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女神は、それでも人の世は変わらないのか、と嘆いた。
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「それで? パフォーマンスが落ちた原因は?」
イネスはそう自らの部下に問いかけたが、帰ってきた答えは要領を得ないものだった。
それだけ意味不明ということだろう。
彼女は自らの直下の部下に関しては優秀な人材しか配置していない。
その部下が要領を得ないというならば、現状に答えを出せるものは、自分を残すのみということだ。
彼女は自らの持つ知識に照らして原因を想像することはできたが、さりとて解決法を見つけられるわけでもなかった。
全ての問題に解答が与えられるわけではない。
しかし・・・この不安定さはまるで、生物だ。
ハード(身体)もソフト(心)もどこも悪くないのにうまくいかない。
それは機械ではない。
生物のそれだろう。
「分かったわ。とりあえず待機系に手動でフェール・オーバー(切替)して。メインのパフォーマンス劣化については引き続き調査して頂戴」
それは正直なところ時間稼ぎに過ぎなかったが、それでも”他に”要因がないとは言い切れない。
了解しました、という声を背中で聞きながら彼女はその部屋を後にした。
◇◇◇◇◇
「つまり、大局に影響はないとそういいたいのかね?」
「ええ。オモイカネのプレゼンテーションは大成功です。現時点でこれ以上を望むのは酷というものでしょう」
何食わぬ顔でアカツキはそう相手に告げた。
そう、まさしく大局に影響はない。
「問題はこれ以後の展開をどうするか、ということだ。それについて算段はあるのかね?」
「次世代輸送システムについては、その骨子は既に出来上がっています。グランドデザインから、実際のシステムの構築レベルの話まで。まあこれとて、オモイカネをベースとした案ではありますが」
それならば、と相手は語気を強める。
「オモイカネの現状に問題があることは、憂慮すべき事態ではないのかね」
「そもそもテスト運用が始まったのが最近ですからね。部品単位でのテストを重ねていたとはいえ、トラブルはいくつか起こりうるでしょう」
それとても、問題ではなく、あくまで課題程度のものですよ、とそう付け加えた。
解決はなんとでもできる。そう嘯く。
それは事実ではあったが全てではない。
「ふむ。それではオモイカネシリーズの開発は順調なのかね?」
「ええ、まあ、それなりに。ベースがあるとはいえ、もうしばらくはお待ちいただきたいところです。詳細は別途提示しているスケジュールと定例の進捗報告にてお伝えしているかとは思いますが・・・」
アカツキはあえて分かっているはずのことを聞いてきた男の言をいぶかしみ、ほぼそれと同時にそれが呼び水であることに気づいた。
相手は、その程度の老獪さは持っている。
「実は、上の連中を説得するのに材料が足りなくてね」
まだ足りないのか、とアカツキは内心相手を罵った。
ネルガルは現在、軍事用途コンピュータの納入において独占的な地位を確保している。
それがオモイカネ級AIの納入だ。
それに当たりそれ相応の根回しを軍部に行ってきた。
まだ現状では予想の範囲内ではあるものの、全く人間の欲には際限がない。
俗物が、ともう一度心の中で相手を罵り、アカツキは営業用の表情で相対した。
◇◇◇◇◇
”オモイカネ”という仕組みがそもそも何のために作られたのか、イネスは知らなかった。
開発プロジェクト上は汎用演算機と謳っているが、現状でベクトルコンピュータや量子コンピュータを越えるブレイクスルーが必要だとは思えない。
そもそもがムーアの法則が破られたとはいえプロセッサの進歩により、コンピュータは十分な力を発揮している。
現状のまわっている世界がその証左だ。
そうであるならば。
オモイカネは果たして何のために作られたのであろうか?
科学において基礎研究とは、時折時代の要請とは無関係に目的なく研究されることがある。
しかし、このプロジェクトは基礎研究というには規模が大きすぎた。
何重にも施されたセキュリティを解除しながらイネスは思考する。
もし自分の愚考が的を射ているならば、恐らくはそういった単純ではないところに目的があるのだろう。
果たして、一エンジニアである自分がその目的に到達できるのかは分からないが。
―――まあいいわ。
彼女は思考を一旦留め置き―放棄ではない―、目の前の最後のセキュリティの解除にとりかかった。
その先はオモイカネのオペレートを直接行うことができる唯一の部屋だ。
◇◇◇◇◇
「それで?」
アキトは目の前の男に尋ねた。
「何、次もそんなに難しくない仕事ですよ」
眼鏡をかけてちょびひげを生やした男―プロスペクター―はそういってにっこりとうそ臭い笑みを浮かべた。
いつにもましてうそ臭さが増している。
そして、それを意識的にやっているのだからまた食えない相手だ。
つまり、この仕草は外堀なのだ。”ヤバイ仕事”だというシグナル。
「”マーシャン・サクセサ”という名をご存知ですか?」
プロスペクターの言葉を頼りに記憶を辿る。
「・・・ああ。聞いたことはあるよ。雑誌なんかでよくネルガルのライバルって言われてる会社だろ?」
正確にはコングロマリット(複合企業体)ですが、とそう補足してプロスペクターは後を受けた。
「そのマーシャン・サクセサ、私どもは略してMSなどと呼んでおりますが、どうも最近きなくさいのですよ。こそこそ私どもの会社を探っているようでしてね」
その程度のことはどの企業だってやっている。
問題の焦点が分からず、アキトは尋ねた。
「普通だろ? それぐらい」
「ええ。会社の動向を探る程度ならば問題ありません。ですが、こと”ノア・プロジェクト”のことに関しては見過ごせないのですよ」
―――ノア・プロジェクト?
アキトは自問する。聞いたことはある。
しかし実体は分からないという幽霊プロジェクト。
「で、見過ごせないというからには制裁するのか?」
頭にうかんだ疑問は留め置き、言葉を続けた。
今は深入りすべきではない。
「いえいえ、そんな物騒なことはしませんよ。とりあえずは腹の探り合いです。あなたの得意分野でしょう?」
「得意分野かどうかは知らないけど、金さえはずんでくれるなら何でもやるよ」
それに、プロスペクターは満足げな笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
次世代型輸送システムとは、”対外的”にはネルガルが最近最も力を入れているプロジェクトだ。
それが故にそのキックオフが近来まれにみる盛大さで催されたことは決して不自然ではない。
その一切の準備を取り仕切ったエリナ・キンジョウ・ウォンは一人、パーティーの様を見下ろしていた。
「俗物たちが集まって、まるでここは伏魔殿ね」
参加者は様々。
マスメディア、企業の重役、そして政治家。
この世で世の中を動かすための悪巧みを行い、そしてそれを実行するだけの力のあるものたちだ。
しかし、自分たちがそれを利用していることもまた事実。
持っていたグラスを傾ける。
シャンパンの泡がグラスのそこから巻き上がり、液体をかき回す。
それは不協和音のように、予定調和のように。
何はともあれ、これにてノア・プロジェクトは船出する。
自分でもその実体の全てを知りはしない、幽霊プロジェクト。
今のこの大規模なものですらサブプロジェクトでしかない、得たいの知れないモノ。
「エリナ君、こんなところで何をしているんだい?」
唯一パーティー会場を見渡せるVIPルーム。
暗がりのその奥から、相変わらずの飄々とした声が聞こえてくる。
全て分かっているのか、それとも分かっていないのか正直なところ彼女ははかりきれていなかった。
「会長、クリムゾンがMS(マーシャン・サクセサ)に吸収合併されたそうですわ。コングロマリットがコングロマリットを吸収する、近来稀に見る大規模なM&Aとのことです」
「ああ、聞いているよ」
さして興味のない口調。
この男の興味は果たしてどこにある?
彼女はそれを見たくて今の場所にいるようなものだった。
裏を返せばそれが分かれば、ここには用はない。
「最近より一層力をつけているようです。ノアの立ち上がり間もないということもありますし、何か手を打っておいたほうがよろしいのではないですか?」
「手なら打っているよ。・・・それにしてもエリナ君、男と女が暗がりの部屋にいるというのに、仕事の話しかできないのかい?」
そんなことはない。
単にその対象ではないだけだ。
これが、”彼”であれば少しは考慮するだろうけれども。
それにしても、手は打っている?
果たして何に対してどのように?
疑問は浮かぶ。
「私と会長との関係はビジネスの場において最もパフォーマンスが発揮できるものと考えておりますので」
「ふふっ。さすがは、エリナ君だね」
言葉遊び。
自覚している。しかしそれは、お互い様だ。
「それにしても、もう手を打っておられるんですか?」
「ああ、それなりに。君が関知するようなことではないけれどね」
ということは。
プロスペクターが動いているということだろう。
そう考えはしたがしかし、ここまで考えることすらも何かたなごころの上のような気がして、彼女は若干不快感を覚える。
だが、そこまで見越しての関係だと自分に言い聞かせて、彼女はただ無言でいた。
アカツキはそんな様を面白そうに見つめる。
この世の全てが計算どおりという顔をして。
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しかして、世の全てが全て計算どおりというわけにはいかない。
テンカワ・アキトはそう考えていた。
どんなに計算したところで綻びというのは生まれるものだ。
だから、計算したところで大した意味はない。
とはいえ物事をなすために段取りというものは必要で、そこには多少の計算が必要だった。
要は、計算が完璧だと思わないようにフェイルセーフまで考えることが重要なのだ、というところまでアキトは気づいている。
それが物事に実を結ばせるための近道だ、と彼は考えていた。
とはいったものの、今の彼には大してできることはない。
「さてさて、情報戦はラピスの独壇場だ。頼んだ」
「はいはい。分かったからアキト、今日はご飯お願いね?」
普段の日常家事全般はラピスが受け持っているが、ラピスが仕事をはじめるとその立場は逆転する。
従って家事全般をアキトが担うことになるのだが、これがなかなかどうしてそつなくこなせるのである。
アキトは基本的には内弁慶なのだ。外出先ではマメな一面を垣間見せる。
「んじゃ、結果分かったらよろしくな」
その言葉を背中で聞きながら、ラピスはコンピュータオペレート用のIFSインターフェースに手を置いた。
IFS―イメージ・フィードバック・システム―とは、思考による機械制御を実現させようというアプローチだ。
20世紀後半から、義肢の研究からバイオ・サイバネティクスが発達し、思考による義手・義足のコントロールというアプローチは行われていたが、23世紀現在、それはさらに押し進み自らの肉体とは縁遠い機械(コンピュータや工作機械)を操るまでになっている。
ナノマシンからなる副脳と直接に結びついた手の甲に刻まれるタトゥーが、ある特定のインターフェースと電磁的な干渉を起こすことで各種のオペレートを可能とするシステムだった。
生物特有の思考のファジーさをうまく単純化するための仕組みであり、基礎研究がなされていた頃は肉体への影響を鑑みて最も成功しないアプローチと言われていたが、現在、軍の機動兵器へ採用されるほどの技術となっている。
つまり、それだけ”使える”と判断されたということだ。
尤も、ネイティブ志向が強く、整形ですら頻度が減った地球ではあまり活用されていない。
しかしフロンティア精神にあふれ、実用的なものを積極的に受け入れる火星の住人はほとんどがIFS処置を施されているという。
そんなIFSは現在二系統に分類される。
制御系と処理系だ。
前者はパイロット、後者は管制室などでのオペレーターに採用される。
その後者のIFSを持ったものが、何を隠そうラピスだった。
余談だが、一見便利なIFSもだいぶ普及してきた最近、体への害がどうこうという話が一般世論に出つつある。
21世紀初頭の日本における携帯電話有害説のようなものだ。
しかしこればかりは長い目で状況を観察するしかない。
―――MSのネットワークに侵入するのは・・・一ヶ月ぶりぐらいかしら? ”バックドア”、まだ生きてるといいけど。
彼女はネット上では”ファントム”とネットワーク管理者から恐れられるクラッカーだった。
ネットからアクセスできるほぼ全てのコンピュータにアクセスし、侵入したことがあるといっても過言ではない。
そんな彼女だから、ネット上でネルガルに並んで堅牢といわれるMSの社内ネットワークにも侵入したことはあった。
―――相変わらず、入っちゃえばゆるゆるのセキュリティねぇ。
心中で呆れる。
しかし今はそれが利用できるのだから、杜撰な管理に感謝しておこう。
彼女は迅速に目的の情報を見つけると、慎重に、しかしできるだけ急いでMSの内部ネットワークから離脱する。
楽勝だからといって油断できるわけではない。
そしてネット上に展開していた自分の”意識”を現実に引き戻し、一息吐いた。
すぐさま手に入れたデータをメディアに焼きこみ、端末からデータを消去する。
この手のデータはすぐさまスタンドアロンのストレージに保存しておかなければ安心できない。
ネットにつながる端末はあくまで端末なのだ。
「アキトぉー」
声をかける。
「んー? 終わったかぁ?」
腰につけたエプロンで両手を拭きながらアキトが寄ってくる。
「とりあえずわね。あと、情報取れるだけ取ろうと思ったんだけど、やっぱりネットからつながってるとこには大した情報はないわね。スタンドアロンのコンピュータに保存してあるんだと思うけど」
「まあそうだろうな。いいさ、ないってことが分かっただけでも」
言って、くしゃっとラピスの頭を撫でる。
「ありがとな」
「ううん。これぐらい余裕だよ」
そう強がる声は、どこか照れを帯びていた。
◇◇◇◇◇
-続く-