腕を引いて構えた瞬間、ふと昔のことをレイナは思い出す。 「イズミ! 黒竜に剣を折られたと父に伝えたら、名剣を与えていただいた!」 レイナが新たに手にした名剣を嬉しそうに和泉へ見せると、彼も目を輝かせた。 あれこれと、繁々と、爛々とした様子で剣を見た和泉は彼女に告げる。「会長。この曼珠沙華という名剣を俺に改造させてくれないか? もっと良い名剣にしてやりたい」 単純に、シンプルに、けれど想いが乗った言葉。 それから和泉はレイナの名剣の技師となった。 炎を生み出す名剣を手に加え、魔力を炸裂させる改造をした。 けれど他に何が必要かを考えて、二人で挑むと決めた日がある。「イズミ。もし他に能力を加えられるのだとしたら、私は速さを求めたい」 魔法具としての能力は、まず第一に威力を求めることが普通だ。 次いで防御であり、速さを求める魔法具はほとんど存在しない。「なぜだ? お前の速さは十分過ぎるほどに速い。これ以上、付け加える必要はないと思うが。であれば防御を自動的に展開させる魔法を加えるほうが有効的じゃないだろうか」 身体の使い方が上手いのだろう。 彼女の速度は普通の男子よりも圧倒的に速く、和泉としても彼女に勝てる同年代は修と優斗しか存在しないと思っている。 けれどレイナは首を振った。「私はここ今年に入ってから二度、遅れてしまったことがある」 思い返せば、失敗したことが二回ある。「一度目はユウトとの決勝戦。あの時、私は魔法具の存在に気付きながら砕くことが出来なかった」 寸前でカルマを召喚させてしまった。 見つけて、誰よりも先に飛び込んだとしても砕けなければ意味がない。「そして二度目。ついこの間のことだが、やはりこれが一番心に残る」 それはレイナが曼珠沙華を手に入れることになった理由。「黒竜に吹き飛ばされた時、私はタクヤとリルを守ることが出来なかった。いや、正確には“間に合わなかった”」 ダメージで膝が折れた。 けれどレイナからすれば“それだけ”で後れを取ってしまった。「あの二人を守るために動いたというのに……」 もっと速く動くことが出来るのであれば、問題ないはずだ。 誰よりも速く動くことが出来るのであれば、取るに足らなかったはずだ。「だからもう二度と、間に合わないことがないようにしたい」 己が騎士を目指すに最も欲するもの。 騎士で在りたいがために絶対としたいものがある。「難しいことを言っているのは承知しているが……不可能か?」 速さを増す魔法は存在する。 風を頼りに加速する魔法は確かにある。 けれどレイナが言っているのは、それ以上の速さ。 和泉は顎に手を置き、彼女が言ったことに対する考えを纏める。 彼女が言ったこと。そして彼女が願ったことを叶えることは出来るだろうか、と。「俺も少し引っ掛かりを覚えていることがある」「引っ掛かっていること?」「ああ。修と優斗の速度が向こうの世界にいた時よりも、上がってるんじゃないかという疑問だ」 元々、人間を辞めているとしか思えない加速や速さを持つ二人ではあるが、それでも常識外れだけとは言えない何かが存在しているような気がしていた。 「確かに私と同等以上の速度を余裕で出す二人だとは思っていたが、単に身体の使い方の差ではないのか?」「だとしても、そこに魔法か魔力が僅かでも絡んでいる可能性はある」 保有している魔力量の違いなのか、それとも無意識に利用しているのかは分からない。 けれど確かに和泉には引っ掛かった。 もしかしたら彼らの動きには、何かがほんの少しでも関わっているのではないか、と。「しかし違っていたとしても、考えとしては悪くないはずだ。手を出す取っ掛かりとしては十分過ぎる」 魔力や魔法、そのどちらかが肉体へと影響する。 最初に目を向けるには上出来の部類だろう。 レイナは無表情でもやる気が見える和泉の顔に、思わず頭を下げる。「私だけでは限界があることも承知している。だが私はお前の技師としての力で、威力だけではなく速さも求めたい。いや、速さをこそ最も求めたい」 何でもかんでも一人で出来るわけではない。 全てを一人で叶えられるほどの力をレイナは持っていない。 「だからイズミ。そのための力を私にくれないか?」 一人では出来ない。 一人では届かない。 けれど二人なら出来るかもしれない。届くかもしれない。 「会長。戦闘用の魔法具や名剣は、あくまで補助的なものだと俺は思ってる」 そして和泉は無表情のまま、それでも心から思うことを言葉にする。 道具は使い手がいるからこそ輝く。 主役として存在し、振り回されることを和泉は望まない。「十全に使われてこそ、道具としての本懐だと俺は信じてる」 能力を出し切れずにいることこそ、冒涜だと思っている。「だから俺はお前が求める物を違わず創り出す。それが技師を目指す俺の役割だと考える」 望むものを望むままに。 道具に振り回されず、道具に能力以上のことを願って振り回すこともない。 彼女が望むままの物を創り出す。「だとしたら私は、お前の作り出す物に見合う人間になろう」 レイナは和泉の言ったことに対し、素直に頷く。 道具に頼って自身の研鑽を怠ることなどしない。 劣ることのない、彼の技術に足りる実力で在りたい。「決して寄り掛からず、決して寄り掛かられることのない――お前が望む使い手になろう」 それが彼に対する礼儀であり、レイナの持つ矜持だ。「そしてもし、可能ならば――」 レイナは心から思う。 もう間に合わない、ということがないように。 自分の気持ちを叶えられる自分になっていたら。 ふっと笑みを零してしまう。「――いつの日にか『最速』と。そう呼ばれてみたい」 ◇ ◇ 強い相手と戦うの楽しい。負ければ当然悔しい。 修や優斗に追いつきたいとも思っている。 けれど『無敵』や『最強』と呼ばれたいなど考えたことはない。 学院最強と賞賛されていた。 もちろん、そこで止まろうと思ったことはない。 だが止まろうと思っていなくても、その先にある『最強』へ一心不乱に突き進もうとは考えなかった。 今だから分かることだが、レイナ=ヴァイ=アクライトは唯一無二を欲していなかった。 ただ騎士になる、と。 そう決めただけの少女だった。 けれど今は違う。 出会ったから望み、出会ったから欲し、出会ったからこそ求めた。 ――だから譲れない。 自分の求めるべき道が分かった時、思ったことがある。 和泉が自分の剣を創ってくれた時、分かったことがある。 一人だった時は望まず、欲さず、求めていなかったとしても。 二人だから願ったこと。 ――この気持ちだけは決して譲れはしない。 決して自分だけのことを証明するわけじゃない。 速さを欲した自分に対し、和泉が作った剣こそがこの世で最も素晴らしい物なのだと。 最速を望んだ自分に対し、彼の心を込めた作品こそがこの世で最も価値ある物なのだと。 相棒だからこそ証明してみせる。「求めるは朱華、闘いの歌」 正面には魔法具から風を吹き荒らしているピストの姿がある。 だが、それがどうしたというのだろうか。 疑念などいらない。 疑問など意味もない。 燃え盛る情熱を込め、ただ想うだけ。 ――豊田和泉の作品を汚すことなど、己ですら許さない。 最速を求めたレイナと、最速を叶えるために生まれ変わった名剣。 そして和泉が違わずして創ってくれたのならば。 レイナが求めたことを叶える剣を造ってくれたのだから。 ――劣る自分こそが恥と知れ。 絶対に勝ってみせる。 必ずその意を得てみせる。「希うは閃光の狭間」 誰よりも早く、速く、迅く。 万人が追いつくことままならぬ最速の剣戟を目指し。 何人たりとも踏み入れること許さぬ最速の領域へと辿り着く。「願うるは刹那の理」 故にレイナ=ヴァイ=アクライトは突き進む。 踏み込み、踏み締め、蹴り出し、閃光の如き鮮烈なる朱き華となって。 唯一絶対の『最』を求めているからこそ、誰であろうと譲らず譲れない。「遍くを携え、蒼穹を紅蓮に染め上げるは我が一剣」 だから――勝つ為に告げよう。 我が魂の名、「曼珠沙華ッ!!」 天上に咲く花の名を冠した、相棒の想いが宿る愛剣の名を。 対してピストの表情は真剣でありながらも、堪えることの出来ない嬉しさを表していた。 ――当たり前だ。 心は躍り、鼓動がどうしようもなく高鳴る。 自分に対して最速の勝負を挑む。 誰もやらなかったことだ。 剣聖でさえ、自分には速さではなく技術で対応した。 天下無双でさえ、自分には速さではなく強さで対応した。 ――だからこそ。 ピストは相対している騎士に心からの賞賛と、感謝を求めてやまない。 自分にとって速さとは全てだ。 攻撃をされても躱すどころか、攻撃される前に攻撃できる。 先の先を取ることが出来る。 つまり安全と強さを兼ね備えた、戦士として最も求めるべきものだとピストは考えていた。 けれど周りは速さよりも攻撃力を求め、技術を求めた。 無論、速さも一定以上は必要だからこそ鎧などは廃れたが、鎧を捨てたからこそ『速さは大丈夫』なのだという傲慢な考えを持つ者もいる。 だから時折、一撃離脱の戦法だけをやっていると卑怯だと罵られることさえあった。 ――けれど、そんなことは全てがどうでもいいことだ! 今、目の前に自分が持つ『最速』の意を奪おうとしている騎士がいる。 自分が追い求めたものと同じものを求めた戦士がいる。 ――ならば真っ向勝負するだけのこと。 負ける可能性はある。 もちろん負けるつもりはないが、負けたところで自分には追求すべき部分があるということ。 相手が素晴らしいということは勝とうと負けようと価値がある。 ――なんて心が躍るんだろうか。 ピストもレイナと同様に構える。 相対している騎士からは朱き炎が吹き荒れ、まるで彼岸花が咲いているようにさえ思えた。 心地よく響く彼女の詠唱を耳にしながら、ピストも魔法具に渾身の魔力を込める。「さあ、閃光烈華! どちらが最速なのかを決めよう!」 詠唱を詠んでいるレイナと視線がかち合う。 互いの気迫が一段と増したと同時、「曼珠沙華――ッ!!」「はぁっ!!」 レイナの叫びと同時にピストは真正面に飛び込む。 同時に蹴り出し、同時に飛び出し、同時に突き進んだ。 飛び出したと同時にピストが踏み出した地面は爆ぜ、後方からは膨大な量の風が背を押す。 相対しているレイナの背にも、まるで炎が速さを後押しするかのように追従している。 けれどピストは負けると露も思っていない。 ――俺は俺の速さを信じてる。 踏み締める足に託したのは己が速さへの思い。 蹴り出したのは己が速さへの情熱。 飛び出したのは己が速さへの信頼。 だからこそ勝負が決するのは攻撃のタイミングではなく、速さのみ。 互いがどこに足をつき、攻撃をするのかは分かっている。 距離が同じであるのならば、先に到着したほうが先の先を得る。 防ぐことなどどうでもいい。 躱すことなど論外だと唾棄すべきもの。 剣の技術による後の先など互いに望みはしない。 この勝負は“そういうもの”ではない。 地面に踏み締めた左足こそが決着の時。「――っ!」「――ッ!」 互いが誇る刹那の瞬撃。 到達した瞬間に分かる勝敗。 だから一秒が遙かに長く感じる勝負は――文字通り一瞬で決した。