夜中にノックの音がした。ノックは規則正しく叩かれた。
始めに長く二回、それから短く三回。ルイズの顔がはっとした。急いでドアを開く、そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりとかぶった、少女だった。
辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉める。
シンジは脇に釣ってあるナイフを引き抜き、すぐさま謎の少女とルイズの間に入り込み盾となる。
「ルイズさん!下がって!!」
だがそんな、シンジを押しのけルイズは前に出る。
「……あなたは!?」
少女はその誰何の声には答えず、口元に指を立てる。頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと、軽く……。
振るう前に、ひゅっと風を切る様な音と共に杖を奪われていた。
「申し訳ありませんが、主の部屋での魔法の使用はお控えください。どちら様でしょう?」
頭巾の少女は、驚き口を開いたまま固まった。
件の使い魔はルイズのやや斜め後ろに立ち、とてもその位置から手が届くわけが無い。
しばらくして諦めたように、頭巾を外す。
シンジはうっと息を呑む、先ほどの舞台の上で見たこの国の王女様だった。
「姫殿下!ど、どうかご無礼をお許しください!」
ルイズはシンジの頭を抑え、あわてて二人で膝をつく。シンジは何がなにやらわからない。
頭がついていかない。そんな二人を尻目にアンリエッタは涼しげな、心地よい声で言った。
「久しぶりねルイズ・フランソワーズ。それとすばやい使い魔さん、杖を返していただけるかしら?」
第十七話 王女の依頼
アンリエッタは、跪くルイズを見て、感極まった表情を浮かべてルイズを抱きしめた。
「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」
「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」
抱きつかれながら、ルイズは緊張した声で言った。
「ああ!ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!あなたとわたくしはおともだち!おともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」
態度を和らげるよう促すアンリエッタにしかし、ルイズは堅い口調のまま返す。
そんな二人の様子を、シンジはぼけっと眺めていた。
「やめて!ここには枢機卿も、母上も、あの友達面してよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ!あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」
「姫殿下……」
どこか逼迫した様子の王女に、ルイズは顔を上げた。
「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの!泥だらけになって!」
はにかんだ顔で、ルイズが応えた。
「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルトさまに叱られました」
「そうよ!そうよルイズ!ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ!ああ、よくケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」
「いえ、姫様が勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」
懐かしそうに言うルイズ。 どうやら二人は、すっかり思い出話に花を咲かせたらしい。
「失礼、姫さま……シンジ、何か静かな曲をやってくれる」
簡易な「サイレント」のつもりでシンジに命令する。
「まあ、そういえば、あなたの使い魔さんは音楽家だったわね。そうそうちょっと失礼。
よいかしらルイズ……、と使い魔さん」
杖を取り出し、目線で魔法使用の許可を求める。無論シンジに否はない。アンリエッタは立ち上がると、シンジから取り戻した魔法の杖をふり、同時に短くルーンをつぶやく。
「……ディテクトマジック(探知魔法)?」
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
部屋のどこにも魔法による監視や、のぞき穴が無いことを確かめる。
「ルイズさんて、実はスゴイ人?」
「ぜんぜん。 姫さまご幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせていただいただけよ」
そして、アンリエッタに向き直る。
「でも、感激です。姫様が、そんな昔のことを覚えてくださってるなんて……。わたしのことなど、とっくの昔にお忘れになったのかと思いました」
王女は深いため息をつくと、ベッドに腰掛けた。
「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」
深い、憂いを含んだ声であった。
「姫さま?」
ルイズは心配になってアンリエッタの顔を覗き込む。
「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね、ルイズ・フランソワーズ」
「なにをおっしゃいますの。あなたはお姫様じゃない」
「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌ひとつで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」
窓の外の月を眺めながら、寂しそうに言うアンリエッタ。
「結婚するのよ。わたくし」
「……おめでとうございます」
その声に悲しいものを感じたルイズは、沈んだ声で返した。重い空気が辺りを包む。さらに加重をかけるかのように、アンリエッタの深いため息が、部屋に響いた。めでたい話をしたばかりだというのに。アンリエッタを案じたのか、ルイズが訪ねた。
「姫さま、どうなさったんですか?」
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに、わたくしってば」
「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風にため息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」
「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」
「いけません!昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!わたしをお友達と呼んでくださったのは姫さまです。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」
ルイズがそう言うと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。
「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」
アンリエッタは決心したように頷くと、語り始めた。
「今から話すことは、誰にも話してはいけません」
それから、シンジのほうをちらっと見た。
「姫様、ルイズさん。僕は席を外したほうがよろしいでしょうか?」
構えていたチェロを離し、魔剣を掴んで訊ねるシンジに、アンリエッタは首を振った。
「いいえ、メイジと使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」
そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語り出した。
「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」
「ゲルマニアですって!」
ルイズは驚いた声をあげた。ルイズはゲルマニアが大嫌いである。
「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」
「そうよ。でも、しかたがないの。同盟を結ぶためなのですから」
アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢を、ルイズに説明した。
アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに進行してくるであろうこと。それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったこと。
「……そうだったんですか」
ルイズが沈んだ声で言った。アンリエッタが結婚を望んでいないのは、口調から明らかであった。
「いいのよ。ルイズ、好きな相手と結婚するなんて、物心ついたときから諦めてますわ」
「姫さま……」
「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」
「……したがって、わたくしの婚姻をさまたげるための材料を、血眼になって探しています」
「もし、そのようなものが見つかったら……いえ、まさか?」
その材料が存在するというのだろうか?ルイズは顔を蒼白にしてアンリエッタの言葉を待つ。返事は、アンリエッタの悲しそうな頷きと共に始まった。
「おお。始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください!」
王女は顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。随分と芝居がかった仕草だ。
「言って!姫さま!いったい、姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」
ルイズも興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。
「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」
「手紙?」
「そうです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」
「どんな内容の手紙なんですか?」
「……それは言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は、このわたくしを許さないでしょう。ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」
ルイズは息せき切って、アンリエッタの手を取った。
「いったい、その手紙はどこにあるのですか?我がトリステイン王国に危機をもたらす、その手紙とやらは!」
アンリエッタは、首を振った。
「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」
「アルビオンですって!では!すでに敵の手中に?」
「いいえ、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」
「プリンス・オブ・ウェールズ?あの、凛々しき王子さまが?」
アンリエッタはのぞけると、ベッドに体を横たえた。
「ああ!破滅です!ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ!
そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!そうなったら破滅です!破滅なのです!同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」
ルイズは息を呑んだ。
「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」
「無理よ!無理よルイズ!わたくしったら、なんてことでしょう!混乱しているんだわ!考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」
「何をおっしゃいます!たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりともむかいますわ!
姫さまとトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の名にかけてルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけにはまいりません!」
ルイズは再度膝をついて、恭しく頭を下げた。
「このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」
「このわたくしの力になってくれるというの?ルイズ・フランソワーズ!懐かしいお友達!」
「もちろんですわ、姫さま!」
ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぼろぼろと泣き始めた。
「姫さま!このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、まったき理解者でございます!永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」
「ああ、忠誠。 これがまことの忠誠です!感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません!ルイズ・フランソワーズ!」
シンジはそんな二人を見て、半ば呆れ気味に呟いた。
「なんか、お芝居でも見てるみたいだな」
シンジのチェロをBGMに、アンリエッタとルイズの気持ちも高まってきたのだろうか。遠い世界へ旅立っている二人には、聞こえなかったようだ。そのかわり、傍らのデルフリンガーが応えてくれた。
「自分の言葉に酔ってんだろうさ。それより相棒、いいのかい?お前さんのご主人様は、自分から戦争中のアルビオンに行くと言ってるぜ」
「あっ」
「となりゃ当然、使い魔のお前さんも、その相棒の俺も行くことになる。俺としちゃあ、やーっと使ってもらう絶好の機会だからいいけどよ」
ルイズは、王女さまのためならどこへだって行くとは言っていたけれど……。
どうにも勢いで言っているような気がする。これはさすがに、放ってはおけない。
「姫様!」
「何でしょう、使い魔さん」
「ルイズさんは学生です。明日も明後日も授業があります。……だから、だから代わりにぼくが……へぶぅ!」
いいのが一発、シンジの腹に決まった。
「それは、王家の秘術アミアン・パンチ!!ルイズ、あなたいつの間に自分の物に!」
アンリエッタが、ギリっと奥歯をかみ締める。
それは、遠い昔ルイズがアミアンの包囲戦といわれる一戦でアンリエッタよりもらった一発。
その、完璧なコピーだった。だが、体重差ゆえか気絶とまでは行かなかったようである。
「だめよシンジ。今度ばかりはだめ」
「構いません、ルイズ。主人の身を案じるのは、使い魔として当然のこと。けれど……」
しばし黙考して、アンリエッタはルイズに言った。
「ごめんなさいルイズ。やっぱり、あなたには頼めない」
「そんな、姫さま!」
ルイズは悲鳴にも似た声をあげた。アンリエッタは、まるで夢から醒めたような面持ちで、ルイズを見つめた。
「あなたの言葉には、わたくし本当に感動したわ。だけど……いいえ、だからこそ、あなたには頼めない」
「それでは手紙は……、この国の未来は、どうなさるのですか!?」
ルイズの問いに、アンリエッタは苦い顔になった。他に頼める者は居ないのだろう。
おそらくルイズが依頼を受けたのも、王女さまに直に会えた懐かしさと、覚えてもらっていた嬉しさ。
シンジは腹をさすりながら、これまでのルイズを思い出して、改めてそう思った。
ちょっと無鉄砲で、負けず嫌いなところがあるけれど。ルイズはやさしい、そして強い女の子だ。でもちょっと寂しい学校生活を送ってきた女の子でもある。
それが要因になったのは、間違いない。だけど、きっとルイズは、それがなくても依頼は受けたんだろう。彼女は何より、名誉に飢えている。
昔の知り合いの赤毛の女の子のように。
「だけど手紙を取りに行かないと、この国が危なくなるんですよね?だけど、ルイズさんを行かせたくないってのは、僕も同じ気持ちです。僕も、ルイズさんに死にに行くような真似はして欲しくないし、もちろん死んで欲しくなんかない」
ルイズはシンジをキッと睨みつける。
「使い魔だけを危地に向かわせるなんて、そもそも主人のすることじゃない。それにもともと、わたしが受けた依頼なのよ」
「なに言ってるんです。こんなときのための使い魔でしょう」
「あんた一人でウェールズ王子のところまで辿り着けたって、信用してもらえるかしら?」
「それは、……ルイズさんでも一緒でしょう。ただの学生に過ぎないんですから」
「あんたね……」
ルイズは胸を張って自信満々に言った。
「わたしはトリステイン貴族。それも、由緒ある公爵家の三女。あんたには無い信用と、もちろんラ・ヴァリエール家の知名度もある」
ぐ、とシンジは思わずつまった。 しかし、簡単に頷くわけにもいかない。しかしそれはルイズも同じ。
どちらも一歩も譲る様子はなく、アンリエッタなど、睨み合う二人に挟まれて、困惑してしまっていた。すると、ルイズの部屋の扉が勢い良く開かれる。
「君たちいい加減にしないか!姫殿下の前でみっともない!」
ルイズとシンジに造花の薔薇を突きつけて、いきなり入ってきたのは、なんとギーシュであった。
「……って、ギーシュ、なんでここに?ここ、女子寮よ?」
「あ、ああ。いやなに、薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけてみればこんな所へ来てしまうじゃないか。それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子を伺っていれば……まったく、君たちは」
ギーシュが嘆息交じりに呟く中、ルイズは歯噛みした。
「姫さま、どうされます?話を聞かれてしまっていたようですが……」
「え、ええ」
アンリエッタはやはり困惑気味に相槌を打った。まだルイズとシンジの話にも、決着はついていないというのに。
「姫殿下!その困難極まりない任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」
「え?あなたが?」
「ギーシュ、だめよ!」
しかしギーシュは薔薇をルイズとシンジに突きつけながら答えた。
「僕は自分が未熟なドットメイジなのは承知しているが、少なくとも、姫殿下の御前で口論しだすようなメイジと、その使い魔よりは役に立つつもりさ」
そんな科白に、ルイズは思わず頬を染め、臍をかむ。
「グラモン?あの、グラモン元帥の?」
アンリエッタが、きょとんとした顔になってギーシュを見つめた。
「息子でございます。姫殿下」
恭しく一礼するギーシュ。まぁ、と笑うアンリエッタ。しかし、これは願ってもない話だ。
まだ学生の身ではあるが元帥の子息ともなれば、ルイズやその使い魔よりは、まだ頼れる人材に思える。彼の、王女たる自分を前にして、堂々とした態度もどこか頼もしい。
おまけに今年の使い魔品評会最優秀者でもある。
気疲れし、判断力が鈍くなったアンリエッタの瞳には、大層好ましく映った。
「わたくしの力に、なってくれますの?」
「姫さま!?」
ルイズが悲鳴にも似た声を再度挙げる。
「任務の一員にくわえて頂けるならば、望外の幸せにございます」
熱っぽい口調のギーシュ。 しかし、
「ちょっと待ってギーシュ。まさかとは思うけど……一緒に?」
「なんだい、君なんて一人で行くなんて言ってるくせに。いくら以前、決闘で負けたとはいえ、使い魔の君に心配されるほど落ちぶれちゃいない。当然、ぼくの使い魔は連れて行くさ。心配ならいらないよ?」
「なに言ってんのよ。シンジに手も足も出なかったって言うじゃないの。そのくせアルビオンに乗り込もうだなんて、頭沸いてんじゃないの?」
さらにルイズが一撃を加える。ギーシュは顔をしかめたが、すぐに余裕の表情をつくった。
「その言葉、そっくりお返しするよ。聞けば連日図書館でさまざまな資料を漁ったり、森のほうで猛練習を重ねているようだけど、肝心の魔法の方は相変わらずさっぱりだそうじゃないか。魔法ひとつ満足に成功させられないのに、未だ内乱収まらぬアルビオンに行こうとは。いくら使い魔君の腕が立つと言ったって、無謀だとぼくは思うね。
それに、いまだ彼の教育もできてないと見える。よもや、姫殿下の前であんな見苦しい口論を始めるとは」
やれやれと首を振った後、次いでシンジを見やった。
「君も君だ。姫殿下も仰られていただろう?メイジと使い魔は一心同体なんだ。危地に赴くのであれば、尚更さ。 シンジ、僕は君を、勝手にロバ・アル・カリイエのどこかの国の貴族かと思っていたんだ。今はどうあれね。だが、名誉無き貴族は貴族にあらず。それをいまいち理解していないように見受けられる。さしものルイズとて、貴族たる者の覚悟くらいは出来ているだろう。なら君も、せめて主人を、その名誉を守りきるくらいの気概を持ってはどうかね?」
そうギーシュに言われ、二人は憮然とした顔を向けた。シンジにいたっては内心自分をあざ笑っていた。
(貴族だって?僕は奴隷ですらなかった。父の道具にして、人類補完計画の神に捧げれし生贄の羊。それが僕だ。生贄の羊は命を奪われる、僕は死を奪われ放置された。永遠の孤独と言う名の地獄に……)
「って、あれ。 じゃあ何で……?」
急にわいた疑問。
サードインパクトは生き物すべてのATフィールドを奪い、自分に集約して起こったものだ。
自分の体は、ゼルエル戦の後、エヴァに取り込まれ、その後サルベージしたもの。リリスクローン、エヴァ素体の細胞をシンジの魂に集約して作った。人の形をした使途、それともエヴァの肉体に人の魂を乗せたものと言うべきか。
そして、サードインパクトのあの日、アダムの遺伝子までもその体に練りこまれ、S2機関を体内に発生させた永遠の時の囚人。そして、肉体はその魂の形に帰する。
だが、シンジにATフィールドが集約している以上、生命の自然発生はありえないのではないか? LCLは確かに生命のスープだが、そのままではいつまでたっても微生物一匹生まれはしない。
だがシンジの思考はここまでで、アンリエッタの声に邪魔をされた。
「頼もしい使い魔さん、勇敢なるミスタ・グラモン」
「「はい?」」
「わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」
そして、すっと左手を差し出した。ルイズは驚いた声を出す。
「いけません姫様!そんな、使い魔やただの学生にお手をゆるすなど!」
「良いのです。彼等はわたくしのために働いてくれるのです。忠義には報いるところが無くてはなりません」
ギーシュは手馴れたしぐさで、アンリエッタの手を取ると、自らの片膝を付き、臣下の礼をとってその手の甲に口付けした。そして、アンリエッタはシンジにもそれを促す。
だが、シンジはそれを拒否した。
「僕は結構です。 ご褒美はどうぞルイズさんとギーシュさんにお願いします」
「まあ、わたくしに忠誠を誓っては頂けないのですか」
そういわれ、シンジは少々眉をひそめるが、必死に言葉を選ぶ。
「僕はルイズさんの使い魔です。ですから、主が忠誠を尽くす方には、僕も忠誠を尽くします
また、忠誠の報酬は主のみより受け取ります」
ゆっくりと、どもりながらも静かにそう告げた。そのセリフを聞き、アンリエッタとギーシュはルイズに視線を向ける。
「なっ!ううん、いいわ。そういうやつだものね。シンジ、あなたは忠誠の報酬に何を欲しいの」
いささか頬を染め、そう返した。だが、シンジは無表情に、
「もう、ルイズさんには貰っています。 あとは一生かけてそれを返していくだけです」
そう言った。
「それでは姫さま。 この三名で任務を執り行いますが……急務と考えてよろしいですね?」
「え、ええ。アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」
ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷いた。
「早速明日の朝にも、ここを出発いたします」
アンリエッタはしばし三人の顔を見渡し、やがて頷いた。
「ありがとう」
ルイズとギーシュの顔が、明るくなった。
「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及んでいます」
「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」
ギーシュがごくり、と唾を飲んだ。
アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためはじめた。
「デルフ、姫様は何を?」
シンジは小声でデルフにささやくように聞く。
「皇太子から、手紙を返還してもらうための依頼状だろ。姫さん直筆のものなら、信用はなにより高いしな」
「なるほど……じゃあ、あれがあれば」
「あれだけあっても、あんた一人じゃ結局信用されないでしょうね。然るべき人物が届けてこそ、意味があるのよ」
いつの間にそばに来たのか。ルイズが真後ろに立っていた。即座に釘を刺され、シンジは肩を落とした。
「いい加減、覚悟決めなさいよね」
そうこうしてるうちに書き終えたアンリエッタは、自分の書いた手紙をじっと見つめ……、そのうちに、悲しげに首を振った。
「姫さま、どうなさいました?」
「な、なんでもありません」
アンリエッタは顔を赤らめると、決心したように頷き、末尾に一行付け加えた。それから、小さい声で呟く。
「……始祖ブリミルよ。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです。自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです」
密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。ルイズはそんなアンリエッタをじっと見つめるばかり。
アンリエッタは手紙を巻くと、杖を振って、巻いた手紙に封蝋をし、花押を押した。その後に、ルイズに手渡した。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」
それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡した。
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」
ルイズは深々と頭を下げた。 シンジとギーシュも、それに続いた。
「この任務には、トリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」
作者です。
今回、ほとんど原作の丸写しになりました。
どうぞ、ご容赦を。