モード大公との対談をひとまず終えたファーティマたちは、案内された客室で休息を取っていた。
話の流れは非常にスムーズで、順調に進んでいった。アーディドがアベルとの面会を希望したところ、モード大公は、アベルが遠からず屋敷に戻ってくることを理由に、それまでファーティマたちが屋敷に滞在することを勧めたのだ。
もちろんアーディドはそれを断らず、ファーティマも受け入れるほかなかった。自分だけ帰ります、だなんて言えるわけがない。
そうして、少なくとも数日の滞在が決まったのだった。
「…………はあ」
が、ここでの問題はファーティマの内にあった。
屋敷に留まるということは、当然ながら、シャジャルとは何度も顔を合わせることになるのだ。お互いに複雑な事情があるだけに、もしもファーストコンタクトで双方の関係を上手く築けなかったら……えも言えぬ気まずさを持ちつづけるハメになりそうだ。
「不安か?」
「……少し」
あと十分もしないうちに、ファーティマはひとりでシャジャルの私室に赴くことになっていた。もう先方にはそのことを伝えてあるので、いまさら予定を変えるわけにもいかない。
そもそも生い立ちが孤独だったせいでもあるが、ファーティマ自身はコミュニケーションが上手いほうではない。どんな話から切りだして、どう会話を進めていこうとか、てんで考えられずにいた。
これが怒りや憎しみの言葉をぶつけるだけだったのなら、どんなに楽だったのだろうか。けれども今の自分は、そんな強い負の感情は抱いていない。
……時間だ。
遅刻するわけにもいかない。覚悟を決めて、ファーティマは前に進むことにした。
部屋を出ようと、ドアノブに手をかけたところで――
「ファーティマ」
声をかけられて振り返る。
そこには、優しげな笑みを浮かべたアーディドがいた。
「難しく考えなくてもいい。自分の気持ちに素直に話すだけでいい。時間は十分にあるんだ。――行ってこい」
「……ありがとう」
ファーティマも笑顔で返して、部屋を出た。
廊下にはすでに使用人が待機していて、ファーティマの姿を認めると一礼し、シャジャルの部屋へ案内すると言ってきた。ファーティマはその使用人に従って、屋敷の廊下を進んでいった。
歩きながら、ふとファーティマは不思議な気持ちになった。
どうして、自分はここにいて、顔も知らぬ叔母に会おうとしているんだろう。
そもそもの話、ファーティマはシャジャルとの邂逅など思い描いてすらなかった。たしかに彼女のせいで、ファーティマの人生は大きく左右された。しかし、すでに彼方の世界に消えていったシャジャルという人物は、自分との関わりを持ちえない遠い存在だった。叔母を恨んでいた子供時代でさえ、実際に会ってどうこうしたいなどと思うはずもなかった。
そんな中で、可能性を持ち出してきたのはアーディドだった。
彼はシャジャルの位置を正確に把握し、西方への旅路を計画し、そしてファーティマに話を持ちかけてきた。シャジャルに会わないか、と。
そしていま、現実にファーティマは彼女と顔を合わせようとしている。
たしかに、シャジャルという人物には普通以上の感情を抱いてはいた。それは以前だったら憎しみであったし、エルフ社会を抜け出してからは純粋な興味でもあった。けれども……それだけだ。その感情が行動に移るようなことは、決してなかった。
むしろ、「ファーティマとシャジャルの邂逅」というのは――アーディドが望んだことだったのではないか。
かつて見たことのない先程の彼の表情を思い出すと、そんな考えがよぎってしまうのだ。
「着きました」
案内人の声に、ファーティマはハッと我に返った。いつの間にか、目的の部屋の前に到着していたのだ。
「あ、ありがとうございます」
慌てて礼を言うと、使用人も一礼して、そのまま去っていってしまった。
独り、残されたファーティマは大きく息をついた。
……何も思い浮かばない。
結局、対話のシミュレーションは皆無だった。まあ、相手の顔どころか性格すらも碌に知らないので当然かもしれないが。
ようするに、こんなところで足踏みしてないで、前に進むしかないということだ。
もう一度、大きく呼吸する。
意を決して、ファーティマはドアをノックした。
「――どうぞ、お入りください」
やや間があって、玲瓏な響きが中から発せられた。穏やかで、優しい印象の声だった。
「……失礼します」
心臓が高まるのを感じながら、ファーティマは入室を果たした。
――最初に抱いた感想は、綺麗だな、というものだった。
絹のように流れる金髪に、碧く透き通った瞳。
先程の声に違わず、その容姿も美しく、温和な印象を受けるものだった。
真珠という名前がこれほど似合うものはそういないだろう。
柔らかい笑みを浮かべながら、シャジャルは口を開いた。
「初めまして、ね」
その言葉は、ハルケギニアに来てから久しく耳にしていなかったエルフ語によるものだった。
「……その、はじめまして。ファーティマです」
ファーティマもガリア語から母国の言語に切り替えた。アーディドとの会話でさえ、基本はガリア語で行っていたので、こうしてエルフ語で会話するのはなんだか新鮮な気持ちだった。
「私はシャジャル。あなたにとっては――叔母に当たるわね」
親族関係を口にした瞬間、シャジャルの口元から微笑が消えた。
代わりに浮かんだのは、申し訳なさの滲んだ顔色だった。
「……ごめんなさい。私の勝手のせいで、一族の方々には迷惑をかけたでしょうね」
「――ええ。ハッダードは裏切り者の一族と呼ばれ、疎まれるようになりました」
ファーティマは事実を言った。
そんなことない、などと嘘は言えなかった。シャジャルの行動のせいで、残された親族者が多大なる苦労を被ったのは厳たる事実なのだ。
かつては誰もがシャジャルを恨んでいた。もちろんファーティマも。それは否定しようがないことなのだ。
「……一族はいま、どうしていますか?」
「東方で生活しています。不自由はしていません」
「それは――」
シャジャルは狼狽した様子を見せた。
「国を……追放されたのですか?」
「みんなで逃げ出しました。民族反逆罪を受け入れるわけにはいきませんでしたから。……だれも死んでないので、安心してください」
「それでも……」
シャジャルの体は小刻みに震えていた。その心中を罪悪感が支配しているであろうことは、容易に察せられた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
「…………」
謝罪の言葉を口にするシャジャルを見つめながら、ファーティマは口を閉ざした。
こうして彼女と対面して、会話して……ファーティマには、ある感情が湧き出ていた。
それは決して喜ばしい類のものではない。不満、苛立ち、落胆――それらが混ざり合ったようなものが、ファーティマの胸の奥から生まれてくる。
自分がここに来たのは、なんのためだったのか。
彼女から謝罪の言葉を聞くため? ――そんなものでは、断じてなかったはずだ。いまさら謝罪などされても、得られるものは何もない。
――知りたい。そう、シャジャルのことが知りたくて、ここまでやってきたはずだった。
彼女が今、どうしているか。
人間と暮らして、幸せでいるのか。
どうして自分の国を捨ててまで、人間に付いていったのか。
そんな疑問、興味に応えてくれることを、ファーティマは期待していたはずだ。
だからファーティマは、シャジャルに教えてもらいたかった。
あの人の好さそうなモード大公が、シャジャルにとってどれだけの存在だったかを。人間世界で生きると決めてからの、彼女の辿ってきた道筋を。あるいは、この地でもうけたという一人娘の話題だって構わない。なんだっていいのだ。
「――ごめんなさい」
ただ、その無意味な謝罪以外だったらなんでも。
「…………もういい」
無意識に、そんな言葉が漏れていた。
濁った昏い感情に耐えきれず、ファーティマは声を張り上げてしまった。
「聞きたかったのは、そんなことじゃないッ!」
冷静になって話を進めればいいのに。自分の考えをきちんと伝えて、シャジャルに話してもらえばいいのに。
頭ではわかっているはずなのに、ファーティマはできなかった。その自分の愚かさがさらに苛立ちを募らせ、いっそう感情に支配される。
気づけば、ファーティマは部屋を飛び出していた。背後で名を呼ぶシャジャルに振り返ることすらせず。
無我夢中で走ったくせに、間違えず自室に戻れたのはなぜだったのだろう。自分でもよくわからない。
とにかく部屋に駆け込んだファーティマを出迎えたのは、ベッドのそばで立っていたアーディドだった。
アーディドはこちらに気づくと、普段と変わらない表情で「ファーティマ」と名前を呼んだ。
その慣れ親しんだ彼の姿を見て、いつの間にかファーティマは彼の胸に飛び込んでいた。
あまりに唐突な行動だったせいか、アーディドはその勢いを受けきれず、二人もろとも後ろのベッドへと倒れ込んだ。
そんな状況でも――なお平静な表情で、「どうした」とアーディドは尋ねる。
「……どうしてかな。もうあの人を恨んじゃないと思ってたのに。でも、あんなふうに謝る姿を見て、耐えきれなかった」
「シャジャルの態度に怒りを感じた?」
「うん……」
残された一族の顛末を聞いて、罪悪感に苛まされる彼女の様子に我慢ならなかった。
あんなに悲痛な謝罪をしているのに、それを許せなくなった自分は狭量なのだろうか。
アーディドにそのことを訪ねてみると、「いや」と彼は否定した。
「ハッダードの状況を初めて知って、彼女は動揺した。――それを覚悟していなかったからだ」
――ああ、そっか。
シャジャルに対する怒りの本質を、ファーティマはようやく理解した。
彼女は浅はかすぎたのだ。国を捨てたとき、残された一族がどういう扱いを受けるか見通せていなかったのだ。だからこそ、ファーディマの話を聞いて彼女はあれほど狼狽えた。
つまるところ、彼女には行為に対する覚悟が足りなかった。そんな半端な覚悟によって、ハッダード一族の人生が翻弄された。ファーティマは、そのことに堪らなく腹が立ったのだ。
自身の感情に理解が及ぶと、ファーティマは少し冷静になれた。「ありがとう」とアーディドに礼を言って――彼を押し倒したままなことに気づく。
恥ずかしさが押し寄せ、ファーティマは慌ててアーディドの胸元から離れた。我ながら子供みたいだった、と顔を赤くしてアーディドの隣に座りなおす。
「……どうしたらいいかな。あんなふうに飛び出してきちゃって」
間違いなく、ファーストコンタクトは大失敗だったと言えるだろう。碌な会話もできていなかった。自分の愚かさが嫌になってくる。
「――最初に言っただろう?」
体を起こしたアーディドが、諭すような、柔らかい口調で語る。
「素直に話せばいい。ファーティマが感じたことを、隠さず相手に伝えればいい。言葉にして、ファーティマの思いを理解してもらえばいい」
「……うん。わかってはいるんだけど……上手くいくかな」
自分が思っている以上に、ファーティマというエルフは感情的で未熟な存在なのだろう。さっきまでの行動からして、それは否定しようがない事実だった。
また些細なことで失敗するかもしれない。さっきみたいに、感情を抑えきれずに逃げ出すことがあるかもしれない。
そんな心配をファーティマは口から零した。
「そのときは――」
アーディドは笑った。
優しさと、暖かさと、そしてほんの少しからかいを込めて。
「――また、俺の胸に飛び込んでくればいい」
◇
それはなんとも奇妙な対談だった。
アルビオン王家に連なる大公の屋敷、その一室に集った四人が全員、人間の敵と目される種族だとは、いったい誰が信じられようか。
エルフが二人、吸血鬼が一人、ハーフ吸血鬼が一人というのが、その四人の内訳だった。字面だけ見れば人間にとって恐ろしいことこの上ないが、実際の様子はと言うと平穏としか言い表しようがないものだった。
「……なるほど、それでアルビオンまで来たわけか」
アーディドたちがこの地にやってくるまでの経緯を聞いたアベルは、どこか呆れを含んだような声色で呟いた。それもそのはずだろう。単身で国を相手取って易々と亡命を果たしたというアーディドの話は、傍から聞いただけでは信じられるものではない。
――だが、このアーディドという少年を実際に目の前にして、エルザはそれが真実であると理解せざるを得なかった。
それはひとえに、エルザが先住魔法の使い手だったからである。先住の力とは、すなわち精霊の力であり、エルザも周囲の精霊の気配を感じ取ることができる。そしてもし、精霊が他者に掌握されている場合は、その事実にすぐ気づくことができる。
現在、この空間の精霊はすべてアーディドに支配されていた。――文字どおり、“すべて”だ。通常、精霊を操る力は自身に近いほど強まり、遠いほど弱まる。そのため一方の行使手が、もう一方の行使手の周囲にある精霊に干渉しようとしても、相手の支配によって容易に撥ね除けられるのが普通だ。
だというのに、いまエルザがたった数サントの傍にある空気中の精霊に働きかけようとしても、一切の手応えがなかった。アーディドがそれすらも完全に制しているからである。実際には起こりえないだろうが、もしアーディドが殺意をもって精霊に命令を下せば、エルザの周囲にある大気はすべて牙を剥き、ほんの一瞬にしてこのちっぽけな吸血鬼の命は消失させられるだろう。
――化け物だ。
人間から恐れられる妖魔のエルザでさえ、そう思ってしまった。これが長年に渡って契約を積み重ねてきた場所であるならまだしも、アーディドはつい先日この屋敷を訪れただけに過ぎない。その事実がいっそう、彼の異常さを物語っていた。
アーディドはその実力によって亡命を成功させたと言うが、ともすればエルフの国を独力で潰すことさえ可能だったのではないか。そんな思いを抱かせるほどに、アーディドという少年は異次元の力の持ち主だった。
「にしても、とんでもないやつだなぁお前」
呑気な口調で言うアベルに、今度はエルザが呆れた顔をした。普段、アベルは系統魔法しか使わないが、当然ながら先住魔法も心得ているはずである。だからアーディドの途方もない力を理解しているだろうに、彼からは少しも動揺の様子が見えない。ふつう自分よりも圧倒的な存在を前にしたら、危機感や緊張感といった感情を多少なりとも抱くものではないだろうか。
――いや、もしかしたら。
アベルがこれほど平常心を保っていられるのは、彼ならばアーディドとも比肩しうる、あるいは超越しうる、規格外の化け物だからではないか。
そんな根拠もない考えが、エルザの頭には過ってしまった。
「その言葉はきみにも返そう。ティファニアを連れて王宮に侵入したらしいな?」
「……ああ。あの子にはちゃんと伯父と会わせておきたかったからな」
「それで結果は?」
「当然ながら拒絶しかなかった。ま、この世界の貴族としては普通の反応さ」
「致し方ない。我々エルフも、多くの者は人間を蔑視し、敵視している。種族間の問題はつねに世界に遍在しているものだ」
「偏見も差別もない付き合いができればいいんだがな。――モード大公とシャジャルのように」
ふいにアベルの目線が、ファーティマのほうへ向いた。
びくりと緊張した様子の彼女に対して、アベルは穏やかな笑みを浮かべる。
「――シャジャルとは仲直りできたかい、お嬢ちゃん?」
「え、あ……は、はい。初対面では少し失敗してしまいましたが、その後はちゃんと話し合って、和解することができました」
「もう恨んではいない……ということかい?」
「――はい。たしかにシャジャルの行動で一族の境遇は一変しましたが、アーディドのおかげで誰も死なずに済んだし、東方での生活にも不自由はありませんでした。何より彼女は――本心から謝罪をしてくれました」
真摯な表情でそう答えるファーティマに、アベルはどこか満足げな頷きを見せた。
「明日には、ティファニアもこの屋敷に着くだろう。そうしたら、きみはあの娘ともゆっくり話をしてくれないか。いとこと会えれば、彼女もきっと喜ぶ」
「ぜひとも。わたしもティファニアと会うのを楽しみにしています」
世辞ではなく心の底からそう思っているのだろう。ファーティマの言葉には期待が籠められていた。
エルザは、この屋敷で初めてティファニアと顔を合わせた時のことを思い出した。吸血鬼と知っても少しも恐れる様子もなく、彼女はエルザと親しくなろうと接してきた。屋敷に引き籠って暮らすしかないティファニアにとっては、女子の友達ができることは何よりも大切で嬉しいことだったのだろう。
……もっとも“女の子”なのは見た目だけで、エルザの年齢はティファニアと遥かにかけ離れていたわけだが。年齢の齟齬は吸血鬼だけでなくエルフも同様で、ファーティマも外見は少女だが、齢はとっくに二十を超えているだろう。たぶんファーティマも、ティファニアに話を合わせるのに苦労するだろうなぁ……と、実体験からエルザは内心で彼女に同情を寄せるのだった。
「さて……」
一息置いて、アベルは視線をアーディドに戻した。その表情は真剣みを帯びていた。
「わざわざハルケギニアに来たのは、別の目的もあったんだろう?」
「もちろん。根本の問題を解決しなければ、世界の結末は変わらないままだ」
「それで、お前は何か手段があるのか?」
アーディドは言葉の代わりに、懐から小瓶を取り出した。そこに入っているのは――とんでもない代物だった。
芋虫のような姿のそれは、瓶の中でもぞもぞと蠢いている。それだけではただの気味の悪い幼虫にしか見えないが、しかしエルザはすぐに、その中に込められた異様な力を感じ取ることができた。
――恐ろしいほどの精霊の力と意思が吹き込まれている。
高度な先住魔法の使い手は、物体に意思や特別な能力を持たせたりすることができる。この芋虫もアーディドが作りだしたマジック・アイテムなのだろう。ただ、その質が尋常ではなかった。一目で分かるほどに強力なこの魔道具……いったい、何に使うというのか?
「……くく」
笑い声が漏れた。隣を見遣ると、アベルが口を笑みに歪めていた。
「いや本当に――とんでもねぇやつだ。オレもそのやり方は考えたが、系統と先住の魔法を組み合わせても、実用に堪えるものを作るのは無理だと思っていたんだぜ? だが……」
「俺が作製したこれならば、可能だろう?」
「ああ、十中八九な。もっと数を用意することはできるか?」
「少し時間はかかるが、問題はない」
こんな途轍もない力が込められたモノを量産できる? もはや次元が違いすぎて、エルザは唖然とした。
そんな彼女をよそに、アベルとアーディドは二人でどんどん会話を進める。そのやり取りを耳にしても、いったい何について話しているのかさっぱり不明だ。いい加減に分かるように話をしてくれ、とエルザが口を尖らせて言うと、ようやくアベルが頭を掻きながらエルザに顔を向けた。
「ああ、お前も知っているだろう? 大陸西方では地中の風石の蓄積が著しく、いずれは大地が大規模に隆起してしまう。――このアルビオンのように」
アベルの言った内容は、ハルケギニアでは一般的に知られている重大な案件だった。この大陸に住まう者の一員として、エルザもその問題については概要を理解していた。
「三百年くらい前に、トリステインの王立魔法研究所の研究員が提唱した問題――だっけ?」
「あ、その研究者、オレね」
「はっ!?」
さも事もなげに言うものだから、エルザは変な声を出してしまった。まあ、たしかにアベルの系統魔法は超一流なので、そういった職を経験していても不思議ではないが……。
アベルの経歴に驚きと珍しさがあるものの、その話はとりあえず置いておき、エルザは確かめるように尋ねた。
「えっと……そのマジック・アイテムが、風石問題を解決する鍵となる――ということ?」
「そのとおり。こいつを起動させれば、勝手に地中に潜って、肥大化した風石を食い散らかしてくれる。……そうだろう?」
アベルが視線を向けた先には、アーディドがいた。彼は静かに頷く。
「どれだけ凝縮された風石でも破壊することができる。その機能は実験で確認済みだ。そして一度、動作させれば数年は持つだろう」
「数年――って、それで十分なの?」
エルザは首を捻った。この風石破壊機がどれだけの速度で風石を処理できるのかは分からないが、それでもハルケギニアの地中に形成されている風石は、非常に広範囲かつ膨大だと言われている。本当にこんな小さな虫のようなものをバラ撒いただけで、問題を解決できるのだろうか?
その疑問は、あながち間違いでもなかったらしい。エルザの指摘に、アーディドは首を振った。
「いいや、足りないだろう。百年くらい地道に続けていけば、大隆起を防げるかもしれないが」
「ず、ずいぶん気の長い……」
エルザは顔を引き攣らせた。エルフや吸血鬼の寿命は人間と比べて遥かに長いが、それでも百年という年月は果てしない。
ただ、アーディドの言い方からすると、何か秘策があるようだ。エルザは再確認の言葉を口にする。
「何か別の方法がある……ということ?」
「ああ。先程の年数は、魔法に縁のない人間が適当に地面に放った場合の話だ。“適切な使用者”が、ありったけの魔力を籠めて起動させれば、通常よりも何倍もの効果と持続を発揮するだろう」
「――適切な使用者?」
思わずオウム返しした。たしかにマジック・アイテムの中には、魔法の使えない平民よりも、魔力を持ったメイジのほうが強力に使いこなせるものがある。ただ、所持者の力に左右されるのにも限度というものがあるだろう。どれだけ高位のメイジや行使手であろうと、そこまで差異が出るとは信じがたかった。
不審な顔をするエルザに、アーディドとアベルは同時に笑った。まるで、答えなど明白ではないか、と言うかのように。
彼らは口を揃えて、その使用者の名を答えた。
『――ミョズニトニルン』
それが、この大陸を救う者の名だった。