泣き叫ぶ人達、残虐な笑みを浮かべる兄、俺に向かって助けを乞う両親。
『サ、スケ…たすけ』
『ひゃははははははァ!!見てろサスケェ!お前が無力なばっかりに大好きな両親が死ぬザマをよォ!』
首が二つ、跳ねた。
「っはぁ、はぁ…はぁ……夢か」
やめてよ、と叫ぼうとしたところで目が覚めた。
身体中嫌な汗に濡れ、目から涙が流れている。
おまけにさっきから寒気が治まらない、困ったものだ。
見渡すと病室は俺一人だけで、月明かりがベッドの傍に置かれたテーブルを照らしていた。
テーブルの上には胡蝶蘭の花が生けてあり、月光のせいか白いそれは神秘的に見えた。
夢の中の兄は微かな俺の幻想をいつだって徹底的にぶち壊す。
今夜もそうだ。
優しく強い自慢だった兄は、両親を殺す事さえ躊躇わない残忍な男に成り下がっていた。
こういった悪夢を見る度、俺は夢を覚える様になった。いや、なってしまった。
満足に寝れた気がしないのはいつもいつも飛び起きるからだろう、きっと。
ああ、嫌だ嫌だ。
じっとりと汗ばんだ額を机の引き出しに用意されてある清潔なタオルで拭う。
体は未だ小刻みに震えている。
まだ汗ばんでいる様な気がする額に手を当てると、驚く程冷たかった。
デジタル時計の表記を見ると、今はどうやら真夜中らしかった。
死んだ様に黙している街を見ると不安な気持ちになってくるのは俺だけじゃないだろう。
2:36。
今の時刻は一般人なら誰でも寝ている頃だ。
夜勤の看護婦達さえ出し抜けば、実質俺は家に帰り布団の中で眠れる。
そうと決まれば話は早い。
こちとら昼から脱走しようと考えていたのだ、ある程度の策は考えてある。
そっとベッドから降り立つと薄気味悪い程明るい月の光を灯り代わりに作戦を決行する。
見回りに来た奴等に気づかれないよう枕を布団の中に入れ膨らんだ状態で置いておく。
分身の術を使っても良いがチャクラがじわじわと無くなっていくのは不愉快なので却下だ。
それに何日術が保っていられるか俺にも分からないからな。
これだけじゃ心許ない。
もし不審に思われ布団を剥がされたりすれば一貫の終わりだ。
だから決めの一手として書き置きを残す。
勿論『家に帰ります』とか何とか馬鹿正直に書くつもりは全くない。
幸いにも俺は心も体も傷を負っていると医師に判断されている。
そう判断されるのは好都合だ、利用させてもらおう。
引き出しには大抵の物が用意されている。
タオルが入っていた段の下からメモ用紙と万年筆を取り出した。
早速仕上げた書き置きには『食も喉を通りません。食欲も失せました。暫く起こさないでください』と一言。
起こしに来た奴の【暫く】がどれ程かは運次第だが、少なくとも俺が家でゆっくり眠れる時間くらい稼げる筈だ。
上手くいけば…そう思って口許を歪める。
上手くいけば俺はもう此処に戻らなくて良いかもしれない。
楽観視しながら書き置きを枕元に設置した。
* * *
三階にある病室から飛び降りる為窓を開ける。夜風が頬に当たり気持ち良かった。
下を見ると植え込みが並んでいるのが目に入った。
昔から良好だった視力は夜でさえも俺に貢献してくれている。今のように。
まぁ夜に慣れた目に加え明るい月夜となれば大抵の忍は見えるんだろうけどな。
植え込みがあるんなら飛び降りても多少の怪我で済む。
チャクラ吸着ができれば話は早いんだろうが、生憎習得できていない。不完全のまま壁に垂直になる…結果は目に見えて分かった。
多少遠回りでも悲惨な末路を辿るよりマシだ。急がば回れとも言うし。
窓枠に足をかけると、タイミングを見計らったかの様に先程よりも強い風が吹く。
臆病風に吹かれるなんてあり得ねぇ。
怖じ気づきそうになる心を奮い起たせて一思いに飛び降りる。
その時瞬間的に思った。物音がすれば誰か気づくのでは、と。
だがもう遅い。
目の前には植え込みが迫っている。
勢い付けすぎたせいか植え込みを囲うレンガにも当たりそうだ。
せめてもの抵抗として受け身を取ると肺から酸素が一気に吐き出された。
「かッ、はっ…!」
視界がちかちかした。息が止まり脳は停止した様に思えた。
物音がしたかどうかは分からない。
バレているにしてもいないにしても、この場から一刻も早く立ち去らなければならない事は火を見るより明らかだった。
ずきずきと背骨が痛む。
この体は耐えきれなかったのだろうか、必死に息を整えながら物思いに耽る。
まぁいい。とりあえずは病室から脱け出せた。
後は夜の街を横切ってうちはの領地に出向くだけだ。
気ばかり焦っていて後の事を考えていなかったな。物音も体もよく考えればすぐ予測できた筈なのに。
背中は痛みを訴えているが、折れている訳ではなさそうだ。頑丈な体だな。
できるだけ負担をかけさせないようゆっくりと体を起こし、一歩ずつその場から歩き出す。
五歩も歩けばぎこちなくも普段と変わらぬペースで歩けた。
その倍歩けばぎこちなさは無くなった。その倍歩けば走れる程になった。
背中が痛みを訴えても俺は無視し続けた。
痛覚なんて要らないとこれ程思ったのは久しぶりだった。
ただ、ただ今は痛みにうずくまり周りに助けを求めるより大切な事があった。だから走った。それだけだ。
* * *
領地に着いた頃には既にふらふらの状態だった。
乱れた息を戻す暇も無く俺は敷地内をさ迷う。
否、さ迷うって言葉はおかしいな。ちゃんと行き先は分かってるんだから。
シスイさんの家と母さんの実家を横切って、おばちゃんや俺より年下の奴等の家を何度も通り過ぎて、そうして俺の家が見えてくる。
他の家より何倍も立派な門構えは、俺が帰ってきた事を喜んでいる様に見えた。
思わず脱力しそうになる。やっと帰ってきた、帰ってこれた。
「…ただいま」
誰の返事も無い事くらい分かっている、知っている。
けれどもそう言わずにはいられなかった。
返事が無くても、そう言う事自体が俺が此処に住んでいる事の証になっていると思った。