PX。207小隊はほとんどが食事を終えて自室に帰っていた。そんななか、榊一人が席に座り真剣な顔で何かを考えていた。 そこへ武が近づいていく。「よっ、委員長!」すぐ目の前まで来て、挨拶する。「ん……ああ、白銀」 これほど近くに来るまで気づかなかったとは、よっぽど集中していたらしい。伏せていた顔をあげ、武に向き合う。「何を考えていたんだ?」「……今度の総合戦闘技術評価演習のことよ。次こそは絶対に受からないといけないんだし、あらゆる可能性を配慮して作戦を考えておかないと」 そして苛立つように頭をかきながら言う「特にうちには、作戦無視を頻繁にする問題児がいるからね」 ……彩峰のことか。やはりこの世界でも彩峰と榊の相性は最悪だ。しかし、前の世界でもなんだかんだ言いながらしっかりと協力できていたんだ。なんとかそのあたりを解決しとかないとな。 榊の前の席に座る。「……お前、彩峰のこと嫌いか?」「個人としては嫌いよ」 即答する榊。 しかし、そのあと急にしおらしい声になり、「……でも、大切な仲間よ……矛盾しているけどそれが正直な私の気持ち」 だよな。今まで苦楽をともにしてきた仲間なんだ。それに彩峰の能力は隊にとっても大切だ。だから彩峰に対し、期待も信頼もあるし、そうしたいと思っている。けどいろいろなしがらみがそれを邪魔する。 榊は作戦を重視する。彩峰はその場の臨機応変な対応を重視する。榊も臨機応変な対応を悪いとは思っていないし、彩峰の言うことも理解している。しかし、榊の言う臨機応変は、あらかじめ決められた作戦に一刻でもはやく復帰するために発揮されるべきだと考えている。そして、彩峰の行動を結果さえ作戦通りに終わればいいってだけの身勝手なものだと思っているんだ。 そう言えば一回目の世界で言っていたな。『一日遅れたらそれをどう取り戻すかが臨機応変で、いきなり木によじ登ってその場から攻撃し始めるのは全然違うわ』 いきなり木によじ登るとは面白いたとえだ。 両者お互いの言いたいことはわかっているのにそれでも互いに一歩近づくことのできないものたち。そこにはやはり背景事情なんかも大きく関係している。「……なあ、委員長」「なによ……?」「お前はなんで軍人になったんだ?」「……この国を守るの。この手でね」 榊も日本人でこの国が好きだ。だから少しでも上に行きたい。しかし彩峰はそんな榊の軍人然とした態度が気に入らない。だが、榊のこの想いは本物だ。だから父親に反発してでも軍人になった。そのためにもこんなところで足踏みしていてはいけない。「『人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである』」「……いい言葉ね」「あいつが……彩峰が心に秘めている言葉さ」 それに驚いた顔をした榊だったが、顔を伏せ、ゆっくりとこう言った。「……そう、彼女の……」「あいつもな、いろんなものを心に秘め、背負って闘ってんのさ……そこんとこも一応考えといてくれ」 そう言って席を立つ武。以前、榊は顔を伏せたままだ。大丈夫、あとは自分で考え答えを出すだろう。 そして、それ以上言うことはないと、武はその場を後にした。 ここは屋上。11月にもなるとさすがに寒い。もう冬の風がこの身に吹き付けてくる。 そこに彩峰はいた。フェンスによじ登り、そこに腰かけ静かに空を見上げていた。「よお」「……」 あいさつしても返事はなし。下着見えてるぞ、と注意しようかとも思ったが、どうせ言っても聞かないだろう。どの世界の彩峰もそうだった。「……何しに来たの?」 やっと口を開いた。しかし以前視線は空を向いたままだ。「ちょっと話があってな……」 そう言って武はフェンスにもたれかかる。彩峰と同じように夕焼けに染まる空を見ながら、「……なあ、お前って委員長のこと嫌いか?」「……いきなりだね」 こいつ相手に回りくどい言い方は無駄だからな。「わざとらしいぐらい軍人然とした態度……それが気に入らない」 苛立ちながら言う彩峰。こいつが感情的になることは珍しい。 これは父から、母から、自分からすべてをうばった帝国の無能な指揮官たちがいたからうまれた感情だ。「それに撤退か全滅するしかない指示ばかりだす……」 こいつは父親のこともあって、撤退とか敵前逃亡が異常に嫌いだからな。 けどな、委員長は無能でもないし、お前から何も奪うことなんてないんだぜ、彩峰。「知ってるか?委員長って徴兵免除を蹴って軍人になったんだぜ?」「!」 それを言ったとき、初めて綾峰の顔が武に向いた。その顔は驚愕に染まっている。 やっぱり知らなかったのか。言葉は悪いけど親の七光でここにいるって考えてたんだな。財界、政界いろんな所のごく一部のものにのみ与えられた徴兵免除。それを榊は受けなかった。 榊は自分で考え、軍人になろうとしたが、父親からの妨害にあい、結局は最後方の国連軍横浜基地へ。しかし、そこでもあきらめることなく、すこしでも上を目指そうとしている。 二人の不仲はこの辺の事情の理解の相違が原因でもある。まあ、榊もそのことを彩峰に伝えていないのだから悪いのだが。もっと早くに二人が素直になっていれば武の出る幕などなかっただろう。「『人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである』」「っ!」「さっきあいつに教えた言葉さ……これを聞いたあいつな、『いい言葉ね』ってそう言ったんだ」 これは彩峰の父親、彩峰萩閣の言葉。父親のやったことは許せなくても、この言葉だけは信じられる。 この言葉を聞いた榊の反応からもわかるが、あいつもこの国のため、人類のためにすこしでも貢献したくて必死になっている。「さっきもPXで一人残って必死に次の総合戦闘技術評価演習の作戦たててたよ」 考えうるあらゆる事態を想定し、小隊メンバーの戦力を計算し、どんな場合でも対応できるように。「あの演習は下手したら死ぬこともあるからな。あいつは207小隊一人も失いたくなくていま必死にできることを考えてるんだ」「……」 フェンスから体を離し、空に向けていた視線を彩峰に向ける。「そんな委員長―――分隊長を信じてやれ」 返事はなし。まあ、すぐに切り替えられるほど、いままでのケンカの歴史は浅くない。今は必死に頭のなかでいろんなことを考えている最中だろう。彩峰だからそれを表情には出さないが。やがて、彩峰は再び空を見上げた。「……白銀は、私の父さんのこと……」 このときの表情は見えなかった。いったいどんな顔をしていたのか。「……やっぱり、なんでもない」 そう言ってフェンスから飛び降りる。そのままスタスタと屋上からの出口へと向かっていく。そして扉の前に立つとこちらに片腕の手のひらを見せ、「……考えとくよ」 それだけ言って建物の中へ消えてしまった。 まあ、こんなものだろう。あとはあいつらを信じるのみだ。「撃ち方止め!」 射撃場にまりもの声が響いた。その声を合図に207小隊は撃つのをやめ、急いでまりもの前に集合する。「小隊集合しました!」 榊の言葉にうなずくまりも。そして腰に両手をあて、「今までよく頑張ったな。代わりと言ってはなんだが、褒美をやろう」 ついに来た。まりもが笑みを浮かべ言う。「明日から一週間南の島でバカンスだ」「「「「!」」」」 みなが驚いている。それはそうだ。予定よりは数日早い総合戦闘技術評価演習なのだから。「そこではこれまでの訓練は行わない。基礎訓練の成果、試させてもらうぞ」 今日は早いうちに休め、という言葉で今日の訓練は終了となった。 みんなでPXに向かう。しかし、先ほどのまりもの言葉からみんな表情が硬かった。「まさか、一週間近くも総合評価演習が早まるとは……」 冥夜が口にしたことをみんな不思議に思っているのだろう。そしてそれと同時に緊張もしている。一回めは落ちたのだから、次こそは失敗は許されない。そんなプレッシャーがみんなのなかにあるのだ。まだ一週間はあるとたかをくくっていたのも原因かもしれない。しかし実践ではこちらの体制が万全なのを待ってはくれないのだ。「オレらの成績がよかったから早まったんじゃないのか?」 武が軽い口調で口にする。確かにそうかもしれない、とみなの表情が少し和らいだ。 そしてみなでその原因を思い浮かべると、そこにはやはり武の姿が浮かぶのだった。彼が来てからというもの、彼の優秀さにひっぱられるように自分たちの成績も伸びている。それに今までは不干渉の原則というものが引き起こしていたチーム内の妙に遠慮した空気もなくなっていった。 すべてはこの少年がきてから。みんなで同じことを考えていたのか、誰もが先を歩く武の背中を見ていた。彼女たちにとって、その背中はなんともたのもしく見えるのだった。 90番ハンガー。この広大なハンガーを、今は白銀武専用機「伊邪那岐(いざなぎ)」がたった一機で占領していた。今日も整備兵たちが忙しなく動いている。「伊邪那岐」から延びる無数のケーブル。そしてつながれたパソコンの画面を見ては、何かを叫んでいる。 そんな「伊邪那岐」の手前、武と夕呼の二人がいた。「とりあえずありがとうございます。総合戦闘技術評価演習を繰り上げてくれて」「あれくらいで礼を言われてもねー。別にあんなのどうってことはないわ」 夕呼はいつもの白衣姿。白銀も制服姿だ。この90番ハンガーという極秘の場所。その場に訓練生の制服というのはとてつもなく不釣り合いだった。しかし、この武、今やこの世界の命運をにぎっているといっても過言ではない。 なぜ二人がこんなところにいるかというと、夕呼が武に呼ばれたからだ。「先生……オレ、これから一週間ほどこの基地を離れます」「……それはまたどうして?」「いろいろとやることがあるんです」 あとで説明しますよ、ととりあえずこの基地を離れることを伝える武。 そして、そのために整備兵と輸送車両を借りられないかと交渉する。「……わかったわ。未来の世界を知るあんたがすることだものね」 そう言って、頭の中でこれからの手続きについてまとめる夕呼。「そう言えば、『伊邪那岐』の整備状況ってどうなっています?」 報告によれば、一応全身の消耗パーツは何組が用意できたということだ。しかし、それ以外のパーツはまだ時間がかかり、なにかしらの大きな損傷を受けたら復旧までにかなりの時間がかかるだろうというのが整備兵たちの見解だった。まあ、武の腕はA-01部隊との演習やハイヴ内シミュレータで知っているので大丈夫だとは思うが。「それと消耗パーツだけで手いっぱいで、『双刀』の方は用意できなかったそうよ」「そうですか」 二人して「伊邪那岐」が背負っている刀を見る。武としては消耗パーツを用意してくれただけでありがたい。それ以上を要求するのは贅沢というものだろう。 今度は武があるものを指差した。「そういえば、『アレ』って撃てますかね?」「……ああ、『アレ』ね」 今度は二人して「伊邪那岐」の横に吊るされている物をみる。 夕呼としては未来の自分があんなものを作ったのが恐ろしい。五年という時間は思いのほか急激な技術革新を及ぼすものらしい。「まあ、今はオルタネイティヴ計画につきっきりですからね……あの世界では桜花作戦のあと、二年は『アレ』の小型化に専念してましたから」 それだけの時間があればできるかな、と自分の頭脳と照らし合わせてみる。……やめた。今は目先の問題を片付けることに専念しよう。「一応ね。でも一回の戦闘では電力なんかの関係で2発が限界よ?」「十分です。必要なのは威力でも回数でもなくインパクトですから……」 なるほどね。その言葉で武が意味することを看破する夕呼。 なるべく早くお願いします、という言葉を残して武は90番ハンガーを後にする。この基地を空ける用意でもしに行くのだろう。そのあとに続き、夕呼も自室にもどるのだった。 まりもは手元の書類を見ながらため息をついていた。それは白銀の写真が貼られた一枚の書類。A-01部隊隊長の伊隅大尉に提出する訓練生の書類だ。改めて数値にして白銀の成績をみると到底訓練生のものには思えなかった。いや、正規兵でもトップクラスだろう。現にまりもの現役時代の記録をいくつも追い抜いている。 この前の夕呼との会話から、もやもやした感がずっとまりもの中をうずまいており、最近はずっと白銀の正体について考えている。しかしどれも今の状況を完全に説明するものではなく、いい加減あきらめかけているところである。「どうしたんだい、溜息なんかついて……」「京塚曹長……」 そんなまりもに声をかけてきたのはこのPXで兵士たちの食事をつくっている京塚曹長だった。「おや、なんか悩みごとかい?」「悩みというわけでないんですが……」 今考えていたことを告げようとすると、「おや、神宮司軍曹」「伊隅大尉!」 あわてて敬礼をしようとするまりもだったが、それを伊隅が制した。「教官、今は周りにだれもいないのでそういう堅苦しいのはなしにしてください」「大尉。私はすでにあなたの教官では―――」「もう、いいじゃないか! みちるちゃんはいつだってあんたの教え子だろ?」 背中を叩かれながらそう言われる。おばちゃんにそう言われては仕方無い。確かにこの人の前では階級など関係ないな。まりもは態度を崩すことにした。久し振りの元教え子との対面。まりもの教え子はみんな副司令直属の特殊部隊に配属される。特殊部隊故、任務内容は極秘だが、あの夕呼のことだから相当過酷なものだろう。「それより聞いとくれ、みちるちゃん。なんかまりもちゃんが悩んでるみたいなんだ」「悩み?珍しいですね。訓練兵に問題児でもいるのですか?」 伊隅がまりもの向かいの席に座る。「問題児っていうか……一人あらゆる意味ですごい子がね……」「あータケルのことで悩んでたのかい!なるほど、ありゃ確かに問題児だよ!あたしの前で教官のことを『まりもちゃん』って呼んでたからねー。まあ、あたしゃあんな奴は嫌いじゃないけどね」 そう言って豪快に笑う京塚曹長。 あいつ、京塚曹長の前でもあの呼び名を口にしたのか。そのことでも頭を抱えることになるまりも。「……それは確かに、問題児ですね」 自分たちを教導していたころのまりもにそのような口をきけばどのような扱きをうけたか、想像するに恐ろしくなる伊隅だった。「そういえば最近のみちるちゃんのとこの子たちは楽しそうだね~」「ええ、みんな新OSというおもちゃを与えられて喜んでいるんですよ」 新OSとはこの前まりもが模擬戦闘させられたときに相手の機体に乗っていたOSか。確かにあの機動を可能にするOSは衛士にとって最高の贈り物だったろう。元優秀な衛士のまりもの感想だった。 あれが全軍に配備されれば、前線で命を落とす将兵も激減することだろう。しかし、それがいますぐできないという各軍の背景事情に歯噛みするまりもだった。「それに最近は『白銀』という衛士が我々の訓練を見てくれて、私たちの力は現在うなぎのぼりですよ」 それを聞いた時、曹長とまりもの動きが止まった。「白……銀……?」 まりもがゆっくりと口にする。「ええ、そうです。副司令からの紹介でして、顔は明かされていませんが、こいつがまた鬼のように強くてですね」 そういえば、と伊隅が続けた。「新OSの模擬戦闘のとき教官の相手をしていたのが彼ですよ」 知らなかったのですか、と首をかしげる伊隅。「ちょ、ちょっと待って!」 そこでまりもは説明した。さきほど自分たちが話していた者の名は「白銀武」だということを。訓練生として少し前に配属されたが、成績は優秀、というより正規兵をも超えるものだったということ。こちらも夕呼からの紹介で、この時期異例の男の訓練生で、事前通告も無しにいきなり訓練部隊に配属されたということ。そしてたびたび夕呼の命令で訓練中あるいは夜にどこかへ行ってしまうこと。 その話を聞いていくうちに、伊隅の顔も驚愕に染まっていく。 そして話を終えると、両者顔を突き合わせ、同時に立ち上がった。目指すは、すべてを知っているであろう香月夕呼のところだ。 その頃、夕呼は自室でいつものようにパソコンに向き合っていた。『――香月博士、伊隅大尉と神宮司軍曹からの通信です』 あら、こんな時間に通信とは珍しい。しかもこの二人そろってとはますます。彼女たちの権限では夕呼の部屋があるフロアまでおりてこられないのでこうやって通信で連絡をとるのだ。「つなげてちょうだい」 しばらくして、通信が切り替わった。『副司令!』『博士!』「……なによ、いきなり二人して、大きな声を出してー」 夕呼は露骨に嫌そうな顔をする。 『白銀が訓練兵とは本当ですか!?』『白銀が衛士ってどういうことですか!?』「……あら、ばれちゃった?」 子供のいたずらがばれたみたいな軽い言葉で肯定する夕呼。 それにしても白銀、だから名前はやめておけと言ったのにあの馬鹿。変なことにこだわるやつなんだから。 キーボードに触れる手を止め、椅子にもたれかかる。『先ほど、白銀の与えられている部屋に行ってみましたが、そこには誰もいませんでした。今はそこにいるのではないですか?』「残念。あいつはいまこの基地にいないわよ」『!?』「なんかやることがあるらしくてね、出て行ったわ」 少しの沈黙。 伊隅やまりもの中ではいろいろ言いたいことが浮かんできたが結局はこの一言につきるのだった。『『白銀っていったい何者……』』 それを答えるわけにはいかない。白銀が未来の世界から来たなどという情報を与えたら、この世界にどんなことがおこるかわからない。もしかしたらなにもおこらないかもしれない。だが、それがわからないから教えない。教えられない。この秘密は夕呼が墓まで持っていくつもりだ。「『Need to know』よ。あなた達が知る必要はないわ、軍曹、大尉」『……』「安心しなさい。別に敵ってわけじゃないから」 まあ、そう言っても納得できるわけないか。『って博士! 明日からは総合戦闘技術評価演習なんですよ!?』 まりもがついさっき聞いた事実に驚愕する。出て行ったとはどういうことか。それならば明日からの総合戦闘評価演習に参加できないではないか。それにたかが一衛士に単独行動を許すなど、いったいどうなっているのか。「まりもー、あんたもわかってるでしょ?あいつにいまさらそんなものは必要ないわ」『……』 確かにそうだ。白銀の実力なら総合戦闘評価演習などなんなくクリアしてしまうだろう。白銀のような優秀なものにとってそれは時間の浪費でしかない。『では、白銀が出て行った目的というのは……』「さあねー。一つ二つぐらいは聞いたけどそれ以外にもやることは多いって言ってたから」『なっ!?』 たったそれだけで単独行動を許したというのか。「別にいいのよ。あいつにはいろいろ提供してもらってるからね。あいつが必要なことなら可能な限りすべてしてやるつもりよ……まあ、あたしに不都合がない場合に限るけど」『『!?』』 オルタネイティヴ計画最高責任者である香月夕呼にさまざまなものを提供しているだと。この人はだれもが認める天才で、その頭脳は世界でも稀にみるものだ。そんな博士になにを提供するというのか。しかも副司令自ら白銀のためにできることはやるという。とてもじゃないが、白銀が一衛士などと思えない。いや、この世界にこの人物をこれほど動かすことのできる者がいるのか。「―――そうだ伊隅。三日後、あんたらは新潟に行きなさい」『は、任務ですか?』「ええ、そうよ。新型OSの力を試すにも絶好の機会よ」『え?それはどういう―――』 伊隅が不思議に思うのも仕方ない。戦術機の力を実戦で試すのならばBETAと戦うのが一番いい。それは戦術機を作った目的がBETAに勝つためなのだから当然だ。しかし人間にBETAの動きを予測するなど不可能なのだ。やつらは不定期に攻めてくる。そのため、いつも佐渡島ハイヴ周辺には防衛線を構築しているが、やつらがいつ、どこに攻めてくるのかわからないため、毎回相当数の被害を出している。 ならば戦術機相手なのか?しかしそれにしても横浜基地周辺にも帝国軍などの基地は存在する。わざわざ新潟まで向かう必要はない。「あー行けばわかるからいいのよ。詳しい場所は後で教えるわ」 もしかしてこの天才はBETAの動きを予測することに成功したのか。「あっそうだ、まりも」『……なんですか?』「明日からの総合戦闘評価演習で白銀から207B訓練小隊に伝言があるのよ。あとで届けるから明日、彼女たちに伝えといてくれる~?」『……わかりました』 はいこれで通信終了、と一方的に通信を切る夕呼。さてさて、これからこの世界はどうなっていくのやら。夕呼は天井を見上げ、一度だけ笑みをこぼすのだった。 次の日の早朝。 総合戦闘技術評価演習の舞台でもある南の島にいくために207小隊の面々とまりもが集まっていた。 だが、207小隊の面々が落ち着きなくあたりをきょろきょろと見渡している。それというのも、今この場に武の姿が見当たらないのだ。もうすでに決められた集合時間の3分前だ。「―――時間だ。ではこれより」「きょ、教官!」 まりもの言葉を美琴が遮った。なんだ、と続きの言葉を促がすまりも。「タケル―――白銀訓練生の姿が見当たらないのですが」 時間になっても姿かたちも見当たらない。しかも先ほどの教官の態度は武が最初からこないのをわかっていたようなものだった。普段なら寝坊して遅れるなどしたら、鬼のように怒り、チーム一同連帯責任としてグラウンドを走らされるというのに。 まりもは207小隊の顔を順にみた。みな同じように白銀がいないことをいぶかしんでいるようだ。まあ当然だろうな。「白銀は香月博士の特殊任務のため、この演習には参加しない」「「「「なっ!?」」」」」 普段あまり感情を露骨に表にださない彩峰すらも自身が表現できる最大限の驚愕の表情を形作っている。「……みんなもそろそろ気づいているとは思うが、やつは本来訓練生などではない」「……」 これに関する驚きは少ない。やはり前々からみんな疑っていたらしい。「そんな白銀からお前たち一人一人に伝言を預かっている」「伝言……ですか?」 まりもはポケットから一枚の紙を取り出した。それを広げ読み始める。「……『みんな、すまない。突然だが、今回オレはこの演習に参加できない。特に委員長、オレがいることを前提に作戦立ててただろうから、ごめんな……だけどな、お前らならオレなしでもこの演習は余裕でクリアできるはずだ。訳あってお前たちを見送ってやることはできないが、お前たちの成功を心から祈っている』」 そこで一端言葉をきり、「榊!」とまりもが大きく声にした。「はいっ!」 榊が一歩前にでる。そしてまりもは続きを読み始める「『委員長へ。お前がこの部隊の分隊長なんだ、しっかり頼むぜ。この前俺がPXで語ったことを忘れずに部隊一丸となって合格を目指すんだ。道は常に二者択一(オルタネイティヴ)なんかじゃない。お前が目指す者のためには最善の結果を自分で勝ち取って見せろ!』」 次に「御剣!」。「はっ!」「『冥夜へ。お前がこの部隊では副隊長的ポジションだ。しっかり委員長のフォローを頼む。お前にもいろいろなしがらみがあると思うが、お前の人生はお前のものだ。何物にも縛られることなく、自分の道を進め』」 次に「珠瀬!」「はい!」「『たまへ。お前の射撃能力は極東一だ。いままでいろんなスナイパーを見てきたがお前以上のやつはそうそうみたことない、オレが保証する。そのことに自信をもっていい。お前に必要なのは自分を信じることだ。自分を信じ、いつでも標的のど真ん中を射抜いている自分を想像しろ!』」 次に「彩峰!」「はい」「『彩峰へ。ジャングルなんかの起伏の激しい土地ではお前の身体能力が大いに役に立つはずだ。そのことにチームは期待し、お前の力を信頼している。その信頼に応えてみせろ。あの日、屋上でオレが語ったことを忘れずに、さっさと受かってこい!』」 次に「鎧衣!」「はい!」「『美琴へ。今回の演習ではお前のサバイバル能力は存分に発揮されるだろう。その力で部隊全員を助けてやってほしい。だがな、お前はたまにまわりが見えてないことがある。そのことに注意して、常に自分のまわり、仲間たち、自分自身に気を配ってろ』」 最後に「『みんな、絶対に最後まで気を抜くんじゃない。まりもちゃ』……ゴホンッ!……『教官から合格という言葉をもらうまでは終わりじゃないんだからな……よし、言いたいことはこれくらいだな。じゃあ、お前らが帰ってきたときに最高の笑顔が見られることを楽しみにしている。そして帰ってきた暁にはおばちゃんに頼んで飯をたんまりくわせてやるから覚悟しとけ!』」 そこでその手紙は終わっていた。みんなさきほど自分に向けられた言葉を考えているようだ。何も語らず顔を伏せていた。「……まあ、いろいろと考えることはあると思うが、まずは目先の問題だ」 その言葉で全員が顔をあげる。その顔は、ほんの数分前までとはまったく違う顔つきになっていた。「白銀に言いたいことがあるのなら、さっさと受かって、帰って本人に伝えろ!いいな?」「「「「了解!」」」」 私もそうさせてもらおう、と心の中でだけつぶやくまりもだった。 さて、そのころの武。輸送車両にゆられ、一路ある地点を目指していた。「……空が青いなー」 輸送車両の上。腕を枕に寝転がりながら空を見ていた。 少尉殿危ないですよ、という同行中の整備兵の言葉もどこ吹く風。ただ青くどこまでも広がる空を見ていた。こんな平和な光景だとこの世界がBETAによって消滅の危機を迎えているなど考えられなかった。 さて、いまごろみんなはどうしているだろう。 何か段差でもあったのか車が激しく揺れる。「うおっ!?」 あやうく走行中の車から転がり落ちそうになる武だった。さすがに危ないな。ようやくその行為の危機感に気づく武。そろそろ中に戻るかと立ち上がって、一度だけある方向をみた。 ここからでは到底見えないが、武の向いた方向にあるのはこの国の帝都。ある方がおわす日本において神聖な場所。その方向に向いた武は、右手をつきだしこう言った。「今会いに行くからな、‘悠陽’」 つづく