サイトは、大きく息を吐いた。とっさのアイデアだったがうまくいったようだ。
消えていくバリアーと、それに伴って落下するシンジ。ひょいっと真下に移動し受け止める。
「三か月目でやっと一人目ゲットか。さーてこいつは魔法使いか、はたまた僧侶か」
「おい!」
サイトの雇い主である、傭兵団の団長が声をかけてきた。手には魔剣デルフリンガー。
「あっすんません団長」
「なんだかんだで、まーた勝っちまいやんがんの。可愛くねえ奴」
手にしてたデルフを、サイトに投げつけた。シンジのおかげで両手のふさがっていたサイトは、それを曲芸のように頭で受け止め、数回のヘディングでバランスを取った。
「にっひひひひひひ……」
「しっかしよう、おめえといい、こいつといい、ロバ・アル・カリイエはバケモンの巣か?」
「バケモンって、……こんな美少年を捕まえて、なんちゅうこと言うんですか!?」
「あん?どこに美少年がいるんだよ?」
わざとらしく首を振る。遠まきに見ていた団員達が集まってきた。
「なんか用っすか?」 「いつ俺の過去を?」 「十年ぐらい前なら俺のことなんすけど。今は残念ながら美青年になっちまったす」
「バカタレ!お前ら、美中年の俺を差し置いて何言ってやがる」
団長がそういうと、周りから男臭い笑いが巻き起こる。
「おい!」
「あん?」
その呼びかけは、サイトの頭の上から聞こえた。彼が頭の上でバランスを取り、乗せているデルフからだった。
「俺抜きで、あっさり勝っちめえやがって。立場ねえぜ」
「へへ……まっ、苦労してっからね」
「だがよ、さすが“純正”だ。改めてよろしくなサイト」
「んん~、なんだその“純正”ってのは?俺の左手に書かれてるこいつのことか?」
彼の左手の甲には、シンジと同じルーン文字が躍っていた。
すなわち「ガンダールヴ」のルーンである。
第三十五話 許されざる者 その1
「飛翔!」
出陣する際にはあえてこの言葉が使われる。
空軍艦をつなぎとめるすべてのもやいが解かれ、「イーグル」号は落下を始める。
ルイズは、その声が聞こえると、船縁の手すりにしがみつく。
空軍艦「イーグル」号は、その風石の少なさを補うため、しばらくの間自由落下を行い、スピードを稼ぐのだ。これは出口での待ち伏せ対策でもある。
ガクンッと足元が消えるような感覚がおそう。巨大な穴ぐらからの落下は、自分が落ちていくというよりは、周りの物すべてが空に向かい飛んでいく感覚だ、自分のみを置き去りにして。
空軍艦「イーグル」号は、その艦首を徐々に下向きに傾いでいく。落下速度も等加速となり穴を抜けたところで風石機関を徐々に働かせていく。自分の体に重量が戻ってくる。
まるで、雪山から滑り落ちるような美しいスロープラインを描きながら、船は徐々に平行になっていく。
海からの標高3千メイルの上空とはいえ、滑空するだけの空船は楽なものだ。下降は上昇に比べればわずかな量の風石ですむ。
「水平航行ヨーソロー!」
現在、船の上に仕付けられているマストの帆布は、すべて畳まれている。
その代りに平帆と呼ばれる、空船独特の船腹にある翼のような帆装が、その角度を絶妙に変え、雲を縦横にジグザグに切り裂いていく。
そして雲の下へ。
ルイズはまるで、手を放すのが惜しいとでもいうような雲の軌跡を振り返る。その先には大きな浅黒い雲の塊。今はもう雲に隠れ見えなくなってしまったアルビオン大陸があるのだ。
疲労は極。だが歯を食いしばりながらその雲の先にあるものを、置いてきた者を幻視する。
しばらくの航行、やがて海の白波が見えるほどに下降をすませ、あとはひたすら陸地を目指す。
「後方より風竜!そしてグリフォン一頭!」
見張り台よりの報告が全乗組員に通達される。船員たちは色めき立ち、戦闘準備に移行する。ルイズはそれを、ぼうっとして見ていた。やがてはっとして声を上げる。
「お待ちください!かの者たちは……」
「ルーイーズー!生きてるかー!」
大声を張り上げ、近づいてきたのは案の定ギーシュ達だった。
かなりの高速航行をしている空軍船「イーグル」号とスピードを合わせ、風竜シルフィードと空軍艦「イーグル」号はきれいに並ぶ。
風竜の羽を伝いギーシュが乗り込んできた。
「まずは、無事で何よりだ!」
ギーシュはルイズを見つけると、すぐに手を取り無事を確かめつつそういった。そうしてすぐに次の言葉を紡いだ。荒々しい口調で。
「そしてー!君の使い魔はどこだ!あの野郎は!」
ルイズは驚き目を見開いてギーシュを見る。その口調からは怒りが感じられる。
「……」
「どうしたルイズ?この船に乗ってるんだろう?」
何も、答えることが出来ない。唇を噛み締め、嗚咽が漏れないようするのが精いっぱいだ。
その様子を見て、ギーシュも悟る。
「……そうか。すまなかった」
続いて、キュルケが乗り込んでくる。彼女もどこか、怒りがほの見える風情でルイズに近づく。
それをギーシュが押しとどめた。
「なによ!」
「この船にシンジはいない。そういうことだ」
キュルケは目を一瞬だけ見開き、唇を引き結ぶ。目元は険しく鼻筋にしわを寄せる。
「あのガキ!逃げやがったわね!このあたしに魔法をかけるなど忌々しいったらありゃしない」
「落ち着け。ありゃケテルとかいう……」
そこでギーシュは、きょとんとして見ているルイズに気付いた。
「あ、あールイズ。君が使い魔に付けたルーンだが……」
彼としては、話題を変えようと気を利かせたつもりだったのだが。ルイズは一瞬目を見開くと、
「“マルバス”よ!」
「はっ?」
「シンジに付いた使い魔のルーンはマルバス!」
どこか必死になって、そう言い募る。
「マルバス」とは、使い魔に付くルーンのひとつだが、「銘」を持つルーンとしては最低レベルのものだ。
細かく言えば、ソロモン系男爵級(バロンス)「狡猾なる獅子」の異名を持つ大悪魔。系統はすべてに対応(やや水に多い)し、象徴とするものは「秘密」、使い魔の特性は「勘力、病気や毒への抵抗力の向上」である。
だが、ギーシュはそれが嘘なのを知っている。わからないのは、なぜルイズがそんな嘘をつくのか?である。
「マルバスはよいルーン。小さなオールマイティ。人によっては子爵級(ヴィスコント)の価値があるとも言われる」
そう、調子を合わせてきたのはタバサだった。ギーシュはこれを奇貨としキュルケに話を振った。
「あーキュルケ。君のフレイムはヤーコブ系かい?ゲルマニアには多いと聞くが?」
「まさか、まさかまさか、あんな格式のみ高いヤーコブ系など。あたしがフレイムに付けたのはもちろんソロモン系“マルコシアス”よ」
ルーンは偶然の産物だが、みずから“付けた”と言い放つキュルケの言葉が、彼女に自分の魔法への自信のほどをうかがわせた。
そして、ギーシュは演技半分、本気半分で驚いた。
「ソロモンの侯爵級(マークイズ)「炎の狼」が付いたのか!君ってやつは芯まで「火メイジ」だな」
「まあね。でもタバサもすごいわよ」
「キュルケ!」
タバサが珍しく、声を上げる。
「なによ、いいじゃない。さすがのあたしも「王侯級」(キングス、クイーンズ)など目にする機会があるとは思わなかったわ」
「へ、王侯……」
タバサは、ため息をひとつ。
「シルフィードに付いたルーンは……“アスモダイ”」
それは、最上級の快楽をもたらす復讐と風の女王。
「うっうう、「風の女王」って、しかも風竜に。ガリアにあるかどうかは知らないが、トリステインなら確実に「トリスタニア・フローレス」の一柱だぜ!?」
「ガリアにも似たような制度はある。そしていずこにおいても、スペックのみ高い使い魔を「国の宝」として遇することはない。私もシルフィードも未だに何もしていない」
(おそらくはガリアにおいても最年少であろうシュバリエ殿が言ってくれるな。)
ギーシュは自らを自嘲気味に振り返り、そう思う。そして、それを聞きルイズが言う。
「すごいわね二人とも、あたしは使い魔もルーンもしょぼくて恥ずかしいわ」
「ハァッ?!何言ってんのよあんたは!」
キュルケがすごい勢いでルイズに迫るが、ギーシュが押しとどめる。
「待て、待てって。……ルイズ、シンジについたルーンはマルバスなんだな?」
ギーシュは、皆にも聞こえるようはっきりとした声で、ルイズに確認する。
「えっ、ええそう。ぎりぎりだけど、一応「銘付」だったわ」
「……ふーん」
強力であり、かつ特殊な能力を付加する「使い魔のルーン」は「銘」を持つ。
有名な物は悪魔あるいは天使、精霊の名をつけられた。
過去、ガリアの高名な「学者王」ソロモンの名付けた「ソロモンの封印悪魔72柱」、それは最高の王侯級から最低の騎士級(ナイト)まで8段階。
また、同じくアルビオンの「放浪王」マーリンの名付けた「ヤーコブの守護天使72柱」、こちらも最高の熾天使(セラフ)から小天使(アンゲロス)まで9段階ある。
ちなみに、始祖の至高の四柱と呼ばれる「ガンダールヴ」「ヴィンダ―ルヴ」「ミョズニトニルン」は正体不明の一柱を除き、古式であるノルン系に分類される。古代の使い魔のルーン、それは古(いにしえ)の神の名をもつ。
ノルン系はもし出たらそれだけで「公爵級」(デューク)あるいは「知天使級」(ケルブ)以上の扱いとなる。
たとえばノルン系、ドヴェルグル族(級ではない)「ガンダールヴ」など。
現在において、確認されたノルン系は百を超えるが、そのほとんどが一回限りの出現である。
「なあにギーシュ。あたしがゼロだから「銘付」なぞ在り得ないって顔ね」
「いや、いやっ、そんなことはない」
そうでは無い、そうでは無いのだ。考えてみればウェールズ皇太子があの決戦前のパーティにおいてシンジのルーンを皆にばらしたことを彼女は知らないのだ。そしてルイズが彼のルーンを知らないことなどありえない。また皇太子殿下とワルドの決闘の際、ワルドがルイズに叫んでいたセリフを誰も聞いていないと思い込んでる。
とするのであれば彼女の嘘の理由はさほど考えずともわかった。少なくともギーシュには。
ちらりと、三人の女性を見る。タバサとモンモランシーはギーシュの視線に気づきアイコンタクトを返してくる。キュルケはいまいち判っていないようだ。仕方なしにもう少し話を続ける。
「あー、話は変わるが、君とシンジは“主従”のままかい?それともやはり“労使”または“師弟”まで進んだのだろうか」
ギーシュが今聞いたのは、使い魔と主人の関係のレベルである。
すなわち、
使い魔をメイジが一方的に支配し、命令を下すだけの存在である「主従」
使い魔に仕事をしてもらう代わりに、メイジも何かを捧げる「労使」(主従より面倒なだけに見えるが、より高レベルでの仕事を継続して行うようになる。また命令に対する理解度も深い)
使い魔が主人たるメイジをを尊敬し、畏敬の念を持って奉仕する「師弟」
基本的にはここまでが、いわゆる「教科書に載る」レベルである。
互いに尊敬しあい、お互いのため無償で奉仕しあう「友愛」となるとかなり希少となり、個人がそこまで達したと言い募るのは自由だが、まず本気にはされないレベルだ。(メイジ側が使い魔を“尊敬”するのが難しいため)
ましてや「合一」なぞ、各国の高名な魔法学者が口をそろえ「理想論」「机上の空論」と切り捨てている。
無論メイジは、使い魔とはすべからく「友愛」を目指す。
「そう、そうね。あまりフェアではないけど、あいつは言葉を持っていたし、もともと従順だったから「労使」と「師弟」の間ぐらいかしら」
「……ケテルを覚えてるか?」
「……」
「あれは、あれを、どう定義したらいい。小説によくある多重人格の片割れか?それともシンジの「合一」したアガシオンか?」
「合一」、それはメイジと使い魔が一体となり自他の壁がなくなること。融合された心を持つ伝説上のあるいは理論上の関係。始祖ブリミルですらここまでは到達していないといわれている。
ルイズは視線をギーシュより離し、海の果て……水平線に移した。
「わからないわ。そしてそれを知る手段は永遠に失われたわ。……あいつは死んだもの」
「……」
ギーシュには、船縁から海を眺めるルイズが、今どんな顔をしているかわからなかった。
空軍艦「イーグル」号は、先行した「マリーガーランド」号に追いつき、海上千メイルほどを陸地に向かい並走し始めた。
☆☆☆
王都トリスタニアは、上空から眺めると扇形をしているのがわかる。そしてその扇のかなめにあるのがトリステイン王宮である。王宮の周りは城下町ブルドンネ。ざっとではあるが王宮に近い側に商店街やホテル、そして各種官邸役所などがあり。その外側に平民や貴族、衛士隊などの住宅街が雑然と存在するのだ。
今、町は城下街と言わず、商店街と言わず、王都全体にピリピリとした空気が漂っている。
それは戦争が近いという噂が、ここ二~三日の間、町のお喋り雀たちの話のタネだったからだ。
そのことは当然、王都王宮を守る衛士達の態度にも表れる。この町の上空には衛士隊の操る幻獣が交代で空と四方を厳重に見張っていた。
そんな時だった。王都に近づく一匹の風竜がよたよたと飛んできたのは。
マンティコア隊の衛士達が、一斉に近づきその風竜を取り囲む。風竜の上には五人の人影。
その内三人は少女、一人は少年、もう一人は怪しい眼帯をした、まるで物語の海賊でございといった風体の男で、ただ一人大人のようだった。
魔法衛士隊の隊員達は、ここが現在飛行禁止であることを大声で告げたが、風竜はまるで落下をするように下降を始める。
「ヒー!」 「頑張れ!頑張れ!頑張れ!やればできる。やればできる」 「ギャー!落ちる―!」 「……」 「もうおなかすいていっぽもとべないのね……」 「誰だ、今の声は!」
どっすん、と落ちた先は偶然にも王宮の中庭。倒れ伏した風竜の背中からよたよたと乗員たちが下りてくる。疲労困憊なのは風竜だけではないようで、五人は一斉に座り込んでしまった。
だが、マンティコア隊の隊員たちは油断せず、着陸した彼らを取り囲み、一斉に腰の軍丈剣を引き抜き彼らに向ける。
「杖を捨てよ!何者か!」
いかめしい顔をした髭面の隊長が、大声で怪しい侵入者たちに命令した。
「お、お待ちを。怪しいものではございません。どうか姫様に、姫殿下にお取次ぎを」
皆がへたっている中、一人立ち上がり。そういったのは桃色ががったブロンドの髪の美少女だった。
「私はラ・ヴァリエール家が三女、ルイズ・フランソワーズでございます」
髭の隊長は、そのセリフに目を見張り、少し近づいて少女を見つめる。ラ・ヴァリエール公爵夫妻なら知っている。その多すぎる逸話と共に。
「フム、その目元。母君に似ておられるな。だがだからと言って無作法に自由に王宮に入ってよいわけではないぞ。そなたの言を信じる、信じないは置いておいて、まずは杖を捨てたまえ。要件はその後に訊こう」
杖を捨てよ、と言われ、わずかに戸惑う。
「さもなくば、これも役目ゆえ。貴公等を捕縛せねばならぬ」
ルイズは、やむをえず杖を地面に捨てた。それを見ていたほかの四人も。
隊員たちはそれを見て、向けていた杖を“構え”の姿勢に直す。
その時、手から放したはずの五本の杖の内、四本がふわりと浮かび上がる。
先端は外側に、すなわち衛士達に向けられていた。
「何の真似か!」
驚いたのは、衛士達ばかりではない。侵入者たち五人もその光景に驚き、目を見張っていた。
「やむをえぬ。捕縛!」
隊長の声に合わせ、衛士達が拘束の呪文を紡ぎ、魔法が飛ぶ。
水が、風が、土が、火が、ルイズたちに殺到する。
そして、そのすべてが寸前ではじかれた。固い壁に阻まれるごとく。
「抵抗するか!」
「お、お待ちを!これは……」
説明できない。なにが起こったのかギーシュにもタバサにもほかの誰にも。
ただ、ルイズがぼうっとしたまま、浮かぶ自分の杖をにぎりしめ、自分の胸元に引き寄せる。
「もういい、もういいのよシンジ……」
そのまま、膝を付き倒れ伏した。それが合図であったかのようにほかの三本の杖も地面に落ちる。
ザッ、と衛士達が歩を進めた。
「アッ!テンション!!!」
大声が中庭に響き渡った。ビリビリと大気が震えあがる。ただ一人、薄汚い恰好をした胡散臭い眼帯をした髭面の男が出した声だった。
ビクリ、とそこにいたすべての人間が止まり、すべての耳目がその男に集まった。
「大声を出してすまない隊長殿、抵抗はしない。どうか彼女を休ませてやってほしい」
そう言って、その男は手を後ろに組み、背中を見せた。続いてギーシュも。
「私は、ギーシュ。グラモン家の三男です。どうぞお調べください」
彼は杖を拾い、先端を自分に向け柄を隊長に差し出している。これは降参を示す軍人の習いだ。
「グラモン家……元帥閣下のご子息ですと?ほかの者たちは?」
女性三人は、膝を付き神妙にしている。
「彼女……たちは、我が友人たち。なにも知らず。僕に協力してくれただけです。僕は……僕の身分を言えばトリステイン魔法学院の学生です。いまだ何者でもありません」
「ふむ、君もお父上によく似ているな」
「父をご存じなので」
「知り合いではないが、知らぬものはいないよ、少なくともトリステイン貴族である限りにおいてはな。さて、ではおとなしくしてくれよ」
そういうと、髭の隊長は拘束の魔法を唱えようとした。そのとき、宮殿の入り口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物がひょっこりと顔を出した。大声で気づき近づいてきたのだ。中庭の真ん中で魔法衛士隊に囲まれたルイズたちの姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。
「ルイズ!」
それは、誰あろうトリステイン王国の王女アンリエッタ・ド・トリステインだった。
「ルイズ、ルイズ。ああこのように……」
アンリエッタは、自らの杖を取り出すと、呪文を紡ぐ。魔法の波動が、不可視の精神波がルイズを包み癒していく。その顔に生気が戻り、頬が赤く染まっていく。呼吸は正常なそれに、だがまだ目は覚めていない。そうとうに疲労がたまっているようだった。
「隊長さん。この者たちは皆、我が友人たち。私の命令で使命を果たしてきた者たちです。どうか彼らを解き放ってください」
隊長はそれを聞き、何も言わず目配せで部下たちに合図を送った。
☆☆☆
ルイズは兵士たちに抱えられ、宮殿の奥へと運ばれた。その様子を見てギーシュは、ほっと胸を撫でる。
拘束を解かれ、ギーシュは前に出る。ひざまづき上着のポケットから件の手紙を取り出した。
アンリエッタはそれを見て、わずかに眉を寄せる。大使はルイズのはずで彼はその護衛だ。ならば手紙も彼女が持っているべきである。
ギーシュはそんな姫の様子を見て言葉を探す。
「姫、このことに関しましては、後で説明をさせていただきます。そしてもう一つ……」
ギーシュは、後ろを振り返り、眼帯で髭面の男を見る。その背も、胸板もギーシュとはくらべものにならないほど大きい男だった。手を前に組み見下ろすようにこちらを見ている。
そんな様子を見て、ギーシュは口をへの字に曲げ、ため息をひとつ。
「隊長殿、その者をこちらへ」
五人の侵入者の中では、一番異彩を放つ男が前に出る。杖は預けてあり、無手のままだ。ザッと腰をおろし、手の平をよく見えるように上に向け、危険のないこと敵意のないことを態度で示し、頭を下げる。
「トリステインの姫君におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
身分の低い者なのか、ざっぱな口調と態度、しかし堂々としたものだ。
「私は、アルビオン王の使いとして、姫の御前にまかりこしました」
アンリエッタは息をのむ。アルビオン王の使いとはつまり……。
「まずは、風前のともし火であった我がアルビオン王家に手を差し伸べられたこと、まことに感謝に堪えません。我が王になり代わり謝辞を述べさせていただきます」
手を差し伸べた?いいえ。彼女がルイズに依頼したのはあくまで手紙の返還だ。亡命を促す手紙を書いたが、望みはないだろうと思っていた。
アンリエッタはわずかに眉を寄せる。援軍ひとつ出しわけでもないのにと。
「あの……、それはいったい?」
男は、王女の態度に奇妙な差異を感じる。
「その話は、またいずれ。……もう一つ。我が王よりの預かり物があります。此度の救援の返礼として、これをトリステイン王家にと言付かってまいりました」
そう言うと、男は自分のささくれ立った指から、豪奢な指輪を外し、アンリエッタ王女に差し出した。
「まあ、これ……はっ?」
「はっ、アルビオン王家に伝わる、「風のルビー」で……」
バシリッ、と差し出した手をはたかれたような感覚。
男が口上を言い終わる前に、その指輪はアンリエッタによってもぎ取られるように奪われていた。
「えっ?あれ?」
男はきょとんと、自分の手を見る。
アンリエッタは、もうその男には用がないとばかりに背を向けた。そして、
「あ、あの姫?」
「誰が立ち上がって良いと言いました!」
怒声。
たまらず、ギーシュはとりなそうとする。
「姫。その方は……」
「お黙りなさい。さもなくばグラモン様は知っていて、わたくしを騙そうとしたことになりますよ」
ギーシュは慌てて、自分の口を押え、そのまま衛士たちの後ろに隠れた。
(なんか知らんがバレテーラ)
「隊長殿。皆に杖をお返し下さい。そこの者にも!」
衛士たちが拾い集めていた杖をそれぞれに手渡す。今は一人、ひざまずいている眼帯ヒゲ男にも。
「さて、そこのあなた。お名前と、階級身分をお教え頂けるかしら」
うっすらと浮かべた微笑が恐ろしい。目が全然笑っていないからだ。
「は、はっ。わたくしは、……えーとアルビオン王国「イーグル」号船長の、……」
「偽りの身分ぐらい、さっと言えるようにしておきなさい!」
そういって、アンリエッタは自分の王笏(セプター)フランチェスカを取り出した。
「隊長さん。我が友人たちを守りなさい。しずく一滴かかってはなりませんよ」
「はっ、えっ、はっ!総員、各々シールドを張れ!そのまま二十いや三十メイル後退!巻き込まれるぞ!」
髭の魔法衛士隊長は、焦って衛士達に呼びかける。
瞬時の高速詠唱。中庭のあちこちから水柱が吹き上がる。それはやがて術者の横に集まり巨大な、蛟(みずち)の姿を取り始める。これはアンリエッタの魔法だ。
巨大な水の蛇が、うねるように男に襲いかかる。
「うひぃー!ちょ、ちょっと待って!」
「待ちません!」
男はたまらず魔法を唱える。エアシールドを前面に張りガード。バシャリと蛇の頭が砕け散る。だが、はじけ二股に分かれた蛟はそのまま二つ頭の蛇となり、男の背後より襲いかかる。
「アチョー!」(っとまってぇ!)
迎撃の魔法が、再びその頭を砕くが、それはいたずらに蛇の頭を増やすだけだ。たまらず「フライ」の魔法で空に逃げる。
「それは悪手」
いつの間にそこにいたのか?地面より伸びていた、うねる水の手が男の足を捕まえた。そのまま引きずり下ろされ、地面に叩きつけられる。
「いってー!あひぃー!ちょー!やめー!」
優しげな花の意匠を持つ王笏をぎりぎりと握り締めるアンリエッタ。しかしその姿は、彼女の周りを高速回転をする三十二本の「ウォーターウィップ」に隠れはっきりとは見えない。ドレスの広い裾をさらに広げるように展開される、王の魔法「トルネード・ウィップ」
高さは三十メイルほどに及んだろうか。それは怒れる水神のごとく。
その先端はまた蛟の意匠をまねる。そして先端が、地面に落ちた男に向かう。男はそれを全身を囲むように展開する「エアシールド」で防御した。
しかし、それを締め付けるように水の蛇は、その周りを取り囲んだ。逃げ場はない、空にすら。
風メイジがその魔法を、威力を十全に発揮するには条件がある。広い場所であること、障害物が少ないこと、敵との距離がそれなりに開いていること。それはひとえに風魔法には加速のための空間が必要だからである。魔法のレベルが上がるに従い、これらが徐々に狭まることになる。
水は侵入しようとし風はそれを拒む。だが水の質量には勝てず、すぐにエアシールドは崩壊した。
殺到する水の壁が男を包む。たちまちのうちに高さ3メイル直径は2メイルほどの水柱が出来上がった。
「ガボッ……」
アンリエッタはそのまま王笏を両手で握りしめ「操作」を開始した。彼女の両手はまるで雑巾を絞るがごとく王笏を握り締める。
「スクイーズ!」
「ガボガバボゴ……」
その効果は水であるため、そして閉じ込められた男がいたためすぐにわかった。
外側の変化はわずか。だが内部は荒れ狂う水流が男を翻弄していた。
「ひ、姫ぇ!どうかそのあたりで御止め下さい。さすがに死んでしまいます」
アンリエッタは、そう進言してきたギーシュをちらりと見ると、自分の王笏を空気を断ち切るように振り下ろした。
たちまちのうちに、水は重力の使命を思い出し、立ち上がるのをやめ地面に落ちる。
驚くほどの大量の水だったが、まるでゼリーのごとく地面に吸い込まれていく。しぶきはほとんどない。これはアンリエッタの魔法操作力もすごいが、王宮の庭に仕掛けられた無数の穴のためでもある。
「ガハッ!ゲボッ!ブフウ!」
閉じ込められていた男が地面に突っ伏している。口に喉に胃に入り込んだ大量の水を吐き出しているのだ。だがよく見ると先ほどとは様子が違う。黒かった髪の毛は金色に、薄汚れていた頬は白く、もじゃもじゃの髭と眼帯はどこかに消えていた。大量の水と共に。
「あらあら、まあまあ。どこぞの不審者かと思いましたら、ウェールズ様でありませんか」
わざとらしい言い様だった。ウェールズは慌てて自分の顔を触るが、自分の変装用小道具が、すべて洗い流されているのを確認しただけである。
「がっは!……なんでわかった?ディテクトマジックはかけられていないが」
ディテクトマジックは、基本的には魔法による虚偽、偽装、粉飾を見抜くものだ。ウェールズの変装は魔法によるものではなく、髪のそれも水に溶いた特殊な墨を使ったものだ。魔法を用いなければごまかせる。そう思っていた。
「殿方というのは本当に……度し難いですわね。髪を染めれば、髭をつければ、声を変えればそれが変装だと、誰にも自分がわからなくなると本気で思ってらっしゃるの?女としましてはそちらの方が不思議ですわ」
アンリエッタがウェールズの変装を見破ったのは、彼の差し出す手を見たからだ。そこから肉体、姿勢、雰囲気などから瞬時に見抜いた。またこの男に対するギーシュたちの態度もおかしかった。
総合してそれは「女のカン」というやつである。ちなみに今、アンリエッタが使ったのは、その上位存在にあたる「恋する女のカン」である。それは時に、いや、しばしば魔法に勝る。
「ウェールズ様わざわざのお出向き、感激ですわ。いろいろ仰りたいこともございますでしょう。謁見室を用意いたしますので。それまではみなさん旅の垢をお落としになってください」
作者です。
作中に出てきた「マルバス」はガンダムでいうとゲルググ相当になります。