「――タケル……誰、その娘?」 アーリャをつれてPXに行くと、最初にかけられた言葉が美琴のこれだった。件(くだん)のアーリャは武の服をしっかりとつかみ、武の背中に隠れるようにして、207分隊のみんなを見ていた。 だがその行為がかえってみんなの注目を集め、アーリャ一人に視線が集中してしまう。それによってさらに隠れるという悪循環だった。「ほら、自己紹介、自己紹介」「あ……!」 背中に隠れるアーリャを捕まえて、自分の前までつれてくる。そうすると207分隊の面々と向き合う形となる。よりみんなの前にさらされることによって、肩に置いた手からアーリャが硬くなるのが分かった。「ア……アーリャって言います……よ、よろしくお願いします」 それが精一杯だったのか、それだけ言って頭を下げるアーリャ。「「「「「はぁ、これはどうも………………じゃなくて!」」」」」 その目が一斉にアーリャの後ろにいる武に向いた。どの目も一様に「どういうこと?」という意味が汲み取れた。まあ、この基地にこんな幼い少女がいること自体が異端なのだ。みなが不思議に思うのも無理はない。アーリャの頭に手を置く。「さっきの自己紹介通り、この娘の名前はアーリャだ。夕呼せんせ―――香月博士の研究に役立つある特殊な才能をもった女の子でな、今日からこの基地で生活することになった。まあ、そういうことだからよろしく頼む」 その言葉と共に、もう一度ペコリとお辞儀をするアーリャ。そんなアーリャに、「アーリャ、おばちゃんのところにいって朝食を頼んできてくれるか?オレの分とお前の分だ」「ん……」 一度小さく頷き、そのままトコトコとカウンターに走っていった。 武はもう一度207分隊に向き合った。「武、あの娘は社のような存在なのか?」 冥夜の質問。理解が早くて助かる。「ああ、そんなもんだ」 そして、わざわざアーリャだけに朝食を取りに行かせたのは、「あの娘はな、BETAに親兄弟全員殺された孤児なんだ。今はオレが親代わりで色々と面倒を見てる」「「「「「!」」」」」「まあ、というわけで、これからオレはあの娘といっしょにいることが多くなると思うが、できればお前たちも仲良くしてやってくれ」 その言葉に強く頷く、彼女たちだった。「――武!」「はいっ!」 突然の声に振り向くと、京塚のおばちゃんがお玉を振り上げ、怒っていた。その前には二つのトレイを前にしてオロオロしているアーリャがいた。「こんな娘に自分の分の朝食まで運ばせるつもりかい!?」 うわ、しまった。みんなにアーリャの事情を話し終えたらすぐに取りに行くつもりだったが、思ったより早く向こうの準備ができてしまったらしい。慌てて取りにいく武。 そして戻ってきたアーリャを加え、この日の朝食が始まった。 開始された朝食。冥夜はアーリャという少女を今一度見た。そのアーリャは武の横に座っている。綺麗な銀髪で、顔はとても可愛らしいものだった。外見から外国人だと分かったが、その箸使いは少々硬いながらも、見事なものでどんどんと朝食を食べていた。 ときたまこちらに目を向けるが、目が合うと、顔を赤らめすぐに顔を背けるのだった。(このような少女が……) 先ほど聞かされたアーリャの家族がみなBETAに殺されたということ。さらに香月博士の研究ではあるが、このような徴兵前の少女にまで協力を求めないといけない現状。そのことに軍人として恥じるものがあった。(アーリャのような娘が……ただ笑える世界を早く作りたいものだな) それは日本だけではない。この世界を救うということ。未来ある子供たちに、明るい未来への道を作ること。まずは日本、それから世界。それこそが自分たちが正規兵となってしなければならないことだと思えた。「……ん?」 改めてアーリャを見ると、なぜか目の前の皿を見つめたまま固まっていた。非常に気難しい顔をしている。そしてその中にある緑色の物体を箸でつかみ、「タケル……ピーマンいらな――」「黙って食べなさい」「……」 ……瞬殺だった。アーリャがかすかに目じりに涙を溜めている。それほど嫌いなものであるのか。ずっとそれを眺めていたアーリャだったが、ついにそれを口の中に放り込んだ。(おお!) なぜか、それを見てしまう冥夜。一回、二回、ゆっくりと噛み締める彼女だったが、いきなり目を見開いた。そして慌てて自分のグラスに手を伸ばす……がしかし、そこにはすでに何も入っていなかった。そのことによって、さらに目を見開き、今にも泣き出しそうな表情を作るアーリャ。そんな彼女に、冥夜は自分の分のグラスをそっと差し出すのだった。 ぱっとそれを受け取るアーリャ。そのままグラスを傾けゴクゴクと一気に中身を飲み干してしまった。 フゥと小さく息を吐く。そこで初めて自分が冥夜から差し出されたグラスを飲んだことに気づいたようだ。グラスと冥夜の顔を交互に見る。そして、「あ、ありがとう……ございました」 小さく礼を言うのだった。「どういたしまして」 飲み干した中身を入れてこようと立ち上がろうとしたアーリャを止めて、そう答えた。そしてアーリャからグラスを受け取る。 すると、アーリャの頭に武が手を置いた。そのままポンポンと撫でる。よく嫌いなものを食べたなということなのか、それともしっかりと礼を言えたことに対するものなのか。やさしく二度三度手を往復させた。(あ……) それはあの夜――自分の名を呼ぶことを許した夜に、武が冥夜にしたものと同じ。弱すぎず強すぎず、ただ優しく頭を撫でるという行為。あの時はただ気恥ずかしさでバッと振り払ってしまったが、嬉しそうに目を細めるアーリャを見ていると、なぜかそれが羨ましいと――(って、何を考えているのだ、私は!?) 頭に浮かんだ恥ずかしすぎる考えを振り払う。だが、その思いはいつまでたっても頭の中からなくならなかった。 仕方なく別の話で気を紛らわせようとする。「そ、そういえば、我々の自己紹介がまだであったな……私の名前は御剣冥夜と――」「……知ってます」「え?」 アーリャが箸を置き、冥夜に向き直った。「メイヤ……タケルが教えてくれた」「そ、そうか……タケルが」 武が自分のことを話していたことになぜか嬉しくなる冥夜だった。一体どんなことを話したのか。「剣の腕は一級品。思い込んだら一直線、直情的で悪く言えば猪突猛進……って言ってた」「なっ!?」 そして次に榊のほうを向いて、「イインチョウ……的確な状況判断能力で指揮官向き。まさに委員長タイプで真面目でお堅い人物。でかすぎる眼鏡と融通が利かないのがたまに欠点……って言ってた」「っ!?」 次の標的は珠瀬、「タマ……その射撃能力は極東一。でも同年齢とは思えないほど体が小さく、また胸も……って言ってた」「えっ!?」 そして次の生贄は彩峰に、「アヤミネ……格闘能力は207分隊随一。アヤミネ相手に困ったことがあったらとりあえずヤキソバを与えておけば万事解決。扱いやすい奴だ……って言ってた」「……」 静かなものだったが、明らかな怒りのオーラを感じられた。 そして最終目標は鎧衣に、「ミコト……サバイバル能力が非常に高い。でもタマ以上に平坦なその胸は、初め男と間違えた……って言ってた」「へ!?」 207分隊全員にクリーンヒット。 全員、ワナワナと肩を震わせている。そして次の瞬間、爆発した。「武!」「白銀!」「たけるさん!」「タケル!」「白銀……」 その怒号でビクリと肩を震わせるアーリャ。だが、そんなアーリャには構わず、みんなで武のほうにふりむく。しかし、「「「「「いない!?」」」」」 そこには空になった食器がポツンと置いてあるだけで、武の姿は影も形もなかった。「おや、武ならさっき青い顔で逃げるようにしてここを出て行ったよ」 近くに来ていたおばちゃんがそう教えてくれた。 青い顔。逃げるように。これらの状況証拠がさきほどの言葉が確かに武本人から出たものだということを裏付けていた。 これが本来の上官であるならこのようなことを言われても訓練生である彼女たちは仕方ない。しかし、武の場合は別だ。なぜなら少佐という地位にいる彼自身が彼女たちに以前と同じような態度をとることを望んだのだから。 フフフと黒い笑顔で笑いあう207分隊の乙女たち。「???」 状況が分からないまま黒い笑顔を浮かべる彼女たちにただビクビクと恐怖するアーリャだった。 ハンガー。そこに今日届いたばかりの吹雪五機が肩を並べていた。207分隊専用の実機演習用の吹雪だ。今からXM3に換装するため今日は使えないが、だが一刻でも早く自分たちの機体を見たいのは訓練生としては自然なものだ。そして、207分隊のみんなもその例に漏れず、全員そろってハンガーに来ていた。そして蒼然と立ち並ぶ金属の巨人たちを見つめた。「うわ~」 珠瀬が感激でキラキラとした目を吹雪に向ける。珠瀬ほどではないが、ほかのみんなも思い思いの顔で自分たちが搭乗することになる吹雪に目を向けていた。念願叶ってのようやくの戦術機。それもシミュレーターではなく実機。そこに篭められた思いは並大抵のものではない。みんなが力を合わせてクリアすることのできた総合戦闘技術評価演習。207A分隊に数ヶ月遅れてのやっときた戦術機なのだ。これで本当の意味で衛士として一歩踏み出すこととなる。「お前ら、吹雪は逃げたりしないんだぞ?」 背後から聞こえた男の声。それは彼女たちが待ち望んでいた声だった。全員の目がキランと光る。「武!」「白銀!」「たけるさん!」「タケル!」「白銀……」 全員でその名を呼びながら振り向くと、「上官を呼び捨てにするとは何事だ!」 その怒号とともに国連軍正規兵の黒い軍服を身につけ、サングラスをかけた武の姿が目に入った。「「「「「……は?」」」」」 そんな間の抜けた声を出す彼女たちに、「何を腑抜けた声を出している!本日は0900よりシミュレーターデッキにて戦術機操作だ!いつまでもこんなところにいないで早く強化装備に着替えてこい!!」「「「「「は、はい!」」」」」 あまりの迫力に条件反射で答えてしまう訓練生。「『はい』じゃない! Sir, yes sirだ!」「「「「「サ、Sir, yes sir!」」」」」 よし行け、と更衣室のほうを指差す武。慌ててその指示に従う彼女たちだった。 ……実はこのとき、武は冷や汗かきまくりだった。さきほどのPXでのアーリャの暴露話から207分隊からどんな報復を受けるかビクビクしていた武だったが、ここは本来なら上官である立場を利用することにした。威厳を保つため黒の軍服を着て、基地中を駆け巡って見つけたサングラスをかけて、いかにも強面の教官というのを作り出したのだ。未来の世界で上官であった経験を生かし、訓練生に威圧感を与えるような声を出し、有無を言わさず次の指示を出す。見事、その策にはまってくれた207分隊の背中を見ながら、武はようやく安堵の息をつくのだった。 が、そのとき一番奥のハンガーに何かが運び込まれた。「!」 それを見て動きを止める冥夜。武もサングラスを外しながら、そちらのほうへと視線を動かした。武にとってはこの世界に来て見るのは二度目である種類のその機体。だが、そのカラーリングの意味するところはこの日本において重大な意味を持っているそれ――紫の武御雷がそこにいた。「……武御雷か。それも紫」「――!」 冥夜の隣にまで来て言う。すると冥夜がすごい勢いで武のほうを見た。 冥夜にとって、武が武御雷自信に驚いてないことは別段気になることではない。なぜならあの夜、武の口から自分の事情を多少は知っているようなことを言っていたからだ。だが冥夜は、武の認識はただ自分が将軍家縁者である、ということぐらいしか分かっていないのだろうと勘違いしていた。しかし、今彼はあの武御雷――将軍機の証である紫を見ても別段驚いた様子はない。ということはあらかじめ知っていたということ。この基地でも限られた人物しか知ることを許されていない冥夜の正体を……。 武がゆっくりと武御雷のほうへ近づいていく。冥夜もそれに続いた。「そなたは……不思議な男だな」 武の隣まで追いついた冥夜がそんなことを言った。「変な話だが、武が上官であることを……ありがたく思う」 ここが軍隊である以上、例え将軍の妹としても、自分が訓練生で武が上官である以上変にかしこまる必要はまったくない。「バーカ、オレは無礼な奴だから、同じ訓練生でもこの口の利き方を改めたりなんかしないぞ」「ふふ、そうか」 そういえば訓練生のときも最初から今のような口の利き方であった。 ただ、その言葉で嬉しくなる冥夜だった。 そんな二人に近づく影があった。「――冥夜様」 二人して声のした方向に振り向く。武はこの声の主が何者か知っている。未来の世界において最も多く一緒のときを過ごしたのがアーリャなら、彼女は最も多く同じ戦場に立ったであろう戦友であり、プライベートでも何かと世話になった女性。このハンガーの壁際、赤い軍服をまとった女性――帝国斯衛軍月詠真耶中尉がそこに立っていた。「月詠……中尉。なんでしょう」「冥夜様!私どもにそのようなお言葉遣い、おやめ下さい!」「そうです!斯衛の者はいかな階級にあっても、将軍家縁の方々にお仕えする身でございます!」 その後ろには3馬鹿こと、神代 巽、巴 雪乃、戎 美凪少尉が並んでいた。いや、この世界の彼女たちにこの呼び方は失礼であるか。「……遅ればせながら、総合戦闘技術評価演習、合格おめでとうございます」「「「おめでとうございます」」」「……喜んでいるようには見えぬな」 彼女たちの祝福の言葉にそう返す冥夜。確かに彼女たちからははっきりとした喜びの意は感じられなかった。後ろの三人なんて、目を伏せ明らかに不満顔。しかしそれとて彼女たちの立場を考えれば当然の事。「私はかねてより、冥夜様がこのような場所におられることは、承伏しかねると申し上げてまいりました……」 おーい月詠さーん。国連軍少佐の前で「このような場所」なんて、そんなこと言うんですか?「私の意志だ」 おい冥夜、お前もスルーか。「しかし……冥夜様がここにいらっしゃる理由は……」「それ以上を口にすることは許さぬぞ」 冥夜がはっきりとした拒絶の意を込めて言った。「は……出過ぎた真似をいたしました……」 この二人のやり取りを見ていると、元の世界の主とメイドの関係であった二人を懐かしく思う。ここでは冥夜のほうが一歩引いて、ある線を引いてしまっている。それが二人の間にあり、なんともぎこちなくなるのだ。軍隊って面倒だなっと今一度思った。 それから二人はニ、三言葉を交わした。そして、「それよりも冥夜様、武御雷をご用意致しました。なにとぞ……」 ついに月詠中尉が本日の本題に入った。「己の分はわきまえているつもりだ。一介の訓練兵には、吹雪でも身に過ぎるというもの」 しかし、冥夜は当然のように断った。「おやめ下さい。冥夜様には――」「くどい! ……すぐに搬出いたせ。他の者が何事かと思うであろう」「この武御雷は冥夜様の御為にあるのです。冥夜様のお側におくよう命ぜられております」「……」「どなた様のお心遣いかは冥夜様もご存知のはず……」 悠陽だろ?などと武が口に出せば、今この場で睨み殺されかねない。武はただ黙って事の成り行きを見守っていた。「どうか、そのお心遣い、無下になさいませぬよう」 その言葉でなんとも複雑そうな顔をする冥夜。冥夜様、と懇願するように月詠中尉が口にする。「……勝手にするがよい」 結局、冥夜が出した答えはそんなものだった。「ご承諾感謝致します……それでは私どもは失礼させていただきます」 軽く頭を下げ、去ろうとする月詠中尉。後ろの三人もそれに続く。「……」 だが、案の定、武の前まで来たときその鋭い眼光で睨まれた。明らかに敵意を持ったその瞳。前の世界ではただ見送るだけだったが、今回は趣向を変えてみる。それにニッコリと笑ってみる。 ――キッ。 ……余計睨まれてしまった。 そんな彼女たちが去った武御雷の前。冥夜が口を開いた。「騒がせたな」「んなこといいから、早くお前も強化装備に着替えてこいよ。多分、今頃みんな着終わってるんじゃないのか?」 みんなと別れてすでにずいぶん経っている。武は女子更衣室のほうを指差し、冥夜を急かすのだった。 さて、今度こそ207分隊全員がいなくなったハンガー。だが、武はその場に残り、武御雷を見上げていた。 すると、背後に気配を感じる。足音なんかではない。ただ長い間戦いの場に身を置いていた武だからこそ気づく気配だった。「……何か用ですか、月詠さん?」「ッ! ……名を呼ぶ許しを与えた覚えはないな、白銀武」 振り返るとそこには先ほどここを去ったばかりの月詠中尉たちがいた。おそらくできる限り気配を消していたつもりだったのだろう。そんなことをされるのも自分が彼女たちにとって最も警戒すべき人間だからだ。「何をしている?」 さきほどの驚愕の顔をすぐにしまい、すぐさま斯衛の者としての態度をとる月詠。それはこちらが少佐という立場であるのに威圧的でもあった。「何をしていると聞いている」 こちらが何も言わないともう一度問うてきた。「何か言いたそうな顔をしていましたからね……」「……間違いではなさそうだな」「そのようですね」 巴が答える。そして月詠が一歩武に近づいて、「お前は何者だ?」「国連軍少佐、白銀武ですが?」「……とぼける気ですか?」「――死人がなぜここにいる?」 そう……この世界の白銀武はすでに死亡している。「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ目的は何だ!?そもそもどうやって少佐などという地位についたのだ!?」 はっきりとした怒気をもって問い詰めてくる神代。「……」「……もう一度だけ問う。なぜ、死人がここにいる?」 自分の事情を説明することは夕呼先生により強く止められている。「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか?それとも、追求されないとでも思ったのか?」「冥夜様に近づいた目的は何ですか?」 さてどうしたものか……。 その時、身を刺すような寒気が前方から当てられる。数多の戦場を越えてきた今だからこそ分かる。これが一流の戦士が出す殺気というもの。もちろん、目の前の月詠から発せられているものだ。「返答次第では、今この場でもう一度死――」「――え?」 そのとき、月詠たちの背後からそんな幼い声が聞こえた。振り返る月詠たち。武も月詠越しにその姿を捉えた。 そこにいたのは目に涙を一杯溜めたアーリャの姿だった。驚きのあまりか口に手を当てている。「タケル……殺すの?」 ゆっくりとその瞳を向け、月詠に尋ねた。「え、いや……その……」(おお!) レアな光景だ。月詠中尉が動揺している。 アーリャが月詠たちを避けて武のところまで走ってくる。そして武にぴったりと寄り添いながら、月詠たちを睨みつけた……その割には涙一杯の顔は迫力に欠けるものだったが。 しかし、月詠たちには効果抜群のようだ。アーリャのその睨み付けで、一歩下がった。「さっきのは、その……」「……」 ただ無言で睨む。それがかえって怖かった。そしてついに、「い、いくぞ!」「「「は、はい!」」」 いくぞ……って、なんか悪者みたいですよ、月詠中尉。 そして後ろの三人を連れて、気持ち早歩きで去っていく月詠。完全にその姿が見えなくなってから、アーリャが武のズボンに顔を埋めるようにして言ってきた。「あのツクヨミ嫌い……タケル、殺すって」「まあまあ、月詠さんだって本気だったわけじゃないんだ」 ……多分。 武はしゃがみこみアーリャの涙を自分の服の袖で優しく拭ってやった。泣き顔なんて可愛い顔が台無しだ。アーリャも素直にされるがままになる。「そういえばお前って前から月詠さんのこと苦手だったな……なんでだ?」 未来の世界でも月詠と武が話しているときは、武の後ろに隠れたりしていた。月詠からアーリャと仲良くなるためにはどうしたらいいかと真剣に相談されたほどだ。 その問いにアーリャはうつむき加減でボソボソと、「だって……あのときのツクヨミは……タケルのことが……」「ん?なんだって?」「な、なんでもない!」 顔を赤くして武から離れる。そのことで首をかしげる武。だが、それからは何一つ答えてくれないアーリャだった。ただ「鈍感っ!」という言葉を残し、どこかに走り去ってしまった。 思春期の娘は難しい、とアーリャに言われた事とはまったくの見当違いの方向で頭を抱える武だった。夜。「――というわけで、この娘は白銀の隠し子なわけ!わかった!?」「っていきなりなんて説明してるんですか、アンタは!?」「「「「「了解!」」」」」「『了解!』じゃねえよ!!!」 夕呼のそんな問題ありまくりの言葉から始まったA-01に対するアーリャの紹介だった。何人かがしっかりと頷いたりしてるのも問題だと思う。オレの年齢でこんな子供がいるならかなり問題だと思いますよ? ブーブー言う夕呼を横に寄せ、207分隊にしたように正式にアーリャを紹介した。「白銀少佐に、幼女趣味があったとは……」「宗像中尉~?」「って築地が言ってました」「い、言ってません!」 築地も速瀬と同じように宗像にからかわれやすいタチのようだ。取れるんじゃないかと心配するほどブンブンと首を振って否定していた。「ロ○○○なら彼女がいないのも納得……」「だから、中尉~?」「って速瀬中尉が思ってました」「思ってないわよ!?」 あんたは読心できるのかい。ってダメだ。この人相手に反応しすぎるといけないというのは今までの経験からわかっている。「む~な~か~た~!」と追いかけっこをしている二人は無視することにする。 ふと目を横に向けると、風間と涼宮がアーリャと同じ目線になるようしゃがみ込み挨拶していた。「あら、かわいい」「よろしくね、アーリャちゃん」「あ……はい」 なんかこの二人と子供がいっしょにいるところを見るとなんか心が和む。 その後アーリャはあっというまにA-01に囲まれてしまった。このような軍事基地にいるなら子供を目にする機会も少ないだろう。右、左、上からと次々とかけられる言葉に首をせわしなく動かし続けるアーリャだった。「ほらほらお前たち、その娘が困っているじゃないか」 パンパンと手を叩いて注目を集める伊隅。見事A-01の手綱を引いていた。 今日はシミュレーターの前に全員で旧OSとXM3との比較映像などを見て、より両者の違いをはっきりと認識したりすることとなる。最初、武は口を出さない。A-01部隊だけで話し合うのだ。その後、シミュレーターでよりその違いを意識して動かしていくことになる。 彼女たちがXM3搭載型不知火の動きを映像で見ているとき、武と夕呼は少し離れたところで壁にもたれかかっていた。「で?なんで先生がこんなところにいるんですか?」 この夕呼が訓練の様子を見に来たりすることなど滅多にない。それだけに今ここにいるのが不思議だった。「いや、あんたにこの娘のことでね」 そう言って、武の横にいるアーリャに目を向けた。「『00Unit:Second』って、『First』より多少は機能が上がってるのよね?そこら辺をもう少し説明してもらおうと思って」 いつもなら武を部屋に呼ぶというのに、今回は自らが足を運んでいる。いったいどういう風の吹き回しか。「べ、別にー?……ただ、あんたは昼は207分隊で、夜はA-01で忙しいみたいだし……」「?」「あ、あたしもたまにはA-01の様子を見とこうかと思っただけで……」 なんかいつもの夕呼ではない。何か悪いものでも食べたか?「……!」 今度は下から何か気配を。見ると、アーリャが夕呼のほうに微かに敵意の篭った目を向けていた。「いいから早く説明しなさい!」「はいはい」 まあ、そんな些細なことはいいか、と催促されるがままに説明する武だった。「まずはリーディング能力とプロジェクション能力の強化、それと保存機能ですね」「それは一体どういうものなの?」「例えば、今の霞のリーディング能力は対象の思考や感情を‘イメージ’や‘色’として読み取りますよね?アーリャはその読み取ったものから普通の人間が理解できるようにする変換……その変換がより明確になっているわけです。そして他者が感じていることをほぼ完全に第三者にプロジェクションすることができます。そして保存機能とはそれらリーディングしたものをその名の通り、保存していつでも取り出し可能にできることです」「ふ~ん?」 まあ、これは実践したほうが早いだろう。A-01部隊の中から比較的近くにいた宗像と速瀬を呼び寄せる。「なんですか?」 近づいてくる二人には気づかれないように、アーリャの耳元に口寄せ、「アーリャ……保存感情TYPE04-23だ」「……ん」 二人をじっと見つめるアーリャ。「「?」」 その行為に首をかしげる二人だったが、次の瞬間、「「っ!」」 今まで見せたことのない超速スピードで腕を自分の胸のところまで持ってきた。そして足も内股に。それはまるで自分の体を隠すようで、見る見るうちに顔が赤くなっていく二人。そして、「「しし、失礼します!」」 二人してミーティングルームを出て行ってしまった。「……今のは?」「非常に内気な訓練生が始めての強化装備姿を好きな相手に見られた瞬間の感情です」「……あんた、あたしの部下で遊ばないでくれる?」 非常に呆れた顔の夕呼。宗像には先ほどの復讐。速瀬は……近くにいたのが不幸。まあ、運がなかったとしてあきらめてください。まあ、後でアーリャを使って何とかしておこう。感情の操作では記憶をうやむやにすることもできる。「それにしても非常に限定的な感情よね?何、アンタの趣味?」「いや俺じゃなくてサクシャの……イエ、ナンデモナイデス」「?……まあいいわ。アンタの言ってたことは伝わったから」 突如この世界の創造主を敵に回したような悪寒に襲われた武だった。「本来なら戦場で自分の感情をコントロールしたり、仲間の死で錯乱状態になっている奴に使ったりするんですけどね」 感情こそ人間の力の原動力だ。『哀』で戦えるものは数少ない。『喜』『楽』で闘えるのは戦闘快楽者だ。やはり、力をいつも以上に引き出すのは『怒』だ。または『憎』、『怨』などの負の感情。しかし、これらは人の精神を破壊しかねない。滅多につかったりはしない。それに有効距離は非常に狭い。戦場では武専用のようなものだ。「後はODLの劣化が『First』に比べ非常に遅くなっていることぐらいですかね?」 レーザー照射を受けたり、ラザフォード場にBETAの干渉を受けたときなどの劣化が非常に遅いということだ。それはこの世界に来て20日以上浄化処理を受けていなかったのにアーリャが停止していないことからも分かる。まあ、それは「伊邪那岐」内部の簡易浄化処理装置も関係しているのだが。「アーリャが送ってくれたのは‘Second’の方なのよね?」「そうです」 よし、とグッと握りこぶしを作る夕呼だった。 こうしちゃいられないわ、と壁から背中を離し、出口に向かう夕呼。その背中に、「頑張ってください」 それに振り返らず、片腕だけ上げて答える夕呼だった。 A-01部隊のシミュレーター訓練も終わったシミュレーターデッキに一人残る武だった。シミュレーターも停止したここは薄暗く気味の悪いくらい静かな空間だった。カツカツと後ろから誰かが近づいてきた。「タケル」 アーリャだった。 武は目を通していたA-01の操作記録から目を上げる。「どうした?」「タケル、今日のシミュレーター……」 今日はずっと見物していたアーリャ。速瀬なんて「こんな小さな娘には、いいとこ見せなきゃ!」といつも以上に張り切っていた。そして、武対小隊規模の模擬戦闘数戦。結局は武の全勝だったのだが、なかなかいい動きをしていた。しかし、「――本気出してなかったよね?」 アーリャはそう評した。「……やっぱお前には分かるか」「うん……アレくらいなら『伊邪那岐』さえあれば私でも……」「ま、仕方ないさ。相手は第三世代機でXM3に触れてまだ一月経ってないんだ」 アーリャが見てきたのはずっと武の機動だ。それに慣れていると、彼女たちの動きを未熟と評しても仕方ない。「やっぱ動かさないと体は鈍るよな……アーリャ、少し頼んでいいか?」 そして、シミュレーターのほうを指差す武。アーリャはそれだけで武が何をするかを理解した。 シミュレーターに電源をいれ、その中に入る武。レバーをしっかりと握る。『‘どれ’をやる?』 通信機越しのアーリャの声。それに、「――月面‘雨の海’北端、フェイズ7ハイヴ『エラトステネスハイヴ』」 その言葉で急速にカリカリと音を発し始めるシミュレーター。アーリャがシミュレーターの中に入り込み、中のデータを急速に書き換えているのだ。 しばらくして網膜に映し出される風景。 ――そこは宇宙、今やBETAに乗っ取られた月だった。 つづく