「ん…」
心地好い快眠から少しずつ意識が浮上していく。
今日は珍しく悪夢を見なかった、おかげでぐっすり眠れた気がする。
しかし良い夢を見れたかと言われればそうでもなく、俺が悪夢以外の夢の内容を覚える事は一度も無かった。
悪夢以外覚えるなとでも言わんばかりの仕打ちに、信じもしない神を呪ったのは今に始まった事じゃなかった。
起きる気にもなれず、大して用事も無かった俺は目を閉じたまま二度目の眠りに就こうと枕に顔を埋めた。
そうした微睡みの中眠気に身を任せていると、台所の方から料理をする音が聞こえてきた。
俺は反射的に体を起こし、ぐしゃぐしゃの寝癖も皺になっている入院服もそのままに、廊下を走り襖を開け、台所へ一直線に向かった。
台所の扉を開けると、母さんが包丁でネギを刻んでいるのが分かった。
居間の方には朝食を待っている父さんが新聞を読んでいる。
兄さんは朝から任務なのか忍服に身を包んでいた。
全部全部、今まで通りだ。兄さんも母さんも父さんも、皆居る。
歓喜の歩みを進めると、兄さんが真っ先に俺に向かって「おはよう」と言ってくれた。
入院服だと思って着ていたのはただ色が白いだけの俺の普段着だった。
そうだ、今までのは全部悪い夢だったんだ。
それにしてもリアルで悲しい夢だった。兄さんに話して慰めてもらおう。
そう思って兄さんの方へ数歩近付くと兄さんと母さんと父さんは音も無く消え去り、ついでに先程まで聞こえていた料理の音もしなくなった。
俺は一人で誰も居ない部屋に立っていた。
* * *
ぼんやりと時計の針を見つめる。朝だと言うのにもうこんなに疲れてしまった。
まさか自分が幻聴幻覚を味わう事になるとは思っていなかったので、その分ダメージが増幅したのかもしれない。
本来ならば自分が幻を味わわせる立場だというのに、先程の自分は夢と現の区別もできず幻を見て魅せられていたただの子供だった。
その事実に何とも言えぬ歯痒さを感じ、
机に乗せられた白い腕を赤くなるまで握り締める。爪を立てて、肌に食い込み、跡が残っても、尚強く力を込めた。
それが今の自分にできる精一杯の事だと思った。
世間は仕方無いというのかもしれないが、そんなの俺のプライドが許さなかった。
うちはである以上いくら子供でも【仕方無い】という言葉は通用しない。
並より出来て【当たり前】なのだ。
エリート一族に産まれた以上それは既に頭に叩き込んでいる事だった。
頭に叩き込んでいる以上、泣き言も弱音も言えない。
ましてや己のくだらない妄想で足止めを食らう等もっての他だ。
本当はくだらないなんて思いたくないが、兄への復讐にその妄想が必要かと問われれば自身は黙ってしまう。
黙ってしまうなら不必要なのだ。妄想なんてしている暇はない。
組まれた腕に顔を埋めると、胸中に後悔の念が押し寄せてきた。
帰ってくるんじゃなかった、と滲む視界で一人思う。
こんな妄想を毎日魅せられて辛い思いをするくらいなら、とっとと違う家に移住して有意義に時間を使うべきなのだ。
それが赤の他人が用意したものだとしても。
しかし後悔と同時に晴々しさも胸の内を満たした。この家に居る限り、住んでいる限り自分はうちはサスケなのだ。
少なくとも一族も家族も失った自分が自分であると証明するには、この家が必要だった。
証明する相手は、勿論自分なのだけれど。
泣いている暇も妄想している暇も無い。
立ち止まっている暇などないのだ。今の自分にとって一秒一分が惜しい。
一日でも早くイタチに復讐する為には机から立ち上がって兄とよく行った森に向かい修行をしなければ。
体はやけにのろのろとした動きで立ち上がった。
ふと目に入った白い入院服。修行をするには大分邪魔だ。
即座にそう判断すると自室に戻り直ぐ様普段着に着替える。
部屋を出ようとすると乱れた布団が目に入った。暫く考えた後押入れに手早く仕舞った。
普段着は皮肉にも妄想の中のものと同じだった。
* * *
「うちはサスケ」
家から出るなり背後から呼び止められた。
邪魔をされた事よりうちはの領地に勝手に入ってこられた事に苛立ったので、舌打ち混じりに振り向く。
「んだよ…ここは立入禁止の筈だ。とっとと失せろ」
自分が言った通り、うちはの領地である此処は立入禁止である筈だ。
その上知らない人間がうちはの地を踏みしめていると考えると怒りで気が違いそうだった。
それでも目の前の男は怯んだ様子も見せず淡々とした態度を貫いていた。
先程自身を呼び止めた声も感情なんてまるで無かったし、動物を模した仮面は相手の表情を窺えなかった。
が、目の部分は空いていたので相手の目は確認できた。酷く冷たかった。
銀の色をした髪である事と、ガタイの良さから男である事くらいしか分からない。背筋を冷たい汗が流れた。
そんな自分を知ってか知らずか、男は淡々と言葉を紡ぐ。
どこまでも無機質なそれは、自分の意思で喋っている様には思えなかった。
「病室から無断で脱け出していた事が先刻判明した。子供の悪戯にしては度が過ぎている。さっさと戻るぞ」
「悪戯?悪戯ごときで一族の死に場所に来るかよ。戻んのはてめぇの方だ、ここはうちはの地だぞ。余所者は消えろ」
いけ好かない相手だと思った。
戻るも何も自分はあの病室から”戻って“来たのだ。
まるで病室こそが帰る場所とでも言われている様で気分は一気に急降下した。
苛立ちをぶつけ相手を睨み付けながら言い切ると、男は仮面から覗く冷たい瞳を細めた。
まるで融通の効かない面倒な相手を見るように。
その瞬間感じた寒気に気を取られた一瞬の隙に男は消えていた。
帰ったか?と思ったのも一瞬で、背後から気配を感じ振り向こうとした瞬間意識は強制的に落とされた。