<はじめに>
このSSは解決編と銘打ってありますが、別に出題編などどこにもありません。
すみません。(色々)
* * *
島に巣食う怪物と恐れられ、ソレの心もまた恐怖に満ちた。
討伐の勇者達を石化させ、ソレの心もまた石化していった。
二人の姉をも呑み込み心まで怪物と化した真実の悪は、
悪であれと望んだ者の手によって討ち取られた。
鏡によって生まれた怪物は、鏡によって死す。
私を倒し英雄と称えられたのは、真実の悪と正面から向かい合う事もできない、鏡に映した首を切り落としただけの、ただの卑怯者――。
* * *
…私が目を覚ますと、そこは薄暗い地下墓地の中でした。
「――ふむ、取り敢えずは成功といったところか」
闇の奥に皺枯れた声が響きます。
「へえ。お前にしてはやるじゃないか、桜」
闇の奥に、妙に癇に障る声が響きます。
「…」
跪く私のすぐ目の前には、奇妙な紋様の輝きを手の甲に宿す少女。
その体が、ふらり、と揺らぎます。
「……あ」
素早く抱きとめた腕の中、苦しげな呻き声を漏らす少女に、私は訊ねました。
「確認します。…貴女が私のマスターですか?」
少女はこくん、とうなずき、そして静かに瞳を閉じました。
「いやはや、情けない。この程度で気絶するとはのう」
私は腐敗臭の染み付いた地面に少女をそっと横たえ、立ち上がります。
「これでは先が思いやられるのう」
薄闇の奥に立つ老人が呟き、傍らの少年が嫌な笑みを浮かべます。
「まして、こやつはつい先刻“戦わない”などと申した。マスター殺しを拒むとなれば、もはや聖杯に挑む資格もない」
老人は少女の手に視線を落としました。
…召喚されたばかりですが状況は解ります。これは「聖杯戦争」と呼ばれる魔術師達の私闘であって、私に与えられた役割はマスターの指揮の元にサーヴァントとして敵主従を討ち滅ぼす、といったものです。つまり老人の言葉を要約すると、少女はマスターなのに戦いを拒絶した、という事なのでしょう。
老人の嘆きに、あの感じ悪い少年が力強く一歩進み出ます。
「――お爺様。つまり、桜の代わりに僕がマスターとなって聖杯を手に入れろ…と、そう言いたいのですね?」
何やら満足げな笑みを浮かべ、少年は傍らの老人を振り向きました。
「…やはり姉の方がいいのう」
老人は全然聞いていませんでした。
「お願いですからどうか人の話を聞いて下さいお爺様」
少年が懇願しました。卑屈な態度の方が似合っていると思いました。
「おお、おお。慎二よ、そういえばお主も居ったのじゃな」
老人はわざとらしく謝罪し、目立とう目立とうと努力していたのに完璧にその存在を忘れ去られていた哀れな少年へと向き直ります。
「…散々書庫に入り浸っていたお主に今さら説明の必要もあるまい。
慎二。妹と違い、覚悟はできていような?」
「――はい」
少年はいかにも嘘臭い決意の表情でうなずきました。
「うむ」
ちゃんと見抜いている様子でしたが、それでも老人は満足げにうなずきました。本当は割とどうでもいいのかも知れません。
老人は地に伏す少女に向き直り、淡々と声を発します。
「桜。お前にその令呪は不要であろう? そら、一つ兄に譲ってやれ」
その言葉を聞いて、少女がよろよろと体を起こします。
「うわ――!?」
眩い閃光が地下墓地を包み、そして、顔を覆った少年の手には一冊の古めかしい本が握られていました。
脱力し地面にへたりこむ少女の手の花模様――令呪は、既に幾つかの花びらを欠いています。
「これは…?」
魔道書のような本をまるで危険物のように捧げ持つ少年。
「それは“偽臣の書”。マスターとしての証を一時的に他人に委ねるマキリの技よ」
老人の説明に、あっさり態度を一変させた少年はその本を大切そうに服の内側にしまいました。
――つまりこれは、私にとってはマスターがあの好感の持てる少女から感じ悪い少年へと移ったという事なのでしょうか。最悪です。無言の抗議という事で、私は眼帯の下でのみこっそり表情変化を行いました。
「慎二、これでお前がマスターとなった。マキリの家名に恥じぬよう、存分に戦うがよい」
どういうわけか軽く聞こえる鼓舞の言葉に、少年はあっさりと舞い上がった様子でした。
腐臭漂う老人に力強くうなずいてみせます。
「わかりましたお爺様。…行くぞ、サーヴァント」
私に一瞥をくれ、少年は背を向けて歩き出しました。
仕方ないので私も嫌々ついていく事にします。
* * *
早足で歩いていく、慎二と呼ばれた少年の背中を見て思いました。
――やはり感じ悪い。
挨拶がないのは別にいいとしても、手に入れたサーヴァントの名前も能力も一切確認しようとしないのはなぜでしょうか。まさかとは思いますが、サーヴァントに対抗できるくらい自分の戦闘能力に自信があるのでしょうか。
もちろん、マスターの代役をさせられるくらいですから慎二もまた実力ある魔術師である事は確かなのでしょうが、あまりそうは見えません。
…というか、よく考えたら慎二からは一切の魔力を感じられません。
ひょっとしなくても本当に一般人だったようです。
「――おっと、大切なコトを言い忘れた。
一緒に戦う前に、一つだけ教えなくちゃいけないコトがある」
その一般人が突然立ち止まり、何やら背中で語り始めました。
「――うん。
初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ」
ざあ、と風が流れ込んできました。
振り返った慎二の顔には、人を安心させるような微笑み。
開いた地下墓地の入り口から降り注ぐ光が、彼の周囲を明るく染め上げます。
驚愕に動きを止めた私の髪を、爽やかな風が優しく揺らしていきます。
私はそんな慎二をまっすぐに見つめ、彼の告白に応えるように、
「…マスター。気は確かですか?」
そんな言葉を、口にしていました。
ふと背後を振り返ると、老人と少女が頭を抱えていました。
<つづく>