"ベータ・ゴー・ホーム"
『駄目だ、支えきれない!』
『泣き言抜かすな、この童貞野郎!』
『ママにお腹に帰りたい? だったらこいつ等を殺るしかねえんだよ!』
寄せてばかりで返らないBETAの荒波を打ち砕き続ける米第12海兵戦術機甲群の衛士達は、叱咤と罵倒で以て自身と友軍を鼓舞しながら、岩国前面に立ち続ける。
だがしかし岩国基地に所属する国連軍諸部隊は、BETA強襲上陸から未だ5時間しか経っていないにも関わらず、限界を迎えようとしていた。山口県内で転戦を重ねる内に被害は増大、大方の各連隊で損耗率は30パーセントを超えており、特に機動防御に駆り出された戦術機甲連隊や戦車連隊等は損耗率が50パーセントに達しようとしている。
現在戦場の主導権を握っているのは、予想外の侵攻速度を見せたBETA側であった。既に下関市と岩国市を除く山口県内から人類軍を叩き出した彼らは、島根県をも抑え、広島県内へも侵入を果たしている。
対する帝国陸軍と在日米軍を主力とする国連軍は、全てにおいて対応が後手に回っていた。水上艦による着上陸阻止も、機動打撃戦力による水際防御も失敗し、BETAの浸透を許してしまった日本帝国・国連両軍は、民間人を巻き添えにした不本意な市街戦を余儀なくされている。しかも内陸部においての戦闘も、帝国陸軍が一方的に蹂躙される展開が終始続いた。「敵主力の目標はあくまで九州北部にあり、中国地方(こちら)への上陸個体数は極めて少ないはず」という観念に囚われ、強襲上陸したBETAの規模を読み誤った上で即時の応戦を試みた各部隊は、物量に押し潰されたままその場で各個撃破されていた。既に軍都として知られる呉・広島は、既に陥ちていた。
岩国基地に拠る国連軍各部隊と帝国陸軍の敗走部隊は、その場に踏み止まって戦う他なかった。前述の通り広島が陥ちた以上、陸路を以て東へ撤退するのは困難であり、現在は船舶による四国への撤退準備が進められているが、まだ時間を稼ぐ必要があった。帝国陸軍が反撃に成功し救援に来る、あるいは海路を用いた撤退の準備が可能になるまで、彼らは踏ん張らなくてはならない。
『ちくしょう! 山田太郎、お仲間はどこいった?!』
『悪いなジョン・スミス、みんな奴らの腹ん中だ――うおおおおお!』
『相変わらず無茶するサムライだ!』
岩国基地より北に数キロ地点、標高約300mの岩国山を背に、戦術機と諸兵科からなる混成部隊が防衛戦を展開していた。
長刀を青眼に構えたまま敵中へ吶喊する第1世代戦術歩行戦闘機"撃震"に、立ち塞がる要撃級達は前腕で殴りかからんとする。傍目から見れば、愚かなスーサイドアタックにしか見えなかっただろうが、勿論撃震の衛士とて、自殺を志願して斬り込む訳ではなかった。撃震の相手をしようと方向転換した要撃級が晒す軟らかい横腹、そこを砲撃戦に秀でる米軍衛士の駆るF-18Eが、36mm機関砲弾を以て狙撃する。
その後も撃震は長刀を振るうことなく、前線をただ駆けた。無視して前進しようとする要撃級に急接近し、こちらの存在を気づかせるや否やすぐ退く。彼の役割はその機動で以て敵を掻き回し、友軍にチャンスを与えることであって、長刀は最低限の自衛用に保持しているだけのこと、使わないに越したことはない。
(これが不知火なら――)
と、急加速・減速の繰り返しに呻く帝国陸軍衛士は、頭の片隅で思わずにいられなかった。
自身の乗機が第2・3世代戦術歩行戦闘機であったならば、遠慮なく長刀を振るっていただろうが、残念ながら自分が駆るのは第1世代の撃震だ。関節強度が陽炎や不知火に比較すれば酷く劣る為に、重量ある長刀や増加装甲を用いた格闘戦を連続して行えば、主腕はすぐにガタが来てしまう。岩国に至るまでの連戦によって、既に彼の撃震の主腕コンディションは即時整備を要するレッドにまで達していた。
敵の鼻先を機動し、前腕の打撃を短噴射による機体制御で避け続け、そうしてBETAの気を引き付けて友軍に狙撃させる。射撃の腕が米海兵隊衛士よりも劣ることを自覚している撃震の衛士は、自機が最後まで活躍出来る戦術はこれしかあるまい、と考えていた。
だがしかしF-14を初めとする第2世代戦術機に慣れ親しんでいる米海兵隊の衛士からすれば、F-4ファントムなど骨董品に等しい。それを駆り敵前に躍り出るなど、正気を疑う行動でしかなかった。鈍重なF-4のことだ、単機で前に出ればすぐさま戦車級に掴まるのがオチではないか。
『――ったく見てらんないね!』
『ナイヴス9!』
勝気な海兵少尉が駆るF-18Eが僚機の列から突出し、撃震の死角をカバーすべく前進する。黒剣を交差させたエンブレムを左肩部にもつそのスーパーホーネットは、両主腕に保持した突撃砲を以て、撃震に追い縋ろうとする周囲の戦車級と要撃級を粉砕していく。
『ファントムで無茶するんじゃないよ! オツムは大丈夫かい!』
「……すまん」
自動翻訳された女性衛士の言葉に、撃震の衛士はただ一言そう呟いた。
自身が前進して敵を惹きつけ、友軍機に狙撃のチャンスを与えるこの囮戦術は一介の帝国陸軍衛士として彼が出来る、最大の贖罪でもあった。BETA強襲上陸から向こう帝国陸軍は敗戦に次ぐ敗戦を重ね、その代償として世界最強の名に恥じない米海兵隊の優秀な衛士達は、この日本帝国陸海軍の失態の為に死のうとしている。
それが、許せなかった。
いつの間にか半包囲されていた撃震は、最後の斬撃を繰り出した。振るわれた74式接近戦闘長刀は、周囲に迫る要撃級どもの感覚器を叩き斬り、頭部を叩き割ってみせる。だが4体目の要撃級を行動不能に追い込んだところで長刀がすっぽ抜けた。ダメージを蓄積を危惧していた関節部よりも、兵装を保持するマニピュレーターが先に駄目になったのである。
だがそれでも、彼は機動をやめない。
ただひたすらに慙愧の念が、この帝国陸軍衛士を突き動かしていた。本来所属する部隊の戦友達は、先の呉防衛戦で全員戦死しており、本来ならば自分はそこで死んでいるべき存在であった。……ならば、ここで米海兵隊の衛士達の為に命を呉れてやるべきであろう。それが彼の覚悟するところであった。
返り血に塗れた鋼鉄の敗残兵は、バックステップで要撃級の横殴りを回避し、戦車級の群れを誘惑するように彼らの鼻先へと移動する。
『馬鹿野郎! 援護出来ないじゃないか!』
ナイヴス9のコールサインをもつ女性衛士が思わず叫ぶ。目の前のファントムはまるで援護など必要ないとでも言うように、こちらの射線を塞いでみせる。
そしてナイヴス9と米海兵隊の衛士達が戸惑っている間に、撃震は数体の戦車級に捉えられてしまった。
『だから言わんこっちゃないんだ!』
「いや」
撃震の御者は不敵に笑った。
実を言えば戦車級が撃震の前部装甲、肩部、膝部に齧りついたこの状況、彼にとっては"狙い通り"といったところであった。戦車級達はその前腕と大顎を以て、すぐさま撃震の解体作業を開始するが、第1世代戦術歩行戦闘機の特徴たる重装甲を簡単には引き剥がせそうにない。与えられた猶予の時間は、十分であった。
「すまんな……本当にすまん! 日本帝国を任せたぞ!」
自国の運命を他国軍の将兵に背負わせるのだからこれは随分な身勝手だな、と自覚はしていたが、帝国陸軍衛士はそう叫ばずにはいられなかった。そして、彼はスロットルレバーを押し込んだ。撃震の跳躍ユニットが青白い火焔を吐き出し始め、残された噴進剤を凄まじい勢いで費やして、べらぼうな推力を自機に与える。
「うおおおおおお――!」
最大速度による敵中吶喊。
この撃震の突撃に、周囲のBETAは阻止戦闘を殆ど行わなかった。要撃級の前腕も、光線級の照射も撃震を襲うことはない。BETA同士は決して誤射・誤認戦闘は行わないという習性を逆手にとった、衛士の思惑通りに事態は進んでいた。撃震に齧りついた戦車級は、急加速にも振り落とされずにいる――これが彼にとっての絶対の盾となっていた。
『おい……! 戻って来い! 戻って来いよ!』
『衝撃に備えろ! スーサイドアタックだ!』
米国衛士と各兵科の将兵が撃震を駆る帝国陸軍衛士の意図に気づいた数秒後に、彼は即時起爆のキーを廻していた。彼が最後に聞いたのは、『日本帝国の、いや! 人類の未来! 確かに頼まれたよ!』という威勢のいい返事であった。
撃震の腰部前面装甲内に格納された自決用高性能爆弾S-11が、炸裂した。
撃震が内部から弾け跳び、取り付いていた戦車級を引き裂いた上でその血肉と装甲板の破片が周囲のBETAに襲い掛かる。同時にS-11が起爆と同時に吐き出した爆炎と爆風は、小型種は勿論有効範囲内――半径数百m以内に存在していた大型種までもを一掃してみせた。戦術核に匹敵すると評されるS-11は、下馬評通りの破壊力を発揮したのである。300m前方に仁王立ちしていた要塞級すら、爆風によって吹き飛ばされた突撃級と要撃級の死骸の直撃を喰らって擱座させられていた。1発とはいえ敵中で炸裂したことで、密集していた敵主力が前進を頓挫させたのは間違いなかった。
『ナイヴス各機は岩国基地(ホーム)に退がって補給を受けろ。……あのサムライが与えてくれた時間を、無駄にするな』
帝国陸軍衛士の壮烈なる自殺攻撃を目の当たりにした米国衛士達は、もう軽口を叩く気にもなれなかった。
それほどに彼から託されたものは、重すぎた。
―――――――
九州中部戦線、その最前線より1km後方の地点に、数輌のトレーラーが路上に停められている。その傍らでひとりの少女が、部下であり同級生でもある整備士達へ矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
そこは整備士が、機械相手に戦闘を展開する戦場であった。
人型戦車はその複雑な構造もあって、整備性は最悪の一言に尽きる。爆発的な機動力をもたらす人工筋肉・神経系は、"ナマモノ"でありコンディションの調整が難しく、また稼動によって劣化し易い。生体部品の供給量が安定しているとは言い難い状況下、整備士は常に困難な選択・作業を強いられている。
「1番機・2番機整備士は、神経動作確認の補助を。狩谷さんは人工筋肉の状態確認をお願いします」
「森主任、20mm機関砲弾の確認終了です。……不良弾は別にしてこづんどったよ」
「ありがとうございます。……申し訳ありませんが中村さんはすぐに、狩谷さんのお手伝いに回ってもらってもいいですか?」
「よかよ。……主任もしっかせぇよ」
熊本戦中は整備学校で培った技術を活かし、2番機付整備士として活躍した森精子はかつて整備主任を務めていた原素子の後任として、現在はその整備士達を取り纏める立場を継いでいた。2番機整備士時代にも感じていた、自身の整備不良によってパイロットを殺してしまうかもしれない、という思いは更に重いものとなって、彼女の双肩に圧し掛かることになったが、それを放り投げて逃げ出すことは当然許されない。
「よっし!」
だが自然と気力が漲っていた。
かつての原先輩もたぶん、こんな不安だったろう。でもそんな様子はまったく見せずに、主任として先輩は人型戦車の整備状況を万全に保っていた。まだまだ自分は彼女には全く追いついていないだろうが、それでも経験を積みベテランの域にまで達した有能な部下達がいる。
なんとかやれるはずだ。
「あっ! あっ! すいませんすいません!」
がらがらがっしゃーん!
「なにしちょるねえええええ!」
「てんめえええコラ! 今日という今日はゆるさねえぞ!」
……なんとかやれるはずだ。
大方20mm機関砲弾の山を田辺が突き崩し、整備士の誰かを下敷きにしてしまった、というところであろう。森は不幸な被害者を助けるべく、現場に向かった。
「タイムテーブルの変更はしませんからね! 予定通りきっかり10分後に、両機とも出撃させますよ!」
後方でどんちゃん騒ぎが巻き起こっている最中、前線では小柄な少女が駆けていた。
高機動型ウォードレス"アーリィフォックス"を纏った彼女は、両手に保持した短機関銃を振るいながら突進する。脇から殴りかかる兵士級は、その分厚い弾幕に圧倒されてそのままなぎ倒されていく。
飛び掛かる闘士級も意に介さない。白い帽子を目深に被った少女は、地を蹴った。空中で闘士級と少女が交錯するほんの一瞬、少女の蹴脚が象の如き蝕腕を吹き飛ばし、二撃目が数個の眼が光る頭部を粉砕していた。
「弱い」
そのままBETAの群れの中に着地した少女は、弾の切れた短機関銃を投げ捨てると徒手空拳で格闘戦を開始した。兵士級を貫手を以て絶命せしめ、闘士級を殴り殺し、戦車級を蹴り飛ばす。全方位から襲い掛かる化物を退ける少女は、もはや人間の域から脱していた。
だがそれでも彼女は思わざるを得なかった。
「まだボクは弱い!」
少女が被る白い帽子、それを託してくれた先輩の背中はまだまだ遠いという事実をを、彼女は打撃を繰り出す度に再確認させられていた。
先輩は、来須銀河は、もっと強かった。対戦車火器の一撃にも抗堪する正面装甲と、主力戦車の正面装甲をも貫徹する生体誘導弾を備える怪物ミノタウロスを、他でもない来須銀河は一撃で殴り倒していたほどだ。
それに比べれば、こんな化物どもなど物の数ではない。
戦車級の前腕を半身になって避けると、蹴りによる反撃で下顎を吹き飛ばす。少女を一切恐れることなく突進してくる戦車級と闘士級は、瞬く間に打撃によってのみ解体させられていく。来須銀河の一撃が剛腕から繰り出される力任せのものであれば、少女の一撃は速度と技巧を尽くしたものであった。持てるだけの速度を乗せた打撃を、敵の脆弱な箇所に叩き込んでいく。
特に彼女が秀でていたのは、蹴りであった。
小柄な身体で敵の攻撃を避け、反撃に鋭いのを一撃食らわせる。小型種は大抵、これで沈む。
だが少女にとっては、まさに雑魚である小型種を撃破することは造作もないこと、呼吸の如きものであり、彼らを倒すことに何の意味も見いだせなかった。遥か先を往く来須銀河に肩を並べるという目標をもつ彼女にしてみれば、雑魚を幾ら倒しても前進は出来ないどころか、時間の無駄に過ぎない。
「やっぱりデカいのを狩らなきゃダメだね」
少女は呟くなり跳躍し、兵士級の頭を、戦車級の背を足場にして敵中へと踏み込んでいく。その行動は狂戦士のようにも思えるが、どこまでも正気だ。偉大な先輩にいつか追っ付くという目標が、ただ彼女を突き動かしていた。
それを援護すべき相方の若宮は「突っ込んでいくのは本来、俺の役割なんだがな」と愚痴をこぼしながら、重機関銃により小型種をなぎ倒し、ペアである少女の新井木の後を追おうとしていた。そうしてすぐにでも彼女を捉まえて、引き戻す腹積もりであった。5121小隊戦車随伴歩兵は、人型戦車出撃前に敵の威力偵察を行うことを目的として前線に出たのだが、敵を見るなり新井木は突っ込んでいってしまったのである。
「まったく心配を掛けさせる……」
来須銀河とコンビを組んでいたときは、どちらかと言えば敵中へ斬り込むのは若宮であり、来須が援護射撃を担当していたが、いまでは何故か来須の薫陶を受けたはずの新井木が突撃を敢行している。
「来須、お前はとんでもないやつを託してくれたな」
後に彼女が史上6番目となる絢爛舞踏章を受賞した上、「人類の決戦存在」「HERO」とまで呼ばれる存在にまでなるとは、兵を見る目に長けたベテラン下士官である若宮も思ってもみないことであった。