「赤ん坊……?」
使い魔の儀式に応じて姿を現したその者に、思わずルイズは目を丸くしてしまった。
現れたその赤ん坊は、ルイズらが見守る中で草むらにこてんと横になり、すやすやと気持ち良さそうな寝息を立てている。
ルイズ自身と同じような薄い桃色の髪に、柔らかそうな頬。
服も……見る限りでは、かなり上等なのではないだろうか。
そんな様子をみるだけでも何不自由なく育てられている事が見て取れた。
「おや、まぁ……これは……」
そして儀式の監督をしていたコルベール教師も、流石に召喚されてきたのが人間の赤子とあっては、言葉を失ってしまっている。
「ルイズ。召喚できないからって、よその赤ん坊を攫ってくる事は無いだろう!」
これは一体どうすべきか……対処に困り、誰もが固まった中、周囲で見守っていた同級生の一人が囃し立ててきた。
「う、うるさいっ!」
ルイズにしても召喚して出てきた『人間』が、まだ普通の成人。せめて会話を交わせる程度の歳頃であるのならば、八つ当たりの一つでもしていたかもしれない。
しかし、流石にこちらの言葉も解しそうに無い赤ん坊に向かって怒鳴りつけるわけにもいかなかった。
「う~?」
周囲の声。そしてルイズの怒鳴り声に反応してか、不意に赤ん坊が声を上げてゆっくりと眼を開いた。
「ぅ~……あ、あぁ~……」
やはり頭部が重いのか、やや危なっかしげな仕草ながらもゆっくりと上半身を起こして辺りを見回す。
しかし頭はまだ寝ぼけていたのか、目の焦点もあっておらずぼ~っとしている。しかし、そのような赤ん坊の仕草の愛らしさに、一部の女子生徒が黄色い声を上げた。
「う……? うー。うぁー……」
しかし赤ん坊自身は徐々にに己の置かれた状況のおかしさに気づいてきたのか、はたまた単純に母親の不在に気がついたのか――見る見る内にその顔が歪んでいく。
「ふぁ……ふぁ……ふぁ……!」
口を大きく開閉する。
呼吸も大きくなり、目元には涙すら滲んできた。
そしてそう間を置かず――
「ふぁぎゃあああああああ!!」
泣き出した。それはもう思いっきり。
己の喉や声の大きさ、その限界に挑むかのような泣き声を辺りに撒き散らす。
「ち、ちょ、ちょっと……!」
ルイズもこれには慌て、赤ん坊へと駆け寄って抱き上げる。
「ほ、ほ~ら、高い高~い♪」
「あああああああああああああああん!!」
必死にあやそうとするが、全く効果は上がらず、赤ん坊の泣き声は止まらない。
それどころか、何が気に入らないのか泣き声は更に大きさを増していく。
「ちょ、ちょっと……何やってるのよヴァリエール!」
「しょうがないでしょ! この子が泣きやまないんだから!」
その様子に見かねて側に寄ってきた学友――キュルケにルイズも噛み付くが、そんなやり取りをしている間にも赤子は泣き叫び続ける。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
もはや音波兵器。
比較的離れた距離にいるはずの生徒達も耳を押さえて赤ん坊から距離を取り始める。
その渦中に居るルイズは当の赤ん坊を抱き上げて両手がふさがっているため、顔をしかめるしかなかった。
「あなたじゃやり方がまずいんじゃない!?」
「じゃアンタがやってみなさいよ!!」
赤ん坊の音波攻撃の側にあって、自然と声を張り上げてキュルケが口を挟み、とうとう頭痛すら感じ始めたルイズもたまりかねた様子で彼女に赤子を押し付けた。
「え……?」
そう簡単に泣き止むものでは無い。
「ああ……ん。ふぁっぐ……ひぇっぐ……!」
そう思っていたはずなのに――キュルケの腕にすっぽりとおさまった赤子は、途端にその鳴き声を収めていた。
嗚咽を繰り返してはいるものの、大きく泣き出そうとする様子はない。
「え……? ど、どういう事……?」
キュルケが抱くと、泣き止む。
「な、何で……?」
一体何がいけなかったのか、とキュルケの胸の中で鼻を鳴らしている赤子を凝視してしまう。
「ぁ~……う、う~」
赤ん坊は己の身体の横に感じる柔らかな感触。
それを確かめるように身体を押し寄せ――涙を目の端に残しながらもきゃっきゃと笑い出す。
「…………」
キュルケもあっさりと泣き止んだ事でしばし驚きに固まっていたが、やがてその赤ん坊の仕草、反応に何かを察したような顔でルイズに向き直る。
そしてその視線は、しっかりと『胸部』に注がれていた。
「……貴女のその薄い胸に抱かれるのが嫌だったんじゃない? ヴァリエール」
「なななんででですってええええええ!?」
キュルケの指摘にルイズも烈火の如く激怒するが……
「ほらほら、そんなに怒鳴ったらまたこの子が泣き出すわよ?」
「うっ!?」
そして赤子を引き合いに出されては、ルイズも引くしかなかった。
「う゛~……?」
しばし恨めしそうに赤子とキュルケの胸を交互に見やり……やがて、ルイズは赤子の背中に奇妙なモノを見つけた。
「これ、何?」
それは赤ん坊の背中に貼り付けてある紙。掌サイズの小さな長方形の紙片であった。
何気なく手を伸ばす。軽く力を込めると、それはあっさりと赤子の背中から剥がれてしまう。
手元に引き寄せ、まじまじと見つめる。その長方形の紙には奇妙な文字やら絵やらが描かれているものの、ルイズの知識にも全くこのようなモノは無い。
――ちなみにルイズには読めなかったが、それは呪を込めた文字で中央に『火気厳禁』とデカデカと描かれていた。
「ぅ……ぁ……! ああ……!!」
……!!
そしてひとまずキュルケの胸の中に治まって大人しくなった赤ん坊も、また表情が崩れてぐずりだしていく。
「あらあらあら、どうしたのかしら?」
「この子の母親もアンタほど馬鹿みたいな胸はしてなかったって事じゃない、ツェルプストー?」
先の意趣返しとばかりに思い切り皮肉を込めたのだが、キュルケは小揺るぎもしなかった。
「ふゃっぎゃ……! ふゃぎゃああ……!!」
――……リ
「お腹が空いたのかもしれないわね……それともおしめかしら?」
ルイズの皮肉を意に介さず、そっと草むらに赤ん坊を一度降ろして観察する。
「……やけに詳しいわね」
そしてそのキュルケの慣れた動作から、ルイズの中の怒りも一時おさめてそのような感想を漏らしてしまった。
「情熱の国ゲルマニアでは男女の情熱……その後の結果にもきちんと責任は持つように教えられているのよ。だから小さい頃からこういった事も礼儀作法に混じって仕込まれたわ」
「ふ~ん……で、この場合は?」
「そうね、取り合えずおしめを確認して……」
「ふぎゃあっ! ふぎゅあ! ふぁぎゃあああ!!」
――パリッ……!
「……?」
ふとルイズは気が付いた。
先ほどから赤ん坊が泣き出すたびに、何やらパリパリ……と乾いた木を裂くような音が周囲を震わせていたのだ。
「ちょ、ちょっと。ツェルプストー?」
まさかコレも自分が知らない赤子特有の何かなのかと考え、こちらに背を向けて赤子を地面に降ろし、おしめの確認をしようとしているキュルケの肩を叩く。
「それにしても、初めて見る形の服ね……一体何で出来ているのかしら?」
だが、キュルケは赤子の服を脱がす事に悪戦苦闘しており、ルイズの呼びかけにも気づいた様子は無かった。
見た事も無い形状をしている服に興味を惹かれたのか、じっと赤子へとその視線は注がれている。
「ふぎゃあっ! ふぎゃああああ! ふぎゃあああああああああああ!!」
「はいは~い、今おしめの確認をしてあげますからね~」
――パリ!
――パリ!
――パリッ!!
だが、キュルケが優しげに赤ん坊に語り掛ける間にも、どんどんその音が大きくなってくる。
(い、一体何……?)
言いようも無い不安感がどんどん高まっていく。
「ふぁっ……!! ふあああああああああああああああああん!!」
――そして、赤子の泣き声が頂点へと達した時。
――ドオン!!
「わ゛~~!?」
突然、少し離れた位置で成り行きを見守っていたコルベールが炎に包まれた。
周囲の生徒も突然燃え上がった教師の姿に驚き、硬直する。
「ふぁああああ! ふぁあああああああああ!
ふぁああああああああああああああああ!!」
――ドオン!!
――ドオン!!
――ドオン!
が、そんな間にも赤ん坊が泣き叫ぶたびに近くに周囲の土が抉れ、炎が草原を焼いて燃え上がる。
「ど、どどどどどどーすればいいのよ!?」
「そ、そそそそそそそんな事言ったって!?」
いきなりの、そしてあまりの出来事に、ルイズもキュルケもおろおろと混乱する事しか出来なかった。反射的に赤子から距離を取り、互いの身体を抱き合うようにして怒鳴り合う。
ひとまず赤ん坊に泣き止んでもらえれば何とかなるのかもしれないが、今のその赤ん坊の周囲では特に各所で爆発が巻き起こり、とてもではないが近づける状況ではなかった。
「ふぁああああああああああああああああ!!」
「「きゃーーーーーー!?」」
そして、至近の爆破によってルイズとキュルケは揃って吹っ飛ばされた。
あくまで至近距離での爆破炎上であり、その直撃を避けられたのは不幸中の幸いか。
「う……うぅ……」
とはいえ、無傷という訳にはいかない。
吹き飛ばされ、転がったお陰で制服も土塗れ、身体にもいくつか擦り傷を作ってしまっていた。
「うわああああああ!?」
「ひええええええええ!?」
生徒はすっかり混乱し、この場を収める責任者であるコルベールは最初に燃やされている。
ぴくぴくと身体を痙攣させている事から辛うじて生きてはいるようだが、この様子ではもう期待など出来そうも無い。
「ど……どうにも、ならないの……?」
「ああああん! ああああん! ああああああああん!!」
絶望感に打ちひしがれるルイズの視線の先では、泣き叫ぶ赤子とその周囲で踊り狂う炎、そしてそれに彩を添えるかのような爆発と――最早収拾など望めない状況が広がっていた。
「ふぁあああん!! ふぁあああん! ふぁ……だああああ……――」
――が、不意に赤子が泣き声を弱め……そしてそのままぽてりと仰向けに転がり、すやすやと寝息を立て始める。
「え……?」
「――ひとまず、これで大丈夫」
突然の事に呆然と眠る赤子を見つめるルイズの横で、静かに語りかけてくる者が居た。
「あんた……タバサ?」
「スリープクラウドを掛けたから、これでしばらくは大丈夫なはず」
「あ……あり、がと」
コルベールも役に立たず生徒が混乱する中、それでも冷静に事態へと対処してくれたタバサに、戸惑いつつも礼を告げる。
そのまま警戒しつつゆっくりと赤ん坊へと歩み寄るが、確かにぐっすりと眠っており、その表情だけを見れば先までの出来事の犯人である事など想像も出来ない。
「……ひとまず、今の内に契約を済ませちゃえば?」
ルイズと同様、土に塗れながらも重傷は避けられたキュルケが腰に手を当て、若干に疲れた様子で提案する。
確かに今くらいしか契約のチャンスしかない。もう一度泣かれては、もう手の付けようもないだろう。
そう考えたルイズは『コントラクト・サーバント』の呪文を唱え、ゆっくりと眠る赤子の唇に己のそれを寄せていったのだが……
「どうしたの? 早く契約を済ませちゃいなさい」
「……ねえ、ツェルプストー」
赤ん坊と唇を重ねる直前、何を思い立ったのかルイズはぴたりと動きを止め、そのまま首を九十度曲げてキュルケへと話しかけた。
「何かしら?」
「……この子が泣いたら、つまり火がぼーんといったわけよね?」
「え、ええ……」
神妙な顔つきで、確認するように告げてくるルイズにキュルケも戸惑いながらも頷く。
「で、私がこの子に契約するとなると……当然この子にルーンが刻まれるわけよね?」
「そ、そうね……」
そこに至ってルイズが言いたい事に気がついたのか、答えるキュルケの視線がわずかに逸れる。
「ルーン刻まれるのって、痛いわよね?」
「………………」
「……泣くんじゃない? この子。流石に魔法も解けて」
「……………………だ、大丈夫よルイズ――多分」
「なら……なんでじりじりと距離をとってんのよあんたはああああああああ!!」
「ふぎゅああああああああ!!」
魔法のかかりが弱かったのか、或いは生来に抵抗力でもあったのか……ルイズの大声によって赤ん坊は目が覚め――また一つ大きな火柱が立ち昇った。
◆
そしてその後、ルイズはゼロに変わって、新たなる二つ名を手に入れた。
「う゛っ……! う゛っ……!! う゛ぇっ……!!!」
「いっ……いかん! 彼女がぐずりだしたぞ!!」
「総員、退避! 退避~~!!!」
学院内にて講義の真っ最中であったものの、その予兆に生徒は勿論、教師の顔も青ざめる。
われ先に立ち上がり、教室の外へと逃げ出す生徒達。
「う゛ええええええええええ!!」
ちゅどどどどど!!!!!!!!!!!
「ほっ……! ほ~らほら、高い高~~~い!!!」
黒こげになりつつも、必死になって使い魔のルーンが刻まれた赤ん坊を世話するその姿から、誰が言い出すでもなく、ルイズはその二つ名へと取って代わっていった。
――すなわち『子守のルイズ』と。
そしてルイズが『学院で使い魔の赤ん坊を育てている』というのが、『学院で不純異性交遊の末に生まれた赤ん坊を育てている』と捻じ曲げられてヴァリエール領へと届き、凄まじい形相でヴァリエール夫妻がトリステイン魔法学院へと来襲する事となっているのだが……子守に必死になっているルイズ、秘書のスカートの中身を覗くことに必死になっている学院長オールド・オスマンは未だ知る由も無かった。
『GS美神』より美神ひのめを召喚