夜を征く。
夜を征く。
身に付けた仮初の『顔』が、救うべき者と立ち向かうべき敵の在り処を教えてくれる。
それに従い、彼女は夜の京を走り始める。
※
京都駅構内にて、4人の人影が対峙していた。
艶やかな黒髪に、吊り目がちの目つきが特徴の美女を見上げて睨みつけているのは、ネギ、明日菜、刹那の三人(ついでにカモ)である。
その三人を見下ろす美女――天ヶ崎千草は、己の得意とする符術の中でも、かなり高位の物である『三枚符術・京都大文字焼』が、敵の少年魔法使いに瞬時にかき消されてしまった事に、少し驚愕していた。
(ガキやと思っとたが、流石は英雄の息子っちゅー事か)
そう内心で呟く千草の足元には、気絶したまま、ここまで連れて来られた木乃香の姿があった。
「逃がしませんよ!!木乃香さんは僕の生徒で……大事な友達です!」
ネギが千草に言い放つ。その真っ直ぐな瞳は、生徒を取り戻す使命と、友達を奪われた怒りで燃えている。それは、その他のニ名――明日菜と刹那にも言える事だった。
「契約執行、180秒間!!ネギの従者、『神楽坂明日菜!!」
ネギが仮契約カードを通じて、明日菜に魔力供給を行う。
途端、明日菜の体にむずがゆい様な気持のいい様な、何とも言えない感覚と共にネギの魔力が流れ、その体を覆う。
「桜咲さん、行くよ!」
「え……、あ、はい!」
光に包まれた明日菜が、刹那を振り返って言う。それを受けた刹那は、ネギの放った魔法の威力や、変貌した明日菜に多少の戸惑いを感じつつ、頷いた。
「もうっ、さっきの火、下手したら火傷しちゃうじゃない!冗談じゃ済まないわよ!」
無論、千草にしても冗談でこんな事をしている訳ではない。
少しずれた怒りを放ちつつ、明日菜は千草に向かって走り出す。
「そこの馬鹿猿女ー!木乃香を返しなさーい!!」
叫ぶ明日菜に追走し、刹那も千草の元へ、正確に言えば彼女に囚われた木乃香の元へと向かう。
そんな彼女達を冷静に見据え、千草は向こうの戦力を改めて分析する。
(あの小娘がガキの従者か。威勢はええけど、見たとこ素人やな。神鳴流は元より想定の範囲内。問題はガキとその従者やけど、ガキに注意しとけば、この程度まだ何とかなるわ)
そう弾きだした千草は、懐から一枚の符を取り出す。
一方ネギは、契約した事によって従者に与えられる専用アイテム《アーティファクト》を明日菜へと送る。
「明日菜さん!パートナーだけが使える専用アイテムを出します!!明日菜さんのは『ハマノツルギ》』!武器だと思います!受け取ってください!」
「武器!?そんなのあるの!?よ、よーし!頂戴、ネギ!」
明日菜の言葉を受けて、ネギがアーティファクトを発現させる。
「能力発動《エクセルケアース・ポテンティアム》、神楽坂明日菜!『ハマノツルギ』!!」
その言葉と共に、明日菜の両手に光り輝く何かが収束していく。
「き、来たよ!何か凄そう!……って」
最初は驚いていた明日菜だが、それが完全に姿を現すに伴い、目が点になった。
それは、折り畳んだ紙によく似ていた。
それは、ある意味では武器であった。
それは、相手がボケれば更なる効果を発するであろうと思われた。
即ち――。
「た、只のハリセンじゃないのよー!」
明日菜が抗議の声を上げる。それはどう見てもボケと突っ込みの必須アイテム、『ハリセン』であった。
「あ、あれ?おかしいなー……」
てっきりカードに描かれていた大剣が出現する物と思っていたネギは、首を傾げる。
※
夜を征く。
夜を征く。
地を駆け、宙を舞い、時には人込みを縫って。
それでも誰も彼女に気付かない。
風か何かの悪戯か、と次の瞬間にはそれを忘れる。
※
「神楽坂さん!」
刹那が接敵する事に注意を促す。それでも尚、手にしたハリセンに戸惑う明日菜に、カモからヤケクソ気味の声が飛ぶ。
「ええーい!行っちまえ、姐さん!!」
「もー!しょうがないわねー!」
それを受けた明日菜もまた自棄になった様にハリセンを振り上げて、飛ぶ。
刹那の太刀が、明日菜のハリセンが、それぞれ千草に当たろうかとしたその瞬間、千草は手にしていた一枚の符をぴっと指先だけで宙に放つ。
その瞬間、符を中心に膨れ上がった何かが、明日菜達の前に出現する。
それと同時に、今まで千草の背後に脱ぎ捨てられていた猿の着ぐるみが、がばりと身を起こす。
がきんっ、と甲高い音と、スパンっ、と言う小気味いい音で明日菜達の武器を受け止め迎え撃ったのは、その猿の着ぐるみと、新たに出現したクマの着ぐるみの様なものだった。
二頭身と言ってもよいほどの極端な体形のそれらは、千草の使役する護鬼、『猿鬼』と『熊鬼』であった。
「な、何こいつら!?っていうか、着ぐるみが動いてる!?」
いきなり出現した着ぐるみに、明日菜が困惑した声を上げる。
「先程説明した護鬼です!見た目に騙されないで下さい、神楽坂さん!」
その正体を看破した刹那が、明日菜に注意を呼び掛ける。
「ホホホ、間抜けなのは見てくれだけ。そいつらは中々に強力ですえ。ま、せいぜい遊んでもらう事やな」
千草はそんな二人を前に余裕の笑みを浮かべつつ、足下に寝かされていた木乃香を肩に担ぐ。それを見た明日菜の目が吊り上がった。
「木乃香っ!こ、このぉー!」
言うなり、明日菜は受け止められたままのハリセンを力任せに一閃する。すると、驚くべき事に、明日菜のハリセンを体で受けていた『猿鬼』が、霞のように消え去ってしまった。
それを目にした千草と刹那の目がそれぞれ見開かれる。
(ウチの猿鬼が送り還された!?こいつ、何をしよった!?)
千草が内心で驚愕する。
「す、凄い。神楽坂さん……」
刹那が茫然と呟く。相手の使役する護鬼は、決して弱い物ではなかった。それを瞬殺して見せた明日菜に、刹那は驚きの目を向ける。
「な、何かよくわかんないけど、行けそうよ!その熊みたいのは私に任せて、桜咲さんは木乃香を!」
明日菜がそう言うと、刹那はこくりと頷き、礼を言いつつ、千草に向かい走る。
「木乃香お嬢様を返せーッ!!」
千草まで数メートル、と言う距離まで詰め寄った刹那が、太刀を振り被り叫ぶ。
その時、千草の背後から猛然と何者かが刹那に向かって飛び、その姿を迎撃した。
「くっ」
がきぃんっ、と甲高い音を立てて、刹那と向こうの武器が克ち合い、それぞれが反発し合う様に弾かれる。
空中で身を捻り、何とか足から着地した刹那と違い、向こうは「ひゃあああ~」と間抜けな悲鳴を上げつつ、ゴロゴロと地面を転がる。
「……何やっとるんや、アンタ」
それを見た千草が、呆れたように呟く。
「あいたたー、勢い付き過ぎてもうたー」
起き上り、体に付いたほこりを払う相手に、刹那は胸中にて焦っていた。
(い、今の太刀筋は神鳴流……!?不味い、向こうにも神鳴流の護衛が付いていたのか!)
顔を青ざめさせる刹那に、もう一人の神鳴流剣士――月詠が挨拶する。
「どうも~神鳴流です~。お初に~」
何とも力の抜けるような喋り方をするゴスロリ服の少女に、刹那は戸惑いの瞳を向ける。
「え、お、お前が神鳴流……?」
「はい~。月詠言います~。見たとこ先輩の様ですけど、あんじょうよろしゅう~」
「こ、こんなのが神鳴流とは、時代も変わったな……」
妙に年寄りくさい事を言いながら、刹那が油断なく月詠を見据える。
その視線を受けて、月詠がぶるりと体を震わせる。
「ああ~、実物は、写真なんかで見るよりもずっと素敵ですわ~」
月詠はうっとりと呟く。その声に秘められた何かに、刹那の背中が粟立つ。
「な、何を言っている?」
「いやいや、気にせんと~。ささ、殺り合いましょ、せーんぱい♡」
言うなり、月詠は刹那に向かい走り、手にしたニ本の小太刀を振るう。
風切り音と、鋼のぶつかる甲高い音が辺りに響き渡る。刹那は、数合月詠と打ち合った事で、彼女の腕前と、その手にした二刀の厄介さに舌を巻く。
(い、意外にできる!不味いぞ、これは……!)
思わぬ難敵に、刹那は歯がみした。
※
夜を征く。
夜を征く。
何故か人気のない駅に辿り着く。
電車は既にない。それならば、二本の足を用いるまで。
猛然と、跳ねるように線路を駆ける。
行く先は闇。しかしその果てに、彼女の求める人がいる。
※
苦戦する刹那を見て、千草がほくそ笑む。
「伝統かなんか知らんけど、神鳴流の剣士は化け物用の馬鹿デカイ野太刀を後生大事に使こてるからな。いきなり小回りの利く二刀を相手にするのはきついやろ?」
千草の言葉通り、刹那は長い野太刀を使用する際に生じる袂の隙を容赦なく責め立てられ、思う様に自身の剣を使えなくされていた。
「ざーんがーんけーん」
間延びした声とは裏腹に繰り出された神鳴流の奥義が一つ、『斬岩剣』が炸裂する。刹那はそれを危うい所で回避する。
「桜咲さん!?って、もー何なのよこれー!」
刹那の危機に反応する明日菜だが、自身もまた『熊鬼』以外に、子ザルの群れにまとわりつかれて悲鳴を上げている。
その様子を見て、千草は悠然とその場を去ろうとする。
「足止めはこれでよし。所詮は素人と、半人前の剣士やなぁ」
だが次の瞬間、千草の背後から、ネギの唱える呪文が響いた。
「『魔法の射手・戒めの風矢』!!」
ネギの手から放たれた11本の風の矢が、無防備な姿を晒す千草に向かって襲い掛かった。
だが完全に不意を突いたにも拘らず、千草は迫り来る魔法の射手を前に、冷笑を浮かべただけだった。
「そんながっつかんでも、坊やの事は忘れてへんよ。……疾ッ!」
千草は手品の如く瞬時に指先に挟んだ呪符を、魔法の射手に放つ。
すると千草の手から離れた瞬間、呪符は爆発するかのような業火を放ち、ネギの魔法を掻き消してしまった。
「ぼ、僕の魔法が……!?」
苦も無く相殺されたその結果に、ネギが愕然とする。
「五行相克、火克金。風は金気を孕んどるから、火気の呪術によって打ち消せるんや。力押し一辺倒で、繊細さの欠片も無い西洋魔法の使い手には、わからんかも知らんけどな」
容赦なくネギ、引いては魔法使い達を貶しながら、千草は哂う。
「陰陽道の大きな利点の一つに、術の発動する際の速さがある。坊や程度の魔法使いやったら、後出しでも十分間に合いますわ」
そう嘯く千草の目には、絶対の自信。今の攻防によって、術の掛けあいならば、自分がネギに負ける事はないと確信したが故であった。
※
夜を征く。
夜を征く。
高速で流れて行く背景。その先に、やがて大きな駅が見えた。
何かと何かが、ぶつかり合う気配がする。
彼女は無言のまま、己の足に更なる力を込める。
※
「クマーッ!」
間抜けな雄叫びを上げて繰り出された『熊鬼』の爪が、がしりと明日菜を捉える。そのまま力任せに宙づりにされ、明日菜は苦悶の声を上げる。
一方、刹那は月詠との鍔迫り合いの真っ最中。余計な隙を見せれば、すぐさま五体を切り刻まれる事は必至である。
そしてネギは、千草によって完全に抑えられていた。魔力の量ならば、比較するのもおこがましいほどの差が両者にはあったが、いかんせん、幼いネギはその力を十全に使いこなす事はまだ出来ず、結果、経験で勝る千草にひたすら翻弄され続けていた。
状況は、完全にネギ達の不利に傾きつつあった。
「こ、木乃香をどうするつもりよ……!?」
未だ爪に囚われたままの明日菜が、苦しげな声でそう尋ねた。
それに対し、千草は気絶したままの木乃香の顔に指を這わせて、嫣然と微笑んだ。
「心配せんでもええ。ウチは木乃香お嬢様を傷つける気ぃは全くない。このお方は、ウチの夢を叶えて下さる、大事な大事なお方やからなぁ」
「ゆ、夢?」
「そうや。その夢のために、お嬢様にはちょいと手伝って頂くだけや。……まぁ尤も、我儘言われるのも面倒やさかい、薬やら何やらで、お人形さんみたいにはなって貰うけどな」
そう言って千草が哂った瞬間、その言葉の意味する所を知ったネギ達の怒りが爆発した。
「「ふ……!」」
「お?おぉ~?」
刹那と鍔迫り合いをしていた月詠が思わず声を上げる。刹那の体に、凄まじいまでの力が込められ、月詠の刃を押し始めていた。
「ク、クマ~!?」
そして、明日菜を捕らえていた『熊鬼』も驚いていた。己の爪で捕らえていた明日菜が、途轍もない膂力を以って、その拘束を開き始めていたからである。
「「ふざけるなぁぁぁっ!!」」
その瞬間、月詠は一気に弾き飛ばされ、『熊鬼』はハリセンの一撃を受け送還された。
「『風花武装解除《フランス・エクサルマテイオー》』!!」
走り込んだネギが、武装解除の魔法を千草に放つ。
千草は咄嗟に符により結界を張り、これを防ごうとしたが――。
「何っ!?」
その手にした符が纏めて弾き飛ばされる。ネギの魔法に込められた膨大な魔力が、千草の結界を強引に突き破った結果である。
先程自分が言った、『力押し一辺倒』の魔法により己の術を破られた千草が、驚愕に顔を強張らせる。
そして、符を失った事により、防御手段も攻撃手段も失った千草に、刹那と明日菜の獲物が伸びる。
(これで!)
(終わりよ!)
二人がそれぞれの武器を振り下ろす。
だが、次の瞬間、
「がっ!?」
「きゃっ!?」
横合いから強襲してきた何者かによって、二人の体が弾き飛ばされた。
「明日菜さん、刹那さん!?」
ネギが吹き飛ばされた二人を見て声を上げる。
「痛たたた……、何が……ひっ!?」
体に走る痛みに顔を顰めていた明日菜は、己の体の上に乗っているそれに気付き、小さな悲鳴を上げる。
きりきりきり、と何かが引き絞られるような音を立ってながら、明日菜の顔を覗き込んでいたのは、少年を模した人形であった。
人に在らざるほど整えられた顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。身に纏う物は何もなく、球体関節が剥き出しになった、白い体を晒している。
その人形は明日菜の顔をじっと見つめていたかと思うと、突如その口を耳元までがばりと開けた。そこから覗くのは冷たい虚無を湛えた砲口。
「う、うわぁぁぁっ!?」
明日菜は咄嗟に、渾身の力を込めて人形を殴りつけた。女子中学生どころか、並みの格闘家以上の力を持って殴りつけられた人形は、砲弾の如き勢いで吹き飛んだ。
「あ、明日菜さん!大丈夫ですか!?」
駆け寄って来たネギが明日菜に声を駆けるが、明日菜は顔を青ざめさせたまま答えない。
そして刹那は――。
「くっ!?」
がきぃんっ、と刃同士がぶつかる音が響き渡る。
刹那と切り結んでいるのは、明日菜を襲った物と同型の人形。ただし、こちらは少女を模している。
人形は掌から出した刃を以って、刹那に切り掛かっている。刹那は、その動きの速さに翻弄され、防戦一方であった。
その時、こちらの人形もまたがばりと口を開ける。そこから飛び出した砲口に怖気を感じた刹那が、大きくその射線から体をずらす。
その瞬間、砲口から打ち出された細い何かが空気を切り裂き、背後の壁を粉々に砕いた。振り向いた刹那の目に、罅割れた壁と、そこに突き立つ、何本もの鉄針が見えた。
もしあんな物を生身の体に食らえば、ひとたまりもないだろう。
「『神鳴流奥義、斬岩剣』!!」
刹那は気を込めた一撃を振るい、人形の体に切り掛かる。だが、岩をも立つ筈のその一撃を受けた人形は、大きく吹き飛ばされはしたが、目立った傷はほとんどついていない様だった。
(堅い……!一体何でできてるんだ、あれは!?)
ジン、としびれた己の手に、刹那は顔を顰めた。
「桜咲さん!」
「刹那さん!」
ネギと明日菜が刹那に合流する。
再び距離を開け、両陣営は対峙する。
「惜しかったなぁ、坊や達」
実際に危機一髪だったからか、千草は浮かんでいた冷や汗を拭いつつ言った。
「眼鏡~、眼鏡~」
その足元では、月詠が吹き飛ばされた際にどこかへ行ったしまった己の眼鏡を探して、這いずりまわっていた。
「桜咲さん、あの人形、何?あれも護鬼って奴なの?」
まだ少し顔が青い明日菜が刹那に尋ねる。だが、刹那はその問いに頭を振った。
「いえ、あれからは魔力的な物は感じません。私にも何が何だか……」
その時、千草達の背後から、足音が響いた。その何者かは、向こう側にいる以上確実に敵である。
顔を強張らせるネギ達の前に暗闇から現れたのは、作務衣を着た人の良さそうな顔立ちの青年であった。
「な、何かひょろい……」
明日菜が拍子抜けしたように呟くが、刹那はその男が現れた瞬間、体中の毛が総毛立った。
その男から感じる、凄まじいまでの鬼気。そして漂う、血の匂い。
(いけない……、何者かは知らないが、あの男は危険すぎる!)
刹那は先程以上の危機感を以って、現れた男を睨みつけた。
「中々ええタイミングやったで。まさか、出待ちしてたんやないやろな?」
千草が男に声を掛ける。その言葉を聞いた男は、さも心外だという様に、大きく肩を竦めた。
「手の内を出来る限り曝したくないから、ぎりぎりまで出て来るなって言ったのは天ヶ崎さんでしょうが」
そう言って唇を尖らせた男は、その顔ににたりと笑みを浮かべると、ネギ達に向き合って優雅に頭を下げた。
「初めまして、君達。僕の名は呪三郎だ。この子達は男の子が『厨子王』。女の子が『安寿』。短い付き合いになるだろうが、よろしく」
その名を聞いた刹那が、ぎょっとしたように目を見開いた。
「呪三郎!?まさか『傀儡師』呪三郎か!?」
「おや、君みたいな綺麗な子が僕の名を知っててくれるなんて、光栄だね」
「黙れ、この殺人鬼が!」
刹那が嫌悪感と恐怖に顔を歪ませながら、吐き捨てる様に言う。
「刹那さん、あの人と知り合いなんですか!?」
「違います、ネギ先生。顔を合わせるのは初めてですが、名前ぐらいは聞いています。奴は、裏の世界でも名の知られた、殺し屋です……!」
「「こ、殺し屋!?」」
ネギと明日菜が思わず声を揃えた。
「人形を用いたその殺人方法から、付いたあだ名が『傀儡師』。その相手の中には、名のある神鳴流の剣士や、高位の魔法使いの名も多くあるそうです……!」
「そ、それって、無茶苦茶やばいんじゃないの……?」
「……っ!」
明日菜のか細い言葉に、刹那は答えなかった。その脳内には、先の焦燥感を上回る絶望が広がり始めていた。
(このままでは、お嬢様が……!このちゃんが……!)
「全く、最近の子供はみんな酷いね。僕は確かに殺し屋だけど、人の命を奪うのはそんなに好きじゃないんだよ?」
刹那の言葉を受けた呪三郎が、ため息を突きながらそう言った。
「「えっ」」
その瞬間、意外そうに声を上げたのは、千草と月詠であった。
「いや、そのジョークはブラック過ぎて頂けんで、呪三郎」
「あんまり面白くないですな~」
「君たちも大概に酷いな……。別にジョークの類じゃないよ。命って一つしかないんだ。大切にしなきゃね」
殺し屋の語る命の有難みは、途轍もなくシュールであった。
「ただね、僕にはそんな倫理観よりも大事な物があってね。僕が殺し屋なんてしてるのは、それの為でもあるんだよ」
「はぁん?一体何やねんな、それは」
「この子達だよ」
呪三郎は両脇に控えた『安寿』と『厨子王』の髪を撫でた。
「いいだろう?繊細な肢体、美しい顔立ち。これだけでも素晴らしいんだけど、この子達はもっと綺麗になる瞬間があってね」
「いきなり人形自慢されるのもどうかと思うけど、まぁええ。で、その瞬間ってのは何やねん?」
千草がうんざりした様な顔をする。それを気にした様子も無く、呪三郎は嬉しげに哂った。
「人の血を浴びた時だよ」
「「「!?」」」
二人の会話を聞いていたネギ達が、その言葉にはっきりと顔を青ざめさせた。
千草もまた、顔をぐっと引き締める(月詠だけは変わらぬ様子だった)。
「この子達の白い肌には、血の赤がとても映えるんだよ。その瞬間は本当に美しくてねぇ……。何度見ても飽きない。僕は、それが見たくて見たくて。だから、人を殺すんだよ。この子達が最も美しくなる瞬間のために、ね」
呪三郎は滴る様な笑みを浮かべてネギ達を見た。その舐める様な視線と、青年の体から発せられる『悪意』に、荒事に慣れていないネギと明日菜はその場で嘔吐しそうになった。
一人、裏の世界を見知っている刹那にしても、手の震えが止められない。
呪三郎の在り方は、それほどまでに異端で異常であった。
「……お前が何の理由で人殺そうが、ウチにはどうでもええ。仕事さえきっちりこなしてくれるならな。……あ、言い忘れてたけど、こいつら殺したらあかんで」
初手から殺しに掛かっとったけど、と千草が呪三郎に釘を刺す。途端、呪三郎の顔が不満そうな物になった。
「何でだい?邪魔者だろう?」
「あのな、人一人の死体処分するんにどんだけ手間と時間がいると思っとるんや?ウチらにはそんな時間ないわ」
殺さないのは、単に手間の問題。そう主張する千草もまた、ネギ達にすれば異常である。
「じゃあどうするのさ」
「半殺しにして薬と洗脳で、外部の刺激に受け答えだけする機械にでもなって貰おか」
さらりと恐ろしい事を千草は口にする。
目の前にいる者達が語る己達の処遇に、腹の底が冷える様な思いをしていたネギ達の耳に、それまで黙っていたカモが耳打ちする。
「兄貴、姐さん方、ここは逃げようぜ!」
「か、カモ君!?」
「あ、あんた何言ってんのよ!木乃香を置いて逃げられる訳ないじゃないの!」
「そうです!何としてでも、お嬢様をお救いせねば!」
「だがよ、今の俺っち達で、あいつらに敵うと思うのかよ!?」
「そ、それは……」
押し黙るネギ達に、カモは言い聞かせる様に続ける。
「それよりも、敵の情報を持ち帰って、学園長なりなんなりに知らせて何とかしてもらった方がいい。ここで俺っち達がどうにかされちまえば、それこそ木乃香の姐さんを救う事なんてできやしねぇぜ!」
「くっ……!」
刹那は唇を血が滲むほどに噛み締めた。確かに、カモの言うとおりにした方が、木乃香を救いだせる可能性は高い。加えて、自分はともかく、他の二人の安全性も確保できる。
「……私が派手に暴れて注意を惹きつけます。その隙に、二人はここから離脱して下さい」
故に、刹那はそう二人に告げていた。
「なっ……!そんな事、出来る訳ないでしょ!!」
「そ、そうですよ!生徒を置いていくなんて、僕には……!」
「これしか方法は無いんです!……二人とも、お嬢様を、このちゃんをよろしくお願いします」
「桜咲さん……!刹那さんっ!」
明日菜が悲痛な顔をする。その胸中に渦巻くのは、少し前に味わったばかりの無力感。
もう二度と、自分は友達を見捨てないために、強くなろうとしたのではないのか。明日菜の心に火が灯る。青ざめていた顔は血色を取り戻し、恐怖に揺れていた瞳は、再び元の勝気さを取り戻していく。
「いやよ!私は、もう友達を置いて逃げたりなんかしない!」
「そんなっ!」
「あ、姐さん!?」
刹那とカモが目をむいて驚く。
「僕も、逃げません!生徒として、友達として、木乃香さんを取り戻したい!明日菜さんと刹那さんも置いて行けません!」
「あ、兄貴まで!?」
そしてネギも、己の従者の覚悟に応えた。
「カモ君。連絡役はカモ君に任せるよ。少しでも早く、この事をみんなに知らせて欲しいんだ」
「あ、兄貴~……」
そっと地面に下ろされたカモが、涙を流しながらネギを見上げる。
「……相談は纏まったんか?」
気が付けば、千草をはじめ、眼鏡を取り戻した月詠、にやにやと嫌な笑みを顔の張りつけた呪三郎が、じっと三人を見つめていた。
「だぁれも逃がさへんよ。お前らも、そこの白いのも。皆ここで、ウチらの言う事を聞く、人形になって貰いますわ」
※
夜を征く。
夜を征く。
行き着く先にそこはあった。
己と同じ守る者。
救うべき者。
そして抗うべき敵。
ならば己も戦おう。
唸り咆え立て、獣の様に。
そして彼女は、雄叫びを上げ躍りかかった。
※
キョオォォオオォォォォオオォォォッ!!!!
「「「「「「ッ!?!?」」」」」」
その雄叫びが駅構内に響き渡った時、その場にいた者全員が体を固くした。
そして次の瞬間、轟音を立て、千草の前にそいつは降り立つ。
シャアァァアァアアアァァァァアアァッ……。
「っ!」
目の前にそいる、喉を鳴らしたそいつを認識した千草の目が見開かれる。
それは仮面をつけた、恐らくは人間。
せり出した目とせり出した口を持つ、人に在らざる異形の仮面をつけて、そいつは千草を覗き込んでいた。
千草は、まるで大型の猛獣に至近距離から睨みつけられているかのような気持ちになった。
そいつはやがて、鉤上になった五指を千草に向けて振り被る。それが振り下ろされんとした刹那、己の護鬼である『猿鬼』を再召喚して盾とした千草の反応は、正に奇跡的であった。
しかし。
「んなっ!?」
空気を貫き繰り出されたそいつの一撃は、『猿鬼』を何の遅滞も無く粉々にし、千草の腹に突き刺さった。
「がはっ!」
凄まじい勢いで、千草の体が吹き飛ぶ。それに伴い、宙に投げ出された木乃香の体を、そいつはがしりと受け止めると、二度、三度後方に跳ね、ネギ達のすぐ傍に降り立った。
全ては、ほんの数秒の出来事。
ネギ達はおろか、月詠や呪三郎すら反応できない速さで、それらは行われていた。
『攻撃的かつ、破壊的な森の精霊、【キフェベ・ムルメ】の仮面は、ザイールはソンゲ族の伝説に登場する、神秘の生物とされた』
そいつは、ゆっくりと仮面に手を掛け、外した。
そこから現れたのは、それ自体が仮面の如く整った、無表情かつ美しい素顔。
「「千雨さん|(ちゃん)!!」」
その人物――長谷川千雨を認識したネギと明日菜が、喜びの声を上げる。
「え……、長谷川……さん?」
そして刹那は、突如現れた怪人物が、己のクラスメートである事を知り、茫然となった。
「無事か、先生、神楽坂、桜咲」
千雨が相変わらずの平坦な声で尋ねる。
「は、はい!何とか!」
「わ、私も!そ、それより、木乃香は!?」
「っ!このちゃんっ!」
我に返った刹那が慌てて木乃香の元へ駆け寄る。
「どうやら気絶しているだけの様だ」
千雨が刹那に告げる。それを己の手でも確かめて、刹那はようやく安堵のため息を吐いた。
「よかった……」
その時。
「月詠ぃぃぃっ!!」
絞り出すような千草の声が響き渡る。それを受けた外法の剣士が、二刀を閃かせ、気を習得した者のみが為し得る高速移動術『瞬動』で、千雨達に迫る。
千雨は、それに対し、懐から別の仮面を取り出し、迎え撃つ。
そして、交差。
己達の立ち位置を変え、それぞれが背中合わせになった月詠と千雨だが、軍配は、千雨に上がる。
きぃんっ、と澄んだ音を立て、月詠のニ刀が根元から断ち切られていた。
そして千雨の手の甲には、一枚の仮面。
茫洋とした顔の造作に、一際目立つ長い鶏冠の様な突起。上から見ると、オタマジャクシにも似ているかもしれない。
千雨は、その鶏冠(あるいはオタマジャクシの尾)を刃の様に立て、告げる。
「マ・ジの仮面」
木か何かでできている、少なくとも鉱物の類ではない筈のそれが、鋼の刃を斬った。
その事実に、剣士である刹那と月詠は絶句していた。
「ギニアの大部族、イボ族の一部に伝わるこの仮面……。マ・ジとは、彼らの言葉で『ナイフ』を意味していた」
何の情動も浮かばぬ千雨の瞳が、その場を見据える。
その様子を見ていた呪三郎が、唇を三日月の様につり上げる。
「へぇ……。こいつは面白いねぇ……」
がしゃりと二体の人形が体を撓め、千雨に飛び掛からんと身を低くする。それを受け、千雨も呪三郎に体を向け、静かに佇む。
魔人と怪人が激突せんとしたその瞬間、千草の声が静かに響いた。
「……退くで」
「……良い所なんだが、な。何でだい?」
呪三郎が千草に視線を向ける。そこには、隠しきれない苛立ちがあった。
「敵の戦力がここにきて未知数になった。少なくとも、ウチや月詠はんを手玉に取れる様な奴がおる以上、無茶は出来ん。やり合うなら、確実に勝てる算段が付いてからや」
千草は、呪三郎の目を負けじと見返しながら言う。
「言うた筈やで。今回の仕事は、ウチにとって人生掛けた一八の大博打やってな。今は、『闇の福音』以外にも、資料にのってなかった厄介な奴がおると判っただけで、収穫としときますわ」
そのまま、二人の視線はしばし絡み合う。そして折れたのは、呪三郎の方だった。
「……ま、いいか。また殺り合う機会はあるだろうし」
呪三郎の言葉とと同時に、人形達が静かに引き下がる。
「月詠はんも、退きますえ」
「は~い」
月詠はそう返事を返し、千草達の元へ駆け寄る。
そうやって三人揃った所で、千草は懐から転移の符を取り出し発動させた。
淡い輝きが三人を包む中で、それぞれが千雨達に言葉を残す。
「今夜は坊やたちの勝ちにしといたる。ま、次はこうはいかんけどな」
千草が不敵な笑みを見せる。
「また死合ましょうね~、刹那先輩も、そちらのお姉さんも~」
伸びやかな声で物騒な事を言いながら、月詠が手をふりふりと振る。
「そこの仮面の君。君はとても興味深い。今度は是非僕と語り合って欲しいね」
にたりと笑いながら、呪三郎が言う。
そうして、三人の姿は闇に消えた。
後に残ったのは、戦いに緊張が未だ解けぬネギ達と、静かに辺りを警戒する千雨。そして気絶し続ける木乃香の姿であった。
京都を舞台にした大騒動の序幕は、こうして終わった。
【あとがき】
バトル回を後ろに回したにも拘らず、かなり長くなってしまった……orz。
そんな訳で第一次遭遇戦は終了です。
呪三郎を危ない人にし過ぎたかも知れない……。まぁ、原作でも倫理観をどこかに捨てて来たような人でしたから、良いか(笑)。
それでは、また次回。