始まりは突然だった。
『―――ごきげんよう』
その日、夕日が大地を赤く照らす時間帯に全世界の携帯端末から民家のテレビ、果ては軍基地のモニターなど全ての映像触媒に一人の男の姿が映された。
「なんだなんだ? テレビのドッキリかぁ?」
「端末が勝手に?」
街を行き交う人々は突然映像を映し出した端末や街角のディスプレイに怪訝そうな顔をする。それも当然だろう。突然映像が変わっただけではなく、その映像に写っているのが黒いバイザーに黒いマントの黒尽くしの男だったのだから。誰かのいたずらか、テレビの撮影だと思うのが常人の思考というものだろう。
『私の名はD。今日は全宇宙の人々に重大なことを申し上げるためにこの場をお借りした』
「なんだこの映像は!!」
連合航空宇宙軍司令部にて将校の大声が響いていた。
「わ、分かりません! 突然システムにハッキングを駆けられて瞬く間に…」
オペレータの下士官も理解できないというような様子で答える。彼自身、気づいたらこうなっていたとしか答えようが無いのだ。
それほどまでに早く、そして確実にハッキングが行われたのだ。
「ええい、早く止めないか!」
「は、はいっ!」
将校の命令に下士官はすぐさまコンソールへと顔を向け、操作を開始した。
「全く、戦時下だというのに……どこの馬鹿だ」
将校は苛立った口調で愚痴を漏らすが、大体のところで予想がついていた。戦争中だからといって何も木星蜥蜴とだけ戦っている訳では無い。この戦争の中で地球連合軍はかなりゴタついている。その隙を突いて各地のテロリストや反政府主義者などの動きも活発なものになってきているのだ。
恐らくこの男もそんな中の組織の一人だろうと当たりを付けていた、のだが……
『私は今、ここに宣言しよう』
「だ、駄目です! 映像が止まりません!」
「なんだとっ!!」
将校は大声と同時に急いで下士官の元へと駆け、ディスプレイを覗き込んだ。
「逆探知は? どこからこの映像は発信されている!?」
「そ、それが……」
下士官は困惑を通り越して、青い顔で言いよどむ。まるで幽霊でも見ているかのような顔で。
「連合宇宙軍の軍事衛星を経由して……」
『≪火星圏≫の独立を!』
「火星から…」
下士官の言葉を聞いた将校は呆然としたまま、顔を上げる。
そこには電波ジャックを行い演説を続ける黒尽くめの男がディスプレイに写っていた。
「司令部に緊急召集を」
将校は乾いた声で自分の副官へと呟いた。
「は……?」
だがどうやら副官も呆然としていたのか、気の無い返事をするばかり。
「早くしろ!」
「は、はっ!」
将校の一括でやっと我に帰ったのか、一目散に部屋から飛び出していった。
『連合軍は、我等火星の民を残し、地球圏へと逃げ帰った。持つべき責務を捨て、火星を見捨てたのだ』
ネルガル本社の最上階に位置する会長室。暗くした室内の空中に黒尽くめの男の映像がコミュニケによって映し出されている。
「本当に火星から? 間違いは無いのかい?」
その演説を見ながら、現ネルガル会長であるアカツキ・ナガレが机に肘を立てながら隣の秘書へと問い掛けた。
「間違い無いわ。その証拠に軍の動きが妙に慌しい。司令部に緊急召集も掛かったようだしね」
手にしたコミュニケに送られてくる情報を流し読みしながら、エリナ・キンジョウ・ウォン が躊躇いなく答える。その口調には全くと言っていいほど迷いが無い。
(……なんでそう迷い無く言い切れるのかねぇ)
内心不思議に思いながらアカツキは口に出さない。言ったらどうなるかは、長い付き合いから大体分かってる。やはり性格が大いに関係しているのだろうか。
「まぁ、本当だと仮定したとして……」
断言しないのはアカツキの立場故。一声で会社が動く為に必要以上に用心深くならざるを得ないのだ。もっとも、彼の性格が関係していないとも言い難いが。
「そうなると、例のプロジェクトの見直しが必要になるね」
「いえ、これはチャンスよ」
コミュニケを閉じ、テーブルの上にだんっと手を付いた。
「この時期に連合宇宙軍が火星に艦隊なんか送れると思う?」
「無理だろうね。月の戦況も芳しくないらしいし」
そのお陰でうちも助かってるんだけど、とは口に出さない。その辺りは二人とも理解してるので。
「これなら合法的に火星に行くことができるわ」
「なるほど。“地球圏の使者”という大義名分も立つ訳だしね」
視線をエリナから再び空中ディスプレイへと移す。
「計画を早めよう。軍への根回しもよろしく」
「わかってるわ」
『援軍も送らず、彼等は地球へと引き篭もるばかり。ならばっ! 我等は救済を求めない。平穏を自由を権利を、自らの手で掴み取る』
地球圏、そして火星圏からも遠く離れた木星―――その衛星都市国家たる木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体、通称“木連”の作戦本部にも、地球と同様の映像が流されていた。
長机に腰掛けるのは木連の軍事・政治を支える将校、高官達。その会話の内容は当然、たった今流れている火星の独立宣言についてだった。
「火星圏だと? まだ生き残りが……」
「ならば共に手を取り合うべきでは?」
「しかし彼等も元は悪しき地球人。信用できん」
「だが―――」
延々と意見が定まらない話し合いが続く。彼等もこんな突然の出来事で混乱しているのだ。ネットワーク的に繋がっていないはずの火星圏からの放送だということも原因の一つだった。
「―――静粛に」
ただ一人中央に座る壮年の男―――現在の軍事的指導者である草壁春樹中将だけが静かに声を上げる。
まさに鶴の一声というものか、先ほどまで喧騒を露にしていたその場が彼の一言によって静寂を取り戻した。
「今、事を運ぶのは迂闊。ここは情報収集に徹し、静観するべきだと私は思う」
不思議と響き渡る声が、その場にいる者達の心へと響く。これもカリスマと呼ぶのだろうか、その場の皆は一斉にそうだ、それが良いと直ぐに賛成の意を示す。
ほとんど同時に彼等は席を立つと、自分達の仕事をするために部屋から出て行った。そこに残っているのは草壁ただ一人。
「……………」
彼は何も言わず、黙したまま演説を続ける黒尽くめの男を見続けた。
『今一度言おう。私は火星圏の独立を、ここに宣言する!!」
地球が、木星が、火星が動き出す。史実には無い歴史を歩みだす。本来ならば有り得なかった出来事が、この先の未来にどういう影響を与えるのか、今だ誰も知りえない。