機動戦艦ナデシコ 最強AI グランマ!
『第3話 おばあちゃん出撃!』:Aパート
数時間後。
月面の基地から飛び立ったユーチャリスはボソンジャンプによって気の遠くなるような距離をショートカットし、火星上空へと現れていた。
目標は、ユートピア平原のはずれに位置する宇宙軍の研究施設だ。
かつてナデシコのクルーたちによって遥か宇宙の彼方へと放り出され、「火星の後継者」が回収し、結局漁夫の利を得るようにして宇宙軍が取り上げた遺跡の演算ユニットは、ここに保管されている。
現在その研究は地球・木連合同の事業として進められているが、水面下では技術を独占したいという双方の黒い思惑がぶつかり合い、場外乱闘じみた政治闘争が繰り広げられているという。
もちろんそうした駆け引きは別として、「火星の後継者」のようなテロリスト集団が再び現れないとも限らず、周辺には遺跡強奪を防ぐための厳重な警備態勢が敷かれている。
その強固な警備網を掻い潜り、遺跡にアクセスして必要なデータをダウンロードするのは至難の業といえるだろう。だが、愛する妻のため、アキトは敢えて死地へと飛び込む決心をしたのだ……
の、ではあるが。
「起きろ、クソババア!」
拳でコンソールを殴りつける。
火星の研究所へ急襲をかけるべく飛び込んだコクピットで、アキトはいきなり気力を削がれることになった。
「起きろっていってんだ! 出撃だぞ!!」
起動を命じたはずのブラックサレナが、うんともすんとも言わないのだ。
「セイヤさん!」
助けを求めるように叫んだが、
「知らねえよ!」
ウリバタケも、忌々しげに頭を掻き毟った。
「お前、何かコハルちゃんの気に触るようなことしたんじゃねぇのか? 自分の胸に手を当ててよく考えてみろ」
「してない! あとコハルちゃんって呼ぶな!」
この機体の名前はブラックサレナである。黒い百合の花言葉は「呪い」。秘めた悲しみを黒いボディに隠し、漆黒の宇宙に紛れるように飛び回る、そういう渋い機体だったはずだ。間違っても「コハルちゃん」などという浮かれた名称で呼んで欲しくはない。
『アキト、聞こえる、アキト』
不意にウィンドウが立ち上がり、ラピスの顔が大写しになった。
『AIの登録名と起動方法が変わってる。登録名を音声入力すれば、起動できるよ』
「登録名?」
聞き返したアキトに、ラピスはコクンと頷く。
『えーと、登録名称は「プリティエンジェル・コハル」。わかりやすくて良かったね、アキト』
ごん。
鈍い音が、コクピットに響き渡った。
「……」
アキトはコンソールに頭を打ち付けたまま、ふるふると肩を震わせていた。
『アキト?』
怪訝そうなラピスの声に、アキトはようやく顔を上げる。
「確認するが、ラピス。その名称を音声入力しなければ、サレナは起動しないのか?」
『うん。しかも声紋登録されてるから、アキトの声じゃないと無理だね。合成音声で試してみてもいいけど、多分弾かれると思う』
何しろ超古代文明の遺産であるオモイカネと、地球文化圏の生んだ天才オペレーター・ホシノルリが作り上げた、芸術作品ともいうべきAIだ。そんじょそこらの裏技で、セキュリティが解除できるはずがない。
「いいじゃねえか、テンカワ。呼んでやれよ。たった一人の肉親なんだろ?」
「顔も知らねえよ、こんな奴」
《こんな奴はないだろう。仮にもお婆ちゃんに向かってさ!》
不意にコンソールに灯が点った。
「起動した!」
ウリバタケが快哉を叫んだが、ラピスが水を差すように首を振る。
『まだだよ。AIの人格部分が起動しただけ』
サレナを動かすにはまだ足りないと、ラピスは冷たく指摘する。
《哀しいこと言うもんじゃないよ、アキト。お婆ちゃん情けなくて、涙出てくるよ》
「勝手に泣いてろ。それより発進する。早くサレナを起動させてくれ」
アキトはあからさまにイライラした声で告げた。ただでさえ、愛する妻が生命の危機に曝されているというのに……こんなところでAIの与太話を聞いている暇はない。
《だから、そこのお嬢ちゃんが言ったじゃないか。登録名称をあんたの音声で入力すればいいんだよ。ほら、簡単だろう?》
「なんでいちいち、そういういらん設定をするんだ!」
ブラックサレナは機動兵器である。戦場を飛び回る戦闘機械だ。機体の名称をコロコロ変える必要はないし、無駄に長い名称にする必要もない。それを音声入力しなければならない理由は、もっとない。
《だってねえ、ほら。若い男に名前を呼んでもらうのって、嬉しいじゃないか》
「薄気味悪いこと言うな。だいたいどうして俺が、いちいちあんたを喜ばせなきゃいけないんだ」
《まったく、今時の若い子は、敬老精神ってものがないんだからね。かわいげのない孫で、お婆ちゃん、がっかりだよ》
願ってもないと、アキトは思った。これでこのAIに「かわいい」なんて言われたら、その場で雄叫びを上げてブラックサレナから飛び出してしまいそうだ。
《いいよ、それじゃあ百歩譲って、「お婆ちゃん」と呼んでごらん。それで手を打ってやろうじゃないか》
「誰が呼ぶか!」
《呼ばなきゃこのロボットは動かないよ?》
意地悪な笑いを含んだ声が、挑発するように響く。
こいつ、楽しんでやがる。
アキトは唇を噛んだ。今にも頭の血管がぶち切れそうだ。
必要があるとかないとか、そういう問題ではない。最初からこちらが嫌がるのを知っていて、こんなアホな難題をふっかけてきているのだ。察するにテンカワ・コハルという人物は、全身くまなくシンからガワまで、徹頭徹尾救いようのないほど意地の悪い女だったのだろう。彼女が死んだ時、関係者各位は盛大な祝賀パーティーを開いたに違いない。
――恨むぞ、ルリちゃん……
さっきのルリとの通信で、彼女の依頼を引き受ける代わりにこのAIの削除方法を聞き出しておけばよかった。あの時は勢いでOKしてしまったが、今となってはほんの少し、後悔している。
《ほら、あたしの力が必要なんだろう?》
必要なのはあんたじゃなくてブラックサレナの力だとアキトは叫んでやりたかったが、ぐっとこらえた。そんな言葉を発したら最後、またへそを曲げたAIが、どんな馬鹿馬鹿しい嫌がらせを押し付けて来ないとも限らない。
《簡単な言葉だろう? 言ってごらんよ。お・ば・あ・ちゃ・ん》
ふっと、耳元に息を吹きかけるような気配。不愉快だった。どうしようもなく不愉快だった。一番迷惑で低級な動物霊にでも取り憑かれた気分だ。
「……ゃん」
蚊の鳴くような声が、ぼそりと吐き出される。
《ん? 聞こえないよ。もっとはっきり言ってご覧》
「……」
アキトの唇が、わなわなと震える。
額にはくっきりと青筋が浮き出ていた。今にもぶちきれそうなその表情に、ナノマシンの輝きが華やかな色を添える。
ガツン、とIFSパネルに拳を叩きつけ、彼はやけっぱちな罵声で叫んでいた。
「お婆ちゃん起動! ブラックサレナ、発進する!」
「……言った」
呆然と呟くウリバタケを置き去りにし、黒い機動兵器は飛び立ってゆく。
モニターの中でみるみる小さくなるブラックサレナの背には、なぜかいつもより、哀愁が色濃く漂っているように感じられた。