「あ~きと~~♪アキトは私の王子様~~~♪」
妙な拍子を付けて歌を歌いながらミスマル・ユリカ艦長が歩いていた。
向かう先は食堂のようだ。
アキトがコックをしていると知ってから習熟訓練中でさえ毎朝毎昼毎晩食堂に食べに来ていた。
習熟訓練が終わり出港予定日である10月1日までの数日間は英気を養う為に休暇となっている。
そうなってからはほぼ1日中食堂でアキトが働く姿を眺めて未来の事を妄想していた。
ただ、よくその中に打ち勝たねばならない相手が加わってくるのではある。
その相手とは...
「げ!」
「人の顔見るなり『げ!』とか言う人には一生お姉さんなんて呼ばれたくないわね」
「うぅ...」
アキトの姉であるテンカワ・アオである。
今日は厨房の手伝いをしている為、ホウメイの横に立ってエプロン姿で鍋を振るっている。
カウンター越しではルリとラピスがその姿に見惚れていた。
しかし、そこへ1人の女性が現れた。
「あ、アオさん。ルリちゃんとラピスちゃんもこんにちは、今日はここなんですね」
「マナカ、最近何してたの?」
「研究が一つ目処付きそうだったからちょっと頑張っちゃってました」
ラピスはすぐにマナカへ走っていき抱きつきながら興味津々に問いかけた。
マナカはラピスの頭を撫でつつカウンターへ座ると、アオとルリ、ラピスへと説明した。
「そうなんですね。じゃあ、終わったんですか?」
「えぇ、また後でアオさんにお伝えするわね」
白衣を着た柔らかい雰囲気の女性の登場にユリカは呆気に取られていた。
しかもアオ達と妙に親しげに話していた。
そこへユリカのお目当ての人が厨房の奥から現れた。
「ホウメイさん、取ってきました。あれ、マナカさん!数日見ませんでしたけどどうしてたんですか?
ってユリカもいるのか、お前はまた何をしに来たんだ?」
「アキトさんこんにちは。研究に忙しくって、目処がついたからご飯食べに来たのよ」
「じゃあ、腕によりをかけて作りますね。といってもまだ炒飯しか合格貰ってませんけど...」
「クスクス。じゃあ、その炒飯をお願いするわね。大盛りでお願いね?」
「あいよ、大盛りっすね!」
そのやり取りにユリカは更に唖然となっていた。
マナカと自分との対応の違いだけじゃなく、その親しげに話す様子に嫉妬していく。
「あ、あ、貴女はアキトの何なんですか!!」
思い切り大声で指を指していた。
「...ユリカさん?」
「す、すいません...」
そしてその様子をアオはすぐに咎めていた。
特に食事を作ってる最中にアオを怒らせるととても怖い。
以前ユリカがアオとアキトがキッチンで料理を作っている時にアキトの邪魔をした時なんかは食堂の隅で延々と3時間説教されていた。
「えっと、艦長のミスマル・ユリカさんよね?初めまして、医療班並びに化学班担当のツキノ・マナカと申します。
私も艦長やアキトさんと同じくユートピアコロニーの出身なんですよ」
「え!?」
「それで、アキトさんとの関係ですが、詳しくは言えませんがアキトさんは私の命の恩人なんです」
「な!?」
「色々あって1年前から懇意にさせて頂いてるんです」
「!!!」
軽く頬を染め、その頬に手をあてて甘い溜息を吐くマナカにはユリカでは出せない大人の色香が漂っていた。
そんなマナカを見てユリカが感じたのはこの女性は敵だ!という事である。
「ま、負けませんから!」
「クスクス。私だって譲るつもりは毛頭ありませんよ?」
ユリカは精一杯目線に力を籠めて睨みつけるが、マナカから見れば恋に恋する女の子の精一杯の虚勢にしか見えなかった。
心の中では初々しいユリカの様子に微笑ましい感情を感じつつ、同時に自分では出せないその若さに嫉妬もしていた。
だからこそ、マナカにとってもユリカへアキトを譲る気は全く起きなかった。
そして女性限定の人間磁石であり、恋愛関係ではアオ以外敵わない鈍感王であるアキトがそんな二人の感情に気付くはずもなかった。
「はい、マナカさん。炒飯大盛りお待たせ。で、ユリカは何しに来たんだ。食べないのか?」
「食べる!私も炒飯大盛り!」
「わかったよ、ちょっと待ってな」
そうして、ユリカvsマナカによるアキト争奪戦という長い長い戦いの火蓋が切って落とされた。
ちなみに、エリナはナノマシンの事で意気投合しているマナカと協力し合ってアキトを二人の物にするという共同戦線を張っている。
ユリカにとっては正直荷が勝ちすぎている為に現状ではかなり劣勢なのだが、ユリカにその事がわかるはずもない。
しかし、そんな二人へ果敢にも戦いを挑む者がいた。
「でも、恋に恋するようなお嬢さんにもそろそろ賞味期限が終わっちゃうようなお姉さんにもない物ってあると思うんですよね。
初めましてツキノ・マナカさん、私は通信士のメグミ・レイナードです。あ、アキトさん!私も炒飯大盛りで一つお願いしますね!」
「あ、メグミさん?あいよ、少し待ってて下さい」
いつ来たのか、メグミもカウンターへと座り二人へ挑発的な目線を向けていた。
そしてメグミの物言いが頭に来たのか、ユリカとマナカはかなり厳しい目線をメグミへと向けていた。
普通の人が受けたらその場で泣き出しそうなきつい目線にも関わらずメグミはアキトの料理姿に見惚れていた。
「メグミさんも起伏の乏しい身体でよく言いますよね。アキトもやっぱり男の子です。前か後ろかわからないような身体には興味ないと思いますよ」
「そうね、最低でもDはないと厳しいと思いますよ。それと私が美味しい期間は終わりませんからご心配なさらずとも大丈夫です」
「ユリカさんは将来醜く垂れ下がるのが目に見えてる身体でよく言いますね。それと終わらない旬はありませんから強がりは言わない方が身の為ですよ」
そうして3人は先ほどよりも更に苛烈に睨みあっていた。
そこへ再度アキトが声をかける。
「はい、ユリカとメグミさんお待たせ。マナカさんも仲良く話すのはいいんですけど、冷えない内に食べちゃって下さいね?」
「はい。ありがとうございます」
そうして厳しい視線をお互いに向けつつ3人は黙々と炒飯を平らげていった。
それを眺めていたアオはルリとラピスへ小声で話しかけていた。
「ね、ルリちゃん、ラピス。私の周りも昔ってあんな感じだったの?」
「えぇ、そうですよ?」
「エリナとイネスもあんな感じだったよ。知らなかった?」
「...何で私は気付かなかったんだろう?」
そんな事を言って少し落ち込んでいるアオに、ルリもラピスも今のアオもそうなっているとは言えなかった。
事実アカツキとアキトを始めとしてサセボドックでの教練を受けている軍人達、更には整備士達と独身男性達はほとんどアオに惹かれているのだ。
無防備に男の気を惹く上に居て欲しい時、助けて欲しい時には何故か傍に居るという不思議なフラグ体質を持っているのに鈍感なアオにルリとラピスは戦々恐々である。
それからユリカとマナカにメグミの3人は炒飯を食べ終わると、一見和やかに見える棘と毒が入り混じった混じった世間話に興じていた。
ルリとラピスは流石に入り込みたくないらしく、少し離れて座ってアオを眺めていた。
次第に食堂が混み始めるとアオも気にしている余裕がなくなり、厨房はかなり忙しくなっていった。
食堂内ではホウメイガールズが慌ただしく動いて注文された物を運んでいた。
そんな中、ようやく話が一段落ついたのかユリカ達は疲れた顔をしていた。
そしてマナカがふと笑みを浮かべると口を開いた。
「ユリカさんとメグミさん、ちなみにね本当の敵は私達3人の誰でもないのよ?」
「「え?」」
「厨房をよく見てるとすぐにわかるわ」
マナカの視線を追うようにユリカとメグミは厨房へと視線を向けていた。
その厨房ではホウメイとアオ、アキトが慌ただしく動いていた。
それをしばらく眺めていたユリカとメグミはマナカが言いたい事が理解出来た。
「ほら、アキト。余所見してないでどんどん動く!」
「余所見してる訳じゃないよ。技を盗もうとしてるんだよ」
「そういう事は口に出す事じゃないでしょう。それにするなら私じゃなくてホウメイさんでしょう?」
「普段はホウメイさんの動きもちゃんと見てるよ」
仕切りにアキトがアオの動きを気にしているのだ。
アオも気付いてはいて普段は放っておくのだが、アキトの手元が疎かになりそうだったので軽く注意をした。
しかしアキトは見ていた事に気付かれていた事が恥ずかしいのか、咄嗟に理由をつけて弁解していた。
「そんな事言って、アオちゃんが来るとアオちゃんばっかりじゃないか」
「た、たまにしか一緒に出来ないからこういう時しか盗めないんです」
「はいはい、そういう事にしておこうかね」
自分の名前が出てきたホウメイは窘めるついでにアキトにお小言を言った。
その言葉にアキトは更にうろたえて頬を染めると更に弁解していく。
「ホウメイさんと私が言いたいのは見てても手は疎かにしないようにって事よ?」
「ぅわ、わかった。気をつけるよ」
「うん。まだまだ忙しい時間続くから怪我しないようにしっかりなさい」
「アキト、炒飯入ったよ!しっかり作りなよ!」
「はい!!」
これ以上うろたえさせると仕事にならないと判断したアオはそこでちゃんと説明した。
それを受けてようやく納得したアキトは気を引き締めて鍋へと向かっていく。
そんな様子を眺めていたユリカとメグミは気付いたのだ
【真の敵はアオ】
であるという事だ。
アキトの様子からアオに気があるのはほぼ間違いないだろう。
ただ救いがあるとすればアオとアキトが血の繋がった姉弟であるという事とアオからはそんな気配を感じない事だろう。
「二人ともわかったでしょ?アキト君もだけど、アオさんも相当の鈍感よ」
「「はい」」
「それにルリちゃんとラピスちゃんがいるとはいえ、あの二人は一緒の部屋に住んでるわ」
「「そういえば!!」」
「といっても中で個室に別れてるから大丈夫だけど、このアドバンテージを崩すのは至難よ」
「「!!」」
「だからと言って諦める気はないわ。むしろ私はアオさんが応援してくれるもの♪」
「「なっ!!」」
アオが応援してくれている。
その言葉にユリカとメグミは大きな衝撃を受けていた。
そんな二人に勝ち誇った笑みを浮かべたマナカは厨房へと声をかけた。
「お二人とも精々頑張ってね。クスクス。
あ、アオさん、アキトさんご馳走様でした。ルリちゃんとラピスちゃんもまたね?」
「あ、マナカさん!お茶菓子用意しておくので後で部屋に来て下さいね」
「マナカさん、ありがとうございました」
「マナカさんまた後でになりますね」
「マナカ、またね」
マナカはアオとアキトへ柔らかい笑みをかけ、ルリとラピスの頭を優しく撫でた。
そしてユリカとメグミへほんの一瞬挑戦的な視線を送ると食堂を出て行った。
そのマナカをユリカとメグミは悔しそうに眺める事しか出来なかった。
そして3人のやり取りを始終眺めていたルリとラピスは同じ事を思っていた。
(マナカ怖い)
女としての経験値の違いと1年の実績があるからだろう、マナカが一歩も二歩もリードしていた。
その夜、アオ達の部屋にマナカが訪ねていた。
リビングのテーブルを挟んでアオ達5人が座っている。
アオの両隣りにルリとラピス、その対面にアキトとマナカという位置だ。
その5人の話題はユリカの事だった。
「マナカさんにはユリカさんはどう映りました?」
「そうね、色々話したけど考え方が幼い所があるわね。
どこか自分中心に考えていて、自分の強く望む者は叶うって思ってるような感じを受けたわ」
「アキトはユリカさんと知り合ってから数日経つけどどう思った?」
「うん。昔と全然変わってなかった。いい事でもあるだろうし、成長してないとも取れるのかな?
でも、姉さん。なんでいきなりユリカの事を?」
アキトには何故アオがそんなにもユリカの事を気にするのかわからなかった。
それはマナカも同じ事で、アキトの問いに耳を傾けていた。
「う~ん。気になっちゃうのよ」
「気になる?」
「そ、アキトの事をずっと見てたって言った事あるよね?
一時期一緒に居たあの子の事も見てたからかしらね。
妹とか、娘とか...そんな感覚を持ってるのよ、あの子にね。
だから放っておけない」
身体を抱き締めるようにしてその心境を吐露したアオにアキトとマナカは息を呑んだ。
そしてアオの伝えている事は総てを語ってないにしろ真実である。
感情を知っているアオが思い返してみると、アキトをずっと見てた中でユリカへ実際にそういう感情を抱いていたようだったからだ。
そしてアキトとしては妻でありる愛しい人であり、同時にその妻から託された彼女をそれこそ放ってはおけない。
アオは自身の両腕を強く握りしめ縮こまっていたが、やがて力を抜くと息を吐いた。
その目には強い決意が宿っていた。
「...決めた」
「「「「え?」」」」
突然のアオの言葉にルリ達も驚いた。
アオはそんなみんなを見渡すと口を開いた。
「ちょっと人増やすね?」
「「「「え?」」」」
アオは矢継ぎ早に通信を入れていくと、そこにはフクベ提督、プロス、ゴートのウィンドウが開かれていた。
3人共に突然のアオからの通信に戸惑っていた。
「アオ君、急にどうしたんじゃ?」
「フクベ提督もプロスさんもゴートさんも突然呼んじゃって申し訳ありません。
ユリカさんの事で少しお話があってお呼びしました」
「ふむ。艦長がどうかしたのかね?」
「えぇ、ちょっと荒療治しようと思います」
「...説明してくれるかね?」
その穏やかでない響きにフクベ提督の視線が厳しくなった。
それを受けてアオは口を開いた。
─今の自分がユリカへ持つ想い。
─ユリカの危うさと近い将来起こり得る事への懸念。
─そして荒療治の内容と自分の役割。
それを事細かに説明していった。
「アオ君いいのかね?そうなると君は...」
「あの子の母親役を引き受けた時から覚悟はしてますから大丈夫です!
それで、アキトにはその時にお願いがあるのよね」
フクベ提督の心配する言葉にアオは力強く返答をした。
そして、そのままアキトへと話しをふった。
「俺に?」
「うん。あの子も感情的になると思うし、不用意な事を言っちゃうと思うのよ。
私も覚悟してるけど、もしかすると耐えきれないかもしれない。
それでもあの子の傍に居て欲しいんだ。あの子が無条件で信頼してるアキトだからこそのお願い」
「それだけ?」
アキトにとっては思ったよりも簡単なお願いに少し肩透かしを食らった感じだった。
しかし、簡単に考えているアキトにアオはもう一度お願いした。
「うん。私にはルリちゃんとラピスがいるけど、あの子独りになっちゃうから...
私がどれだけ取り乱してもだからね。お願いだよ?」
「う...わかった」
それはアオがどれだけ泣き喚いても、ブリッジからいなくなってもという事である。
それを一瞬想像して眉を顰めたが、他でもないアオの頼みなのでアキトは頷いた。
その返答にアオはほっと安堵した。
「アキト、ありがとね」
「いや、いいよ」
「アオさん。それで、いつ行うんですか?」
「あの子がアキト関係で下手な事をしでかした時になると思います。
何もない時にしても意味ないですから」
プロスの問いにアオは答えた。
そうなると、ナデシコが正式に出航した後になる。
「出航した後になりそうですが、不安材料は早めに対処しておいたほうがいいでしょうな
わかりました、私も微力ながらお手伝い致しますよ」
「うむ。俺も出来る限りの事はしよう」
「ありがとうございます」
話し合いが終わると、フクベ提督にプロスとゴートは通信を切った。
そしてマナカも自室へと帰っていった。
「姉さん。その、本当にやるの?」
「うん。今のアキトならあの子の危うさはわかってるんじゃない?
それに、あの子がアキト自身を見ていないことにももう気付いてるでしょ」
確かにアキトはそれに気付いていた。
ユリカが自分を活躍させるような采配をしている事。
アキトアキトと言って寄ってくる割に自分を通して憧れの何かを見ている事。
自分でも確証を持ってる訳じゃない事を言い当てられたアキトはふぅと溜息を吐いた。
そして苦笑交じりにアオへと呟いた。
「ほんと、敵わないな」
「お姉ちゃんですから♪」
「でもさ、そうなると姉さんがユリカを俺に相応しくする為に教育してるみたいに見えるんだけど?」
そんなアオに嫌味ったらしく冗談を言ったアキトだった。
しかし、その冗談にアオは至極当たり前のように答えていた。
「あれ、今気付いたんだ?」
「え!?」
「それじゃ、お休みね」
「あの、姉さん?」
アキトの再度の問いは虚しく扉に跳ね返されてしまった。
「…嘘だろ?」
アキトは呆然と立ち尽くしていた。