放課後、シンジは結局4人で繁華街に遊びに行った。家に着いた時にはもう夕方5時過ぎており、彼の両親はすでに帰宅していた。
「あら、お帰り。遅かったのね」
「ただいま。…ごめん、ちょっと遊んでたんだ」
台所に入るなりシンジの母である碇ユイが声をかける。どうやら料理をつくっているようだ。炊事の心得があるシンジは、ユイの手元と漂う匂いのみで今夜の夕食を看破した。ずばり、今日は豚汁、鯖の味噌煮込み、ほうれん草のおひたし、である。
シンジの父である碇ゲンドウは、夕刊から目を離さずぼそりと「おかえり」といった。いつもの碇家の風景だ。
「そういえば今日から夏休みなんでしょう? 通知表ももらったかしら」
「うん、もらったよ」
バックから通知表を出してテーブルに置く。ユイがタオルで手を拭いてそれを取ろうとすると、座っていたゲンドウの腕が一瞬消え、気がつくと通知表はすでにゲンドウの手の中におさまっていた。
「ほう、体育以外全て5か。よくやった、シンジ」
「……」
あごひげを撫でながら呟くグラサン親父。はたから見たら、変質者か893である。
「だが自惚れるな、シンジ。私が学生時代のころは……」
「ほら、下らないことはいいですから、私にも見せてくださいな」
ひょい、ゲンドウから通知表を取り上げるユイ。ゲンドウは自分の昔語りを華麗にスルーされ、ショックを受けて俯いてしまった。子どもか、とシンジは心の中でつっこんだ。
「すごいわねえ、シンジ。体育以外は。……あなた、典型的な頭でっかちのもやしっ子なのね」
「母さんはちょっと歯に衣を着せたほうがいいよ……」
ひげ親父とともに俯く息子。彼らがユイに勝てるなんてことは、きっと一生ない。
「ところで母さん。お願いがあるんだけど」
ユイはぱっと通知表から視線を外し、シンジの目を見る。シンジのまじめな雰囲気に、ゲンドウも何事かとシンジを見つめた。
「なあに?」
「あの、僕も今日突然言われたんだけど……」
瞳を丸々とあけ、小首を傾げるユイ。この人はもうアラフォーなのに一向に老けない。もう三十路のリツコ先生から嫉妬とも羨望ともつかぬまなざしで見られている。そして本人はその視線に気がついていない。
「カヲル君が、明日から旅行に行こうって。アスカと綾波も一緒なんだ」
あら、とユイが不気味に微笑み、ほう、とゲンドウのサングラスが輝く。
「どこに行くの?」
やけにいい笑顔になったユイが質問する。
「冬木ってとこなんだけど、知ってる?」
その瞬間、二人の顔から表情が消えた。二人はシンジから視線を外し、一瞬目配せをする。
「冬木……冬木ね。知ってるわ。ね、あなた」
「ああ」
なにやら意味ありげに呟く二人。シンジはいいようのない不安を感じた。
「い、行ったことあるの?」
「ええ、あなたがまだ小さい頃、ね」
再び笑顔をつくるユイ。だがゲンドウは腕を組んでじっと何かを考え込んでいる。
「も、もしかして、何だか危険なところ、とか?」
「そんなことないわ。とってもいい町よ」
やんわりと否定される。シいつになく真面目な二人の様子に、シンジはますます不安になった。
「ユイ」
「はい」
ゲンドウが新聞を畳んでテーブルに置く。そしておもむろに立ち上がった。
「カヲル君が連れていく、というのなら心配ないだろう。彼に任せてみてはどうだ?」
「ええ、私もそれがいいと思ってました」
そうか、とゲンドウは応えると、引き戸を開けて部屋に戻ってしまった。
「母さん、ホントにいいの? なんだか僕不安なんだけど……」
「何にも不安なことはないわ。ただ、ちょっと向こうで面食らうことがあると思うけど」
今度こそいつもの調子に戻って、ユイはいたずらっぽく言った。その様子に、シンジもほっと安心する。
「そ、そう。えっと、明日から四泊五日だけど……」
「大丈夫よ。四泊でも十泊でもいってらっしゃい」
「お金もカヲル君が全部出すって……」
「あら、それならラッキーね。せっかくだし、カヲル君の好意に甘えちゃいなさい」
だめだこの母親は……、あきらめてシンジは明日の準備をすることにした。
さて、シンジはなんだかユイにはぐらかされたような、しかしどこかほっとしたような複雑な気持ちで部屋につくと、荷物を置いて布団に倒れ込んだ。すると、時を見計らったように携帯端末が鳴った。カヲルからのメッセージだ。宛名を見てみると、アスカとレイにも送っている。一斉送信というやつだ。
『こんばんは、シンジ君。明日の連絡だよ。
明日は朝9時に駅前に集合でよろしく。持ち物は2日分の服と下着、水着で十分だよ。あとは暇つぶしにトランプか何かを持ってくるといい。お金は必要ないけど、向こうで飲み物を調達したりお土産買ったりするなら各自持ってきてくれ。じゃ、おやすみシンジ君』
カヲルらしい、簡潔で色のない連絡だった。だが、アスカと綾波にも一斉送信しているのに、なぜシンジだけに挨拶するのか。と、シンジが考えていたらもう1件メッセージが来た。
『ふふ、それはね、君はとても好意に値するからさ』
「……ちょ」
『驚いたかい? 君の考えていることはいつでもどこでも僕のアンテナで……』
「……」
そしてシンジは無言で端末の電源を切った。
「あなた」
「うむ、ついにこの時が来たか」
不安の色を見せる妻の言葉を背に、ゲンドウは重々しくつぶやいた。
「長かったわね」
「ああ」
「あの子のために、と思って今までやってきたけど」
ユイは手に持った分厚い本に目をやり、そっと閉じた。
「あなたが言った通りだったわね」
ゲンドウはただ黙している。その表情には、感情は見えない。
「だけど、私は信じたくなかった……まさか、二人が命を奪いあうことになるなんて」
「だが、避けて通れぬ道だ」
「ええ、きっと、そう運命づけられていたのでしょう。私にできることは、もうありません」
ユイはとす、と力なくベッドに座り込んだ。そんな妻の肩にゲンドウはそっと手を置いた。
「ユイ、私を信じろ。必ず、この争いを終わらせる」
「ええ、しんじてま」
「いい加減にしろおおおおお!!!」
どばーん、とドアをけり破ってシンジが侵入した。
「む」
「あら」
「何思わせぶりな会話をしながらゲームしてんだてめえらは!!! 」
ゲンドウの手にはスーファミのコントローラー、ユイはパソコンで攻略情報を見ている。
「うっわ、スーファミかよ。ふっる」
「スーファミを馬鹿にするな、シンジ」
やや不満そうな顔でゲンドウが言う。しかし、画面から目を離さない。
「見ていろ、ユイ。私は必ず勝つ。たとえどんな犠牲を払ってでもな」
「あなた……! いけないわ、この敵にその魔法は効果が―――!」
「続けんなあああああ!!!」
シンジは部屋に戻ってため息をついた。
「はあ、なんかキャラ壊れちゃったよ。なんで父さんたちはあんなにゲーム好きなんだよ。月一本は消費してるし……(完全攻略済み)。まったく、二人は本職の研究に没頭するならともかく、ゲームに没頭しているじゃないか」
ぶつぶつと文句を言う。かくいうシンジは据え置き型ゲームをしない。なぜなら携帯電話(スマートフォン)があるからだ。
「おや」
緩やかなバイブレーターとともに携帯電話(スマートフォン)が鳴る。アスカからの着信だ。
『シンジっ! 明日の準備終わった!?』
「うん、終わったよ。カヲル君が荷物を少なくしていいって言ったから、楽だったね」
『まあね。ところでシンジ、準備が終わったんなら暇よね!?』
「え? うん、今から相棒(スマートフォン)とアプリのサルベージに向かおうと思ってたけど……」
『―――アンタ、ホントそればっかりね。いい加減外の世界に目を向けなさいよ。そんなんだから根暗って言われるのよ』
「何言ってるんだアスカ! 相棒(スマホです)を軽く見ないでよ! 彼ひとり(くどいようですがスマホです)いれば何でもすべてが事足りるんだよ!?」
『うるさいわね。だからアンタは友達少ないのよ』
「やめてよ! それはリアルだよ!」
『まあいいわ。暇ならうち来てよ。準備手伝って』
「え!? なんで僕が……。てか女の子の準備に男はいらないだろ」
『い・い・か・ら。待ってるから、あと三分したら来なさいよっ!』
ぷつん、と電話は切れてしまった。現在時刻は夜7時。家からアスカの家まで自転車で五分。物理的に不可能である。親に送ってもらうという選択肢もあるが、彼らは現在異世界の冒険へ出かけている。アスカにどやされることを覚悟して、シンジは重たい腰を上げた。
「さて」
出かける前に親に一言言わねばなるまい。中学生が夜に出歩くなど不謹慎であるが、アスカの家に行くと言うならば、父さんも母さんも意味深に笑って許可してくれるだろう、とシンジは両親の部屋の戸に手をかけた。
「父さん、ちょっと今からアス―――」
「むう、何故だ。何故魔法がきかんのだ」
「あなた、このボスにはルカニは効かないわ」
「いつまでやってんだああああああああああ!!!!!!」
「遅いわね……。シンジのやつ」
アスカがシンジに召集の電話をかけてから3分。彼女は落ち着きなく部屋をうろうろしていた。その様子を部屋にいるもう一人の少女が見ている。
「……」
「まったく、遅刻かしら、シンジのやつ」
アスカはぴたりと立ち止まってため息をついた。レイは冷ややかにアスカを見ている。
「遅刻じゃないわ。ここから碇君の家までどんなに頑張っても、車なしでは3分で着かない。そしてこの時間帯、碇夫妻はゲームにのめり込んでいるはず。つまり、碇君があと3分以内にここに着くのは物理的に不可能。無理ゲー」
「どーだっていいのよっ! どうせバカシンジのことだから物理法則ぐらい軽くねじまげるでしょっ!」
「ねじまがっているのはあなたの体感時間もしくは性格」
バチバチと視線で火花を散らす二人。この少女らは共通の敵(カヲル)がいるとユニゾンもかくやという絶妙なコンビネーションを見せるのだが、それ以外の時間は何かと無駄に火花を散らしている。原因は言うまでもない。
ちなみになぜレイがここにいるかというと、毎年夏休みになると彼女はアスカの家にお邪魔することが多く、今日もお邪魔していたからだ。レイはひとり暮らしであるため、学校がないと誰とも会話しない生活になってしまうので、アスカの家族がレイを(無理やり)家に連れてくるのだ。だがレイも嫌がることはない。若干の申し訳なさがあるようだが。アスカもそんなレイの遠慮を敏感に感じ取っており、何かと理由をつけて(ゲームの相手をしろだの、ママがまた妙な趣味を始めて鬱陶しいから相手をしろだの)レイを家に呼ぶのだ。つまり、なんだかんだで二人は仲がいいのだが……
「バカ言ってんじゃないわよ。あんたの癖っ毛よりましよ」
「言ったわね。許さない。その栗色の髪をまとめて結いあげてちょんまげにして、根元からハサミでちょん切ってあげるわ」
「やっていいことと悪いことがあるわよっ!!」
バカスカとオールドコミックのように噴煙をあげて喧嘩する二人。その余りの騒音にアスカの母親であるキョウコがドアを乱暴に開けて入ってきた。
「うるさいわねっ!! 何喧嘩してるのあなたたちは!!」
右手に持ったスリッパでスッパーンと頭をたたかれる美少女達。クラスメートがこの光景を見たら、あまりのショックに大人の階段を三段ほど飛んで登ってしまうだろう。
「まったく。レイちゃんが来て嬉しいのはわかるけど、もう夜よ。静かにしなさい。あと私の趣味の時間を邪魔しないで頂戴」
齢40を超えるご婦人が頬を膨らませ怒っている。その姿からプンスカと擬音が聞こえてくるのは気のせいだろうか。二人は頭を押さえながらキョウコを見ると、
「……ママ、何それ……?」
「……」
「え? これ?」
キョウコの左手には、なにやら世界の一部の特殊な趣味嗜好を持つ人類が好みそうな美少女フィギュアが握られていた。
「知らないの? 今、巷で人気のアニメ『Hate/stay night』のヒロイン、セイバーオルタよ」
「いや、そこじゃなくて……」
がくりと肩を落とすアスカ。母はまた妙な趣味に目覚めたようだ。どうやらフィギュアの塗装をしていたようで、厚手のエプロンには黒やら赤やら群青やら妙に暗い色が飛び散っている。さながら画家のようだ。
「しかも何よ、セイバーオルタ? 何でヒロインがそんなに物騒な恰好しているのよっ」
「今はダークヒーローに追い風なのよ」
「ダークヒーローじゃなくて、ダークヒロインじゃないんですか?」
「それもそうね。このアニメの主人公ったら、料理が下手でニートでピザでヘタレでロリコンなキモヲタだから」
「何でニートが主人公なのよっ!!」
「それはもちろん、現代の社会問題をキャラクターに投影することにより、コンシューマの共感を煽っているからにすぎないわ」
「むしろ気になりますね。主人公が最低スペックのキモヲタニート……。誰得」
三人が姦しく会話していると、玄関からぴんぽーん、とインターホンが鳴った。
「あら、誰かしら」
「シンジよ、ママ」
なぜ、とキョウコは怪訝な顔をする。それもそうだ。明日からシンジたちと旅行に行くのは重々に承知しているが、なぜこの時間にシンジが来る必要があるのか。
「もしかして……」
ぽん、と彼女の頭上に豆電球が浮かぶ。レイは静かにそれを見つめていた。この人はよからぬことを考えつくと、なぜか頭上に豆電球が出現する。そして気がついたら消えているのだ。先ほどのプンスカという擬音も同じスキルである。ちなみに碇家の母もおなじことができるらしい。以前そのことについて尋ねたら、「思春期を過ぎると使えるようになる」と言われた。
「何考えてるのか知らないけど、そんなんじゃないんだからね。ちょっと明日の準備を手伝ってもらおうと思って呼んだだけなんだから」
母親に指をつき付けぴしゃりとのたまうこの少女。キョウコとレイは二人顔を見合わせた。
「こうもスラスラとツンデレテンプレートが出てくるなんて……。わが娘ながら恐ろしいわ」
「同感です。ツンデレにジャンルの垣根はないんですね」
「何の話をしてるのよ!!」
ぴんぽーん、と再度インターホンが鳴る。
「はーいはい! ちょっと待ってなさい!」
「やあ、アスカ」
玄関を開けると、ニコニコしたシンジがいた。その顔を見て不審そうに睨みつけるアスカ。
「なにニヤニヤしてんのよ。なんかいいことでもあった?」
「だって、アスカの家に遊びに行くなんて、久し振りだから」
邪気のない言葉に、アスカはかあっと顔を赤らめた。
「な、何言ってんのよ! 何回も来たことあるじゃない」
「でもさ、前来たのって、もうだいぶん前だろ? いつも遊ぶ時は僕の家だから」
シンジは礼儀正しくおじゃまします、と一言おいて靴を脱ぎ家にあがる。脱いだ靴を並べようとした時、シンジはあることに気がついた。
「あ。綾波、来てるんだ」
「こんばんは、碇君」
気付かれるのを待っていたかのように、音もなくスライドして現れるレイ。その後ろにはキョウコが続いた。キョウコが何もない廊下の片隅からフェードインしてきたことについては、触れないことにする。
「いらっしゃい、シンジ君。久しぶりね」
「こんばんは、綾波。キョウコおば……お姉さん」
おば……のあたりでキョウコの目が鋭く光った。相手の顔色を窺うことを十八番としているシンジは敏感にもそれを感じ取り、最善の選択を推測・演算して最良の答えを出した。もしケンスケが同じ状況だったならば、キョウコのビンタできりもみ回転をしながら玄関を突き破り、そのまま向かいの民家を破壊しながらいずれ粉々になるだろう。(バッドエンド3)
「ごめんね。またアスカのわがままを聞いてもらって。シンジ君は優しいわねえ。まるで動物園の飼育員さんみたいよ」
「いえいえ。アスカのはわがままじゃなくて命令ですから。僕も否応なく応えているんですよ」
アハハウフフと会話するキョウコとシンジ。その横ではアスカが額に青筋を浮かべプルプルと震えている。二人の顔に、冗談の色はない。だんだん戦闘力が上がっていくアスカを見て、レイが彼女に手を置いた。
「アスカ、二人に悪気はないわ」
「何であんたがフォローすんのよっ」
つい出た余計なひと言のために、すぱんと頭をはたかれるレイ。
「じゃあ、シンジ君。アスカをよろしくね。心配しなくても大丈夫よ。アスカ、初めてだから。あなたがリードしてあげてね」
「え?」
「な・に・バ・カ・な・こ・と・言・っ・て・ん・の・よ」
ニコニコといい笑顔でとんでもないことを告げるキョウコにアスカのチョーキングが決まる。ギリギリと首の骨を締めあげられキョウコは泡を吹いて床に崩れ落ちた。
「あ、落ちた」
「まったく、アスカは乱暴ね」
カバンに鉄板を仕込む女が、やれやれとばかりに言う。シンジは突っ込みそうになった舌を必死で噛み殺した。
「うっさい、レイ。……まあ、とにかくあがんなさいよ。あたしの部屋、わかるでしょ?」
「う、うん」
飲み物持ってくるから、とアスカは台所へ向かった。シンジはレイとともに床に倒れ伏したキョウコを心配しながらも何もせず部屋へ向かった。
「で、僕は何で呼ばれたのかな」
「……う」
アスカの部屋でひととおりゲームをした後、シンジが思い出したように言った。呼び出した理由を完全に忘れていたアスカは言葉に詰まる。レイはその様子を横目にニヤニヤと笑っている。
「確か、明日の準備をするって言ってたよね」
シンジの何の含みもない言葉が胸に刺さる。明日の準備などすでに済んでいる。そもそも、シンジに手伝ってもらうようなことなどない。それは明らかなはずだ。はずなのだが。
「うるさいわね。どうだっていいでしょ、そんなこと」
「いや、どうだってよくないよ!?」
アスカがぷい、と顔をそむけると、そこにはニヤニヤしたレイの顔があった。
「碇君、アスカはね……」
「ん?」
「わーーーーーー!!! 何を言うつもりなのよ!!!」
「好きなんだよ、君のことがね」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ちょっと」
「ん? なんだい?」
「……いやいや、なんだじゃなくて」
「どうしたんだい? シンジ君。まるで二日酔いで死にそうな月曜日のミサト先生のような顔をして」
「……カヲル、なんであんたここに居んのよ」
「…………」
いつの間にか、シンジの隣にはカヲルが座っていた。黒のランニングにチノパンというラフな格好をして、右手にねるふサイダーと書かれた怪しい缶ジュースを持っている。
「何でって、それはもちろン゛ッ」
わかったからもう言わなくていい、とばかりにアスカの拳がカヲルの顔面にめり込む。カヲルは床と平行に吹っ飛びベッドの角に頭をぶつけた。
「ア、アスカ……! いくら突っ込みどころがありすぎるからって、マッハ突きしなくても……」
「普通のストレートじゃ効かないのよコイツはっ!!」
「そういう問題じゃ……」
追撃を試みるアスカを必死でおさえるシンジ。その横でレイは静かにジュースを飲んでいた。
「ちょっ、とは、手伝っ、て、よ、綾波……」
「心配ないわ。彼が死んでも代わりはいるもの」
「いないよ!! こんなところでその名台詞を消費しないでよ!!」
アスカの攻撃の流れ弾を食らい、HPが尽きかけそうになっていると、倒れていたカヲルがムクリと起き上った。
「甘いね、アスカちゃん。僕はワンパターンな突っ込みには耐性がつくのさ。もう君のマッハ付きは通用しないよ」
「へえ、そうなの。それじゃあ……」
アスカはクローゼットから人ひとり分の大きさのバズーカを取り出す。
「ちょ」
「このくらい余裕よね」
何の躊躇もなく導火線に火をつける。さすがのカヲルも冷や汗をだらだらとかき始めた。
「いや、アスカちゃん……、何の前振りも脈絡もなく、ギャグ漫画の鉄板武器を取り出すなんて……」
「残念ね、カヲル」
バズーカの砲口を両手で抱えてカヲルにロックオンする。
「あんたが絡むと、何でも許されるのよ!!!!」
「タブリーーーーーーーーーーーーーーーーース」
地を揺らすほどの轟音が響き、カヲルが吹っ飛ばされる。部屋の壁には大きな穴があき、モクモクと煙が充満する。破壊された部屋から見える月は、優しく僕らを照らしていた――。
結局、カヲルは出オチで処理されたまま、シンジはアスカの部屋の修理を命じられた。修理が終わった時、もう11時を過ぎていた。ちなみにあのバズーカはキョウコが作ったものらしい。それでさすがに責任を感じたのか、キョウコが車でシンジを家まで送ってくれた。何度も謝るキョウコに礼を言い、まだゲームをしていたバカ親に説教をすませると、シンジはベッドに倒れ込み泥のように眠った。
アスカがいて、レイがいて、カヲルがいる。父さんも母さんもいる。大切な人と、同じ時間を共有している。だから、自分が不幸だなんて考えたこともなかった。だから、自分が何者なのか、考えようともしなかった。こんなラブコメじみたことをいつまでも続けられると思っていた。
だが、物語は進み、人は変わる。信じていたものが、星屑のようにきらめいて灰になる。
シンジはひとり、星を見た。父と母のあの態度が、脳裏をよぎり、なかなか寝付けなかった。