第4話
時間は少し遡り、ホシノルリの昇進辞令発行の3時間前。
地球圏でも最大規模を誇る大企業ネルガルの会長と、押しも押されもせぬ宇宙軍トップのミスマルコウイチロウ提督の非公式会談が実現していた。
マスコミに嗅ぎ付けられれば、この非公式会談というだけでミスマルコウイチロウの失脚を狙えるだけのスキャンダルになりうる。
故に2人は直接会うことを避け、ラピスの支援を受けて通信経路および通信データを多重暗号化した上で、映像だけの会談を行っていた。
「提督、ライブの時はお世話になりました」
「いやなに、私も太鼓を叩くのは久しぶりで楽しませてもらった。機会があったらまた呼んでくれたまえよ」
火星の後継者が議会を襲撃した時のことだ。当代随一の人気アイドルMEGUMIとホウメイガールズのコラボレーションライブにスペシャルゲストとして参加し、議事堂で火星の後継者を待ち伏せしたのである。あれで一気にお茶の間のおばさんたちにアカツキの顔が知れ渡り、今ではネルガルの広告塔として広報部から強い引き合いが来ているほどだ。
「それでこの度のお話なのですが」
「テンカワ君の処遇か。ネルガルも厄介なことになったな」
地球圏で知らぬ者はない最強のエステバリスジョッキー、プリンスオブダークネス。緘口令が敷かれているものの、逮捕された火星の後継者の証言からテンカワアキトこそがその人であると既に知られている。公然の秘密というやつだ。
「ネルガルとしては彼を表に出すわけにはいかないだろう。だがそれは統合軍も同じことだ。統合軍に任せれば、彼を秘密裁判で死刑に処してくれるぞ。願ったりかなったりではないかね?」
眼光鋭く、モニターのミスマル提督がアカツキを睨んだ。
アカツキは今、人としての格を値踏みされているのだ。信頼にたる人間なのかどうか、返答次第ではこの会談は実りなき時間の無駄になる。アカツキの握る手の平に汗がにじむ。
「そりゃ、短期的に見たらテンカワ君にはこれ以上の利用価値がないっていうのは正論です。ここで切り捨てるっていうのも1つの手ですよ。確かにね。でもそれは無理なんですよ」
「ほう、それはまたどうしてかね?」
ミスマルは疑問を呈した。
「実はここだけの話ですが、ウチを牛耳ってる怖い人がテンカワ君にベタ惚れでして。テンカワ君の排斥なんて考えたら、マッドな研究主任と組んで本格的に僕を蹴落としにかかってきますからね」
ため息をつき、肩をすくめて答えて見せた。
だが、この答えはミスマルを満足させるものではない。むしろ不快にさせた。義理の息子にベタ惚れの女がいるというのもマイナスだ。アカツキも不用意な発言をする。
「つまり、君としてはテンカワ君を引き渡したい、と?」
「まあ、そうするのが正しい企業人なんでしょうけど、なんだかそんな気になれませんねぇ。やっぱり気持ちよく仕事したいじゃないですか」
「それが?」
ミスマルにはアカツキの言わんとするところがイマイチつかめない。気持ちよく仕事をするということが、今どのように関わってくるのか。
「利用するだけ利用して使い終わったら捨てるだなんて、そんなことは最低の人間のやることだ。僕は自分を許すことができないでしょう。トップが精神に鬱屈を抱えたまま経営を執るのって、企業としてはあんまりよくないですよね」
なるほど。
「ふむ」
60点だな。
自慢のひげに手をやりながら、ミスマル提督は視線を宙にさまよわせた。
赤点はギリギリ回避、追試はなしということでいいか。
そして、そのミスマル提督の表情を見ていたアカツキは、少しばかり肝を冷やしていた。
あれはこのくらいで勘弁してやるか、って顔だよね。100点満点は難しいとしても、即興としては上出来の部類だと思ったんだけどなぁ。それなら、そうだ。
ふと思いついたアカツキは、一瞬で思考をまとめ、逆にミスマルに問いかけた。
「ところでミスマル提督こそ、テンカワ君をかばうのにはいろいろとリスクを背負わねばならないお立場です。ご協力を期待できるのでしょうか?」
ほう。この若造、生意気にもワシを試そうと言うのか。その度胸に免じて、10点プラスだな。
「心外だね。アキト君はワシの娘婿だよ。ワシの息子同然であり、また親交厚かったテンカワ夫妻のご子息でもある。このミスマルが家族を見捨てるような柔な男に見えるかね?」
そうか。ミスマル提督はこういうストレートな表現を好むのか。さっきのはちょっと回りくどかったかな。
「いえ、失言をお許しください。提督が信義を守る方だということは存じ上げております。ご寛恕を」
率直な物言いに切り替えたアカツキに、ミスマルも態度を正した。
「承知しているとも。私こそ、君のテンカワ君に対する友情を疑ったわけではない。謝罪しよう」
ニヤリと笑いあう。
お互いを認め合った瞬間だった。利害だけではない、真の協調関係への第一歩である。
「では時間もおしていますので本題を。統合軍の我が社に対する要求の期限、何とか延ばせないでしょうか?できれば一ヶ月ほど」
ミスマル・コウイチローは少々驚いた。もっと明確に、統合軍の要求を撤回するように求められると思ったのだが。これは時間さえあればネルガルだけで解決できる、という意思表示か。少なくとも大きな借りを作りたくないらしい。その気概を好ましく感じた。
「一ヶ月かね?いや、さすがにそれは無理だ。統合軍としては次回の地球木連統合議会までに決着をつけたいはずだ。あと一週間もすれば臨時議会が開かれる。それまでにテンカワ君を処刑するなり何なりの功績を必要としているのだから」
本来であれば即日議会を召集するべきであるが、テロ直後ということもある。要人が一同に会するには、安全の確保が必要だ。それが一週間後になる。
「やはり。統合軍の狙いは、功をあげて軍縮を防ぐ、もしくは軍縮を最小限に抑える、ということでいいのでしょうか?」
「その通り。それくらいは君もわかっているだろう?」
「もちろんです。しかし僕が気になっているのは、統合軍の後押しをしているはずのクリムゾンです。彼らはテンカワ君が通常の法廷に立つのを良しとしない。もしテンカワ君の逮捕が避けられないのであれば、逆に統合軍を支援して軍事法廷で秘密裏に処理してしまおうとするのは明白です。クリムゾンが統合軍の背後に居るならば、テンカワ君の逮捕の目的は組織の維持だけでなく、テンカワ君の処刑そのものが含まれることになります。ここを明確にしたいのです」
なるほどな。統合軍の組織維持のみなら、ネルガルで解決策を示せるということだな。議会にパイプを作ったのか?しかしテンカワ君の逮捕自体が目的ならば、ネルガルの提案は無意味になる。統合軍との妥協もありえないわけか。
「残念ながら、私も統合軍の背後にクリムゾンがいるかどうかはわからん。いや、おそらくいるのだろうが、どの程度の影響力を持っているのかがわからん。何しろ、同じ軍とはいっても別の指揮系統だからな」
「では、統合軍の意思決定にクリムゾンが重要な役割を果たしている、と仮定しましょう。この場合、テンカワ君を狙っているのが明白です。我が社としては、テンカワ君引渡しには絶対に応じられません。統合軍の要求の期限の先延ばしができないのであれば、戦うしかありません・・・・」
断固とした口調の割に、アカツキの表情は暗い。戦うのは最後の手段なのだが、それしか選択肢が残されていないのだ。他にもやり方はある。たとえば策略として一旦アキトを差し出しておいて、後からイネスがジャンプで救助に行くというのもありだが、おそらくあの女傑2人はそういう選択も認めてはくれないだろう。テンカワアキトが不当に拘束されることをもう2度と許しはしないはずだ。
「軍と戦う気かね?正気とは思えんぞ」
これは失言だ。ネルガル法務部が聞いていれば、この一言を追求するだけでミスマル提督からかなりの譲歩を引き出せるだろう。これが非公式会談であり、議事録がないのは幸いだった。まあそれを言うならアカツキが軍への翻意を明かしたこと自体が失点なので、アカツキもこれを咎めることはなかった。
逆に同意した。
「僕もそう思います。社員のことを思えば、権力と真っ向から対立するのはよくないことなんです。でもウチの副会長も研究主任もそろって強硬派でして。あの女傑2人が結託すると、異議を唱えるのはかなり難しくなります。しかも初代ナデシコが宇宙軍に反旗を翻した前例を持ち出してきて、統合軍なんて一捻りにしてやるって息巻いてまして」
これは嘘だ。ブラフだ。エリナは政治的決着を望んでいる。イネスはイロクォイスの実戦データを欲しがっているようだったので、戦うとなれば喜ぶかもしれない。
「実際に勝算はあるのかね?」
ミスマルの目がきらりと光った。ルリからの報告にあった、ネルガル子飼いのおそらくもう一人のマシンチャイルド。気が進まないながらもアカツキが戦うという選択肢を真面目に検討しているということは、そのマシンチャイルドの力を当てにしているのではないだろうか。
「なくはありません。ウチにはテンカワ君もいますしね。非武装の社屋を狙われたらお仕舞いですが、宇宙空間で戦うのなら、テンカワ君と支援戦艦の一隻で形がつきます。ただ、その後が問題です。実際に軍艦を撃沈したとなると、本当に言い逃れができなくなります。それは避けたい」
「ルリ君と同じように電子掌握で艦の制御を奪ってしまえばいいだろう?」
てっきりマシンチャイルドのことを聞けると思ったのにお預けを食わされたミスマルは、自分からマシンチャイルドがいるのを知っているぞ、とほのめかしてしまった。
ここは本当なら、アカツキが自分から言い出すのを待たければいけない場面だ。それだけ、アカツキに心を許し始めたというところか。女2人に牛耳られているというアカツキの弱音に、ちょっとばかり同情してしまったせいもあるかもしれない。
「ナデシコCの建造にあたって実験艦ユーチャリスを建造しましたが、実験艦だけあって、ナデシコCの電子装備を完全には実装しきれていません。それに、操艦者もまだ未熟です。オペレーターとしての経験はルリ少佐の半分にもなりません。それに、その操艦者はテンカワ君のサポートに特化したところがありまして。それらを合わせて考えると、ルリ少佐と同じことができるかどうは不透明、望み薄です」
あくまで操艦者と表現するアカツキ。彼女のことを知っているとミスマル提督は言っているが、それでもその言葉をこちらで肯定することはない。まかり間違えば彼女の安全が脅かされる。必要もないのに、彼女の出自を語ることもないだろう。
まぁ、ルリと同列に語っている時点で肯定したも同然なので、これは「立場上明言できないけど、私は貴方に気を許していますよ」というメッセージになる。ここのバランス感覚が大事だ。
「うぅーむ・・・・・」
戦えば勝てるが、状況次第では社員に犠牲が出る。統合軍側にも当然損害が出る。その結果、ネルガルは権力との抗争を余儀なくされてしまう。統合軍側に損害が出ない勝利を目指すのが最上だが、しかし電子掌握は不可能。そこで政治的な決着を求めている・・・か。
しかしミスマルにも、統合軍に対してネルガルへの干渉をやめろ、と命令する権限はないのだ。統合軍へのコネは、一応ある。元部下や元同僚が統合軍に出向、あるいは転属しているからだ。彼らを通じて、ある程度のことはできるだろう。だが一旦発効された命令(この場合はテンカワアキトの引渡し要求である)を取り消させたりはできない。期限の引き延ばしも、1日2日ならともかく、一ヵ月は無理だ。
「すまないな。やはり力になれそうにない」
それを聞いても、アカツキはそれほど落胆はしなかった。
「いえ、こちらこそ無理なことを頼んでしまって・・・・・。では、戦うしかなさそうです」
秘書室の皆の分析では、議会が開かれるまでは議員の1人や2人と個別接触しても、政治サイドからの圧力は効果はないということだった。やはり議会の総意が重要なのだ。
政治的な決着が無理なら、実力行使にでる。
そして、実際に戦闘になるのなら、双方に被害が出ない方法をとる。だから電子掌握は必須の技術だ。
ミスマルもアカツキも、同じ結論に達した。
「ルリ少佐をお貸し願えますか?」
「それしかないだろうな。だが、ルリ君はいまや宇宙軍の象徴にも等しい。簡単にはやれん!」
その口ぶりは、かつてアキトに「娘はやらん!」と言ったあの時と同じだった。
「第一、ナデシコCを動かせる人間がいなくなってしまう。電子掌握は我々にも必要な技術だ。火星の後継者の残党は未だに活動しておる。万が一の時にルリ君がいなければ」
「ではトレードと行きましょう」
「トレード?」
ふぅ、こりゃ後で怒られるかな?でもこれしかない。ミスマル提督は信用できそうだ。妙なことにはならないだろう。
「はい。さっき言った、アキト君をサポートする子がいます。その子をルリ少佐とトレード、ということで」
「電子掌握は使えんのだろう?それでは意味がない」
「それは、実験艦とあの子の組み合わせの場合です。ナデシコCとなら、ルリ少佐ほどの速度と精度は望めないでしょうが、可能です。むろん、ルリ少佐と実験艦の組み合わせでも電子掌握は可能になります」
ミスマルは考えた。ルリ君もじっくりとアキト君と話す機会が欲しいだろう。宇宙軍だけのことを考えればメリットはないが、いや、もう一人のマシンチャイルドと縁ができるのも悪いことではないか・・・・・・。よし、ルリ君のためにも。
「わかった。それで行こう」
映像会談のために、握手は無しだ。だから、イスから立ち上がり、お互いにうなずいて見せた。
取引は成立した。