某軍事組織の大佐が拉致されて1週間程が過ぎた土曜日の昼下がり。
この天気の良い休みの日に、一人の少女がキッチンでタマネギを刻んでいた。
「うぅぅ……」
格好はいつも着ている軍服ではなく白のワンピースにエプロンを着けた服装、アッシュブロンドの髪を三つ編みにした彼女は、その魅力的な灰色の瞳から大粒の涙を流しながら黙々と手を動かしている。
「あの……」
ふと気づいた様に彼女は、隣にいた黒ずくめの男こと天河明人に話しかけた。
「どうしたんだい」
「何でこんな事態になってしまったのでしょうか?」
「テッサちゃん……それはね……」
明人は、彼女――テレサ・テスタロッサの問いに答える。
「君がラピスの挑発にまんまと乗せられたからだよ」
9月17日 1800時(日本標準時)
天河邸
明人がいつもの様に夕食を作っていると、エプロンを着けたラピスが入ってきた。
「明人♪」
「どうしたラピス」
「夕食手伝う♪」
ラピスは、かなめの影響で中学時代から明人が料理を教えており、時々明人のことを手伝っていた。
「お!エライな~」
ある意味それは日常の風景であった。
しかし、この日は違った。なぜなら、現在の天河邸には1週間前からテッサが住んでいたからだ。
「うん♪タダメシ喰らいの誰かさんとは違う」
ピキッ!!
さりげなく、テッサを皮肉るラピス。
もちろん、聞こえるようにである。
「ラピスさん。それはどのような意味でしょう?」
「そのまんまの意味♪」
「……ッ!!」
「私は家事の手伝いやってるでしょ~、明人とメリッサはいつも仕事してるし~、バッタ達は24時間警備してるし~、後仕事してないのは……誰かな~♪」
「私も部屋のお掃除とかしてますよ!」
「あれ~?別にテッサのこと言ってた訳じゃないよ~」
あからさまな挑発を続けるラピス。
「そっか~。テッサもお仕事してたんだ~」
「………(怒)」
「でも、部屋の掃除くらい誰でもできるから、威張るもんじゃないよ」
ラピスの挑発にテッサもヒートアップしてくる。
「威張ってなんかいません!!」
「え~。でも、たま~に偉そうに見えるよ。た・い・さ♪」
その言葉に、テッサの堪忍袋の緒が切れた。
「ラピスさん!それは聞き捨てなりません!!」
さて、なぜラピスがこのような態度を取っているのかというと、テッサが星野ルリに似た雰囲気を持っている所為であった。
その為に彼女は、テッサが天河邸に居る現状に対し、かなりの不満を持っていたのである。
何とかしてテッサを困らせようと思っていたラピスであったが、それは困難なものであった。
まずは知力。
元々MCであるラピスは、電脳世界を渡り歩くうちに様々な知識を得ていた。そして現在もちょくちょくとネットの海を泳いでいる。その為か通常の高校生とは思えないほどの知識を有していたのだが、それはあくまで現在の世界における知識であり、ウィスパードであるテッサにとって大したものではない。
また、持っている知識を応用する力はラピスよりもテッサの方が優っていた。コレは普通の高校生活を満喫していたラピスと普段から研究・開発に関わっているテッサとでは考える力にかなりの差が生じたのである。
ならば運動神経はどうか。と言うと、コレは紛れも無くラピスの方が圧倒していた。
テッサは普段から何かにぶつかって『ずるべたーん!!』と転ぶ運動オンチ。明人から護身術を習っているラピスの敵ではなかった。ところが運の悪い事に、現在の体育の授業はテッサにとって唯一得意な“水泳”。そして、さらに運の悪い事に、ラピスは幼い頃のトラウマの所為で泳げなかったのである。
そして『留学生』という立場もテッサに味方した。通常、『転校生』というだけでも珍しいのに『留学生』である。その珍しさは天然記念物クラスだ。
このように、知力でも体力でもましてや運までもテッサに軍配が上がり、クラス一どころか学校一の人気者になってしまったのである。
そんな事態を重く見たラピスは最終手段に出た。護身術部に呼びだし、稽古と称して投げ飛ばす。あまり、良い事ではないのはラピス自身も自覚していたが、それぐらいの事をしなければイライラが収まらなかったのである。
そしてラピスは決行したのだが……結果は失敗。なぜなら――
『ねえテッサ。私護身術部の部長なの。良かったら放課後見てみない?私もテッサの(軍人としての)格闘術見てみたいし』
『すみませんラピスさん。私は生徒会の方に関わることになりましたので、放課後は忙しいのですよ』
『え?で、でも……』
『ああ、すみません。林水さんに呼ばれておりますのでこれで……』
このように誤魔化されてしまったからだ。
ならば家で!……とも考えたが、家にはミスリルのSRTであるメリッサ・マオがいる。迂闊な事をすると明人に迷惑をかけることになってしまうのである。
このような八方ふさがりな状態が続くと、日に日にラピスのイライラは高まり限界に近づいていった。
そんなある日、天は彼女を不幸に思ったのか一筋の光明を与えた。
「でも~。料理もろくにできないようじゃねぇ~」
一筋の光明。それは日本の高校の授業で義務付けられた科目、『家庭科』であった。
ウィスパードゆえに幼い頃からミスリルにいたテッサは、家庭科の授業など受けたことがない。そのため、
『テッサ!それ砂糖じゃなくて塩!!』
『えぇぇぇ!!』
という具合に、お約束な失敗を繰り返した。
ナデシコで明人に惚れていたあの3人みたいな料理……は作らなかったが、それでも“女”としてのステータスに差が生じたのは確かであった。
もちろん、ラピスがそれを見逃すわけが無い。
「そ、そんな事はありません!私にも……」
「だったら私と勝負する?」
「……え?」
その言葉を、待ってましたとばかりに、ラピスはビシッ!っとテッサを指差すと高らかに言い放つ。
「そこまで言うなら私とお料理対決しようじゃない。もし、負けたら一週間皿洗い!」
「なっ!」
はっきり言って、どうやってもテッサに勝算の見込みは無い。しかし――
「……いいでしょう。上等です!勝負しようじゃありませんかお料理で!貴女のその思い上がりをこの私が正してあげます!!」
テッサはその挑戦を受けてしまった。
元々、テッサも四六時中ラピスから変な視線で見られるので彼女に対して良い感情を持ってはいないのだ。
負けず嫌いであることやプライドの高さ、頭に血が昇っていたことも加わって、彼女は意地になっていた。
「吼え面かかせてあげる」
「それはこっちのセリフです!」
この瞬間、ラピスは心の中でガッツポーズした。
一方のテッサが、冷静になり己のした事に気付くのは、もう少し後の事だった……。
9月18日 1300時(日本標準時)
天河邸
そんなこんなで昨夜の出来事が発端となり、日曜日、つまり明日に勝負をすることになった。
互いが合意の上とはいえ、テッサに勝ち目など有るわけがない。
愕然としていたテッサだが、それを不憫に思ったのか明人がラピスに対するハンデという形で助っ人を申し出た。
日曜日まで明人がテッサに料理を教える事となったのである。
ラピスは反対していたが、明人の説得に渋りながらも納得した。
「そうそう、利き手で包丁を持って、材料を添う手は、猫の手のようにで押さえて」
「……明人さん。私大丈夫なんでしょうか?」
不安そうにつぶやくテッサ。
テッサは朝から料理の基本しか教わっていないからだ。
「なんで?」
「だって、包丁も握ったことがないんですよ……私」
明人はそんな彼女の不安を読み取り、その頭をそっと撫でた。
「テッサちゃんは呑み込みが早い。基本をしっかり身に着けて、手順を間違えなければ大丈夫。それにね……」
まるで昔を懐かしむかのごとく。
「俺が昔会ったことのある女性は、もっと凄かったから」
あとがき(いいわけ)
副題『子猫と子猫のR&R』
…なんか、ラピスが嫌な女になってる