"BETAの日"(前)
破局を迎えつつあることを第46師団司令部の人間は、認めざるを得ない。
八代市内に侵入したBETA群と相対した第46師団の編制は、端的に言えば貧弱であった。
主戦力は二個歩兵連隊(第123/147)、一個戦術機甲大隊・戦車大隊(第59・第48)、一個砲兵連隊から成る。
聞けばそこそこの戦闘力を持っているように思えるが、その実情は惨憺たるもので、中核を成す第123歩兵連隊と第147歩兵連隊は、機械化歩兵装甲を持たない自動車化歩兵に過ぎず、対BETA戦に秀でた装備もない。
第59戦術機甲大隊は77式戦術歩行戦闘機"撃震"36機を、第48戦車大隊は74式戦車37輌を――両大隊とも近代化改修が十分でない、他部隊から回ってきた"お古"を運用している有様。
砲兵連隊に至っては、牽引式155mm榴弾砲を僅か30門有しているに過ぎなかった。
誰かが呼んだ訳ではないが、北部九州に駐屯する師団に較べた際、第46師団はろくに対BETA戦闘力を持たない二線級師団である、と言えよう。
それを九州防衛を任務とする帝国陸軍西部方面軍司令部も理解していた為に、第46師団は戦略予備として九州中部に保全され、消防・警察と協同しての後方支援任務が割り当てられていた。
その為に第123歩兵連隊、第147歩兵連隊も八代市街における避難誘導、市内を南北に分かつ前川・球磨川の水量監視の任務に就いていたのだ。
……昨日までは。
「第147歩兵連隊と協同する第48戦車大隊の損耗は、もはや無視出来ません。後者は被撃破数16輌」
「後退は許可出来ない。……戦車大隊が脱けるのは痛いぞ。戦術機甲大隊は?」
「八代市役所周辺で阻止戦闘中です。残存21機」
BETA八代強襲上陸の一報を受けた際、第46師団司令部は、市内で避難誘導にあたっていた第123歩兵連隊に即時応戦を命じ、隷下の全部隊に八代市内入りさせた。
「島原半島に上陸せず、よりによって人工密集地に上陸するとは……」
「海軍は何をやっていた、警報なぞ碌に出ていないぞ」
BETA上陸の一方を受け恐慌に陥る参謀を前に、師団長は冷静であった。
天草灘、島原湾の海底監視網と連合艦隊の哨戒網をパスしたということは、BETA群の規模も小さく、せいぜいが大隊規模、最悪を想定し最大限見積もっても連隊規模程度なのではないか、と推測した。
また本土防衛軍統合参謀本部・帝国陸軍西部方面軍司令部も、第46師団師団長と同じ判断を下したのであろう、水際防御・即時反撃を第46師団司令部に命じたのである。
大隊・連隊規模のBETA群が相手ならば、来援を待たずとも第46師団一手でも何とかなる、また市民と市街への被害を小さく抑えることを第一に考えれば、即時反撃すべきだった。
そして第46師団は、師団規模のBETA群を連隊規模、あるいはそれ以下と誤認したまま、無謀にも市街戦に突入した。
……その結果、第123歩兵連隊本部は通信途絶、第147歩兵連隊は少なからず被害を被り撤退、戦車大隊と戦術機甲大隊もそれぞれ1個中隊分以上の損害を出している。
「〇九四〇時。第58師団第51・52歩兵旅団が球磨川南沿岸に展開終えました」
「時計を見ることが癖になってしまっているな」
「第48師団及び第50師団は万難を排し行軍中ですが、市内入りは一二〇〇時……約2時間後になるそうです」
「全部この天候が悪いんだ、仕方がない。だが2時間後には、現在敷いている前川・球磨川沿岸の防衛線は破綻しているよ。せめて戦術機甲大隊だけでも前倒しさせるように懇願してくれ。統合参謀本部お抱え砲兵師団の出前の件、あれはどうなった?」
「一〇〇〇時より10分間の火力投射を以て撃ち切り、とするそうです。またMLRSは既に陣地転換、転進を開始しています」
「馬鹿な……応援の第58師団は強行軍で、砲兵を連れて来れていないんだ。歩兵連隊(バッタ)の迫と第46師団(ウチ)の15榴30門で何とかしろと言うのか」
「第58師団の師団砲兵は先程申し上げた通り、一一三〇時には到着する見込みです」
部隊移動は超大型台風直撃の影響もあり、砲兵科・機甲科の展開が著しく遅れている。
特に九州中部の二線級師団の砲兵連隊は、牽引式榴弾砲を運用している部隊が多く、更に時間を喰う羽目になってしまった。
しかも本土防衛軍・西部方面軍が直轄する砲兵部隊は、八代市内への砲撃を止め、陣地転換・転進するらしい……。
本土防衛軍統合参謀本部及び、西部方面軍司令部の方針は、こうだーー"八代市街を南北に分かつ前川・球磨川に沿って第46師団及び第58師団は防衛線を敷き、BETAの南侵を防ぐ。BETA群が浸透した八代市街北半分は、放棄する"。
指導に則り現在、第46師団第147歩兵連隊と第48戦車大隊は、急派された第58師団第51・第52歩兵旅団と共同で、球磨川の南岸に陣取り、南下しようとするBETA群を阻止すべく戦闘を展開している。
……前川・球磨川以北の八代市街に未だ残る市民については、何も考えられていない。
大を生かすために小を……いや。
(大を生かすことも出来ないかもしれんな)
球磨川沿岸に張り付く歩兵連隊も戦車大隊は、そして球磨川北岸に残留し厄介な突撃級や光線級を狩る戦術機甲大隊も、限界を迎えつつある。
経過に関わらず1時間後には防衛線に穴が空き、他部隊も各個撃破され、大勢も決するであろう。
西部方面軍司令部及び、第46師団司令部が持つ監視部隊の報告を鑑みるに、八代市街に上陸したBETA総数は、師団規模、約3万強。
内2万は熊本市方面へ北上を開始、残り1万は八代市街に残留し東進・南下の動きを見せている。
果たして首尾良く第46師団と第58師団が1万の敵群を封じ込め、増援と共に包囲殲滅出来たとしても、その後はどうなるであろう。
師団長が視野を広げ、北部九州に眼を向ければ、そこにはやはり破滅の材料しか残っていないように思える。
長崎県松浦市から佐賀県伊万里市にかけて、追上陸で勢力を盛り返したBETA群が約3万が存在。
佐賀県唐津市、BETA群約2万。
福岡県博多湾にひしめくBETA群、推定2万。
熊本県八代市より北上するBETA群、2万。
そして更なる追上陸の可能性。
「第123歩兵連隊第3中隊だと? 無事なのか」
戦略的な観点からはともかく、八代市民の大半を棄民とする心苦しさから沈黙した師団司令部に、通信兵の報告を受けたひとりの参謀の素っ頓狂な声が響き渡り、全員の視線を集めた。
師団長も期待するわけでもないが、参謀を一瞥した。喜ぶべきことではあるが、今更一個中隊が無事だったところで戦況が好転することはない。
だが。
「八代駅に避難民を集め、県道14号の線で防衛線を敷いている? だが救援には行けないぞ。今更前川・球磨川の対岸に出張って、民間人を収容することは出来ない。心苦しいがな……国鉄に無理を言って、運行させる訳にもいかないんだ」
「それについては、国道3号線を現在北上している第123連隊なる部隊が、避難民を収容するそうです」
「第123連隊? 第123歩兵連隊は、全滅……いや球磨川以北、八代市内で戦闘中ではないか」
「それが、帝国陸軍の指揮下にない部隊だそうです」
「在日米軍か!」
「いえ、日本国陸上自衛軍第123普通科連隊、だそうです」
「それは民兵組織ーー郷土防衛隊か?」
「正規軍に等しい装備を持ち合わせているようです。現在第3中隊は、その第123普通科連隊の指揮下にある独立機動小隊なる部隊の援護を受けているそうです」
参謀は小首を傾げ、救いを求めるように師団長を見た。
師団長はそれに気がつかないふりをして、目を瞑った。
その日本国陸上自衛軍なる組織が、独力で八代市街に突入し、帝国臣民を救出出来るのであれば悪い話ではない。
また帝国陸軍の指揮下にない連中が、どんなに出血しても知ったことではなかった。
ーーーーーーー
「所属と官姓名を言えッ!」
「第123普通科連隊第2中隊第2小隊、篠崎勝敏百翼長(=少尉・中尉相当)であります! 同時に小隊長を任じられております!」
「普通科? ひゃくよくちょう? ……そもそも第123連隊は、八代市内にて有力なるBETA群に対し、鬼神も哭く壮絶な抵抗戦を展開中と聞くが。よもや逃亡兵ではあるまいな?」
「はい! いえ! 憲兵少尉殿ッ! 自分とその部下は、第106師団司令部および第123連隊本部より命令を受けて活動しております!」
本土防衛軍が召し上げ、部隊移動用の軍用幹線道路として利用している国道3号の交通整理を担当する帝国陸軍の憲兵たちは混乱していた。
熊本県八代市に有力なるBETA群上陸の一報が入ると同時に、国道3号の交通量が爆発的に増加したのである。
最初は見覚えのある高機動車や73式各種トラックが走り、予め決められた誘導作業に必死になっていた。
だが暫くすると、九州に展開する本土防衛軍各部隊が装備していない――正確には、帝国陸軍が制式採用した覚えのない装備品を駆る連中が現れ始めたのである。
また装備品に入る部隊章にも、全く見覚えがない。
それに気がついた交通整理担当の憲兵たちは慌てて彼らを制止し、すぐに尋問を開始した。
すると彼らはさも平然とした顔で、存在し得ない部隊名や取って付けたような階級名を持ち出し、「正式な命令だから」と押し通ろうとするのである。
現場からの報告を受けた西部憲兵隊司令部は、すぐさま人員を派遣した上で検問所を増設し、問題となった国道3号は勿論、九州中の幹線道路に、所属不明の怪しい者をひとりも通さぬ検問を敷いてみせた。
これによって国道3号線は――否、熊本県下の殆どの幹線道路は、交通麻痺に陥った。
「第106師団なぞ聞いたことがない……本土防衛軍統合参謀本部の命令書はあるか?」
「本土防衛軍とは……生徒会連合、それとも熊本鎮台(陸自第6師団)の命令書でありますか?」
「鎮台……? 貴様は明治時代の人間か? ふざけるな!」
「はい! 自分は昭和生まれの人間であります! 部下には平成生まれの年齢固定型もおりますが!」
「うん?」
「申し訳ありません、聞かれていないことまで答えました!」
途中の検問所で憲兵少尉に捕まった第2小隊の篠崎も必死であった。
現状偵察とは名ばかりの実弾を携行しての行軍訓練(ピクニック)の帰り、第123普通科連隊本部と第106師団司令部より、"八代市内に師団規模の新型幻獣出現、急行されたし"との命令を受けた。
ところが現在。
何故か自分は、泣く子も黙る憲兵隊に敵前逃亡の嫌疑を掛けられている。慌てふためくのは当然といえよう。
"敵前逃亡を犯した者は銃殺どころか、クローン工場のベルトコンベアに載せられ粉々にされた後、生体部品や次世代クローンに再利用される"――聞き流したはずのそんな噂話が思い出され、最早篠崎は平常心では居られなかった。
しかもお偉方にも顔の利く連隊本部の面々と、第1中隊は先に通っていってしまった。
残りの第2中隊と続く第3中隊、2個独立機動小隊、そしてかの英雄的5121小隊を範として新設された、第2301独立対中型幻獣小隊は足止めを食らってしまっている。
「とにかく所属が明らかでなければ、このまま拘束する他ない!」
憲兵に道を塞がれ、しかも逮捕の危機となれば、小隊員も黙ってはいられず、「おい篠崎! 何がどうなってんだ?」と同級生……ではなく部下たちが声をあげた。
背後は既に長蛇の列となり、篠崎小隊長も憲兵達も尋常でない焦燥感に駆られ始めた時である。
『こらあ! なにをやっとるかあ~っ!』
この豪雨の中でも殷々と響き渡る、外部スピーカーから放射された甲高い女性の声。
これはやばい、と事情を知っている第123普通科連隊第2中隊第2小隊のメンバーは、国道脇に転がり込み姿勢を低くした。
遅れてどすんどすん、と怪獣の足音を連想させる地鳴り。
そして渋滞して動けない車列を無視するかのように近づいてくる黒い影。
それを見た憲兵達は咄嗟に戦術機か、と思ったがそれにしてはフォルムが違いすぎる。
「近づいてくるぞ――!?」
怯えた数人の憲兵が、携行する9mm機関拳銃を咄嗟に構える。
だがしかし渋滞して動けない車輌と車輌の合間を足場として、彼らの眼前に現れたそいつは、小火器ではどうすることも出来ない相手であることが、すぐに分かった。
華奢な印象を人々に持たせる第2世代戦術機よりも、既に見慣れている重量感ある第1世代戦術機よりも、遙かに無骨な戦術機が、憲兵達の前にいた。
(見たことがない……いや、本当に戦術機か)
その人型兵器はまず従来の戦術機に較べれば、体高が非常に低い――恐らく10mに満たないであろう。
更にあって然るべき跳躍装置を持たず、代わりに腰には大太刀を佩いている。
そして装甲は非常に厚そうに見える。
第二次世界大戦中に運用されていた中戦車の正面装甲ほどはありそうだ。
装甲表面は無駄な塗装はなく、暗灰一色で塗りつぶされている。
無骨で飾り気はないが頼りになる武者、というのが憲兵達の第一印象であった。
なんなんだこいつは、という気圧された憲兵の呟きに答えるように、武者が怒鳴った。
『本機は日本国陸上自衛軍普通科第106師団隷下ぁ! 第2301独立対中型幻獣小隊、通称"にゃんたま"小隊の一番機だぁ!』
その特異な戦術機の外部スピーカーから流れ出る女性の声――というよりは女子高校生のそれに、小隊員たちとその後背の第123普通科連隊の人間は溜息をつき軽口を叩き、憲兵達は表情を強ばらせた。
「幾ら独立対中型幻獣小隊の愛称は自由に名乗れるからって、そらねえだろ」
「いい歳してよ……中学生じゃねえんだぞ」
「あんな奴乗せて、士魂号が泣くぜ。まったく」
(日本国……陸上自衛軍……?)
一方で憲兵達は戸惑うばかりである。
見慣れない装備、見たこともない階級章、出鱈目にしか思えない階級名、存在し得ない部隊名、そして目の前には新型戦術機。
所属が分からない、官姓名も明瞭でない不審であるという理由で頑張っていたが、もはや目の前の人間が軍事組織に所属していること、そして帝国陸軍の指揮下にないことは明らかである。
そして、独立対中型幻獣小隊1番機パイロットが絶叫する。
『憲兵を名乗り戦略上重要な道路を封鎖するとは、人類同胞のやることではない! 貴様等幻獣共生派には、法による権利は一切与えられていない以上、通さぬというならここで撫で斬りにしてくれる!』
そうして暴走少女を御者とする鋼鉄の武者が、明確な敵意を放射しつつ、腰の超硬度大太刀に手を掛けたものだから、たまったものではない。
混乱に拍車が掛かる憲兵とは対照的に、(やっちまった……)と陸自側では一兵卒から中隊長までが頭を抱えた。
結局のところその後も押し問答は続き(1番機は2番機が羽交い締めにして後退させた)、学兵達は「いや正式な軍令はまだ出ていないが、先行するよう指示を受けている」だの「敵群上陸の混乱で指揮系統が麻痺しているのでは?」といった適当な言い訳を散々に並べ立てた挙げ句、それでも通行出来ないと見るや、生徒会連合より派遣されている督戦隊に相談した。
生徒会連合役員と各中隊本部士官は協議し、彼らは偽の憲兵であり(実際に軍装が旧軍のもので、陸自のものとは細部が異なっていた)、逮捕し後送すべき、という結論を出した。
斯くして日本国陸上自衛軍第123普通科連隊将兵は、陸自西部憲兵隊司令部より派遣された憲兵に偽装し、部隊移動を阻害していた幻獣共生派を緊急逮捕。
戦場たる熊本県八代市に向けて、国道3号を再び北へ驀進しはじめたのであった。
(後)に続く
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以下私見。
黒い月がBETAに蚕食された世界に出現した場合、幻獣はBETAも人類も同時に攻撃することになると思います。但し幻獣はBETAに対する切り札には、中々成り得ません。幻獣実体化の仕組が人々の想念と密接に関係している為に、彼らが戦闘を展開出来る場所は、人類が存在する場所=人類が観測出来る場所に限られると考えられます(=最前線で三つ巴の争いはあり得る、BETAvs幻獣は人類が認知する範囲でしか惹起しない)。勿論、地球環境を食い荒らし、占領地を不毛の砂漠に換えるBETAと、占領地を緑豊かな自然に還す幻獣はお互いに相容れない存在ではあります。
また黒い月が出現した場合、対BETA戦に宇宙空間を利用している人類は、著しく不利な状況に陥るのではないでしょうか。幻獣は宇宙空間に存在する人工物を排除するでしょう(第五世界では宇宙空間は幻獣に封鎖されています)。航空偵察が困難な人類にとって頼みの綱である偵察衛星、ハイヴ攻略の定石となった軌道爆撃等が実施出来なくなる可能性もあります。
現時点では、"あしきゆめ"たる幻獣の登場は考えていません。