深夜一時、とある学生寮の一室にて。
「……さて。そろそろ開始しようか、お兄ちゃん」
「……ああ。そっちの準備はどうだ?」
「抜かりなく」
月明かりに照らされた薄暗い部屋の中に、ぴたりと寄り添う二つの影。
若い男女が肩を寄せ囁く姿は恋人という二文字を想起させるが、そこに甘い雰囲気は一切なく、二人の表情は憂いと緊張に彩られている。
「――よし」
やがて男は己の不安を吹き飛ばすかのように勢いよく立ち上がり、
「では始めよう。我らの悲願である“リア充爆破計画”――RBPの始動を今ここに宣言する」
堂々たる声で、告げた。
◆
RBP……それはとある兄妹の「幸せなリア充がもがき苦しむ様を眺めたい」という無邪気な発想から始まった計画である。
兄の名は速水 司(はやみ つかさ)。
私立五ッ島学園に通う学生であり、この寮の一室に住み始めて早数ヶ月、ようやく落ち着いてきた学園生活を気ままに過ごす十六歳の少年だ。
容姿はそこそこ整っているものの、僅かに幼さを残した顔立ちと眉間に刻まれた深い皺がどうにもアンバランスに見える。
さて一方、そんな彼と肩を並べて座っているのは司よりも一回り小さな少女だった。
「ねーねーお兄ちゃん」
彼女は妹の速水 聖(はやみ ひじり)。
常に仏頂面の兄とは対照的に、妹は感情表現が豊かで人当たりも良い。
司とは一応双子なのだが、あまりにも雰囲気が違いすぎるせいか「え、何? 妹プレイ?」と誤解されることも多かった。
「どうした?」
「計画の遂行には色々と必要になってくるだろうけど、差し当たってどんなことから始めるの?」
「ああ、それはだな……っと、その前に確認しておくけど、両隣のやつらはちゃんと眠ってたか?」
「安心して。もちろん大丈夫」
学生寮の壁はかなり薄く、常に盗聴のリスクが付きまとう。
そこで計画の漏洩を防ぐため、周囲の偵察と有事の際の備えを聖に任せていた。
自信ありげにふんすと鼻を鳴らす聖の様子を見るに、どうやら上手く仕事をこなしてくれたらしい。
「トイレのウォシュレット用タンクの中身をお酒に入れ替えておいたからね。両隣どころか男子寮生の大半が泥酔してるよ」
「すげえ斬新な眠らせ方だな……」
「ふふ、まさかあんな場所からお酒が出てくるとは夢にも思うまい……! かつて女子寮を恐怖のどん底に陥れた直腸吸収アタックの恐ろしさを思い知るがいいよ!」
「俺もまさか妹の口から直腸吸収なんて単語が出てくるとは夢にも思わなかったよ」
わからない。妹がどこに向かっているのかわからない。
「……まあいい。話が逸れたけど、さっさと会議を始めるとしよう」
「おーっ、待ってました~」
こほん、と司は咳払いを一つ。
「リア充を爆発させるという俺たちの目的――そこに至るまでには大きく分けて二種類の方法がある」
「TNTかC4か?」
「違う。そんな具体的な話じゃない」
「も、もしかしてICBM……!?」
「大陸間弾道ミサイルでもない。いいか? まず一つ目は、周囲で起こした爆発にリア充を巻き込む方法だ」
早い話がリアルボンバーマンである。
聖が言ったような爆薬を使う手段は当然こちらに含まれるだろう。
「しかしこの方法は今回使わない」
「え~、どうして? リア充のキレイな顔をフッ飛ばしてやろうよ」
「そうしたいのは山々だが、一つ重大な欠点があってな」
「欠点?」
「警察に捕まる」
どうやらこの国では爆発物を用いてリア充を攻撃すると犯罪になるらしい。
世知辛いご時勢だった。
「リア充が苦しむのはいい。周囲の建造物に被害が及ぶのも仕方ない。でもな、俺が苦しいのだけは絶対に嫌だ」
「そっか……うん、そうだね。それはあたしも嫌だ」
「というわけで今回は二つ目の方法を選ぼうと思う」
「ふんふん、それってどんな方法?」
「爆発に巻き込むんじゃなくて、リア充自身に爆発してもらうのさ」
「リア充、自身に……? んー、いまいちピンとこないなー。どゆこと?」
ハムスターのように首を傾ける聖。
「まあそれに関しては順番に説明していこう。まずは、そうだな……聖は爆発する生物って知ってるか?」
「知ってるよー? 爆弾岩とー、マルマインとー」
「うんそうだな。でも出来れば現実世界にいないのは除外してな」
「あとチャオズも!」
「いねえよ!? チャオズは現実世界にいねえよ!?」
「え~でもでも、現実には爆発する生き物なんて…………あっ! そういえばネットで爆弾岩って呼ばれてる人が」
「よし分かった。お前はそれ以上喋るな」
コイツに質問した自分がバカだった。
司は逸れまくった話を戻すべく、やや強引に話題の修正を試みる。
「確かに聖の言うとおり、爆発する生物なんて存在しない――と思うだろ? しかし何事にも例外というものがあってだな」
「ほへー、例外とな」
「例えばマレーシアの熱帯雨林には『爆発アリ』がいるらしい」
「そのアリさんはなんで爆発するの? 理不尽な世の中への憎しみ?」
「心情的なことは知らん……ともあれ、ピンチになると自爆して粘着性の毒液を周囲の敵に撒き散らすそうだ。厳密には爆発というより破裂に近いけどな」
「あ~はいはい、アレね。チャオズと同じタイプね」
「チャオズが毒液撒き散らしてんの見たことねえよ俺」
というかなんだこの会話のチャオズ率……。
「……とにかくまあ、爆発する生物は空想上の存在だけじゃないってこった」
ため息混じりに司が言う。
そんな司のうんざりした表情を見てか、珍しく聖がまともな返事を返した。
「なるほどー、ちょっと興味深いね。もしかして他にもそういう生き物がいるのかな?」
「そうだな……有名なところではクジラなんかも爆発するって話があるな」
「ほげ~」
「クジラの死体から発生した腐敗ガスが体内に蓄積、そしてそれが原因となって爆発するそうだ。似た事例が複数あることから信憑性もかなり高い」
「あ、あれぇ……? おっかしいなぁ……ほげ~!」
「日本ではちょっと馴染みが薄いかもしれないが、アメリカでは結構広く知られてる話らしいぞ」
「あのねお兄ちゃん、今のは感嘆詞の“ほげ~”と“捕鯨”をかけたギャグでね」
「諦めという言葉を知らないのか……!?」
どうしよう。妹のメンタルが異常に強い。
「…………ん? むむ……?」
と、ほげほげ言っていた聖が急に眉をひそめて思案顔になった。
「ちょっと待ってよ、お兄ちゃん」
「なんだよ」
「そのクジラさんの話が本当なら、ひょっとして死んだ人も爆発するってこと?」
「人間の死体からもメタンガスは発生するからな。ガスが逃げないように密封してしばらく放置しておけば、あとはマッチ一本でドカンだろうな」
「ということはつまり、同じようにすればリア充も爆発すると……!?」
「死体って時点で全然リアル充実してなくね?」
しかも腐敗した死体である。
仮にそれがリア充として認められるならば、生きているのにリア充じゃない自分たちはいったい何なのかと――
……いや、やめておこう。これ以上考えるのは危険、そんな気がした。
「ちぇー、いい考えだと思ったのになぁ。そう上手くはいかないかー」
嘆息を漏らして仰向けに寝転がる聖。
思いつきの内容はともかく、その場のノリと勢いだけで生きているようなこの妹が考え事をするなんて、実はかなり稀なことだったりする。
「ま、お前にしては頑張った方じゃね? お前にしては」
「お兄ちゃんのくせに偉そうな……っていうかさ、もっとこう、人がドカーンって爆発するような話はないの?」
「あるぞ」
「なーんてね、そんな都合のいい話が転がってるわけ………………え? あるの?」
「ああ、ある」
「…………」
「…………」
…………。
「………………な、」
「な?」
「なにそれ最初から話せばいいじゃん! 時間の無駄じゃん! チャオズとか言ってたあたしがバカみたいだよもー!」
「冷静な自己判断だな」
一緒に十六年間生きてきた司は確信している。
妹は間違いなくバカだ。
「で、それってどんな話なの? 教えてよお兄ちゃん」
「……本当に知りたいのか?」
「当たり前でしょ! 気になりすぎて呼吸困難と関節痛と尿漏れが併発する勢いだよ!」
「それは病院行けや」
「も~焦らさないで早く教えてよ~。イジワルなんだからぁ」
「まぁ? 俺も鬼じゃないし? どうしてもって頼むなら教えてやらんこともな――」
「お、お、お兄様ああぁぁ!! ぜ、是非! 是非ともあたしにご説明をお願いしますうぅゥゥ!」
唐突に。
何の前触れもなく、聖が凄まじい勢いで胸にすがりついてきた。
「え、ええぇぇ……」
「ぺろぺろしますから! 具体的には決して公に出来ないような場所もぺろぺろしますからああぁぁぁ!!」
「なぜそこまで必死に!? 人生で力入れる場所間違えてるよお前!」
「なんなら眼球と喉仏もぺろぺろしますからぁ……!」
「そんな性癖ねえけど!?」
「なにとぞ、なにとぞぉぉぉ……」
ついにはベッドの上で泣き崩れてしまう聖。
正直全く意味がわからないけど、妹の涙を見るとさすがに罪悪感が……。
「もう十分だよ……むしろ俺に謝らせてくれよ……」
「…………くすん……本当に? もうイジワルしない……?」
「あ、ああ、当たり前だろ……? 聖が泣いてる姿なんて見たくないしな」
「本当に本当……?」
「本当に本当だから! そんなに心配すんなって」
「ん……絶対だよ……? 約束だかんね……」
「おう、兄ちゃんとの約束だっ」
「よし謝れ」
こ、この女…………!?
「おや? おやおやぁ? お兄ちゃんってば、拳を握り締めちゃってどうしたのかなぁ? 謝るんじゃなかったっけ?」
数瞬前の涙はどこへやら、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた聖がしなだれかかってくる。
そして司の耳元で甘く囁いた。
「あたしアレが見たいなー? ほら、『ど』から始まって『げ』に続くアレだよアレ」
「もはや一択じゃねえか」
「ちょっと名前は忘れちゃったけど、なんだったかなー。いやぁ、喉元まで出掛かってるんだけどねー? どげ、どげ……」
「なんなんだよ……くっ、誰が土下座なんて――」
「そう! ドゲラス! 宇宙怪獣ドゲラス!」
「本当になんなんだよ!?」
「え? お兄ちゃん知らないの? ドゲラスはね、給食で苦手なものが食べられない子のところに現れて、不思議な力で好き嫌いをなくしてくれる怪獣なんだよ」
「なんだ……意外といいやつじゃんドゲラス」
「その子の味覚と引き換えにね……」
「怖! ドゲラス怖!」
と謎怪獣について聖と話していた――その時。
ドンドンドン! とドアが叩かれる音。突然の激しいノックに、二人は思わず体をビクリと竦ませる。
続けて男の野太い罵声がドア越しに投げかけられた。
「おい! さっきからうるせえんだよ!! しかもチャオズだとかぺろぺろだとか……意味不明すぎてすごい不安になるわ!」
非常にごもっともな話だと言わざるを得ない。
しかし今問題なのは、この部屋に人がやって来たという事実。聖の直腸吸収アタックとて万能ではないということか……。
とりあえず、まずはこの場をどうにかせねばなるまい。「声出すなよ」と聖に言い置き、司は細く開けたドアから顔を覗かせた。
「あっ、テメーか騒いでるやつは! 今何時だと思ってんだ、眠れねーんだよ!」
「それは悪かったな。謝ろう」
「ふざけんなよまったく……」
相手の顔にあまり見覚えはなかった。上級生か同学年か……おそらく下級生ということはないはずだ。
教師が来たら少し厄介だったが、学生相手ならばどうとでもなるだろう。
心配そうにこちらを見る聖へ「大丈夫」とアイコンタクトを送り、男の方へ向き直る。
「すまなかった。これからは静かに過ごすように努力しよう。さて、まだ何か他に用はあるかな?」
「……やけに高い声が聞こえたんだけどよ。お前、ひょっとして女連れ込んでねえか? もしそうなら寮長に伝えないと――」
「エロゲだ」
「エロゲ……!? で、でもエロゲならチャオズやぺろぺろって声は……」
「主にチャオズをぺろぺろする感じのエロゲだ」
「チャオズを!? そっ、そうか……お前も大変だな…………」
怒りに染まった男の形相が瞬時にして引きつった笑みへと変化した。
男からの敵意は消えたものの、代償に大切な何かを失ってしまった気がしてならない。気のせいだろうか。
ともかく、これでどうにかピンチを乗り切った――
「――と言いたいところだが、俺たちの話を聞かれた可能性が残っている今、このまま帰すわけにもいかないよな」
「は? おい、なんの話……」
「聖。プランBだ」
言うと同時、ドアを跳ね開けた司は男の視界から外れるように己の身を沈ませる。
驚愕に見開かれた男の目に映ったのは、全力でこちらに向かってくる少女の姿。声をあげる暇もなく妹ボディーブローが名も知らぬ男の体に突き刺さった。
そして背後を取った司が無防備な首筋に一撃を放つ。僅かな抵抗もなく彼の意識は失われた。
「……よし。誰にも見られてないな?」
「うん、大丈夫。早いとこ処理しちゃおう」
――プランBはBOURYOKUのB。
あまり使いたくはなかったが緊急事態だ。仕方なかったと割り切ろう。
司は大柄な男の体を抱え上げ、隣の西山君(同級生。ちょっと太り気味)の部屋に放り込む。その作業中、聖は男の耳元で「ホモホモホモホモ……」と彼の意識に何かを刷り込むように囁いていた。
最後にコンド……いや、ゴム製の素敵アイテムを部屋内にばら撒いてミッションコンプリート。
これで明日の朝目覚めた時には、おそらくショックで今日の出来事なんて吹き飛んでしまうだろう。完璧な仕事だ。
「今日はここまでにしておこうか。詳しい計画の内容はまた明日だな」
「りょーかい。あーあ、結局話は全然進まなかったね」
「聖のせいだな」
「お兄ちゃんのせいだよ」
「…………」
「…………」
「やめとこう……もう眠いし」
「そだね……じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
大きなあくびを漏らす聖が女子寮へ戻っていくのを見届けて、司も自室に戻る。
こうしてリア充爆破計画――RBPの一日目は特に進展もなく終了したのであった。
余談だが、翌朝の男子寮にはとある噂が流れていた。
爽やかな早朝に響き渡る「なっ……なんだこの状況!? コンドーム……!?」という男の絶叫。
そしてその直後に「ひ、ひいぃぃ……まるで酒を流し込んだかのようにケツがヒリヒリするうぅぅ……」という西山君の悲鳴が聞こえてきたらしい。
世の中には不思議なこともあるんだな、と思いました。