結局、学校では、昨日と同じようにアスカは僕と接することはなかった。
昼御飯の時は、他のクラスの友達のところへ行っていたようで、姿は見えなかった。きちんと食べてくれたのだろうか……。
「――はい、これ」
「え?」
「弁当箱。返すわよ」
……そんな割とどうでもいい疑問を払拭するかのように、放課後の正門で、彼女は弁当箱を渡してきた。
手に取ってみれば、明らかに軽い。ちゃんと食べてくれたようだ。
「なかなかだったわよ。あんた、料理できるのね」
彼女は視線を合わさないまま、“お褒めの言葉”を授けてきた。
美味しいなら美味しいと言ってほしかったけど、女帝なんて言われる彼女なりの、精一杯のお礼なのかもしれない。そう思うと、自然と頬が緩んだ。
「……うん。家で作ってるからね」
「ふ~ん……。変わってるわね」
「そうかな?……でも、こうやって誰かに食べてもらうの、悪くないよ」
「……やっぱ、変わってる」
そのまま彼女は、歩き始めた。
別に他意はあったわけじゃない。ただなんとなく、作ってみた弁当。
それでも、これで今の関係が多少なりとも改善されれば、少なくとも、朝から憂鬱になることは減るだろう。
(……なんて、そんなに都合よくは……)
「――なにしてんのよ」
ふと、彼女の言葉が聞こえた。慌てて視線を向けると、僕から少し離れたところで、彼女は立ち止まり、僕を見ていた。
「……え?」
「あんたも帰るんでしょ?」
「あ、うん。帰るけど……」
「だったら早く行くわよ」
そして、彼女は再び歩き出した。
「……」
……やっぱり、よくわからない人だ。
「……」
「……」
帰り道は、いつものとおり僕らは無言のままだった。
それでも、朝よりも二人の距離は近い。付かず、離れず。リードに繋がれた犬みたいに、僕は彼女の2歩後ろを歩いていた。
心なしか、雰囲気が柔らかくなった気がする。それは単に、僕の勘違いかもしれないが。
黄昏の光に照らされた彼女の足元からは、長い影が僕の近くまで伸びる。
特に意味はないが、なんとなく、僕は彼女の影を踏まないように気を付けながら、後ろを歩いていた。
「――なんでわざわざ作ったの?」
ふいに、彼女の方からそう聞こえた。
「え?」
「弁当。なんで私に作ったのよ」
これも、いつも通りの光景だった。
けっして振り返ることなく、僕を見ることなく、彼女ははなしかけてくる。
トウジ達は言っていた。やりとりをする奴は珍しいと。ゆえに女帝と。
でも実際は、なんてことはない、少し無愛想なだけの、普通の子なのかもしれない。
……そう思うと、なぜか嬉しくなった気がした。
「……ご飯、つまらなさそうだったから」
「は?」
「昨日、パン食べてたよね?その顔が、凄くつまらなさそうだったから、なんとなく。美味しいものを食べたら、少しは楽しくしてくれるかなって思って……」
「……」
「僕の家じゃ、ご飯を食べるときは楽しいんだ。母さんは笑顔で話しかけてきて、父さんは時々母さんに怒られてる。僕は、それを見て笑うんだ。
食事って、食べ物を食べるだけじゃないと思うんだ。きっと食べ物と一緒に、いろんなものを取り入れるんだよ。きっと」
「……詭弁ね。食事なんて、しょせんは栄養やエネルギーの補給でしかないわ」
「まあ、それもそうなんだけど。ただ、それでも、楽しいと食事もいいもんだよ」
「……よく、わかんないわ、その感覚」
「アスカは、お母さんとご飯食べないの?」
「……ママは、忙しいのよ。優秀だからね。仕事で必要とされてるし、その期待に応えるだけの能力がある。
私は、そんなママを誇りに思うわ。だから、特になんとも」
「……」
彼女は、毅然とそう言った。でもどこか、寂しそうにも聞こえた。
まるでガラス細工みたいだ。見た目は綺麗だけど、どこか脆くも見える。
そう考えると、なんだかほっとけなくなった。
「――アスカ、うちでご飯食べる?」
「……は?」
あまりに驚いたのか、彼女は振り返った。
「一人の時とか、僕の家に来なよ。父さんも母さんも、きっと賛成してくれるだろうし。
一緒に、ご飯食べようよ」
「な、なんで私が……」
「いいじゃない。ご近所さんだし、母さんとアスカのお母さんも友達だし」
「で、でも……」
「無理にとは言わないよ。良ければってこと。気が向いた時でいいから。あったかいスープ、作っておくからさ」
「……考えとくわ」
そう言った後、彼女はプイッと背中を見せて歩き出した。
それから、また僕達の間には沈黙が流れる。
だけど、周囲の空気は、一段と柔らかくなった気がした。