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No.5163の一覧
[0] 日常の続き(GS美神後日談)[材木](2008/12/12 08:12)
[1] 続・日常の続き 第1話 (GS美神後日談)[材木](2008/12/11 21:53)
[2] 続・日常の続き 第2話 (GS美神後日談)[材木](2012/01/27 00:43)
[3] 続・日常の続き 第3話 (GS美神後日談)[材木](2012/02/01 00:34)
[4] 続・日常の続き 最終話 前篇 (GS美神後日談)[材木](2012/02/01 00:35)
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[5163] 日常の続き(GS美神後日談)
Name: 材木◆040defa1 ID:593f3ebe 次を表示する
Date: 2008/12/12 08:12
 物語では。
 物語では、大抵夢を見るものである。
 あのようなことがあったのだから、そのような夢を見るべきである。
 深夜(三時くらいがよい)に寝汗で肌着をぐっしょりと濡らして、臨場感たっぷりな悲鳴などを上げつつ
飛び起きるのが定石であろう。
 そして閨を共にしていた美女の問いかけに対して、なんでもないよと作り笑いでも浮かべればより完璧だ。

 しかし、生憎と自分が見る夢は、日常のどうというこもないものばかりだった。
 朝の七時三十分。布団から上体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を眺める。月に一回掃除をすれば上等な汚い自室。
当たり前だが隣に美女はいない。そのような機会が今後一度でも訪れるのだろうかと、深刻で現実的な疑問が
脳裏をかすめる。

 ふわぁとだらしのない欠伸をこぼし、横島忠夫いつものように目覚め、いつものように着替え、いつもの
ように事務所へと向かった。






 午後、日暮れ前。一仕事を終えた彼らは事務所内で一服する。シロとタマモはおらず、美神、おキヌ、横島の
三人だけであった。
 テーブルに二つ、所長卓に一つ、カップが置かれている。カップの中にはややこしい名前の豆を炒った
コーヒーが注がれていたが、その良さを詳細に理解できる者は生憎一人しかいなかった。
 その一人、美神令子が上機嫌で笑う。

「うーん、やっぱり支出がほぼゼロってのは気分がいいわー」
「……そりゃようございました」

 対して、やや不機嫌顔で横島がぼやく。もっとも、今回の除霊に用いられたのが彼の栄光の手のみである
ということを鑑みれば、当然であるかもしれないが。

「あら、不満? あなたの修行も兼ねてたつもりだったんだけど?」
「いや、師匠の美神さんにそう言われたら、俺としちゃ従うしかないんですけどね。でも文珠を使わせて
くれてたら、もちっと楽できましたよ」

 依頼は単なる浮遊霊の除霊であった。ただし群体の、である。文珠の一つで容易く祓えたはずだったのだが、
美神の指示により栄光の手を使い、ちまちまと一体ずつ削っていった横島は、つい先程までまともに立てない
ほどに疲労していた。

「前から言ってるでしょ。あんた、文珠に頼りすぎ。便利で使い勝手もいいから気持ちも分かるけど、回数制限が
あるんだから。いざというときに珠切れでした、なんてことになったら目も当てられないでしょうが」

 素晴らしいまでの正論ではある。だが、横島忠夫という人間はどうしようもなく低きに流れることを良しとする
人間であるので、将来苦労することになってもいま楽をしたいというのが本音であった。

「でも横島さん、最近すごく頼りになりますよね」

 にこにこと、巫女服を着た少女、おキヌが会話に混ざる。横島の対面のソファーに腰掛けて、カップと
ソーサーを持ちながら続けた。

「今日のお仕事も、ほとんどお一人で片付けられましたし」
「あ、やっぱそう? くぅー、おキヌちゃんはほんとにいい子だなぁ。俺が独立したらいの一番に声をかけるからね」
「え? ……えー!?」
「現雇用主の前ですごくいい度胸してるわねこのクソガキ」

 スプーンを棒手裏剣のように構え始めた美神が視界の端に入り、横島は背筋を伸ばして冗談ですと謝罪する。
もはや条件反射にも等しい反応であった。
 おキヌがそのお決まりの光景をくすくすと笑い、次いで懐かしそうに両目を細める。

「でも、こうして三人だけですと、昔を思い出しますね」
「――そういえばそうね。最近だと、大抵シロかタマモのどちらかがいるし」

 昔を懐かしんでいるのか、奇妙にしんみりとした空気を女性二人が生み出している。おキヌちゃんとの出会いは
落石で殺されかけた時なんだよなと、ちらりと横島は考えたが、それをこの場で口にしない程度の
配慮は(最近ようやく)学んできていた。

「と、コーヒーごちそうさまでした。それじゃ俺、そろそろ失礼しますね」
「あ、はい。お疲れ様です」

 横島が腰を上げると、見送りのためかおキヌも立ち上がった。そうして二人が扉の手前まで歩いた際に、
美神が声をあげる。

「横島くん」
「――?」

 また自分は何かしでかしただろうかと不安げに振り返る。美神は一度横島の目に視線を合わせ、
一拍おいてからわずかに目を逸らし、言う。

「まあ、今日はよくやったわね。これからもがんばんなさい」

 何気ない口調、というよりも、必死に何気なさを装った口調というほうが正確か。実際、おキヌは笑いの衝動を
堪えるのに苦労していた。

「それは求婚の婉曲的な表現でしょうか」
「ほんっとーにどういう脳味噌の構造してるのかしらあんた」

 今度は横島を真っ直ぐに見つめながら、というよりも睨み付けながら美神はこぼす。その怒気をかわすように、
やや乾いた笑いを浮かべて、

「はは、これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしまーす」

 そう言い捨て、横島は逃げるように退散した。
 背後で扉の閉まるそっけない音を聞きながら、胸中で本音をこぼす。

(まあ、実際のところ――)

 今の環境はそれなりに居心地がいいのである。折につき独立だのと口にしてはいるが、自分が所長などと
呼ばれている状況は想像さえつかない。
 調子に乗りやすくはあるが自己の能力を過信できない、それが自分という人間なのだろうと、横島は他人事の
ように分析していた。






「はいよ、爺さん。美神さんから預かった謝礼金」
「おおおお! ついにきたか!」

 喜色満面で、それなりに厚みのある封筒を渡され、ドクター・カオスは声を上げる。
 横島は事務所を辞した帰り道、美神からのお使いを済ませるべく古臭いアパートへと寄っていた。
 いま渡した謝礼金がどんな依頼をこなしたものなのか、多少は気になったが、尋ねることはしない。金にも
つてにも不自由ない美神が、わざわざこの老人へ頼んだ仕事内容など、絶対に真っ当なものではあるまい。
自分の月給よりもはるかに厚い封筒にやっかみを感じはするが、どうせ三分の一は家賃と生活費で消え、
残りもどうでもいいような実験費用で消えるのだ。嫉妬しても意味はない。
 マリアに出してもらったほうじ茶を啜りつつ、横島は言う。

「なあ、言っても無駄だろうと俺も思うんだけどさ、しばらく変な実験とか止めて金ためたら? 俺が当分手に
できないような金額を一瞬で使い切られると、正直かなりむかつくんだが」
「馬鹿を言っちゃいかん。わしに研究を止めろと言うのは、呼吸を止めろと言うに等しいぞ」

 きっぱりと、微塵の躊躇もなく言い切るカオスに、不可解な苛立ちを感じる。らしくもない棘のある言葉が
ぽろりと横島の口から零れた。

「どうせ成功しやしないだろう? 無駄だって分かってるんだったら、最初から止めてもいいじゃないか」

 一瞬、真顔を老人は覗かせたが、すぐににやりと骨太な笑みを浮かべて見せた。

「ふふん。そいつは正に『いまさら』だな」

 しわくちゃの顔だというのに、妙に生気溢れた印象がある。それは、実績に裏付けられた自信を持つ、
男の顔でもあった。

「わしが何年生きていると思う? その長い人生の中で、何度同じことを言われたと思う? なるほど、
傍目にはただの失敗にも写ろうし、無意味な行いにも見えようよ。だがな、ほんの半歩でも前進する欠片が
見えれば、それは無駄ではないのだ。むしろその積み重ねこそが、大成へと至る道となる」

 自信満々の口調である。それを横島は、我ながら子供じみていると自覚しながらも、揶揄せずにはいられない。

「つってもあんた、ところてん式に昔のこと忘れていってるじゃねーか」
「だからどうした。忘れたのならまた一から始めればよい」

 平然と、実に平然と、カオスはまたも言い切ってみせる。
 つまるところそれは、横島の抱く疑問も煩悶も、当に通りすぎているということであったのかもしれない。
 横島は呆れ、また若干の羨望も胸中に生まれつつ、ぼやくように言う。

「……なんとなく分かった。ようするにあんた、その歳でまだガキなんだな」
「左様。であるからこそ、わしはヨーロッパの魔王と呼ばれるに至ったのだ」

 呵呵と老人は笑う。なるほど、確かにそれは、諦めることを知らない子供の笑顔だった。






 美神令子も、たまには買い物をする。
 例えば、自炊をしたくなった時であるとか。例えば、たまたまおキヌが学校の友人たちと外出をしているとか、
そういった時である。
 ビニール袋に食材を詰めて、ヒールをかつかつと鳴らしながら彼女は歩く。ただでさえ目立つ美貌に加え、
モデルにも勝る姿勢正しい歩き姿は、自然と衆目を集めた。とはいえ、声をかけてくる男たちはいない。
そのような隙ともいうべきものが、彼女からは一切欠けていた。
 日暮れ前、赤く燃える太陽からの紫外線を気にしつつ、美神は昼間の仕事のことを思う。

(まあ、実際、よくやってるんだけどさ)

 横島忠夫のことである。美神自身の性格と、横島の気質のせいで、あまり面と向かったほめ言葉を口にしては
いないが、それが彼女の、彼へ対する正直な評価であった。
 霊力の量、質。技能の汎用性の高さ。経験不足を埋めることができれば実際、世界のトップクラスともいえる。
いや、そもそもあの子は、模擬戦とはいえ、ただ一度だけとはいえ、正真正銘の世界トップクラスのゴースト
スイーパーである自分に勝ったこともあるのだ。本人はそうと知らないとはいえ、あの奇妙な自身のなさは
なんなのだろうか。

(……私のせいも、多少はあるかもしんないけど)

 これまでの自分の接し方が一因だと言われれば、ちょっと否定の言葉が浮かばない。だが、あの出会い方で、
あの性格で、あの見た目の少年が、自分と互する実力を得るなどと、いったいどこの誰が思おうか。例え神様に
予言されていても、自分は信じなかったに違いない。
 ぶつぶつと、言い訳じみたことを口内で呟きながら歩く。歩調がやや乱暴となっていた。

(でもまあ、あと三年ってところかしら)

 歩調が乱暴となっても、思考は冷静に働く。三年とは、横島が一人立ちが可能となるであろう期間だった。
彼に足りないのは、自信と経験のみである。実は、実績は十分にある。対アシュタロス戦で中心であったし、
我ながら面映いが、この美神令子の弟子であるということも、十分な広報材料となるだろう。
 三年。わずかな(断じてわずかである)寂しさを感じはするが、きっと先生もこんな気持ちだったのかと思えば
どうということもない。
 そうして彼女が、来るべき未来に対する精神的な整理をつけつつあるとき、視界の先にその少年が見えた。
絶妙のタイミングで出会ったことに気恥ずかしさを覚え、すぐになぜ自分がそんなものを感じなければならない
のかと腹立たしくなり、美神は声をかけようとして――。

 踵を返す。若干遠回りとなるが、別の道を通って帰宅することにする。ついさきほどまで、終えようとしていた
心の整理が再びぐちゃぐちゃになる。駄目だ。やっぱり駄目だ。三年などではまったく足りない。己の愚昧さに
胃が裏返りそうになる。師匠面をして、いったい自分は何を見ていたのか。

 あの子が、これから行こうとしているのは――。






 かなりの苦労をして、横島はそこへ座った。発見されれば地方記事の三面に載ることは確実であったため、
文珠で姿を消し、栄光の手を伸ばして鉄骨を掴み体を引き上げ、何度かバランスを崩して下腹に氷塊を落とし
ながらもたどり着く。塗装された鉄骨で作られた、三角錐のタワー。さすがに、頂上まで登ることは叶わな
かったが。

 腰を下ろしたまま、自販機で購入したコーラを開ける。ここで高級な銘柄の酒瓶でも携えれば絵になった
だろうが、後でここから降りなければならないため、さすがアルコールは自重した。
 缶に口をつける。別にこんなところだからといって旨くなるわけでもない、ただのコーラだった。そして、
視線を転じて見る。たったいま、空から没しようとする赤い輝きを。
 別に、綺麗でもなんでもない。水平線やら自然溢れる森林であれば、夕日も映えるだろうが、空気が悪く
ごみごみした作りの街の中で、いちいち日暮れの景色に感動する訳もない。
 結局のところ、こんなものに美を見出すのは、人生経験に不足している頭でっかちな者くらいであったのだ。
長く生きていれば、それこそ己のような、わずか二十年弱の生の中でさえ、他の綺麗なものなどいくらでも
見つけられる。

 横島は一度、缶を持っていない手で胸元を押さえる。そしてそのまま、まったく綺麗とは思えない夕日を
ぼんやりと、気だるげに、けれども最後まで眺め続けた。






 一月後、大仕事が舞い込んできた。とある富豪の別荘に、二匹の正体不明の妖怪が住み着いたという。
除霊に向かったスイーパーはこれまで四組いたが、その全てが失敗したらしい。しかも内二組は、死傷者まで
出たとのことだ。とはいえ、危険な内容だからといって美神が二の足を踏むはずもなく、依頼者の提示した
金額に彼女は快諾して見せた。
 飛行機と新幹線を乗り継いで向かった現場は、実に風光明媚な場所であった。こんなところに別荘を持つ
依頼者に対して、横島が妬みを覚えるほどの。

「金持ってる連中は、とことん金持ってますねー」

 半分閉じたような目で、横島は別荘である洋館を見る。木製の三階建て。玄関の構えといい、実に金銭が
無駄に使われてそうな建物であった。ただ、かなり荒れている。庭は雑草が伸び放題であるし、館の壁は
ところどころ塗装が剥がれてもいた。

「そう? 私も同じようなの持ってるわよ」

 そりゃ美神さんは、と言いたげな目を雇われ者の少年少女はする。なにしろ、とことん金を持ってる連中の
筆頭のような人だ。
 気を取り直し、横島が言う。

「とりあえず、どうやって調査しましょうか?」
「もちろん一番ベーシックな方法でよ」

 美神が告げたプランは、一階の端の部屋より順々に結界を張っていき、徐々に妖怪の潜伏場所を埋めていく
という、地味だが確実な方法だった。
 なるほどと横島は納得して、

「分かりました。俺と美神さんで、二方向から攻めますか?」
「……いえ、相手の正体がまだ掴めてないわ。固まって動きましょう。奇襲に対処できるよう、防御用の文珠を
用意しときなさい。ちなみに残弾は?」
「ええと、六個です」

 言いつつ、文珠の一つに「防」の文字を刻む。と、思い直し、同じものをもう一つ作ると、それをおキヌへと
手渡した。気配感知に関しては彼女のほうが優秀だ。

「おキヌちゃん、お守り。いざという時は頼むよ」
「あ、はいっ」

 やや強張った表情で頷く。前任者の中に死傷者がいたというのが、緊張を生んでいるのだろう。ただ、緊張は
していても、怯えは見えない。
 まあ、当然かと横島は納得する。なにしろ、正真正銘の世界最高GS、美神令子がそばにいるわけだし。

「横島君、右端の窓をお願い」

 へーい、と気安い返事をしながら従う。露払いは俺なのか、といった疑問はいまさら別に浮かばない。
 右手に、横島は意識を集中する。その意に沿い、即座に固形化された霊力が、篭手のように右手を覆い始める。
白黄色に輝く、片腕のみに顕現する霊気の鎧。栄光の手とそれを横島は呼ぶ。
 美神の指示した窓へ、右手を伸ばす。爬虫類の前足のような鉤爪を持った右手が、五メートル十メートルと
文字通り伸びて、目標へと到達した。
 ぱりんと、特に抵抗もなく窓ガラスが割れる。一瞬、二瞬とそのまま待つが、館内からの反応はない。そして
彼らは美神の指示の下、そこを調査の起点として侵入を開始した。






 調査は順調に進む。むしろ不気味なほどに。妨害も、妖気の残滓すら感じることはなく、彼らは各部屋を
浄化し、結界を張っていく。

「ひょっとしてもう逃げてる、なんてことは……」
「望み薄ね。変に期待すると、油断を招くわよ」

 希望的観測を口にするおキヌを美神が諌める。彼女の警戒は侵入時からまるでぶれることがない。これが
一流のスイーパーであるのかと、横島はいまさらながらに感心した。精神面においても隙の多い自分が、この
域に達するまで、はて、いったい何十年かければよいのやら。――と、

「あれ、美神さん」
「なに? なにか見つけた?」
「いえ。なんか変な声、聞こえませんでした?」

 眉根を寄せて、美神が振り返る。彼女には聞こえなかったのだろうかと思い、繰り返す。

「ほらさっき、女の声みたいなのが……あ、ほら。今も」
「――発情してるって訳じゃなさそうね。どこから聞こえる?」

 さりげなくひどい台詞を挟んでから、美神が問う。どうも、彼女には聞こえていないようだ。
 これは自分ひとりを誘っているのかと薄気味悪く思いながら、横島は声の聞こえてきた方向を指で指し示し、
美神に先んじて足を踏み出す。

「ええとですね、こっちのほうから、若い女の人の泣き声みたいなのが……」

 声は途中で途切れた。物理的に。横島が口を噤んだわけではない。踏み出した足が床板を踏み抜き階下へ、
ここは一階であるため地下へと体ごと落下したためだ。
 腕が宙を泳ぐ。内臓が浮かぶという落下特有の感覚を飲み込みつつ、妖怪が落とし穴? と疑問に思う暇も
なく横島は、二人の女性の鋭い叫びを後方に聞きながら、暗闇の底へと沈んでいった。






「だあっ! くそ、いってー!」

 三メートルほどの自由落下の後、横島はそう毒づく。幸い怪我はない。人並み以上に頑丈に産んでくれた
両親への感謝を呟きながら立ち上がり、周囲を見回した。当たり前だが、地下であるため大変に暗い。
右手に栄光の手を出し、明かり代わりとしながら改めて周囲を見回す。人影もなく、先ほどの声もいまは
聞こえない。それでも美神を見習い、警戒を解かないまま、

(と、そうか)

 よくよく考えれば、ほんの三メートルほど上には二人がいる。無理に自分ひとりで危険を冒す必要はない。
ロープで引き上げてもらうなり、また三人でここを調査するなりすればよい。
 そう思って、やや楽観しはじめた横島の耳に、ふたたび声が響いた。声。声である。

 ――マ、

 声。声であった。聞き覚えのある声。
 ぞっとするほどに、聞き覚えのある声。

 ――コ――、

 額に汗が滲み出す。顔から表情が消ええていく。栄光の手によりぼんやりと窺える暗闇の奥から、その声は
聞こえてきた。
 いいや、声だけではない。その、姿までも。

 かつて、その姿を、自分はコスプレのようだと揶揄した。

 ――ヨ、――マ、

 暗がりの奥から一人の少女が姿を見せる。生まれたての小鹿のような足取りで、横島を包む白黄色の明かりの
中へ、じわじわと姿を見せる。

 ――ヨコシマ

 距離が縮まる。囁きはすでに耳元で響いていた。
 何度、その声を再び聞くことを願ったか、何度自分は夢でも構わないと祈ったか。奇跡を、何度も何度も
希ったのだ。全ては冗談であったと、彼女が笑いながら現れる瞬間を。
 距離が縮まる。互いの瞳の色を判別できるほどに。横島は見る。かつてと変わらない、蛍の外羽のように黒い、
その瞳を。
 左腕が、自然と少女の後ろ腰に回っていた。折れそうなほどに細い。力を込めて引き寄せる。とても耐えられず、
横島は顔が俯かせた。
 夢見るように、少女が唇を綻ばす。

 ――ヨコシマ、愛して
「黙れ」

 告げ、霊気の鎧で覆われた右爪を翻す。狙いは過たず、女の胸元に突き刺さった。
 肉を抉る感触さえない。瞬時、蜃気楼のように揺らめいた女の姿は、空気に解けて消えていった。
 横島は顔を俯かせたままである。一秒、二秒と、呆と立つ。何も起こらない。――いや。
 声が、再度響き始める。声、もはや、懐かしささえ感じてしまうようになった、彼女の声が。

 ――ヨコシマ、 ――ヨコシマ、 ――ヨコシマ、

 無数に、いくつもの、寸分たがわぬ声と姿が、横島の放つ明かりを侵食していく。暗がりの中で明かりを求める
その様子は、ああ、何ということか。俺は今、蛍のようだと思ってしまった。
 声が響いている。ヨコシマ、ヨコシマと。ヨコシマ愛していると。愛して愛アイあい愛している。ヨコシマヨコシマ
ヨコシマ――!

「……の、声を、」

 俯いていた少年の頤が、ゆっくりと持ち上がる。これまで秘めていた、必死に目を背けていた激情が溢れるのを
止めることができない。忘れようとしていた。忘れようと、そう、努めていたのだ。その想いを土足で踏みにじられ、
唾を吐きかけられた。なぜ耐える必要があるのか。
 溶岩のように熱く、暗い、粘り気のある感情が逃げ口を求めて、両目から零れ出る。

「その、姿を……声を……」

 ひび割れ掠れた絶叫は怒声であり、

「使うな……!」

 しかしまた、悲鳴でもあった。

 文珠で作られた明かりの中、爆と刻まれた珠がはじけて消える。溢れていた無数の幻が残らず吹き飛ばされた。
粉塵で煙る視界で、動く影が二つ。横島は仁王立ちのまま、右手を伸ばす。右手、霊装された栄光の手。かつての
自分は、なにを以て栄光と思ったのか。
 汚れた空気を裂き、白黄の光の帯が走る。狙い違わず、虫のように蠢いていた影二つを捕捉した。そのまま
壁に縫い付ける。
 粉塵が、次第に収まっていく。明かりの下で見る一対の妖怪は、とても奇妙な姿をしていた。細く、不揃いな
石を、子供が適当に人型へ並べたような、薄っぺらい正体。

 そいつらが、何かわめいている。人間はこういうのに弱いはずではと、なぜ殺せるのだと。自分たちが何を
仕出かしたのかをまるで気づきもせずに。
 横島は、己の奥歯を割れんばかりに噛み締める。どんな言葉を持ってしても、この胸の奥にとぐろを巻く
感情をこの者らに伝えることはできない。では、それでは、どうすればよいのか。

 ――気を晴らせばいい。

 脳裏に響いた冷酷な声に、彼は抵抗もなく従った。右手で名も知らない妖怪を捕らえたまま、左手に文珠を
一つ現す。即座に念じて文字を刻むと、軽い動作で放り投げ、転がす。ころころと、ビー球のようにそれは
転がり、妖怪たちの目前で止まった。刻まれているのは、いつものように一文字だけ。

 融けろ。

 横島忠夫の命令の下、ただ一文字、『融』と刻まれた珠が弾けて消えた。






 最終的に横島は、美神が事前に準備していたロープによって引き上げられた。一階に戻ってすぐ、地下からの
爆音やらについて説明を求められ、彼はいつもの笑顔で答える。

 いやあもう、いきなりでびびりましたよ。下に落ちたと思ったら妖怪がぐわーって感じで襲ってきて。もう俺、
パニックになっちゃいましてね。文珠も一気に三つも使っちゃいました。やっぱり俺ってまだまだですねー。
もうちょい美神さんみたいに落ち着いて対処できればいいんですけどって、いや美神さんみたいにってのは
ちょっと調子に乗りすぎですよね。まあでも少しでも近づけるように、これからもご指導のほど何卒……、え?
おキヌちゃん、パーティーって? ああ、そういや俺もうすぐ卒業だったよね。そのパーティーかぁ。なんだか
照れるなー。そうか、卒業か。卒業。もう一年か。

 卒業。卒業か。高校の三年間は、もう終わりなのか。

 ……ああ、
 ……畜生、
 ……畜生め。
 まだたった、一年しか過ぎていなかったのか。






 朝に。早朝に、横島はそこへ立っていた。五時半という、いま自分が起きているのが奇跡かと思うような
早朝であった。美神令子除霊事務所。いつも自分の師匠が座っている所長卓の前。
 彼は静かに、机へ封筒を置く。相変わらず綺麗とはいえない字だが、精いっぱい丁寧に書いてこれなのだから、
なんとか納得してもらおう。
 そのまましばらくじっと立ったまま、周囲を見回す。いつも美神さんが座っている椅子、おキヌちゃんが顔を
出す給湯室、シロやタマモが寝そべることの多いソファ。あるいは、ここからは見えないが、屋根裏部屋にも
想いを馳せる。
 ふと、涙ぐみそうになっている自分に気づいて、横島は慌てる。二、三度の深呼吸でようやく心を落ち着けると、
そのまま部屋の出口に向かい、――少しだけ思い直して、封筒の上に文珠を一つだけ置く。もう少し、残すことが
できればよかったのだが。
 深く、深く一礼した後、横島は通いなれた事務所を後にした。

「……どこへ行くの?」

 完全な不意打ちであるその声に、横島は飛び上がる。玄関を潜った直後、真横から突き刺さったのは、彼の
雇い主にして師匠である美神令子の声だった。
 錆びた人形のようなぎこちない動作で、見やる。凄まじいまでの目つきで、彼女はこちらを凝視していた。

「どこへ、行くつもりなの?」

 再度繰り返される。適当なごまかしを口にすれば、この場で人生が終了しそうなほどであった。
 だらだらと脂汗を噴出させながら、横島は口内の唾を飲み下し、胆を決める。怖いから挨拶もなしに消える
というのは、なるほど、確かに不義理ではある。

「その……」

 それでも、強張った口はなかなか動かない。パンッ、と両手で自分の頬を張った横島は、美神に対して直立し、
つい今しがたのように深く腰を折る。

「美神さん、いままでお世話になりました!」

 それが何を意味するのか、理解できない者はいないだろう。明確な、決別の言葉だった。
 美神の視線は変わらない。だた、瞳の奥に奇妙な光が灯った。疲れたような、理解の色が。
 ぽつりと、彼女は声を零す。

「子供では、あんたは納得できなかったのね……?」
「……」

 ああ、やはり、彼女は自分の師匠だ。誇りと悲しみが横島の胸中に湧く。こんなにも、自分のことを理解して
くれている。
 横島は、どこか泣きそうにも見える笑顔で言う。

「本当は、望んではいけないことだと、分かってはいるんです」

 美神は口を挟まず、無言で耳を傾けている。ありがたいことに。

「アシュタロスなんて化け物を相手にして、あれだけの損害で勝てたんですから。きっと何百回繰り返しても、
あの結果が最善なんでしょうね」

 神魔人、全てを相手取り、五分以上に渡り合った稀代の傑物。そんなものを相手に、ただの人に過ぎない
自分たちが勝利を収めたのだ。それこそ、たったあれだけの損害で。

「彼女はいなくなったわけじゃない。魂の欠片はここにあるし、自分の子供として転生してくる。それは希望だと
俺は今でも思っています」
「それでも、諦めきれない?」
「……はい」

 横島は右手で、自分の胸元を握り締める。そう、魂の欠片がここにある。自分のものに融合されているとはいえ、
確かに、ここにあるのだ。自分の最も近くに。

「諦めようとは思いました。納得しようとも。でも俺は……欲深な人間です。確かな形が残っているというのに、
いつ生まれるか分からない子供に賭けることが、どうしてもできない」

 重い吐息を一つ吐き出す。そして美神の目を真っ直ぐに見つめ、少しだけ冗談めかし、

「それにほら、俺の子供を産むなんて奇特な人が、そう簡単に現れるとも思えませんし。それになによりこれが
重要なんですが、自分の子供に手を出すことはできませんしね」
「……まあ、あんたらしいわね。その理由は」

 少しだけ、美神の視線が和らぐ。彼女も同じく、真っ直ぐに横島を見つめる。いつだって彼女は人を真っ直ぐに
見てきた。

「これからどうするつもり?」
「ドクター・カオスの知り合いに、魂や精神の専門家いるらしいんです。大陸まで訪ねにいこうかと」
「それはまた、色んな意味で冒険ね」
「あはは」
「……決心は変わらない?」
「はい」
「絶対に?」
「はい」
「たぶんおキヌちゃん泣くわよ」
「て、手紙を書きます」

 突然弱気になった少年を笑って、声を上げて笑って、笑いすぎたのか目尻に少しだけ滲んだ涙を払ってから、

「じゃあ、餞別」

 え? と、そう声を挟む間もなかった。極々自然な仕草のように女は少年に寄り添い、顎をつまむ。ほんの
五秒ほど、横島は呼吸をすることができなかった。
 美神が離れる。寄り添ったときと同じように、ごく自然に。
 そして、美しく笑う。自身の名を表すように、鮮やかに、艶やかに微笑んだ。

「あなた、この美神令子の弟子なのよ。半端で帰ってきたら承知しないからね」

 動悸は、不思議と落ち着いていた。横島は彼女の、長年憧れ続けた、憧れ続けるであろう彼女の笑顔に
少しでも吊りあうようにと願いながら、笑顔を作る。

 ――はい。必ず。

 約束は契約である。いまここで自分は、最も尊い人と決して違わぬ契約を結んだ。
 奇跡など起きるはずはない。神も魔も不可能と断じたことを、唯人が覆せるはずがない。このさき幾度も心が
折れるときがくるだろう。けれども、


 この日、この時、この人と。
 笑顔で交わしたこの契約を裏切ることだけは、決してないだろう。









 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 原作終了後の後日談です。イメージとしては、50分OVAな感じで。
 全然関係ないですが、とらドラの原作が終了したらSSとか書いてみたいですね。
 亜美がヒロインのを。

 あ、この妖怪は「うしおととら」でヒョウに一蹴されたあいつらです。
 サンデー繋がりで登場してもらいました。……名前なんだっけ?


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