三日目の朝。 昨日とは別の作物を手押し車に乗せて二人は帰り道を行く。 「昨日、ケイトさんから聞いたよ。ノイアーが将来の村長になるって」 「……うあ~、あいつそんなこと言ったのか」 ちょっと恥ずかしそうなノイアー。 優斗がくすくすと笑う。 「いいじゃん、村長。この村で一番偉くなって、もっと村を栄えさせれば?」 「って言われてもなぁ。村長ってどうすりゃいいんだろうって思う。今の村長のことは尊敬してるし、憧れてる。でも村長はオレの思う村長になれって言うし……」 「決定事項なの?」 「今のところな。他の若い奴ら数人もオレでいいって言ってくれてる」 村の中で一番頑張っていると評価されているのだろう。 喜ばしいことだとは思うが、ノイアーは僅かに難しい表情。 「なあ、優斗の知ってる偉い人ってどういうのだ?」 いきなりこんなことを訊いてきた。 「どういう人って言われると……」 うーん、とちょっと悩む。 だが少し考えて答える。 「一般論としては偉い人ほど頭を下げることはしない」 「……どういうことなんだ?」 ノイアーにはよく意味が分からない。 優斗は指を一本立てる……ことは出来ないので、顔を向ける。 「立場が上になればなるほど下げる頭には責任がのしかかる。だから不用意に頭を下げることなんてしたらいけないということ」 これはどこでも共通だ。 「それに人間、誰だって自分の非を認めたくはない。押しつけられる相手がいるのなら押しつける。立場の上がり方っていうのは大抵、緩やかな坂。だけど立場が下がる時は転がり落ちる。築き上げたものが些細なことで崩れる。というわけで偉い立場に執着してる人はあんまり、頭を下げることはしない」 責任転嫁し、自分は悪くないと言い放ち、とことん逃げる。 誰かに命令することが好きだからこそ、何でも出来るからこそ今の場所を逃したくないと思う。 「だからノイアーは頭を下げることのできる村長になったらいいんじゃないかな。例え相手の立場が村長より下でも、村のためになら頭すら下げられる村長に」 胡麻を擂るために頭を下げるのではなく、ひたすらに村のことを思って頭を下げる。 「媚びていると思われるかもしれない。頭が軽すぎて信用ならないと思われるかもしれない。けれど……」 優斗は思う。 「大切なものになら頭を下げられる人こそ、上に立つべき人だと僕は信じてるよ」 少なくとも自分が尊敬している王はそうだ。 と、そこで優斗の手押し車が石に引っかかる。 「やばっ!」 ノイアーに向きながら言っていたから下を見てなかった。 乗せていた大根などがごっそり手押し車から落ちる。 「あ~あ、何やってんだよユウト。せっかく格好良いこと言ってたのに」 ノイアーがしょうもなさそうにケラケラと笑う。 「せっかく家に帰るまでのレースをしてたんだから、これはハンデと受け取っていいんだな?」 「……はあっ!?」 いきなりすぎて優斗には意味が分からない。 だがノイアーは身体を前にかがめると、 「オレは颯爽と帰る。負けたらオレのケイトが作ったおかず一品を譲るって話だったろ?」 「聞いてないんですけど!」 叫ぶ優斗を余所にノイアーはダッシュする。 「ちょ、ちょっと待った!」 大慌てで優斗は大根をかき集める。 すると、 「ユウトっ!」 ノイアーが大きな声で優斗の名を呼んだ。 離れた場所にいた彼は大きく手を振り、 「サンキューっ!!」 ◇ ◇ しっくりきた。 頭を下げられる村長になる、ということ。 自分の目指すべきものが定まってくる。 「あいつ、すげえよな」 上級魔法を使える魔法士で、言えばすぐに上手くなる。 何となくだが気品があるようにも思える。 「学院に通ってるとそうなんのかな?」 走りながらくつくつと笑い、我が家の前に……着くところだった。 人垣が見える。 少し離れた場所では馬車も見える。 ……何か異様な雰囲気だった。 ドクン、とノイアーの心臓が嫌に高鳴る。 「……ケイト? コリン?」 愛する者の名を呼ぶ。 振り向く村の皆の表情が一様に曇っている。 「――っ!」 手押し車を放って人垣に駆け寄った。 そして皆を掻き分け、我が家の扉の前に出る。 見えるのは、へたり込んでいるケイトと40代と思える壮年の男性。 「…………あんたは……」 ノイアーにとっては忘れるわけもない顔。 村民達にとっても忘れられるわけがない名前。 「……カプスドル……伯爵……っ!」 この村を領地に入れている貴族。 カプスドル伯爵の後ろにはニタついている護衛――ゴロツキの姿も複数ある。 全員が自分を見ていた。 「君がノイアーかい?」 怖気が走るような笑みをカプスドル伯爵が浮かべる。 生理的に受け付けない、気持ち悪い笑みだ。 「……ここに……何の用だ」 振り絞るように声を出すノイアー。 嫌だ、と。 ふざけるな、と。 数年ぶりの感情が蘇ってくる。 「分からないかい?」 けれど彼の感情などまったく興味がないように、カプスドル伯爵は紙を見せつける。 書かれているのは……『ケイト・ウィンストンの処刑』。 ノイアーの頭が真っ白になる。 「ふざけんな!! 3年前、もうやらないと言ったのはそっちだろうが!!」 3年前まで、悪意の限りを尽くして女性を処刑していた。 けれど唐突に『飽きた』と言って、二度とやらないと軽やかに言い放ち消え去った。 「自分が言ったことすら覚えてないのか!!」 誰もが安堵した。 誰もが喜んだ。 三年続いた悪夢はもう、ないのだと。 「忘れたね、そんなこと」 誰もが絶望する。 その表情すらもこいつにとっては最高の気分が良くなることなのだろう。 「決定は絶対だ。破ればどうなるか分かるね?」 カプスドル伯爵は人垣を見て、村全体を舐めるように見る。 「よく考えることだ。村を……そして君たちの最愛の娘を助けたくば、ね」 後ろにいる護衛も汚い笑みを浮かべる。 欲望に満ちた表情をさせている。 「また後で迎えに来るよ」 ◇ ◇ 「何だろ?」 優斗が村に戻った時、なんとなく雰囲気が違うと思った。 「静かすぎる……のかな?」 二日いるからこそ違和感になる。 一昨日、昨日よりもあまりに生活の音がない。 代わりに遠くで馬車の動く音が聞こえてきた。 手押し車を押しながら優斗はノイアーの家の近くまで到着する。 優斗の視界には倒れた手押し車と散乱している野菜。 「なんだ?」 思わず眉根をひそめ、前を見る。 「村の人達?」 十数人ぐらいだろうか。 どうして彼の家の前にいるのか。 すると、一人の男性が人垣から飛び出していった。 村の人々が止めるが、彼は振り解くように全力で駈ける。 「……ノイアー?」 優斗の視界に見える姿は小さい。 けれど間違いなく彼だ。 手には鈍く光るものが見える。 一昨日、持っていた鉈だろう。 ノイアーは一目散に走っていく。 ――何か……あったのか? 疑問のように考えるが、それしかない。 「すみません、ちょっと通して!」 優斗も手押し車を放ると人垣を分けてノイアーの家の玄関前まで来る。 そこにいるのは、座って呆然としているケイトだけ。 彼女が無事であることを安堵したと同時に訊く。 「ケイトさん、どういう状況なの?」 「……ユウト……くん」 ゆるゆると彼女の視線が優斗に向く。 涙はない。 けれど顔は蒼白で、喜ばしいことじゃないのは確かだ。 「言える範囲でいいから話して」 彼女を家の中に入れて椅子に座らせる。 そしてゆったりとした口調で聞こえてくる彼女の第一声は信じられないものだった。 「殺される?」 間違いなく今、ケイトはそう言った。 「何で殺されるの?」 「……わかんない」 僅かに首を横に振るケイト。 「悪いことは?」 「……やってない」 やっているわけがない。 ノイアーもケイトも誠実に生きてきた。 いや、村の誰もが同じ。 だからこそ“選ばれた”ことに絶望する。 「……3年前を最後に……カプスドル伯爵も……もうお終いって言ったのに……」 最後だった。 最後の……はずだった。 「今までに何回、同じ事があった?」 「……3回」 3年前、4年前、5年前。 いずれも10代後半の女性が殺された。 「抗わない理由は?」 「……村の税の徴収を5倍にするって。それに……通達した時点で100人以上で村を囲むの。逃げられないのよ」 時間を空けるのは最後の別れをさせるためであったり、絶望をより感じさせるためであったりするのだろう。 「どうして最初にあった時、逃げなかったの?」 「……言ったでしょ。どれだけ絶望があったとしても、村が大好きなの。それに5年前って、私まだ11歳だもの。親がいるし自分で決められないわ」 他にも理由は各々あるだろう。 国が好きだから。 どこに行けばいいのか。 たくさんの理由がある。 「ケイトさんはいいの?」 優斗が一歩、踏み込んだとを訊く。 彼女は身体を震わせ、手を握りしめた。 それでも気丈に言う。 「……ノイアーとコリンを生かす為よ」 自分が死ねば夫も娘も村も何一つ問題ない。 また平和な日常が戻ってくる。 ただ自分が村から欠けるだけ。 けれど、 「それは死ぬことを受け入れる為の言い訳でしょ」 「……っ!」 無理矢理に己を納得させる言い訳だということぐらい、優斗に分からない訳がない。 「都合良く母親の意見を聞いてるわけじゃない。君自身がどうなのかを訊いてるんだ」 ケイト・ウィンストンはどう思っているのか。 これこそが重要。 「もう一度訊くよ」 真っ直ぐにケイトを見据え、同じ事を彼女に突きつける。 「それでいいの?」 優斗に二度、問われたこと。 「…………そんな……わけ……」 一度は頑張った。 けれど、二度訊かれてしまうと駄目だ。 ギリギリで塞いでいたものが。 ケイトの心の奥で止めていたものが溢れる。 「いいわけ……ないじゃない!!」 死んでもいい、なんて本心から思えるわけがない。 「私だって生きたい!」 もっと人生を歩みたい。 これからもっと。 たくさん、たくさんの事をしたい。 「ノイアーがいるの! ノイアーが大好きなの! お腹を痛めてコリンを産んだの! 成長していく姿を見ていきたいの! やっとママって呼んでくれたの! ノイアーと一緒に、この子と一緒にもっとたくさん生きていきたいの!」 望むことがある。 見ていきたいことがある。 だから死にたくない。 「……でも……駄目なのよ」 何をやっても無駄だから。 「……誰も太刀打ちできないの」 カプスドル伯爵が揃えた護衛に勝てる人など村にいない。 「…………誰一人助けられる人なんていないの」 彼らよりも力を持った人など存在しない。 そして何よりも、 「………………村が…………大好きなの……っ!」 自分が生まれてから生きてきた村が大切だ。 「私が選ばれなかったら、他の誰かが選ばれる! そんなの私は嫌!」 自分じゃないからいい、などと思えるものか。 誰かに譲ってしまえるなら譲ってしまえ、なんて思えない。 その人に『自分の代わりに死んでくれ』なんて言えない。 「だったらせめて私の命が村を、ノイアーを、この子を生かす為にあると考えて何が悪いの!?」 最後は叫ぶように言い放った。 どうせ誰かに理解されると思っていない。 けれど紛れもないケイトの本心。 だからこそ、 「悪くない」 優斗は肯定した。 村が大切だ、と。 そう言い切ることは簡単だ。 けれど実際に他の誰にも文句を言わずに現状を受け入れるなんてこと、普通は出来ない。 誰にも出来ないことを出来る、本当に心の強い人だと思う。 「だけど一つ忘れてる」 「……えっ……?」 呆けた表情のケイトに優斗は柔らかな表情を浮かべる。 今の状況下は今までと違う。 「ほら、村の人じゃないのが一人いる」 そう。 イレギュラーが存在する。 「僕がいるよ」 自分の胸に手を置いて、己がいることを主張する。 「偶然いる他国の人間。迷惑を掛けるには最適の人物だと思わない?」 自分は赤の他人だ。 村には関係のない人物だ。 だからこそ迷惑を掛けてしまえ、と。 優しい声音で、優しい笑みで優斗は伝える。 「言っていいよ。君が今、何を望んでいるのかを」 「……っ!」 ケイトが数瞬、言葉を詰まらせた。 先程の自分が言ったこと。 それを纏めると伝えるべきことは一つ。 だが口にしてしまえば、きっと自分は泣く。 分かっている。 無理に希望を持ったりなどしてはいけない。 「…………ぁっ……」 けれど、だ。 彼に言うなんて馬鹿らしいと感じていても。 赤の他人である彼に無理な要求をすることになると分かっていても。 心が揺さぶられた。 彼の優しい笑みを信じたくなってしまう。 優しい言葉を頼ってしまいたくなる。 「……いい……の……?」 無意識に声が漏れる。 “信じていいよ”と言外に教えてくれるから。 “どうにかしてみせる”と伝えてくれているから。 縋りたくなる。 「……頼って……いいの?」 自分を。 ノイアーを。 コリンを。 家族の命運を託してもいいのだろうか。 赤の他人の彼に。 「ケイトさんの美味しいごはんを食べられないのは、世界にとって大きな損失だと思うんだよね。それにさ、うちの娘の可愛さをもっと知ってもらわないと僕の気が済まない。まだまだあるんだよ、マリカの可愛いところ。きっとコリンよりもたくさんあるし」 優斗がおどけるように言葉を返した。 予想外で、不意にケイトの表情が緩む。 「……何よ、それ」 たった、そんなことの為に。 この人は貴族に喧嘩を売るとでも言うのだろうか。 というよりも今、彼は聞き捨てならないことを宣った。 「コリンのほうがもっと可愛いところがあるわ」 ケイトが言い返せば優斗は苦笑した。 「上等。どっちが親バカなのか、あとで決めよう」 そう、またあとで。 皆で親バカになるとしよう。 だから彼女を死なせることはしない。 「あとで、か……」 ケイトはベッドを視線を送った。 コリンがこっちを見ている。 少し不安そうなのは、自分の表情が曇っているからだろう。 嫌だ、と思う。 娘にこんな表情をさせるのは。 最愛の子供に心配をさせるのは。 本当に嫌だ。 「ユウトくん」 だから……覚悟を決めて立ち上がった。 瞳には強い光が宿る。 彼は迷惑を掛けろと言った。 自分が何を望むのか訊いてきた。 逡巡はもう終わり。 だから、伝えようと思う。 頭を下げながら、自分が何を望むのかを。 「私達を助けて」 これこそがケイトの望み。 単純で。 分かりやすくて。 誰もが『どうしようもない』と思っていたこと。 それを赤の他人に言うなんて馬鹿らしい。 部外者の彼に願うなんて阿保らしい。 だけど、 「貴方を信じるわ」 彼は伝えてくれたから。 頼れと。 信じろと。 任せろと。 柔らかな笑みと優しい声音で。 自分に届けてくれた。 「親バカに悪い奴はいないもの」 だから預けようと思う。 ノイアーが助けた赤の他人――ユウトに。 自分達の“運命”を。 「ん、分かった」 優斗はケイトが頼むと簡単に頷く。 そして歩き、玄関の扉を開けた。 「助けるよ」 嘘偽りなく約束しよう。 見ず知らずの人間にすら親切になれる彼らを。 「僕が受けた恩に賭けて必ず」 死なせはしない。