横島忠夫が記憶を取り戻してから9年。
能力を本格的に鍛え始めて4年。
そしてチャクラを輪廻させて2年と少し。
昨日、サハスララ(頭頂部)チャクラを開いた。
最後のチャクラ。
第7チャクラはチャクラでありながらこれ以外のチャクラとはものが違う。
サハスララはチャクラを司るチャクラ。王冠のチャクラだからだ。
人体の精神的な統合をもたらすもの。
仏教風にいえば解脱。
唯一神教風にいえば神の一つ児。
神道風にいえば現人神。
昨日、横島忠夫は、人間として生きることを望みながら、人間であることを止めた。
人でありながら人外のもの。
特に何かが変わったわけではない。
横島忠夫を構成するものは何一つ変わったわけではない。
データ的にいえば100%人間に他ならない。
三界の誰が見ても横島忠夫が変わったわけではない。
ただ世界は認めたのだ。
横島忠夫が一切の束縛から解き放たれるのを。
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「下地は昨日完了したし、これからは応用しなくちゃな。」
いつもよりもっと深い山の奥。
人里などは遥かに遠い場所。
今日ここに来たのは体を虐めるためではなく、自分の技を見つめなおすために来た。
俺は霊力の収束に秀でている。
はっきりいって単純な技だ。
文殊のお陰で万能に近いように見えるが、逆に言えば文殊がなければ固めて硬くすることしかできない。
同時に人間が神魔を相手取るためには有効な手段だとも思う。
部分的には自分の霊力以上の霊力を発揮できるからだ。
俺の霊圧が100マイトに届かなかったころでも文殊を使えば300マイト近い霊圧を作り出せた。
双文殊でアシュタロスに傷を与えることもできた。
まぁ、圧倒的戦力差でちょっとやそっと霊圧を上げたって役に立たないのもまた事実なのだが。
例えば霊波刀。
霊波刀を扱う霊能力者は少ない。
特別習得が難しいというわけでもない。
色々と理由はあるのだが、普通に扱うにしては効率が悪すぎるからだ。
霊波刀を西洋剣、神通棍を日本刀と考えればわかりやすいだろうか?
霊力だけで刀を形成してもどうしても脆くなり、霊力の消耗は激しいわりに切れ味はたいしたことがない。強さと切れ味の両立が難しいからだ。
神通棍という地金の周りを霊力でコーティングした方が丈夫で切れ味がよく霊力の消耗が少なくて済む。精霊石回路に霊力を送り込むことで効率よく霊力が使え、丈夫さは神通棍のもつそれに委ね、使い手は純粋に攻撃力に意識を向けられるからだ。
地金となるものが霊剣や妖刀、神剣、魔剣の類なら余計に顕著となる。
故に、霊波刀を使うのは一部の物好きや俺のように霊力の収束を得意にしているもの、霊波刀の扱いに長け、霊波刀に誇りを持つ人狼族のような存在に限られるわけだ。
しかし、メリットが無いわけではない。
イメージを固めるために決まった形をとることが多いが、本来霊力というのは不定形。イメージさえできればどんな形にも変化させられるはずだ。
それは俺の霊能力の特性でもある。
即ち、単純であるが故に応用性は広い。
「まずはサイキック・ソーサー。」
今出しても初めて作ったころと形も大きさも、込められている霊力量もそんなに変わっていない。
つまりサイキック・ソーサーとはこういうものだという固定概念が俺にはあるわけだ。
単純に大きくしたりは・・・できるな。
簡単にできた。
過去の俺とは違い今の俺には知識がある。
知識が霊力の特性を意識に刻み込み、それが可能であると確信が持てたからであろう。
形を変えることもできた。
冥子ちゃんに式神の扱いを教えるために水で動物を形成するという修行が俺のイメージングも強化しているのだ。
明日からでも俺も本格的にあの修行を取り込もう。
思わぬ収穫だ。
そして操作。
サイキック・ソーサーを限界まで回転させる。
六角形の盾が円盾にしか見えないように回転する。
【爆】の文殊を近くに投げた。
同時に起こる爆発を回転させた盾で防ぐ。
盾の回転は爆風も爆炎も受け止めることをせず、
受け流し、散らした。
実体を持つものであれば受け止めた瞬間相手に大きなダメージを与え、実体を持たないものに対する防御力も上昇している。
そして投げる。
回転しながら飛んだ盾は途中の木々を貫通し、細い枝葉は切り落とし、目標にした岩に突き刺さる。
こめる霊力を一気に上げた。
盾が内側からの圧力に耐え切れなくなり、爆ぜた。
内側から岩が爆発する。
こちらまで飛んできた礫を回転させたサイキック・ソーサーで防ぐと石は砂になるまで砕かれ遠心力で吹き飛ばされた。
サイキック・ソーサーを回転させる試みは成功といえるだろう。
「サイキック・ソーサーは今のところこれでいいかな。攻撃力も防御力も応用性も広がったわけだし。次は栄光の手だ。」
栄光の手を出す。
こちらは思わぬ苦戦をした。
発想は間違えていない。
長さを変えたり、形を変えたり、あるいは発生させる場所を変える。
その試みは成功した。
しかし出力がどうしても落ちてしまう。
「・・・イメージを固めなければ思うような出力はえられないか。」
ためしに実在する武器、両手剣、斧、槍、斧槍、弓、棍棒。
銃器こそできなかったが先ほどよりはいい。
本来の栄光の手よりも出力は落ちるが実用できる範囲だ。
「型に嵌めればその分イメージはしやすくなる。だがそれでは応用性に乏しいか。・・・イメージの修行が済むまで保留だな。」
そして俺の切り札ともいうべき能力。
「文殊にだって発展は望めるはずだ。双文殊という実例があるわけだし。」
しかしこちらはなんら手ごたえがない。
込める霊力の質を換えても、
霊力量を変えても、
文殊に変化はおきなかった。
「・・・流石に一筋縄じゃいかないか。」
霊力収束の究極の形ともいえるのだから。
こちらもしばらく研究が必要だろう。
「ユリン!」
最後にパートナーのユリン。
ユリンの両親は元々オーディンに人間界の情報をもたらすのが役目。
故にフギン(思念)とムニン(記憶)という名前を与えられていたのだ。
ユリンも俺と意思疎通を行い、遠く離れた場所の映像や音声を俺に伝えることができる。
最近では強力な霊視もできるようになったため見鬼君は必要なくなった。
戦闘系の俺にはそういうサポート的な役割をこなせるパートナーはありがたい。
「ドラウプニール!」
分裂する金の指輪の名前を冠した技。
核となる本体以外は殺されても復活するし、本体とほぼ同じ能力を有した分身を数十体作り出せる。
俺の霊力が強くなればその数はさらに増える。
それぞれが霊的攻撃もできるので雑魚霊の掃討に向くし、強敵相手の足止めも可能だろう。
この能力だけでも単純な戦闘力で12神将を大きく超えている。
「フレスベルグ!」
世界樹の頂上で死者の魂を食らう巨鳥の名前を冠した技。
翼長8mにまで巨大化し、数人なら背に乗せて飛ぶこともできる。
あいにくドラウプニールと同時に行うことはまだできないができるようになれば中級の魔族でも相手取ることが可能だろう。
「ドヴェルガー!」
黒小人の名前を冠した技。
フレスベルグとは逆に小さくなる。大体2cm程度まで小さくなれるので偵察の時にはこの形態をとり、ドラウプニールとの併用も可能。
直接的な攻撃力はともかく霊的な攻撃力は大きさに左右されないため、霊的な攻撃としてはこの形態が1番使い勝手が良い。
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・・・俺は強くなった。
今ならメドーサを相手にしても負ける気はしない。
ベスパを相手にしても戦い方次第では勝てるはずだ。
だが、全然足りない。
俺は、究極の魔体に勝たねばならない。
最低でもあれに勝たねばならない。
それが・・・俺の役割だからだ。
時間がない。
数年のうちにアシュタロスは行動を始めるだろう。
「畜生!」
不甲斐ない自分に対する怒りをぶつけるように手近い樹木を思い切り殴りつけた。
霊力も何も込めていない拳は大人が1抱えほどの樹木にあたり、
その樹木をへし折った。