Muv-Luv ALTERNATIVE ORIGINAL GENERATION第56話 月が闇を照らすとき眼前の光景に対し、沙霧は驚く以外の術を持ち合わせていなかった。何故この場に彼女がいるのだろうか?彼女は、米国の手先と思われる賊に攫われたのではなかったのか?先程からその様な疑問ばかりが頭を過ぎっている。『一体、これはどういう事なのでしょうか……?』やっとの事で絞り出せた言葉は、なんとも陳腐なものだった。それほどまでに彼は、今起こっている事態を飲み込む事が出来なかったのだろう。「……その事に関して、先ずは謝罪させて頂きます」こちらから一切眼を背ける事無く、そして申し訳ないといった表情を浮かべ沙霧に謝罪する悠陽。『本当に殿下なのですね?』「私はそなた達のよく知る、煌武院 悠陽で間違いありません……本当に迷惑をお掛けしました」『と、とんでも御座いません!我らは単衣に、殿下の御身を御心配して事に当たっていたに過ぎないのです。御無事ならば何よりで御座います!!』ここに来て沙霧は、彼女が間違いなく悠陽だという事を悟る。そして直ぐにでも彼女の下へ馳せ参じ、臣下の礼を尽くそうとしたのだが、彼女はそれを制止する。『では、この様な格好で拝謁の栄誉を賜る事をお許しください』「よい、兎に角面をあげよ」『ハッ!』コックピット内であるため、頭を下げる事だけしか出来ないのがなんとももどかしい。本当ならばこの様な格好は、政威大将軍である彼女に対し無礼以外の何物でもないのだ。「現状で私は、己の姿を晒す事は出来ません。そのまま何食わぬ顔で聞いて貰いたいのです」『……畏まりました』色々と問い質したい事もあるが、先ずは彼女の無事を素直に喜ぶべきだろう。だが正直なところ、何故彼女が国連軍の訓練兵と共に行動しているのかが疑問だ。横浜基地の部隊が、彼女を賊から奪還したなどという話は聞いていない。となると、彼女は一体どのようにして国連軍部隊と合流したのだろうか?まさかとは思いたいが、今回の一件は全て仕組まれたことであり、日本全土を巻き込んだ自作自演の芝居だったのではないか……などという考えが頭を過ぎっていた。「……此度の一件、そなたを含め多くの者達に多大な迷惑を掛ける事になりました。浅はかな己の考えに付き合わせてしまった皆に、私はどのような顔を向けて良いか判りません……」『……理由をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?』率直な意見……自分達では理解できない様な考えがあっての事だろうと思うが、全てを納得できる訳でもない。気がつけば彼は、己の中で想像していた事を否定したいがために彼女に問い質していた。「……そなた達がこの国の在り方を憂い、その道行を正すべく事を起こそうとしていた事は存じています。私はそれを知った時、もしそれが本当ならば何としてもそれを止めたいと思ったのです」『殿下……』「そなた達の言うように帝国議会や軍の在り方と、私の意志や想いが通じ合っていない事実は本当なのでしょう。しかし、それは私自身の至らなさが招いた事……本当に申し訳ないと思います」『畏れながら殿下!我らはその事実が許せないのです……国政をほしいままにする奸臣どもは、民達の殿下の仰る事ならばという忠誠心を己が目的のために利用し、彼らの想いを蔑ろにしてしまっているのです!!その様な行いが、如何して許されましょうか!!』「……沙霧、そなたの申す事は解ります。そして同時にそなたのこの国を想う気持ちを大変嬉しく思います。ですが、その様な有様も、将軍である私の責任である事は何ら変わる事ではないのです……全てはこの私の不甲斐無さ、そして不徳の致すところ……どうか許してほしい」『彼の者達を庇う事などお止め下さい殿下……奴らは既に腐りきっております。殿下が御心を痛める理由や、彼らを庇う必要など御座いません……あの者達は日本に巣食う害虫、殿下の臣下などでは御座いません!』国民を想う彼女の耳に入れば、間違いなく今回のように止めようとするのは明白だったと言える。しかし、まさか彼女自らが己の前に出向き、説得に当たろうとするなど思いもよらなかった。後ろめたい気持ちが無いと言えば嘘になるが、出来る事ならば全てが終わってから彼女の耳に入って欲しかった。これ以上、彼女を苦しめたくないがために起こそうとしたクーデター。それが結果的に彼女を苦しめてしまっている事実。民を救いたいという気持ちは同じなのに、何故自分の想いは彼女に通じないのか?何故彼女がそこまで心を痛める必要がある……彼女は悪くない……全ては国政を想うがままにしている奸臣達が諸悪の根源なのだ。実直な彼にとって、それらは否定できない事実。たとえ悠陽の言葉であったとしても、その全てを受け入れる事は出来ない。それが現時点で彼が下している結論だった―――『畏れながら沙霧大尉……貴方の言っている事は間違っていると思います』『……それはどういう意味だ。御剣訓練兵?』先程まで静観を決め込んでいた冥夜が、二人の会話に割って入る。「冥夜、そなたは黙っていなさい。今、沙霧と話しているのは私です……」その事に驚いた訳でもなく、むしろ邪魔をするなといった様相で彼女を睨みつける悠陽。『無礼は承知の上です姉上……ですが、これだけは言わせて頂きたい』「……良いでしょう」『有難う御座います……先程、沙霧大尉は彼の者達を奸臣と仰りました。それから腐りきっているとまでも……確かにそれは、否定できない事実でありましょう』『そうだ……このままでは殿下の御心と国民は分断され、遠からず日本は滅びてしまうと断言せざるを得ない!……だから私は奴らを斬ろうとしたのだ!!』『どうしても、そうせねばならないのですか?』『それが必要とあらば仕方は無い……既にその覚悟は出来ている』まるでその鋭い眼光が、彼女を射ぬくかのように向けられている。怒り、悲しみといった感情のこもったその眼は、彼の覚悟の表れなのだろう。『そこまで国や民を……そして殿下を想う貴方が、何故彼らを斬らねばならないのです!貴方の言う彼らも、殿下の大切な民なのですよ!?如何して……何故それらを想う殿下のお気持ちを理解して差し上げようとしないのです!!』『っ!!』『確かに彼らのやって来た事は、許されない事かも知れませぬ。だからと言って私は、彼らを斬ることが許される道理になるとは思えない……彼らもまた、我らと同じなのです!過ちを犯す事もあれば、人の道を外す事もありましょう……それを正す方法は、何も大尉殿が行おうとした方法以外にもある筈です!!』冥夜の心からの叫び……それは悠陽の想いと同じと言っても過言ではなかった。かつて彼女は、一緒に居る事が出来ないならば、せめて心だけでも悠陽と共に在りたいと願っていた。今まさに、二人の心は共に在ると言ってもよいだろう。『……』彼女の想いに対し、返す言葉が見つからない……それほどまでに沙霧の心は揺れ動いていた。確かに彼女の言うとおり、自分が奸臣と罵った者たちもこの国の民であることには違いない。一歩間違えていれば、自分は殿下の大切な民達を斬り捨てていた事になる。それに気づかせてくれた冥夜に対して感謝の気持ちを述べたいところだが、そう簡単に割り切れるほど単純なものでもない。民の意志を代弁して、事に当たろうとしていた自分は間違っていたのだろうか?しかし、彼らの行いを許す事は出来ない。どちらが正しく、そして間違っていたのか……心の中に相反するそれらの感情が、葛藤となって湧き上がってくるのが感じられる。「この国を想うそなた達の気持ち……この悠陽、感服いたしました。私は、本当に良い家臣に恵まれたものです」『殿下……?』『姉上……?』「日本の行く末を憂うそなた達の想いを受け、私もより一層の尽力を惜しまぬ所存です。ですからそなた達も、私に手を貸して欲しいのです……お願いできませんか?」二人に向け、頭を下げる悠陽。『それを拒む理由が何処にありましょう……私の想いは、常に姉上と共に在ります』「……ありがとう、冥夜」『……私は……承服しかねます……』『沙霧大尉!?』悠陽は、彼のその一言に落胆の表情を浮かべる。逆に冥夜は、怒りを露わにしていた。『何故です!何故貴方は殿下の御心を理解しようとしないのですか!?』『……』彼からは何の反応も返って来ない。ここまで来て、何故彼は姉の想いを理解してくれようとしないのか?何としてもそれを彼に理解して貰いたい……その一心で冥夜は、更にこう言い放つ。『容易い事ではないことは、重々承知しています!……ですが、先ずは動かない事には何も始まらないでしょう!!』『……うぅッ』その言葉に対し、沙霧は何も言い返さない。それどころかモニター越しに見える彼は、苦悶に満ちた表情を浮かべている。先程までのやり取りに対し、苦悩の色を浮かべているのかとも受け取れるが、それにしては様子が変だ。『……大尉殿?(何だ?……ノイズ、いや、無線が混線しているのか?)』彼の様子が変わった直後、通信機からノイズの様な物が流れていることに気付く冥夜。他の回線と混線でもしたのかと考えた彼女だったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。沙霧は頭を押さえながら何かに抗うような素振りを見せ、更に苦しみだしている。『グッ……逃げ……早く……』『えっ?』苦悶の表情を浮かべ、何とか声を絞り出す沙霧。ただの頭痛にしては明らかに異常と取れるその様子を見た二人は、ただ彼を心配することしか出来ないでいる。「如何したのです沙霧?」『殿下、御剣と共に……早くお逃げ下さい!……グッ、頭が……』徐々に息遣いも荒くなり、更に苦しそうな表情を浮かべる沙霧。『沙霧大尉、一体如何なされたのです!?』『私に構うな!このままではッ……グアァァァ!!』彼は大声をあげて叫んだ直後、まるで糸の切れた操り人形のように脱力し、そのまま動こうとしない。その直後、モニターにノイズの様な物が走り、通信が途切れてしまう。『しっかりして下さい大尉殿!』「沙霧!返事をするのです!!」必死になって彼を呼び続ける冥夜と悠陽の二人。そのまま何度も彼の事を呼び続けていたが、一向に沙霧からの反応は返って来ない。このままではいけないと悟った二人は、彼の元へ駆けつけようと試みるが、その時になってようやく彼が反応を示した―――『……聞こえています』通信も回復し彼の様子が見れたことで、心配していた彼女達は一先ず安堵の表情を浮かべる。何かの発作のようにも思えたが、とりあえずは落ち着いたという事だろう。だが彼は、ずっと下を向いたままこちらを見ようとせず、それ以上の反応を示さない。「沙霧……?」『大尉殿……?』その時冥夜は、なにやら妙な感覚に囚われていた。彼の無事を確認し、ホッとしている筈なのに得体の知れない何かがそれを拒絶しようとする。まるで自分の第六感とも呼べるモノが、目の前の彼は危険だと告げているような気がするのだ。『……フッフッフ……そうだな。貴様の言うとおり、先ずは動かない事には何も始まらん……』彼のその一言に、何故か恐怖すら感じる。悠陽の願いを理解したと言うよりは、まるでそれらを否定するかのような口調。その一言を聞いた直後、背中に悪寒の様な物が走ったような気がした。額から汗が流れ落ち、見えない何かに恐怖するような感覚が付きまとってくる。それらを払拭し、もう一度彼に呼びかけようとした刹那、自分の感じる不安がついに形となって彼女の前にその姿を現す。突如として前方に居た彼の不知火が、長刀を引き抜きこちらに向けて突っ込んで来たのだ。『そうだ……この国に巣食う害虫どもは、全て駆除せねばならん!そして、それを庇う者も全て、我らの敵だッ!!』こちらを見据え、そう言い切る沙霧。眼は血走り、焦点が定まっていない。その表情は先程までと打って変わり、敵意をむき出しにした形相は悪鬼羅刹と見紛う程のものだった―――「な、何を……」『たとえ誰であろうと、我らが悲願の邪魔はさせん!邪魔する者は、死あるのみ!!』その一言を最後に通信は途切れ、コックピット内に敵からロックされた事を示すアラームが鳴り響く。このままでは相手に斬られる……そう確信した冥夜は、背部から長刀を引き抜き、彼の斬激を受け止める。『おやめ下さい大尉殿!』『邪魔をするなッ!』咄嗟の事ではあったものの、何とかそれを受け止めることに成功した冥夜。鍔迫り合いとなった状態で彼の説得を試みるものの、相手はそれを聞き入れようとはしない。『おのれ!乱心したか沙霧 尚哉!!』『乱心などしていない!先程も言った筈……邪魔する者は、死あるのみだッ!!』火花を散らす二振りの長刀……今は辛うじてそれを防げてはいるものの、相手は単機でF-22Aを撃墜出来るほどの兵だ。このままでは、力の差で押し切られるのも時間の問題だろう。そう悟った彼女は、一先ず悠陽に後退を即すが、彼女はそれを受け入れようとはしない。『お願いです姉上、私が時間を稼いでいる内に……早くッ!!』「で、ですが……」悠陽の逃げる時間を稼ごうとする冥夜。しかし、突然の出来事に対して戸惑っているのだろう。それ以前に、彼女が冥夜を置いて逃げることなどできる筈が無い。ここで彼女を残し、自分だけ逃げてしまえばきっと後悔する事になる。そんな想いだけはしたくないのだ。「おやめなさい沙霧!今直ぐに剣を引くのです!!」『断るッ!』彼は、悠陽の言葉にすら耳を傾けない。そんなやり取りを続けている最中、力では押し切れないと悟った沙霧は、剣を振るっていた力を弱め後ろへ一歩下がる。その一瞬のやり取りに冥夜の吹雪は、重心がずれ若干前のめりになるようにバランスを崩してしまう。即座に体勢を整えようとするが、相手がそんな隙を見逃す筈も無い。沙霧は上体を下げ、そのまま彼女の吹雪に体当たりを仕掛ける。それらをかわす事の出来ない冥夜は、そのまま悠陽の乗る烈火の下へと吹き飛ばされてしまう。縺れ合うようにその場へと倒れこむ二機の戦術機……これでは良い的だ。今から起き上がり、反撃を試みても到底間に合わない。意を決した冥夜は突撃砲を乱射し、先ずは相手の突進力を奪う事で時間を稼ごうとする。だが、相手は帝都の守りを務める精鋭中の精鋭だ。直撃を避けるため、ただ単に弾をばら撒いているだけの攻撃では容易く回避されてしまう。彼女は迷っているのだ……ここで直撃させてしまえば、間違いなく相手はただで済む筈は無い。これが人相手ではなく、BETAならば話は違っていただろう。相手を討てないと躊躇している彼女を、まるで嘲笑うかのように接近する黒い影。彼女は、どうしても彼を敵と認識できないのだ。『やめろ……やめてくれぇぇぇ!』コックピット内に木魂する少女の悲痛な叫び。迷い、恐怖などといった様々な感情が、己の中で葛藤しているのが解る。しかし彼女は、その場から動く事が出来ない。ならば、せめて悠陽だけでも……この身に変えてでも彼女だけは護らねばならないと、姉の機体に覆い被さる。そして、その直後に響き渡る鈍い金属音。何も出来ぬまま、自分は相手に斬られてしまったのだと思っていた―――「何やってるんだ!死ぬ気かこの馬鹿野郎!!」『えっ……?』恐る恐る前を見た彼女の眼に映っていたもの……それは月明かりに照らされ、眩い輝きを放つ白銀の機体。それが自分の想い人だと気付くのに、そう時間は掛からなかった―――『タケル……なのか?』「ここは俺に任せて早く下がるんだ冥夜!」長刀で沙霧の攻撃を防ぎながら叫ぶ武。『な、何故……何故この機体に私が乗っていると?』「やっぱり冥夜だったか……こう見えてもお前との付き合いは長いからな。さっきのブリットとの会話、あいつにしちゃ妙に畏まり過ぎてると思ったんだ……他人の物真似をするんなら、お前はもう少し砕けた言葉遣いを覚えないとな」『そ、そなた!鎌を掛けていたのか!?』彼女が驚くのも無理はないだろう。先程のブリット達との会話……彼は、どうもその時の違和感が拭えなかった。モニターに映っていた彼らは間違いなく本人そのものであり、何も考えずに会話を続けていたならば気付かなかったかも知れない。だが、彼は一度似たような事を経験している。かつて彼は、桜花作戦において夕呼の策により、他の仲間を演じた冥夜に騙された事があるのだ。騙されたなどと言っては、自分を生かすために散っていった仲間の行為を侮辱する発言かもしれないが、完全に欺かれていた事には違いない。当時の武は仲間を失う事に恐怖を憶え、PTSDを再発してしまう恐れがあった。作戦成功のためには、何としてもそれを阻止せねばならない。それを危惧した夕呼は、彼に内緒で機体のシステムに細工を施していたのだ。今回それに気付けたのは、その記憶が在ったからにこそ他ならない。この様な所で似たような手口を使われるとは思いも寄らなかったが、そのお陰で間一髪冥夜を救うことが出来た。かつての仲間と自身の記憶に感謝すると共に、彼は状況を今一度確認するために行動を開始する。「いつの間にブリットと入れ替わってたのか知らねえけど、今はそんな事どうでもいい……沙霧大尉!一体何のつもりです!!」『貴様も邪魔をするか……ならば斬るのみッ!!』「クソッ、冥夜!一体何があったんだ!?」『解らぬ……大尉殿が急に苦しみだしたかと思えば、いきなり我らに襲い掛かってきたのだ……』「チッ……止めてください大尉!今は俺達が争っている場合じゃないでしょう!?」『目障りだ……あくまで邪魔をするというのなら、貴様も一緒に死ぬがいい!』彼の反応は、冥夜達の時と変わらない。まるで何かに操られているかの如く、障害を排除する事のみに執着している様子だ。「そう簡単にやられる訳には行きませんよ!訳を話してください!!」『五月蠅いッ!貴様などと話す舌を持たん!!』冷静沈着ともいえる彼にしては、真逆とも取れる態度。激高して我を忘れてしまっているかのような彼の行動に対し武は、なおも言葉を続ける。「ふざけるなッ!今はこんな事をしている場合じゃないだろう!!」『黙れッ!我らが悲願を邪魔する者は、例え殿下であろうと斬るのみッ!!』「な、なに……?」武は自分の耳を疑った……今この男は、自分に向けて何と言い放ったのだと―――「何を言ってるんですか大尉!そんな冗談、笑えないですよ!!」先程の沙霧と同様の手段を用いて、相手との距離を取る武。しかし彼は、冥夜と同じ様に吹き飛ばされるものの、跳躍ユニットを器用に扱い体勢を崩すことなく着地。距離が開けたとみえた武は、長刀を地面に突き刺し両手に突撃砲を構え乱射。弾幕を形成しながら、冥夜達が体勢を整える時間を稼ぐ。『タケル……大尉殿は本気だ。本当に私ごと姉上を斬ろうとしたのだ……』「ち、ちょっと待て……一体それはどういう意味だよ!?」『烈火に乗っているのは、ブリットではない……姉上なのだ……』またもや耳を疑いたくなるような発言だ。その一言で一瞬気が動転してしまいそうになるが、今はそんな事を言っている場合ではない。だが、気にならないといえば嘘になる。悠陽はシャドウミラーと思われる者達に攫われた筈だった。その彼女が、今この場に居て、いつの間にか烈火に搭乗している。という事はつまり、あの時彼女を攫ったのは、シャドウミラーではないと言う事になってしまう。では一体誰が彼女を誘拐し、日本全土を巻き込むような事態へと発展させたのか?そのような恐れ多いことをやってのける人物は、世界広しと言えど一人しか考えられない。間違いなくこれは夕呼の策略だ……こんな大それた計画を立案し、実行に移すのは彼女しかいないだろう。最早、騙されていた事に怒りを憶えるどころか、それらを通り越して呆れたとしか言いようが無い。「……やられた」『すまぬ……私もついさっき知ったばかりなのだ……』この際、悠陽が烈火に乗っている事や今回の出来事に夕呼が係わっていることに関しては、後で二人にゆっくり問い詰めることにしよう。現状で一番の問題として挙げられるのは、突如として彼女達に刃を向けた沙霧についてだ。あれほど殿下と国民を第一に考えていた筈の男が、事もあろうに悠陽を殺そうとしている。余程の理由がない限り、彼がそのような暴挙に出るとも思えない。一体何が、彼をそうさせたのか?それを冥夜達に問い質そうにも、こちらは沙霧を抑えることで手一杯だ。「(何故だ?……沙霧大尉がこっちに攻撃を仕掛けてるってのに、何で他の奴等は動こうともしない?殿下が居るって事を知らなかったとしても、俺達に攻撃してる時点で誰かが止めに入るんじゃないか?)」理由は解らないが、沙霧が攻撃して以降、帝国軍側の兵士は誰一人として動こうとしない。尤も、現状で彼らにまで動かれてしまっては、こちらはそれら全てを防ぎきることは不可能だろう。彼らが動こうとしない理由として、沙霧が待機を命じている可能性もある。だが命令を撤回され、自分を援護するよう彼が命じれば他の者達が襲って来ないとも限らない。「兎に角ここを離れないと……冥夜!殿下を連れて先に行け!!」『そ、それが……先程から何の反応もないのだ……』烈火には、これといった損傷は見られていない。だとすれば、吹き飛ばされたときのショックで気でも失っているのだろうか?それほど酷い衝撃にも見えなかったが、当たり所が悪かったとも考えられる。しかし、この程度で気を失ってもらっては、衛士としては些か問題だろう。動揺した隙を突かれたとはいえ、戦場で気を失うなど死に直結するような行為だ。多少イラつきを感じるが、今はそうも言ってられない。彼は冥夜にそのまま悠陽を呼びかけ続けることを指示し、不利な状況を打開するための策を講じることにする。「神宮司軍曹、訓練兵達の後退を急がせろ!月詠中尉!悪いがこちらの援護を頼む!!」『「了解ッ!!」』「霞!烈火搭乗衛士のバイタルをチェックしてくれ!!」『わ、解りました』現時点で、訓練兵達をこの場に来させる訳には行かない。いきなりの実戦がBETAではなく、人であるなどと言った記憶を与えたくないからだ。これは武ならではの甘さと言えよう。兵士は何時如何なる時に戦場へ借り出されるか分からない。状況によっては、暴徒鎮圧などに出撃せねばならぬこともあるだろう。だからと言って、いきなりの相手が帝国軍精鋭中の精鋭では分が悪すぎる。相手が一機に対し、こちらが複数で掛かれば何とかなるのではないか?……などと言った考えは、先ず通用しない。そもそも対BETA戦は、物量で攻めて来る相手を想定した物だ。一対多を主眼に置いた訓練が成されている以上、熟練の衛士になればなる程にそれらに関する技量も高い。場数を踏んでいない彼女達がいくら優れていようとも、経験や実績という力にはどうしても劣ってしまう。そして、向こうが動き出した場合、真っ先に狙われるのは彼女達の可能性も高くなる。別に彼女達を侮辱する訳ではないが、兵法において敵の弱点となりうる場所から攻めるのは常套手段だ。それに彼女達を人質に、悠陽を差し出すよう迫ってくる可能性も否定できないのである。「いい加減にしろ沙霧大尉!あんたは誰よりもこの国を愛し、そして殿下を崇拝していたんじゃなかったのか!?」『五月蠅いッ!国連に頭を垂れ、日本人としての心を捨てたような輩にそんな事を言われる筋合いはないッ!!』気持ちが高揚し、まるで周りが見えていないかのような反応。一体、彼がこうなってしまった原因はなんなのか?理由もなく彼が、悠陽に刃を向けるとは思えない。何らかの理由、もしくは原因になるものが無い限り、彼がここまで豹変するとは考えられないのだ。「冥夜、殿下は?」『駄目だ……全く反応が無い』「霞、バイタルチェックの結果は?」『脳波に若干の乱れがありますが、心拍数、脈拍共に正常です。恐らく気を失っているんだと思います』「解った……冥夜、お前は今直ぐ烈火に乗り移れ。その吹雪は、後で俺が回収する……今は兎に角、殿下の安全を優先しろ!」『わ、解った!』「月詠中尉は冥夜達と合流後、すぐにこの場を離れてください。俺が時間を稼ぎます……」『い、いけません大尉!貴方一人を残して、この場を去ることなど我らには出来ません!!』「……これは命令だ中尉!今ここで、彼女達を失うわけには行かない……直ちに命令を復唱しろッ!!」『ですが!』武の命令に対し、真那は納得しようとしない。彼女は悠陽から直接武と冥夜の護衛を命じられているのだ。武は命令とはいえ、彼女がそれを素直に聞き入れないであろうことは予感していた。しかし、そのような事で無駄な時間を浪費する事ができないのも事実。こうなってしまっては、彼女に現状を直視させるしかないだろう。「いいか、烈火に乗っているのは冥夜じゃない……殿下だ!俺と殿下の命……どっちが大切なものかどうかぐらい解るだろう!!」『しかしッ!』先程から会話の端々で、殿下という単語が出ていた。その事に関して当初は真那も驚いてはいたが、そのような事を今詮索している場合ではない。だが、この場に武を見捨てていくような真似が出来るだろうか?いくら悠陽を護らねばならないとはいえ、彼を捨石にする事など出来はしない。そういった感情が後ろ髪を惹かれる思いとなり、彼の命令を実行に移すことが出来ないでいるのだ。「斯衛は何の為に存在している!?何よりも先ず殿下と国民の安全を最優先に考えろ!貴様も斯衛に属する身なら、その意味を履き違えるなッ!!」『グッ……了解、致しました……』「軍曹、聞こえていたな!?中尉が殿下と冥夜を確保次第、すぐに207小隊と合流してこの場から離脱しろ!決して反論は許さんッ!!」『り、了解しました!』自分でも怖い位に厳しい口調になっているのが解る。そして真那達も、普段とは違う武の迫力にさぞ驚いていたことだろう……それほどまでに武は追い込まれていた。こちらから相手に仕掛けることは出来ても、致命傷を与えてしまいそうな攻撃をする事は出来ない。先程まで補給を行っていた沙霧の機体は、恐らく推進剤も満タンの状態だと考えられる。当たり所が悪ければそれに引火し、一瞬の内に彼の機体は吹き飛んでしまう。現状で突撃砲を使用してはいるが、あくまで牽制に用いているだけ。初めから当てる気など、全く無いつもりだ。更に粒子兵器であるスライプナーは、使用することが出来ない。クロスレンジ、ミドルレンジ共に威力が有りすぎるのだ。よって彼の動きを止めるには、接近戦を用いて行動不能に追い込む以外に無い。そんな状況で彼女らが周囲に居ては、正直足手纏いだ。言い方は厳しくなってしまうが、狙いが自分に集中すればその分だけ悠陽の生存率が上がる可能性が高い。尤もそれらは、沙霧一人を相手にしている状況でのみ言えることなのだが―――『白銀大尉、殿下と冥夜様との合流が完了しました……』「彼女達を頼む……」『ハッ!……武様、御武運を……』「……ありがとう月詠中尉。それとさっきはすみませんでした……でも、俺はこんな所で死ぬつもりはありません。生きて必ず、皆に追いつきますから……それまで皆を頼みます」『お任せ下さい。この月詠、我が命に代えても貴方様との約束を果たす所存です』「……お願いします」通信を終えた真那は、冥夜達と共にこの場を離れる。去り際に彼女が見せた表情は、苦悶に満ちていた。それは自身の不甲斐無さを呪ってか、はたまた苦渋の選択を迫られた事から来るのかは解らない。「……俺も不器用だよな」一人コックピットでそう呟いた武は、眼前の敵を見据え、兵装を突き刺しておいた長刀に変更する。「沙霧大尉……月並みな台詞ですけど、ここは通しません!……ここを通りたければ、俺を倒してから行けッ!!」彼はそう叫ぶと、右手に長刀を携え沙霧に向けて突貫する。対する沙霧もまた長刀を構え、武からの初太刀を受けるべく身構えた。激突する二機の不知火……一方は白銀、もう一方は漆黒。その光景は、まるで光と闇の戦いと言ったところだろうか?一合、二合と打ち合いを重ね、一身一体の攻防を続ける二機。『そのような腕でこの私と張り合おうなど……片腹痛いわッ!』「クッ!」時折フェイントを混ぜながら攻撃を続ける武だが、やはり技量と言った面では沙霧に一歩劣ってしまう。彼に対しては、XM3の機動を用いたフェイントがあまり通用していないのだ。優位な近接戦闘に持ち込んでいたとはいえ、流石は一対一でラプターを撃墜できるだけの実力者と言ったところだろう。だが、技量は彼の方が上とはいえ、スペックだけで考えるならば改型もラプターに引けを取らない。それどころか武の改型は、ラプターの性能を余裕で上回っている。では何故彼が責めあぐねているのか……これに関しては理由がある。それは先程挙げた点……すなわち、致命傷を与えかねない攻撃は、彼の命までをも奪いかねないからだ。何とかして相手の隙を作り、脚部ないし跳躍ユニットを使い物にならない状態に追い込まねばならない。しかし沙霧は、その隙すら与えてくれないでいる。「だったら……これはどうだッ!」武は相手の攻撃を受けきった直後、両手で構えていた長刀から右手を離し、右腕に装備された電磁粉砕爪(プラズマクロー)を展開。一瞬手を離した事により相手に押さえ込まれる形となるが、それも計算の内だ。相手がこちらに引き寄せられたことを確認した彼は、そのまま相手の左肩に向けクローを突き刺す。『その程度の攻撃など!』「甘いッ!」相手が油断した一瞬の隙を突き、放電を開始する武。強化装備には耐電処理が行われており、衛士である沙霧には殆どダメージは無いが、この攻撃で相手の左腕は過剰な電流が流れた負荷により損傷。これで向こうの左腕は、使い物にはならなくなった。予想外のダメージを追った沙霧は、一先ずその場から後退。相手の追撃が無い事を確認すると、損傷箇所のチェックを行う。『グッ……左腕がやられたか……だがッ!』沙霧は使い物にならなくなった左腕を即座にパージ、そして何も無かったかのように再び長刀を構える。武は追撃を行いたかった所だが、この兵装は高出力での使用直後にはどうしても硬直が発生してしまうため身動きが取れなかったのだ。そして先程の攻防の際、自分も肩部の高機動ユニットにダメージを受けていた。ユニットがあったお陰で腕はやられていないものの、このダメージではスラスターは使い物にならないだろう。「やっぱり無理が有りすぎたか……だけど、向こうの左腕は無くなった。これである程度動きは制限される筈……」片腕しかない戦術機が兵装を持ち変えるには、一度手持ちの武装を投棄せねばならない。突撃砲はマウントしたままでも発射することは可能だが、射角が制限されてしまうため使いどころも難しいだろう。となれば、相手は長刀をメインに戦うしか方法が無い。一番理想的なのは相手の突撃砲も使用不可能にしてしまうことだが、背部にマウントされているそれを正面から破壊することは困難だ。それに当たり所が悪ければ、背後からコックピットを斬り付けてしまいかねない。破壊するには、相手が突撃砲を前方に展開した際に行うしかないだろう。『何故だ……何故貴様は我らの邪魔をする……』不意に開かれる通信……相変わらず沙霧の表情は、鬼気迫るものがある。「殿下は、あの人はこの国にとって掛け替えの無い人だ!そして、あの人は俺の恩人でもある……恩人を助けるのに理由なんて必要ないだろうッ!!」『グッ……だが彼女は、この国の奸臣とも呼べる害虫どもを助けようと……しているのだぞ!?』「それの何がいけない事なんだ!?民を護りたいと願う彼女の気持ち……あんただって解ってる筈だろう!!」『……それが、この国を滅ぼし兼ねんのだ……うぅ……白銀よ、貴様も日本人ならば……今の日本の現状を捨てておく事など……』「……沙霧大尉?」先程まであれほど怒りを露にしていた沙霧の表情が、一変して何かに抗おうとしているような素振りを見せている。よくよく考えてみれば、彼と相対した時から様子が変だった。冥夜に理由を問い質した時もそうだ……急に彼は豹変したという。「(急に様子がおかしくなったって言ってたよな……まさかッ!?)」彼女との会話を思い出したことで、彼はハッとした。戦術機に搭乗する衛士を急変させるものが一つだけ存在している……それは催眠暗示キーだ。かつて自分もそれによって気持ちが高揚し、命令を無視してBETAに戦いを挑んだことがある。それを使えば、外部からの遠隔操作で彼に悠陽を討つよう指示ができてもおかしくは無い。「しっかりして下さい大尉ッ!」『うぅッ……黙れ、黙れ黙れ黙れぇぇぇッ!』彼の呼びかけに対し、頭を押さえながら反論する沙霧。武は確信した……間違いなく彼は誰かに操られている。そして先程見せた表情は、それに打ち勝とうと抵抗しているからなのだろう。だが、後催眠暗示によって操られているのであれば、簡単にそれを解除することは出来ない。悠陽の事を引き合いに出しても落ち着かないところを見る限り、恐らく興奮剤も投与されているだろう。そんな状態では、例え行動不能に陥らせたとしても問題は解決しない。相手を昏倒させでもしない限り、時間も稼げないと考えられる。ならば今の武に出来ることはただ一つ、彼の機体を行動不能に追い込むと同時に気を失わせられるだけの衝撃を与えればいいのだ。かなり分の悪い賭けだが、これ以上時間を要してしまうと沙霧の部下が動き出さないとも限らない。そういう結論に至った武は、彼の目を覚ますべく行動を開始する―――「―――大尉、今から貴方の目を覚まします。多少の痛みは我慢してください……」『笑止な事を言う……やれるものならやってみろッ!!』「……行きますッ!!」沙霧の不知火に向けて跳躍を開始する武。対する彼は、その場から動こうとせずに武の攻撃を受け止めるつもりだ。当然最初の一撃は、鍔迫り合いとなってしまう。だが武の機体が両腕で打ち込んでいるのに対し、沙霧は片腕……性能面から見てもパワーは改型の方が上だ。このまま押し切り、相手の右腕を使い物にならなくすれば断然こちらが優位になる。そう考えた武は操縦桿に力を込め一気に押し切ろうとするが、突如展開された突撃砲によってそれが阻まれた。この位置では直撃を受けてしまうと悟った武は、一先ず後退……着地後に相手の左側面に回り込むべく操縦桿を巧みに操作する。しかし次の瞬間、彼の目の前に飛び込んできたものは沙霧の機体ではなく、先程彼がパージした左腕。沙霧は足元に転がっていた左腕を蹴り上げ、武目掛けて飛ばしてきたのだ。「クッ、器用な真似しやがって!」悪態を吐きながらそれを長刀で横に払う武。だが、それこそが沙霧の狙いだった―――「な、なにッ!?」『掛かったな……』不知火の左腕によって防がれていた視界から、突如として沙霧の機体が飛び出す。咄嗟に長刀でその攻撃を受け止める武だが、勢いに乗ったその攻撃は受け止めきれる物ではなく、逆に長刀を弾かれてしまった。更に沙霧は、その勢いのまま武にショルダーチャージを加え、彼の機体を後方へと吹き飛ばす。何とか着地することに成功した改型に損傷は見られないが、こちらの体勢は崩れてしまっている。それを見逃すほど相手も間抜けではない……長刀を構え、更なる追撃を仕掛ける沙霧。『貰ったぁぁぁッ!』「不味いッ!」吹き飛ばされた衝撃で長刀を手放している彼は、現状で彼の攻撃を防ぐ手段が見つからない。短刀ではあの勢いを受けきることは先ず出来ないと悟った彼は、咄嗟に目に入った物を掴み、それを一気に引き抜く。周囲に響き渡る金属音、そして地面に何かが落下する音。『な、なんだと……!?』沙霧は、何が起こったのか理解できていなかった。確実に相手を仕留めきれると思っていた一撃……それを阻まれたことも驚きだが、何よりも驚かされたのは自分の長刀が真っ二つに折れてしまった事だろう。いや、正確には折れたのではない……鋭利な何かで切り裂かれたのだ。彼の長刀を真っ二つに切り裂いた何か、それは置き去りにされた吹雪の背中にマウントされていたシシオウブレードだった。『一体なんなのだ、その長刀は……』一先ず沙霧は武から距離を取り、驚愕の表情を浮かべながら先程の事態を理解できないでいた。耐久力の落ちた長刀ならまだしも、ほぼ新品同様といえるそれが恐ろしいほど綺麗に切り裂かれている。スーパーカーボン製の長刀を両断できるほどの兵器など、かつて自分は見た事が無い。それが彼の正直な感想だった―――「ブリット……確かにお前からの恩返し、受け取ったぜ!」彼の言葉に反応するかの如く、月明かりに照らされたそれは淡い光を放っていた。当のブリット自身、まさかこのような形で彼に恩を返す事になろうとは思ってもいなかっただろう。まさに紙一重と呼べる状況の中、九死に一生を得たとはこの事といえる。態勢を整えた武は正眼にそれを構え、沙霧を見据える。相手は動揺している……ならば今しか付け入る隙はない。「行くぞ、シシオウブレード!……俺に力を貸してくれッ!!」武は再び沙霧に向けて跳躍を開始、先程の出来事から立ち直れていない彼の反応は鈍い。行けると確信した武だが、予想以上に相手の立ち直る時間は早かった。折れた長刀を構え、武の一太刀を受け止めようとする沙霧。偶然とはいえ、さっきはそれを斬ることが出来た。ならばこの剣を受け止めることは不可能の筈……そう踏んだ武は更に加速し、改型の全体重を乗せた一撃を彼に見舞おうとするが、沙霧の投げ付けて来た長刀によりそれを阻まれる。その攻撃で右肩のスラスターが損傷するが、もう止まれない。多少勢いは弱まったが、このまま押し切るつもりなのだ。「一意専心ッ!うぉぉぉぉぉッ!!」戦場に木魂する戦士の咆哮。まるでブリットが乗り移ったかのようなその叫びは、改型に更なる力を与えているようにも感じられる。回避するしか方法がないと悟った沙霧は、慌てて跳躍を開始しようとするが、彼の咆哮によって体が硬直したように動きが鈍い。ようやく地面から足が離れたのは、彼がシシオウブレードを振り下ろし始めた直後だった。腰の辺りから斜めに両断される沙霧の不知火。だが、武の攻撃はまだ終わらない。彼は再び電磁粉砕爪を展開し、先端部分を沙霧の不知火目掛けて打ち出す。回避もままならない沙霧の機体は、それらに絡め取られ距離を取ることが出来ない。そして武は、彼を解放すべく最後の手段を講じる―――「腕部リミッター解除ッ!プラズマ・ブレイカー出力全開ッ!!」改型のリミッターを腕部のみ解除し、切り札ともいえる一撃を放つ武。先程不知火の左肩を損傷させた物とは違い、超高電圧の電流が容赦なく相手に浴びせられる。下手をすれば沙霧に致命傷を与えかねない程の威力だが、迷ってはいられなかった。だが武は、彼を殺す気など無い……電流を流すのはほんの一瞬、この衝撃で彼を昏倒させる事が目的だったからである。時間にしてほんの数秒ほど、要するに彼はこの兵装をスタンガンとして応用したのだ。これで彼が気を失ってくれなければ、全ては水泡に帰す。この兵装は、リミッターを解除せねば最大出力で使用することは出来ない。それ以外にも機体に過負荷を掛けすぎるという点から、滅多な事での使用を禁止されていた。いわばこれは、諸刃の剣とも呼べるシロモノだったというわけだ。「……沙霧大尉」『……』彼からは反応が返って来ない……死んではいないと思いたいが、今更ながらにやり過ぎたと武は後悔していた。だが、迂闊にその場で彼の安否を気遣っている余裕も無い。傍から見れば彼の行為は、帝国軍部隊の将兵を撃墜した事に他ならないからだ。状況が状況だけに、その場に居るほかの帝国軍兵も黙ってはいないだろう。そしてこの状況において、沙霧一人だけが操られていたとも考えられない。彼を操っていた何者かが、帝国軍兵をけしかけて来ないとも限らないのだ。「……何故仕掛けて来ないんだ?」しかし、彼の予想は大きく外れてしまっていた。沙霧の部下達は、隊長がやられたにも拘らず静観を決め込んでいる。まるでこちらに対し、全く興味が無いと言わんばかりの光景だ。仕掛けて来ないならば、それに越したことは無い。「……すみません沙霧大尉」未だ倒れている彼に対し、礼を捧げる武。沙霧をこのままにして行くのは正直心苦しいが、救助は帝国軍に任せる他無いだろう。このままでは埒が明かないといった理由から彼は、先に退避させた仲間と合流しようと考える。だがそれらの考えは、一瞬にして困難なものへと変貌してしまった。これまで全く反応の無かった帝国軍兵達が、一斉に武の方に向き直ったのである―――「やっぱり彼らも操られていたって事かよ……」『フッフッフ、流石だね白銀大尉。まさか君がここまで出来る男だったとは、思いも寄らなかったよ……』「誰だッ!?」不意に聞こえてくる耳に覚えの無い声……モニターに『Sound only』と表示されていることから、音声のみの通信なのだろう。顔は見えないが、その言動からは冷淡さや人を侮蔑したような態度が感じ取れる。『誰だと問われても答えようが無いな……どうしても私の事を呼びたければ『ジョン・ドゥ』とでも呼びたまえ。ちなみに階級は大佐だ……もっとも憶えてもらっても、君にはすぐこの世から消えてもらうつもりだがね』武は平然とした口調で物騒なことを言う男だと考えていた。この世から消えてもらうつもりという事は、間違いなくこの場から自分を逃がすつもりは無いという事だろう。だからと言って、そんな事に一々驚いてはいられない。彼は相手に対し、皮肉を込めた一言を返す。「英語で身元不明の死体?いや、名無しの権兵衛か……どっちにしても人に誇れるような名前じゃねえな」『そう邪険にあしらわないでくれないかね。先日、君達に壊滅させられた前線基地の礼をと思ってわざわざこちらから出向いてきたというのに……』「……ということは、あんたはシャドウミラーの人間か!?」『ほう、我らの事を知っているか……そういえばあの裏切り者達は、君達と共に行動しているのだったな』「何故こんな事をする?……お前達シャドウミラーの目的は一体なんなんだ!?」『私が素直に答えると思うかね?……と言いたい所だが、冥土の土産に教えてやろう』「闘争が支配する世界を作る……ってのは知ってる。俺が聞きたいのは、何故沙霧大尉達を操り、殿下を殺そうとしたのかだ!」わざと相手の話の腰を折り、相手を牽制する武。だがジョン・ドゥと名乗った男は、それらを全く気にしていない様子だ。『君が言ったことも理由の一つだが、我らが世話になっている国は、どうしてもこの国に介入したいらしくてね。その手助けのために彼らを利用させてもらったというわけだ……尤も彼らはただの捨石でしかなかったのだがね』「なんだと……?」『彼らがクーデターを成功させ、帝都が未曾有の危機に陥ればそれを阻止しようとする者が現れる。差し詰め今回の話に当て嵌めるとするならば、横浜の牝狐ということになるな。本来ならば、彼らを説得しようと将軍が接触した際に事を起こすつもりだったのだよ』「それを夕呼先生に邪魔された……だからお前達は、ここで殿下を殺害しようと試みたって訳か?」『残念だがそれは違う……結果的にそうなってしまったが、我らの目的は将軍ではなく影武者の始末。双方共に始末しないことには、計画は成功しないという事だったのでね』彼のいう影武者……すなわちそれは冥夜のことだ。その一言に驚いた武ではあるが、それと同時に今回の裏に崇宰が居るであろう事を確信する。彼にしてみれば、たとえ悠陽が死んだとしても冥夜が生き残っていれば事を上手く運べない。前回の世界では既に冥夜は死亡しており、悠陽を葬り去ることで何の障害も無しに将軍の座へと辿り着けた。だが冥夜がいれば、彼女が後を引き継ぐ可能性も否定は出来ないということなのだろう。『それにしても彼には失望したよ……折角帝都で行動を起こしやすいようにとお膳立てまでしてやったのに、事もあろうか将軍に説得され己の信念を枉げようとするなど……』「まさか、帝都の部隊が行動不能に陥ったのはお前達のせいなのか?」『この世界の機動兵器に搭載されているデータリンクシステムを用いれば、それくらいの事は朝飯前という奴だ。そしてそれを利用すれば、今の彼らのように人を操るのも非常に簡単なのだよ。だから君の取った行動は正しい。システムの介入を受けないようにするには、機体のメインコンピューターを損傷させるか、頭部ユニットを含むセンサーを破壊してリンクを断つ以外に方法は無いからな』「後催眠暗示じゃないのか?」『まあ、多少の暗示は掛けてあるとも……彼が頭を押さえ、苦しんでいるのを君も見ただろう?データリンクを介し、ヘッドセットから直接彼の頭に働き掛けていたという訳だ』淡々と説明を続ける男。だが、これでどうやって沙霧達を操っていたかが解ったともいえる。後催眠暗示によるものだと考えていたそれは、システムによるものだった。という事は、彼らを救うには相手の言った方法を取ればいいだけだ。問題は、自分一人でそれが出来るかという点なのだが―――「……良いのか?俺にそんな重要なことをベラベラと話して……」『言った筈だよ白銀大尉。君にはここで死んでもらうと……さて、そろそろ幕引きと行こう』彼がそう言った直後、コックピット内に無数のロックオンを示すアラームが鳴り響く。機体は大して損傷していないとはいえ、肉体には疲労が溜まっている。回避することは可能かもしれないが、それも時間の問題だろう。『さよならだ、白銀大尉……やれ!』「残念だけど、そうは行かない!エクセレン中尉ッ!!」『はいは~い、お姉さんにお・ま・か・せ・よん』『何ッ!?』次々と降り注ぐ弾丸の雨……それらは全て正確に展開している不知火達の頭部を撃ち抜き、一瞬にしてそれらを沈黙させる。更に言うならばその射撃は、頭部ユニット以外にもデータリンクに必要なセンサー類を全て撃ち抜いていた……しかも、機体を爆破させずにである。『流石は私、いっその事オリンピック選手にでも転向しようかしら?』『好きにしろ……すまん、遅くなったなタケル』「いえ、来てくれるって信じてましたよ。キョウスケ大尉」上空を見上げながら、彼らに対し受け答えを行う武。だが、空に居るのはエクセレンだけだ。レーダーを確認してみるが、周囲には誰も居ない。「大尉、一体何処から通信を?」『悪いな、もうすぐ到着する……』「えっ?」依然レーダーには何の反応も無い。だが、一つのセンサーが何か接近するものを捕らえた。「振動計が反応?……まさかッ!?」現状で地下からのBETA接近は考えられない。もしそうだとしても、振り幅が小さすぎる。まさかとは思いたいが、恐らくそういう事なのだろう。そしてその直後、大地が激しくゆれ動き、武の眼前に眩い光が地面から噴出される。それらは地面に大穴を開け、まるで何かを呼び出すために作られた門の様だ。続けて飛び出してくる大小様々な機体……声の主であるキョウスケを先頭に、二機のアシュセイヴァー、そして腕を組んだ状態で現れる巨大な人型機動兵器……グルンガスト参式である。「……そんな登場の仕方ってあります?」『まあそう言うな……』『俺達も好きでこんな方法を取ったわけじゃない、これがな』『ちょっとちょっと、相手に気付かれずに接近する方法は、これしかないだろうって納得してたのはどこの誰よ!?』「……大体予想はしてましたけど、やっぱり発案者はエクセレン中尉なんですね」『でも、インパクトはバッチリだったでしょ?』『衝撃を通り越して、呆れられてるのだと思いますです。エクセ姉様』苦笑いを浮かべるエクセレンに対し、的確なツッコミを入れるラミア。そんな彼女のツッコミに、無言で頷く一同。しかし、今は和んでいる場合ではない。気を引き締めなおそうとする彼らの元に、接近を知らせる警報が鳴り響く。そして今ここに、ベーオウルブズVSシャドウミラーの戦いの火蓋が切って落とされようとしていたのだった―――あとがき第56話でございます。今回もまた多くは語らないでおこうと思います。感想、ならびに疑問に思ったことなどは、掲示板の方によろしくお願いします。追伸、全然関係の無い事なのですが、今更ながらに水樹奈々さんのファンになっちゃいました。最近の作業用BGMは、奈々様の音楽で統一中です(笑) お勧めの曲とかありましたら、是非ご一報下さい。それではw