「電子の・・・・妖精・・・・?」
軍曹の思いがけない一面を垣間見て、動揺していたのだろう。訓練兵の一人が、呆然としながら独り言をもらした。発言の許可は下りていない。私語は厳禁である。
軍曹は見逃さなかった。
「そこ!ミナモト訓練生!私語は禁止だ。今すぐにグラウンドを10周だ、駆け足、行ってこい!」
1周が1kmのトラックである。10kmを駆け足は厳しいが、軍曹は容赦しない。訓練生も余計な口答えをすれば距離を増やされるのを知っているので、すぐに返事をした。
「了解しました。ミナモト訓練生、グラウンドを10周してまいります!」
すぐに駆け出した。
鬼軍曹がいつもの調子を取り戻したのを見て、教室はラピスの登場の衝撃から何とか立ち直った。だが、訓練生たちはまだちらちらとラピスに視線を送っている。
訓練生に相応しくない集中に欠けた態度を咎めようとして、教官は思いとどまった。
まあ、わからなくもない。電子の妖精はこの世代たちから見れば憧れの存在だからな。史上最少年齢の大佐で、宇宙軍の顔でもある。
この子を見れば、彼女を思い出さない者はいないだろう。
ルリ大佐と同じ金色の瞳。遺伝子操作の証拠だ。
「ラピス訓練生、自己紹介しなさい」
「・・・わかった・・・・・わかりました」
普段どおりに返事をして、さすがにこの場では問題があることに気づき、言い直した。
とんでもない所に来てしまった。
これまで言葉遣いを意識したことはないが、ここではそれは通用しないようだ。きっと、他にもいろいろと変えなければならない習慣があるだろう。
変えるだけでは済まないものもある。アキトにはしばらく会えない。
先を思いやり、ラピスは暗澹たる気持ちになった。やはり、あんな賭けはするべきではなかったのだ。絶対にアキトと離れない、と主張すべきだった。
アキトを思い出し、泣きそうになった。
でも、世界はラピスが思っているよりも、ラピスに優しいのだ。ラピスはそれに気づくべきである。
「慣れていないのだろう?無理をして言葉を選ぶ必要はない、ラピス訓練生」
ラピスの辛い半生を塗り替えるだけの楽しいことが、これからいっぱい用意されている。それが世界の贖罪だ。
「・・・・・うん」
よかった。そんなに悪いところでもないかもしれない。少しだけ、ほっとした。緊張も解けた。
自己紹介と言ってもさっきまでは何を言っていいのかわからなかった。
でも落ち着いたら、自分のことで知っていてもらいたいことを話せばいいのだと気づいた。
アキトの手、アキトの足・・・と言うのは駄目だといい含められているし、アキトのことは秘密だ。だから言いたいことはそんなに多くない。すぐに終わる。
「ラピス・ラズリ。12歳。ネルガルから来た」
ざっ・・・と。訓練生たちが姿勢を正した。背筋を伸ばし、まばたきすら許さぬ覚悟を持って目を見開き、拳は硬く握られ膝の上。足は踵までしっかり地面につけられ、一分の隙もない。
急にかしこまった訓練生たちを見て、ラピスはびっくりした。何か発言に問題あっただろうか?
少し待ってみたが、特に何を言われることもない。依然、訓練生たちは微動だにせず、ラピスを見つめている。ラピスの言葉を待っているのだ。
ルリとの二度目の邂逅を思い出した。リンクの引継ぎの時、あの女は何と言っていたか?自分に何と言ったのか?握手の時に言った言葉は・・・・・・・?
「よろしく」
彼らはその一言を待っていた。名前とか出身とか、年齢だって関係ない。
その一言で、貴方は我々の仲間となる。我々は貴方の仲間になる。
彼女にそう言われて、よろしくしない奴はいない。
いや、彼女だけが特別なわけじゃない。ここにいる奴らは、みんなその言葉で仲間になったのだ。
同期の桜というのはそういうものだ。
それがここの流儀だ。
訓練生たちの日直(訓練校は持ち回りの日直制である)が起立し、代表して返答する。
「ようこそ宇宙軍士官学校へ!我々訓練生は、貴君を歓迎する!」
残りの全員が一斉に起立、右足のカカトだけ浮かせて、ラピスの正面に向けて体を回し、音を立ててつま先から床に落とした。
カツン!
厚手の軍服がずばっと衣擦れの音を立てた。一人分の衣擦れだけなら聞こえもしないが、さすがに30人以上が一斉に動くともなれば、それだけでかなり大きい音がする。
敬礼した。
それは、教官への敬礼とは一味違うものだった。
籠められているのは敬意でなく、親愛でなく、友情ですらない。無心に、一心不乱の歓迎の意思だ。
色恋沙汰とか出世とか男子への対抗心とか、そういうものは微塵も見られない。仲間を迎える儀式の時くらいは、皆、わきえている。
ラピスも、見よう見まねで手の平を額に構えた。指先に力が入っておらずふにゃふにゃだが、そんな指摘をする野暮はいない。
「ありがとう・・・・・・・」
火星の後継者は未だ活動中であり、クリムゾンも相変わらずにネルガル、アキトと敵対している。
世界はまだ安定を取り戻していない。春はまだ遠い。
だが、ラピス・ラズリの人生について言えば、長い冬が明けるのは間近に迫ってきていた。
ミナモト訓練生も、グラウンドを回りながら上半身だけはラピスに向けて敬礼していた、と後に自己申告している。
校務員のおじさんは、下半身と上半身の動きが完全に分離しているミナモト訓練生を見て、腰を抜かして持病のヘルニアが再発してしまった。
他にも目撃者多数。監視カメラにも映っていた。
彼は先輩後輩を問わず、他の訓練生から、「かく、あるべし」と称えられることになる。
とまぁ、そんなこんなでラピスが新生活をうまいこと始めている時、ネルガルは相変わらずピンチだった。
「どうしてどうしてどうしてなの!」
会長執務室では、エリナが吼え、アカツキがなだめるという、いつもの構図が繰り返されている。
「そりゃ向こうの方が用意周到で頭がいいからなんじゃない?」
訂正。なだめるというよりは煽るという感じだ。
アカツキは新聞を広げて、エリナをうるさそうに横目で見ている。
お、クリムゾンの株がまた上がってる。こりゃエリナ君が怒るのも無理ないかな。
目が合うと難癖つけられそうだ。両手で新聞を開いて顔を隠し、アカツキは独語した。
改めて確認するまでもないことだが、エリナは控えめに言っても気の強い女だ。防御よりも攻撃を好み、やられたらやり返す主義である。
先日召集された統合臨時議会において戒厳令解除が賛成多数で可決され、ネルガルは統合軍の追及から逃れることができたわけだが、だからといって言いようにしてやられた恨みを忘れるエリナではない。
早速クリムゾンに仕返ししようといろいろと画策してみたわけだが・・・・・
あんまりうまくいっていない。
「だからさぁ、最初からうまくいくわけないんだよ。経営悪化の噂で株価操作なんて・・・・」
「途中まではうまくいってたんだってば。すまし顔したシャロンの涼しい目元を、睡眠不足のクマで真っ黒にできてたはずなのよ!」
噂で株価を操作するのは古典的ながらも効果的な市場操作の手法で、法的にはグレーゾーンの中でもさらに黒に近い、かなり際どい手法だ。
エリナはクリムゾンの経営状態が悪化しているという噂を、それはもうまことしやかに流したのである。公開されている有価証券報告書のデータを流用し、市場動向や報道から分析されるクリムゾンの現有資産データなどと比較して、今年度の利益がどれだけ減って、一株あたりの損益がいくらになるのか、というのを、専門家の分析にも耐えられるよう超高度に加工して各種ソースへ流し込んだ。
・・・火星の後継者との裏の関係を仄めかす怪文書と合わせて。
複数ソースから同じ話が出るということは、信憑性を高めることになる。それに、折り悪く(または折り良く)もクーデター直後であり、不安定な政情を警戒した市場はニュースに過敏になっていたせいもあって、エリナの作った偽データは見る見るうちに拡散し、あっという間に株価に反映されたのであった。
要するに大幅下落だ。
クーデター後も横ばいで何とか頑張っていたクリムゾンの株価は大崩落、ストップ安を巻き込みさらに下落、もはや誰にも止められないと思われたほどに勢いをつけてゼロを目指してしていたのだが、ある地点でぴたりと止まり、あろうことか逆に盛り返したのである。
まあ、よくあることだ。市場心理というやつはいつもいつも投資家を裏切るもの、不可解な動きをするくらいは予測済み、エリナは即座に売りを浴びせかけ、再び下落の潮流を呼び込もうとしたのだが・・・・・
クリムゾンはこの売りにも耐え、未だに上げ続けている。
これはどこかしらの介入があったとみて間違いないわけだが、問題は介入元の身元がはっきりしないということなのだ。エリナですら痕跡を追えないような、かなり複雑なルートを使って介入をしているようだ。
「あがってるってことは誰かが買ってるってことなのよ、だけど誰が買えるってのよ、あの勢いを止めて買い支えるなんて、並大抵のことじゃできないわよ。クリムゾン本体?、いえ、株が下がってる状態でさらに買い支えられるだけの資金を調達できるわけがない。でも他にリスクを負ってまで買い支える動機のあるところはない、きっとクリムゾンだわ、だけどわからない・・・どこから資金を調達してるのよ?」
シャロンを寝不足にするどころか逆に自分が寝不足気味なエリナは、真っ赤に目を充血させてチャートを読み返している。
介入タイミングや金額に何か規則性はないか、各主要市場の時差も考慮にいれつつ、カリカリと赤ペンで書き込みをいれ、数秒ごとに過去データとの対比を行い、手がかりを探している。
「そんなムキにならなくてもいいじゃない。クリムゾン株で儲けたんでしょ?証券担当が喜んでたよ、半期分の利益が一気に確保できたって。連日の市場の荒れ模様の中で利益出してるのはネルガル証券だけなんだから、お客さんの信頼もうなぎ登りで万々歳、信託商品の売り上げも大幅アップ。さすがエリナ君」
「そんなのは瑣末なことよ!」
企業幹部としてあるまじき発言。
とはいえ、エリナとしても先を見据えてのことである。
「今がチャンスなの、企業体力が似たもの同士、ネルガルとクリムゾンが戦えば総力戦でお互い一気に疲弊してしまうけど、火星の後継者との関連の噂が広がっている今なら、クリムゾンは派手に動けないわ。だからクリムゾンからの反撃を気にせずに一方的に直接叩きのめせる。こんなチャンスはこの先20年は無いかもしれないのよ」
「そりゃわかるけど・・・・あんまり突っ込みすぎると痛い目見るのはこっちだよ?」
上昇志向で出世欲、名誉欲に溢れるバイタリティ豊かなエリナと違い、アカツキにはそこまでの欲はない。チャンスがあればモノにしたいとは思っているが、蜥蜴戦争での陰謀がうまくいかなかったことを反省し、現状維持以上のことは望んでいない。
だいたいネルガルだって、昨今の市場混乱でけっこうきついのだ。まずは内部情勢を鎮めるところから始めるべきではなかろうか。
アカツキはそんな風に思っている。
「まぁいいや・・・・・、それじゃ僕はテンカワ君の後任引継ぎに立ち会ってくるから、後はよろしくね」
部屋の外にアキト達を待たせて、もうそろそろ10分になる。今のアキトは何の任務もない身なので、仕事を抱えるアカツキの都合を優先していたが、あまり待たせるのもよくない。
アキトの異動については、前々から考えていたことだ。彼は有名になりすぎた。ある意味では名声といってもいい。ならば、彼には別のふさわしい仕事がある。
後任の顔を見た時、彼はどんなに驚くことだろうか。アキトもポーカーフェイスがだいぶうまくなったようだが、まだまだ自分が未熟であることを思い知るに違いない。
できればエリナも同伴させたかったのだが。
「ええ、いってらっしゃい。私も行きたいけどちょっと忙しいから。よろしく伝えてちょうだい」
エリナは仕事に手を抜けない性質だ。せっかくのイベントにも参加できずにもったいないが、これが彼女の選んだ道である。だれにも文句は言えないし、彼女自身も納得している。
「わかったよ、それじゃあ」
一言断りを入れて、アカツキは椅子から立ってドアへ向かった。
カシュっとガス圧式ドアが横滑りに開き、秘書受付の前に出た。
会長執務室は、廊下との間に秘書受付が間に入っており、直接には執務室には入れないようになっている。これは要人警護のためで、秘書室にはスケジュール担当の秘書の他に、屈強なネルガルSSたちがそろって待機している。
執務室から出てきたアカツキの前後左右を固めるため、SSたちが一斉に立ち上がりアカツキを取り囲んだ。
弾除けのため自らを盾とするべく、彼らは全員、長身で肩幅の広い、ラグビー選手のような体つきをしている。首の太さなど、アカツキの太ももに匹敵するほどだ。
彼らには悪いが、頼もしいと感じることよりも鬱陶しいと思うことのほうが多いアカツキであった。
護衛がドアを開けたのに続いてアカツキが廊下に出ると、アキトとルリが退屈した様子もなく、微動だにもせず立ち尽くしていた。
彼らが立っている一角だけ、何か、照明が、暗いような・・・・そんな錯覚を覚えた。
ナデシコ時代は、明るく闊達なアキトと寡黙なルリの組み合わせに違和感があったが、今ではラピスとの組み合わせに劣らず、2人は馴染んでいる。
アキトを嫌悪するルリには不本意だとしても、アカツキにはそう見える。おそらく、他の人間にも異論はないだろう。
「お待たせ、行こうか」
廊下に出て2人と合流したアカツキは、挨拶もそこそこに、SSたちを引き連れて応接間へ向かって歩き出し、アキトとルリがつき従う。
「それで、どんな奴なんだ?」
アキトの疑問はもっともだ。後任への業務引継ぎの話を聞いたのもついさっきで、名前も教えてもらっていないのだから。
ついにお払い箱か・・・・
諦念と共に、アキトはアカツキの横を歩いている。
いつまでもアキトのような犯罪者を匿ってはおけないだろうとは思っていた。裏のエージェントとして動くにしても、自分は顔も名前も有名すぎる。機動兵器の操縦が巧みだからといっても、それが役に立つ場面も少ない。その上、ネルガル子飼いというのも最早秘密でもなんでもない。利用価値はとっくに失われている。
だから、いずれは切られる時が来る。殺されてから骨も残さず焼却または溶解というのが妥当なところだろう。
そんな風に思っていた。
処分されるとすれば、火星の後継者残党が一掃されて政情が落ち着いてからになると踏んでいたが、思っていたよりは早かったわけだ。
先日の統合軍の追及は辛くもかわしたが、次にどこかに目をつけられた時にもうまくいくとは限らない。
だからこのあたりでリスクを排除しておこう、ということで、このタイミングなのかもしれない。
既に本懐は遂げた。
これからアカツキに殺されるのだとしても、後悔はない。
抵抗する気もない。
ラピスの将来が心配だが、そこはエリナとイネスがいれば安心だ。あの2人はラピスのことを大事にしている。無碍に扱うことはないはずだ。
「会ってみてのお楽しみ、かな。初対面だけど、全く知らないってわけでもない男さ」
アキトがすっかり覚悟を決めているのにも全く気づかず、アカツキは後任の彼に会ってアキトがどのように反応するのか、のん気にいろいろと想像をめぐらせている。
何しろ、アキトにとって彼らは特別な人間だ。ユリカやルリ、その他の旧ナデシコクルーの中でも、ある意味では最も印象的な男たち。後任の彼は彼ら本人ではないものの、確実にあの男たちを思い出すよすがとなる。
きっと驚くだろう。それから、喜ぶのか、悲しむのか、はたまた怒るのか。
「ここだ。君たちはここから先は遠慮してくれたまえ」
アカツキはSSたちに向かって待機を命じると、アキトとルリを伴い、応接間に入室した。
本来ならば多重認証チェックが入室前に走るところだが、面倒を嫌ったルリがキャンセルしてしまった。
効率性を尊ぶのは、電脳業界で誰もが共通して持つ価値観だ。言い換えると横着ということになる。
室内には男が3人。月臣、ゴート、そしてもう一人。
入り口に背中を向け、マントを着込んだ時代がかった服装の男が、腕を組んで立っている。
男が振り向いた。黒髪、鋭く光る目、アジア系の平均よりはやや高い鼻、引き結ばれた唇。
額から左頬にかけて、左目をまたがった刃物傷がある。
鍛え上げられた筋肉が盛り上がり、実際の身長より一回り大きく見える。
美形ではない、男前。まさに偉丈夫。
ここにいる誰もが、彼の顔を知っている。
男は、ヤマダジロウや白鳥九十九と全く同じ顔をしていた。
「紹介しよう。君の後任になってもらうダイゴウジ・ガイ君だ」
さあ、びっくりするぞ~
ニヤニヤ笑うアカツキをつまらなそうに一瞥し、アキトはため息をこぼすように呟いた。
「整形か?死人の顔を作るとは、お前も悪趣味だな、アカツキ」
あれ・・・?
期待に胸を躍らせていたアカツキは、あまりにも平然としたアキトに一気に萎えてしまった。
最初の第一印象がこれでは、驚愕すべき事実を知っても劇的な反応を望めないだろう・・・・・。
ルリの方は、と様子を伺うと、やはりこれも無表情。こちらも期待はずれ。
「死んだ人の顔を作って、死んだ人の魂の名前を使わせるんですか?アカツキさんって思ったよりも残酷・・・」
おわ、これはマズイ!
常に無表情な彼らをびっくりさせて、表情の変化を楽しもうという気軽な気持ちだったのに、いつのまにやら人間失格のレッテルを貼られてしまったアカツキである。
焦って早口で言い訳した。
「いや誤解だよ、彼の顔は整形じゃないし、名前だって本名さ!ねぇ、ガイ君!」
顔を引きつらせたアカツキの呼びかけを受け、男――ダイゴウジ・ガイは苦笑しながらも自己紹介した。
「大豪寺凱という。俺は親にもらったこの名前以外を名乗ったことはないし、この顔も自前だ」
月臣が続ける。
「俺も最初は白鳥が化けて出たのかと思ったがな、この男はネルガルと雇用関係を結ぶ前からこの顔と名前だ」
「そうか・・・・」
言葉少なく、アキトはうなずいた。
死者の復活には生贄が不可欠というのがセオリー。死んだガイと瓜二つの男が俺の後任か。そして今度こそ、俺は死ぬ。俺が生贄になり、ガイが復活するということか。
ガイの復活と引き換えならば・・・無意味な俺の命の終わりにも意味があるというものかもしれない・・・。
この男の言うことが正しいのであれば、この凱という男はダイゴウジ・ガイが死ぬ前から大豪寺凱なのだから、アキトの死と引き換えの復活などは全く論理的ではない。
だが、アキトにはそう思えてならなかったし、そう思うことで不思議と心が安らいだ。
初代ナデシコで、ムネタケの逃亡を偶然目撃したせいで射殺されたガイ。まかりまちがえば、自分が代わりに殺されてもおかしくない状況だった。自分が生き延び、ガイが死んだことに妙な罪悪感めいたものを感じたこともある。
役目を終えたアキトが死に、ガイと同じ顔と名前を持つ男が自分の代わりを務めるというこの状況は、あの時のツケをようやく払えるということを意味するのだ。少なくとも、アキトにとっては。
「では凱、どんな説明を受けているか知らんが、俺の任務は非合法の破壊活動だ。命の保障はないし、当然保険もない。もしその条件に納得できるのなら、今この場で引継ぎを完了したいと思う。俺から言えることは、他には特に無い」
非合法活動なのだから、当然書類に記録を残したりすることはない。命令は常に口頭で伝えられ、例外的に通信で伝えられる時は何重にも暗号化され、その復号はラピスがやっていた。そして、ラピスの業務はルリが引き継いでいる。
つまり、アキトがやっていたのは、真実、機動兵器の操縦だけだ。彼にはそれしかできない。だから引継ぎといっても特にやることはないのだ。
凱は腕を組み、一つ頷いて見せた。
「了解した。ご苦労だったな、テンカワ・アキト。お前の今後の人生に幸多からんことを祈るぞ」
それはつまり、ネルガルに始末されるまでの猶予を、人生の最後の時間を心置きなく楽しめ、という意味なのか。
俺の処分がお前の初任務になるかもしれないな。
思わず口に出そうとして、思いとどまった。
ルリがいるところでそんなことを口走ったら、口止めのためにルリにも危害が及ぶ可能性がある。自分の生死などというくだらないことに、ルリを巻き込むことはできない。
「アカツキ、これで引継ぎ完了だ。俺はどうすればいい?」
アキトのやる気の無い投げやりな態度に、アカツキは失望を禁じえない。
今これから、アキトとアカツキは世界に打ってでるのだから。いやまぁ、打って出るのはアカツキだけで、アキトはその添え物というかなんと言うか、そんなものになってもらうわけだが。
とにかく、もっとしゃっきりしていてもらいたい。
「あのね、テンカワ君・・・」
言いかけて、アカツキはそのまま言葉を飲み込んだ。
人に言われてどうこう、という段階ではないのだ。料理人という人生の目標を喪失し、その埋め合わせとして復讐を選んだアキトだったが、その復讐も完結してしまった。次に何をするかは、アキトが自分で見つけなければならない。それまでは、こんなモラトリアムも悪くは無いのかもしれない。
できれば、次は平和的な目標を立ててほしいものだ、たとえば、親になるとか。エリナはきっと喜ぶだろう。
「・・・」
てっきり、ルリの監視の及ばないような場所にまで連れていかれるのだと思ったが、急に口ごもったアカツキを見てはたと思いつき、アキトは自分の配慮の無さに恥じ入った。
日常的に生死の境界線上で仕事をしていた自分に比べて、アカツキは平和な生活をしていた人間だ。
不要になったとはいえ、知り合いを自らの手で直接処分するのは憚られるのだろう。
だったら、やりやすいようにこちらでお膳立てをしてやるか。
「アカツキ、俺は自室に戻って休む。用があれば呼び出してくれ」
なるべく一人の時間を増やして、ルリとのリンクをいつでも切れるようにしよう。俺が殺される前後のことを知られれば、ルリにも危害が及ぶ。
アキトはわざと隙だらけの背中を見せながら言った。
「とても須佐之男と同一人物だとは思えん。なんなんだ、あの腑抜けは?」
アキトが去った部屋で、凱は憤懣やるかたなしといった風情でアカツキに文句を言った。
「いや、彼は彼でやる時はやる男なんだよ?ちょっと今は休息期間というかなんと言うか・・・」
弁護する声も弱々しい。アキトはこんなところで終わるような男ではないと確信している。凱の故郷からの来訪の兆候が検知されない間は、猶予期間だ。それがいつまで続くかは予測できない。
凱は、ふん、と鼻を鳴らし、ルリに向き合った。
「瑠璃さ・・・ルリさんもあのような男のお守りではお疲れになったでしょう。お部屋までお送りいたします」
恭しくルリにかしずき、頭を垂れた。
「?・・・はい。ではお願いします」
何か妙に礼儀正しい男に疑問を持ちつつも、ルリは凱を引き連れて部屋を出る。
二人を見送ったアカツキは背後を振り返った。
「ねぇ、何か面白くなりそうじゃない?」
月臣は肩をすくめながら首を振った。
「俺には男女の機微はわからん」
「むぅ」
ゴートが唸った。