優斗とフィオナが闘技大会に行ってから3日目。 「……ぱ~ぱ……まんま」 二人が出かけた当初は普通だったが4日間という日程はあまりにも長く、マリカの寂しさも限界に達していた。 朝、起きても母親はいない。父親もいない。 おじいちゃんとおばあちゃんもできるかぎり一緒にいてくれるが、やはり寂しいものは寂しい。 エリスも一緒に遊ぶにしても歳なのか限界があるし、紛らわす術も尽きかけていた。 「うぅ~……」 泣きそうになるマリカをエリスがあやす。 「マリカ。パパと良い子でお留守番してるって約束したでしょう?」 「……あい」 「それでも寂しい?」 「あい」 素直にこくりと頷く。 「ならしょうがないわね。こういうときこそシュウ君を呼ぶのよ。シュウ君が一緒に遊んでくれるから、パパとママが帰ってくるまで頑張るのよ」 エリスは胸元にある笛を指差し、吹く真似をする。 「…………あいっ」 言われた通りにマリカは笛を口元に運ぶと、思いっきり吹いた。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ それからわずか30秒後、遠方より段々と足音が近付いてきて、 「どうした!?」 トラスティ家の広間に凄まじい勢いで修がやってきた。 「……早いわね」 「笛の音が聞こえたんで」 何か問題が起こったのかと思って、一目散にやって来た。 けれども周囲に敵意などは存在しない。 少しいぶかしむ修だが、 「マリカが寂しがって大変なのよ。相手してくれる?」 エリスが笛を使って修を呼んだ理由を話す。 「え? 別にそんぐらい構わないっすけど、もしかして呼んだ理由ってそれ?」 「そうよ」 頷くエリス。 「……そうだったか~」 修は遊び相手として呼ばれたことに安堵する。 「おばさん、焦らせないでくれよ。優斗もいねーから、マジで緊急事態かと思った」 「ごめんなさいね。私も歳なのかマリカの相手をするのも限界なのよね」 トントン、と腰を叩くエリス。 「おばさんは見た目若いのに、案外歳喰ってんだな」 「だてにおばさんって呼ばれてないわよ」 「そりゃそうっすね」 と、ここでもう一人、広間にやって来た。 「シュ、シュウ様! は、早すぎますわ!」 アリーが広間へと息を切らせながらたどり着く。 「それでマリカちゃんは無事なのですか!?」 「問題なかったわ。遊び相手になってくれってよ」 呼ばれた理由を言う修に、アリーもほっと一安心する。 「そうなのですか。よかったですわ」 息を整えながらマリカへと近付く。 「それじゃあ、今日は一緒に遊びましょう」 笑顔を浮かべる。 それだけでマリカから泣きそうな表情が消え、喜びが浮んだ。 「あいっ!」 というわけで、まずは散歩に行くことにした。 マリカをベビーカーに乗せて商店街を歩く。 「俺、これ使ってるの初めて見たわ」 「マリカちゃんはユウトさんとフィオナさんに抱っこされるのが大好きなので、すぐ邪魔になったらしいですわ」 「へぇ、そうなんだ」 ゆっくりと歩いていると、チーム全員が学院帰りによく寄る総菜屋がある。 「あうっ!」 マリカがそこに反応した。 「おっ、マリカ。行きたいのか?」 「あいっ」 「おっしゃ。じゃあ寄るか」 マリカの意思に従って、総菜屋に入る。 威勢のいいおっちゃんが出迎えてくれた。 「珍しいじゃねーか、この時間に来るなんて。おおっ、アリシア様も一緒か」 「3日ぶりですわね、店主」 「アリシア様に寄ってもらえるなんて毎度、鼻が高いってもんよ。それに赤ん坊も連れてどうした……ってマリ坊か。なんだ? ユウトとフィオナ様はどうした?」 どうやら優斗とフィオナはマリカを連れても来ているらしく、顔を覚えられていた。 「優斗もフィオナも闘技大会の選手に選ばれちまってよ。向こうに連れて行けるわけもねーし、俺らが面倒見てんだよ」 「あん? 闘技大会ってーとリスタルの世界大会か?」 「そうそう。優斗が出場してて、フィオナが予備選手として行ってんだ」 「ほぉ、そいつは凄えな」 素直に店主が感心した。 「で? 何か買ってくか?」 「コロッケとクリームコロッケ。マリカには……」 「ユウト達が頼んでる、マリ坊用のやつを作ってやるよ」 「オッケー。分かった」 てきぱきと店主が行動し、3分でできたて熱々のコロッケが出てくる。 「いいか、マリ坊にはちゃんと冷ましてやれよ。火傷でもさせたらあの二人がヤバい」 「そうなのですか?」 「うちに初めてマリ坊連れて来て、火傷させちまってな。その時はおろおろあたふた、心底焦ってたぜ」 「……その時の様子が手に取るように浮かびますわ」 続いてはコロッケを食べながら歩き、とある女性の横を通ろうとしたときだった。 「あいっ!」 マリカがあいさつをするように声を出した。 「あらあら、マリちゃんじゃないの。ベビーカーに乗ってるなんて珍しいわね~」 ほんわかとした感じ、40歳くらいの奥さんがにこやかにマリカに話しかけた。 そしてベビーカーを押してる二人を見て、 「あら? あらあら? アリシア様と……どちら様かしら?」 「俺は修。優斗とフィオナの友達なんだ」 「そうなの。あの二人はどうしたのかしら?」 「闘技大会の選手に選ばれてしまったので、マリカちゃんはお留守番なんですわ」 「あら~。大変ね」 やっためったら『あら』という言葉が多かった。 「マリちゃんもすごいわねぇ。王女様に面倒見てもらえるなんて」 とマリカの頭を撫でる女性。 おばさん。今、頭を撫でているのは王女よりも凄い龍神です。 このことを伝えたら、どうなるだろうか? 少し気になった。 「奥様はマリカちゃんとお知り合いなのですか?」 「あらやだ、奥様だなんて。けれどありがとうございますね、アリシア様」 「えっと……」 アリーに対してなんとも図太い対応だった。 「そうそう、どうやって知り合ったのかだったわね。マリちゃんがフィオちゃん連れて井戸端会議のところに飛び込んできたのよ。それから仲良くなったの」 なんていうか……たくましい。 王族相手にここまで剛胆に話せるのは、素直に賞賛できる。 しかも公爵令嬢をフィオちゃん、って。 「おばちゃん、凄いな。なんかもうちょっと慇懃な態度で接するかと思ったわ」 「フィオちゃんがアリシア様とかの話をしてくれるから、身近に思っちゃうのよね~。それに、ここ最近はよくこっちに出てくるじゃない。その姿を見てたら、どうにも微笑ましくてねぇ」 友達と遊ぶ姿を見ていると、どうしてもそう感じてしまう。 「あら? もしかして凄く失礼な態度よね、これ」 「いえいえ、気にしなくていいですわ。わたくしも話やすくて助かります」 「あらあら、ありがとうございます。フィオちゃんも公爵令嬢だけど、何度も話したら様付けを嫌がったのよ」 いやはや、このおばさんと何度も話すなどフィオナもずいぶんとたくましくなったものだ。 8ヶ月前は無口っ娘だったと言っても誰も信じなさそう。 「時々、フィオちゃんの旦那様も見るんだけど、物腰柔らかくて、フィオちゃんが惚れるのも分かるわ。私もあと30年若かったら、あんな出来た旦那様が欲しかったわね」 そっからめくるめく会話の連鎖。 おおよそ、20分は話しただろう。 「あら? そろそろセールの時間だからお暇するわね」 「い、いってらっしゃいませ」 「……頑張ってくれ」 「さようなら、アリシア様とシュウくん」 手を振って奥さんが消えていく。 マリカも手を振り返していたが、修とアリーは嘆息。 「……すげーな」 「……フィオナさん、尊敬しますわ」 ◇ ◇ ある程度は時間を潰せたのでトラスティ家に戻ることにする。 ついでに暇だった卓也とココを拉致同然に引っ張り込んだ。 そして庭に連れ出す。 「今から鬼ごっこをする」 「……いきなり引っ張り込んで何をするのかと思えばそれかよ」 振り回されるのは慣れていても、鬼ごっこは予想外だ。 「わたし初めてです。楽しみ~」 「わたくしも楽しみですわ」 「あい~!」 楽しみにしているのは3人。 「ただし、タッチしたら鬼が変わるのではなく、ここに……庭で捕まっていてもらう。全員が捕まったら鬼の勝ち。逃げ切ったら逃げた奴らの勝ちだ」 そして修はにやりと笑う。 「最初の鬼は俺! そして制限時間は10分。場所はトラスティ家全域! 魔法は禁止! 逃げても良し、隠れても良し。好きにしていいぞ」 どうするかは本人次第。 「じゃあ、1分後に開始な。ほれ逃げろ」 パンと手を叩く。 「それじゃ全力で隠れさせてもらおうか」 「よし、逃げますよ~」 「マリカちゃん、頑張りますわよ!」 「あ~いっ!」 4人が一斉に散る。 「本当に元気ね」 庭のテーブルで紅茶をゆったりと飲むエリス。 マリカも寂しさを忘れてよかったわ、と思った。 「さて、と」 1分後、修が動き出す。 「ココ。お前は何してんだ?」 「鬼ごっこなら逃げ切ればいいんです!」 左右にステップを踏みながら、待ち構えるはココ。 どうやら一番に鬼ごっこを楽しみたいらしい。 「その挑戦、受け取った!」 修が駆け出す。 100メートルを10秒台前半で駆ける修の足。 人間の出せる上級の速度。 普通ならば驚くだろう。 だが、その速さを予測しつつ、ココが左にステップしてかわす。 あの速度ならすぐに方向転換はできないと見切った。 振り返りながら、 「どうです!?」 勝ち誇ったような顔を浮かべるココに、 「はい、残念」 修は肩をタッチする。 「……え?」 「ココちゃん。開始5秒で終了ね」 庭でのやり取りをエリスが見ながら、結果を口にした。 修はすぐに次の獲物を狙いに家の中へと向かう。 「えぇ~~っ!? なんで!? どうして!? かわしたはずです!」 もう姿の見えない修に納得がいかない様子のココ。 「シュウ君、すごかったわよ。ココちゃんがかわした瞬間にピタリと止まって、すぐ背後に回ってたわ。慣性の法則とか摩擦係数とかもう、完全に無視してたわね」 おそらくは修の技術なのだろうが、エリスには理解できない動きだった。 「そんな~……」 しょんぼりとするココ。 初めての鬼ごっこ。記録、5秒。 「続いては……っと」 家の中をキョロキョロと探す。 「たぶん、卓也だったらこの辺だな」 調理場へと入り、丹念に棚下などを探っていく。 「いない……わけねーな。あとは人が入りそうなサイズは……おっ、見っけ」 大型の冷蔵庫に視線を送る。 荘厳なそれを、バッと開ける。 「……お前、制限時間10分なのに普通、この場所は気付かないだろ」 「はっ、甘い。何年連んでると思ってんだよ」 「くそっ、やられた」 卓也、冷蔵庫の中にて捕獲。 記録、1分27秒。 続いての獲物を求めて、修は広間へとたどり着く。 「結構でかいから初心者は選びそうなんだよな」 言いながら修はテーブルの下を覗き込む。 「ビンゴ」 「えっ!? シュウ様!?」 イスの隙間を縫ってアリーが身体を隠していた。 「考えが甘いな、アリー」 アリー、捕獲。 記録、2分5秒。 「あとはマリカだけなんだけど……」 うろうろと家の中をうろつく。 「小っこいし赤ん坊の考えなんて読めねえし、最大の難敵なんだよな」 とりあえず、片っ端から探す。 だが、見つからない。 「あと行ってないのは、部屋だけなんだよな~」 トラスティ家各々の部屋。 さすがの修と言えども、フィオナの部屋に無断で入り込む度胸はない。 「おっ?」 とりあえず優斗とフィオナの部屋の前まで向かったところで、優斗の部屋のドアが少し開いていることに気付く。 「こりゃ助かったかな?」 優斗の部屋なら堂々と入れる。 足を踏み入れ、マリカが隠れていそうな場所をしらみつぶしにする。 「あ・と・は、クローゼット!」 思いっきり開ける。 「あうっ!?」 その片隅でマリカを見つけた。 「はっはっはっ。マリカ、これでお終いだな」 「うぅ~」 「つーわけで、マリカ捕まえ――」 「あうっ!」 その時だった。 マリカを触ろうとした修の手が空を切る。 「マジ?」 予想外の速さでマリカが逃げ出した。 「いいぜ、マリカ。制限時間までリライトの勇者から逃げられると思うなよ!」 ◇ ◇ 「ココさん、5秒はないですわ」 「5秒はない」 「だって避けきれると思ってたんです!」 捕まった3人で談笑する。 目下の会話はココが5秒で捕まったこと。 「あんなのに身体勝負を挑むのは無理だって」 「そうですわ。シュウ様と対等にやれるのってユウトさんとレイナさんぐらいですもの」 「そ、それでも絶対にリベンジします!」 「ココちゃん、燃えてるわね」 紅茶を啜りながらエリスが微笑む。 その時だった。 「失礼ですが、こちらに龍神がいらっしゃいますね」 紳士服を着た老人がいつの間にかトラスティ邸宅と卓也たちの間に立っていた。 「「「「 ――ッ! 」」」」 反射的に身構える卓也、アリー、ココ。 怖気が走った。 とてもじゃないが人間に思えない。 “何か”が人間の形をしている。 そう感じた。 「……何の用なんだ?」 「この家に龍神がいらっしゃるのでしょう?」 「いるわけないだろ、こんな場所に」 卓也が否定する。 けれど、老人は笑みを浮かべた。 「いいえ、います。気配がありますから」 断定した言い草。 この家にいるのがバレてるのは間違いなかった。 「……誰なんだ、あんたは」 「これは申し遅れました。私はシャグル。巷ではSランクの魔物と呼ばれている“モノ”です」 丁寧にお辞儀をする。 「……魔物?」 「はい。魔物には私のように人間に化けられるものもいるのですよ」 「それがどうして龍神を狙う?」 「皆様は知らないかもしれませんが、龍神を食すと不老不死になれるのですよ。ですから――」 メキリ、と。 老人の身体が変化する。 段々と肥大していった。 「今から龍神を食べさせていただこうと思いましてね」 不愉快な音をさせながら姿を大きくしていくシャグル。 その時だ。 「た~っ! あいっ!」 マリカが庭に現れた。 「マリカっ!?」 エリスが悲鳴のように名前を呼んだ。 けれど、マリカは修から逃げるためにとてとてと駈ける。 「バカ! マリカ、来るな!」 「マリカちゃん! 逃げてください!」 「駄目ですわ!」 魔物を挟んだ場所から現れたマリカ。 変化している最中の魔物の横を通り過ぎる。 『これはこれは。まさか龍神が自らやって来てくれるとはありがたいですね』 魔物が手を伸ばす。 「やばいっ!」 卓也もアリーもココもエリスも駆け出す。 その瞬間だった。 「待てコラ、マリカ!」 もの凄いスピードで修がやってくる。 マリカに狙いを定め、一直線に駆け出した。 その直線上に訳の分からない魔物の存在があって思わず、 「鬼ごっこの邪魔だ!」 拳一閃、全力で吹き飛ばした。 魔物は綺麗な弧を描いてトラスティ家から消え去っていく。 修は魔物を気にした様子もなくマリカを捕まえた。 「っし。マリカも捕まえたっと」 「あう~」 「残念だったな、マリカ」 ポンっとマリカの頭を叩く。 「ってわけで一回戦は俺の勝ち……ん? どうした?」 修が勝利宣言をしようとしたら、目の前で唖然としているのが4人。 「どうした? って。お前……」 呆れて何も言えないのは卓也。 「さっき、Sランクとか言ってませんでした?」 ビックリした顔で固まったココ。 「あれ、ただのパンチですわよね?」 信じられないようなものを見た表情はアリー。 「……ユウトが信頼するわけだわ」 なんとなく納得したのはエリス。 「なんだよ?」 マリカを抱きかかえたまま、怪訝な表情をする修。 4人を代表して卓也が答えた。 「いや、お前のチートっぷりに誰もが驚いてただけだよ」