たとえばこんな逃亡者 ケース1
「ご主人、後方1万2000キロにジャンプアウトレット開口。
抜けてくる質量推定約6万、ナデシコCかと思われます」
「おう、相変わらず良い耳と、良い足をしている」
真っ黒くろすけな格好でフルリンクシートに深く腰を下ろした姿勢で、テンカワアキトは、ウインドウに表示された後方からの望遠映像を視界に収めつつツヴァイ・オメガへ応えた。
ユーチャリスという名前を持つ戦艦のここは繰艦ブリッジというにはいささか狭い空間。
しばらく前までは、うす桃色の髪をした少女が勤めていた役割も彼が行うようになっていた。
うす桃の少女は、彼の知り合いの女性が引き取っていた。
二年ほど前にこの恒星系において大きな反乱事件が起こり、その中で小さくない役割を果たしたこの船は、現在公の機関から追われる状況となっていた。
とりあえず、犯罪者として追われている訳ではなく、逃げ回る必然が有るわけでもない、ただテンカワアキトという青年の覚悟が未だに出来ないというだけにすぎない。
妻と娘に正面から向き会うだけのそれが、まあ半年経とうと、一年経とうと、二年が過ぎようと出来ないのである。
確かに、テンカワアキトという青年の心のあり様も変ってしまった。
人を笑って殺せるか殺せないかというのは、大きな心の変化だ。
そして事が終わったからといって、その変ってしまった心は、元へは戻ってくれない。
これには、テンカワアキトの余命の見誤りも関係していた。
彼の主治医であるイネス・フレサンジュは、当初余命を3年から4年と見積もっていた。
それほど火星の後継者のラボから救出された当時の彼の状態は、良くなかったのである。
ところが、彼が復讐と言う生きる目標を得た瞬間に、そんな余命問題は事実上消滅してしまった。
彼の生きる気力によって、彼の体は先ず回復し、そしてその命の息吹は力強さを完全に取り戻してしまったからだ。
些細な齟齬はそこに存在していたが、もはや余命は、10年20年のスパンで語るべき問題となっていた。
にもかかわらず、彼自身、テンカワアキトは、その最初に見積もられた余命を自身の余命であると、かたくなに信じてしまっていた。
というか、誰か教えてやれよ!
と言うわけで、彼は、そもそも自分がもはや長く生きられないと思っていたということもあり、心の有り様を変える事を厭わなかったのである。
たとえ事を成したあと、自身が生きていたとしてもそれはほんの一年もしくは数ヶ月の間のことだ。
たったそれだけの期間であるなら、心に重い闇を抱え込んでいたとしても、それは自分を追い詰めるようなことにはならないと踏んでいたのだ。
もちろんそれは間違って居なかった。
二年を経た今でも、心に抱えた闇は、存在しているものの、その闇に彼の人格そのものが飲み込まれるような事は発生していないし、多分、これからも発生はしないだろう。
しかし、心に抱えた闇は、彼の人格にそれなりに影響を与えたし、それは彼をその妻と娘に正面から向き会うことを躊躇わせる程度の変化を与えていたのだ。
もとちろん、それは逃げているだけでしかないのだが、この一年半ほど続いている娘との追いかけっこを彼はそれなりに楽しんでしまっていたというのが正直な状況だった。
「いかがしますか?」
「そりゃ逃げるよ~決まっているだろ」
「だからその逃げ方です」
やけに人間臭くツヴァイ・オメガが尋ねた。
このユーチャリスには一基の改思兼級超人工知性としてツヴァイと呼ばれるAIコンプレックスが搭載されている。
その音声フロントエンド人格がオメガということになる。
オメガはユーチャリスの他に、テンカワアキト操る「ブラックサレナ」
ウエポンシステムの簡易AIとしても搭載されている。
「だなぁ~、どうするべきだ?」
ひどくのんきにアキトが聞く。
「単純明快なのはジャンプによる離脱ですね。
四度も韜晦ジャンプを混ぜればいつものように撒けると思われます」
「お前さ、ジャンプシステムの二番が死んでるの忘れてるだろ?」
この宙域へジャンプアウトする前、そこで行われた対艦隊戦においてユーチャリスは不具合を発生させていた。
複数搭載しているボソンジャンプシステムの内、第二群と呼ばれる機器が故障したのである。
そのために、暫時の停泊場所として勝手に設定したポイントへのジャンプは普段ならば数度、全く関連性のない韜晦航路を適当に跳躍を行うのであるがトレースされる事を懸念しつつ二度のジャンプで比較的、人類の目が向いていない、いくつかある停泊ポイントの一つである地球と金星との干渉ポイントへ跳んだのであった。
要するに外惑星の開拓が盛んに行われようとしているこのご時勢に、内惑星なんぞに目を向ける人間はそうそう居ないのである。
というか、気象およびプレートテクトニクスの存在していない(金星にはテクトニクスは、あるが金属を濃縮する液体状の物質が存在できない)内惑星には、鉱脈というものが存在していないため開発コストをかける意味もあまり無いのだ。
「……も、もちろん忘れてなんておりませんよ」
なぜそこでうろたえる。
と内心で突っ込みつつアキトが言う。
「連続ジャンプは無理だな」
「となるとですね」
そのオメガをさえぎりアキトが指示を出した。
「とりあえず2G加速、コース変更、天頂方向、推進剤は使うなよ、重力機関だけだ」
アキトの目の前には、ユーチャリスを中心とした周囲30光秒の三次元スキャン映像が、表示されている。
天頂方向へそのまま移動すれば、デブリ帯へ突っ込む事になるだろう。
「デブリ帯へ突入して撹乱してジャンプですか?」
「そう思うだろ?」
アキトは人の悪い笑いを浮かべていた。
重力推進とは要するに推進方向へ重力場を作り出し永続的にそこへ落ち込むという推進方法だ。
そして重力とは、指向性を持つ力ではない。
デブリ帯などに突入すれば牽引重力場にデブリも引きずり出されとんでもない状況になることは目に見えている。
そしてナデシコCは、こちらの意図に気が付いているのか居ないのか5Gを超える高加速で、ユーチャリスの追跡に入っていた。
「ユーチャリスの前方空間にはデブリ帯があります。
それを使うつもりなんでしょうね?」
キャプテンシートの上で呟くのはホシノルリ少佐。
そしてそれに答えるのはタカスギサブロウタ大尉である。
「そうっすね、あの人のことだからデブリが集合しきる前に通常推進へ移行して、突っ切って集合デブリを盾にするとか人の悪い事を考えそうですがね」
「やっぱりそんなところですか、ではナデシコCは、それに先んじるため5G加速へ移行、ユーチャリスの頭を抑えます」
ジャンプシステムが不調であることは、戦場からの離脱に二度の連続ジャンプしかしていないことからも類推が出来ている。
ならば、追い詰めるのは難しくない。
ユーチャリスという戦闘艦の真骨頂は複数のジャンプシステムによる連続ジャンプとそれによる奇襲と鮮やかな離脱なのだ。
確かにグラヴィティーブラストを四門も搭載し連続照射が可能などといういささか単艦としては重武装である点に目が行きそうであるが根本はゲリラ的な単独行動なのである。
その逃げ足が半ば封じられている以上この時点でホシノルリをはじめとするナデシコCクルーが勝利を確信していてもまあ間違いではなかったはずだった。
そう、予想が当たっていたならば。
「ご主人、そろそろデブリ帯にかかりますしナデシコCも二千キロまで接近してきました」
「おう、推進カットするなよ、船体制御をこっちへ回せ」
「ご主人?」
いぶかしそうなオメガの声に、アキトは少し強い声で再び言う。
「いいからまわせ」
4年ほどの付き合いになるオメガであったが、未だにテンカワアキトの発想に付いていけない部分が合った。
まあここで抵抗する事もないので素直にフルリンクシートのリンクレベルを上げつつ船体制御をアキトへ回す。
いきなり牽引重力場が20Gなどという馬鹿げた推力へ引き上げられ、さらに船体各所の姿勢制御バーニアが吹き上がった。
高Gにひきつけられ、わりあいとゆっくり引き寄せられつつあったデブリ達が高密度に牽引重力場に集合する。
そしてユーチャリスの船体が振り回されると同様、重力場も回転を始め、デブリを伴ったまま接近しつつあるナデシコCの方向へベクトルが合致した瞬間、牽引重力が打ち切られた。
ユーチャリスはそのまま360度の回転運動を行い推進軸を元へと復帰させる。
「うわっ、ご主人これはひどい、ルリさん可哀相」
「うるせい、このまま離脱するぞ」
推定質量300トンほどのデブリ……その大半は、先のトカゲ戦役で発生した艦艇の残骸……がナデシコCーの直撃コースを突き進む。
「ユーチャリス回頭します!?」
オペレーターの一人がブリッジの総意のようないぶかしげな声を上げる。
だがその雰囲気も、デブリが離脱をするまでだった。
「デブリが一緒に離脱……した?」
やや唖然とした声のルリの表情が即座に硬く引き締まる。
「艦長!」
アキトの意図をようやく読み取ったサブロウタが叫ぶ。
同時に同様の結論に達したルリも指示を飛ばす……必要はなく、彼女一人の判断ですでに行われているが、総員へ通達するために口にした。
「コース変更面舵一杯!! 重力推進停止、逆進最大」
もちろんナデシコCは、ディストーションフィールドを張っている。
そして確かにディストーションフィールドは、一つ一つやってくる通常推進状態の相対速度下のデブリ程度ははじくことが出来た。
が300トンもの無数のデブリが相対速度で500キロメートル/秒を超えるような高速で突っ込んでくることは想定していないし、そんなものまで弾き飛ばすような出力は出せない。
であるが故の慌てようだ。
もちろんアキトはデブリを本当にぶつけようなどと意図はしていない。
ぶつかるかもしれないというぎりぎりの状況を作り出し相手の注意をそちらへ向ける事で自身は離脱しようというのである。
そしてその意図は見事に完遂されたのであった。
「……完敗です」
ようやくデブリを避けきったナデシコCが気か付けばユーチャリスはジャンプし、さらにその航跡を追うことも困難な時間が既に経過していた。
がっくりと肩を落としたルリにサブロウタが声をかける。
「すいません、俺がきちんとあの人の意図を読みきれなくて」
「いいえ、それを選んだのは私ですから私のミスでしょう。
はぁ、とため息を吐きシートに身を預けた。
「やっぱりユリカさんじゃないとアキトさんには追いつけないのかもしれませんねぇ」
すこしだけさびしそうにルリは、もはやいくど目になるだろうそんな科白をため息のように吐き出したのだった。
あとがき
お久しぶり、はじめまして、説明おば・・・ではなく、もの書きの朝倉響です。
ナデシコ久しぶりに書いたら困ったことに書きやすいです。
困ったもんです。
でこの話しですが、こんな感じにトムとジェリー状態のアキトとルリとユリカの話を書いていけたらと思ったりしているところです。