幻獣軍は、横浜ハイヴ南方へと撤退した。
それは整然とした撤退ではなく、「壊乱」あるいは「敗走」に近かった。
多摩川を渡河した地上部隊と合流し、更に勢いを増した人類軍に対して、遅滞戦術を採ることもなく、ただただ彼らはまるで争いに敗れた獣の如く、背中を見せて逃走した。特に大型幻獣オウルベアー被撃破から、2時間前後は幻獣から組織的反撃力は一切なくなっていた。
これには理由がある。
数十万の幻獣群の指揮を執っていたのは、知っての通り第5世代クローンの少女だ。
彼女は人類決戦存在「HERO」――新井木勇美と対峙して、肉体的・精神的に大きなダメージを負い、それ故幻獣達を操る同調能力が本調子に戻るまでに、多くの時間を要した。彼女の同調能力が一時的に減衰した為に、幻獣達は少女が回復するまでの間、酷い壊乱状態に陥った。
少女が命からがら後方へ下がり、その同調能力を回復した時には、もう遅かった。
既に幻獣達は、無秩序かつ多大な損害を出した後で、横浜ハイヴ以南へ引き下がっていたという訳である。仕方なく第5世代クローンの少女は、ハイヴ地表構造物を盾として、ハイヴ南方に戦線を引き、逃げ腰になる幻獣達を掻き集め、反撃を開始した。……だが人類憎しで動く幻獣使いの少女も、現状ではこちらが覆しようもない劣勢であることを認めざるを得なかった。
帝国海軍連合艦隊・帝国航空宇宙軍第1航空軍による激しい砲爆撃が、遠慮なく幻獣達の継戦能力を殺ぎ、連携を遮断していた。前述の通りハイヴ周辺はBETAの活動によって、地形が平坦に均されている為に、人類軍の火力投射をやり過ごすことは難しい。……小・中型幻獣は仕方なく、1、2ヶ月前に自身達が始末したBETAの死骸の中に身を隠して、地表を駆け巡る爆風と破片を回避するしか仕方がなかった。
このまま横浜ハイヴに固執すれば、幻獣は間違いなく、全滅する。
少女がプライドを捨て、敗北を認めた上で、三浦半島への撤退を命令するまで、そう時間は掛からなかった。
"宇宙戦争1999"
甲22号横浜ハイヴ攻略作戦開始より、約4時間が経過した。
太陽は東の空に昇り、ハイヴ地表面を巡って攻防戦を繰り広げる、人類軍と幻獣軍に陽射しを投げかけている。12月下旬とは思えぬ、春を思わせる陽気。……だがそれをのんびりと享受するだけの余裕は、両者ともになかった。
この時点で既に人類軍は、横浜ハイヴ地表構造物以北の制圧に成功している。肝心の「門」も、旧国鉄東神奈川駅に築かれた「門」と、旧神奈川区立神奈川工業高等学校に築かれた「門」、2点を確保出来ていた。神奈川区内に存在する他の門においては、帝国陸軍工兵連隊による充填剤の注入作業が始まっており、人類軍の突入準備は着々と進んでいた。
門の遥か上空を往く戦術輸送機が、後部ランプドアから続々と補給コンテナを投下する。戦術歩行戦闘機が運用する火器や、各種燃料が収納されているそれは、暫く自由落下した後、所定の高度で逆噴射を掛けると、BETAが均した広大な更地に落着。
待機していた戦術歩行戦闘機が、順繰りに補給を開始する。白色と暗灰色のツートンカラーの不知火が、空弾倉を廃棄し、2000発の36mm機関砲弾が装填された新たな弾倉を補充。あるいは刃毀れ著しい接近戦用長刀を投棄して、新たな得物を手にする。
横浜ハイヴ突入作戦の主力は、帝国陸軍第1師団であった。極東最強の戦術機甲部隊、帝国陸軍第1師団は、3個戦術機甲連隊(1個連隊定数108機)を基幹とする。前線を破り、緒戦で十数機を喪う損害を出したものの、それでも作戦参加機は未だ300機以上を超える。
フェイズ2ハイヴの攻略は、決して夢物語ではない。
但し帝国陸軍第1師団・その他戦術機甲連隊が突入する上での問題は、突入前補給に時間が掛かること、そしてハイヴ坑内の作戦行動中に必要となる物資量も必然的に多くなる、ということだった。
後方からハイヴ地表面への補給品輸送は、戦術歩行戦闘機と戦術輸送機による空路、LCACによる揚陸、補給艦による積み下ろしで賄う。ハイヴ地表面から坑内への補給は、補給科所属の戦術歩行戦闘機(撃震等の旧式機)によるピストン輸送で実施することにはなっているが、全てが円滑に進むとは限らない。
特に後方(多摩川以北)からハイヴ周辺への補給路が、今後どうなるか分からなかった。
仮にBETAが地中より逆襲を掛けてくれば、光線級・重光線級の出現により、空路はもちろんのこと、海路による補給も怪しくなる。……多摩川防衛線構築の為に、多くの橋梁を破壊したことが痛かった。戦車橋による架橋等は行われているものの、やはり本数が少ない為に、陸路による補給はあまり見込めない。
また門を潜りハイヴ坑内侵攻後も、奥へ進む主力への補給路が伸び、伸びきったところをBETAの奇襲を喰らって補給部隊が全滅――そんな事態も考えられる。
甲5号目標ミンスクハイヴ、甲13号目標ボパールハイヴの事例を念頭におけば、間違いなく攻略部隊は「門」より侵入を果たした後に、最低でも師団規模(約2万)以上のBETAの反撃を喰らう。
航空支援・水上対地支援・他兵科援護が望めないハイヴ坑内で、師団規模のBETA群と対峙する――これは間違いなく悪夢だが、だがしかし速やかに後退し、既に探査を終えた広間に立て篭もり、BETAの侵攻路を制限しながら阻止火網を張れば、これを撃退することは決して不可能ではない。
問題はBETAが未探査の横坑から湧き出し、奇襲といった形で攻略部隊の後方に出現し、補給部隊に直撃した場合だ。……こうなると、もはやどうしようもない。敷設される有線回路は大型種に踏み荒らされて断絶し、攻略部隊の手元へ渡るはずの弾倉はそのまま連中の餌になる。攻略部隊は、最深層一歩手前で孤立する。
……最後の最後まで、不安はつきまとう。
戦術機甲科諸部隊が着々と補給及びブリーフィングを実施している間にも、他兵科も任務を果たしていた。帝国陸軍航空科は、門よりハイヴ坑内へ無人偵察機を侵入させ、出来得る限りのルートスキャンを行い、また機甲科・歩兵科部隊はBETAが湧き出してくる可能性を念頭に置いて、それぞれの門に張り付いている。
ハイヴ坑内への突入能力を持たない生徒会連合義勇軍も、地表面で門を監視する任務に就いていた。
「幻獣撤退か」
門が存在する旧国鉄東神奈川駅より、そう離れていない地点で、生徒会連合義勇軍司令にして生徒会連合生徒会長、幾島佳苗は最前線からの報告を聞いた。高機動型ウォードレス「ライトニングフォックス」を纏い、超硬度カトラス片手に佇む彼女は、満足げに頷いてから微笑を浮かべる。もはや幻獣陣営に、継戦能力は残ってはいないのであろう。これでようやく、穴倉に潜む宇宙生物どもに集中出来る、という訳だ。
一方で幾島佳苗に報告をした学兵や、幾島に付き従うウォードレス兵達は、(生徒会連合生徒会長殿も笑われるのだな)と思い、暫し彼女の表情を窺っていた。その横顔は、どこにでもいる女子高生――少し背が高くて、物静かな優等生タイプの少女のそれと、変わらない。彼女は実際、年相応の少女なのだから、当たり前である。
「どうした」
「いえ。なんでもありません」
学兵達は、姿勢を殊更に正して返事をする。
ただし幾島佳苗、周囲からは「普通の少女」だとは思われていない。「鬼神」「稲妻の狐」と、彼女は学兵から渾名されている。由来は説明するまでもないであろう。彼女はいつでも、陣頭に立つ人間であった。常に学兵達の先頭に立ち、大虐殺の先頭に立つ少女であった。日本国大統領に絢爛舞踏章を贈られることとなっても、周囲の人間は誰も驚かないであろう――それほどの働きをする人間であった。
実際にいまも、幾島佳苗はいつBETAが湧き出て来るか分からない、門の前にいる。「生徒会連合本部には、優秀な幕僚が揃っているから私が居る必要はない」そう言って、常に最前線で幻獣を殺戮する生徒会長は、学兵達の憧れの的であった。仮に彼女が死地に赴くとなれば、彼らは喜んで付いてゆくだろう。
「そうか。……帝国陸軍が突入を開始するまで、この門を確保し続ける任務は酷く退屈かもしれないが、どうか頼む」
「はいッ!」
気合の入った敬礼に、幾島佳苗は頷いてみせる。
……「殺しを楽しんでいる怪物」などと陰口を叩かれ、一挙手一動作、ひとつひとつが恐怖の対象となる、絢爛舞踏の例を挙げるまでもない。強大に過ぎる力は、歓迎されず、忌避される。だが絢爛舞踏(青の厚志)と同格の力を有する幾島佳苗は、むしろ学兵達の尊敬を集めていた。
実際、絢爛舞踏と幾島佳苗の間で、何の差異があるかは分からないが、思い当たる節があるとすれば――美少女とは、得なものである、というところであった。
さて。
幾島佳苗は――というか、人類軍全将兵は、間違いなくBETAが逆襲を掛けて来る、と考えている。BETAに関しては、最悪の事態を想定しておく程度が丁度いい、それが本土防衛軍・国連軍共通の認識。攻略部隊突入前に、師団規模のBETA群が門から湧き出すくらいは、既に想定済みだ。
未だ充填剤の注入が終了していない「門」に対しては、多くの部隊が張り付いて、今か今かとBETAの逆襲を待ち構えている。
「俺はもう思い残すことは何も無いぜ……!」
「んッ! ……ただのネズミか、脅かすなよ」
「俺、この戦いが終わったら、呉羽さんに告白するんだ――!」
緊張を解す為か。巨大な巣穴を前にする学兵の何名かは、わざわざフラグを上げる発言を連発していた。彼らの娯楽である、週刊マガデーやゲームセル内の登場人物はよく、こういった所謂「フラグ」と呼ばれる台詞を吐いて、お約束の展開に巻き込まれていく。それをわざわざ再現してみせて、周囲の笑いを誘っているという訳だ。
だがふざけた口調とは裏腹に、彼らの迎撃体勢はぬかりがない。対大型種戦闘の主力となる人型戦車士魂号、74式戦車改「清子さん」はその強力な火力をぶつける相手をひたすらに待つ。その合間では重ウォードレス可憐を纏った学兵や、40mm高射機関砲や12,7mm重機関銃を担いだ学兵達が、換えの弾薬を大量に持参してそこにいる。
……哀れなことにこの門から現れるBETA達は、フラグを立てまくった学兵達が被せる火網に惨殺されることになるであろうことは間違いなかった。
そして、0956時。
直下型地震を思わせる震動が、横浜ハイヴ地表面を占領する人類軍を襲った。
「――BETA来ます!」
多目的結晶体と睨めっこしていた学兵が、幾島佳苗に報告する。
自然現象ではない。地中用レーダーは確かに横浜ハイヴ主茎部想定位置から分派し、門が存在する北部へ向かって来る敵影を捉えている。その数は、分からない――だが、大隊規模や連隊規模の程度ではないだろう。
幾島佳苗は無言のままに、超硬度カトラスを掲げて歩み始めた。銃器も銃弾もデッドウェイトと考えている彼女は、その一切をもたない。小型幻獣を斬殺して回り、中型幻獣を膾斬りにする「稲妻の狐」は、居並ぶ学兵の合間を通り抜け、最前線に立つ。その姿を見て、いよいよ学兵達の緊張は高まる。
『コード911発生ッ! 出現予測地は、G1「門(ゲート)」――旧国鉄東神奈川駅! 到達まで、5秒前――4――!』
さあ、来るなら来い。学兵達は、携行火器の安全装置が外れていることをいま一度確認し、それぞれでカウントを開始した。BETAが何の略称かも知らないが、鉛弾のお土産食らわせて、火星に送り返してやるよ――H・G・ウェルズ、とはいかない!
だが。
「2――1――0! ……あり?」
門から、BETAが、現れない。
それどころか震動が収まってゆくような感覚さえ、学兵達は覚えた。
『BETA群……G1ゲート素通りしました! 新たな侵攻路を掘り進んでいるッ――地中侵攻です! BETA、G1ゲートを素通り――出現予測位置修正、多摩川南岸――16番物資集積所直上ッ!』
誰もがは、裏を掻かれたことに気づいた。
人類軍の重包囲下にある、G1「門(ゲート)」(旧国鉄東神奈川駅跡)、G2「門(ゲート)」(旧神奈川区立神奈川工業高等学校跡)を素通りしたBETA群は、その遥か北方、陸上部隊の渡河が続けられている多摩川南岸に、向かう。「ハイヴに篭るBETAは、門から現れる」という固定観念があった人類軍の、痛恨の失策。
BETAの新たな出現予測位置――渡河・物資集積の場となっている多摩川南岸は、ほとんど直接戦闘力のない歩兵連隊や砲兵連隊等が居合わせているばかりで、おそらくこのままでは地中侵攻するBETAに蹂躙されるだけだ。
だが、救いはある。
『HQより"アヴェンジャー"、"ドラケン"、補給作業を中断。即時指定された迎撃位置まで反転北上せよ』
新たに侵攻坑を掘り進めている以上、その侵攻速度は既存の坑を移動するよりも遅い。出現予測地点に先回り、迎撃体勢を整えさせる為に、「門」を固めていた戦術機甲連隊には反転北上の命令が下される。
だがしかし、これで、終わりでは、なかった。
『次波BETA群来ますッ! BETA群第2波――出現予測地点、G1及びG2ゲートッ!』
後背のみならず、門からも湧き出すBETA。
人類軍は、正面と背面、挟み撃ちされる格好となった。
門より出現したBETA、その数約2万。
多摩川南岸に出現したBETA、その数約1万。
日本列島全力を挙げてこの作戦に挑む人類と、横浜ハイヴに棲息するBETA全個体による決戦が、始まろうとしていた。
―――――――
多摩川南岸を襲った激震、土煙、突如として開いた地獄の門は、その直上に居合わせた兵士達の生命を一瞬で奪い尽くし、また日本帝国全土から掻き集められた貴重な物資を、喰らい尽くした。
そして現れるは、異形の集団。全高66mを超える怪物、要塞級がその衝角を振り回し、応戦せんとした機械化装甲歩兵を押し潰し、また溶解せしめる。……その巨大な胴部からは、双眼の小型種が、地に降りる。次の瞬間には、その瞳が凶悪な破壊力を発揮した。退避が間に合わなかったA-4J大鷹や、照射の危険を恐れずに滞空していた攻撃ヘリを、一瞬で火達磨に変える。黒煙を曳きながら墜ちてゆく炎の塊は、そのまま地表面に激突し、燃料を収納した補給コンテナに引火し、大爆発を起こした。
大きく開いた土坑の淵からは、続々と突撃級、要撃級、戦車級が湧き出す。そこから本格的な、蹂躙がはじまった。立ち止まって応戦する者も、持ち場を離れて逃げ出す者も、みな平等に轢き殺され、踏み潰され、食い殺された。
『駄目だッ! 物資は捨てろ――撤退しろッ!』
『何処にだ、何処に撤退しろってんだ――うあ』
運良くこの一瞬を生き延びたごくごく一部の兵士達は、すぐに逃げ場がないことに気がつく。背後に流れるは、多摩川。前面にはBETAの群れ。逃げるとなれば、機械化装甲歩兵や機械化強化歩兵は、全装備を脱ぎ捨て川に飛び込むしかない。勿論、BETAがそんな時間を与えるはずがなかった。
要撃級の前腕が、補給コンテナと兵士を一緒くたに叩き潰す。横殴りに吹き飛ばされた車輌やコンテナが、逃げ遅れた歩兵や装甲車輌に衝突し、炎上する。立ち上る煤煙、その最中を幾数本もの光線が飛び交う。地上部隊はBETAに喰らいつかれ、航空支援及び艦砲射撃は、光線級に瞬く間に無効化される。
多摩川南岸に居合わせた人類軍諸部隊は、総崩れの状況に追い込まれた。
『コウコクよりHQ――転進する!』
混迷を極める戦場からの即時撤退を決めたのは、生徒会連合義勇軍独立山岳中隊の学兵達であった。陸上自衛軍正規部隊に使い捨てにされることの多い学兵は、負け戦に対して過敏に反応する、一種の嗅覚をもっている。山岳中隊の学兵達は、2トン半もの体重を誇るお化けヤギ、95式月光が背負っていた補給物資を何の躊躇いもなく放棄させ、それに騎乗して逃走を開始した。
『こちら生徒会連合義勇軍独立山岳中隊より戦友へ。これより敵中を突破し、生徒会連合義勇軍独立機動大隊及び本土防衛軍主力部隊との合流を目指す――ついて来たかったら、ついて来い!』
巨大な獅子が咆哮する。
第5世界の生体技術を駆使して生み出された動物兵器、99式雷電が、その殺戮本能を剥き出しにして駈ける。その背に跨る騎兵は両手に携えた12,7mm重機関銃を撃ち放ち、有象無象の小型種BETAどもを薙ぎ倒すように射殺する。迸る稲妻の目前に立ちはだかった戦車級は、次の瞬間には無残にも解体されていた。雷電の両肩から生える5本目、6本目の戦闘腕(脚)が、赤い怪物を引き裂いて打ち捨てる。
「逃げろ逃げろ逃げろ――!」
異形の奔流が、異形の大海を引き裂く。
6本脚の獅子と騎兵は、一丸となってBETA群の最中を踏破しに掛かる。要撃級に飛び移ってはその脳天を穿ち、戦車級を捻じ伏せてゆく99式雷電。獅子というよりは鵺(キマイラ)。戦闘に最適化された獣が、撤退路を無理矢理切り拓く。
その後ろを頑丈な95式月光に騎乗する学兵達が、40mm高射機関砲や99式熱線砲を用い、突撃級を擱座させながら追随してゆく。流石の99式雷電と云えども、突撃級を相手することは難しく、これを排除するのは専ら重火器をもつ騎兵の仕事であった。
「掴まれえっ!」
BETAの死骸の合間を、ヤギそのものの軽やかさで跳ね回る月光。それに乗る学兵は素早く身を乗り出して、到底独立山岳中隊の撤退速度について来れないであろう機械化強化歩兵を引っ掴み、第6世代クローン特有の怪力で、いとも容易くその背まで引き上げてしまう。
「恩に着るッ!」
「わかったから、撃ちまくってくれえ」
必死で逃げ回っていたところを救われた機械化強化歩兵は、人心地つく間もなかった。99式雷電が切り拓いた血路は、すぐさま小型種の群れに埋め尽くされてしまう。95式月光は頑丈だが格闘能力には乏しい為、これを駆逐するのは専ら騎乗する人間の役割。機械化強化歩兵もすぐに89式小銃を撃ち始め、追い縋る闘士級を牽制する。
『こちら独立山岳中隊、転進するッ! 合流しろ、連中を抜くッ!』
正規の命令は出ていないが、もはやどうしようもない。
ここで踏み止まっても組織的反撃は出来ないまま死ぬ、という厳然たる事実に気づいた帝国陸軍諸部隊も、生徒会連合義勇軍独立山岳中隊が先頭を往く敵中突破に、遅れながらも参加することになった。生を賭けた逆攻勢。砲兵部隊は牽引式野砲を捨てて自走砲に飛び移り、戦車兵は小型種を轢き殺すことを厭わず、BETA群目掛けて前進を開始する。一瞬で戦車跨乗兵となることを決める機械化強化歩兵、そして水平跳躍で追随する機械化装甲歩兵達。
黒猫の戦闘旗を掲げた戦闘指揮車と、トレーラーが、走る。
主力部隊との合流を果たす為に、無謀とも思える前進を開始した臨時戦闘団の最中、5121小隊の姿もあった。但し戦闘部隊(ラインオフィサー)は不在。人型戦車士魂号や戦車随伴歩兵が携行する武器を整備する、後方支援(テクノオフィサー)達は単独でこの逃避行に参加せざるを得なかった。
「これが限界かッ!」
「なっちん、怒らんといて!」
BETAの死骸で埋め尽くされた地面、装輪車輌では大した速度は出せない。迫る白と赤のけばけばしい色彩の群れに、ろくな戦闘力を持たない整備士達の焦燥は募る。戦闘指揮車は20mm機関砲を吐き出し、トレーラーの荷台からは歩兵部隊に所属していた経験のある田代が重火器を振り回して、追い縋る戦車級を肉塊に換えてゆく。だがやはり、火力量が足り無さ過ぎる。
……そんな中で、あまり冷静さを欠いていないふたり組がいた。
「遠坂――いや、ソックスタイガー。俺はやるぞ」
ウォードレスすら身に纏わず、武器すら持たない男、中村光弘。整備学校をまあまあの成績で卒業し、ある程度の経験を積んで来た、しがない整備士は、尻ポケットに収めたブツを掴む。
言うまでも無く、それはソックスである。生徒会連合風紀委員会によって所持を禁止されたソックス。伝説の一年靴下。それは仮に所持していることが露見すれば、女子ライフル狙撃部から女子ミサイル部まで、あらゆる私兵を動員した風紀委員に粛清されることになるであろう。……それを、彼は、使う。
一方で、遠坂と呼ばれた男の方は、至極嫌そうな顔をした。
既に彼はソックスハンターから、足を洗っている。だがしかし熊本最強の騎士――桜の騎士としての剣技を振るい、同級生を、戦友を助けることに何の躊躇いもなかった。
かつて、だれかがいった――「人外の相手は人外がすべきだ」、と。
……人外だと後指を立てるのならば、そうすればいい。
人ではどうにもならない相手をする為に、人類の決戦存在「HERO」が、絢爛舞踏が、神族が、世界移動存在が、ソックスハンターが、存在する。そして彼らは、いまその本分を果たそうとしていた。
ソックスバトラーが二振りの靴下を手に、桜の騎士が自身の愛刀を手に掛け――。
『こちらホーンド1。当方、貴官らの合流運動を援護する――皆の者、掛かれ――!』
――踏み出すその直前に、この世界における人類の剣が現れた。
5121小隊が走るトレーラーを後方から追い抜いた青と赤の戦術機は、36mm機関砲弾と120mmキャニスター弾を戦車級の群れへ撃ちかけながら、右主腕に保持する接近戦用長刀を構えて大型種の群れの最中へ飛び込んでゆく。瞬く間に2機の瑞鶴の先には、血飛沫があがった。要撃級の腕が飛び、突撃級の外殻が崩れ落ちる。
遅れて黄、白、黒の戦術歩行戦闘機が、転進を試みる友軍の前に姿を現した。屈辱的な負け戦――西日本防衛戦を経て、ただひたすらに研鑽を積んできた衛士達が操る戦術機の挙動は、洗練されている。中隊規模の戦闘隊形を捨て、分隊単位で駆け巡り、光線級の視線をすり抜けてBETAを駆逐してゆく。
『第16斯衛大隊か――助かった!』
予備戦力として保全されていた斯衛軍の来援に、全将兵は蘇生する思いがした。
視線を上空に彷徨わせていた光線級が、高速機動する原色の塊を捉えようとする。瞬間、99式雷電が光線級を押し倒し、その胴体を噛み千切り内臓を引き出してしまう。酷い硫黄臭がする肉に、顔をしかめる鵺。騎乗する学兵が「そんなもん捨て置け」と促すと、また雷電は一啼きして新たな獲物を探し始めた。
『狩りの時間だッ、光線級を狙え! デカブツに助けられっぱなしは性に合わない!』
逃走者達による、逆攻勢がはじまった。
貧弱な火力でも、やれることは多い。20mm機関砲弾が重光線級の下半身を吹き飛ばし、40mm機関砲弾が突撃級の脚を止める。仰角を一杯にとった戦車砲が、要塞級を照準に収める。斯衛大隊、所詮は36機の戦術機――万単位のBETAを相手にするには、少なすぎる。救援に来た、斯衛をむざむざ殺させる訳にはいかない――それが彼らの一致した心情であった。
多摩川南岸、門周辺にて、人類とBETAの壮絶な地上戦が繰り広げられる。
前述の通り、横浜ハイヴに収容されていた大多数のBETAが、この地表に現れていた。大損害を被り幻獣軍が撤退した以上、この地上戦に勝利した陣営が確実にこの横浜の地を手に入れることが出来る。
もはや本土防衛軍、国連軍、生徒会連合は戦力を出し惜しむことをせず、BETA群にぶつかってゆく。
時は、12月23日1122時。
この時、学兵の誰かが、突撃行軍歌を高らかに歌った。別世界の法則が、人類軍全部隊とBETA全個体の頭上に雪崩れ込む。撤退不可。これにて横浜ハイヴ直上に居合わせたあらゆる存在は、勝利へと驀進する他なくなる。人類軍は多摩川以北へ撤退することが許されず、BETAは横浜ハイヴへ撤退することも許されなくなる――。
そして、その瞬間――絶技「突撃行軍歌」が完成したその瞬間。
全てのBETAが、戦闘行動を停止した。全ての個体が例外なく、空を仰ぎ、光線級は戦術歩行戦闘機を初めとする人類兵器を無視し、上空へとその瞳を向けて照射を開始する。
突然の事態に、人類軍全将兵は驚愕する。
そして、BETAの視線の先に――破滅をみた。
まるでオーロラか何かか。
眩い燐光と禍々しい黒紫を纏った何かが、「落ちてくる」。
光線級が放った幾百もの閃光を捻じ曲げ、捻じ曲げながら重力を無視した極めて緩慢な速度で、それはこの横浜ハイヴ目掛けて落ちてくる。
あらゆる通常兵器による迎撃を無効化する五次元効果爆弾は、撤退不可能となった人類軍とBETAの頭上で、機関を臨界運転させ、その身を炸裂させんとしていた。元々西日本防衛線に投入されることを検討されていた弾体は、多くのG元素を内包しており、炸裂すれば横浜ハイヴ地表面及び旧横浜市街を消し飛ばすには、十分過ぎるだけの出力をもっていた。
このままでは、横浜ハイヴ周辺に集結した人類軍は、みな揃って消滅する。青の厚志がそれを看過するはずがない――エースキラーによる希望号撃破が失敗したセプテントリオンの、悪辣な罠であった。
横浜の地と人類軍もろとも、五次元効果爆弾を以て、青の厚志を抹殺する。