その女、シェフィールドが廃墟となったニューカッスル城に入り込んだとき、すでに先客がいた。竜使いのようだった。体の大きな軍人たち傭兵たちを見慣れている彼女には、長身だがいささか華奢に見えた。皮の鎧とマントで身を包み上空には注意を払っていない。
だが、彼が率いているらしい三頭の竜はどれも立派で、特に大きな一頭が上空を舞う十頭のガーゴイル竜とその背に乗る女に気付いたようだった。キューキューと鳴き声を上げる。
「どうしたアズーロ。まだアマリロが戻ってきていない。僕の集中を乱すな」
(主よ、警告はしたぞ。後で文句を言うな)
「わかっているよ。僕の妹が来たんだ。いや姉かな?お前たちで対処できないか」
(難しいな、我で三頭、ロホとカルメシーで二頭ずつ、正直分が悪いな。モグラどもは戦力に出来まい)
やれやれと立ち上がった。はたして空の竜達は、五頭が彼女と共に地面に降り立つ。そして上空の五頭はそのまま上空より、こちらをねめつけている。
近づいてきた、ガシャガシャと金属音をまき散らしながら。
「あなた、どちらの部隊の方、それとも傭兵かしら?ここはしばらく閉鎖します。すぐに竜を連れて出ていきなさい」
振り返り、声の主を見る。シェフィールドもその兵隊を見る。目の色が左右で違う、いわゆる月目というやつだ。顔全体はわからない。兜は深く、口元を面貌で覆っているからだ。かろうじて若いのがわかる程度だ。
この点、シェフィールドとは逆である。彼女も顔を隠しているがフードを目深にかぶり鼻すじから上が見えない。
「……命令を受けております。この城には何かあると」
「それは私がやります。……いいえ、命令を受けたのはいつかしら?そして誰から?」
「そういうあなたは、どちらの部隊の方でしょう。見れば女性のようですが?」
「……クロムウェル総司令官直属のものです。よいから答えなさい」
「そう、言われましても」
(主、モグラどもが戻ってきた。どうやら手ぶらのようだ)
心の中で舌打ちをする。
「……かしこまりました。命令違反の言い訳には、あなた様のお名前を使っても?」
「……まあ、いいでしょう。私はミューズ。咎められたらそう言いなさい」
「第二風竜部隊、三番隊長のジュリアと申します。命令は昨晩ホーキンス様より」
「わかった、覚えておくわ」
彼は、黙って頭を下げる。
幕間話3 されど使い魔は竜と踊る
「ピューーイ!」
竜使いを守るように女をにらみつける三原色の竜達。彼らを指笛で呼ぶ。そのあと少し小声で指示を出す。
「合図をしたら、全力ブレスをあの女に吐け。イチ、ニーの」
“ヴォォォォォォ!”
ニーの半分ほどでアズーロというもっとも大きな竜が火炎弾を吐き出す。
唸りを上げる炎の塊は、しかし件の女性に届く前に向こうの放った火炎とぶつかり相殺される。
巻き上がる粉塵は城壁の上まで到達し、熱風の余波が二人を襲う
(ぼさっとするな!ジュリオ!)
「アマリロもどれ。ロホ、僕を乗せろ。アズーロはそのまま攻撃を、カルメシーは補佐に回れ」
蒼く巨大な竜は、ズーン!と大地を踏みしめ返事の代わりとした。
「芝居は終わりかい。ヴィンダールヴ!」
「劇の最中に礼儀知らずの乱入者がおりましたのでね。お代を頂戴いたしましょうか」
「ほざくな、このダイコンが!」
「聖なる大地、天の下、舞台は一流役者は名優。なれど観客の質が悪い!」
「ならば客の罵声と御ひねりを、その身で受けとりなさい!」
彼女の額のルーンが輝き、上空を舞う竜達が散開、口元にはそれぞれに攻撃魔法が展開される。
ジュリオという青年兵士は赤い竜にまたがる。ほかの二頭の竜を壁として騎乗竜が大地を駆け宙に浮く。
「ロホ、逃げろ。アマリロは後で回収する」
(心得た。アズーロとカルメシーは……)
「すでに、指示は出した。あんなガラクタに負ける二頭ではない」
(我は?)
「めんどくさい奴め、スピードと小回りで引っ掻き回し二頭の飛翔を補佐!」
ロホと呼ばれた竜は、大きく裂けた口元のさらに口端を微妙に持ち上げ、まるで人のような表情で笑いを顔に出した。
散開したガーゴイル竜の中央を突き抜け上方を取る。火炎弾では追いつけない。風を固めたブレスを三頭のガーゴイル竜が吐き出すが、ロホと呼ばれた赤い竜は、それをまるで後ろに目があるかのようにヒラリヒラリとかわしていく。
「はっはっは、お前の翼は魔王の杖とも変えっこなしだ!」
(うむ、ついでにきやつらは少し反応が遅いようだ。だが多勢に無勢長くは持たんぞ)
「なーに、少々観客は少ないがドラゴンダンスを披露してやれ。最強の使い魔ヴィンダールヴとその竜に対抗するには、時期尚早だったと教えてやろう」
「ロマリアの売僧どもが!
まさかこの時この場所にいたとはぬかったわ。もう少し早く気付いていれば高空からの一斉正射で、かたをつけたものを」
敵二頭の竜の火炎を、二体のガーゴイル・ドラゴンを犠牲とし防ぎつつ、その女シェフィールドも後退し手近の竜に飛び乗る。十分に距離を取り迎撃態勢を取った。
「だけどこちらも最新鋭、最高戦力のガーゴイル・ドラゴン。すべて持ってきたのは正解だったわね。ただの三頭で完璧な統率をした十体に勝てるとは思わないで!」
☆☆☆
「くそ!あの女!あの女め!」
(落ち着け。こちらは目的を果たし、向こうは追いかけられん。向こうのカラクリ竜も半分は落とした。残りも無事にはすまん)
「だが、ロホを、ロマリアの赤い翼を、……君の弟を」
(あまり悲しむな。戦いの中で死んだのだ、やつも本望だったろうよ。ただやつの獰猛さと勇猛さを覚えていてやれ)
「ああ、ああ、そうだな。……そこで止まってくれ。アマリロを回収する」
二頭の竜達は、その巨体の割に器用な翼操作で制動をかけ、空中にとどまる。そのまま壁に張り付いた。
アルビオン大岸壁の一部に穴が開く。そこから大熊ほどの生き物が出てきた。それはジャイアント・モールの成獣だった。
(やあ、ジュリオ。それに竜達。ありゃ赤いのはどうしたね?君らが三匹そろっていると、とてもきれいで好きなんだが)
(ロホは、一足先にミーミルの泉に向かった。ユグドラシルの元ではきやつが先達よ)
(おう、彼の魂に安らぎあれ。……では、彼の命の代わりにはならんだろうが、すごいものを見つけたよ。この真下にでかい穴があるからそこから入ってきてくれ)
(わしの背には乗らんのか?)
(勘弁してくれカルメシー。モグラにとって、空は眺めるもので、自在に飛ぶものじゃないってことを来るときに思い知らされたよ)
☆☆☆
「秘密の地下港か」
特に感慨もなく、そうつぶやいた。
穴を見つけ上昇するときに思ったが、アルビオンの地下抗にしては暗すぎる。青白い発光性のコケや、何よりも屑風石の燐光がほとんどなく、上昇につれ暗くなっていくのだ。
ジュリオは仕方なしに、竜達に火炎のブレスを吐くことを指示した。
「ここを根城にしていた王党派は、よほど腕がよかったらしいな。よくこれでぶつかりもしなかったものだ」
終点に着き、アズーロから降りる。ポケットから、ガラスでできた棒状のものを取り出し、軽く振るとまばゆい光が灯る。「発光」の魔法を封じ込めた魔道具だった。すぐに光は全体にわたり、広く天井の高い地下港を、薄暗く照らし出した。
「アマリロ、凄い物とはなんだ」
(壁側に光を当ててくれ)
ジュリオは言われるがまま、発光する魔道具を適当に壁に向けた。
そこには、天井から伸びて壁という壁すべてに張り巡らされた木の根。それもただの木の根ではない、透明なガラス状の木の根だった。それがびっしりと壁面のすべてに派生していた。
「ふー、確かにすごいな。ブリミル様が「大隆起」に抵抗された跡か。これほど見事に保存されてるのは初めて見たな……、いや待てこれは?」
(匂いは確かに精霊石なんだがね。燐光を発しておらず。何の力も封じ込められてはいない。こう言っちゃなんだが、出来立てほやほやに見える)
精霊石はガラス状の半透明な鉱石で、最大の特徴は色は違えどその内部に燐光を宿していることである。
また、様々な効能があり、最も有名なのは「浮かぶ」ことができる風の精霊石、「風石」である。
通常において、その力を引き出そうとすれば、石は気化現象により摩耗していく。したがってこのような内部に燐光がないものは精霊石ではない、ないはずなのだ。
「アズーロ、戻るぞ。体調は大丈夫か」
(さすがに疲れている。だが緊急なのだろう?)
「そうだ、連続ですまないが「同期」させてもらう。カルメシーはアマリロを乗せて後から来てくれ」
☆☆☆
「わがルーンの主よ、ただいま戻りました」
「どうしたね?アルビオンの担い手を探しにいった筈だが、まさかもう見つけたのかね」
「いいえ、ですが別のものを見つけまして、判断に困りました。……指示を仰ぎたく戻ってまいりました」
そこは、雑然とした執務室。だがむしろ国の図書館の倉庫か、よく言って学院教授の部屋のようである。壁面にはびっしりと本棚が並び、とほうもない数の蔵書が並んでいる。宗教書神学書が中央を占め、残りのほとんどを歴史書が占領していたが、それだけではなく戯曲、小説……滑稽本のたぐいまであった。
部屋の主の大振りな机の上には、最近、ロマリアの宗教出版庁が発行した「真訳・始祖の祈祷書」が乗っている。御始祖ブリミルの偉業が記された聖なる書物だ。その部屋の主は、二十代ほどの髪の長い長身の男性である。
「ほう」
その青年の焦りようを見て、なぜかその男は微笑みを浮かべていた。
「なんですか?」
「いやなに、あなたがそのように慌て、焦るような声を出すのは、私の使い魔になった時以来ですから非常に懐かしくて、……つい、ね」
「あなたが教皇などになった時も、僕は相当焦っていたと思いますが」
「おや、そうだったんですか。当時忙しかったとはいえ、それを見逃したのは、このヴィットーリオ一生の不覚でしたね」
そう言って、またコロコロと笑った。
彼の名は、ヴィットーリオ・セレヴァレ。それはこの世における最高権力者、神の代弁者、ハルケギニアに住むすべての人々の敬意を集めるもの。そして神と人を繋ぐ道具。
すなわち「教皇聖エイジス三十二世」の俗世での名である。
「どうも、あなたと話していると調子が狂う」
「それはいけませんね。使い魔が主人と一緒のときに調子を狂われては、大事を成せないではありませんか」
ジュリオは両手を差し上げ、降参を示した。
「報告は……これが報告と言っていいのかはわかりませんが、あなたのご慧眼通りアルビオンに「ミョズニトニルン」がいました。おかげでロホを失いましたが」
ヴィットーリオは微笑むのをやめ、しばし目線を落とす。
「……彼は、立派な竜でした。美しく力強くあなたをよく補佐してくれた。彼のため、しばし祈りをささげることにしましょう」
「……もう一件は、こちらです」
そう言ってジュリオが取り出したのは一本のガラス製の柱だった。それをうやうやしくヴィットーリオに捧げる。
「……水晶ですか?」
「これは、我が友人「土の賢者」アマリロに言わせると精霊石だそうです」
「ほう彼が……」
教皇聖下は、その精霊石を受け取り、押し黙ってしまう。ジュリオと呼ばれる青年も何も言わない。
しばしの沈思黙考、のち。
「誰かが……、“生命”を使ったようです」
静寂
使い魔が、わずかに
息を飲む音以外は。