台所には卓也とミル、そしてリルがサポートとして立っていた。 買ってきた食材を並べて、卓也はリルに今日作る料理名を伝える。 「今日作るのは、おふくろの味とか男の胃袋を掴むとか言われてる肉じゃがだ。異世界人の男は大体、好きな料理だな」 「男の胃袋を、掴む?」 どういう意味なのだろうかとミルは首を捻る。 「言い方を変えると『君の料理を毎日食べたい』って感じか。異世界人は料理できる女の子に弱いから」 料理もさることながら、やはりこれが一番ポイントが高い。 エプロンを着けている姿でワンポイント。 料理を作っている姿でツーポイント。 作った料理を食べることでスリーポイント。 加えてリルの場合、時折照れながら出すのでおまけとしてフォーポイント。 さらに美味しいと言ってくれるか、ちらちらと確認してくる視線でファイブポイント。 要するに卓也としてはリルに五回惚れ直してしまうのが彼女の手料理ということになる。 「毎日、食べたい……」 一方でミルも頭の中で想像してみる。 どこぞの誰かに『ミルの料理なら毎日食べたいぞ』とお言われる姿を。 「頑張る」 すると彼女としては珍しく、かなり気合いの入った様子が見られた。 「なんかミル、燃えてない?」 「誰で想像したのか、ちょっと訊いてみたい気もするけどな」 卓也とリルがくすくすを笑いながら、調理を開始する。 「まずは野菜を切るか」 じゃがいもとニンジンを小さめに乱切りし、タマネギはくし型に切っていく。 そして切り終わると今度はみりん、砂糖、醤油、水を混ぜて煮汁を作る。 「で、次は野菜を炒めるわけだけど、この料理に関しては順番に正解がない。何度も作っていく過程で自分が一番美味しいと思える順番を探し出すしかない」 卓也はニンジンとじゃがいもを炒めながら説明を加える。 「あくまでオレの場合はニンジンとジャガイモを炒めたら、あとは作った煮汁に全部入れて加熱していく。人によっては肉も野菜も炒めるし、水を入れて野菜ぶっ込んで沸騰させてアクを取ってから調味料を入れて煮詰める人もいる」 あくまで卓也は野菜や肉の旨味がこうすれば出ると思って作っているだけだ。 なので人によって作り方がかなり変わっていく。 ミルは少し悩んだようだが、 「じゃあ、豚肉と野菜、炒めてから、作ってみる」 卓也と違う作り方をしてみて、どうなるかを選んだ。 ミルはじゃがいも、ニンジンを炒めるとタマネギと肉を入れ、さらに色合いがよくなってから水と酒を入れた鍋を沸騰させた。 その中にフライパンで炒めたものを入れて砂糖、醤油、みりんを使い味を整えていく。 一方で卓也はあらかじめ作った煮汁に食材を入れ、中火で熱していく。 二人とも鍋に蓋をしたところで、卓也はふと思い出す。 「そういえばレキータの異世界人が書いたやつに調味料も色々と書いてあったな。味噌やら醤油やら」 作り方みたいなのも書いてあったが、すでにあるのに作り方を書いてどうするのだろうか。 さすがにメジャーな取り扱いをされている調味料は少ないが、それでも普通に売っているというのに。 「異世界にあって、こっちにないのとか、ある?」 「オレが知ってるやつは大体、揃ってるよ。元々この世界にもあったか、オレ達以前の異世界人が作ったんだと思う。オレ達がいた国の調味料って世界的に結構異質だしな」 特に味噌などは好き嫌いの差が激しいのではないだろうか。 リルが盛り付け用の皿を準備しながら、少し驚きの様子を見せる。 「わざわざ作ったのかもしれない、ってこと?」 「食に関する気合いだけは凄いんだよ、異世界人って」 毒を持っているフグをどうにか食べようとしたり、などなど。 いくら美味しいと聞いたとはいえ、なぜそこまでして食べたいのかと質問したいぐらいに。 そして味を調えながら十分に煮たところでじゃがいもに箸を通し、柔らかくなったことを確認する。 「本来だったら煮詰めたあとに冷まして味を染み込ませるところなんだけど、さすがに遅くなるから今日はなし。ただ美味しく作るなら味を染み込ませるのは重要だから、覚えておくように」 と、卓也が説明してることに対してリルはあることに気付いた。 「今日、小さめに切ったのは、そのため?」 おそらく少しでも染み込ませる為に小さくしたのだろう。 卓也も頷いた。 「煮崩れするかもしれなかったけど、少しは工夫しないとな」 他にも幾つかのおかずを作り、食卓へと並べる。 そして全員で手を合わせ、夕食が始まった。 もちろんおかずのメインは肉じゃがであり、二つの器に入れられた肉じゃがを各々の箸がひっきりなしに捉えていく。 ミルは克也がどちらの肉じゃがも食べたところで訊いてみることにした。 「どっちが、美味しい?」 「そうだな……。やっぱり卓先のほうが一日の長があると思うから美味い。けれどミルのも十分、美味しいぞ。味付けの好みとしては、ミルの肉じゃがのほうが好きだ」 パクパクと食べながら克也は素直に答える。 ミルは少しだけ目を見開いたあと、僅かに笑みを零した。 「じゃあ、また、作る」 「面倒じゃないか?」 「毎日でも、だいじょうぶ」 「……うーん。そこまでは迷惑掛けられないが作ってくれるのは本当に嬉しい。朋子も喜ぶ」 「うん」 微笑ましい雰囲気になり、周囲の面々の表情も和らぐ。 卓也も和泉とレイナに一応ではあるが訊いてみた。 「お前達はどっちが好みなんだ?」 「両方美味い」 「どちらも美味しいでは……その、駄目か?」 元々、しっかりとした答えを期待していたわけではないが、それでも酷い返答だと思って卓也は苦笑する。 「やっぱり批評を訊くのはクリスが一番だな」 ◇ ◇ 食事も終わり、お風呂に入ったあとは男女別で部屋に入っていく。 そして素直に就寝……とはならない。 明かりは消してあるのだがリル達はベッドを寄せ、まるで修学旅行の夜のような状況になっていた。 「そういえばミルって料理が上手よね」 「もともと、作らされてた。マサキが助ける前と、助けてくれた後も」 前者の時は奴隷のような扱いだったから。 後者の場合はそうしないと居場所がなかったから。 だから料理を作ってきた。 「今回、異世界の料理を教えてもらったのも、セツナがフィンドの勇者の時と同じことを思ったから?」 「ううん。マサキの時とは、ちょっと違う。克也は食べたいとか、言ってない」 日本料理が恋しいとか、そういうことは聞いてない。 そもそも、ちょっとしたものなら卓也が教えたので朋子も克也も作ることができる。 「元気づけたいとか、そうじゃない。克也の為とか、それだけじゃない」 正樹の時は彼が恋しそうにしていたから作ろうと思った。 けれど今回は違う。 「作ってあげたいし、作りたい。嬉しくなってほしいし、嬉しくさせたい」 本当に自発的なものだ。 別に頼まれたわけではないし、日本料理を食べていないことに不満を言われたわけでもない。 「ただ、喜ぶ克也やトモコを、わたしが見たい」 だから教えてもらった。 自分が料理を作って二人を喜ばせたいから。 本当の意味で自発的に料理を作ろうと思った。 「でも、料理っていったら、リルは変」 「どこがよ?」 「料理ができる王女、聞いたことない」 ミルの言葉にレイナが吹き出す。 「確かに私もリル以外は知らないな」 そもそも貴族の令嬢でさえ作れる女性は限りなく少ない。 作る機会もなければ、作ろうとも思わないからだ。 無論のことそれが悪いわけではなく、コックの重用と雇用にも繋がっている。 つまりあからさまにおかしいのはリルなわけだが、彼女は平然と答えた。 「だって卓也と一緒にいたかったのよ」 リルとて彼が料理好きでなければ、絶対にやることはなかった。 けれど自分の婚約者は料理が趣味で、しかもかなりの頻度で調理場に立つ。 であれば、自分が料理をするようになれば一緒にいる時間が増えるのは必然。 「フィオナが言ってたけど、隣で一緒に料理してると触れる機会が増えるのはいいわよね」 偶然の接触とはいえ嬉しいものは嬉しい。 今は料理を作るのも楽しいと思えてきたので、一石二鳥になっている。 と、リルは『触れる』という単語で気になったことがあった。 「そういえばミルってセツナには触れられるのよね?」 「うん。あとはマサキ」 現状、彼女が触れる男は二人のみ。 優斗と卓也は袖を引っ張るぐらいは可能だが、触れることはできない。 「どれくらいまで大丈夫なの?」 「マサキは、腕に触れるぐらい。克也はほっぺにちゅー、まで」 予想していなかった剛速球がミルから投げ込まれて、リルは呆然とする。 「……意外と進んでたわね」 恋人同士ではないというのに、まさかのほっぺにちゅー。 何があればそんなことをやる状況になるのか、リルにはちょっと想像できない。 一方でレイナは二人の関係性や年齢から鑑みて、出てきた単語は一つのみ。 「は、破廉恥だ」 「破廉恥、なの?」 小首を傾げるミルに対して、リルは大げさに肩を竦める仕草をした。 「あたしと卓也なんてその破廉恥以上のことを文章にされた挙げ句、世界中で読まれてるんだけど」 普通にキスしたところもラストの見せ場として描かれている。 おそらくレイナが同じことをやって文章になったとしたら、恥ずかしさのあまり地底に埋もれて死んでいるだろう。 「そもそもイズミとどこまでやったのよ? もうキスはしたの?」 「む、むむ、無理だ! まだ早い!」 顔を真っ赤にしながら否定の言葉を口にするレイナ。 「……えっ? 付き合って四ヶ月以上経ってるわよね?」 リルは指を折りながら月日を数えた。 三月の終わりから付き合っているのだから、すでに四ヶ月は経っているはずだ。 「手は握れるのよね?」 「……時々でなければ心臓が破裂する」 「ほっぺにちゅーは?」 「……一度やったが、死ぬほど恥ずかしかった。おそらく次にやると心臓が止まる」 なんかもう酷い答えしか返ってこない。 リルは頬杖をつきながら溜め息を吐く。 「ヘタレ過ぎやしないかしら?」 「し、しかしだな。やはり結婚前なのだから清く正しく付き合わなければならない」 うんうん、と無理矢理頷きながら自分を肯定するレイナ。 二人が納得しているならいいかもしれないが、どちらにしろヘタレなのは間違いない。 「まあ、和泉も卓也みたいに疑われるような行動は絶対に取らないし、そんな感じでも安心できる男なのは間違いないけどね」 二人とも変に疑われるようなことは絶対にしない。 「迂闊に女の人に、触れないこと?」 「そうよ。ココだけは別だけどね」 彼女に関してはしょうがない。 女性陣の中でも唯一、ある意味で特別な扱いをされている。 「嫉妬とか、する?」 「前は嫉妬したわよ」 特に卓也は他と比べてもとりわけ仲が良い。 リルとて無条件で信じられるわけもなく、最初の頃はやっぱり嫉妬した。 「今は?」 ミルが訊いてみると、なぜかリルは呆れた様子で答える。 「それがフィグナ邸に行った時のことなんだけどね、あたしが到着した時にはココがあたしのデザートを食べちゃってたのよ。で、そのデザートが会心の作だった卓也が怒って逆エビ固めを極めてたの。その時、あたしは『あっ、この子に嫉妬するのは無理だわ』って悟ったわ」 思いっきり床をタップしながら『リ、リルさん助けてください!!』と叫んでいるココに、『会心だって言っただろバカ!!』と怒鳴りながら逆エビ固めを極めている卓也を見てしまっては、むしろどうやって嫉妬するのかを逆に教えて欲しい。 「たぶん、お互い着替えとかに遭遇しても平然とスルーするわよ。あの二人だったら」 家族は異性として意識しないというが、まさしくそれだ。 ココは卓也のことを異性として意識することは一ミリもないどころか無であり、卓也も同様だ。 「だからまあ、卓也とココがじゃれてる時はココを女だとは見なしてないわ」 ある意味で相性は素晴らしく良いから最初の時点でココが家庭教師になったのだろうが、男女という観点ではまさしく論外中の論外――キングオブ論外だ。