「今のところ順調だ」 武はアーリャと二人、基地前の桜の木を見ながら言った。時刻は夕刻、207分隊の訓練は終わり、これから夕食後、A-01の訓練となる。霞は夕呼に呼ばれて、席を外している。やはりずっと武についたままというのは無理のようだ。 あぐらをかいた状態で、花のない桜を見上げる。「月詠さんにも冥夜が今どれほど戦えるのかを見てもらえたし」 あの人にはオレなんかよりもっと冥夜に集中してほしい。冥夜を護ることが彼女の願いなのだから。あの人さえよければ、207分隊の訓練の教官をん頼んでみてもいいかもしれない。そのあたり、国連軍と斯衛軍という壁があるかもしれないが、なんとかしたいものだ。「A-01の相手もそろそろ吹雪じゃきつくなってきたな」 期待通りの伸び率だった。先任だけなら今日あたりにも一本とられそうだ。新任たちは少し成長にばらつきがあるが、もっと実戦を経験させればなんとかなるだろう。経験さえつめば、実力は勝手についてくる。それは武が実証済みだ。この前の実戦は彼女たちにもプラスになったようだ。顔つきが前とはずいぶんかわっているように感じた。 後は、クーデターの件もなんとかなった。XM3も順調。悠陽と接点をもつこともできた。よりよい未来への道は確実に拓いている。 後の問題といえば米国、日本に残るオルタネイティヴ5推進派の排除などであるか。それにアレとかアレ。指をひとつずつ折りながら考える。まあ、前の二つは次の作戦でオルタネイティヴ4が完全な成功を収めれば、すぐにいなくなるなり息をひそめるだろう。「……」 気づけば隣がずいぶん静かだ。そう思って横を見るとアーリャがこっくりこっくり船をこいでいた。昨日も武の特訓のため夜遅くまで付き合わせたのが原因だろう。今日のところは早めに眠らしておくか。「アーリャ……アーリャ」 肩を軽くゆする。「ん……」 なんとも眠たそうな声を出して、アーリャの目がかすかに開いた。「先に部屋にもどってていいぞ」「もう少し……ここにいる」 そういって、武のほうへ頭を傾けてきた。武としてはもうしばらくここにいるつもりだったので、別にかまわないが、やはりベッドで横になったほうがしっかりと眠れるのではないか。そう考えながらも肩を貸す。「タケル……あの曲、吹いて」「あの曲って……ああ、あれか……ってお前ここにくるといつもそれねだるな」 思い出したのはこの桜の前、車イスに乗ったあの人のヴァイオリンから聞こえてくる旋律。聴衆はたった5人。武、アーリャ、宗像、茜、霞。かすかに涙を流す茜、ただ目を閉じ何かを想う宗像、いつもの無表情がかすかに崩れ哀しげな表情を浮かべる霞、穏やかな顔でその旋律に聞き入るアーリャ、そして笑顔で桜を見上げる武。あの人はずっと曲を弾くことに集中し、その姿は神秘的ですらあった。 ……~♪~~♪ ――武の口笛がこの季節の肌寒い風に乗った。「……?」 ……~♪……~~♪ 横浜基地の正門前の門兵が顔を上げた。風に乗ってどこからか口笛の音が聞こえてくる。「へぇ……」 なんと安らかな音色だろう。そして優しい。一体誰が吹いているのだろうか。 音楽など無頓着なはずのその門兵は、終わるまでずっと目を閉じ、相棒と二人で聞きほれていた。「……」 カクンとアーリャの首が落ちた。完全に眠っているようだ。アーリャの頭を肩からひざの上へと起こさないよう慎重に移動させる。 それにしても鎮魂歌(レクイエム)を子守唄(ララバイ)にするとは……。まあ、レクイエムもラテン語で「安息を」という意味なのであながち変なことではないかもしれない。 言葉どおり安らかに眠るアーリャの髪をなでながら、武は口笛を吹き続けた。たまにやってくる風がアーリャの髪をさらっていく。 この曲は武も協力してあの人と作り上げたものだ。 武が目を閉じ、かつての思い出に感傷に浸ろうと目を閉じたとき、「――そんな……!」 ――ドサッ。 その声と音でゆっくり振り返る武。そこに……「完成……している……?」 ヴァイオリンケースをその場に落とし、手を口に当て、驚愕の表情で武を見るこの曲の’作曲者’――風間梼子がいた。 夕方。風間は昼の訓練が終わると、シャワーを浴びた後、自室で夕食まで何をして時間をつぶすかを考えていた。いつもなら宗像とともに訓練の内容を話し合ったり、またはただ何気ない話で時間をつぶしている風間だったが、生憎とその宗像はいない。またいつものように速瀬をからかい、今も追いかけまわされているのではないか。夜の白銀少佐の訓練までに疲れきってないといいのだが……。 シャワーでかいた汗の分の水分を補給しようと、部屋の隅にダンボールで詰まれている飲み物に手を伸ばす。そしてストローを突き刺し、両手を添えてまずは一口。相変わらずおいしかった。栄養ドリンクでもあるこれはこんなにおいしいのに、飲むだけで自然と体調も整えてくれるなんともありがたい飲料だ。風間と伊隅のお気に入りだ。 ただ、このジュースを持ち出すと、速瀬や宗像はなぜか風間から少し距離をとるのだった。「美冴さんも速瀬中尉も……こんなにおいしいのに」 チゥーっと不満顔で残りを飲む風間。 すべてを飲みきってゴミ箱に捨てようとしたら、それが目に付いた。「あら……」 ヴァイオリンケースだ。ここしばらくは触っていなく、かすかに埃がつもっていた。……そうだ。夕食までの時間はこれに費やそう。’あの曲’を完成させるのだ。 風間はチューニングを済ませると、すぐにヴァイオリンケースを抱え、部屋を飛び出した。練習するのはあの桜の前。なぜなら’あの曲’は、あそこに眠る英霊たちに向けたものなのだから。「おや、風間……」 途中、伊隅と出くわした。「こんな時間にどこへ……って、ああ」「ふふ……少しこちらを」 かかげたヴァイオリンケースを見て、風間がどこへ向かうのかをすぐに理解する伊隅。「また’あの曲’か?」「ええ、早く完成させたいもので」「私もまとめなければならない報告書がなければ聴きにいきたいんだがな……完成させた暁には私にも一曲聴かせてくれ」「はい。是非」「ふふ、鎮魂歌を聴きたがるのも変な話かもしれないが……」 そして会釈だけしてまた歩き出した。 あの曲のイメージはすでに出来上がっている。あとはそれに肉付けをしていくだけだ。一つ一つ音を確かめ、パズルのように当てはめていく。 音楽というのは偉大な人類の遺産であると風間は考えている。このようなご時世でなければ、その道に進みたいと思っていたほどだ。より多くの人へよりよい音楽を届ける。音楽とは人を喜ばせ、泣かせ、笑わせ、楽しませ、安らぎを与え、勇ましさを与え、死者を送る役目もある。それら多くの名曲を、後世へと伝えたい。BETAのいない世界で……。それが風間が戦う理由であった。 兵舎を出て、しばらく。門を抜けるとき、その場に立っていた門兵に軽く声をかけた。「お勤めご苦労様です……あら?」 だが、声をかけても彼らからの反応は無し。風間に気づいた様子もなく、かすかに笑みを浮かべ、何かに聴きほれるように、目を閉じ顔を気持ち上に向けていた。「?」 不思議に思った風間も耳をすませてみた。するとどこからか風に乗ったメロディがきこえてくるではないか。「え!?……この曲!」 それを聴いた瞬間風間は駆け出した。 いったいどこから!?風をたどって、メロディを追う。そして見つける。「ここ……」 あの桜の前で、一人の男性がこちらに背を向けて、そのメロディを作り出していた。少女に膝枕して、まるで子守唄のように。桜が満開であれば一枚の絵のようにすばらしい光景だったに違いない。 間違いない。この曲は自分が考えていた曲。ここに眠る英霊たちを鎮めるためにつくった鎮魂歌。題もまだない、未だ未完成のはずの曲。なのに……「―――そんな……!」 手からヴァイオリンケースがゆっくりと滑り落ちる。目の前の男性が優しく吹くこのメロディは―――。「完成……している……?」 そしてその男―――白銀武がゆっくりと振り向いた。「白銀、少佐……!」 なぜ彼がこの曲を……!これはまだA-01部隊の方にしか聞かせたことはないのに。さらに最近は訓練で忙しくヴァイオリンに触れる暇さえなかった。彼が自分たちの教官についてからはまず間違いなく弾いていない。 それに―――未完成のはずなのに! 口笛の関係上細かい音わけはできていないがそれでもわかる。これが自分が考えていた’あの曲’の完成系だ。「な、ぜ……?」 ――~♪~~~♪ そのとき、風間を視界に納めた白銀の目が穏やかに笑った。そして口笛を吹き続けながら、風間の足元を指差す。「え?」 そして風間も視線を移動させる。自分の足元。そこにあったのはヴァイオリンケース。 もう一度彼に視線を戻すと、彼は顎と肩でなにかをはさむような仕草をして片腕を前後に動かしていた。「!」 分かった。彼は自分にヴァイオリンを弾け、と伝えているのだ。 それが分かった瞬間、風間はあわててしゃがみこみ、ヴァイオリンケースを開いた。そして中から取り出すヴァイオリン。 それをもって彼の隣まで小走りで近寄った。 それを見て、また笑う白銀。そして指を一本たて、前後に降り始めた。 1,2……彼はリズムを取っていた。自分に合わせろ、と。そのリズムを体中に刻む風間。 そしてヴァイオリンを構え―――彼のリズムに合わせゆっくりと弾き始めた。 ――桜の木の前で、風がヴァイオリンの音が運んだ。 しばらく弾いていなかったとは思えないほど、指は美しい音色を生み出した。自然に指が動く。彼の口笛と自分の二重奏。彼の口笛は一巡しか聞いていないというのに、耳が、体がそれを完全に覚えていた。(やっぱり……この曲……) 横を見ると、白銀が相変わらずこちらを見て微笑んでいた。(っ!) なぜか頬の熱くなる風間。何、これは?考えても分からない。そしてそれを紛らわそうとより演奏に集中した。 ――いつしか口笛は止んでいた。 それでも彼女の指は止まらない。次々と指が勝手に動くように、メロディを作り出していく。(聞いていますか?……桜の下に眠る方々) 風間は軽い興奮状態にあった。自分の理想としていた曲の完成。自分が新たな音を紡ぎだすという喜び。そしてそれを彼の英霊たちに聴かせることのできたこと。すべてが彼女をより演奏へと惹きこんでいた。このままいつまでも弾けていそうだ。 そして大きく吹いた風が風間の髪を揺らす。 ――いい曲でしたよ……「……え?」 ピタリと止む演奏。 ―――気づくと、彼はいなくなっていた。「あれ……彼?」 彼とは誰だ?私は一人で、あの曲を……あれ、そういえば完成している。どうして。彼、彼……誰かが隣にいたような。いない。どうして? 何も分からない彼女は、一度桜の上を仰ぎ見た。「――悪いな……寝てるとこ起こして」「別に……私もトーコのあの曲聴けてよかった。寝てたらわからなかったから」 背負ったアーリャが小さくあくびをする。やっぱり眠いようだ。武の肩に顎をのせてきた。「頼んだことはやってくれたか?」「ん……興奮状態を、繰り返して……トーコの思いを増幅させて……記憶のこんら……」「?」 眠ってしまっていた。「ほ、本当に大丈夫だろうな……?」 武は不安になりながらもアーリャを部屋に運ぶのだった。「――子」「……」「――う子」「……」「梼子!」「え?あ、美冴さん……なんでしょう?」「『なんでしょう』じゃない……どうしたんだ?ずっとボーっとしているじゃないか?」 PXでの食事中。風間は心配顔の宗像にそう声をかけられた。別にこれといって心配はないと告げる風間。「そんなわけあるか……ほら食事もこんなに遅れてる」 そういって自分の皿と風間の皿を見比べる宗像。宗像の皿は残り半分程度、だが風間の皿は残り三分の一’も’残っていた。「お前がこんなに食べるのが遅いとは……何かあったんじゃないのか?」「……」 いくら自分がこのA-01部隊でも食べるのが一番早いといってもこの心配の仕方は……。「ふっ、冗談だよ。梼子」 風間が少しだけ不満顔でいると、宗像はすぐに笑って、「だが、夕方からずっとボーっとしているのは事実だろ?」 そう言ってきた。 そんなに上の空だったのか。そういえばあれから自分が何をしていたかあまり記憶にない。 あの曲が完成してからというもの彼女はずっと考え込んでいた。本来なら曲が完成したことを喜ぶべきなのに、彼女はそれ以上にあそこに誰かがいたようなことのほうが気になっていた。なぜか、とても大切なことだったような気がするのだが。男……の人がいたような気がするのだ。「あっホントだ!風間少尉具合でも悪いんですか?」 その皿を横から覗き込んだ茜も心配していた。「いいえ……体は健康そのものよ」 本当に体の調子が悪いということはない。毎日の食事はしっかりととるし、睡眠も十分、それのあのジュースもあるのだから。 やはり原因となっているのはあの夕方の出来事。まるで夢ではなかったかと思うほど記憶にボンヤリともやがかかっていた。そのぼやけたもやの向こうに見えるのは……。「あっ!白銀少佐!」「っ!?」 その名を聞いた瞬間、風間の鼓動が早鐘のように動き出した。高原が向いたその先、そこにいつもならこの時間PXで見かけるはずのない白銀武少佐が立っていた。「白銀、一体どうしたというんだ?」 白銀に一番近かった席の伊隅がそう尋ねた。夜中の訓練以外で彼を見かけたのは初めてだ。その問いに白銀は、苦笑いを浮かべ。「実は、いつも食事をとっている時間に遅れちゃって……ご一緒してもいいですかね?」 白銀は空いている席に目を向けた。「いいわよ~。早く食事とってきたら?」 速瀬が手をひらひらさせながらそう答えた。「それにしてもアンタ……もう少し上官らしい態度とったらどうなの?」「ふぇ?」 速瀬のそんな言葉に口にものをいっぱい詰め込んで、反応する白銀。「あたし達年上連中には敬語や丁寧語使って……アンタのほうが上官なのよ?」「いやーオレも少佐なんてもちろん初めてで(記憶ではあるけど)……いきなり態度を変えるなんて無理ですよ」「ふっ、いいじゃないか。速瀬……お前も少佐になったとたん、神宮司大尉に偉そうな口がきけるか?」 伊隅が隣で食事を取っていたまりもを指して言う。「そんな!滅相もない!」 ブンブンと首を振りながら否定する速瀬。「まあ、最近訓練中の白銀は、怖いぐらいなんだ……別に普段は慣れるまで今のままでいいのではないか?」 伊隅の言う通り、訓練中の―――特にハイヴ内突入作戦中や白銀との戦術機戦では彼はいつもの態度はどこへいったのか、人が変わったように厳しくなる。それは彼が少尉のときはあまりなかったことだが、ここ最近、中階層突破が当たり前になってくるあたりからは、伊隅のことも平気で命令していた。「い、いや~、本格的に戦闘モードになるとオレ口調があらくなってしまうんで……」 おそらく彼が少尉だったときには、自分たち相手に本気を出すまでもなかったのだろう。まったく末恐ろしい男だ。「別に構わない。私としては丁寧に教えられるよりそちらのほうが慣れている」 そして、チラリとまりもをみる伊隅。「伊隅大尉、何か?」 ものすっごい笑顔で聞いてくるまりも。「いえ、何も……」 訓練生時代の悪夢がよみがえりかけた伊隅であった。「あっれー?風間~アンタさっきより食べるの遅くなってるじゃない?」「っ!」 速瀬の言葉に全員が風間を見た。もちろん白銀も。「どうかしたんですか?」 白銀のそんな問い。「聞いてよ、白銀。この風間はこう見えてこの部隊で一番の早めs―――ひぎぃ!」「ななな、なんですか!?速瀬中尉」 早飯と言おうとした速瀬が発したいきなりの奇声に、築地がびっくりして飛び上がった。「い、いや、さっき風間が思いっきり私の足を―――いぃ!?」 またも奇声を発する速瀬。そして自分の足を抱えうずくまってしまった。「い、いやですわ。速瀬中尉」 若干ひきつったような笑顔を浮かべる風間。その様子を見た宗像は、「梼子……お前……」 白銀は床で痛がる速瀬をよそに風間に声をかけた。「どうしたんですか、風間少尉?」「い、いいえ……別になんでもないんです」 かすかに顔を伏せて答える風間。「そうですか……」 その後、うずくまっていた速瀬に今日は早めにシミュレーターをとってあると伝えると、すぐに復活して「なんか今日の風間は怖いわ(ボソッ)……行くわよ、宗像!」と言って、それに「仕方ないですね」と宗像が続き、「速瀬中尉が行くなら私も!」と茜が追っていき、「茜ちゃん、私も行きます~」と築地がさらに追い、「じゃ、私もがんばろっと」と柏木が続いて、「あいつらだけでは心配だ」と伊隅が立ち上がり、「私も早くXM3に慣れたいのでな」と衛士の顔をしたまりもが向かい、「じゃあ、私は管制をします」と涼宮が追いかけ、「みんなが行くなら私も」と高木と麻原があわててついていった。 そして残ったのは遅れて夕食を食べ始めた白銀となぜか箸の進みが遅い風間だった。「……」 ゆっくりと箸を口に運びながら、チラチラと白銀を盗み見る風間。なぜか気になる。今日の夕刻、あの桜の前にいたのは彼だったような……。だがはっきりした確証はない。 意を決して、風間は聞いてみることにした。「白銀少佐」「なんですか?」「あの……今日の夕方、基地前の桜の木の下にいませんでしたか?」「いいえ、夕方はオレずっと部屋にいましたけど?」「……そうですか」 その答えで沈む風間。やはりアレは自分の気のせいだったのだろうか。「夕方、といえば」 白銀がそういえば、という感じで口を開いた。「どこからかヴァイオリンの音色が聞こえてきたんですよ」「え?」 それはきっと私の……。「確か、風間少尉はヴァイオリンを嗜むんでしたよね?」「!」 覚えていた。一番最初の白銀との対面。そのとき全員で行った簡単な自己紹介。その中で本当にチラっとしかいわなかったことなのに。 ――~♪~~~♪「!?」「はは、さっき一回聞いちゃってすっかり覚えちゃいました。音楽ってやっぱりいいですよね」「……」 日本全土が今にもBETAに侵略されそうになっている今のご時世、風間の周りに音楽に興味をもった男などいなかった。誰がもが、自分でこの国を守るのだと口にし、兵役へとついていった。音楽などにかまけている時間はない。子供のころから風間はそのことが寂しいと思っていた。そしてこんなご時世だからこそ音楽が必要だと思った。 そして、今、目の前に初めて音楽に目を向けた男がいる。 白銀が空になった食器を持って立ち上がった。「確か……風間少尉の戦う理由は『音楽という人類の遺産を後世に残す』でしたか」(あら……? 私そんなことまで少佐に話したかしら?) 記憶を探るが、白銀にそんなことを話した憶えは風間にはなかった。なぜ、白銀少佐はそのことを知って?「早く……そうなるといいですね」(っ!) 向けられたまっすぐな視線。風間はそれを正面から捉えることができなかった。 ただ、早打つ鼓動と火照る顔を白銀に気遣れぬようにすることでいっぱいいっぱいであった。「柏木! 行動後にとどまる時間が長い! もっと迅速に行動しろ!」『っ、了解!』「風間少尉と高原はALM全弾撃ちきった後は、余裕があれば空中でパージしろ! それだけでBETAに対する質量兵器となる!」『『了解!』』 シミュレーターでの平野部演習。目的はフェイズ4ハイヴ入り口までの到達。 いくら自分たちの主な任務がハイヴ内突入といっても、そこにたどり着くまでをほかの部隊に任せ、安全が保障された道の上を優雅に歩くなんてことはありえない。自分たちの道は自分たちで切り拓くのだ。 支援砲撃の支援率は70%。光線級多数存在。ハイヴへの入り口はまだ6km先。そんな中、武の指摘が各機体に飛び回っていた。「宗像中尉や涼宮はもっと動いてくれ!このOSは動いてナンボなんだから!」『了解』『り、了解!』「築地はもっと近接戦闘を仕掛けろ!突撃砲ばかりで、こんなところで全弾うち尽くす気か!?補給コンテナはまだ先だぞ!」 『りょ、了解~!』「速瀬中尉!」『何よ!?』「遅い!」『ア、アンタのその変態機動についてくのがどんだけ大変だと思ってんのよ!?』 こんな感じで3時間ぶっ続けで時間の許す限り繰り返した。 そしてやっとこの日の訓練が終了する。停止したシミュレーター機から出てくる疲労困憊のA-01の面々。誰もが出てきた瞬間、その場に座り込む。「ダメ……も、動けない」「わ、私もです……」 折り重なるようにして倒れこむ茜と築地。「お、お疲れ~、みんな」 ずっとめまぐるしく変化する情報を的確にまとめて指示を出していた涼宮だったが、やはりその疲れは戦術機にのっていた彼女たちほどではない。 あのまりもですら、シミュレーター機を支えに立っていた。「で、そこでピンピンしている化け物……」「?」「アンタよアンタ!」 すぐ近くで涼宮から渡された全員分の操作記録を見ていた武に向かって、速瀬が噛み付いてきた。「なんでそんな元気なのよ!?」「そりゃこれだけ美女に囲まれてますからね」 再び操作記録に目を落とす武。どうやら真面目に答える気はないらしい。速瀬とて明確な答えが返ってくることなど期待していない。結局は自分が強くなるほかないのだ。つまりは訓練あるのみ。「うば~」 白銀に教えられた奇妙な言葉を発して、結局床に突っ伏してしまった。「ほら、全員そんなに疲れているなら、早くシャワーを浴びて今日は寝てしまえ。明日に疲れを残すなど許さないぞ!」 自分も疲れているはずなのに、隊長として率先して部隊を動かす伊隅。 全員、そんな伊隅の声でゾンビのように移動を開始した。そんな中、「白銀少佐」 風間が武に近づいた。「あの……この後部屋で少しだけ私の演奏を聞いていただけないかしら?」「え? 風間少尉の?」「え、ええ」「是非! こちらからお願いしたいくらいですよ!」 武の勢いよい答えに頬をほんのり赤く染める風間。「わ、私はシャワーを浴びてきますのでその後で」「わかりました、後で部屋を訪ねさせてもらいます」 そんな二人の様子を見ていた宗像。武がいなくなった後、風間を呼び寄せた。「梼子」「? 何か、美冴さん」 近づいてきたか風間の耳元の口を寄せ、息を吹きかけるように「――体は隅々まで綺麗にしておいたほうがいい」「っ! もうっ美冴さんったら!」 そう言われた風間は顔を赤くしてすぐにシミュレーターデッキを出て行ってしまった。「……いったいどうしたの?」「あの娘にも春が来た……ってことですよ」「?」 つづく