セプテントリオンに所属する工作員、BLことヨーコ小杉は幾つもの世界で戦争勃発の引き金を弾いてきた。セプテントリオン製兵器の市場を広げる為の、惨いやり口だった。相互確証破壊の名の下に備蓄されてきた大量破壊兵器が、互いを標的として放たれ、その下を機動兵器が走り回る。瞬間瞬間に人々の生命は消え、その代わりに兵器の需要が高まっていく。
ヨーコ小杉は、良心の呵責など覚えない。
だがしかし戦争に、歓びを感じる性質でもなかった。
彼女はいつでも、虚無を感じていた。
第5世界で学兵として5121小隊に在籍していた頃は、ブレイン・ハレルヤなる薬物(正確には違法生体プログラム)に手を染め、束の間の安息を得ることもあったが、それは結局は一時的な逃避に過ぎなかった。
早くに父母と死別し、また別世界で育った彼女は、愛に飢えていた節がある。5121小隊では芝村舞に憎悪を燃やしながらも、同時にさまざまなことを感じる余地があった。特に、東原のぞみ(ののみ)の存在は、大きかった。
東原のぞみは、幻獣との交感を目的とし、成長を人為的に停止させられた年齢固定型幼体第6世代クローンだった。寿命が訪れるまで幼い身体に縛られる少女に、ヨーコ小杉は特に哀れみさえ覚えなかった――はずだった。ところが実際には、ヨーコ小杉はよく東原望の面倒を見ていた。熊本(火の国)に伝わる御伽噺を語り、幻獣の本質と神性の存在を語り、共に歌を謡った。
ただの欺瞞だ。
そう彼女は、自身の行動を理解している。要は、5121小隊に溶け込む為の演技だったのだ。極東唯一生き残った日本国では、外国人に対する風当たりは強い――周囲からの反発を少しでも弱める為の、演技だった。
そうしたヨーコ小杉の「人身掌握術」は、セプテントリオンに加入してもなお時折みられた。セプテントリオンは無防備な人間を虐殺してなお、良心の呵責を覚えない連中の溜まり場であり、そこでのし上がるにはヨーコ小杉の「欺瞞」や「演技」は、まったく以て無駄、むしろ有害であるはずだった。だが、彼女は実績で周囲を黙らせ、威圧した。策略だけではない、自前の戦力さえもつBL――ブラックレディに楯突くものは、自然居なくなる。
そしてこの世界でも、彼女の悪癖が発揮されたという訳だ。
第6世代ESP発現体である社霞に、ヨーコ小杉は「何かお願いしたいコト、あれば言ってくだサイ」と尋ねた。周囲が隠してきれない絶望的戦況、日々内容が悪くなる給食の内容にも負けず、部隊内の希望で居続けた東原のぞみとは異なり、社霞は全てを諦めて道具に成り下がった存在であり、どうせ大した望みもあるまい、とヨーコ小杉はたかを括っていたのだ。
そうして彼女は自身の願いとして、「白銀武の願いを叶えて欲しい」とヨーコ小杉に告げた。このあたりの社霞がもつ感情の機微は、ヨーコ小杉には分からない。だが彼女は、それを快諾した。それがどんな結果をもたらそうと、構わなかった。多くの世界で戦争の火種を撒き散らしてきた黒姫は、自身より圧倒的に弱い存在に、愛情めいた何かを与えることに執着していた。
常人では、到底理解出来ない姿勢と感情を、彼女はもっている。
太陽の子――小杉陽子は、白銀武を脱牢させることも北斗七星を裏切ることも、あまり重大には考えていなかった。社霞との、約束の履行だけが彼女にとって最重要であった。
「出なさイ」
小杉ヨーコはいとも容易く白銀武が独房の鉄格子を、簡便な絶技か、あるいは自身の腕力で捻じ曲げ、そこに身を捩じらせれば十分出入り出来るだけの空間を作り上げた。一方の白銀武はあまりにも非常識的な事態の推移に驚いて、ただ「どういうことだよ」とだけ呟いたまま、動こうとしない。何故、目の前の女性が自分を助けようとしているのか、まったく理解が追いついていなかったからだ。
だが彼女には、白銀武の疑問を解決する気はさらさらないようであった。白銀武に独房から出るように顎で促しながら、自身は同時に腰部から自動拳銃を引き抜き、弾丸の装填数と動作の再確認をやっている。彼女は上司や部下を裏切るということが、どういうことかよく分かっていた。
「時間がなイ――すべてが手遅れになりマス」
手遅れ、という言葉を小杉ヨーコが口にした瞬間、僅かに独房全体が震動した。
また上階からか下階からかは分からないが、続けて銃声も聞こえてくる。
「これは――?」
「始まりまシタね。……身の程を知らない愚か者どもが」
ヨーコ小杉は、さも呆れた、といった調子で吐き棄てる。
既にこの横浜工廠で何が起きているのか、彼女は理解していた。帝国陸軍第1戦術機甲連隊が工廠上空で、七星重工私設部隊と戦端を開き、またアルファ・システムの世界移動存在(プレイヤー)が、白銀武を求めて行動を開始したのだ。横浜工廠の構造と駐留戦力を熟知しているヨーコ小杉からすれば、彼らはまさに愚者、あるいは道化としか思えない。
幾ら密かに事を運んでいても、一個戦術機甲連隊――百機以上の戦術機が動く以上は、どうしても準備運動を隠蔽しきることは出来ないもので、実はセプテントリオンは戦略研究会の動向を全て察知していた。
彼ら戦略研究会は、一定の奇襲効果を見込んでの強襲を掛けたつもりであろうが――横浜工廠には三個戦術機甲連隊(F-15SEP、324機)が、彼らを「待ち構えている」。
彼らはただ単に、七星重工製戦術機の標的として散る運命にある。
【真愛編】「千の覚悟、人の愛」
10月25日午前。
仙台市内に帝国陸軍諸部隊が突如展開し、戒厳令の発令を宣言。同時に帝国陸軍第1歩兵連隊及び第2歩兵連隊の有志が、仙台市内に存在する官公庁に突入し、「親七星重工派」とされる官僚達を緊急逮捕した。歩兵連隊による占拠の対象は官公庁のみならず、市内警察署や新聞社等にまで及んだが、目立った混乱はなかった。
仙台近郊に駐屯する帝国陸軍第2師団を初めとする帝国陸軍諸部隊は、この戦略研究会の息が掛かった歩兵連隊の動きに何の反応も見せなかった。ただ僅かに斯衛軍のみが宮城の守りを固めたのみで、クーデター軍に対抗する動きを見せた武装組織は他にみられない。彼らは帝国軍相打つ事態を恐れ、また同時に戦略研究会の行動を黙認していた――七星重工が日本帝国にとって忌まわしい存在となりつつあることは、誰もが認めるところであったからだ。
そして同時刻。
仙台市より遥か南方、旧横浜市街において、数百の戦術歩行戦闘機による空中決戦がついに生起した。横浜工廠を強襲した戦略研究会の首魁、沙霧尚哉陸軍大尉を筆頭とした第1戦術機甲連隊及び戦術機甲教導団(旧富士教導団)有志と、予め防戦を目的に展開していた七星重工私設部隊の攻防戦。鈍色の不知火と漆黒の鷲とが、上昇と降下を繰り返し互いに有利な位置を奪い合って激しい砲撃戦を展開する。
戦略研究会の独自行動(クーデター)において、横浜工廠強襲は必ず成功させなければならない作戦と位置づけられていた。帝国国内における七星重工の影響力を漸減するには、この七星重工の一大拠点を排除し、更に横浜工廠を占領した後にその非道を明るみに出し、また民間企業に相応しくない過剰な武装を解除する必要があったからだ。
そして順調に進行していた独自行動(クーデター)は、ここ横浜工廠で躓きをみせる。
漆黒と鈍色が、蒼空を舞台に縺れ合う。
目前のF-15SEPを照準に収めた94式戦術歩行戦闘機不知火が、背後を占位した他の敵機から射弾を受けた。背面兵装担架を射貫し、なおも留まらず背面装甲を貫徹した120mm弾は内部構造を滅茶苦茶に破壊し、前部装甲をぶち破り不知火の腹部から抜ける。この時点では衛士は無事であったが、被弾の衝撃と機体の破損により飛行が困難となった不知火は、瞬く間に失速し、軟着陸も出来ずに横浜工廠地表面に叩きつけられた。
幾度か弾んだ後、不知火は土埃を巻き上げながら停止し、小爆発を起こして火焔と黒煙を吐き出す。
その直上を、不知火を撃破した黒鷲が時速600km前後の速度で飛行通過し、それに少し遅れて追随する形で、被撃破機と分隊(エレメント)を組んでいた不知火が翔け抜けた。
『――貴様ぁあああああ!』
『冷静になれ! 単機突出しても――』
『小隊単位を堅持しろッ――!』
周囲が忠告する間もない。
我を忘れた衛士が操る不知火は、すぐさま反転を決めた真正面の敵機と、機体上面を占位していた黒鷲に挟撃された。36mm機関砲弾が不知火の正面装甲と背面装甲に襲い掛かり、瞬く間に外装と内部構造全てを喰らい尽くし、鋼鉄の巨兵を唯のがらんどうに換えてしまった。鉄屑となった不知火は、時速数百キロの速度を保ったまま高度をゆっくりと落とし、地面に激突してその死骸をばら撒いた。
その瞬間を、他の帝国衛士は見なかった。連携から外れて落伍する機を気に掛ける余裕など、ほとんどない。見渡す限り敵機と火を曳く砲弾が奔るこの戦場で、一瞬でも余所見することは許されなかった。到底想定し得ない乱戦状態、彼らは中隊単位で戦闘隊形をとることさえ出来ないまま、小隊単位で黒鷲の群れに抗戦していた。
『っ――こちらクラウド5、跳躍装置不調! 地上より援護する!』
流れ弾を受けて、跳躍装置が不調となった不知火が旧横浜市街に軟着陸する。主脚は無事、また火器管制装置や主腕の機能も失われていないということを確認した衛士は、すぐに主腕に抱えた突撃砲を空翔る黒鷲に指向すべく、眼球を巡らす――目標には困らなかった。何せ敵機は、腐るほどいる。
(ただの私設部隊とは思えない規模だ――こっちの倍はくだらない!)
不知火が、発砲する。
味方機を追いかける敵機が目標。彼我距離1800――とても命中が期待出来ない距離であったが、敵機の気を逸らせることが出来ればそれで十分と、36mm機関砲弾をばら撒く。数発に一発の割合で混ぜられた曳光弾が、黒鷲の周囲を通過し、その動きを鈍らせる。そして偶然か必然か、運の良い機関砲弾の幾許かは自身の役割を果たすことが出来た。
『クラウド5、敵機撃破を確認!』
黒鷲の側頭部と胴部側面装甲に吸い込まれた36mm機関砲弾は、内部で炸裂しその機能に大きな障害を与えた。黒鷲が力なく失速し、前のめりに墜ちてゆく。
だが。
『こちらクラウド4――東雲ぇっ、直上ォ――!』
次の瞬間、帝国陸軍第1戦術機甲連隊第3中隊5番機(クラウド5)は、頭上から降り注ぐ機関砲弾の豪雨を浴びた。頭部が一瞬で粉砕され、36mm機関砲弾は胴部上面装甲を貫徹し、内部構造を滅茶苦茶に破砕し、衛士を絶命させてから股下へ抜けてゆく。……たった数秒間の斉射の後、幾百もの被弾痕を作った不知火は、ゆっくりと崩れ落ちた。
クラウド5を頭上からの射撃で粉砕した黒鷲が、惨い鋼鉄の骸の上に降り立った。
数秒前まで不知火を構成していた鋼板をその主脚で踏み潰した黒鷲は、頭部ユニットを巡らして、戦場全体を俯瞰する。この黒鷲を駆るセプテントリオン工作員の網膜には、自勢力の圧倒的優勢を表す情報のみが投影されていた。
横浜工廠周辺戦域内にて活動する戦術歩行戦闘機の内訳は、94式戦術歩行戦闘機不知火が99機、F-15SEPが287機。
敵ながらなかなかやる、と彼は余裕たっぷりに思った。
こちらは戦略研究会の動きを全部読んだ上で、彼我戦力3倍の数的優位を確保したにも関わらず、予想外の苦戦を強いられている。概ね不知火と黒鷲のキルレシオは1:1。戦略研究会側は忌々しいことに、戦力差を感じさせない力戦を見せている。仮に同数同士の戦闘であれば、こちらは今頃敗北していたであろう。
男は、頭部メインカメラの望遠機能を利用して、戦場の一角を見る。
……F-15SEPが複数機、爆散するところであった。
跳躍装置を狙撃され推力を大いに減じた黒鷲は力なく地表に激突、また反転して追っ手に一撃食らわそうとした別の機体は36mm機関砲弾の奔流に捉えられ、数秒掛からず鉄屑と化す。粉砕されてゆく黒鷲の最中を、風雪の最中に溶け込むことを目的とした塗装、露軍迷彩が施された不知火が翔ける。
全国戦術機甲連隊より選抜された衛士から成る、最精鋭戦術機甲部隊――戦術機甲教導団(旧富士教導団)は、演習において“仮想敵”を演じる関係上、対人戦闘に慣熟している。帝国陸軍の通常色である暗灰を纏った不知火よりも、北国の空模様や雪景色をその身に映した教導所属不知火の方が、遥かに手強い。撃墜された黒鷲のほとんどは、この教導団が墜としたものだった。
男の視界の中で、また黒鷲が撃墜される。百戦錬磨の不知火へ不容易に近づいたのがいけなかったか、地面に叩きつけられた黒鷲の胸部には接近戦用短刀が突きこまれていた。
だがしかしそうした光景を見ていても、数の信奉者である男は焦燥を覚えることはなかった。結局のところ、この数的優位を覆すことは難しい。哀れよな、帝国衛士――彼らも白銀武奪還を目指すアルファ・システムに、まんまと利用されたに違いなかった。
彼は直属の上司となるヨーコ小杉――BLに通信を繋いだ。
『警備部よりBL。愚者と道化の10ダース、制圧まではあと30分』
『こちらBL、了解した。現在工廠内では銃撃戦が始まっている。こちらも鎮圧にはそう時間は掛からないだろうが、帰還の際には注意されたい。それと、岩田営業部長自ら出られるそうだ――』
『あの人の趣味趣向には――』
大虐殺劇を楽しもうとする岩田の趣味に、苦笑を禁じえない男は、決戦から虐殺に変貌しつつある混戦の最中から、一機の不知火が突出するのを見た。暗灰と純白のツートンカラー、突撃砲と接近戦用長刀を携えている。
単機吶喊とは愚かな。混戦の最中ではあるが、だからこそ戦闘隊形を維持しなければ、四方八方から黒鷲の襲撃を受けて殺される。自殺志願者か、狂人か、その両方か――だが眉をひそめた男の視界の中で、不知火は驚異的な機動を見せた。
空力特性を生かしたまま身体を捻り、背面飛行の姿勢を取った不知火は、上空を占位する黒鷲に射弾を浴びせてこれを撃墜。続いて後方を追随して来ていた敵機目掛けて急速反転、彼我の距離をゼロに持ち込んで、擦れ違いざまに斬り捨てた。分割された黒鷲は、重力に引かれるままに地表に叩きつけられる。
これを目撃した他の黒鷲達は、この不知火を遠巻きに射弾を送ったが、だが逃げ腰の姿勢から放たれる弾は不知火を掠ることさえなく、その代わり強烈な逆襲を受ける羽目になった。120mm弾の狙撃により、胸部装甲を穿たれたF-15SEPが力なく崩れ落ち、更に続く不知火の射撃は1分で2機の黒鷲を無力化してみせた。
この間、不知火は無傷でそこにいる。
『――あいつが沙霧かあああああ!』
男は確信し、自機の跳躍装置に全力噴射を命じた。
F-15SEPは爆発的な推力を得て、不知火との距離を詰めに掛かる。同時に、突撃砲を指向する。三次元機動を取る動体に対する突撃砲の命中率は、遠距離ではかなり低い。だが彼を拘束することこそが、重要であった。戦略研究会の首魁、沙霧尚哉は戦略的思考こそお粗末だが、戦術眼と個人戦闘力に関しては優れていることを、彼は知っていた。沙霧を野放しにしておけば、大損害が出る。
発砲。ほとばしる36mm機関砲弾――沙霧機は急制動、思い切った後退跳躍と左右への回避機動でこれを避けた。この時点で一方の沙霧機も、迫る敵機を突撃砲の照準に収めている。
両者の間では、激しい砲撃戦が始まった。彼我距離600m前後を堅持しながら、互いに相手の弱点目掛けて砲弾を撃ち込む。黒鷲の右主腕が肘から先を喪い、不知火の腹部正面装甲が被弾によって破片を撒き散らす。
致命的な部位への被弾は、ない。
だがしかし少しでも集中力が途切れれば、その瞬間必殺の一撃を浴びて墜ちることになる――男はそう思った瞬間だけ、周囲の状況をまったく失念してしまっていた。
その瞬間、沙霧機と相対していた黒鷲は、右側面に殺到した射線に絡め取られていた。沙霧と自身との狭い世界に一瞬だが入り込んでしまっていた男は、回避機動を講ずる間もなく絶命した。36mm機関砲弾は男と外界とを隔てる全ての側面装甲をぶち破り、操縦席を射貫して内部構造を滅茶苦茶に破壊し、F-15SEPのあらゆる機能を奪い去った。
『駒木中尉、救援有難い』
沙霧大尉は突撃砲の弾倉に残された砲弾数を確認しながら、横合いから黒鷲を仕留めた自身の副官に礼を言った。戦域全体を俯瞰する指揮官らしき敵機を仕留めるとはいえ、省みれば単機突出、単機吶喊、あまり褒められたことではなかった。
『いえ――』何かを言いかけて、彼の副官、駒木咲代子陸軍中尉は自身の網膜に投影される戦域図に、新たな目標が現れたことに気づいた。『大尉――横浜工廠直上、新目標! 機種は――零式、武御雷ッ!』
横浜工廠直上、戦術歩行戦闘機用昇降口から太陽の下に姿を現した「新たな目標」――薄桃に全身を染め抜いた武御雷は、その紅蓮の瞳で空翔る不知火達を睥睨した。94式戦術歩行戦闘機不知火は、内部にて「BETA」として処理され、生体管制装置に伝達される。そうして鑑純夏は、憤怒と憎悪を捻り出す。武ちゃんを永遠に奪い去ったBETAを殺すこと、それは何よりも優先すべきことだった。
一見無防備な姿で直立する武御雷に、幾許かの不知火が気づいた。素早く彼らは小隊単位での戦闘隊形を取り、これに吶喊する。1対4、しかも相手は戦闘機動の最中にない――彼らが勝利を確信した瞬間、不知火達はただ運動エネルギーを保持したままの鉄屑と化した。
その重力操作によって胸部装甲が捻じ切られ、搭乗ブロックを圧壊させられた不知火は、御者を失ったまま水平方向への機動を取り続け、純武号の脇を素通りしてゆく。
『こちら岩田だ、全警備部所属のF-15SEPは即時退去せよ。あとは鑑純夏が、片付ける』
純武号には、前部搭乗席に社霞が、後部搭乗席には岩田が収まっていた。実際のところ純武号は無人戦闘が可能であるが、岩田はただこれより始まる虐殺劇を特等席で楽しみたいから、という理由でそこにいた。昆虫や動物よりも遥かに高等な人間や、優れた機械を、まるで蟻か何かのように潰すことに至上の歓びを感じる人種にとって、純武号は最高の道具だった。
「ご覧の通り、岩田に先を越されてしまいまシタ」
「そんなのは見れば分かるッ……」
横浜工廠の地下某階。
F-15SEPが整列する戦術歩行戦闘機用ハンガーの隅にて、ヨーコ小杉と衛士強化装備に着替えた白銀武は、携帯端末を用いて、周囲と外の戦況を確認していた。横浜工廠周辺における戦闘は、いまちょうど平等な闘争から一方的な屠殺へとシフトしたところであった。脱牢した白銀武と、それを手助けするヨーコ小杉は、最初から純武号と社霞の確保に走ったが、結局岩田の搭乗と純武号出撃には間に合わなかったのである。
ヨーコ小杉は、内心でアルファ・システムの連中を罵った。
彼らの勝手な救出作戦に伴う銃撃戦のせいで、工廠内の移動に時間が掛かり、そして純武号に白銀武を導くのが遅れてしまった。どこまでも人の邪魔をする連中だ、と彼女は思う。実際、このハンガー外では潜入工作任務や伏撃に最適のウォードレス、「ハウリングフォックス」を纏った連中と、こちらの警備員が激しい銃撃戦を展開していた。
「なんとかして、純武号(あれ)を止めないと――人間同士で殺し合うなんて馬鹿げてるッ!」
「だからこうして、戦術機の傍まで来ている訳でスが――武サンはF-15系統に搭乗シた経験は?」
「記憶にない――撃震なら――」
「……少々力不足かもしれまセンが、吹雪で手を打ちまショウ」
「吹雪があるのか!」
「ハイ――また特殊工作任務用として製造された、国連塗装のものがひとつ」
ヨーコ小杉は、F-15SEPが居並ぶ横列の端を指す。確かにそこには青と空色の二色、高等戦術歩行練習機「吹雪」があった。
白銀武は頷くと、ヨーコ小杉と共に走り出した。
訓練生時代に慣れ親しんだ機体が、まさかここにあるとは思わなかった。吹雪はあくまで「練習機」であり、出力等は陽炎や不知火には及ばないが、第3世代戦術歩行戦闘機に通ずる軽快さがある。主機転換と武装換装さえ施されれば、十分実戦でも通用する。白銀武が、全幅の信頼をおく戦術機であった。
「整備士、こいつを借り受ける!」
「はッ――しかし、吹雪(そいつ)は――」
「問題はない。搭乗者は白銀武(こいつ)だ。手伝え」
ヨーコ小杉――BLは不思議そうに尋ねる整備士達に対して、有無を言わさぬ口調で答え、かつ要求した。
整備士達は吹雪を出す理由など分からなかったが、分かる必要もあるまい、と白銀武を搭乗させる準備だけを黙ってやった。セプテントリオン幹部の行動は全てセプテントリオンの為に行われることであり、それを阻害することは背信行為にあたる。彼ら幹部の秘密主義はいまに始まったことではなかった。
整備士に武装状態や主機の状態について、幾らかの助言を受けた白銀武は、搭乗梯子を駆け上がり搭乗席へと収まる。身体が整備士の手によって座席に固定され、強化外骨格が彼の全身に覆い被さろうとした時、吹雪から少し離れた位置で整備士達を監督していたヨーコ小杉が怒鳴った。
「いいか、白銀武ッ――純武号(あれ)は鑑純夏だッ! 虚言ではない! 純武号の中枢には、鑑純夏の脳髄が格納されているッ! おまえが前の世界で見た、水槽に入っている脳髄――鑑純夏の脳髄がな! この馬鹿げた非道を――現実を、理解しろ! 純武号による殺戮を止め、社霞を解放するには、それしかない!」
白銀武は、ただ頷いた。
頷いた瞬間、吹雪の胸部から張り出していた搭乗ユニットが、ゆっくりと後退し、その胸部装甲の内側へと格納されてゆく。暗くなる搭乗席の最中、白銀武は未だに、あの薄桃の武御雷が鑑純夏だということを信じられずにいた。
吹雪の胸部正面装甲が閉じられる。
さて、とヨーコ小杉は思った。
自分がやれることは、おそらくここまでであろう。
あとは白銀武が純武号に真正面から戦って敗死しようが、知ったことではなかった。
吹雪が、起動した。センサーアイに緑光を迸らせた練習機は、主脚による歩行で間近にある戦術機用昇降機にその身を収める。……鑑純夏と社霞との戦いに挑まんとする白銀武と、彼が駆る吹雪は何もなければすぐに地上へ送り出されたに違いなかった。
その時、格納庫の分厚い鋼壁が粉砕された。黒鷲の横列はいとも容易く薙ぎ倒され、また幾らかのF-15SEPは反対側の壁側にまで吹き飛ばされる。破砕された壁と引き倒された戦術機の破片が飛び交った格納庫内に居合わせた整備士達は、そのほとんどが一瞬で絶命した。
そして血の海と化した格納庫中央に、最低最悪の怪物が足を踏み入れた。格納庫の壁を粉砕したその八本の腕、白銀武とヨーコ小杉を求めて周囲を睥睨する四つの眼。古拙の笑みを浮かべた前後のふたつの顔。異形の怪物。希望号を敗北寸前まで追い込んだ魔道兵器。
エースキラー。
瓦礫の山の頂点で、ヨーコ小杉はせせら笑った。感づかれていたか。ガキひとり殺すのに、大した代物を持ち出したものだ。相手は青の厚志でも、忌々しい芝村舞でもない。ただの青臭いガキだというのに。
……だからこそ、助けてやりたくなるのかもしれなかった。
一方のエースキラーはその瞳で、瓦礫の上に超然として立つヨーコ小杉と、その向こう側いままさに昇降機に乗り込み地上へ向かわんとする吹雪を見た。裏切り者と、捕獲対象者の姿を捉えたエースキラーの行動は、早かった。その両腕を振りかざし、そして希望号の100倍の速度で、両者の抹殺を図ろうとする――。
が、それはかなわない。
今度は、天井部が崩壊した。降り注ぐ瓦礫の山は、エースキラーに何ら危害を及ぼさなかったが、その動きを少しばかり阻害する。そして第2の乱入者は、降り注ぐ瓦礫の最中も微動だにしなかった小杉ヨーコの傍に聳え立ち、エースキラーに対峙する姿勢をとった。
男の首を獲る愛の技、どんな闇の中も歩くことが出来る優しい心、世界の前部を敵に回しても己の道を往く勇気をもつ少女――小杉陽子、あるいは小杉謡子は、叫んだ。
「白銀武、行け」
漆黒の人型機動兵器「太陽号」が、まるでロングスカートが如き七枚の腰部装甲板から収納された武器を引き抜き、エースキラーに叩きつける。彼女が抜き放った長大な大剣は、怪物が張り巡らす障壁を破ることは出来なかったが、だがしかしエースキラーの動きを完全に停止させることには成功していた。
その背後で、事前に操作された昇降機が稼動する。格納庫と吹雪の合間に隔壁が閉じられ、そして百m以上の距離がある地上へと吹雪の運搬を始めていた。エースキラーは「太陽号」を押し退け、前進しようとしたが、流石にそれは無理であった。BLの名を棄てた小杉謡子の専用機、「太陽号」はその華奢な、女性的な外見に似合わず頑強に抵抗した。
小杉謡子が、歌う。赤の絶技「純潔の鎖」が完成し、エースキラーの自由をごく僅かな時間だが奪い、「太陽号」の七つの武器が砕けながらもエースキラーを数秒だけそこに拘束する。これではエースキラーを撃破することはおろか、10分も時間を稼ぐことは無理であろう。
だが、小杉謡子からすれば、吹雪を地上へ送り届けるだけの時間が稼ぐことが出来れば、それで勝利だった。
【真愛編】4話、「千の覚悟、人の愛」終
【真愛編】5話、「ふたりのものがたり、これからはじまる」につづく。