準決勝第二試合が始まった最中。 キリアは一人、控え室でベンチに座っていた。 僅かに聞こえる喧噪の中、足音が近付いてくる。 「お疲れ」 「……先輩」 下を向いて項垂れているキリアの隣に優斗が座った。 「わたし、負けたわ」 「そうだね」 「……強かった。実力を全部、出し切ったって言える」 手の内という手の内を全て使ったという自負があった。 なのにも関わらず、傷一つ付けられない。 「あれが学院最強なのよね。どうやったって届かなかった」 キリアが努力した実力程度では無理で。 キリアが育んできた力では微塵も触れられなかった。 「まあ、普段から負けてるのに今日だけ勝とうとするなんて虫の良い話だわ」 いつも勝てない。 一度だって勝ったことがない。 故に負けることは当然だ。 「だけど……」 キリアは拳を握りしめる。 どれほど実力がかけ離れていたとしても。 沸き上がる感情を抑えることは出来ない。 「だけどわたしは勝ちたかった……っ!!」 声が震える。 悔しかった。 自分が不甲斐なくて。 弱くて。 本当に情けない。 「わたしは先輩の……『最強』の弟子なのに……っ」 たった一人、大魔法士が認めてくれた唯一の弟子。『最強』の弟子がこんなにも弱いことが、申し訳なくなってくる。 「……勝利を掴めなかった」 可能性があった。 僅かだとしても、細かったとしても。 掴めるものは確かにあった。 これが優斗であったらどうだろうか? 修であったらどうだろうか? 彼らだったら掴んでいるはずだ。 僅かでも可能性があるのならば、勝利という二文字を揺るがせたりはしないはずだ。 「よくやった、とは言わない」 だから優斗も容易に慰めたりはしない。 「勝てる可能性があったのは事実だし、キリアが掴み取れなかったのも事実だ」 自分の手で可能性を握りつぶしたことも。 勝利から自ら遠のいたことも事実。 「クリスが奥の手を見せたあと、キリアは選ぶものを間違えた」 負けに直結する選択をしてしまった。 「才能ある主人公でもない以上、覚醒も偶然も奇跡も何もかもありはしない」 ただの凡人であるキリアが戦っている最中に実力が上がるわけがないのだから。 「死にかけたって強くなれない。追い詰められたって覚醒なんかしない。不利になったって都合のいい奇跡は起きやしない」 全部全部、都合の良い出来事なんて存在しない。 だから、 「予測の上位である予知を今、キリアが出来るようになるわけがない」 元々出来なかった。 なのに戦っている最中に出来るようにするなんて、明らかに間違えた選択だ。 「いつも言ってるはずだよ、馬鹿弟子」 何度も何度も。 言い聞かせるように教えている。 「お前の強さは修練の中でしか生まれない。“今”強くなりたい、“今”会得したい、なんてものは縋る先として一番間違えている」 彼女は理想を見ることが出来ない。 今ある現実の中でしかキリアは戦えない。 「出来ないことをやったところで無駄だ」 あらためて突きつけられる。 「……っ」 分かっていたことだった。 分かっているはずだった。 けれどクリスが強かったから。 どうにかして勝ちたいと思ったから。 出来ないことをやろうとした。 優斗も気持ちは理解できる。 理解できるから表情を崩した。 「でも、今までよりずっと勝つ方法を模索し、可能性をたぐり寄せようとしてる」 阿保みたいに挑んだりはしなかった。 それこそ今までなら、無謀にも突っ込んで負けるだけ。 あれほど善戦出来たりはしない。 「これからも上手くいかなくて悔しい思いをするだろうし、たくさん辛いこともある。だけどその全てを成長の為の糧にしていこう」 「……言われなくても……分かってるわよ」 いつだってそうだ。 悔しいことがあるから奮い立つ。 辛いことがあるから頑張れる。 「だったら胸を張ればいい。準決勝で負けたとしても、キリアは確かに強さを証明したんだから」 クリスとあそこまで戦えた。 だから皆の記憶に残り、刻まれる。 キリア・フィオーレの強さを。 「僕としては結構、嬉しいんだよ。学院最強とやり合うことの出来た女の子が弟子っていうのはね」 少し前までは上級魔法を使えなかった。 剣技だって三流。 ただただ、意思だけで奮い立っているだけの女の子。 けれど優斗と出会って、無理矢理押しかけてきて。 強くなりたいから努力し続けた。 限界まで頑張って倒れても幾度となく立ち上がり。 才能を打ち壊す為に無茶なことすら挑み続ける。 こんな女の子に出会えた幸運を心から感謝したいと思う。 「誇らせてほしい。君が僕の弟子であることを」 師匠は本当に優しい微笑みを浮かべる。 「……うん」 小さな声で頷いたキリア。 優斗は彼女の頭に手を乗せて、 「今日はよく頑張ったね」 以前と同じように、雑にキリアの頭を撫でる。 彼女の戦い方は間違ったとしても、頑張ったことは褒められる。 「でも、自分でも結構驚きなんだけどね」 キリアの頭を撫でながら優斗は苦笑する。 「弟子が負けるっていうのは悔しい」 自分らしくない。 実力差は分かっていたのだから。 クリスが勝つことこそ当然だと知っている。 なのに、 「勝てる可能性なんてほとんどないと分かっていたけど、それでも思わずにはいられなかったんだ」 自分の弟子が最後に立っている瞬間を。 「キリアが勝つ姿を」 声にした瞬間、キリアがゆったりと顔を上げた。 悔しそうな表情が、さらにくしゃりと歪む。 「期待……してくれたんだ」 「しなかったら師匠失格じゃない?」 例え相手が親友だとしても。『学院最強』だとしても。 可能性はあったのだから。 手塩に掛けて育てている弟子が勝つことを夢見てしまった。 「……先輩」 キリアが泣きそうになる。 もう駄目だった。 自分の弱さが悔しくて、師匠の期待を裏切ってしまって。 目から大粒の涙が溢れてくる。 「……わたし、もっと頑張る」 「うん。キリアなら出来るって分かってるよ」 「もっともっと強くなるっ!」 「キリアなら大丈夫だって知ってる」 どこまでも優しい師匠の声音。 それがどうしようもなく嬉しくて。 ボロボロと涙が零れてくる。 そして同時に一つの決意が生まれた。 今の自分ではまだ、届かないのかもしれないけど。 キリアは大粒の涙を零しながら、震える声で宣言する。 「だからわたしが……次代の『学院最強』になる!」 大国リライトの魔法学院を背負う存在に。 世代の中でもトップクラスに位置する場所へ立ってみせる。 「……キリア」 優斗は僅かに目を見開いた。 「声にして覚悟を決めたのなら、退くという選択肢はないよ」 今一度、意思を問う。 キリアは鼻を啜りながら頷いた。 「……分かってるわ」 生半可な道ではないことぐらい知ってる。 自分より才能がある人など幾らでもいるし、その人達が自分より簡単に強くなれることも分かってる。 「ラスター君だっている。ヒューズだっている。けれど……っ!」 もう嫌だ。 誰かに負けて悔しい想いをしたくない。 師匠を僅かな可能性に縋らせたくない。 そして、その全てが“自分が弱い”という理由であるのだから、 「わたしが『学院最強』になる!!」 キリアは涙でぐしゃぐしゃな顔で誓った。 強くなる。 誰もが認める実力者になる。 「わたしが……っ、なるから!!」 しゃくりあげながらも言い張った。 もっと頑張って。 もっともっと努力して。 精一杯に望む道は駆け抜ける。 断固として譲らない。 絶対に曲げたりなんかしない。 自分はそれしか出来ない。 真っ直ぐに上を見ることしか出来ないから。 「まったく、そんな泣きながら誓わなくてもいいだろうに」 優斗はしょうがないな、と困った顔になりながらも今一度キリアの頭を撫でる。 「だったら僕も誓おうかな」 キリアが進むべき道を決めた。 ならばやるべきことは一つ。 「僕がキリアを『学院最強』にする」 彼女が歩く道を敷こう。 間違いなく『学院最強』となれるように。 「そうする理由なんて一つだけ」 キリアが袖で無理矢理に涙を拭った。 いつもの強い意志を秘めた瞳が向けられる。 優斗は頷き、唯一絶対の理由を口にした。 「キリアは僕の弟子だからね」 これ以上の理由は存在せず、これ以外の理由は存在しない。 ポン、と頭を軽く叩いて優斗は挑発的に笑みを零した。 「もっと虐めるから覚悟しておきなよ」 「上等。望むところだわ」 決勝はクリスとラスター。 キリアとの勝負でテンション爆上げしたクリスが、ラスターをフルボッコにして早々に終わった。 落ち着いたキリアは観客席でロイスと一緒に試合を観戦していた。 「ラスターさんを見てると惜しかったな、キリア」 「全然惜しくないわよ。クリス先輩、あれでもまだ全力ってわけじゃなかったんだもの。というかラスター君は可哀想なだけ。最初からテンション上げ上げのクリス先輩だったんだから」 キリアが圧倒された後半が最初から始まった。 可哀想にも程がある。 「今でも悔しいけど、思い返せば楽しかったわ」 「よかったな」 「ええ。いつもは先輩にボコボコにされるだけだもの。ああいう勝負は楽しいに決まってる」 少しでも太刀打ちできた。 必死だったけど、だからこそ楽しかった。 「ねえ、ロイス」 「どうした?」 「わたし、『学院最強』になる」 「そうか」 幼なじみは驚きも何もなく、ただ頷いた。 キリアは挑戦的な視線を彼にも向けて、 「ロイスよりも強くなるから」 「俺も簡単に負けるつもりはない」 「“黒の騎士”様だものね、ロイスは」 クラインドールの八騎士。 その一端を担っているとなれば、容易に負けるわけにはいかないだろう。 けれどロイスは全く別の理由を言ってきた。 「いや、キリアに守られっぱなしになるのは癪だ」 「はあっ? そんな理由なの?」 「当たり前だろ。俺にとってキリアはずっと守らないといけない女の子だったんだから」 それが立場逆転なんて、なんか嫌だ。 今はもう『守らないといけない』とは思わないけど、嫌なものは嫌だ。 「というわけで、どっちが強くなるか勝負だ」 「わたしが勝つけどね」 「いいや、俺が勝つ」 言い合うと、どうしてか可笑しくなって二人して吹き出した。