克也がイエラート王へと報告しに行っている間、イエラートの鍛錬場にレイナ達は歩みを進めていた。「スルト殿、私に頼みたいこととは一体?」「セツナに教えたいことがあるのです」 タックスは歩きながら、自分の教え子に思いを馳せる。「彼はあの歳にしては色々なことを分かってきている。だから教えている身としてあと少し、もう少し多くのことを教えたいと常に思ってしまう」 克也は今、頑張っている。 イエラートの守護者なのだから、ちゃんとイエラートを護れるようにと必死になって戦い方を学んでいる。 タックスも克也の頑張りを知って、見て、理解しているからこそ最大限のことをしてやりたい。「けれど教えるものによっては、口で言うには容易くも実際に見てしまえば大きな差異があるものが確かに存在します」 言ったことと見たこと。 同じ印象を受けることもあれば、違う印象を受けることもある。 そして今回、タックスがレイナに頼む理由は後者になると踏んでいるからだ。「なのでアクライト殿にお願いしたい。貴女が本物の戦士であるからこそ――」 戦い方にも色々とあること。 そして何よりも、「――己が誇りを互いに懸けて戦う、尊い勝負もあるのだということを」 ◇ ◇ 克也とミルが報告を終えて鍛錬場にやって来た。 「鍛錬場ってことは、レナ先と教官が戦うのか?」「いや、俺じゃない。俺よりももっと適任のやつがいるから、そいつを呼び出している」「トモコは、いなくて、だいじょうぶ?」「彼女はルミカと買い物に行っているのだろう? であれば連れ戻すこともない。何が何でも、というわけではないからな」 日常を楽しんでいるのなら、それでいい。 例えイエラートの守護者であろうと、タックスは教官として分別を付けている。「だけど教官じゃないとすると誰がレナ先と戦うんだ?」「それは――」 と、タックスが言おうとした瞬間、鍛錬場に足音が響いた。 皆が振り向くと、そこには細身の男性が一人立っている。 歳としてはタックスと同じくらいで、 二人は親しげに握手を交わした。「すまないな。急に呼び出したりして」「いや、願ったり叶ったりだよタックス。よく呼び出してくれたと感謝しているさ」 次いで男性は克也とも握手を交わす。 思いの外、握る力が強いと驚いている克也に男性は声を掛けた。 「君がイエラートの守護者である少年だね。君のおかげで今日という最良の日を得ることができて感謝しているよ」「え? あ、ど、どうも……と言えばいいのか?」 困惑した様子の克也に男性は笑い、そのままの調子で今度はレイナを真正面に見据える。 まだ何をしに来たのかも、何をしようとしているのかも分からない。 けれど男性はレイナがそこにいることに、途方もないほどに嬉しそうな表情を浮かべた。 「やあ、君が閃光烈華か」 軽い感じで声を掛けた男性。 レイナが会釈をすると、にこやかな表情のまま男性は名乗る。「俺はピスト・ハーヴェスト。たったこれだけで君なら分かってくれる。そう思ってるんだ」 自分の名前を言っただけ。 他に装飾する言葉はなく、単純すぎるほどの自己紹介。 ただそれだけなのに彼の目論見通り、レイナの全身に鳥肌が立っていた。「レナ先、知ってる……みたいだな」 武者震いと無意識に出ている笑みが、レイナは彼のことを知っていると暗に示している。 そしてレイナは当然のように克也へ頷きを返した。「……セツナ。イエラートには有名人が複数いると言っただろう?」 克也の教官であるタックスのように、名を馳せた人物が何人もイエラートにはいる。「彼はそのうちの一人だ。ギルドランクSにして『瞬剣』の二つ名を持つ凄腕の冒険者、ピスト・ハーヴェスト」 実力がある人間というのは、滲み出るような凄みがある。 いくら平々凡々と見せていようと、隠しきれないほどの雰囲気が垣間見える。 彼が一歩、鍛錬場に入っただけでレイナも彼の実力のほどがある程度は分かった。 もちろん興味を持つには十分過ぎるほどではあったが、彼の名を聞いてしまえばレイナにとって……どの凄腕よりも関心を抱く理由がある。「そして二つ名の意は――“最速”」 セリアールでの戦いにおいて、速さは決して軽んじられているわけではない。 クラインドールの八騎士が着ているような甲冑や鎧が廃れたのは、戦闘中の速度を求めたが故の理由。 けれど最重要かと問われてしまえば、それは違うと断言されてしまう。 力があり、技術があり、そのあとに出てくるのが速度。 まずは魔法の威力や発動までの正確性であり、まずは剣を振るう力や流麗なまでの剣技だということ。 六将魔法士と呼ばれる者達や剣聖、天下無双と呼ばれる者が多大な評価を得ている理由がそこにある。 一番に求められるが威力と技術であり、速さとは決して先頭だって求めるものではない。 けれど速さを求める者達がいるのか、と問われてしまえばいないわけがない。 少なからず「速さこそが一番に求めるものだ」と考えている者達もいる。 そして、その筆頭であり今現在において誰よりも早く駆け抜ける者が――レイナの目の前にいるピスト・ハーヴェストだ。「私が今、この世界で最も会いたかった人物と言っても過言ではない」 レイナ自身が望んでいることがある。 レイナ達が目指している場所がある。 だからこそ、いつか会いたかった相手が目の前にいる。 ピストはレイナが自身を理解してくれていることに、再びニヤリと笑みを零す。 「俺は去年の世界闘技大会で初めて君を見た」 出るためではなく、観戦しに行った大会で彼女がいた。「マイティー戦で興味を持ったけれど、記憶に刻まれたのは決勝で君がやった最速の一撃」 大会中、一般の部だろうと学生の部だろうと関係なく、誰よりも速く駆け抜けた存在がそこにいた。 思わずピストが目を奪われてしまうほどに。 優斗がやったことさえ霞んでしまうほどに。「その時、君ならばと思ったんだ」 彼女は本当に速かった。 霞むが如き速さの領域に立っている。 ただのスピード自慢では話にならないほどの速度を叩き出している。 そしてピストは心からの熱望が生まれた。「君とであれば“勝負”が出来るってさ」 誰も踏み入れていないし、“踏み入れる気さえしていない”だろうと思っていた。 自身が懸ける想いとは裏腹に、誰も自分ほど懸けていないことに失望していた。 けれど、その全てが吹き飛ぶほどの存在がそこにいた。「閃光烈華、君はどう思う?」 きっと同じだ、とピストは考える。 同じでなければ、あの速さは出せないとピストは知っている。 だからこそ問い掛けた。「君は二つ名に何の『意』を込めたい?」 二つ名には色々なものがある。 卓也のように、行いに対して新たな二つ名を得た場合。 優斗のように、あらかじめ『意』を持っている二つ名を得た場合。 前者の場合、『意』を持つこともあれば持たないこともある。 だから、「閃光烈華に対して、君が求める『意』は何だい?」 レイナの二つ名は意を持っていない。 速いことは理解されても、それだけの二つ名でしかない。 唯一無二であることを証明する名では、決してない。「私が……二つ名に求める『意』か」 レイナは呟くと曼珠沙華に触れた。 そして宝珠を見て、和泉を見る。 今まで自分がしてきたこと。 これまで和泉がやってきたこと。 ずっとずっと、二人で頑張ってきたこと。「ピスト・ハーヴェストに会いたかった。その理由は貴方が問い掛けたことに直結する」 その全てが一つのものを求めていた。 変わらず、いつまでも欲していた。 だから胸を張り、堂々と答える。「私が求める『意』は――最速だ」 それだけは揺るがない。 揺るがせることができない。「和泉がくれた想いを確かなものとし、素晴らしいものであると知っているからこそ――退くわけにはいかない」 告げた瞬間、ピストは破顔して真っ直ぐにレイナを捉えた。 彼女が続けるであろう言葉を期待し、けれど待ちきれなくて聞き返す。「……つまり、どうしたんだい?」 返したピストの言葉に、レイナも彼と同様に破顔する。 伝えるべきことなどたった一つしかない。「最速の意、私が頂こう」 ◇ ◇ タックスが二人の勝負のために必要な準備をしている時、克也は首を捻っていた。 それは二人の決着の方法。 同じ距離から飛び出し、着地した時が勝負を決するというもの。「戦うのに……一撃勝負なのか? 普通は戦いの中で速さを競って、どっちが最速か決めるんじゃないのか?」 速さをメインにして戦い、勝ったほうが最速を得ると克也は思っていた。 あまりにも単純すぎて、あまりにも簡単すぎるからこそ疑問を感じてしまう。 けれどそこにピストが声を掛けた。「いいか、少年。俺と彼女の勝負は“そういうもの”じゃないんだ」 靴型の魔法具を弄り戦いの準備をしながら、ピストは克也に語りかける。「譲れない誇りに対し、過度な装飾は邪魔になるだけだよ」 剣技はいらず、威力もいらない。 実力の上下など一切必要ない。「速く辿り着いた者が勝つ。シンプルだけど俺と彼女の間では唯一絶対の真理なんだ」 ピストは克也の頭をポンポン、と叩く。「イエラートの守護者である少年なら、見てくれれば分かる」 誰かを守るための戦いではない。 何かを倒すための戦いでもない。 同じものを追い求めているからこその戦い。「――譲れない誇りを懸ける、ということの意味を」 タックスが克也に伝えたいことを、今一度ピストは口にして開始線へと歩いて行く。 克也は堂々と歩くピストの背を見ながら、彼の言葉を反芻する。「誇りを……懸ける……?」 なんとなく意味は通じる。 けれどはっきり理解しているとは言えない。 ピストやレイナの想いをくみ取りきれていないことだけは、はっきりと分かった。 「なあ、卓先。誇りを懸けるって……どういうことなんだ?」 克也は隣に立つ卓也に尋ねる。「誇りを懸ける、か。オレは別に戦う人間じゃないし完全に理解できるわけじゃないけど、それでも分かることはある」 戦闘系の人間ではないからこそ、全てを分かってるとは言い難い けれど誰よりもリルを護りたいと願っているからこそ得た二つ名があるから、卓也は克也に伝えることができる。「あの二人は『最』を欲してるんだよ」「……『最』? えっと、どういうことなんだ?」「お前は“最強クラス”とか、そういった言葉を知っているから逆に理解しにくいかもな」 あやふやな言葉を知っているからこそ、逆に難しいのかもしれない。「いいか、刹那。本来、最強も最速も一人しか存在できないんだよ」 例えば『最速であろう一人だ』『最強と呼べる人間の一人だ』なんてものは、言葉としておかしいだろう。 最も強い、最も速い、最も上手い。 どれもこれも一人しか存在できないというのに、何人もいること事態がおかしい。「それに最強とか最速とかは偶然、手に入ったところでどうしようもない。チートを得たからって、誰よりも凄い力を得たからって、それだけで最強や最速と呼ばれるわけじゃない」 宮川優斗と同じ力を佐々木卓也が得たところで、使い手が卓也であればそれは『最強』となり得ない。 卓也が神話魔法を使えたとしても、優斗が上級魔法すら使えなかったとしても、勝負をすれば優斗が勝つ。 つまり“凄い力”は『最強』とイコールで結べはしない。 必ず本人の過去や経歴、人間性、性格が関係してくる。 「だから『最』を得る人間っていうのは必要に迫られてそうなるか、欲してそうなるかの二つしかない」 そして欲しているのならば、だ。 必ず研鑽した月日がある。 必然として積み重ねた日々がある。 求めたものに対する時間が必ず存在する。「あの二人は速さに対して譲れないものがある。そして最速という言葉の意味として、一人しか存在できない」 複数名いることはない。 たった一人しか名乗ることはできない。「一発勝負、一度きりの瞬撃。もちろん状況や場合によって左右されるかもしれない。だけど体調が悪かった、タイミングが合わなかったから負けた……なんていうのは、自分が培ったものに対する冒涜だと二人は思ってるんだよ」 たまたま、偶然、偶発、突発、奇跡、運、ありとあらゆる事象に左右されたとしても関係ない。 自分自身が求めているものは、その全てをねじ伏せる。「そんなもので揺るぐほど、あの二人の『最速』に懸ける想いは甘くない」 誰に対しても譲れない。 積み上げて、積み重ねて、築いてきた日々があるから。 「だからこそ誇りなんだよ」 そう言って卓也は笑みを浮かべると、レイナと和泉のほうを向いた。 皆とは少し離れたところで和泉が曼珠沙華の最終点検をしている最中、レイナはぽつりと呟く。「実力、という点において私は瞬剣に負けているだろう」 戦闘ではおそらくレイナは勝てない。 経験や技術が圧倒的にピストより不足している。「だが瞬剣が示した勝負には負けられない」 速さ、という一点のみを追求しているのならば、「私の想いが、私達の日々が負けているなど思いたくない」 誰であろうと勝つ。 何が何でも勝ちたいと思ってしまう。 そしてそれは和泉も同じだ。 宝珠を剣に嵌めて、レイナへと手渡す。「信じてる。俺が他に言うことはない」 彼女ならば問題ないと。 自分ならば大丈夫だと。 そして“自分達”だからこそ勝てると信じている。「十分だ、和泉」 レイナは剣を持ち、振り返った。「お前の作品に見合う私で在る、と。私が誰よりもお前に証明したいから――」 歩き、剣を腰に携えながら、明確な言葉を口にする。「――勝ってくる」 この瞬間だけはいつも変わらない。 和泉の相棒として、レイナは前へと進む。 レイナの相棒として、和泉は彼女のことを見送る。 戦士としての矜持と技師としての矜持こそ、互いを支え信頼に値するものだから。 「…………」 レイナは大きく深呼吸して線の前に立つと同時、剣を抜く。 ピストも応対するかのように剣を抜き、中段の構えとなった。 段々と張り詰めていく空気に同調するかのように、周囲の人間からも雑音が消えていく。 「今、この瞬間だけは剣技に頼ることがない」「今、この時だけは強さなんてどうでもいい」 違わずして、まるで口上を述べるかのように二人の言葉が響いた。 騎士としてではなく、レイナ=ヴァイ=アクライトとして最速を奪うために。 冒険者としてではなく、ピスト・ハーヴェストとして最速を守るために。 互いの魔法具に嵌めてある宝珠が輝き始める。 次第に朱い光と薄緑の光が周囲へと溢れ、溢れ、溢れ、それが炎と風になった瞬間、「「 恋い焦がれるは速さのみッ!! 」」 二人は同時に同じ言葉を言い放ち、己が持つ魔力の全てを宝珠へと注ぎ込んだ。 交わす視線は揺るぎなく相対する。 そして互いの誇りを懸けた勝負だからこそ、自分が絶対だと主張した。「――最速の意、それは私のものだっ!!」「――最速の意、これは俺のものだッ!!」