<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

ナデシコSS投稿掲示板


[広告]


No.319の一覧
[0] それから先の話[koma](2007/04/21 14:27)
[1] Re:それから先の話 第2話[koma](2007/04/15 10:35)
[2] Re[2]:それから先の話 第3話[koma](2007/04/15 10:41)
[3] Re[3]:それから先の話 第4話[koma](2007/04/21 07:30)
[4] Re[4]:それから先の話 第5話[koma](2007/04/28 05:47)
[5] Re[5]:それから先の話 第6話[koma](2007/05/19 09:18)
[6] Re[6]:それから先の話 第7話[koma](2007/06/02 06:10)
[7] Re[7]:それから先の話 第8話[koma](2007/06/23 06:44)
[8] Re[8]:それから先の話 第9話[koma](2007/12/01 11:26)
[9] それから先の話 第10話[koma](2007/12/01 13:32)
[10] それから先の話 第11話[koma](2008/01/12 06:54)
[11] それから先の話 第12話[koma](2008/03/15 22:54)
[12] それから先の話 第13話[koma](2008/06/21 00:35)
[13] それから先の話 第14話[koma](2008/09/05 23:45)
[14] それから先の話 第15話[koma](2008/11/15 11:51)
[15] それから先の話 第16話[koma](2009/03/12 21:07)
[16] それから先の話 第17話[koma](2009/09/20 02:35)
[17] それから先の話 第18話[koma](2009/12/12 21:44)
[18] それから先の話 第19話[koma](2010/05/10 19:04)
[19] それから先の話 第20話[koma](2011/01/22 23:09)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[319] それから先の話 第16話
Name: koma◆81adcc4e ID:3cdca90c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/03/12 21:07
 火星の後継者に制圧されて以降、宇宙軍により運営を厳しく制限されていた宇宙空港だったが、先ごろ航路の安全確保がされたとしてようやく通常ダイアルに復帰していた。
 さすがに何もかも元通りとはいかず、そこかしこで警備員が目を光らせ、偏執的とも批判を受けている厳重な荷物検査など、まだまだ体制は平時には遠く、利用客数も少ない。

 砂漠の安宿を出て赤道近くの宇宙港に引き返したアキトは、閑散としたロビーでイネスから指定された月行の便を待っていた。
 手に握るチケットはイネスから送られてきたものだ。

 プラチナが箔押ししてあるファーストクラスの個室チケットは、ラーメン屋をやっていたなら絶対に購入できなかったであろう高額商品だ。
 あの頃は3人で暮らしていくだけで精一杯で、こんなものを買う余裕はなかった。
 帳簿はユリカとルリがつけていたのでアキトは詳しくは覚えていないが、おそらく半年分の収入に匹敵する金額だろう。
 いや、覚えていないどころではない。そもそも、収支には興味はほとんどなかった。ユリカとルリがやりくりしてくれるのを頼りに、好き勝手に食材を買い求め、原価や粗利にも注意を払わず、客の喜ぶ顔見たさに安く売っていた。
 最初はちゃんとした店の開店資金を貯めるために始めた屋台だったはずなのに、いつの間にやらラーメンを作って売るだけで満足してしまっていた。

 もともと外食産業は割りのいい仕事だ。客もそれなりに多かったのだからちゃんと料金を取っていればもっと儲かっただろうに、アキトの職人気質が災いして、あの時はずっと貧乏長屋住まいだった。

 ユリカとルリはその状況でもハネムーンの費用を貯めていたのだから、さぞかし苦労をかけたことだろう。

 ユリカは士官学校主席卒の才媛。軍の最高司令官就任目前だったミスマル・コウイチローの愛娘だ。
 ルリは公的な学歴はなく職歴もナデシコオペレーターのみだったが、彼女の出自もあいまって評価する声は高かった。
 高給が取れる職をいくらでも選べたはずの2人が、アキトに付き合って職を辞し、ラーメン屋台を引いて回る日々。
 二人の献身と愛情に、当時のアキトは胸を熱くしたものだ。

 だから、今更ながらに申し訳ないと思う。
 彼女らに報いてやることはもうできないからだ。彼女らが望んだ物をすでにアキトは持っておらず、一方的な負債はアキトの胸にシコリとなって残り続けている。

 そんな甲斐性の無い男が、月行シャトルのファーストクラスに大きな顔をして乗ろうとしているのだった。
 アキトは口元を歪ませた。
 自嘲の笑みだ。

 分不相応にもほどがある。自分の稼ぎに合っているのは・・・そう・・・

 キャンセル旅券の売り場に目がとまった。中でもエコノミークラスの旅券の下落は著しい。元値の20%割引で、ファーストクラスの1/20。
 
 貯金は全てラピスとユリカに送金してしまった。危険手当付のネルガルエージェントの俸給は一財産だった。人生の再出発に際して、ラピスもユリカも不安を覚えるようなことはあるまい。
 だから手持ちの現金がアキトの全財産で、それも残り少ない。割引されたエコノミークラスのチケットであっても、購入すれば小銭しか残らないだろう。
 それに、無職のアキトには収入の見通しがない。就職の当ても、当面無い。

 だからと言ってこのままチケットを使うというのは、どうなのだろう。
 3年前の惰弱だった自分ですら、金を恵んでもらうのは拒絶できたはずだ。
 ならば今の自分が、これを受け入れる道理はない。

 だがイネスの好意をつき返すのも狭量に過ぎる。もらったチケットは返さずに持っておき、エコノミーチケットを買って帰るとするか。

 わずかの逡巡の後、キャンセル旅券の売り場に足を向けたアキトを呼び止めたのは、若い女の声だった。

「アキトさん、旅券は持ってるはずですよ」

 すかさず脇に仕込んである銃に手をかけた。最新型メンテナンスフリーの光学発射式ではなく火薬発射式だが、マンストッピングパワーに優れた玄人好みの一品だ。
 自らを呼ぶ声にアキトが振り向いてみれば、帽子にサングラスで顔を隠した怪しい女が立っていた。
 細身で身長もアキトより低い。格闘能力は高くなさそうだ。女が着ているのは薄手の服で、武器を隠し持つスペースも無い。小さい女物のバッグを抱えているのが気にかかるが、あそこから銃を出してきたとしても、訓練を受けたアキトなら撃たれる前に女を射殺できるだろう。

 名前を呼ばれたことで一時緊張したアキトだったが、女がサングラスを外し、友好的な笑みを浮かべているのをかすむ目で何とか確認し、敵ではないと判断した。
 ただし、銃にかけた手は戻さない。彼に油断するということはない。

 ここにルリかラピスがいて五感補正をしていたならば、彼女が誰であるか、すぐにわかっただろう。
 しかし残念ながらルリは遠く38万kmの彼方、ラピスはリンクネットワークから締め出され、士官学校で勉強の最中だった。

 従って、かつて恋仲だった女を見分けることすら、彼には困難だった。

「君は誰だ」










 話にしか聞いていなかったアキトの障害を目の当たりにしたメグミは、声にこそ出さなかったものの、内心では激しい動揺を抑え切れずにいた。
 アキトの障害を少々楽観的にとらえすぎていたのだ。サポートがあったとはいえ戦場に出ていたという話も聞いており、一人で旅行にも行けるくらいならば、障害があると言っても大仰に騒ぎ立てるようなものではないと思っていた。
 まさか、ナデシコで生死を共にし、一時は恋人でもあった自分のことがわからないなどという事態は想像もしていなかった。

 絶句した彼女の雰囲気を察したアキトは、気遣うように、君の事を忘れているわけではない、と続けた。

「すまない。目と耳が不自由になってな。声を聞いて顔を見ただけでは、誰なのかわからない。名前を教えてくれないか」

 思ったよりもずっと深刻みたい・・・。あのイネスさんが診ているのに回復してないのなら、もう治る見込みは・・・。

「・・・メグミです。メグミ・レイナード。お久しぶりです、アキトさん」

 名前を聞き、アキトは「そうか」と頷いた。ロビーの高い天井を見上げ、もう一度、「そうか」と頷いた。

「君か。確かに。君だと分かってみれば、顔の輪郭や声の響きも、確かに君のものだ」

「貴方と話がしたい、と思っていました。アキトさん」

 言いながらアキトをじっと見る。メグミの目に映るアキトの様子は、再会を喜んでいるようには見えない。だからと言って疎まれている風でもなく、感慨にひたるようでもない。
 芸能を生業にしているおかげで相手の感情を推し量るのが昔よりも得意になったメグミだったが、アキトの表情からは感情らしきものを読み取れなかった。

 いや、読み取れないのではないかもしれない。
 もはや彼にとって昔の仲間など特別な感情を抱く対象ではないのではないか。輝かしいナデシコの日々を遠い過去の記憶にしてしまうほど、彼の3年は過酷だったのだろうか。

 不憫だった。

「私が送ったんですよ、そのチケット。一緒に話がしたくて。だから私と一緒の個室なんです」

「無用心だな。君は一挙手一投足を注目される立場なんだぞ。空港で男と待ち合わせなんてメディアに知れたらどうなるか、わからないわけじゃないだろう?」

 アキトはそう言うが、メグミの計画では、本当はここで呼び止める予定にはなかったのだ。

 ファーストクラスの乗客には専用の搭乗待機フロアが用意され、チケットを持たないマスメディアは入ることは出来ない。たとえ異性の同行者がいても待機フロアに入るタイミングさえ別なら、あとは中で合流しても外部の人間には知ることは出来ず、秘密は保たれる。
 待機フロアにアキトと別々に入り、そこで再会の挨拶を、と考えていたのだ。これなら無粋な邪魔が入る心配もない。

 だからアキトとの再会はもう少し先になるはずだったのだが、アキトがエコノミーに向かおうとしているのを見て、やむを得ず声をかけることになってしまったのだった。

「ちょっと予定外ですけど・・・。特別清純派で売ってるわけじゃないですし、構わないです。そうなったらそうなった時のことです」

 報道されれば間違いなく大ニュースになるだろう。今まで浮いた話一つなかったメグミ・レイナードに男の影がちらついたとなれば、マスコミが食いつかないはずが無い。週刊誌には根拠のない妄想を元にしたメグミの男遍歴が書き立てられ、ワイドショーレポーターからは卑猥な質問をされ、ファンからは剃刀入りの封書が届き、仕事だって降ろされるかもしれない。

 しかし、それが何ほどのことがあろうか。

「全然問題ないです」

 今回のアキトとの密会がきっかけで今の立場を失うことになったとしても、少しも後悔はない。
 打算でしか動けないような人間にはなりたくない。
 あのアカツキのような。戦争すらも自らの利益のために利用するような人間には、なりたくなかった。

 まぁ、そうは言っても無用なリスクを抱えることはない。

「でも心配してくれてありがとうございます。だったら、すぐにシャトルに乗っちゃいませんか?そうしたら、余計な心配をせずにいられますし」

「わかった。誘いを受けよう」

 言葉少なく、アキトは同意した。




 ファーストクラスの搭乗口は一般乗客用と完全に区別されており、個室は警備員が常駐する区画にある。飛行前に機長または副機長が直々に挨拶に訪れ航行予定を説明し、各個室には専属のキャビンアテンダントが割り当てられる。

 ここでもメグミの顔は知られていた。メグミと顔を合わせたプロフェッショナルの乗務員たちは、ちらっと眉を寄せることで有名人に会えた感激を控えめに表現し、ついで男連れであることに気づくと、したり顔で小さく頷いた。
 ファーストクラスを利用する客には公人も多く、そんな公人たちが秘密の恋人を連れて搭乗することは珍しくない。乗務員たちは客の秘密を外に漏らすような恥知らずではない。だからこそのファーストクラスである。

 離陸前のワインのサービスを断り、個室に入ったメグミは手荷物をキャビネットに乗せてソファーに座った。

「ワイン、断っちゃいましたけどいいですよね?」

「かまわない。酒は飲まないからな」

 下戸でもないが、アキトは好んで酒を飲むことはない。好きでもなかったしラーメンに料理酒を使うようなレシピは作らなかった。味覚を失ってからはますます縁遠くなっている。
 対してメグミは酒を飲む機会が格段に増えている。大きなイベントがあれば前夜祭、後夜祭に飲み、地方巡業があれば訪れた土地の名物を肴に地酒を飲み、撮影会があれば打ち上げで最低で二次会まで飲む。酒の味を覚え、利き酒の真似事もできるまでになった。
 ファーストクラスのワインともなれば高級な一品が出されるであろうし、後ろ髪を引かれる気分だったが、今からアキトと真面目な話をしようというのにアルコールはいれられない。

 未練を振り払うように、メグミは口を開いた。

「知ってます?アカツキさんがネルガル会長を辞職したこと…」

「ああ。空港でもニュースを流していたな。もしかして、話というのはアカツキのことか?あらかじめ言っておくが、俺はネルガルのエージェントを既にやめている。あいつのこれからの動向は教えられていない」

「アキトさんがエージェントを辞めたことは聞きました。いいことだと思います」

 メグミが知っているアキトと、眼前の黒一色の男とが同一人物であるとはにわかには信じがたい。だが彼はアキトと呼べば振り返るのだ。だから彼はきっとアキトなのであろう。
 3年前の彼は、戦いを好んではいなかった。火星の後継者からの救出以降は自ら志願し戦い続けていたというが、ユリカのために無理を押しているのだろうと思っていた。せめて彼の一助になるべく、火星の後継者の待ち伏せライブまで引き受けた。

 実際に会ってみて、メグミはアキトのことが分からなくなっていた。目の前の彼が纏う雰囲気は、明らかに3年前とは違う。
 3年でここまで変わるものだろうか。学生時代の友人と同窓会で10年ぶりに再会したこともあったが、こんなにも変わってしまった子はいなかった。

「単刀直入に言わせてください。なんでユリカさんのところに戻らないんですか?ユリカさんは何も言わないですけど、絶対に貴方を待っています」

 言っていて空しくなった。なんだか自分だけが空回りしている。ユリカの名を出しても、アキトの瞳がゆれることは無かった。ユリカへの気持ちが冷めてしまったのか。ナデシコの皆の祝福を受け、熱烈な愛を交わした2人が終わってしまったなどと、聞きたくはなかった。
 利権と憎悪が絡んだあの戦争の渦中、たくさんの人が死んで、身近な人も死んで、よかったことなんてこの2人が結ばれたことだけだったのに、それすらも無になってしまったのか。

 しかし、メグミは問うのをやめられない。溜め込んできた気持ちは尽きることのない衝動となり彼女を突き動かす。

「もうラーメン屋さんができないっていうのは聞きました。残念です。私、アキトさんのラーメン好きだったのに。でも、それでもいいんです。アキトさんが戻ってきてくれれば、また他にいくらでもできる事はあります。働けなくても、障害者認定を受ければ生活費は支給されます。私、これでも高額納税者なんです。アキトさんみたいな人たちでも安心して暮らせるように税金が使われるのなら本望です」

 勢い込んで腰を浮かし、対面のアキトの膝に手をつき、のしかかって口早に続ける。

「ネルガルのエージェントを解雇されたってことは、ネルガルにとってアキトさんはもう用無しってことなんじゃないですか?もしかして傷つきました?でも私はそれがとてもいいことだと思えるんです。もうネルガルで後ろ暗いことをしなくてもいいじゃないですか。人に恨まれるような仕事はやめて、ユリカさんのところに帰ればいいんです。ルリちゃんだってこの3年、本当に辛そうで…」

 そこで言葉を飲み込んだ。アキトがメグミの手首を掴んでいた。痛くはない。ただ冷たかった。
 昔、アキトとメグミは手を握りあい、散歩などしたものだった。あの時のアキトの手は、もっと熱かった。熱かったはずだ。それが好きな異性と触れ合うことへの熱情だったことは疑いない。今でもアキトのことを大切な仲間だと思っているが、付き合っていたあの頃のような恋愛感情は既に無い。

 熱を感じない。

 その落差がメグミを打ちのめした。不変の愛などないのだ。自分の気持ちがアキトから離れたのと同様に、アキトの気持ちがユリカから離れていくことも十分にありえるのだった。

「放してください」

 アキトはメグミを捕またままソファーまで押し戻し、座らせた。

 怖い。男に力ずくで押さえ込まれるのは、怖い。

「放して…」

 アキトは放さない。

「アカツキへの借りは大きい。俺を火星の後継者から助け出したのはネルガルのチームだ。奴の支援がなければユリカの奪還も成らなかった」

「いいから放してくださいっ!」

 怒鳴って手を振り払った。呆気なくアキトの手は振りほどかれ、メグミは少し冷静になれた。

「率直に言ってアカツキには感謝しているんだ。君の言うとおり俺が用済みだとしても、俺がアカツキへ借りを返さないという理由にはならない。少し小耳に挟んだんだが、アカツキから仕事を頼まれたそうだな。もし断る気でいるなら、考え直してくれないか」

 痛くも無い手首を擦りながら、メグミは答えた。

「いいですよ。ただし、アキトさんがユリカさんと会うって約束するなら。約束してくれるなら、アカツキさんの仕事を受けます」
 
 社長は乗り気でないし、マネージャーは明確に反対の立場をとっているが、メグミは正直に言ってアカツキからの仕事には興味があった。
 歌手の賞味期限は長くない。短期間で一気に売り抜けて引退するのでなければ、常に新しい挑戦を続けていかないとすぐに飽きられてしまう。話題づくりでも何でも、アカツキの仕事を受ければ次のステージに向かう転機になりそうだ、とメグミの直感は告げていたのだ。
 社長とマネージャー2人の反対を押し切ってまでアカツキの仕事を受けるのは気が引けて、どうしたものか悩んでいたのだが、もしアキトとの交換条件になるのなら渡りに船だ。社長とマネージャーには詫びを入れれば済む。
 もし、アキトがこの条件に同意するのなら、だが。

「いいだろう。考えを整理し終わったら、ユリカに会いに行く。だけど、ユリカとやり直すかどうかは別の問題だ。それでいいか?」

 果たしてアキトはメグミの提案を受け入れた。ならメグミに是非はない。

「とにかく会ってくれるのなら…、まずはそれでいいです」

 それきり、2人の間で会話が途絶えた。壁にかかっている時計を見れば、出発予定時刻を既に30分過ぎている。
 どうやら話している間に離陸していようだ。慣性制御が作動している限り、機体および搭乗者が加速のGにさらされることはない。呼吸器系や循環器系に持病がある人間でも、気軽に宇宙旅行ができる時代だ。もし火星が壊滅していなければ、重力が軽く環境が完全に人工制御されている火星は老人や傷病者にはすごしやすい療養地となっていただろう。

 アキトの故郷は、既に無い。

「ユリカさんの所に帰るのが一番なんです。もうアキトさんの帰れる場所は、ユリカさんの所しか……」

 ドンッという音がメグミの声を遮った。続いて振動が部屋を襲い、メグミの上半身が投げ出される。アキトは床に激突する寸前だったメグミの腰に腕を回し、そのままメグミをかばって伏せた。

 シャンデリアがガンガンと天井に打ち付けられ、照明がダウンし、消費電力の低い赤色灯に切り替わる。

 間髪いれず、警報が鳴り始めた。

「火災発生、火災発生、乗務員は速やかに消火活動を…」

 火災警報は唐突にブツッと途切れ、続いて空気漏れ警報が鳴り出す。

「エア漏出、エア漏出、乗客フロアの気密に…」

 さらに警報が変わる。

「電力低下、電力低下、エンジン稼動率が急速に低下、予備ジェネレーター破損…」
「センサーがデブリを多数検知、推力不足で回避不能……」

 バシャっと壁がスライドし、簡易酸素マスクが排出された。シャトルに備え付けられたマスクは真空空間での生存を目的としたものではなく、あくまでも船内の気密不足エリアで活動するためのものだ。事故にあってから救助が来るまでを真空中で過ごす場合の時間を完全に保障できる酸素量を確保するには、個々人に大きなタンクが必要になる。そんなものをシャトルの乗客全員分積むような積載量の余裕はない。

 1分ほど伏せていただろうか。アキトはメグミの上からどき、肩を貸して立ち上がらせた。

「メグミ、すぐに操縦室まで俺を連れて行ってくれ。もし火星の後継者の襲撃なら、訓練を受けていないパイロットでは逃げ切れない。俺が操縦を代わる」

 呼び捨てにされたことを意識する暇はなかった。

「自力で操縦室にもいけない貴方に何ができるんですか?ここで大人しくしてるべきです」

「今のシャトルはIFS制御系が必ず一系統は用意されてる。IFS制御式で俺に動かせない物は無い。それがシャトルであってもだ。いいから連れて行ってくれ」

 反論している場合ではないのかもしれない。彼が言うとおり攻撃を受けているのなら、このままじっとしているだけで事態が好転する可能性は低い。目の前のアキトが操縦のスペシャリストというのも事実だ。
 メグミとて命が惜しい。万が一の事態がおきているのなら、アキトこそが今の状況を打破できるジョーカーなのだ。

「こっちです!」

 アキトに酸素マスクを被せ、自分も酸素マスクを被って部屋を躍り出る。通路の気密はいまだ保たれていたが、空気漏れは続いているようだ。寒い。

 ファーストクラスは操縦室からもっとも近いフロアで、途中にはセキュリティのため鍵のかかった重い扉がいくつも立ちはだかっている。

 真っ直ぐに操縦室へ続く扉へ走り寄り、壁の受話器を取り上げた。通話ボタンを押して接続の確認をしないまま、

「乗客のメグミです。軍事訓練を受けたパイロットがここにいます。非常事態ならお手伝いさせてください」

 返事が来るまでに、すこし間があった。

「飛行時間は何時間だ?」

「機動兵器なら3000時間。航空機だけなら500時間だ。IFSに限るが、専門訓練も受けている。役に立てる」

「入ってくれ」

 簡潔な返事で扉の鍵がガチャリとはずれ、アキトはさっと中に滑り込んだ。








前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.024086952209473