「……どうやら、恋をしちまったようなんだ」
「ほぇ?」
苦悩に苦悩を重ね、言うべきか言うべきでないか散々に悩んだであろうことは、今のマルトーの状態――椅子に腰掛けて、全身が脱力してうなだれている様子を見れば多少なりとも察する事は出来る。
出来るのだが……その言葉は、シエスタにとってまさに青天の霹靂であった。
全く予想だにしないどころか、予想が二回転半ほど転がって三回ほど捻りあがったかのような解答。
目を丸くし、呆けたように口を開け、間の抜けたような声で返してしまったシエスタであったが、それを誰も責められないだろう。
ここ数日、どうもマルトーの様子がおかしい。
調理という料理人にとっての戦場の中、普段ならば豪快ながらも繊細な手つきで料理を作り上げるマルトーであったのだが、此処最近、なぜか元気をなくしてしまっていたのだ。
視線は宙をさ迷い、時折に物憂げなため息。
それでも包丁を操る手つきは熟練のそれであり、流石は料理長だとシエスタも感心した物ではあったのだが、傍から見れば異様な光景である事に変わりは無い。
だからこそシエスタもその態度が気になり、夕食の配膳を終えて一段落し、マルトーが厨房の椅子で一休みしている時を見計らって話しかけたのだ。
……そうして問いかけたシエスタに対し、若干の躊躇いと共にマルトーが口にしたのが冒頭の言葉である。
「こい……ですか?」
こい コイ 請い、乞い、故意 鯉 濃い……
その一言から、シエスタの頭は様々な言葉を枝分かれに連想していく。
「――あ! ひょっとして夕食の味付けを濃くしてしまったんですか?」
「違うっ!」
しばしの黙考の後に達した結論。
だが、シエスタのそれを力いっぱいに否定したマルトーは、じきにいじける様に視線を逸らす。
「……へっ、俺だって自分がどれだけ場違いな事を言っているのかは分かってるよ……。恋とか、好きになったなんて言葉、これほど俺に似合わないもんはないよな~……」
最後の呟きから、シエスタは素で「ありえない事」だと思考から切り離していた事項が正解であると気が付いた。
「あ、ご、ごめんなさい! その、別にそんなつもりでは無くてっ!!」
「いーんだいーんだ。どーせ俺は料理しか頭に無い料理馬鹿だよ……」
慌ててとりなすが、マルトーの機嫌は直らない。
「マルトーさぁん!!」
何度か呼びかけるも、力なくうなだれるのみ。
何とか立ち直ってもらおうとシエスタが厨房内で奮闘する一方、アルヴィーズの食堂では生徒たちが談笑と共に食事を楽しんでいた。
「ふぅ……美味かった……」
至福の時とも言える食事を済ませたマリコルヌが満足げにナフキンで口元を拭う。
心地よい満腹感に浸るマリコルヌであったが、ふと流した視線に捉えた光景に、さっと顔を青ざめさせた。
「お、おいギーシュ! お前まさかそいつを残すつもりなのか!?」
「そうだが……一体どうしたというんだい、マリコルヌ」
思わず大声を上げてしまったマリコルヌに、向けられた相手――ギーシュ・ド・グラモンは小さく眉を潜め、上品な手つきでフォークを置く。
並べられた皿はいずれもほぼ全て空になっており、後に残っていたのはステーキにかけられていたソースと、そして付け合せに盛られていたハシバミ草のサラダのみであった。
「止めておけ! いいか、ギーシュ。命が惜しかったら何も言わずにそいつもきちんと食べるんだ!」
マリコルヌの視線は、残されたサラダへと注がれていた。
ギーシュがそれを残したままに席を立とうとする気配を察し、一層眼を血走らせて力説する。
「これをかい?
……冗談はよしてくれたまえ。こんな物は貴族の口に合う食材ではないだろう」
ギーシュに限らず、ハシバミ草のサラダを苦手としている生徒は多い。
身体に良い、とは言われているものの、独特の苦味がどうしても好きになれない、と大半の生徒が残してしまうのが常なのだ。
だが、何故か今日は、ギーシュ以外周囲の生徒たちは皆、きちんとそれらを食べきっている。
周囲でもそのサラダを残しているのはギーシュ一人であったのだが……ギーシュ本人は全く気づいていなかった。
――否、仮に気づいたとて些事と切り捨てただろう。
「ああああ……そうか、お前は最近風邪引いてたから知らないんだな。いいか、ゼロの奴がだなぁ……!」
「――ルイズがどうかしたのかい?」
突如出てきた女生徒の名に、ギーシュは反射的にその姿を求める。
見渡せば、桃色の髪は簡単に見つかった。
「?」
そして彼女の前へと並べられた皿へと視線を落とすと、ハシバミ草のサラダもしっかりと食べきっている。
(ルイズも、確かハシバミ草のサラダは苦手だったんじゃなかったか……?)
そこで初めて疑念を抱いたギーシュであったが、それはまだ、首を軽く傾げる程度のものでしかない。
「ああいや、アイツじゃなくてアイツの使い魔がだなぁ……!」
そんなギーシュとは対照的に、話していくにつれて目に見えてマリコルヌの余裕がなくなってきていた。
目を血走らせるばかりか、椅子を蹴るようにして立ち上がり、両腕を振り回してその巨体を揺する。
「ああ……そう言えば何やら平民を召喚したらしいと聞いているが、それがどうかしたのかい?」
風邪気味の身体をおしてヴェルダンデ……ジャイアントモールを召喚して契約を交わしていたため、確かにギーシュは食堂で食事をとるのも久しぶりであった。
当のルイズが召喚したときには熱で朦朧としていたし、結局後で何やら平民を召喚したとは聞いていたが、具体的にどのような者まで召喚したのかは聞いていなかった。
「そ、そいつ……いや、そのお方が今、食堂で料理人たちを手伝っているんだが……」
「人間で……料理人? で、手伝っていると……マリコルヌ、結局君は何を言いたいんだい?」
要領を得ない説明には、ギーシュも戸惑う事しかできない。
そしてマリコルヌも、自身が説明できていない事を自覚しているのか、頭をかきむしって唸りだす。
「だ、だからっ! お前がそいつを残したりすると……う、うううう……っ! こ、これ以上は俺の口からは恐ろしくて言えない……!
おい、ゼロ! お前の使い魔だろ! お前から何とか言ってやれ!!」
「……まあ、一度身に染みなきゃ分からないわよ。アレは」
やや離れた席であったが、マリコルヌとギーシュのやり取りはしっかりと聞こえていたようだ。
ゼロと呼ばれた事に怒る様子すら見せず、どこか疲れたようにため息を吐くルイズ。
「……」
そうしてちらり、とギーシュに向けられた視線には、若干の哀れみすら込められている。
「……よく分からないが、どちらにしろ僕はこんな物を食べるつもりはないよ」
慌てるマリコルヌにしたり顔で話すルイズ。
状況は理解しきれないが、結局のところはギーシュもハシバミ草のサラダなど食べるつもりはさらさらない。
付き合いきれない、と肩を竦めて立ち上がり――
――すぱかぁん!!
「ぐぉっ!?」
食堂を後にしようと歩き出したギーシュは、突如後頭部を襲った強烈な衝撃に目を見開き、倒れこむ。
その足元に転がったのは、木製の某。
――ギーシュは知る由も無かったが、それはとある世界では「しゃもじ」と呼ばれるものであった。
「お……おおおおおお……!!」
後頭部にその「しゃもじ」の直撃を食らい、倒れた姿勢のままに呻き続けるギーシュ。
いつのまに近づいたのか――その彼の背後に、仁王立ちに腕を組む一人の女性が立っていた。
歳の頃は四十代ほどだろうか。決して美しいという訳ではないが、生気溢れるその所作から、好感を持つ者を多いだろうと推測できる、そんな女性。
白い服――彼女の国ではこれが調理の正装なのだという「カッポー・ギ」なる物を服の上から着ており、髪は邪魔にならないようにか頭の上で丸めてまとめてあった。
「なっ……何をするんだ平民!!」
ようやく回復したギーシュはふらふらと立ち上がりながらも、狼藉を働いた見慣れぬ「平民」を睨みつける。
「あんた。今、サラダ残したままに行こうとしたね?」
対照的に、女性の声は静かなもの。
しかしそれは、例えるなら噴火直前の火山である。そうと容易に知れるほどに、抑え切れぬ怒気が言葉の端々から滲み出てきていた。
表情は怒りに彩られ、その怒気もギーシュ一人へと向けられたものであるはずなのに、周囲の貴族達ですら腰が引け、遠巻きに見守るばかりになっている。
「ぁ……あああああ……っ!」
ギーシュの傍にいたマリコルヌなど腰を抜かしてしまっていた。
「ギーシュが……ギーシュがっ! あのお方のお怒りに触れてしまったぁ!!」
何かのトラウマでも思い出したのか、今にも泣き出し、失禁しそうな気配である。
「ああ、それがどうかしたというのか!? まさかそんな程度の理由で、貴族である僕に平民が手を出したとでも言うのか!?」
無論、そんな女性の怒りをギーシュも敏感に感じ取っていた。
だが、同時にそれは彼にとって「たかが平民の怒り」でしかない。
怖れるようなものでもなく、ましてや貴族の子弟。しかも名門グラモン家の己にこのような仕打ちをした、という怒りの方がよほど強い。
「そんな、程度?」
そんなギーシュの最後の一言に、ぴくり、と女性の眉が釣りあがり――同時に手元が霞む。
「――っ!?」
瞬間、ギーシュは怒りも忘れて目を見開いてしまう。
ギーシュの足先、1サントにも満たない位置に包丁が深々と突き立ったのだ。
「ぅ、ぁ……ぇ……?」
外した――訳ではないだろう。
その気になれば、明らかに殺れる動きだ。
「貴族だろうがなんだろうが……」
あまりの事に驚き、固まるギーシュに向けて、その女性は大きく息を吸い込み、
ギロリ、と鋭く細められた目がギーシュを射抜く。
「お残しは、許しまへんでぇ!!」
有無を言わせぬ迫力で放たれたダミ声が、食器が音を立てて鳴り出すほどに、食堂全体を大きく震わせた。
◆
「……可憐だ」
騒ぎを聞きつけ、そっと様子を伺っていたマルトーの口から、ギーシュに相対する女性へと向け、そんな一言が零れ出た。
(そ、そーいう事だったんですか……)
同様に様子を窺っていたシエスタの頬を、一筋の汗が垂れ落ちる。
ヴァリエール家の末娘が召喚した平民。
やや歳はとっているものの、以前の経歴を生かし、気さくな笑顔と共に食堂を手伝うといってくれた女性。
その独特の調理法、調味料の使い方はどこかシエスタの故郷の味を思い起こさせており、彼女自身もその使い魔である女性に好感を抱いている。
(だとすると、お似合い……かもしれませんね)
何とか立ち直ったシエスタは二人が上手くいくといいなあ、と考えつつ、くすりと小さな笑い声を漏らしてしまった
◇◇◇
この後、栄養バランスが完璧に調和した食事の完食を義務付けられたトリステイン魔法学院出身の貴族らは、他の貴族に比して格段に健康体の者が多くなった、と後の歴史書には記されている。
教師らも多くが健康体のままに往年を過ごし、一説には齢五十を越えて黒々とした髪が蘇り狂喜乱舞した男性教師までいたとの記述まである。
だがしかし、それほどの功績を残した当の本人は、平民であったゆえか歴史書に名前は残されていない。
ただ、その愛称のみが小さく綴られていた。
曰く、トリステイン学院最強の女・『食堂のおばちゃん』、と。
『忍たま乱太郎』より食堂のおばちゃんを召喚