桜通りの吸血鬼。
麻帆良ではここ最近、その存在の噂が流れていた。
満月の夜になると、真っ黒なボロ布で身を包んだ血まみれの吸血鬼が現れる。
まだ小さな子供ならともかく、良識ある大人ならば鼻で笑う様な与太話である。
しかし、大人と子供の境目の様な、微妙な年頃にある中学生の中には、そんな噂に怯える純粋な者もいるのだ。
※
「こ……こわくない~♪こわくないです~こわくないかも~♪」
震えそうな声を押さえ、鼻歌を歌って恐怖を忘れようとしているのは、麻帆良女子中学3年A組、出席番号27番、宮崎のどかである。
傍から見れば微笑ましい様子に映るその姿も、本人からすれば真剣である。
元来からして大人しく、怖がりなのどかにとって、こうでもしなければ、夜の路を歩く事など出来ないのだ。
「こわっ……」
その時、不意に強い風が流れ、木々がざわめく。
その木の葉の揺れる音が、自分に今にも襲い掛からんとする魔物の様な声に感じたのどかは、恐怖に顔を曇らせ、辺りを見回した。
その時。
「宮崎」
「ひあああっ!?」
突如肩を叩かれ、名を呼ばれたのどかは、思わず悲鳴を上げてへたり込んだ。
「……大丈夫か?」
そんな少女に手を差し伸べた人物を見上げ、それが見知った人である事を知ったのどかがその名前を呼んだ。
「は、長谷川さん!」
果たしてそこにいたのは、のどかのクラスメートである長谷川千雨であった。
最近、自分の親友である綾瀬夕映が何かと話しかけている少女である。
「ど、どうしてここに……?」
今だへたり込んだままののどかは、驚き過ぎたためか、半ば茫然と尋ねた。
「いや、私も寮に帰る所だ。そうしたら道端に立ち止まって辺りを見回しているから、何か探し物でもしているのかと思ってな」
「そ、そうだったんですか……」
どうやら、千雨本人は驚かす気などさらさらなく、むしろ親切心のつもりで声を掛けた様である。
そう思った途端、のどかの心中に同じクラスメートを怖がってしまった罪悪感が湧いてきた。
「す、すいません!」
「……?謝られる謂れはないのだが」
「あ、いえ、その……」
あなたを怖がってごめんなさい、とも言えないので、のどかは言葉を濁らせた。
そんなのどかを相変わらずの無表情で見下ろしていた千雨の体が、不意にぴくりと揺れた。
「宮崎、動くな」
「へ?」
のどかにそう言い置いて、千雨は前方の電灯の上を見上げた。
その視線を思わず追ったのどかは、そこに噂の特徴そのままの黒いボロ布を被った小柄な人影が立っている事に気付いた。
「ひっ……」
息を詰まらせるのどか。
「桜通りの、吸血鬼」
千雨が相手の姿を見てぽつりと呟いた。
その呟きを聞いたのだろう、相手の口元が笑みの形に歪む。
「出席番号25番、長谷川千雨。同じく27番宮崎のどか、か。くくく、二人も獲物が掛かるとは、今夜は運がいい」
「何の用だ」
今にも気絶しそうな程怯えるのどかとは対照的に、千雨は相変わらず情動という物が感じられない、平坦な声で相手に尋ねた。
「吸血鬼の用事など決まっているだろう?……その血、吸わせて頂こうか!」
言うなり、その人影は跳躍し、真っ直ぐ千雨とのどかに襲い掛かって来た。
「きゃあああ、って、ええっ!?」
悲鳴を上げかけたのどかだが、次の瞬間、千雨に抱き抱えられ、その場から数メートルも後方へ逃れていた。
あの瞬間、千雨が自分を抱えて後ろに跳ね、相手から逃れたのだという事を、数秒経ってからのどかはようやく理解した。
一方、強襲した吸血鬼は、襲った相手が予想以上に動く事に軽い驚きを覚えていた。
(何か運動をやっているなどは聞いておらんのだが)
内心で首を傾げる吸血鬼は、次に発せられた千雨の一言で、今度こそ本当に驚いた。
「何故こんな事をする、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」
「えっ?」
驚いた声を出したのは、千雨の腕の中に居るのどかだ。
そして吸血鬼――エヴァは、驚愕も一瞬、すぐに不敵な表情に戻ると、被っていた帽子を脱ぎ棄てた。
「ふん、まさかばれるとは思わなかったな。声から察したか?そう言えば、お前はあのクラスで私の隣だったな」
脱ぎ捨てた帽子の下から溢れ出た金色の長い髪を靡かせ、エヴァンジェリンは獰猛な笑みを見せる。
「え、エヴァンジェリンさんが何で私達を……!?」
のどかの言葉を鼻で笑ったエヴァンジェリンは、その小さな掌を千雨達に向けた。
「貴様らに言ってもしょうがない事だ。ちょろちょろと動かれても鬱陶しいからな。少し動かぬ様にさせて貰おうか」
言うなり、エヴァンジェリンの掌から何かが迸った。
それを視認するなり、千雨は横に飛んでそれを躱す。直後、今まで千雨達がいた場所に氷塊が突き刺さり、その場を氷漬けにした。
「な、何ですか、あれー!?」
この期に及んでも全く表情の変わらない千雨に代わり、のどかが半ばパニックになりながら喚いた。
「ふふふ、『魔法』だよ、宮崎のどか」
エヴァンジェリンが楽しげに笑う。
「ま、まほー?」
「そう、世の裏に蔓延る神秘の技さ。まぁ最も、お前達はすぐに忘れてしまうがな」
「記憶でも消すのか?」
呟く様な千雨の言葉に、エヴァが頷く。
「私の存在がまだ表沙汰になると色々と面倒なのでな。何、今夜の事だけだ。気にしないで血を吸われろ」
「ひーん」
のどかが半泣きになった。
するとその時、千雨が抱えていたのどかをそっと地面に下ろし、彼女の前を守るかのように立った。
「は、長谷川さん?」
「じっとしていろ、宮崎」
千雨が変わらぬ表情のまま言う。
「……何をするつもりか知らんが、いい度胸だ。まずは、貴様の血から味あわせて貰おうか、長谷川千雨!」
エヴァンジェリンの手から氷結の魔法が放たれる。それは瞬時に千雨の元に到達し、着弾、周囲を白く染め上げた。
「は、長谷川さん!」
のどかが叫んだ瞬間、周囲の大気が揺らぎ、白く霞みがかっていた空気が一瞬で掃われる。
そしてそこから現れた千雨を見て、エヴァンジェリンが呻いた。
「長谷川千雨、なんだ、それは……?」
千雨の顔が異形の物へと変化していた。否、それは、【仮面】だった。
『キフウエベの仮面』
仮面越しのくぐもった声で千雨は答える。
『ザイールはバソンゲ族の戦いの際、呪術師が使用した物だ』
「そ、それがどうした」
『呪術師が強力な力を持つ為に、数多くの生贄が用意された。生贄の数が多いほど、その力は更に強力になるという。……お前も贄となるか、マクダウェル』
「こけおどしを!」
叫ぶなり、再びエヴァンジェリンの手から魔法が飛ぶ。しかし、千雨はそれを避けるでもなく、真っ直ぐに突っ込んでくる。
「何!?」
それが千雨に当たろうかと言うその時、千雨が手を大きく薙ぎ払った。
その瞬間、空気が爆発した。
そして発生した衝撃によって、エヴァンジェリンの魔法は粉々に砕け散った。
「ちぃっ!」
状況はわからないが、相手が何かやった事は確かだと思ったエヴァンジェリンは、即座に次の魔法を放とうとした。
だがそれよりも早く、粉塵の中から飛び出してきた千雨がエヴァンジェリンに向けて掌を繰り出す。。
「『氷盾《レフレクシオー》』!!」
エヴァンジェリンは咄嗟に障壁の魔法を張った。そして千雨の掌が障壁に激突した。
業ッと、周囲に爆音が轟く。
障壁を粉々に砕かれただけでなく、その体にも爆破の衝撃を受けたエヴァンジェリンが肺の中の空気を吐き出しながら、大きく吹き飛んだ。
「がはぁっ!?」
地面に何度かバウンドしてようやく動きを止めたエヴァンジェリンは、よろよろと身を起こした。
「き、貴様ぁ……!」
憎しみの籠った瞳を、未だ平然と立つ千雨に向ける。
「長谷川千雨、もしや貴様、魔法使いだったのか!?」
『違う』
千雨はその言葉を否定する。
『魔法なんて、今日初めて見た』
千雨の言葉を受け、エヴァンジェリンは歯がみする。
(こいつは嘘を言っていない。先程の爆破からは魔力を一切感じられなかった。さりとて、爆弾などの兵器の類でもない)
全く未知の力を使う敵――。そう、ここに来て、エヴァンジェリンは漸く目の前に居る者が獲物ではなく、下手をすればこちらを滅ぼせるほどの力を持つ、敵であると言う事を認識した。
【あとがき】
今回はここまでです。
今回使用した仮面は、本編ではあまり凄さの伝わらなかった『キフウエベの仮面』。
念動で爆破を自在に起こせるなんて、結構凄い能力だと思ったので使いました。
それでは、また次回。
行間を開けた方が読みやすい、との意見を頂きましたので、地の文とセリフの間を開ける改訂をしました。