っていることすら出来ない生き物ではそうなってしまったが最後、あらゆる生命活動は惰性の範囲内でしか行われなくなってしまう。

肺が空気から酸素を取り込むことも無ければ、心臓はもう自ら拍動することはない。

生命として逃れられない死に捕まってしまうのだ。

とはいえいかなる働きによるものか、最早脳から電気信号によって命令が下されることなどないというのに哲の体はジタバタと暴れだす。

痙攣という奴だろうかと哲が今の哲を横から見ていれば冷静に思ったに違いないが、体を刀一本で支えられてそこを支点にしてガタガタと上下に激しく揺れる視界と、激しい痛みではまともな思考よりも意識の暗転の方が仕事が早かったらしい。

丁度先程迄散々哲を苦しめた睡魔に引き込まれる睡眠のように、哲の意識が飛んだ。


飛んだ、と思った時には既に目が醒めていた。

そこまでは矢張り睡眠に似通っていた。

しかし、これは。哲の体を貫通して赤く染まりながら未だに銀色に鈍く輝く刀が哲の視界に映った。

そして焦点がずれて離れた位置にいるエヴァンジェリンも。

まだ神経で繋がっている首から上の部分は哲の意思に従ってくれているのか、口も動く。

とはいえ気道を塞がれ肺も収縮しないのでは声も出ない。

どうせ何も出来ないならこの凄まじい痛みがさっさとなくなってしまうように死んでしまえた方が良いのに。

いい加減長生きした身としては臨終するのも悪くない。

などと19の身空でめちゃめちゃな痛みが脳を駆け巡る傍ら考えているというのはどうにも現実離れしているし、荒唐無稽の極みなのだが現実だと言われてしまえば鼻で笑うこともできやしない。

とはいえギロチンで処刑された人間の生首が体から切り離された後も話したというオカルトチックな記録も残っている。

断末魔の叫びを上げる為に用意された死の寸前の瞬間でもあるのだろうと考えた哲は、しょうがないので大人しくもう一度意識が飛ぶ瞬間を待つことにした。

きっと今度こそこの世とのお別れとなるだろう。

そもそも一度死んでいる身としては既にあの世に居るような気分でもあったが、次訪れるのは本物のあの世である。

願わくばアリストテレスの言っていたように素晴らしい所であることを期待したいが、神があのザマでは確実に自分には過ごしにくい場所だと推察できる。

その上確実に行くとしたら天国ではなく地獄である。

生まれたからこちら善行も孝行もした事はないと断言出来るだけにこれだけは間違いないと胸を張れたが、もしかしたら神の恨みを買ったせいもあるのだろうか。

あの手の性格をしていた人間は大抵一度恨んだ相手は死んでも憎い相手である。

自分のように何もかもがどうでもよければ或いは翻意も期待できるのだが、そんな事は考えることすら無駄骨だろう。

死を目前にしてはどんな偉大な思案ですら暇つぶしにしかならないが、その手の頭の中で何かを行なって時間を無為に費やすことならプロフェッショナルを自称できる哲は、最後に何を考えるべきか考えてみるという実にくだらない作業に没頭するのだが、幾ら時間を浪費しても哲の目の前は真っ暗にならない。

意識が薄れていく感覚もなければ痛みも無くならない。

手も動かなせない癖にご立派に痛みだけはありやがると恨み言を吐きながら体を揺すろうとしてみる。

勿論やるだけ意味のない行為だと理解した上でやるせないむず痒さのような物を出来たら解消する為の、決して物質的世界に干渉しない言わばただの思考でしか無かったそれに追従する物がある。

自分の顔の横を通り過ぎたそれを見るとそれはまごう事無き自分の腕。首を傾げながら哲の思考は遅々とした速度で回転していく。

まず、手。動く。次に足、動く。腕、動く。腿、動く。呼吸、出来る。

おかしい、死ぬはずだったのにいつの間にか生き延びそうになっている。

これを口にしていたらエヴァンジェリンや神は溜め息を吐いて、哲に対する認識を一つ改める事だろう。

こいつは全く人の話を信用していない。

とはいえ、常識人を自認する哲にとっては如何に今生きている環境がファンタジーまみれだとしても自分だけは今も、以前の世界で言うところの標準的な人間である。

それが生まれ変わりや死者蘇生をそう安安と信じるはずもない。

いや、信じていたとしても常識を書き換えていくには時間が足りないと自己弁護するのだろうか。

本を読んで心の底から感動したからといって本の内容を覚えていないようなものだと言ったかも知れない。

ふむ、とはいえ体が動くならこの首に刺さった金属から首を抜くことも可能だろう。

そう考えた哲は首を動かすが、生きたまま喉を刀が通過する感触、具体的に言えば猛烈な痛みと激烈な異物感から来る吐き気に襲われた。

今度こそ哲の思考が止まった。

最初はそれを痛みだと認識することも出来なかった。
いきなり何の前触れもなくどうしようもない気持ち悪さに襲われ頭の中が完全にそれ一色に染まってしまった状態。

その上それとは全く別に肉体的生理的反射で胃がひっくり返るような感覚を味わわされた。

横隔膜が跳ね上がって胃に衝撃が走った錯覚、しかも動けば動くほど痛みも吐き気も強くなるのに自分はもう自分の姿勢を維持しようと意識することもできない。

仰け反って痛み、項垂れて吐き気に苦しむ。食堂が燃えるように痛み胃の内容物が逆流している事に気づく。

しかし幾ら胃の中身がせり上がろうとも終着点に着くことは出来ない。

食道の半ばに突き刺さった刀が完全に気道を塞いでいるのだ。

そこから先にはどうやったって辿りつけない。その割りには今も哲の意識がはっきりと鮮明な状態を保っているのはどういうからくりなのか、どうせミラクルパウアーだと分かっていてもそんな事を考える余裕が有ったなら問い詰めたい。

いっそ倒れこめば地面を使って一気に刀を抜くことも出来ただろうが、哲の背後で刀を構えたままの人間は刀を離す素振りを見せない。

前に進むことも後退することも出来ず不気味なヘッドバンキングを繰り返すしかない。

頭の中が真っ白になるくらい強い痛みと凄まじい吐き気が、いつまでも哲の体の中で脳を蹴り上げ続けて何も考えられぬまま苦しむ事しか出来ない哲の姿に漸くエヴァンジェリンが異変に気づいた。

「な、なあっ?! くそっ!」

哲の体から日本刀らしき物の切っ先が突き出ているという突拍子もない出来事にも関わらずエヴァンジェリンは硬直することもなく、直ぐに哲に向かって駆け出す。

最初の一歩で異常な加速を得たエヴァンジェリンは一気にトップスピードに乗り二歩目を踏みしめた後には低く直線的な軌道を描いて銃弾より早く跳躍した。

ドンと音がしてエヴァンジェリンが居なくなった後の地面が大きく陥没する。

エヴァンジェリンは確信する。

哲を助けて敵を殺すまでに一秒もかからない。

哲を飛び越えて刀を奪い、刀を伝う血が滴るより先に敵の手を砕いて怯んだ相手に全力の拳をお見舞いする。

その上で甚振ってからバラバラに引き裂いて殺してやるのだ。

未だ嘗てない体験したことのない大きな全能感。

心臓を中心にして何かが血管を通って全身を光と同じ速さで巡り、法悦に陶酔する。

哲の頭上を飛び越えて、通常では考えられないほぼ直角の軌跡で相手と哲の間に滑りこむ。

後は自らの腕を揮うだけで、相手を血祭りに上げるだけ。

相手はエヴァンジェリンが目の前に居ることにすらまだ反応できていない。

ノロマがと心の中で敵を罵倒すると同時に心の中で昏い歓びが立ち上ってきて、堪らずエヴァンジェリンは口が裂けるほど大きく唇を歪ませた。

「ガッ!!?」

しかしてピンボールの様に弾き飛ばされたのはエヴァンジェリンの方であった。

加速した思考が驚きで停滞し、事実を飲み込むより早く壁に激突した。

二十メートル程の直径を持った円柱状の空間、その端から端まで辿りついてもまだ、驚愕によって作られた心の間隙を埋めるには短い。

エヴァンジェリンの体を包む魔法障壁が大半の衝撃を吸収したが立ち上った煙幕までは抑えきれない。

暫らく呆然としたまま何も出来ず立ち尽くした後、煙が晴れると同時にエヴァンジェリンも捕らわれた己を取り戻した。

有り得ない。

封印状態ならいざ知らず、今の自分は封印を解かれた状態だ。

老化によって全盛を忘れる人間ではなく、闇と共に永劫を歩き滅びる事無き吸血鬼が長きに渡って研鑽を続け悪夢とまで呼ばれた自分が、その上ブランクを無視して余りある大幅なパワーアップを果たした今の状態で何をされたのかすら分からなかっただと?

未だ揺れ続けるエヴァンジェリンを横目にして、エヴァンジェリンを吹き飛ばしたそれは哲に対して更なる苦痛を与えようと腕を閃かせた。

「い、一体何がどうなっている? 貴様達何を!?」

エヴァンジェリンの疑問の声も遠く、柔らかい光を紅く染めながら煌きが哲の首を軽やかに撥ねた。鮮やかな手前だ、余計な音一つ立てず首に入った刀は最後まで哲に振り返ることを許さないままに仕事を終えた。

「おぎゃあああああああ!!」

滝が立てる音が遥か彼方にその気配を漂わせる以外には風も吹かない空間に大きく悲鳴が反響する。下手人はその悲鳴を上げる源を見据え、更なる暴力のために歩みだす。

その後ろに幾つもの足音を従えながら。

そしてエヴァンジェリンは茫然自失したまま、哲の首が悲鳴を上げる様を見ていた。

苦悶の表情を浮かべている。

とてもこれが人間のする形相ではないと、死から遠ざけられて育った現代の人間なら思っただろう。

幾つも深い皺が憎しみの深さを表すように顔中に走り、カッと見開かれた目からは血涙を流すのではないかと見紛うほどの想念が溢れでて、限りない災いを生を謳歌する全ての人間に投げつけると一度でも聞いてしまえば以後そういう風にしか見れなくなってしまう。

網膜に焼き付いて忘れることすら許さず死が安寧を齎す日まで呪い続けるそれは、エヴァンジェリンにとってはしかし物珍しい物ではなかった。

今までこんな表情を浮かべた生首を幾つも見たことがある。

それは時には自分が殺した誰かの物であり、時には偶々立ち寄った戦場で見かけた物だった。

男も女も老いも若きも戦いの果てに死ねば、戦場という地獄の中で果てればこういう顔を浮かべる者も少なくない。

エヴァンジェリン本人も恐らく力を付ける前には何度かこうした表情をした事があっただろう。

しかし、15年を人の中で過ごして非力な少女という軛から解き放たれ最初に見る光景は良きにつけ悪しきにつけエヴァンジェリンに新鮮な衝撃を与えていた。

哲の首が飛んだ時など本気で息を飲んで卒倒しそうになった。

哲の死体なら既に二度も見ているというのにである。

知っている人間が目の前で死ぬというのは今になっても嫌な物らしい。

まだまだ人間臭い部分が残っている部分を喜べば良いのか嘆くべきなのかは分からない。

そしてもう一つ、自分以外の生首が胴体から離れた後も壮絶な悲鳴を上げる光景、その異様さである。

壊れていなければならない、失われていなければならない物が依然としてこの世にあり続ける不条理。生理的な恐怖や嫌悪を呼び起こす破壊された肉体が、尚生者のような振る舞いをする不気味さはいいようにない感覚を呼び起こす。

これが吸血鬼か。確かに忌避するのも納得だな。

生き汚なさを誇ったことは有っても恥じたことは無かったが、なるほどある程度まともな感性を持っていれば異様に感じるのは当たり前で有ることを痛感する。

そして同時に自分をこんな生き物にした男に対する憎しみも僅かに再燃する。

復讐を果たしても鎮火しきらないその炎は同時に自分の運命を憎む怨嗟の泣き声でもある。

本来ならばそれから目を逸らすことに少なからず時間と思考を割かなければならない所だったが、今回はそうも行かなかった。それ以上の異常な体験がエヴァンジェリンの思考を何もかも吹き飛ばしたからである。跡形もなく。

「葛葉刀子! それにジジイ、タカミチも。貴様達正気か!?」

吹き飛ばされた哲の首、それに向かって歩く姿は見間違いようもなくエヴァンジェリン自身自らの見たものが信じ難かったが、正真正銘刀を持った人間は麻帆良学園の葛葉刀子その人である。

その背後には学園長近衛近右衛門や高畑.T.タカミチ、瀬流彦や明石、神多羅木やガンドルフィーニと言った見慣れた顔もある。

全員麻帆良学園の魔法教員であり、エヴァンジェリンとの面識もあった。

エヴァンジェリンに接する態度こそ冷たい物だったが、基本的に誰もが善良な性格をしており、このような行為に及ぶ者たちだとはとても思えない。

「いや、間違いなく正気は失ってるよ。あー、イテエ。本当何処まで本気なんだあのオッサン」

「黒金!?」

「そうです、黒金です。…ああ、なんかヤバイライン超えたのかな。あんま痛くなくなってるよ、コレ」

普通アレほどの損傷を受ければ痛み云々よりも先に、極普通に死ねるのだが生きている上に一気に痛覚が麻痺してしまったらしい。耳をつんざくような声もとうに収まっている。

「貴様この状況に心当たりが?」

「いや、言っておくけど殺されるほど恨まれた覚えはないよ? ただ、俺が死んで喜ぶ人が居るからな。どうせ、また嫌がらせの一環だろ。帰ったと思わせといて不意打ちでどん、みたいな。性格の悪さが透けて見える作戦だな」

「言っている場合か! 何処の何奴だそんな事するのは?」

「さっき会ってたじゃん。あの女の子の格好したオッサンの事だよ」

事も無げに言っている哲だが、エヴァンジェリンの見立てではただの少女にしか見えなかった。

確かに圧倒もされたが、麻帆良学園の魔法教員と言えば魔法使い全体で言えば優秀な部類の人材ばかりである。

それもトップに近い連中は本国で探しても中々見つからない程の手練だ。

近右衛門にいたってはこの麻帆良学園限定でエヴァンジェリンを凌駕する可能性すらある強者だが、そんな連中をこうして何十人も洗脳、或いは操作出来るほどの力が有るようには思えない。

「信じられん。ただの小娘にしか見えなかったぞ」

「その割りには俺と彼奴の会話に誰も口を挟んで来なかっただろ。あの状況で黙ってられるような連中じゃなかったはずだが。それに…ってうおおお、やべええ! ヤラれる、ヤラれちゃう。拾いに来い俺の体! あれ? あれれ? 動いた。胴体が動いてる。そうだ、こっち来い。もうちょっとっていぎゃあああああああ!!」

脅威の接近に気づいて、脱するために体に呼びかける哲。

呼応するように独手に体が動き出すが、ふらふらと危なっかしく、どうやら感覚としては通常通りに体を動かす感覚で離れた体も動いているのだが指令を出す首がいつもと違う視点に戸惑ってしまい、哲の首に先にたどり着いたのは哲の胴体ではなく、魔法教員達だった。

小さな的に叩き込まれる夥しい数の魔法の矢。

属性も単一ではなく術者の数だけあると言っても過言ではないだろう。

基本の属性水火風土光闇と派生する雷や氷、滅多に見ることが出来ない花や木といった属性まである。

哲の視界を埋め尽くすそれは一発一発が常識的な威力を超え、小規模な爆発を起こしているように見えなくもない。

殴られ燃やされ切られ掴まれ押し潰され凍られ吹き飛ばされ、しかしそれらが全て同時に哲の体に押し寄せたせいで哲の首は逃げることも出来ずに浴びせ続けられる。

最後のおまけに重力魔法を圧縮された上から大量の炎を浴びせかけられるまで攻撃の手が休まることはなく、攻撃が静まれば哲の首があった場所は原型を留めておらずはっきりとクレーターが刻まれたいた。

哲には悪いが最初の一撃で、自分がどうこう出来るレベルを超えていると感じたエヴァンジェリンは静観を決め込んだが、殲滅戦のような執念深い攻撃に晒された哲が果たして再び蘇るか少し心配になる。

いやしかし彼奴自身の使う魔法に比べればこれでも子供の火遊びの息を出ない威力だしななどと自己正当化しつつクレーターの中を覗き込むといつの間くっついていたのか五体満足になった哲の姿があった。

衣服は完全に消滅しているが、肉体は傷一つ負っている様子がない。

「いてえじゃねえかよ。って言ってる場合じゃないな。どうしたものか」

「早く対処しないと不味いんじゃないか? タカミチとか葛葉とか前衛連中まで参加するみたいだぞ」

「でもなあ、俺が嬲られるのが多分企画者的に一番望んでいる展開の筈だから、いっそこのままヤラれ続けるのが一番早い気もするんだよな。痛いけど。いいいいいいいいいいいいいいいいたあああああああああああああああああいけどなあああああああああああ!!!!」

素っ裸で恥じらう様子もなく叫んでいる哲に今度は魔法ではなく斬撃や剣戟が加えられる。

弾幕に遮られた先程とは違って、斬りつけられた傷も殴られて浮き上がる体も見える。

初弾は高畑の一撃だった。

最初から出し惜しみをせず咸卦法を使用した上で揮われたそれは豪殺居合い拳。

これもまた強化されているのか無防備に食らった哲はたったの一撃で地面との間にサンドされて圧殺された。

トマトを潰したような水っぽい音と共に血の匂いと赤い液体が飛び散ったが、容赦無く二撃目が哲に襲いかかる。

男子高等部に務める体育教師、熱血硬派で一部の生徒から人気を集める男は普段からジャージを着て授業を行なっているのだろう。

黒いジャージを着た影が高速で哲の居る穴に向かって落下する。

徹底的に気で強化された踵落としが放たれる。これでもかと言わんばかりに哲の体を押し潰し体の中心に大穴を穿ったそれは、食らった哲としてはギロチンと大差ない。

使い古されたスニーカーが真紅に染まり、ぬちゃぬちゃと音を立てながら既に絶命している哲の内蔵をかき回す。

意識もなく飛び跳ねる哲の反応を一頻り楽しむと突き刺した足を引きぬいて哲の肉体を蹴り上げる。

サッカーボールの様にぽーんと宙に浮いた哲の体に、今度は日本刀が斬りかかる。

哲の体が恋しいとでも言うのか、まずは哲の体の輪郭を確かめるように額から腹の辺りまで皮一枚だけを綺麗に切り裂く。

何をするのかと思案したのも束の間、乱暴に額に手が伸ばされてそこから皮を下に向かって一気に剥かれていく。

強く張り付いた皮を肉から引き剥がす作業は強い力を要するが、気で身体能力を強化すれば女子供でもやってのける。

が、それをされて痛みを耐えられる者は地上に一人もいないだろう。逃げようとしても掴まれた皮と肉が邪魔をして、いやそもそも逃げようと考えることすら出来ず腹までの皮を剥がれた哲は引き倒され、同じように背中の皮を剥がれた。

それが終われば四肢を切り落とされ、体の中心に刀を突き立てられる。

うなぎの解体と同じ要領で哲の動きを禁じようというのだろう。

その段階で既に哲の回復能力が発動して哲の傷は残らず癒されたが、太腿に括り付けられていた脇差を取り出して今度は頭から哲を刻んでいく。

刀が振り下ろさえる度一つ肉片が増えていく。

切られては治り、斬られては直る。

徐々に哲の回復速度が増していく。

それでも刀の煌きが止むことはない。

右に左に哲の体を通過してその作業に没頭する。

頭首肩背中腰脹脛太腿足首足小気味良く調子よく時計の秒針が音を立てて回るように。

チクタクチクタクチクタクチクタク。やがて哲の血液が血の湖を作り哲の体が刀を弾き返すようになるまで。
壮絶に凄惨。

金属同士が衝突して弾き返される音が空洞に響き渡って山彦のように反響するのを聞きながら、その場にいた全員が正気を取り戻した。唯一人の例外を除いて。

夢見心地を引きずりながら目を覚まして何も考えられないまま息を吸い込んだ。

本来ならばそれはこの世で一番平穏に近い、平凡で平穏な空気。

そうであるのが当たり前で、そうあることは退屈で、そうだったなら幸福だった。

だが、彼らの鼻腔に香ったのは喩えようもない絶望の匂い。

濃密で芳醇で吐き気を催すここに有ってはいけない匂いだ。

体中に電撃が走ったみたいに一瞬で意識が戦時のそれに切り替わる。

伴侶や子供、両親といった家族や友人や同僚といった知人、或いはこの学園都市における宝である生徒達。

心の中に浮かぶものはそれぞれ異なったが皆一様に胸に抱いたのは、誰かを守るという強い意志である。

立ち上がったまま眠っていたというおかしな事実にも気付かないまま、目を開いて天地がひっくり返るような感覚を覚える。

それぞれが手に握った武器や肉体、呪文を詠唱したその口に残る実感。

そして目の前に広がる血の海、臓物の山、刻まれた攻撃の爪痕。

空間に沁み込む程に長い間響き続けた叫び声と痛みを訴える悲哀の念。

極めつけに体中を濡らした血。

恐る恐るその事実が明らかになる事を畏れながら指先で血に触れる。

でもその指先すら血塗れだった。

なんてことはない。

そう笑えるものはこの場には一人もいなかった。

僅か十数年前にあった大戦を経験したものも居る。

しかし、そういった抗いようのない大きな流れとこれとは何もかもが違う気がした。

脳の中の優秀な器官が、いかんなくその機能を十全に利用して自分に教えていた。

自分が自分の意志で自分の為に目の前の惨劇を作り上げた事を。

「おい、黒金。しっかりしろ! 大丈夫か!」

逃れようのない自らの記憶に首を絞められ窒息しそうになった人間を無視してエヴァンジェリンが哲に問いかける。

辺り一面が哲の血液に濡れている状況に我を忘れて血を啜りたくなったが我慢する。

乾いた喉が水を欲するような強い衝動は、初めてそれを味わった時よりもずっと大きな物だったがまだギリギリ堪えることが出来る範囲だ。

確か最初に血を吸った時は此処までの魅力を感じなかった筈なのに。

もしかしたらコイツの血には依存性でもあるのかもしれんと笑えない冗談が頭を過ぎるが、掌に爪が食い込むほどに握り込めば久しく味わっていなかった痛みという感覚が血に酔いそうな頭を覚ましてくれた。

「あ…………………あ、あ……あああ」

今にも爆発しそうな何かを抑えこむようにぎゅうっと自分の体を抱きしめている哲。

口は大きく開き息を吸っては子供が出すようなか細い悲鳴を漏らしながら、瞳孔の開ききった瞳から大粒の涙を流している。

自我崩壊。不吉な言葉がエヴァンジェリンの頭に浮かぶ。

不滅の肉体を持ってしても心の崩壊には耐えられない。その癖肉体に過度の負荷が掛かれば心は壊れてしまう。

不老不死の怪物・エヴァンジェリンが恐れる物の一つだ。これに耐えるには仙人にでもなるしかないだろう。

強制的に意識の覚醒を促す魔法を使えばとも思ったが、エヴァンジェリンにはその魔法は使えない。かと言ってオロオロと取り乱している周囲の連中にも頼れない。

無理も無いことだったが、エヴァンジェリンは舌打ちをしながら視線を哲に戻そうとした。

ドンと強く体を突き飛ばされて、エヴァンジェリンの背中が地面に打ち付けられる。

気を張った状態の吸血鬼に動きを悟られず、しかも全く抵抗を許さない。それは音をさせずに爆弾を爆発させるような行為だ。

それを為した誰かが言う。

「エヴァンジェリン、こ、此処から出来るだけ早く…離れろ!」

唾を飛ばしながら必死の形相で、その誰かはエヴァンジェリンに向かって叫ぶ。のほほんとしたいつもの表情とは掛け離れた、本当に追い込まれた人間のする顔だ。

いつも馬鹿みたいなにやけ面か無表情でいる哲が、そんな顔をしているギャップに驚きながらエヴァンジェリンは頭の中に疑問符が湧いてくるのを禁じ得なかった。

「はあ? 急にどうした。 連中ももう目を覚ましたみたいだし、これ以上何が」

「い、いいから!! 早くしろ!」

語気を荒くする哲を見ながら、しかしエヴァンジェリンの視界の中で哲が徐々に変質して、見知らぬ誰かに変貌していく。

顔も形もそのままだというのに、哲の体が猛烈な勢いで肥大していく錯覚に襲われる。人の形を保つ事など気にもかけず、思いのまま、衝動の赴くままに大きくなっていくそれは、エヴァンジェリンには獲物をその牙で噛み砕こうと忍び寄る大型の獣に見えた。

「ああ、不味い。これは不味いって。ああ、ああ、ああ、ああああああああ。本当に、駄目だ。もう我慢出来ないよ」

一言一言区切って喋る哲。その度獣の影は大きさを増していき、最初は標準的な獅子程の大きさだったものが、いきなり2メートルも大きくなったかと思うと、次は一軒家、更にという具合に大きな円筒状のこの空間に、ギリギリ収まる程度になった。

エヴァンジェリンの直感が危機の到来を教えるが、これでは余りにも遅すぎる。車が突っ込んできてから逃げようとするような物である。

転移の呪文で離脱することを考えたが、他の魔法教師たちを連れていくには距離が開きすぎだ。その自分達のした行為に気を取られて全く状況を把握できていない。

迫りくる暴虐の予感。それは間違いなくこの場にいる全員を死体に変えるだろう。

地震や津波、台風のような物だ。人間では絶対に対抗できない時のような巨大な力に押し流されるビジョンが目に浮かんだ。

下手をすれば吸血鬼の自分でも死にかねないと、長い間の経験から培った直感が警鐘を鳴らしている。

選ばなければならない。自分一人で逃げるか、それともタカミチや近右衛門達を助けようとして諸共に薙ぎ払われるか。

こうして思考している時間すら惜しい。エヴァンジェリンが惑っている間に哲の様子が激変していた。

瞑っていた目はカッと見開かれ、眼球は真っ赤に充血している。噛み締められた歯が圧力に耐え切れずに砕け、勢い余って歯茎に刺さっても悲鳴一つ挙げない。腕を抱えていた腕は体中を引きむしって肉を露出させている。

痛みを耐えようとして、耐えかねる痛みから体を傷つけて、それが更なる痛みを呼び込んでしまう。

痛みの螺旋が徐々にその渦を大きくするに従って、聳える影も巨大化する。

異常な事態に遭遇していなければ、恐れに飲み込まれていただろう。それ位、影はもう成長してしまっている。

「チッ、すっかり私も甘ちゃんだな」

舌打ち混じりに自重しながらエヴァンジェリンは駆け出す。柔らかい地面に足を取られる事すら厭わしく、超低空で虚空瞬動を行なって全く力をロスさせずに一気にトップスピードに乗って行く。体の中から湧きだす力も恐れることなく注ぎ込んで、限界を超えて突進していく。

一番近い場所に立っていた二集院光から葛葉や名前も知らない魔法教師まで、次々に腕に抱え込んで抵抗を封じ、喚きたてる者は一括して黙らせていく。

抱えるのにも無理が来れば、転移の魔法を起動する。超高等魔法に分類される転移魔法。本来こんな息もつけない状況で使うものじゃない。かくいう自分も咄嗟の回避に使える程ではない。

転移させる物体の座標と転移させる先の座標。そしてそれを繋ぐ道筋もどれ一つでもミスをすれば壊滅的な被害を免れない作業だ。

しかし、無茶をしなければやはり待つものは死である。

600年、長きに渡る研鑽の末最強と呼ばれるようになって尚、こんなにも簡単に窮地に落ちる。

それも他人を助けるためなどという、想像もしなかった方法で。

脳裏に浮かぶ転移魔方陣。二重の正円の間に刻まれるラテン語の呪文と更にその内側に刻まれる力の象徴。それぞれの術式を安定させるために更に呪文を書き加えて出口と入口を繋ぐ。

冴え渡る術式構築過程に満足しながら、起動するための最後の材料である自身の魔力を注ぎ込む。

細心の注意を払って、注ぎ込む魔力が多すぎも少な過ぎもしない、ピッタリの量になるのを見計らって魔力の注入を遮断する。

暴走と言っても過言ではない魔力の猛りを沈めながらのこの作業は、今回に限って最も困難な作業だったが、これも満足の行く形で終え、後は本格的に発動する転移魔法で抱えた10人の魔法教師を地上に飛ばす。

この行程を後2回。たった2回繰り返すだけだ。

エヴァンジェリンいけるかと思って油断した瞬間。遂に押さえ付けられていた獣が蠢動を始めた。

大気が震える感覚に体が内側から震え出す。

エヴァンジェリンの転移魔法が発動する前兆として現れる、影のゲート。せめてとエヴァンジェリンが抱えた魔法教師をゲートに押しこむより早く

「いけえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」

「なっ!? 黒金?」

目の前の景色が光よりも早く滑っていく。感覚の欠落。本来あるべき時間の流れに逆らって刹那より早く移動していく。

転移魔法による移動の感覚が遅々としたものに思える一瞬の時間旅行の末、エヴァンジェリン達は図書館島と街とを繋ぐ長い橋の手元にいた。







そしてその日図書館島が跡形もなく消失した。


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