オモイカネになってから数時間後、テンカワアキトはある筈の無い頭痛に頭を悩ませていた。
肉体が消失し、オモイカネそのものに近いモノになった事は、既に割り切った。過去に飛ばされた時に、あのぽんこつな体にいればどうせ長くは無い。おまけにラピスのサポートも受けられないこの時代では、状況はさらに悪化する。そこから考えれば、場当たり的だがまだマシだ。そもそも頭痛はそんな精神的なものではなかった。
「っう……」
脳の中心に細い電線を通され、軽い電気で痺れる痛みが延々と続く。初めは訳も解らず気持ち悪さにうずくまるだけだったが、後にこれは人間が感じる事の無い感覚を痛みとして捉えているんだとおぼろげながらに理解した。
自分がオモイカネに成り代わっている、つまり人間であった時にはあり得ないほどの、津波のような情報の渦の制御を引き受けている負荷が、痛みとなって伝えられているのだ。
だが、これは慣れの問題だろう。我慢できないレベルではない。だが、それよりもさらに重大な問題。
「これから、どうしようか……」
こんな身体では、何をするにしても支障が出る。何せ今のアキトの世界のすべてはナデシコの中だけの狭い世界。艦長無しではナデシコを自在に動かせるわけでもなく、オペレーター無しでは世界の情報を受信は出来ても手足のように操れるわけではない。自分ひとりでは何も出来ない。それどころか、誰とも話もできない。
世界に、独り。過去を改変するとか、復讐とか、それ以前の問題だ。
「……いや」
一人だけ、このナデシコで、『オモイカネ』と話が出来る相手がいた。
ホシノルリ。ナデシコのオペレーター。話し相手がいるのなら「ヒト」としての寂しさは和らげられるだろう、と思う。彼女に未来の記憶は無いけれど、新たな関係を作っていければと。
目を瞑って、空間に身を任せる。頭を突き刺す痛みが、ほんの少し和らいだように感じた。
だがそれは誤りだったかもしれないとアキト、いやオモイカネは前言を翻そうとしていた。
あれから数分、どこか用事に行っていたホシノルリと、コンソール越しに会話をしようとしていた。
勿論今の自分はオモイカネ、ナデシコにさえいればどこに行ったか調べるのは容易いこと。しかしいきなりそれが出来るようになったからといえ、即実行に移すほどそっちの倫理観は欠けていなかった。思いつかなかった、と言った方が正しいのかもしれないが。
ともかく、ホシノルリとのコンソール越しの初顔合わせが始まった。
「……おはよう、オモイカネ」
『おはよう、ルリ』
確か『オモイカネ』はルリちゃんを呼び捨てていたよな、と思い出しながら挨拶を交わす。さあどんな会話が始まるのか、と内心ドキドキしながら次の言葉を待っていたが。
「……」
『……』
「…………」
『…………』
「……………………」
『……………………?』
無言。ひたすら無言。どこまでも無言。
現実でも物静かな少女ではあったが、ここまであからさまに「……」を並べるような所までは行かなかったはずだった。
(何か、あったかな?気に障ったとか、おかしな所とか―――
もしかして、オレがオモイカネじゃないって気づいたとか? いや、まさかあれだけのやり取りで)
「……オモイカネ?」
『な……なんだい?』
「何か、用が?」
『な、何も無いけど』
「…………そうですか」
それっきり、再び貝のように口を閉ざすルリ。それ以降、仕事以外の『お喋り』は一切無いまま、ファーストコンタクトはたった数言で終了した。
「悪い所か、不自然な所でもあったかな」
見当がつかんと首を傾げるオモイカネ。彼女はこんなに冷たい少女だっただろうか?冷徹という意味ではなく、ただ相手に何の感情も持たなさそうな喋り方をする子だったか?消えかけている思い出を掘り起こし、オモイカネは自らに問いかける。実際はオモイカネが昔のルリ、いわゆるナデシコに乗ったばかりのルリを知らず、以前はそんなに喋る子供では無かっただけなのだが、そんな事情は知る由も無かった。
*
「プロス君、アレの進行状況は?」
世界に名だたる大企業、その名もネルガルの会長アカツキナガレは、彼の信頼する数少ないやり手の部下、通称プロスペクターと俗に言う企業内の極秘事項について会話していた。不潔に見えない長髪に切れ者のモデル顔の若者アカツキに対し、ちょび髭に眼鏡以外特徴の無い中年プロスペクターのコンビは、しかし街中の雑踏に登場人物その一とその二で紛れ込んでいた。彼らの現在地はオフィスでも会長室でもなく、よりにもよって都心の有名なカフェ。外にテーブルが置かれたタイプのだ。アカツキ曰く、暗い所でばかり仕事したら気が滅入るからたまには広い外でのんびりと、との事だが、ただ単にうるさい秘書の監視もどきを回避したかったからというオチもついていた。
「現在、順調にメンバーは集まっています。キッチンに少し人手の余裕が欲しいですが、現地の近くにいい腕をお持ちの方が何人かおられるようで、そちらを当たってみようかと」
大声ではないが、必要以上に小声ではない。あくまで不審者にならず、注目を引き付けない。そして重要な点はピントを外して会話を心がける。
「実物は?」
「ほぼ100%です。一週間ほどで完全に終了するでしょう。メンバーの招集もそれに合わせてかけています」
「……僕の参加は?」
「勿論構いません。……エリナ女史が怖くなければ」
「それは勘弁」
仰々しくアメリカンジョーク並みに両肩を上げるジェスチャーのアカツキ。真面目過ぎたら肩が凝るからこんな態度もしてみる、と本人談だが、日頃の行いからどう見ても素だろうと言うのが周囲の公式見解だったが。
「僕も疲れたよ。あっちもこっちも偉い人達はわがままで、何とか押し潰す―――おっと、言いくるめるのにも一苦労。
……ま、アレの結果如何によってはまだ警戒が必要かな」
「手を返すと?」
「注意しすぎてし過ぎない事は無いさ。僕等の敵は木星蜥蜴だけじゃないからね」
あちっ、とコーヒーに息を吹きかけながら、アカツキは暢気に場違いな話を続ける。
「後続は僕が何とかカタを付けとこう。今動いてるのは?」
「表立ったのは一部あります。極東方面軍の治安維持局情報管理係です」
「へえ? 電脳世界担当の部署が、ハッカーもどきの事まで?」
「正確には、あそこの権藤と言う長官の独断による暴走のようですが。軍の上層部と繋がりがあったようで、手柄を取って舞い戻ろうと言う魂胆だと」
「やれやれ、オッサンのヒステリと過剰な欲望は怖い怖い。ま、僕達の目的はあっちの」
言葉を切り、こっそりと上に指を向ける。
空。太陽と青空しか見えないが、それだけでプロスペクターには通じた。
「ブツだけど」
「そうですね」
「……で、こっちのブツはどうなってるの?」
今度は指を下に指す。今度の意味は、地球の事。プロスペクターもそれを十分承知、脳内から書類を纏めて口で提出する。そもそもさっきから、二人は書類を一枚も出してはいない。書類を必要とする類の中身でもなし、何より証拠を残さなくてもすむ。
「地球の遺跡の事について、判明した事を報告します」
世界各地に、謎の建造物が現れた。そうプロスペクターは切り出す。
火星襲撃から遡る事半年前、偶然にも中央アジアの砂漠を横断中の冒険家が最初に発見した。紆余曲折を経てそれは軍に伝わり、冒険家の口を封じた上で早速建造物の調査に乗り出す。
そして判明したのは、その建造物は地上部はダミーで、本体は地下にある事。それはオーパーツに限りなく近く、圧倒的性能を誇るコンピュータであり、今の技術では解読が非常に困難である事。ただそれが動いているのは判明しているものの、何を以て動いているのか不明な事。それは上海、ハバロフスク、フィラデルフィア、コスタリカ、サウジアラビアの五つが確認された事。そして、それらと、それらを繋ぐ『線』が、纏めて『まるで他の世界から突然現れた』様子だった事。更に、何故かそれが現れたのと同時期、世界各地に謎の無人ロボット兵器が現れ、時に木星蜥蜴に、時に人間に攻撃を仕掛ける事―――第三勢力と軍は呼称している。
「で、現在は?」
「軍の特殊部隊と幾つかの民間会社が極秘チームを組んで作戦を取っている様ですが、作戦継続中だと言う事しか。異常なほど情報漏洩を恐れています」
「ふうん……ま、こっちはこっちでやる事をきっちりやろうか。
おや、失礼」
プロスペクターに断りを入れ、アカツキは携帯を取り出す。
「ふむ……ふん……ご苦労さん」
「どうしましたか、会長」
「悪いニュースだね、こんな時に。いや、いいニュースかな?」
言葉とは逆に微塵も悪いとは思わせない笑みを浮かべ、アカツキは静かに言い放つ。
「軍より先に、第三勢力に関連する『人間』を確認し、しかも確保したらしい。偶然に、だけどね」
「それは……」
「しかも第三勢力の技術を使ったロボット付き。少しは軍にアドバンテージが取れそうだ」
アカツキはいつもの柔らかな作り笑顔ではなく、欲望を前面に出そうとして抑え込んだ笑みを浮かべながら、ニヤリと口の端を尖らせる。
まるで、悪人のように。
あとがき
前のプロローグで出て来てない分のキーワードが少し出てますね。
後バルドフォースEXEがアニメ化する事にびっくりですよ。
次回でプロローグは終わるつもりです。それでは次回。