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No.29905の一覧
[0] NARUTO‐血風伝(旧題:ナルトをぷろでゅーす)[アビア](2012/06/27 12:11)
[1] [アビア](2012/06/19 18:49)
[2] [アビア](2012/06/19 18:51)
[3] [アビア](2012/06/19 19:26)
[4] [アビア](2012/06/27 12:14)
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[29905]
Name: アビア◆d587929c ID:5fcc5e77 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/06/19 18:51
 うずまき ナルトを火影にする。
 サスケがこの考えを第一目標として行動するようになったのは、なにも深謀遠慮あってのことではない。激し易くも聡明な「サスケ」の人柄から鑑みると彼らしくない、しかし、天性の直観力を持つ「うちは」としては、非常に彼らしい選択だった。



 アカデミー在籍中のことだ。うちは虐殺事件から、既に一年と半年ほどの月日が経過していた。
 季節は春の盛りである。この季節、やたらと心が弾むのに、理由は有れども、意味などないのだろう。ただ、その心地よさに身を任せ、享楽に耽りたくなるのは、人間、動物の区別なく共通の心理に違いない。
 多分に湿気を含んだ大気は蜜の如きまろみを帯び、どこからか耳に届く生命の喧騒は、地獄の夏へ向けて日に々に力強さを増して行く。大人たちは満開の桜の元で酒を酌み交わし、悪ガキどもは僅かに冬の名残が見られる公園で、泥に塗れてはしゃぎまわる。
 ここは本当に忍の隠れ里なのだろうかと、誰もが疑問に思うほどに長閑で平和な時間が流れていた。

 この頃のサスケは、そういった季節の変遷や煩雑な日常に背を向け、日がな一日中ぼんやりと無感動に過ごすことが多かった。悲壮感といった類の感情とは、また異なる態度である。そのため、授業中など、遠目には起きているのか寝ているのかも判然とせず、当てられた時と実技の授業の時だけ、思い出したかのように生気が戻るという有様だった。
 放課後も、同年代の子供たちがたむろし、遊興に勤しんでいるのを尻目に、さっさと一人だけ帰宅して、翌日の登校時間まで一歩も外出しない。そんな毎日を送っていた。
 元より忍者としての才能が突出していたのは、幸いと言うべきか不幸と言うべきか。賞賛や妬みなど一顧だにすることなく、与えられた課題を淡々とこなし、まるでブレることがない。サスケと同年代の子供たちは、この傀儡人形のような態度を、寡黙な孤高人、或いは険悪な優等生という二極化した印象で受けとめていた。無論、前者は女性の多くが、後者は男性の多くが抱く印象である。間違っても根暗なヒキコモリと評されなかったのは、顔面偏差値の高さ故だろう。
 もっとも、大人たちの抱く印象は子供たちのソレとは違う。彼らの眼に映るサスケは、燃え尽き、灰になりつつある薪の如きものであった。後述する事件とあわせて、大人たちには、サスケが死にたがっているように思えてならなかったのである。
 さて、然様に傀儡人形、或いは燃え尽きた薪のようになってしまったサスケの内心であるが、実際は周囲の抱く印象に対し、尽く正反対の様相を呈していた。瞳の奥には、未だ燻る炎の揺らめきが見え隠れし、火の消えた石炭のような輝きが静々と赤々と燃え続けていたのだ。
 この一年近く、天蓋孤独の身となって此の方、成長途上の小さな体躯と稚拙な思考の及ぶ範囲ではあるが、サスケは自身に出来ることを全てやってきた。

 まず最初に行ったのが、自殺未遂である。
 うちは虐殺事件の翌日、病院の一室で目を覚ましたサスケは、異様な気だるさと嘔吐感に眉を顰めた。知らない天井だ、などと今や使い古された常套句を告げる余裕もなかった。まるで血管の一本々々、神経の一節々々に異物を挿入され、掻き回されているかのような不快感だった。
 原因は、考えるまでもない。意識を失う寸前に見た、赫々と燃えるイタチの双眸。視覚情報を用いた幻術――憧術に特化した、うちは固有の血継限界、写輪眼だ。別れ際にイタチの発した意味深な言葉と併せ、何らかの意図の下、自身を恨ませるべくして、サスケに暗示をかけたことは明白だった。
 
 幻術というのは、所謂、瞬間催眠術のことではない。五感を介するという点では、どちらも共通だが、催眠術は脳を、幻術はチャクラを惑わせるという違いがある。
 チャクラとは、先に示した通り、生体エネルギーの一種である。人体には、このエネルギーの発生源たるチャクラ穴と呼ばれる箇所が点在し、チャクラ経、或いは経絡と呼ばれる道で繋がっている。常態においては、チャクラ穴より自然に漏れ出す微量のチャクラが生体バランスの調整や神経情報の伝達幇助などを担っている。忍者は、このチャクラとチャクラ穴に対して精神作用により働きかけ、意図的に多量のチャクラを生み出し、また操作することで、忍術という超常現象を引き起こすことができるのだ。
 全般的に幻術は、この「精神によってチャクラに干渉できる」というチャクラの性質を利用した技術を指す。つまり、相手のチャクラに働きかけることで、可逆的に相手の精神に干渉しているのだ。少々乱暴な解釈ではあるが、精神からチャクラへ干渉できるのならば、その逆もまた然りといった具合である。
 これは、催眠術に比べると、すこぶる性質の悪い代物と言えるだろう。催眠術ならば、例えば大きな物音、強い光といった物理衝撃などによって五感に刺激を加えれば簡単に解くことができる。
 しかし、幻術の場合はどうか。チャクラという緩衝材が存在する分、精神は外部刺激によって夢と現の区別をつける、ということが全くできないのだ。
 そのため、幻術にかけられた方は、まず自分が幻術にかかっていることを何らかの形で自覚し、その上で自身のチャクラを意図的に乱すことで幻術を破る必要がある。
 もっとも、幻術の解き方を知っていたとして、実際に解くのには、かなりの困難を要するだろう。なにせ幻術をかける方は、そういった事情を誰よりも知悉しているのだ。当然ながら、知覚が困難で、更に知覚しても解除が困難な幻術をかける。そのため、ますます幻術を解くことが困難になる。

 さて、この稚拙な解説で、幻術の恐ろしさというものをどの程度、読者様方に御伝えできたか定かではないが、しかし、幻術について、少なくとも我々よりも詳しいサスケの絶望といったら如何ほどのものであったろうか。
 幻術が暗示として用いられている以上、いずれ自身が幻術にかけられたという事実さえ忘却してしまうだろう。優秀な憧術の使い手であるイタチのかけた術だ。独力で解くことなど叶わないだろう。
 サスケの顔から血の気が引いていた。最早、採るべき道もなく、いずれ最愛の兄に対する憎悪で心が満たされるまで、ただ手を拱くことしかできない状況だった。
 ただ、この土壇場にあって、運命は僅かながらサスケに逃げ道を残していた。
 まず第一に、イタチが暗示という形で幻術を用いた点が一つ。もしも、イタチの憧術が、今は亡き最高峰の憧術使い「うちは シスイ」のそれと同等のものであった場合、イタチは暗示という手段を採る必要がなかった。シスイの憧術は、「惑わす」というステップを踏むことなく脳に直接作用するため、相手は術中に嵌ったという自覚すらなく、効果が永続的なものとなる恐ろしい代物である。イタチの憧術も、反則的な力を秘めてはいたが、少々ベクトルの異なるものであり、隠蔽性と永続性など望むことはできなかった。
 次に、サスケがうちは一族であった点が一つ。流石に憧術を使いこなす家系のためか、その体は、幻術に対して強い抵抗を示し、術の進行を抑制していた。
 そして最後に、サスケは才能ある忍者だった。時として優秀な肉体は、精神に先んじて正解を導出する場合がある。これは、体の各部に散見される微量の神経細胞の働きか、遺伝子の中に眠る可能性が目を覚ますのか、はたまた、精神に近似したチャクラが意思を発現させたりでもしているのか。事実は五里霧中である。しかし、このとき、サスケの肉体は、精神の望む答えを導き出し、即座に実行して見せた。

 果たして、寝台から跳ね起き、忽ち廊下へと躍り出たサスケは、疾風のように走り出した。目的地は観の任せるままに、凶悪な猛禽類の如き形相で白いリノリウムの床を駆け抜ける。その鬼気迫る様相に、ヨボヨボの爺さんや婆さんが腰を抜かし、子供は泣き出すが、最早視界にすら入っていない。
 ほどなくして目的のブツは、見つかった。愛らしい純白のキャップに、清楚な白衣。そして何よりも、スカートから伸びるスラリとした脚。身に纏うパンストの白く艶やかな様の、何と悩ましいことか。無論、サスケの目的は、彼女の胸中に飛び込んで辛い現実を忘れよう、といった類のものではない。

 医療器具一式を乗せたカートを押し、今まさに発しようとしていた看護士は、猛然と迫り来るサスケ少年の姿に度肝を抜かれたような顔をしていた。もっとも、それも一瞬のことだ。頭を振って気を取り直したのか、サスケの前に立ちはだかり、身を屈めた。当然のことながら、如何なる理由であれ、院内の全力疾走は目に余るものである。オイタが過ぎる子供を捕えんと白い手が伸び来る。
 その手を交わしたサスケは、地を蹴り宙へと舞った。前方宙返りの上、チャクラも使っていない。よって、チャクラ宙返りではない。が、無駄に高度な身体操法には違いなかった。
 そのまま空中で一回転できれば、華麗に着地と相成ったのだろうが、幻術の効果で不調な身には、酷な話である。着地体制をとれず錐揉みしたサスケの小さな体は、背中からカートに激突した。思わず身を竦めた看護士の傍平で、カートが盛大にひっくり返り、一足先に地面に倒れ伏していたサスケの上に点滴針や鋏が降り注いだ。軽量金属製のカートがグワングワンと音を発てる中、短時間でボロボロになったサスケが油の切れた機械のような動きで起き上がる。物音に気付いた野次馬たちが集まり、好奇の視線を向けてくるのも気にせず、サスケは床の上に転がった医療器具の中から鋭利な鋏を選び取ると、すぐさま行動に移った。
 エイヤッ、と気合を入れて一撃を振るい、寸分の狂いもなく自身の腹腔を抉る。忽ち看護師が悲鳴を上げ、周囲が俄かに騒然とする中、諾々と鮮血を迸らせるサスケは、己の目論見が果たされることを願い、そのまま意識を手放した。

 痛みによって催眠術を解くというのは、比較的ポピュラーな手法といえるだろう。しかし、この度サスケの採った手段は、些か毛色が異なる。先述の通り、チャクラを乱す幻術は、外部刺激では解除できない。だが、精神とチャクラ、双方共に肉体の内側で働くものである以上、入れ物の変化には著しく反応を示すのだ。例えば、長らく病床に伏せる人間は弱気になり、チャクラの質も弱々しいものとなる。では、意図的に自身の体を瀕死に追い込めばどうなるだろうか。急激な変化に即して、チャクラのバランスは、総崩れとなるのではないか。

 然様な推測の上での行動とは異なるものの、サスケの行動は、自身の望みに即した結果となった。場所が病院であったことも幸いし、術後の経過も好く、いや、異常なほど好く、三日ほどで目を覚ました際の食欲は、院内の食料を食らい尽すほどの勢いであったという。唯一、誤算があったとすれば、退院時期が大幅に遅れたことだろう。カウンセラーによる精神鑑定が幾度も行われ、自殺未遂の理由は幻術を解くためであった、という主張を通すのにかなりの時間を要した。

 こうして、まんまとイタチの呪縛から逃れたサスケは、退院後、暫し喪に服することにした。
 一族の滅亡より既に一ヶ月ほどの時が経とうとしていた。流石に、著名な家柄の不幸故か、既に葬儀自体はサスケ抜きで執り行われたようであったが、それでも四十九日には未だ遠い。
 弱音一つ吐くことなく毅然とした態度を示すサスケの姿は、御悔やみを告げに来る客人たちの涙を誘うものであったという。

 さて、そういった周囲の反応を知ってか知らずか、この服喪の期間を利用して、サスケは今後の方針について思いを馳せていた。
 事件の真相についての思索は、既に決着がついている。一族内に蟠っていた不穏な空気、事件の規模に対する里内の混乱の少なさ、兄・うちは イタチの性格など、様々な情報から幾つかの推論は出来上がっていた。
 しかし、残念ながら、出来るのは推論までである。いずれの説を推す場合にも、事件の陰に、里上層部の思惑が見え隠れしていた。
 結局、事件の真相を知り、更にその上でイタチと再開を果たす為、限られたことをやって行くしかなかった。

 立身出世か、或いは背信か。

 手札が限られる以上、これ以外の博打要素の高い手段は選べなかった。無論、どちらを採るにしても、実力社会である忍者の世界では、力が必要となる。故にサスケは、まずそれを求めた。
 アカデミーで学ぶべき内容など早々に習得していたサスケは、授業時間を休息に、それ以外の時間を戦闘訓練に費やすという徹底した時間配分を自身に課した。体力養成、技能訓練、戦術理論の理解など、やれることは山ほどあったが、その中でもサスケが特に力を注いだのが体力養成である。サスケは典型的な早熟タイプであり、本来時間を割くべき技術習熟に、さほどの時間が掛らない。逆に、それが災いとなる。反復練習の頻度が減少し、十分な筋量と体力を得られないのだ。
 体力というのは、術を使う上でも必要不可欠な要素である。チャクラに対し、エネルギー保存の法則が成立するのか定かではないが、エネルギーの一種である以上、発生には何らかの代償が必要となる。それが体力なのだ。
 よって、スケジュールの大半は、基本動作の反復練習による体作りが繰り返された。これは、所謂、筋肥大を目的とした筋力養成とは真逆のプロセスだ。高負荷の運動を低回数行い、効率よく筋肉の破壊を行うのではなく、運動する筋肉に対し、より迅速な挙動を要求し続ける。その繰り返しによって、肉質の改良を行うのだ。
 成果は、驚くべき早さで実を結んだ。
 修行開始から半年後。外見は、齢十も超えない華奢な少年に変わりはない。しかし、その肉体は、柔軟性を保ったまま、凄まじい剛性と靭性を発揮するようになっていた。

 サスケが抜け殻の如くなっているのは、以上のような理由である。
 つまり、機が熟していない。ぶっちゃけた言い方をすると、日課の修行を除いて、もうやることがないのだ。
 ならば年相応に友人と遊びまわればいいではないか、そう思われるかもしれない。
 しかし、考えてもみて欲しい。当時のサスケの生活様式を。

 余人と交わることなく、ただひたすらに自身のやりたい事だけを、独り黙々と続ける。

 この姿から、ある人種が連想できると思う。そう、所謂「俺ら、お前ら」乃至「非リア充」だ。
 こういった人種にも幾つかの類型が存在するのだが、サスケの場合は、頭の回転が速いことと、長らく会話を行っていないことが災いしていた。その結果、一方的に好意を寄せてくる女子はいても、友達はいない。誰もがリア充氏ねと言いたいのに、奴はリア充じゃない。そういう妙な状況が出来上がっていた。



 そんなサスケの日常であったが、ある日を境に一変することとなる。切欠は、アカデミーでの実技演習だった。

 この実技という授業、名前の指す通りの物かと言えば、厳密には異なる。忍術を使うのも、言葉の指す通りならば、実技に分類されるはずであるが、木の葉隠れにおいて、こういった体の動作が少ないものは、座学として扱われている。つまり、実技というのは、手裏剣術を始めとした技能訓練のことを指す。

 その日行われたのは、二人一組で行う組手だった。
 この時ばかりは、サスケも気を抜かずに授業を受けることにしている。怪我を負う可能性を考慮してのことではない。
 肉体の修練がある程度の成果を収めた頃、サスケは修行に実戦を加えていた。幸いなことに木の葉隠れの里は、その名の示すとおり、無数の樹林で覆われた天然の要塞だ。郊外へ赴けば「死の森」をはじめとした訓練場が軒を連ねる。週末や長期休暇になると、サスケは、そういった危険生物のひしめく山中に遠足気分で分け入り、虎や大蛇などを撲殺して回っている。プチ家出ならぬ、プチ山篭りだ。
 その結果、サスケの感覚は、非常に鋭敏になっていった。もし、気の抜けた常態で組手などしようものならどうなるか。外部からの攻撃に対し、肉体は即座に最適解を弾き出し、無意識裡に放たれるカウンターが相手の息の根を止めるだろう。
 「殺めるは易し、伊達にするは難し」の原理とは根本的に違うのだが、絶妙な手加減とは、斯くも難しいものなのだ。
 因みに、敢えて今一度だけ言及しておくが、サスケは九歳である。

 さて、今回の組手であるが、結果そのものは、いつも通りサスケの圧勝だった。基本、手加減はしても、本気でやるのがサスケの主義である。そして、その戦い方は、毎回、一片の容赦すらない。子供特有の残虐性が彼の特殊な生育環境により、加虐嗜好へと変質しつつあるためだった。
 顎に掠らせるようにして掌底、鳩尾に膝、大腿に下段蹴り、重心が崩れたところを捉え小外刈、倒れたら馬乗りになって顔面に直突。大体これだけやれば、相手は戦意を喪失する。金的を狙わないのは、武士ならぬ忍者の情だ。
 相手の上から退くと、サスケは距離をとって立ち止まった。組手を終えた後は、ファンからの歓声と、それ以外からの畏怖の視線を受けながら、相手が目を覚ますのを待つのが常だった。この忍組手と呼ばれる実技訓練において、右手人差し指と中指を使った握手、即ち和解印を結ぶことが訓練終了の印となるためだ。
 しかし、この対戦相手は、サスケの予想を裏切った。

「ま、まだ、だ。ごれが、ららってば」

 死に体で立ち上がったのは、ナルトだった。
 この頃のサスケにとって、ナルトは、ただのクラスメイトでしかなかった。度々稚拙な悪戯を繰り返し、大勢から顰蹙を買っている少年、或いは、火影になるという夢を本気で追い求めている夢見がちな人物、その程度の認識だった。
 驚いたことに、その夢見る少年は、あれだけの攻撃を受けて未だに闘志を失っていなかった。
 声が所々掠れ、喘ぎ々ぎなのは、腹腔へのダメージ故だろう。脳の揺れは、平衡感覚に甚大な障害を引き起こしているに違いない。大腿へのダメージにより、片足にいたっては半ば引き摺っている有様だ。
 それでも尚、煌々と輝く空色の瞳は、より一層の光芒を放っていた。

「バカ、そんなんで戦えるわけないだろ」

 アカデミー教師、海野 イルカの制止が入る。教師としての使命感というよりも、あまりの痛々しさに見ていられなくなったというのが本音だろう。教師をやっているのは、その優しすぎる性格故なのかもしれない。

「本人がやるって言ってるんだ。やろう」

 その抑止を無視して、サスケは無情に言い放った。その直後、既に拳が放たれている。
 驚愕に目を剥いたイルカが慌てて二人の間に割って入ろうとするが、既に遅い。
 轟、と風を切るサスケの拳がナルトの顔面へ直進する。直後に訪れるだろう無惨な光景を想像した生徒たちは、このときばかりは誰もが目を塞いだ。

 うずまき ナルトただ一人を除いて。

 拳は、ナルトの眼前より丁度、一寸だけ手前の位置で静止していた。
 これはサスケが情をかけたのでも、ナルトを試したのでもない。

(このまま拳を当てれば、手痛いしっぺ返しを喰らう)

 理屈でもなく、直感でもなく、何故かそう思ったのだ。

 拳を収めたサスケは、周囲の人間が恐々と注視するのも気にかけず、改めてナルトを見やった。
 派手な男だ。真っ先に思い浮かんだのは、そんな場違いな感想だった。髪も服も暖色を基調とした、酷く悪目立ちする容貌だ。闇に紛れて暗躍する忍者にはそぐわない。次いで、それとは反対のことも思う。忍者とは、斯く在るべきだ、と。
 忍者に最も必要な才能とは、その名前が示す通り、耐え忍ぶことが出来る能力、つまり勇気と執念深さだ。死を、痛みを恐れず、可能性が有るならば、命在る限り何度でも殺しに行く。潔しを善しとしない、泥に塗れてでも前進を止めない意志力だ。
 目の前の男は、それを備えているように思えた。

 しかも、それだけではない。妙な確信があった。
 求心力とでもいうのだろうか。未だ、片鱗すら覗かせてはいないが、確かにそれがナルトには宿っている。根拠は説明できないが、目の前の男には、不思議とそう感じさせられる魅力があった。
 全身の痛み故か眉を顰めつつ、それでもサスケを睨み付けるナルト。その顔を眺めながら、サスケは、そのようなことを考えていた。

「火影になるのは、たぶんお前のような奴だろうな」

 意図せずして、その一言がサスケの口を吐いた。
 誰にこの一言を予想できたろうか。ナルトが面喰うのも仕方のないことだ。頭に上っていた血の気は、また別ベクトルの血の気に取って代わったようで、顔色に然したる違いはない。しかし、瞳の中の剣呑な光は忽ち霧散し、言葉を紡ごうとする口は「え、あ、う」などと、ひたすらに「あ行」の上を彷徨うばかりだった。
 そんなナルトの様子に、サスケは嘆息して頭を掻いた。自分が何を口走ったか自覚して、気恥ずかしくなったのだ。何とも、らしくなかった。
 その気恥ずかしさを紛らわせるため、サスケは、ロボットのようになってしまったナルトの右手を左手で引っ掴んだ。そして、その右手に、自身の右手を併せて和解印を組むと、踵を返して歩み去り、さっさと訓練場の隅に腰を下ろしてしまった。
 俄かに訓練場が騒がしくなるが、最早知らん顔だ。周囲と視線が遭わないように、天を見上げると、何処までも限りの無い蒼穹が広がっていた。

(よくよく眺めてみると感慨深いものがあるじゃないか)

 そんな、らしくないことを考えていたからだろうか、サスケの頭の中に、ふとこのような考えが浮かんでいた。

(アイツが火影になるんなら、俺の野望を託して、その背を追うのもいいかもしれない)

 一度頭を振ると、サスケはナルトの姿を盗み見た。流石に、もう立っているのも一杯々々だったのだろう。崩れ落ちそうなところをイルカに支えられて、何とか立っている状態だった。その顔は、あたかも狐につままれたようである。
 それがツボにはまり、サスケは静かに笑った。一年と半年ぶりの笑いだった。

(いや、違うな。俺が後ろで囃し立てながら追いかけるんだ。多分、その方が楽しい)

 現実味のない夢想の計画は、更に冗談めいたものになった。
 しかし、この酷く不真面目に作成された計画が後々、現実味を帯びたものになって行く。
 今はまだ、誰もそのことを知らない。

あとがき
 さて、遅くなりましたが、第二話、いかがでしたでしょうか。一話と併せて、大体こんな感じで進んで行く予定ですが、次の話あたりからは、多分ギャグが多くなるかと存じます。非常に読み辛い文章でまことに申し訳なく思いますが、御付き合いいただけると幸いです。
 では、ご意見、ご感想など期待しつつ、ここいらで失礼します。


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